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久しぶりに「〇〇ゆかりの地」で歴史散歩しました!自己満足かもしれませんが、やっぱり楽しいですね(笑)いかがでしたか?高評価👍と、まだの方はぜひぜひ!!!チャンネル登録もよろしくお願いします🙏ご質問や感想はコメント欄にご記入ください❤
生誕の地がやよい軒になってるんですね。
今回も素晴らしく楽しく勉強になりました
神楽坂 相馬屋源四郎商店も夏目漱石はじめ文豪に愛されたお店ですね。
そうですね!神楽坂の街案内などにも記載がありました👍さすがに個人商店をジロジロ撮影するのも…と思って自粛してしまいました、、、(ちょっと後悔…)
夏目漱石といえば、私はやはり「吾輩は猫である」ですね。中学生の時に今は無き「旺文社文庫」で読みました。その文庫本には連載当時の愉快な猫の挿絵がついていて、とても楽しい本だった思い出があります。(中学生にとっては、ちょっとレベルの高い諧謔味だったとも思いますが・・・)東京都に「猫の墓」があるのは、はじめて知りました。「吾輩は猫である」でも主人公の猫は最後に極楽往生するんですよね。その猫の墓がこの動画で見ることができたのは嬉しかったですね。私は猫好きなもので・・・夏目漱石の東京都文京区にあった住居(通称「猫の家」)は 今は明治村に移築されています。その家は、広い縁側のついた「サザエさん」に出てくるような平屋の家で、いかにも「吾輩は猫である」の舞台、という印象で、見ているのがとても楽しかった。あとは漱石先生というと「個人主義」(「私の個人主義」)であったことも有名ですが、文部省から贈られた博士号を断る、という生き方にも、私は尊敬の念を抱きます。他人を尊重し、個人の自由を尊重するという思想を持った漱石先生の人間性に、多くの門下生や友人が尊敬の念を抱き、慕っていたことも理解できるような気がします。漱石先生の出生の地と、葬られたお墓は、訪ねたことがなかったので、とても興味深く拝見しました。今回も楽しい動画をありがとうございました。
猫の墓の存在は、私も撮影に出かけて初めて知りましたよ〜〜(笑)漱石の作品は、中学校〜高校あたりで何度か、読書感想文を書くための課題図書になっていた記憶があります…当時はなんだか、ちょっと仄暗くて苦手でしたが、大人になった今、また改めて作品世界に没頭したいような気持ちになりました✨それにしても漱石先生、肖像に残るクールな文豪イメージとは裏腹で驚きました…!今回の撮影・調査を通じて、不遇な生い立ちや、転校・転居を繰り返した事実など、人間心理に深く喰い込んだ作品を描き出す背景を垣間見られたような気がします❣️その上で他人を尊重し、個人の自由を尊重する…本当に素敵ですね!こちらこそ、今回もご視聴・コメントありがとうございます🙏
小説の、装丁してたのは、爺さまです。漱石とは友達でした。
早稲田に住んでます家の近くですありがとうございます。
こんにちは〜😊久々人物ご苦労様でした!相変わらず綺麗ですね!前にもお願いした西郷さんの東京の足跡。日本橋のお家とかスイカを買った千疋屋とか跡地と関係省庁跡地とかお願いします。
こんにちは!!人物系は自分も没頭できるので、撮影・編集ともに楽しくやらせていただいてます👍西郷さん…は、薩摩藩で(ごく一部ですが)取り上げてしまい、別の作品としてまとめられる自信がまだないです💦いつか、鹿児島出張編とセットで公開できたら…と思ったりするのですが、お時間いただきそうです〜〜🙏
約40年前、文学部国文学科(今の日本文学科)に在籍してて専攻が近現代の夏目漱石でした。今死ぬまでに漱石の作品を読破しようと学生時代に買い集めた漱石文学全集を読んでいます。機会があったら東京に旅行に行って漱石の足跡を辿りたいですね。
私はまだまだ若輩者ですが、漱石の作品は大人になってから読んだ方が、深みを感じられました。ゆかりの地はご紹介した以外にもたくさんありますので、ぜひお出かけになられてみてください〜〜✨
アルマさん、こんにちは。いつもながらの細かいエピソード、興味深く拝見しました🎉文学博士号を徹底して辞退!普通ならホイホイ喜んで受け取るモノを…。骨太の文士としてプライド高い人だったんですね。アルマさんの足を使って、その時代背景や人物像の足跡を訪ねるレポート、とても新しい切り口が見えて毎回楽しみにしています。
こんにちは!ご視聴・コメントありがとうございます🥰私も文学博士号、もらえるならいつでも!!!受け取りますけどね(笑)楽しんでいただけそうな動画を、張り切って撮影してまいります✨これからもよろしくお願いします🙏
お久しぶりです!アルマサン髪の毛かわいい🎀夏目漱石と誕生日おなじなので、親近感があります。生い立ちから苦労人だったんですね。
お久しぶりです☺️今日は髪の毛巻き巻きしてみました(笑)誕生日一緒って、妙に親近感わきますよね〜〜〜✨肖像画等からはクールな印象を受ける漱石、生い立ちはちょっとびっくりでした!
偉人の生きた足跡の散歩今回も見応えありました。👍
ありがとうございます🥰漱石ゆかりの地、なんだか歩くのが楽しい回でした👍
今回も、あちこち歩きご苦労様でした。俺は夏目漱石で思い浮かぶのは愛媛の松山ですね。小説の坊っちゃん。坊っちゃん列車。道後温泉。赴任して住んだ愚陀仏庵ですね萬翠荘て県立美術館の別館になってたかな?松山の藩主やった久松家の別荘が城山にあって裏手に復元された愚陀仏庵あって正岡子規も居候したそうですが。建物の外側を見た事あるけど城山の山腹の土砂が崩れ全壊して。まだ建て直されてないかな?
坊ちゃん列車と道後温泉、大学院の頃に、学会を口実に観光した記憶があります✨「坂の上の雲」の舞台になったり、歴史深い町ですよね…👍愚陀仏庵については今検索してみたのですが、全壊して以降、まだ再建されていないようです、、、😭
アルマさん夏目漱石の東京歴史散歩 お疲れさまでした😊吾輩は猫である と言う題名に惹き付けられて私が中学生の時に読みましたが 読めない漢字がたくさん出てきて 勿論意味もわからないから辞書をひきながら悪戦苦闘した事を思い出しました😂葬儀の受付が芥川龍之介だったとは······タイムマシンで見物に行きたい位のメンバーだったのでしょうね😅
私も猫好きで、幼い頃に本を手に取ったことがありましたが、同じく全く読めず…でした💦(そして私は、そのまま投げ出しました🤣)芥川龍之介と漱石の作品、どことなく通じ合う仄暗さがあるような…しかし、なんとも豪華な葬儀受付メンバーですよね!
祖父は漱石先生に教えてもらったとか。やはり偉大だったと言ってました。そのせいか、「吾輩は猫である」の古いものが祖父の本棚にまだあります。
最初はアルマさんのナレーションが何か変だなと思ってましたが沢山視聴してるうちなかなか心良く感じてきました😊私だけでしょうか。
素人が頑張ると、どうしても変なナレーションになるんですよね😂しばらくお付き合いくださいませ🙏
アルマさん、久しぶりです😊熊本には五高(現熊本大学)時代の居宅が数軒保存されています。聞くところによると、引っ越し魔だったらしいですが、、、。熊本市近郊には「我輩は猫である」のなかの【峠の茶屋】=建て替え済み、や五足のわらじ・5人の作家が歩いたハイキングコースがあります。そのうち、アルマさんも漱石の足跡を辿ってください。
お久しぶりです!熊本の学校で教えていたというのは知っていたのですが、まさか熊本滞在中に何度も引っ越していたとは…!!学校も転校を繰り返したそうですし、となれば家も…なのでしょうかね💦肖像から受けるクールは文豪イメージとは、何だか異なる人物像ですね…😂いつか熊本で、漱石ハイキングしてみたいです☺️💕
何度の引越し、それは妻のせい。お墓のデザインも妻のせい‼️
@@xpo856 旗本出身の出だった妻は熊本の生活が気に入らなかったらしく度々ヒステリーを起こし自殺未遂を繰り返したようです。漱石自身は熊本での生活を気に入っており、学生と交流を深めおそらく自身の人生でもっとも幸せだった期間だったでしょう。漱石が五校に赴任になったのは、嘉納治五郎や小泉八雲の後任としてですね。妻が自殺未遂を起こすたびに引越しを余儀なくされたらしいです。嘉納治五郎は漱石を気に入っており後々には文部省の要職も用意されているはずですが。正岡の死とともに文学へ傾倒していったと思われます。
@@イナバユウスケ-b7l 熊本市内では、漱石関連の史跡は沢山ありましたが、八雲のはあまりなかった様な。熊大の学内では、八雲の碑はあったが、漱石のものは見なかった。東大でも、漱石は八雲の後任なので、比べてしまいます。
夏目漱石は1867年2月9日に現在の新宿区である牛込馬場下町に生まれます。夏目漱石は、暦の上では「庚申」(かのえのさる)の日の生まれでした。この日に生まれた子供は大泥棒になるが、名前に「金」の字を与えれば難を避けられるという言い伝えがあったため、金之助と名付けられました。夏目漱石の誕生はあまり喜ばれていなかった。幼いころに居場所を失ってしまった。漱石が生まれた時、父直克はすでに50歳、母千枝は41歳でした。また漱石の上には母親違いの1人の姉と、4人の兄がいたことから、漱石の誕生はあまり喜ばれず、生後間もなく四谷にあった古道具屋、その後、四谷の名主塩原昇之助の家に里子に出されます。しかし
爺さまが、京都で、夏目漱石氏の、お妾さんの面倒見ていた。夏目漱石氏の、小説の装丁をしたのが、爺さまです。
夏目の最後の愛人は、京都の置屋の女将だった。
漱石さんの脳は東京大の医学部にあり、知り合いに頼んだら入れてくれるのかなぁと思い、いつも忘れてしまいます。
有名ですね、漱石先生の脳の話…!いつか見てみたいものです…
夏目漱石氏の、デスマスク作ったのは、爺さまです。
流石夏目漱石先生戒名が院居士、奥様は院大師素晴らしいですね。鎌倉もできたら取材して頂けたらうれしいですが。
鎌倉って、文豪ゆかりの地がたくさんありますよね〜〜☺️東京歴史散歩なので、一応東京をメインにまわってます🚶♀️たまに番外編・出張編もやるので、鎌倉もいつか…!
漱石のお墓を建てたのは妻ですが、その有名経緯が語られなかったのは、残念。
夏目という姓とても珍しいと思いますが、三久さんや、雅子さんも 遠戚なのでしょうか。蘇我 稲目の名前で聞いた事ありますが、目が付く人はシャーマン的な役職だったそうです。夏目の目は どうなんでしょ〜ね。
雅子さんは芸名だそうです!三久さんは本名とのことですが、親類という話はなさそうですね…目って、やっぱり特殊ですよね。しかも日本に限らず、でしょうか🤔私はナショナル・トレジャーの映画を思い出しました👍夏目の目、気になります!
東池袋、雑司ヶ谷霊園 有名ですね。東條英機、ジョン万次郎、小泉八雲。漱石は、小泉八雲の後を追って、第五高等学校、東大と赴任している。
そのうち、雑司ヶ谷霊園に眠る有名人をご紹介〜〜なんて動画も作ってみたいと思いつつ…なんともスゴい顔ぶれですよね!
夏目漱石の、デスマスク作ったのは、じい様です。夏目漱石に、絵を教えたのも、じい様。夏目の愛人の、面倒みてたのも、じい様。
夏目坂 懐かしい~ 早稲田のメルシーへの 通路です 神楽坂 善国寺 門前のパン屋が 美味しくて・・・
久しぶりに「〇〇ゆかりの地」で歴史散歩しました!
自己満足かもしれませんが、やっぱり楽しいですね(笑)
いかがでしたか?
高評価👍と、まだの方はぜひぜひ!!!チャンネル登録もよろしくお願いします🙏
ご質問や感想はコメント欄にご記入ください❤
生誕の地がやよい軒になってるんですね。
今回も素晴らしく楽しく勉強になりました
神楽坂 相馬屋源四郎商店も夏目漱石はじめ文豪に愛されたお店ですね。
そうですね!神楽坂の街案内などにも記載がありました👍
さすがに個人商店をジロジロ撮影するのも…と思って自粛してしまいました、、、(ちょっと後悔…)
夏目漱石といえば、私はやはり「吾輩は猫である」ですね。中学生の時に今は無き「旺文社文庫」で読みました。その文庫本には連載当時の愉快な猫の挿絵がついていて、とても楽しい本だった思い出があります。(中学生にとっては、ちょっとレベルの高い諧謔味だったとも思いますが・・・)
東京都に「猫の墓」があるのは、はじめて知りました。「吾輩は猫である」でも主人公の猫は最後に極楽往生するんですよね。その猫の墓がこの動画で見ることができたのは嬉しかったですね。私は猫好きなもので・・・
夏目漱石の東京都文京区にあった住居(通称「猫の家」)は 今は明治村に移築されています。その家は、広い縁側のついた「サザエさん」に出てくるような平屋の家で、いかにも「吾輩は猫である」の舞台、という印象で、見ているのがとても楽しかった。
あとは漱石先生というと「個人主義」(「私の個人主義」)であったことも有名ですが、文部省から贈られた博士号を断る、という生き方にも、私は尊敬の念を抱きます。他人を尊重し、個人の自由を尊重するという思想を持った漱石先生の人間性に、多くの門下生や友人が尊敬の念を抱き、慕っていたことも理解できるような気がします。
漱石先生の出生の地と、葬られたお墓は、訪ねたことがなかったので、とても興味深く拝見しました。今回も楽しい動画をありがとうございました。
猫の墓の存在は、私も撮影に出かけて初めて知りましたよ〜〜(笑)
漱石の作品は、中学校〜高校あたりで何度か、読書感想文を書くための課題図書になっていた記憶があります…当時はなんだか、ちょっと仄暗くて苦手でしたが、大人になった今、また改めて作品世界に没頭したいような気持ちになりました✨
それにしても漱石先生、肖像に残るクールな文豪イメージとは裏腹で驚きました…!今回の撮影・調査を通じて、不遇な生い立ちや、転校・転居を繰り返した事実など、人間心理に深く喰い込んだ作品を描き出す背景を垣間見られたような気がします❣️
その上で他人を尊重し、個人の自由を尊重する…本当に素敵ですね!
こちらこそ、今回もご視聴・コメントありがとうございます🙏
小説の、装丁してたのは、爺さまです。漱石とは友達でした。
早稲田に住んでます
家の近くですありがとうございます。
こんにちは〜😊久々人物ご苦労様でした!相変わらず綺麗ですね!前にもお願いした西郷さんの東京の足跡。日本橋のお家とかスイカを買った千疋屋とか跡地と関係省庁跡地とかお願いします。
こんにちは!!
人物系は自分も没頭できるので、撮影・編集ともに楽しくやらせていただいてます👍
西郷さん…は、薩摩藩で(ごく一部ですが)取り上げてしまい、別の作品としてまとめられる自信がまだないです💦いつか、鹿児島出張編とセットで公開できたら…と思ったりするのですが、お時間いただきそうです〜〜🙏
約40年前、文学部国文学科(今の日本文学科)に在籍してて専攻が近現代の夏目漱石でした。今死ぬまでに漱石の作品を読破しようと学生時代に買い集めた漱石文学全集を読んでいます。機会があったら東京に旅行に行って漱石の足跡を辿りたいですね。
私はまだまだ若輩者ですが、漱石の作品は大人になってから読んだ方が、深みを感じられました。
ゆかりの地はご紹介した以外にもたくさんありますので、ぜひお出かけになられてみてください〜〜✨
アルマさん、こんにちは。いつもながらの細かいエピソード、興味深く拝見しました🎉文学博士号を
徹底して辞退!普通ならホイホイ喜んで受け取るモノを…。
骨太の文士としてプライド高い人だったんですね。アルマさんの足を使って、その時代背景や人物像の足跡を訪ねるレポート、とても
新しい切り口が見えて毎回楽しみにしています。
こんにちは!ご視聴・コメントありがとうございます🥰
私も文学博士号、もらえるならいつでも!!!受け取りますけどね(笑)
楽しんでいただけそうな動画を、張り切って撮影してまいります✨
これからもよろしくお願いします🙏
お久しぶりです!アルマサン髪の毛かわいい🎀夏目漱石と誕生日おなじなので、親近感があります。生い立ちから苦労人だったんですね。
お久しぶりです☺️今日は髪の毛巻き巻きしてみました(笑)
誕生日一緒って、妙に親近感わきますよね〜〜〜✨
肖像画等からはクールな印象を受ける漱石、生い立ちはちょっとびっくりでした!
偉人の生きた足跡の散歩
今回も見応えありました。👍
ありがとうございます🥰漱石ゆかりの地、なんだか歩くのが楽しい回でした👍
今回も、あちこち歩きご苦労様でした。俺は夏目漱石で思い浮かぶのは愛媛の松山ですね。小説の坊っちゃん。坊っちゃん列車。道後温泉。赴任して住んだ愚陀仏庵ですね萬翠荘て県立美術館の別館になってたかな?松山の藩主やった久松家の別荘が城山にあって裏手に復元された愚陀仏庵あって正岡子規も居候したそうですが。建物の外側を見た事あるけど城山の山腹の土砂が崩れ全壊して。まだ建て直されてないかな?
坊ちゃん列車と道後温泉、大学院の頃に、学会を口実に観光した記憶があります✨「坂の上の雲」の舞台になったり、歴史深い町ですよね…👍
愚陀仏庵については今検索してみたのですが、全壊して以降、まだ再建されていないようです、、、😭
アルマさん夏目漱石の東京歴史散歩 お疲れさまでした😊
吾輩は猫である と言う題名に惹き付けられて私が中学生の時に読みましたが 読めない漢字がたくさん出てきて 勿論意味もわからないから辞書をひきながら悪戦苦闘した事を思い出しました😂
葬儀の受付が芥川龍之介だったとは······タイムマシンで見物に行きたい位のメンバーだったのでしょうね😅
私も猫好きで、幼い頃に本を手に取ったことがありましたが、同じく全く読めず…でした💦(そして私は、そのまま投げ出しました🤣)
芥川龍之介と漱石の作品、どことなく通じ合う仄暗さがあるような…しかし、なんとも豪華な葬儀受付メンバーですよね!
祖父は漱石先生に教えてもらったとか。やはり偉大だったと言ってました。そのせいか、「吾輩は猫である」の古いものが祖父の本棚にまだあります。
最初はアルマさんのナレーションが何か変だなと思ってましたが沢山視聴してるうちなかなか心良く感じてきました😊私だけでしょうか。
素人が頑張ると、どうしても変なナレーションになるんですよね😂
しばらくお付き合いくださいませ🙏
アルマさん、久しぶりです😊
熊本には五高(現熊本大学)時代の居宅が数軒保存されています。聞くところによると、引っ越し魔だったらしいですが、、、。
熊本市近郊には「我輩は猫である」のなかの【峠の茶屋】=建て替え済み、や五足のわらじ・5人の作家が歩いたハイキングコースがあります。そのうち、アルマさんも漱石の足跡を辿ってください。
お久しぶりです!熊本の学校で教えていたというのは知っていたのですが、まさか熊本滞在中に何度も引っ越していたとは…!!学校も転校を繰り返したそうですし、となれば家も…なのでしょうかね💦
肖像から受けるクールは文豪イメージとは、何だか異なる人物像ですね…😂いつか熊本で、漱石ハイキングしてみたいです☺️💕
何度の引越し、それは妻のせい。お墓のデザインも妻のせい‼️
@@xpo856 旗本出身の出だった妻は熊本の生活が気に入らなかったらしく度々ヒステリーを起こし自殺未遂を繰り返したようです。漱石自身は熊本での生活を気に入っており、学生と交流を深めおそらく自身の人生でもっとも幸せだった期間だったでしょう。漱石が五校に赴任になったのは、嘉納治五郎や小泉八雲の後任としてですね。妻が自殺未遂を起こすたびに引越しを余儀なくされたらしいです。嘉納治五郎は漱石を気に入っており後々には文部省の要職も用意されているはずですが。正岡の死とともに文学へ傾倒していったと思われます。
@@イナバユウスケ-b7l 熊本市内では、漱石関連の史跡は沢山ありましたが、八雲のはあまりなかった様な。
熊大の学内では、八雲の碑はあったが、漱石のものは見なかった。
東大でも、漱石は八雲の後任なので、比べてしまいます。
夏目漱石は1867年2月9日に現在の新宿区である牛込馬場下町に生まれます。夏目漱石は、暦の上では「庚申」(かのえのさる)の日の生まれでした。この日に生まれた子供は大泥棒になるが、名前に「金」の字を与えれば難を避けられるという言い伝えがあったため、金之助と名付けられました。夏目漱石の誕生はあまり喜ばれていなかった。幼いころに居場所を失ってしまった。漱石が生まれた時、父直克はすでに50歳、母千枝は41歳でした。また漱石の上には母親違いの1人の姉と、4人の兄がいたことから、漱石の誕生はあまり喜ばれず、生後間もなく四谷にあった古道具屋、その後、四谷の名主塩原昇之助の家に里子に出されます。しかし
爺さまが、京都で、夏目漱石氏の、お妾さんの面倒見ていた。夏目漱石氏の、小説の装丁をしたのが、爺さまです。
夏目の最後の愛人は、京都の置屋の女将だった。
漱石さんの脳は東京大の医学部にあり、知り合いに頼んだら入れてくれるのかなぁと思い、いつも忘れてしまいます。
有名ですね、漱石先生の脳の話…!いつか見てみたいものです…
夏目漱石氏の、デスマスク作ったのは、爺さまです。
流石夏目漱石先生戒名が院居士、奥様は院大師素晴らしいですね。鎌倉もできたら取材して頂けたらうれしいですが。
鎌倉って、文豪ゆかりの地がたくさんありますよね〜〜☺️東京歴史散歩なので、一応東京をメインにまわってます🚶♀️
たまに番外編・出張編もやるので、鎌倉もいつか…!
漱石のお墓を建てたのは妻ですが、その有名経緯が語られなかったのは、残念。
夏目という姓
とても珍しいと思いますが、三久さんや、雅子さんも 遠戚なのでしょうか。
蘇我 稲目の名前で聞いた事ありますが、目が付く人はシャーマン的な役職だったそうです。
夏目の目は どうなんでしょ〜ね。
雅子さんは芸名だそうです!三久さんは本名とのことですが、親類という話はなさそうですね…
目って、やっぱり特殊ですよね。しかも日本に限らず、でしょうか🤔私はナショナル・トレジャーの映画を思い出しました👍
夏目の目、気になります!
東池袋、雑司ヶ谷霊園 有名ですね。東條英機、ジョン万次郎、小泉八雲。漱石は、小泉八雲の後を追って、第五高等学校、東大と赴任している。
そのうち、雑司ヶ谷霊園に眠る有名人をご紹介〜〜なんて動画も作ってみたいと思いつつ…なんともスゴい顔ぶれですよね!
夏目漱石の、デスマスク作ったのは、じい様です。夏目漱石に、絵を教えたのも、じい様。夏目の愛人の、面倒みてたのも、じい様。
夏目坂 懐かしい~ 早稲田のメルシーへの 通路です 神楽坂 善国寺 門前のパン屋が 美味しくて・・・