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6:5415200系は同じくあおぞらⅡの愛称を持ってるけど、車両建築限界・車長・デッキあり・座席のリクライニング機構・定員数・ブレーキ性能等々、先代の18200系とは異なってる点が多いので同じあおぞらⅡでも"全くの別物"ですよね。
小学6年生の時の修学旅行先は伊勢。往路(上本町ー伊勢市)は戦前型。復路(宇治山田ー上本町)で20100系に乗車しました。モーター音は大きかったです。また車内に噴出してくる風は冷たくなく常温でした。
20100系オール2階建電車、あおぞら号。我々世代の修学旅行の素晴らしい思い出を作ってくれた電車です。まさに小学生の憧れでした。愛知県に住んでいた小学生6年生の修学旅行(1972年10月)で奈良・伊勢に一泊二日しましたが、1日目は、名古屋->奈良は国鉄気動車急行かすが。奈良から大和八木までバス移動。大和八木->宇治山田であおぞら号乗車。二日目の帰路で宇治山田->近鉄八田で再びあおぞら号乗車でした。私的には一番好きな思い出電車の第一位はこのあおぞら号と583系寝台電車(小学校6年生の夏休みにはくつるに乗ったことがあります。)が争ってます。
昭和に誕生した20100系から始まり、平成、令和へと…60年以上の歴史を持つ近鉄のあおぞらシリーズは今でも走り続けている 。カラーリングは20100系の赤から対照的に青色に変わったものの、あおぞららしい。
4:18 手塚山大学ラッピングなつかし
20100系初代[あおぞら号]で修学旅行🎒に出掛けた身として懐かしい映像です。濃緑の通勤車両🚃、単線の青山トンネル、赤福餅~~記憶が甦りました🎶
近鉄あおぞら号は大阪市内の小学生が伊勢への修学旅行のためよく走っていましたね。初代あおぞら号は座席などのサイズが子供対象に作られていたというのは初めて知りました。それで団体列車や特別列車、臨時近鉄特急として活用されることがなかったんですね。
臨時特急もあったし一般団体も多数あった
たま~に、上本町⇔鳥羽の臨時快速急行に使われてましたよ。ただ真夏の臨時列車だったので、マトモな冷房の無い、初代あおぞら号では…ちょっと…💦
@@ゴンタオヤジ たまに臨時の一般列車としての運用もあったのですか。確かに冷房設備のない初代あおぞらの車両は夏場には辛いでしょうね。それでも今だったら「初代あおぞら号に乗車できる」と全国から鉄オタが大集合しそうですが。
@@user-cv1wf2td7h さん、確か当時の鳥羽駅で遭遇しましたよ。上本町行き快速急行で、写真にも撮りました。大阪方面に帰るので、がら空きだったしそれに乗ったも良かったのですが、既にその後の、特急の指定席を取ってあったので、払い戻しも面倒くさいので、乗るのを断念して、見送りました。まだ、オタもヲタなんて言葉も無い時代。
子供の時におじいちゃんと潮干狩りのツアーで、初代あおぞらに乗ったような。2階建て、あのカラーリング。めっちゃ覚えてます。京都線沿線なのですが、乗った記憶があります。
まさに恐るべし近鉄を代表する団体列車あおぞら号、特に20100系はまさに数多くの団体客を乗せて走り抜けた名車、
一時期の大阪の小学生の大多数は、修学旅行の行先が伊勢志摩だったので、この電車に乗った事がある中年男女は、多い筈w50代の私も、82年の春先に上本町から鳥羽まで乗りましたね。6クラスあったので、貸し切りだった記憶があるね。鳥羽から賢島までは、何故か30000系ビスタカーで、そのキレイさの違いに、子供心にビックリした記憶がある。
関西地区の小学校の修学旅行先が伊勢志摩が多いのも十分頷けます。
初期のあおぞらは、窓が開閉可能やったんやな。
こんばんは。私は小学6年生だった1974年にあおぞら号に乗車して伊勢志摩方面へ修学旅行に向かって行ったことを今でも覚えていますよ。
あおぞらⅡ、Ⅲのカラーリングは青色ですが、初代20100系のカラーリングは赤で2階建て車両になっていましたね。貴重な映像ありがとうございます。
初代20100系登場時は生徒数も今とは比較にならないほど多かった事が、2階建てと2-3座席が採用された要因ですね。それ以前は2200系の1ボックス4人のクロスシートに6人乗せていたそうです。また修学旅行用電車は1クラス約45人と添乗者を各車両に上手く分ける事が要求されたそうです。20100系だと3両編成で8クラスが乗車できるようになってます。2600系も4扉で補助席を設けたのはその為で、1両に補助席使用で2クラスが座れる構造になっていました。
非冷房でトイレ臭かった20100系。。。三重県の某有名な独立コミュニティ??ヤマギシズムの活動に昔参加していた頃、何度か乗りました。懐かしい!!
元祖215系というか、デュプレックスというかですなマイクロエースから販売されていて、中古で安かったのついつい買ってしまった一品です付随車にパンタグラフが乗っているところが、後の781系にも通じるところがありますな
エンディングは、間もなく引退の201系通勤電車
20100系からのワインレッドツートンも棄て難い、次世代あおぞら号にも青空カラーと兼用しながら、引き継いで採用して欲しい❗
15200系を何故「あおぞらⅢ」にしなかったのでしょうね⁉️😅所で、先代の20100系はお子様の寸法に合わせて設計がなされてたんですね。確かに修学旅行専用とは言え、狭そう…😣もし有ったら是非体感してみたいものですね(笑)
あおぞら2.2
あくまで、昭和30年代の小学生のお子様規格思想だったので、高度成長期の昭和40年代に入れば、子供も育ちがよくなって今日のようなカラのでかい小学生は当たり前になったので、既にキツキツだった。現に我々世代の小6で初めて乗った時は、男子六人が六人掛けボックスに座れば、ガッチガチのキッツキツだった…ひじ掛けが無い分かえって良かったような…(笑)
15200系を見る機会は毎月26日の天理教月次祭の臨時電車が確率高いですね。天理教輸送部のページに毎月20日過ぎにでています。
もうすぐあおぞら2も全滅ですか?
最近は汎用特急より専用車を多く投入してる近鉄ですから,まずは汎用特急を投入してからの引退になるんではないですかね?
155系159系167系169系「「「「修学旅行用の子供サイズ設計と聞いて!」」」」
あくまで、どれも皆、昭和30年代当時の、小学生の子供規格なので…どれも皆、昭和40年代後半になれば、キッツキツ…
座席が小学生サイズ、横5列になっていたのは155系だけで159、167系は急行車両と同じでした。
PK09は?
近鉄なのに何故に国鉄色なんだろ???
たしかに!でも当時の日光特急もこういう塗色でしたよね!ってことは,特別さを出したのでしょうかね?
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15200系は同じくあおぞらⅡの愛称を持ってるけど、
車両建築限界・車長・デッキあり・座席のリクライニング機構・定員数・ブレーキ性能等々、
先代の18200系とは異なってる点が多いので同じあおぞらⅡでも"全くの別物"ですよね。
小学6年生の時の修学旅行先は伊勢。往路(上本町ー伊勢市)は戦前型。復路(宇治山田ー上本町)で20100系に乗車しました。モーター音は大きかったです。また車内に噴出してくる風は冷たくなく常温でした。
20100系オール2階建電車、あおぞら号。我々世代の修学旅行の素晴らしい思い出を作ってくれた電車です。まさに小学生の憧れでした。愛知県に住んでいた小学生6年生の修学旅行(1972年10月)で奈良・伊勢に一泊二日しましたが、1日目は、名古屋->奈良は国鉄気動車急行かすが。奈良から大和八木までバス移動。大和八木->宇治山田であおぞら号乗車。二日目の帰路で宇治山田->近鉄八田で再びあおぞら号乗車でした。私的には一番好きな思い出電車の第一位はこのあおぞら号と583系寝台電車(小学校6年生の夏休みにはくつるに乗ったことがあります。)が争ってます。
昭和に誕生した20100系から始まり、平成、令和へと…60年以上の歴史を持つ近鉄のあおぞらシリーズは今でも走り続けている 。
カラーリングは20100系の赤から
対照的に青色に変わったものの、
あおぞららしい。
4:18 手塚山大学ラッピングなつかし
20100系初代[あおぞら号]で修学旅行🎒に出掛けた身として懐かしい映像です。
濃緑の通勤車両🚃、単線の青山トンネル、赤福餅~~記憶が甦りました🎶
近鉄あおぞら号は大阪市内の小学生が伊勢への修学旅行のためよく走っていましたね。
初代あおぞら号は座席などのサイズが子供対象に作られていたというのは初めて知りました。それで団体列車や特別列車、臨時近鉄特急として活用されることがなかったんですね。
臨時特急もあったし一般団体も多数あった
たま~に、上本町⇔鳥羽の臨時快速急行に使われてましたよ。
ただ真夏の臨時列車だったので、マトモな冷房の無い、初代あおぞら号では…
ちょっと…💦
@@ゴンタオヤジ
たまに臨時の一般列車としての運用もあったのですか。
確かに冷房設備のない初代あおぞらの車両は夏場には辛いでしょうね。それでも今だったら「初代あおぞら号に乗車できる」と全国から鉄オタが大集合しそうですが。
@@user-cv1wf2td7h さん、確か当時の鳥羽駅で遭遇しましたよ。上本町行き快速急行で、写真にも撮りました。
大阪方面に帰るので、がら空きだったしそれに乗ったも良かったのですが、既にその後の、特急の指定席を取ってあったので、払い戻しも面倒くさいので、乗るのを断念して、見送りました。
まだ、オタもヲタなんて言葉も無い時代。
子供の時におじいちゃんと潮干狩りのツアーで、初代あおぞらに乗ったような。2階建て、あのカラーリング。めっちゃ覚えてます。京都線沿線なのですが、乗った記憶があります。
まさに恐るべし近鉄を代表する団体列車あおぞら号、特に20100系はまさに数多くの団体客を乗せて走り抜けた名車、
一時期の大阪の小学生の大多数は、修学旅行の行先が伊勢志摩だったので、
この電車に乗った事がある中年男女は、多い筈w
50代の私も、82年の春先に上本町から鳥羽まで乗りましたね。
6クラスあったので、貸し切りだった記憶があるね。
鳥羽から賢島までは、何故か30000系ビスタカーで、
そのキレイさの違いに、子供心にビックリした記憶がある。
関西地区の小学校の修学旅行先が伊勢志摩が多いのも十分頷けます。
初期のあおぞらは、窓が開閉可能やったんやな。
こんばんは。私は小学6年生だった1974年にあおぞら号に乗車して伊勢志摩方面へ修学旅行に向かって行ったことを今でも覚えていますよ。
あおぞらⅡ、Ⅲのカラーリングは青色ですが、
初代20100系のカラーリングは赤で
2階建て車両になっていましたね。
貴重な映像ありがとうございます。
初代20100系登場時は生徒数も今とは比較にならないほど多かった事が、2階建てと2-3座席が採用された要因ですね。
それ以前は2200系の1ボックス4人のクロスシートに6人乗せていたそうです。
また修学旅行用電車は1クラス約45人と添乗者を各車両に上手く分ける事が要求されたそうです。
20100系だと3両編成で8クラスが乗車できるようになってます。
2600系も4扉で補助席を設けたのはその為で、
1両に補助席使用で2クラスが座れる構造になっていました。
非冷房でトイレ臭かった20100系。。。
三重県の某有名な独立コミュニティ??ヤマギシズムの活動に昔参加していた頃、何度か乗りました。
懐かしい!!
元祖215系というか、デュプレックスというかですな
マイクロエースから販売されていて、中古で安かったのついつい買ってしまった一品です
付随車にパンタグラフが乗っているところが、後の781系にも通じるところがありますな
エンディングは、間もなく引退の201系通勤電車
20100系からのワインレッドツートンも棄て難い、次世代あおぞら号にも青空カラーと兼用しながら、引き継いで採用して欲しい❗
15200系を何故「あおぞらⅢ」にしなかったのでしょうね⁉️😅
所で、先代の20100系はお子様の寸法に合わせて設計がなされてたんですね。確かに修学旅行専用とは言え、狭そう…😣もし有ったら是非体感してみたいものですね(笑)
あおぞら2.2
あくまで、昭和30年代の小学生のお子様規格思想だったので、高度成長期の昭和40年代に入れば、子供も育ちがよくなって今日のようなカラのでかい小学生は当たり前になったので、既にキツキツだった。
現に我々世代の小6で初めて乗った時は、男子六人が六人掛けボックスに座れば、ガッチガチのキッツキツだった…
ひじ掛けが無い分かえって良かったような…(笑)
15200系を見る機会は毎月26日の天理教月次祭の臨時電車が確率高いですね。天理教輸送部のページに毎月20日過ぎにでています。
もうすぐあおぞら2も全滅ですか?
最近は汎用特急より専用車を多く投入してる近鉄ですから,まずは汎用特急を投入してからの引退になるんではないですかね?
155系159系167系169系「「「「修学旅行用の子供サイズ設計と聞いて!」」」」
あくまで、どれも皆、昭和30年代当時の、小学生の子供規格なので…
どれも皆、昭和40年代後半になれば、キッツキツ…
座席が小学生サイズ、横5列になっていたのは155系だけで159、167系は急行車両と同じでした。
PK09は?
近鉄なのに何故に国鉄色なんだろ???
たしかに!
でも当時の日光特急もこういう塗色でしたよね!
ってことは,特別さを出したのでしょうかね?