名/迷列車で行こう 南海キハ5500形 ~南海本線に気動車!?~

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  • Опубликовано: 21 авг 2024

Комментарии • 62

  • @user-td2el6kb3r
    @user-td2el6kb3r 8 месяцев назад +43

    急行きのくに号の廃止は昭和60年の3月です、それから南海キハ5505系の踏切事故は紀勢本線乗り入れ中に起こりました、あとは、南海の485系電車の購入が出来なかった原因は車両限界の違いです、当時の南海の車両限界は地方私鉄車両限界定義で全幅2740、国鉄の車両限界全幅が2900、南海キハ5500系の全幅が2800で窓に保護棒がつけられて、現在の南海の車両限界は全幅2850まで大きくなっています、関西空港開港に合わせて

    • @tike2435
      @tike2435 8 месяцев назад +1

      南海に入れそうなの名鉄キハ8000系なら南海の車両限界クリアで入れるが
      名鉄が181系ベースのキハ18000系開発なら
      名鉄北アルプス
      南海きのくに
      をキハ18000系共通開発しか

    • @user-td2el6kb3r
      @user-td2el6kb3r 8 месяцев назад +6

      @@tike2435 さん、やはり、名鉄キハ8500系、北アルプス車が良かったですね、カミンズエンジンで最高速度120キロ、でも紀勢本線振り子式全盛の時代でしたので、

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад +4

      確か南海のキハが事故ったのは紀勢本線初島駅付近だったかと。天王寺・難波行きのきのくにだったかなあ。

  • @toriri-service
    @toriri-service 7 месяцев назад +5

    2エンジンの為 物理的に冷改が行えず 末期にはサービス格差が生じてしまったケースは 富士急キハ58系の『かわぐち』でもありましたね。
    国鉄にはなかった空気ばね台車+AU13クーラー付きスペシャル仕様の島鉄のキハ26を参考にして 片方は1エンジンの 2両セットでも良かったように思います。
    キハ5505改め関鉄キハ755は オリジナルの狭幅片開き扉の内側に 1300mm両開き扉を2つ増設した 不細工な側面でしたが 重いDMH-17エンジンを2つも吊り下げながら 開口部を増やして 良く車体が歪まなかったと思います。

  • @TSUYOS185
    @TSUYOS185 8 месяцев назад +8

    ありがとうございます。
    繁栄期、縮小から終焉への経緯が分かるものでした。

  • @user-jv4ty6qh5v
    @user-jv4ty6qh5v 7 месяцев назад +5

    子供の頃、きのくに号が走ってるのをよく見てました😊四国号は指定席券が必要なのに対し、きのくに号は急行券が必要と表示されていたのを覚えてます。冷房化されて、窓が開いていない特急に対し、二両編成で窓全開で数人ほどしか乗っていないお客さんを運んでいました😅今では懐かしい😊

    • @rhscm989
      @rhscm989 5 месяцев назад +1

      きのくに号は南海線内は特急扱いだった割には線内均一料金の急行券が必要でしたが、和歌山市から国鉄に跨る場合は線内均一料金の急行券のほかに国鉄が発行する50㎞刻みで料金額が変わる急行券が必要となる仕組みでした(但し指定席は1両もない)。

  • @daiyakaisei
    @daiyakaisei 7 месяцев назад +4

    名鉄が気動車で高山まで乗り入れていたみたいな感じか。

  • @chikakonagao2526
    @chikakonagao2526 8 месяцев назад +8

    何かと戦後は不運なんですよね。

  • @yasuhirotakase4055
    @yasuhirotakase4055 8 месяцев назад +12

    今でも難波〜白浜あたりまで直通したらそれなり需要ある気がします。
    直通が無理ならせめて、和歌山市駅〜和歌山駅間をもう少し活用して欲しい。
    私もこの南海の気動車乗りました。
    国鉄線内では南海A号車B号車って案内されてましたね。

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад +1

      国社(JR・南海)の乗り入れ部分を電化しないと先ずは難しいでしょうね。

  • @Chinjyang
    @Chinjyang 8 месяцев назад +6

    冷房化出来ればもう少し走ってただろうけど、しかしゆくゆくは無くなった運命でしょうね

    • @tike2435
      @tike2435 8 месяцев назад +2

      名鉄が例えば国鉄が高山本線特急ひだを
      181系化してスピードアップして
      名鉄8000系が早期陳腐化して
      北アルプス特急化に名鉄キハ18000系なら
      名鉄キハ8000系南海が譲受するシナリオしかな車両限界キハ58系入れないし

  • @user-fe5fh2ln7m
    @user-fe5fh2ln7m 8 месяцев назад +12

    この時代の南海電鉄は、高野線のほうが華やかでした。高野線には特急「こうや」があったのに対し、本線系では「四国」やこの「きのくに」があったものの地味で、「サザン」が出来てようやく華やかになった。今は「ラピート」があるなど、本線系のほうが華やかな感じ…

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад +4

      関空開港はやはり南海電鉄の転換点になりましたね。

    • @user-wj6wc4xg2d
      @user-wj6wc4xg2d 5 месяцев назад

      南海のきのくに号は停車駅が特急扱いだったとは故に単にきのくに号と呼ばれ、駅放送では乗車券の他に急行券が必要ですという旨が出されていた。国鉄線内では急行として運転され和歌山から白浜・新宮間では天王寺からの国鉄車両(冷房付きのキハ28・58系を使用)と併結して運転され、これこそが急行きのくに号でしたね。by酒向正也

  • @Enu04
    @Enu04 7 месяцев назад +2

    8:54 「所沢クリニック」におもわ吹きました(^_^;)

  • @user-xc8zx9fo8e
    @user-xc8zx9fo8e 8 месяцев назад +13

    あの当時は、今のように、35℃以上には気温が上がらなかったので、非冷房でも、窓を開けていれば、天然の風で、何とかしのげた。あえてキハ5500の冷房化を強行しなかった理由の幾分かは、こういったところにもあったと思う。
    実際に、キハ58系と同様の走行システムであった高山線乗り入れ用の、名鉄キハ8000(8200形)系では、走行用エンジン2基の他に、電源用エンジンまで載せていた。やればできなくもなかったのです。
    南海電鉄は、現在でも、紀勢線直通列車を走れせれば、それなりの需要はあるはずだし、JRとの競争環境にもいい影響を及ぼすものと思う。

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 8 месяцев назад +6

      JRも南海も関空アクセスに力を入れる時代になってしまいましたからね。さらには阪和道~紀勢道の開通でそちらに移行、くろしお号すら新大阪~和歌山駅間がメイン。
      寂しいことではありますが。
      きのくに号だけでなく南海の系列会社が市駅から白浜への急行バスを出していた時代もはるか昔になってしまいましたね。

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад

      昭和の時代は『きらめく紀州路』と宣伝された紀勢本線も、今はかつての輝きは無く、白浜↔️新宮間は廃止論議も出ている今、行く先は不透明ですね。

    • @takana4381
      @takana4381 7 месяцев назад +1

      確かに私が子供の頃は7月でも学校のプールの水温が上がらず中止なんて事がありました。それが今では水温が上がり過ぎて中止する事が続出しているらしく、明らかに気候が変動しているのが感じられます。通勤型電車の冷房能力も、昔は49キロワットで十分涼しかったのですが、今では能力不足ぎみとなり、新型車では58キロワット空調機を搭載していますね。

  • @user-xm5ox8bm8y
    @user-xm5ox8bm8y 7 месяцев назад +2

    「古くても国鉄の気動車と違い
    南海の5500系は車体が綺麗だった」と親戚が言ってました
    「国鉄の気動車は車体が煤けてて汚い車両が多かった」とも言ってました

  • @kenkou7767
    @kenkou7767 8 месяцев назад +14

    いつも緻密な検証で鉄道の歴史を動画化してくださり、楽しませていただいてます!
    急行きのくに全廃の年次がくろしお電車化の年次と同一だったので、訂正されたほうがよろしいかと。
    これからも、動画を楽しみにしておりますので
    m(_ _)m

    • @hakusinnotakumi
      @hakusinnotakumi  8 месяцев назад +5

      すみません、訂正ありがとうございます!

  • @user-yi6xs2uo5f
    @user-yi6xs2uo5f 8 месяцев назад +2

    南海が難解に聞こえてしまうのは標準語やから仕方ないのはわかるけど、そうやないねんてツッコミたくなるんよなぁw

  • @user-mn3jd6ps6k
    @user-mn3jd6ps6k 6 дней назад

    所沢クリニック!
    電車だけでなく、気動車も手を出していたのか‼️

  • @user-rd9cu2wm3m
    @user-rd9cu2wm3m 5 месяцев назад +1

    初めてコメントします。
    南海がキハ5500形の冷房化を出来なかった・併結相手のキハ58系の自社新造に踏み切れなかった時点で、直通廃止は盛り込まれてしまった感があります。
    そして南海が485系を購入しようとしていた件は初めて知りました。
    ただ、国鉄としても485系に余裕が無かった事、民営化直前に結局「くろしお」を381系に統一されたら、南海はどうしていたのか……という点からも、キハ5500形が消えた時点でこの直通の命運も絶たれていたと思います。
    名鉄キハ8000系のような高水準車両が生まれていたら、この直通が後継車に継承されていたかもですが。

  • @user-jg7mt6lk8e
    @user-jg7mt6lk8e 7 месяцев назад +1

    1983年頃に南海経由で野上電鉄、有田鉄道 紀州鉄道乗りに言って帰りに難波行きのきのくにに乗ったな。懐かしい

  • @minakatamanabu7413
    @minakatamanabu7413 8 месяцев назад +2

    南海の紀勢線直通列車の気動車は実は戦前から計画があったりします。阪和が流線型ボディのC57牽引の黒潮計画のに対抗して気動車(ガソリンカーとも?)列車を計画しました…もし、実現していれば関西線のかすがよりも20年早く気動車の優等列車を走らせたことになっていたかと。

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад +1

      戦前、安治川口駅でのガソリンカー転覆事故により、ディーゼルカーに方針転換されたので、安全面や技術面を考慮すると、実現は無かったでしょうね。

  • @user-rj8zo1zb1m
    @user-rj8zo1zb1m 8 месяцев назад

    4往復していたのを記憶しています。
    まだ海南駅は地上にありましたね。
    電化後は湯浅で普通がきのくにの退避をし、
    御坊できのくにがくろしおを退避したのも
    記憶しています。

  • @hirataz3
    @hirataz3 8 месяцев назад

    国鉄直通の私鉄遊蕩列車用気動車は南海のほか名鉄・小田急も持ってたが南海・小田急は電化で追われた…名鉄は高山線非電化ゆえに割と長生きしましたね。電化寸前まで利用客が居れば連絡線に架線を張ってでも直通を続けたでしょう。

  • @Hack_TacKer
    @Hack_TacKer 8 месяцев назад +14

    南海が485系を買い取った世界線も見たかった…( ;´꒳`;)

    • @tike2435
      @tike2435 8 месяцев назад +3

      車両限界が拡幅車体入らないんだが

    • @Hack_TacKer
      @Hack_TacKer 8 месяцев назад +4

      そこは、もう、ノリで(ง ˙ω˙)วガッ!ってして、ギュン!ってして、いい感じに

    • @user-sz8ti2sy4s
      @user-sz8ti2sy4s 8 месяцев назад +3

      車両限界をクリア出来でも重要な部分のメンテナンスは国鉄に委託と言う感じで、その費用まで考えると赤字になっていたと思います

    • @Hack_TacKer
      @Hack_TacKer 8 месяцев назад +1

      仮にもアイツら、交直両用ですもんね…(A;´・ω・)交流機器を取っ払うにしても、メンテは確かにしんどそう…

    • @user-qb1cf9id9v
      @user-qb1cf9id9v 5 месяцев назад

      仮にも天下の大手私鉄南海が…
      当時の国鉄からわざわざ、中古特急電車を、払い下げて貰うのか…(^-^;😅-w-w
      当時から旧国鉄内でも冷や飯扱いの天鉄局ならともかく、大阪南部は当時の国鉄から見れば、
      南海ですら、そんな扱いになるのか…😜💦

  • @user-xy6fu2fl6x
    @user-xy6fu2fl6x 6 месяцев назад +1

    南海(難解)にも特別車両があったとは
    残念ながら乗車体験はない
    現行なら価値アリ

  • @bluewater5239
    @bluewater5239 8 месяцев назад +1

    tomixの5500買いました!キハ55の両運車目当てでした。tomixさん島原の5500?出して欲しいな?

  • @user-jw7ub4xg9e
    @user-jw7ub4xg9e 7 месяцев назад +3

    非冷房のきのくにが走ってた時代、
    南海は「非冷房車」が当たり前だったんです。
    70、80年代の南海、泉北は窓が開き、
    天井に扇風機が付いたものが殆どでした。
    全車冷房化されたのは90年代からです。

    • @rhscm989
      @rhscm989 5 месяцев назад

      扇風機はキハ5501系と1521系に、それ以外の非冷房車は直径40㎝の大型送風機こと「ファンデリア」がそれぞれ装備されていました。特に片開き扉車は2段上昇窓になっていて、夏場にはフルオープンもできる構造でした。

  • @user-pu7py4oe4e
    @user-pu7py4oe4e 8 месяцев назад +2

    南海きのくには冷房がなかったのが致命的でした。

  • @user-yo1fi9st4x
    @user-yo1fi9st4x 8 месяцев назад

    サザンが直通特急として新宮まで走ったらおもしろいですが。
    本線の停車駅は、新今宮、天下茶屋、泉佐野の3駅で。

  • @hiroyukiyambe9054
    @hiroyukiyambe9054 8 месяцев назад +1

    7:30あたり。
    キハ58の1エンジン車ってキハ28で、キハ26はキハ55の1エンジン車ではないでしょうか?

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад +2

      おっしゃる通りですね。

  • @YouSupe
    @YouSupe 6 месяцев назад

    できれば今からでもJRー南海間の直通運転があれば両方の利便性が上がりそうですが、路線体系を見ると残念ながらできる気はしません。他の方がおっしゃっているように、和歌山市ー和歌山間の利便性向上が図られたらなあ…

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 2 месяца назад

      ワイは@東京23区なのでJR~東武直通特急をよく見かけるが残念ながらガラガラ。やはり、運賃・料金2社分は高いな…😵

  • @kenichiro_uesugi
    @kenichiro_uesugi 8 месяцев назад

    やっぱりDMH17エンジンの180PSだと冷房の為の出力が足りないから現在主力の機関直結式冷房に改造出来ないのが弱点でしたね。
    JR四国のキハ185系のDMF13HSの250PSぐらいあれば機関直結式冷房が出来たんですけどね。

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад +5

      1950~60年代にはそんな技術は無かったんだわ。

    • @kenichiro_uesugi
      @kenichiro_uesugi 8 месяцев назад +2

      @@user-oy7re7lb3w それにしてもDMH17エンジン、よく近年まで使われましたね。
      旧国鉄が財政難だったせいもありますが。
      今だと小湊鉄道に営業車で残っている様です。
      余談ですがTomixのNゲージで南海キハ5500形が発売されてましたね。また再生産してくれないかなぁ。😅

  • @user-vc7sk5cy5u
    @user-vc7sk5cy5u 8 месяцев назад +3

    間違ってたら御免なさいですが この南海のヂーゼル
    京都駅まで来ていませんでした?何か奈良線のホームで見たような記憶が有るんだけど…

    • @Midori-Clover
      @Midori-Clover 8 месяцев назад +1

      Oldman阪急です。
      それは、南海気動車の原型である、本家の旧国鉄キハ55系ですね。🍀
      (非冷房の準急型として登場後、キハ58系急行型に役目を譲って、普通車運用に転用、その後廃車。)

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад +3

      それは国鉄のキハ26又は55系気動車かと。

  • @user-ls3wb7wt8m
    @user-ls3wb7wt8m 6 месяцев назад

    車内チャイムは、アルプスの牧場ではないのか

  • @user-su3fu1eu3j
    @user-su3fu1eu3j 8 месяцев назад

    私の記憶では、南海から急行きのくには現在のJ R鳥羽まで運転してたと思います。

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад +2

      ん?違いますよ。南海の直通車は全て新宮駅迄の運転でしたよ。

  • @user-qi7yy1jb6m
    @user-qi7yy1jb6m 8 месяцев назад +4

    南海キハ55私は、乗ったことは、ありませんがエアコン無しは、よろしくないです。島鉄キハ26エアコン付きでしたね❗大手私鉄なのにエアコン無しは、ひどいですね。。

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 8 месяцев назад +3

      キハ5501ができた頃は国鉄の急行の上級車両ですら冷房のない時代でしたからね。さらにはスピード向上のためにエンジン2基は仕方のないことでした。
      後にキハ65クラスのハイパワー車両を南海が作ればよかったのかもしれません。
      ただ、昭和40年代から50年代の南海は自社線の輸送力増強、なんば駅の改良工事、昇圧、泉北高速への直通輸送体制の構築もあって南紀には手が回らなかったことかもしれませんね。

    • @user-oy7re7lb3w
      @user-oy7re7lb3w 8 месяцев назад +2

      あのね、今とは時代背景や技術力が違うから無理だったんやわ。分かるかな。

    • @user-jm8ye4bz6u
      @user-jm8ye4bz6u 8 месяцев назад +1

      今みたいにアホみたいに暑くなかったし