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ご視聴ありがとうございます❤原敬ゆかりの地をリクエストいただいたり、2/26日が近かったりというところから、今回は歴代首相遭難の地をテーマに取り上げてみました!いかがでしたか?高評価👍と、まだの方はチャンネル登録もよろしくお願いします✨ご質問や感想は、コメント欄にご記入ください〜〜🥰
今日丸の内南口の原敬首相遭難の地まで見にに行って来ました。人が多く遭難現場に手を合わせようと思いましたがやめておきました。都内はかなり暑かったです💦アルマさんの動画が非常に参考になり勉強になります。素晴らしい動画ありがとうございます。
きれいな映像とともに、わかりやすい解説。いつも楽しみに拝聴しています。現在の日本は、多くの先人たちのひたむきな努力によって築かれてきたことを知る機会になりました。多くの方々に観ていただきたいチャンネルです。今後もぜひ継続し、多くの歴史を紹介してほしいと思います。
嬉しいコメントをありがとうございます❤️この世にあるもの全てが、先人たちの軌跡と、そして歴史の上に成り立っていることを伝えたく、チャンネルを始めました。マニアックな内容も多いですが、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします!
面白かったです☺️東京駅に行った時には印を見てみます!歴史好きの友達にもシェアして一緒に行ってみます😊
嬉しいコメントありがとうございます❣ぜひお友達とお出かけになられてみてください〜〜✨
勉強になります!
勉強になります。以前23年間四ツ谷若葉町界隈に住んでおりました。会津藩主松平容保の生地が新宿区四谷だとは知りませんでした。
遭難の地、墓なども建造物を見ると同じように好きなんです。アルマさん👍ジャストミ~ト原敬、お応え頂き感謝です。
原敬、単体ではまとめきれず(力不足ですみません。。。)私の好きな、ちょっとダークな歴史のお話に集約させていただきました!ご視聴いただきましてありがとうございます🙏
東京駅の濱口総理遭難現場は、1930年当時は東海道線ホームだったところですが、昭和以後の駅構内改良や線路配線の変更、東海道新幹線ホーム増設工事などもあって現在、あのような姿になってしまっています。案内板と印がないとそこが事件現場だとは判らないですよね。高橋是清翁記念公園は私も行ったことがあります。高橋翁暗殺事件があった屋敷の建物は「江戸東京たてもの園」に移設されていますが、屋敷の場所が公園として保存されているので、「歴史的事件の現場」に足を踏み入れるということに強い思いを感じました。
濱口首相の遭難現場、本当に見つけるのが大変でした…!床を見ながら人混みをキョロキョロしていた私、きっと不審者に見えたことかと💦高橋是清翁記念公園、行かれましたか!高橋是清邸も、もう少し涼しくなったら、江戸東京たてもの園のお散歩を兼ねて出かけてみたいと思っております✨歴史の現場に足を踏み入れるのって、目には見えない歴史や時間の重なりに触れるような感覚があって、何だかとっても特別な体験です…⭐️
終戦の幕引きを成功させた鈴木貫太郎こそ、もっとも偉大な内閣総理大臣.鈴木貫太郎の妻は裕仁陛下の幼少時の教育係であったことを考えると...よくぞ一命を賭して鈴木貫太郎を救ってくれたと....感謝しつくしても足りない.
千葉の鈴木貫太郎記念館、岩手の齋藤實記念館を訪問したことがあります。鈴木貫太郎の私邸が終戦翌日に放火されたこともあり、鈴木記念館にはあまり遺品が残っていませんでした。しかし、鈴木貫太郎の墓は近くにあり、お参りすることができました。齋藤記念館は未亡人が遺品を全て岩手に持ち帰っていたので数多くの遺品を見ることができました。この二人は駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーとは昵懇の仲で、1945年の4月に鈴木貫太郎が首相に就任したのを見てグルーはトルーマンに日本は停戦の意思ありと報告しています。
都内の芝公園にあった原敬の私邸には、その日、朝から来客がひきもきらなかった。あいさつをしたり打ち合わせをしたり、そうこうするうちに参内(皇居に参上すること)の時間が刻々と迫る。午前10時25分、玄関でカメラを構える報道陣を「時間がないから、早く!」とせかし、原敬はシルクハットにフロックコート姿で自動車に乗り込んだ。激しく降る雨の中、車は皇居に向けて跳びはねるように走り出す。運転手はアクセルを踏み込む。高鳴るエンジン音は、雨音と混じって、出迎える人々の耳には「原敬(はらけい)、ただいま、参上」と聞こえたという。1918(大正7)年9月27日。大正天皇から組閣の大命を受けるために私邸を出る原の様子が、そんなふうに翌日の東京朝日新聞に紹介されている。初の本格的政党内閣が、ついに誕生する。高揚する時代の空気感が、紙面全体から伝わってくるようだ。写真に映る原は、玄関で靴をはきながら、こみ上げてくる笑いを我慢できないといった表情だ。平民宰相として喝采を浴び、強力なリーダーシップで政友会内閣を率いていた原敬が東京駅で突然の凶刃に倒れた悲劇から100年。朝日新聞「創刊5万号」の記念企画として、原敬研究で知られる慶応大教授の清水唯一朗さんと一緒にゆかりの地を巡り、事績をたどる小さな旅を続ける。また、濱口総理の暗殺も発砲された場所も東京駅でした。原が総裁をつとめる立憲政友会本部は、お祭り騒ぎだった。ビール、日本酒、すし、サンドイッチなどが景気よく食堂に並べられ、幹部たちが気勢を上げた。芝公園から皇居まで、距離にすれば車で数分ほどだが、原は車中で、ここまでの長い道のりをしみじみと思い返していたかも知れない。日本政治外交史の専門家でした。原敬が刺殺されて亡くなるまでの30年近くを過ごした芝公園(現在の港区芝公園1丁目周辺)を訪れた。「原がここに居を構えたのは36歳、外務省通商局長のころでした。伊藤博文系の有能な官僚として、めきめき頭角を」現した人物です。時には1892(明治25)年、原の邸宅ははやりの洋風建築であったが、決して広壮なつくりとはいえず、土地も東京府からの借地だったのです。現在の政治家とは異質ですね。そのコンパクトさが、後世、「原の私邸」の存在した場所を特定するうえで妨げと成りました。原敬の没後にあった関東大震災、戦災、そして戦後の開発などでかいわいの様子は一変し、原の小さな家屋敷がどこにあったのか、正確な位置は秘書にもよくわからなかった。ところが、港区立みなと図書館に所蔵されていた昭和戦前期の「火災保険特殊地図」(旧・芝区)が光明となる。火災保険料率の算定のために作成されたこの地図には、街並みや一戸ごとの情報が詳細に記されている。原敬の嗣子・貢氏(後の作家・原奎一郎氏)の名がそこにあり、これにより原邸が現在の「全国たばこビル」(港区芝大門1丁目)付近にあたることを突き止めた。原の邸宅は、なかなか面白い位置関係にありました」と秘書は言います。原敬がここに居を構えたことは庶民感覚を忘れない一里塚だったことです。行き違い等々の切はご容赦下さいませ。本所亀沢町7代末孫
アルマさん ちょっと怖い歴史散歩お疲れさまでした😅時が流れると関心を持たない人々からは忘れ去られてしまいますけれど大切な教訓として記憶せねばなりませんね😃京都の坂本龍馬遭難の地と言う石碑にもたれ掛かっていて怒られたら 何で怒られたのかわからない大学生がいたそうです😮大変な作業でしょうけれど無理せずまたお願いします😃
ありがとうございます✨この回は、自分でも気づかず通り過ぎていた場所ばかりだったので、いつもにも増して楽しく撮影できました🎥歴史的事件の現場が忘れ去られないための一助になれれば幸いです🙏
こうしてみると濱口雄幸(明治3年生まれ)以外は、皆、幕末生まれですね。やはり現代人とは腹のすわり方が違う!と思います。鈴木「たか」夫人も、とどめを刺させなかっただけでなく、宮中に直電(天皇に伝わった最初の通報)しています。天皇の教育係・侍従長夫人だったからとはいえ、この通報も、おそらく歴史を変えているのではないでしょうか。また、鈴木貫太郎の手術をして弾丸を取り出した塩田広重教授(日医大学長)は、第一次大戦下のフランスの戦場での経験がある外科医で、濱口襲撃事件でも東京駅にかけつけ、当時珍しかった輸血をその場で果敢に行っています。これをきっかけに日本でも輸血が広まったとか。濱口も術後は安定していたのですが、国会に呼び出され、無理をして出席したのが良くなかったとも言われています。暗殺者ばかりに注目が集まりますが、救命に尽くした人も歴史を変えた人と言えると思います。
本当に、幕末生まれの政治家は肝が据わっていますね!文字通り「命がけ」の場面を、何度も切り抜けたからなのでしょうか。たか夫人もカッコイイです…✨天皇に直電までされているとは!!彼女の機転と対応がなかったら、間違いなく歴史は変わっていたと思います👍そして塩田広重教授について、詳細な情報をありがとうございます。ほとんどお名前しか知りませんでしたが、フランスの戦場での経験があったり、輸血の広まるきっかけを作ったり、興味深い人物ですね…!!東京歴史散歩CHでまだお医者さんを取り上げたことがなかったので、ちょっと新しいネタにならないか検討したいと思います〜〜😉
@@tokyo_historical_walkありがとうございます。以下は蛇足です。 昭和20年4月、鈴木貫太郎は首相になりますが、このとき反対した東條を説得したのが岡田啓介。また、同月、ルーズベルト大統領死去に伴い国務省の人事異動があり、国務次官に就任したのが、二二六事件前夜、鈴木らと会食していた(最も日本のことを知る)グルー元大使。控え目に見ても「歴史の奇跡」のひとつと言って間違いない!と思う、今日この頃です。
@@わらなっとう-r5l さま、それは本当に奇跡かもしれないですね!出来事という点を線でつなげていくと、どんどん新しい見方が現れてくる気がします…✨
1921年総理大臣の原敬が東京駅で国鉄職員によって刺殺され、1930年総理大臣の浜口雄幸が東京駅で右翼団体のメンバーに狙撃。一時的に回復し傷が原因で翌年亡くなりました。1932年総理大臣の犬養毅公邸で青年将校に射殺(五・一五事件)1936年大蔵大臣で元総理大臣の高橋是清が自宅で青年将校に射殺(ニ゙・ニ゙六事件)と惨劇の時代です。
こんな形で痕跡が残されているんですね。
今回扱った題材は、こわ~い話でしたので、ドキドキしながら見ました。東京駅の二人の首相の暗殺の地は、通るたびに感慨深かったことを思い出します。高橋是清翁の邸宅跡も行ったっけなあ・・・。2.26事件発生のニュースは意外に早く全国に知れ渡ったようで、むかし私の父が子供だったころ、駅に行くと鉄道が止まっていて、駅員に理由を聞いたら「東京で何か反乱があったらしい」と教えられたそうです。その日は父の故郷でも雪の降る朝だったそうです。寒々とした時代の雰囲気が伝わってくる話でした。幕末から太平洋・日中戦争が終わるまでの間は、一つの時代の区切りで、野蛮な時代だったなあと思います。(戦前に回帰したい人たちもいるようですが、私はごめんですね)鈴木貫太郎氏については終戦時の総理大臣だったということで、半藤一利さんの「日本のいちばん長い日」や、それをもとにした映画でもお馴染みだったのですが、2.26事件でも殺されかけた過去があったとは・・・その鈴木貫太郎さんが戦争を終わらせたのですね。野蛮な時代であった一方で、気骨のある政治家がいたのですね。また長文ですみません。アルマさんの動画を見ると、いろいろな感想が頭に浮かんできてしまうもので。今回も面白く拝見しました。
素敵なコメントありがとうございます☺東京駅の首相遭難の地を、感慨深く通られていたなんて…!!尊敬しかありません🙏幕末の動乱を体験してきた人たちが、新しい時代を切り開こうとする時期…不満も溢れていたでしょうし、現代の日本では想像できないような、命をかけた騒乱があったのだと思います。でも、この時代の政治家は本当に肝の据わった、カッコイイ人物が多いですね✨今回の撮影と調査で、鈴木貫太郎さんのファンになりました(笑)
この中で鈴木貫太郎元総理だけが快復出来たんですよね。濱口雄幸元総理は、国会が無理に出席を強いらなければその後もまだ生きられたのではないかと前々から思っています。
おさちいいいい!!!!😭おじいちゃんがおさちにそっくりなので感情移入してしまう
かっこいいお祖父様ですね!私も高知にゆかりがあるので、勝手に親近感わいておりました✨
襲撃事件はたくさんあったのですね、大変勉強になりました、😊この前犬養毅の元家?仕事してきました、今はキリスト学校の女子寮になってました。歩いて散策ってなかなか出来ないと思いました。お疲れ様です
首相公邸が、実は「出る」場所だという話を聞いて、そういえば他の首相たちはどこで襲撃されたのだろう?と思ったのが、この動画を作るきっかけでした⭐️思った以上にたくさんの首相(経験者含む)が襲撃されていて、非常に驚きました!!犬養毅首相の旧居は、今は学校なのですね👍興味深いお話もありがとうございます🙏
2.26事件の際、当時の首相官邸で現在の公邸には今でも当時の弾跡が残されていますね。軍部の暴走の背景には東北地方など地方の貧困が原因と言われています。地方と首都圏の経済格差は今も昔も変わらない部分があります。
現在の首相公邸、見学したくてたまらないです(笑)しかし、弾痕まで残っているとなると…住みたがらない首相がいらっしゃるのも、なんだか納得です🤔貧困にあえぐ人々の期待が軍部に集まり、青年将校らが国家の革新を試みた結果が、2.26事件などの暴力的な動きに発展してしまったんですよね💦(東北の貧困を解消しようとした結果、原敬や斎藤実などの東北出身の政治家が遭難するというのは、なんだか逆説的にも聞こえますけど。。。)貧困や経済格差はいつの世も、不穏な空気の発端になりますね😢
事件当時は大変な混乱もあったかと思います。事件とはちょっと逸れますが、原敬首相が乗車しようとした列車は事件当日、運転取り止めなどの処置がされたと思われますか?それとも通常通り運転された?お考えを頂ければ幸いです。
原首相の件はまったく知りませんでした。何度も何度も通っていたのに。😂
余談東京渋谷に江戸時代、山賊が居たらしい
アルマさんお疲れ様でした。こうして見ると、昔の政治家は本当に命懸けだったんですね。グルメやスイーツの店で賑やかな東京駅で、凄惨な事件があった事も知らず通り過ぎているんでしょうね。しかし、これだけの事件を起こしながら恩赦で釈放とは…。何か深い闇を感じます。またスイーツを買いに東京駅で途中下車しまーす。アルマさんもスイーツ大好きですか?😊
今回は人混みを避けての撮影に苦労しました😅浜口雄幸首相遭難の地の案内プレート前でカップルが待ち合わせしていて、永らく待機したり(笑)しかし首相を暗殺(or未遂)を起こしながら釈放というのは、本当に陰謀論を語りたくなりますよね〜〜〜!ちなみに私は、スイーツよりもお弁当派です🌮グランスタあたりで、牛タンやお寿司を買ったり…あ、でもピエール・マルコリーニはたまに立ち寄ります❣どこも混んでいるのに、東京駅構内はなぜか空いてるんですよね〜🤔たまたまでしょうかね、、、
最近の安倍元首相暗殺からみても日本の総理大臣は意外と波瀾万丈の歴史を辿っていますね。東條英機は巣鴨で死刑になっているし、安穏とした首相ばかりではないのが悲しみを誘います。
伊藤博文もハルピンで暗殺されていますし、巣鴨で亡くなられた方も複数いらっしゃいますよね…「意外と波瀾万丈」というお言葉が、妙にしっくりきてしまいました。
安倍晋三総理の遭難現場にも、意味深?なマークが付くかな
どうでしょう…奈良にいくことがあったら、見てみなきゃですね
駅員が刺すとはおっかない時代ですね!みんな雇われて殺ってるんですね!しかも恩赦って。
なぜ恩赦!?って思いますよね!!陰謀論を説きたくなります…
ごくろうさまです😀
ありがとうございます!
日本は、歴代首相がこんなに暗殺されているとは‥習ったんだろうけど。改めてビックリ。しかも11年で許されたりあますぎでしょ?
犬養毅総理が遭難した旧首相官邸の床にも意味深マークタイルがあるのかな?
旧首相官邸、入ってみたいです…!!
ご視聴ありがとうございます❤
原敬ゆかりの地をリクエストいただいたり、2/26日が近かったりというところから、今回は歴代首相遭難の地をテーマに取り上げてみました!
いかがでしたか?
高評価👍と、まだの方はチャンネル登録もよろしくお願いします✨
ご質問や感想は、コメント欄にご記入ください〜〜🥰
今日丸の内南口の原敬首相遭難の地まで見にに行って来ました。
人が多く遭難現場に手を合わせようと思いましたがやめておきました。
都内はかなり暑かったです💦
アルマさんの動画が非常に参考になり勉強になります。
素晴らしい動画ありがとうございます。
きれいな映像とともに、わかりやすい解説。いつも楽しみに拝聴しています。現在の日本は、多くの先人たちのひたむきな努力によって築かれてきたことを知る機会になりました。多くの方々に観ていただきたいチャンネルです。今後もぜひ継続し、多くの歴史を紹介してほしいと思います。
嬉しいコメントをありがとうございます❤️この世にあるもの全てが、先人たちの軌跡と、そして歴史の上に成り立っていることを伝えたく、チャンネルを始めました。
マニアックな内容も多いですが、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします!
面白かったです☺️
東京駅に行った時には印を見てみます!
歴史好きの友達にもシェアして一緒に行ってみます😊
嬉しいコメントありがとうございます❣ぜひお友達とお出かけになられてみてください〜〜✨
勉強になります!
勉強になります。以前23年間四ツ谷若葉町界隈に住んでおりました。会津藩主松平容保の生地が新宿区四谷だとは知りませんでした。
遭難の地、墓なども建造物を見ると同じように好きなんです。
アルマさん👍ジャストミ~ト
原敬、お応え頂き感謝です。
原敬、単体ではまとめきれず(力不足ですみません。。。)
私の好きな、ちょっとダークな歴史のお話に集約させていただきました!ご視聴いただきましてありがとうございます🙏
東京駅の濱口総理遭難現場は、1930年当時は東海道線ホームだったところですが、昭和以後の駅構内改良や線路配線の変更、東海道新幹線ホーム増設工事などもあって現在、あのような姿になってしまっています。案内板と印がないとそこが事件現場だとは判らないですよね。高橋是清翁記念公園は私も行ったことがあります。高橋翁暗殺事件があった屋敷の建物は「江戸東京たてもの園」に移設されていますが、屋敷の場所が公園として保存されているので、「歴史的事件の現場」に足を踏み入れるということに強い思いを感じました。
濱口首相の遭難現場、本当に見つけるのが大変でした…!床を見ながら人混みをキョロキョロしていた私、きっと不審者に見えたことかと💦
高橋是清翁記念公園、行かれましたか!高橋是清邸も、もう少し涼しくなったら、江戸東京たてもの園のお散歩を兼ねて出かけてみたいと思っております✨
歴史の現場に足を踏み入れるのって、目には見えない歴史や時間の重なりに触れるような感覚があって、何だかとっても特別な体験です…⭐️
終戦の幕引きを成功させた鈴木貫太郎こそ、もっとも偉大な内閣総理大臣.鈴木貫太郎の妻は裕仁陛下の幼少時の教育係であったことを考えると...よくぞ一命を賭して鈴木貫太郎を救ってくれたと....感謝しつくしても足りない.
千葉の鈴木貫太郎記念館、岩手の齋藤實記念館を訪問したことがあります。鈴木貫太郎の私邸が終戦翌日に放火されたこともあり、鈴木記念館にはあまり遺品が残っていませんでした。しかし、鈴木貫太郎の墓は近くにあり、お参りすることができました。齋藤記念館は未亡人が遺品を全て岩手に持ち帰っていたので数多くの遺品を見ることができました。この二人は駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーとは昵懇の仲で、1945年の4月に鈴木貫太郎が首相に就任したのを見てグルーはトルーマンに日本は停戦の意思ありと報告しています。
都内の芝公園にあった原敬の私邸には、その日、朝から来客がひきもきらなかった。あいさつをしたり打ち合わせをしたり、そうこうするうちに参内(皇居に参上すること)の時間が刻々と迫る。午前10時25分、玄関でカメラを構える報道陣を「時間がないから、早く!」とせかし、原敬はシルクハットにフロックコート姿で自動車に乗り込んだ。激しく降る雨の中、車は皇居に向けて跳びはねるように走り出す。運転手はアクセルを踏み込む。高鳴るエンジン音は、雨音と混じって、出迎える人々の耳には「原敬(はらけい)、ただいま、参上」と聞こえたという。1918(大正7)年9月27日。大正天皇から組閣の大命を受けるために私邸を出る原の様子が、そんなふうに翌日の東京朝日新聞に紹介されている。初の本格的政党内閣が、ついに誕生する。高揚する時代の空気感が、紙面全体から伝わってくるようだ。写真に映る原は、玄関で靴をはきながら、こみ上げてくる笑いを我慢できないといった表情だ。平民宰相として喝采を浴び、強力なリーダーシップで政友会内閣を率いていた原敬が東京駅で突然の凶刃に倒れた悲劇から100年。朝日新聞「創刊5万号」の記念企画として、原敬研究で知られる慶応大教授の清水唯一朗さんと一緒にゆかりの地を巡り、事績をたどる小さな旅を続ける。また、濱口総理の暗殺も発砲された場所も東京駅でした。
原が総裁をつとめる立憲政友会本部は、お祭り騒ぎだった。ビール、日本酒、すし、サンドイッチなどが景気よく食堂に並べられ、幹部たちが気勢を上げた。芝公園から皇居まで、距離にすれば車で数分ほどだが、原は車中で、ここまでの長い道のりをしみじみと思い返していたかも知れない。日本政治外交史の専門家でした。原敬が刺殺されて亡くなるまでの30年近くを過ごした芝公園(現在の港区芝公園1丁目周辺)を訪れた。「原がここに居を構えたのは36歳、外務省通商局長のころでした。伊藤博文系の有能な官僚として、めきめき頭角を」現した人物です。時には1892(明治25)年、原の邸宅ははやりの洋風建築であったが、決して広壮なつくりとはいえず、土地も東京府からの借地だったのです。現在の政治家とは異質ですね。そのコンパクトさが、後世、「原の私邸」の存在した場所を特定するうえで妨げと成りました。原敬の没後にあった関東大震災、戦災、そして戦後の開発などでかいわいの様子は一変し、原の小さな家屋敷がどこにあったのか、正確な位置は秘書にもよくわからなかった。ところが、港区立みなと図書館に所蔵されていた昭和戦前期の「火災保険特殊地図」(旧・芝区)が光明となる。火災保険料率の算定のために作成されたこの地図には、街並みや一戸ごとの情報が詳細に記されている。原敬の嗣子・貢氏(後の作家・原奎一郎氏)の名がそこにあり、これにより原邸が現在の「全国たばこビル」(港区芝大門1丁目)付近にあたることを突き止めた。原の邸宅は、なかなか面白い位置関係にありました」と秘書は言います。原敬がここに居を構えたことは庶民感覚を忘れない一里塚だったことです。行き違い等々の切はご容赦下さいませ。本所亀沢町7代末孫
アルマさん ちょっと怖い歴史散歩お疲れさまでした😅
時が流れると関心を持たない人々からは忘れ去られてしまいますけれど大切な教訓として記憶せねばなりませんね😃
京都の坂本龍馬遭難の地と言う石碑にもたれ掛かっていて怒られたら 何で怒られたのかわからない大学生がいたそうです😮
大変な作業でしょうけれど無理せずまたお願いします😃
ありがとうございます✨
この回は、自分でも気づかず通り過ぎていた場所ばかりだったので、いつもにも増して楽しく撮影できました🎥
歴史的事件の現場が忘れ去られないための一助になれれば幸いです🙏
こうしてみると濱口雄幸(明治3年生まれ)以外は、皆、幕末生まれですね。やはり現代人とは腹のすわり方が違う!と思います。
鈴木「たか」夫人も、とどめを刺させなかっただけでなく、宮中に直電(天皇に伝わった最初の通報)しています。天皇の教育係・侍従長夫人だったからとはいえ、この通報も、おそらく歴史を変えているのではないでしょうか。
また、鈴木貫太郎の手術をして弾丸を取り出した塩田広重教授(日医大学長)は、第一次大戦下のフランスの戦場での経験がある外科医で、濱口襲撃事件でも東京駅にかけつけ、当時珍しかった輸血をその場で果敢に行っています。これをきっかけに日本でも輸血が広まったとか。濱口も術後は安定していたのですが、国会に呼び出され、無理をして出席したのが良くなかったとも言われています。暗殺者ばかりに注目が集まりますが、救命に尽くした人も歴史を変えた人と言えると思います。
本当に、幕末生まれの政治家は肝が据わっていますね!文字通り「命がけ」の場面を、何度も切り抜けたからなのでしょうか。
たか夫人もカッコイイです…✨天皇に直電までされているとは!!彼女の機転と対応がなかったら、間違いなく歴史は変わっていたと思います👍
そして塩田広重教授について、詳細な情報をありがとうございます。ほとんどお名前しか知りませんでしたが、フランスの戦場での経験があったり、輸血の広まるきっかけを作ったり、興味深い人物ですね…!!
東京歴史散歩CHでまだお医者さんを取り上げたことがなかったので、ちょっと新しいネタにならないか検討したいと思います〜〜😉
@@tokyo_historical_walkありがとうございます。以下は蛇足です。 昭和20年4月、鈴木貫太郎は首相になりますが、このとき反対した東條を説得したのが岡田啓介。また、同月、ルーズベルト大統領死去に伴い国務省の人事異動があり、国務次官に就任したのが、二二六事件前夜、鈴木らと会食していた(最も日本のことを知る)グルー元大使。控え目に見ても「歴史の奇跡」のひとつと言って間違いない!と思う、今日この頃です。
@@わらなっとう-r5l さま、それは本当に奇跡かもしれないですね!出来事という点を線でつなげていくと、どんどん新しい見方が現れてくる気がします…✨
1921年総理大臣の原敬が東京駅で国鉄職員によって刺殺され、1930年総理大臣の浜口雄幸が東京駅で右翼団体のメンバーに狙撃。一時的に回復し傷が原因で翌年亡くなりました。1932年総理大臣の犬養毅公邸で青年将校に射殺(五・一五事件)1936年大蔵大臣で元総理大臣の高橋是清が自宅で青年将校に射殺(ニ゙・ニ゙六事件)と惨劇の時代です。
こんな形で痕跡が残されているんですね。
今回扱った題材は、こわ~い話でしたので、ドキドキしながら見ました。東京駅の二人の首相の暗殺の地は、通るたびに感慨深かったことを思い出します。高橋是清翁の邸宅跡も行ったっけなあ・・・。
2.26事件発生のニュースは意外に早く全国に知れ渡ったようで、むかし私の父が子供だったころ、駅に行くと鉄道が止まっていて、駅員に理由を聞いたら「東京で何か反乱があったらしい」と教えられたそうです。その日は父の故郷でも雪の降る朝だったそうです。寒々とした時代の雰囲気が伝わってくる話でした。
幕末から太平洋・日中戦争が終わるまでの間は、一つの時代の区切りで、野蛮な時代だったなあと思います。(戦前に回帰したい人たちもいるようですが、私はごめんですね)
鈴木貫太郎氏については終戦時の総理大臣だったということで、半藤一利さんの「日本のいちばん長い日」や、それをもとにした映画でもお馴染みだったのですが、2.26事件でも殺されかけた過去があったとは・・・その鈴木貫太郎さんが戦争を終わらせたのですね。野蛮な時代であった一方で、気骨のある政治家がいたのですね。
また長文ですみません。アルマさんの動画を見ると、いろいろな感想が頭に浮かんできてしまうもので。今回も面白く拝見しました。
素敵なコメントありがとうございます☺東京駅の首相遭難の地を、感慨深く通られていたなんて…!!尊敬しかありません🙏
幕末の動乱を体験してきた人たちが、新しい時代を切り開こうとする時期…不満も溢れていたでしょうし、現代の日本では想像できないような、命をかけた騒乱があったのだと思います。
でも、この時代の政治家は本当に肝の据わった、カッコイイ人物が多いですね✨今回の撮影と調査で、鈴木貫太郎さんのファンになりました(笑)
この中で鈴木貫太郎元総理だけが快復出来たんですよね。
濱口雄幸元総理は、国会が無理に出席を強いらなければその後もまだ生きられたのではないかと前々から思っています。
おさちいいいい!!!!😭おじいちゃんがおさちにそっくりなので感情移入してしまう
かっこいいお祖父様ですね!私も高知にゆかりがあるので、勝手に親近感わいておりました✨
襲撃事件はたくさんあったのですね、大変勉強になりました、😊この前犬養毅の元家?仕事してきました、今はキリスト学校の女子寮になってました。
歩いて散策ってなかなか出来ないと思いました。お疲れ様です
首相公邸が、実は「出る」場所だという話を聞いて、そういえば他の首相たちはどこで襲撃されたのだろう?と思ったのが、この動画を作るきっかけでした⭐️
思った以上にたくさんの首相(経験者含む)が襲撃されていて、非常に驚きました!!
犬養毅首相の旧居は、今は学校なのですね👍興味深いお話もありがとうございます🙏
2.26事件の際、当時の首相官邸で現在の公邸には今でも当時の弾跡が残されていますね。軍部の暴走の背景には東北地方など地方の貧困が原因と言われています。地方と首都圏の経済格差は今も昔も変わらない部分があります。
現在の首相公邸、見学したくてたまらないです(笑)しかし、弾痕まで残っているとなると…住みたがらない首相がいらっしゃるのも、なんだか納得です🤔
貧困にあえぐ人々の期待が軍部に集まり、青年将校らが国家の革新を試みた結果が、2.26事件などの暴力的な動きに発展してしまったんですよね💦(東北の貧困を解消しようとした結果、原敬や斎藤実などの東北出身の政治家が遭難するというのは、なんだか逆説的にも聞こえますけど。。。)
貧困や経済格差はいつの世も、不穏な空気の発端になりますね😢
事件当時は大変な混乱もあったかと思います。事件とはちょっと逸れますが、原敬首相が乗車しようとした列車は事件当日、運転取り止めなどの処置がされたと思われますか?それとも通常通り運転された?お考えを頂ければ幸いです。
原首相の件はまったく知りませんでした。何度も何度も通っていたのに。😂
余談
東京渋谷に江戸時代、山賊が居たらしい
アルマさんお疲れ様でした。
こうして見ると、昔の政治家は本当に命懸けだったんですね。グルメやスイーツの店で賑やかな東京駅で、凄惨な事件があった事も知らず通り過ぎているんでしょうね。
しかし、これだけの事件を起こしながら恩赦で釈放とは…。何か
深い闇を感じます。またスイーツを買いに東京駅で途中下車しまーす。アルマさんもスイーツ大好きですか?😊
今回は人混みを避けての撮影に苦労しました😅浜口雄幸首相遭難の地の案内プレート前でカップルが待ち合わせしていて、永らく待機したり(笑)
しかし首相を暗殺(or未遂)を起こしながら釈放というのは、本当に陰謀論を語りたくなりますよね〜〜〜!
ちなみに私は、スイーツよりもお弁当派です🌮グランスタあたりで、牛タンやお寿司を買ったり…
あ、でもピエール・マルコリーニはたまに立ち寄ります❣どこも混んでいるのに、東京駅構内はなぜか空いてるんですよね〜🤔たまたまでしょうかね、、、
最近の安倍元首相暗殺からみても日本の総理大臣は意外と波瀾万丈の歴史を辿っていますね。
東條英機は巣鴨で死刑になっているし、安穏とした首相ばかりではないのが悲しみを誘います。
伊藤博文もハルピンで暗殺されていますし、巣鴨で亡くなられた方も複数いらっしゃいますよね…「意外と波瀾万丈」というお言葉が、妙にしっくりきてしまいました。
安倍晋三総理の遭難現場にも、意味深?なマークが付くかな
どうでしょう…奈良にいくことがあったら、見てみなきゃですね
駅員が刺すとはおっかない時代ですね!みんな雇われて殺ってるんですね!しかも恩赦って。
なぜ恩赦!?って思いますよね!!陰謀論を説きたくなります…
ごくろうさまです😀
ありがとうございます!
日本は、歴代首相がこんなに暗殺されているとは‥
習ったんだろうけど。改めてビックリ。
しかも11年で許されたりあますぎでしょ?
犬養毅総理が遭難した旧首相官邸の床にも意味深マークタイルがあるのかな?
旧首相官邸、入ってみたいです…!!
こんな形で痕跡が残されているんですね。