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いつも何気なく肉を食べていますが、命を頂いている事を改めて思わされました。そして育てている方・解体している方々のおかげで毎日健康で生きている…。ありがとうございます。
なんとなく見始めたこの動画に、命を見た。今も牛肉を食べている自分が忘れていたこと、無意識になってしまっていたこと。命を頂いていることに、感謝しなければならないこと。日本人が「いただきます」と手を合わせる根源は、ここにあるのではないだろうか。そういう思いで手を合わせ自分の生にかわる命に感謝しようと思う。この動画に出会えて良かった。ありがとう。
何気なく使っている言葉…「いただきます」とっても、深い意味のある言葉だと思います。それと、「お陰さまで」わたし達は、命の大切さに感謝を忘れてはいけない気がします。
うちの近くにも元屠○場があり、今は綺麗な住宅地に整備されています。元々住んでいた人達は「誰が住むのだろう」とひそひそ噂していましたが、全ての区画が売れ、新しい人達が何事もなく暮らしています。人間は他の動物の命をいただき、逞しく生きていくものなんだな、と思わされます。こう言った職業が特定の人々と結びつかないような、意義のある仕事なのだともっと認識されるといいですね。
知人が鶏の屠殺場の見学に行った話をしてくれたことがあります「食」への考え方がひっくり返ったと残さず感謝していただく貴重な動画をありがとうございます
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。屠殺場の見学は大変勉強になりそうですね。食への考え方を学ぶために私も行ってみたいです。
被差別部落の本質は、在日朝鮮人です。過去に労働力のために来た朝鮮人が住んでいて、現代でも在日やら帰化人となっています。
昔、西成のHOME'Sの出来るずっと前にその近辺らへんの場所に屠殺場が有り、犬の散歩をさせていた時に、🐂が逃げて来て、男の人2、3人が後を追い掛けて来たのを見た事が有ります。少し離れていましたが、とても怖かったですが、その時の🐂の鳴き声が、今でも忘れられません。
自分的に路地裏さんぽさんシリーズ最高傑作です。いつも人の営みの爪痕が残った路地裏をいく動画に魂を奪われます…
大変嬉しいコメントを頂きありがとうございます。今後も全国各地にある「人の営みの爪痕」を探して参ります。
更新お疲れさまでございます。敷地の広さを見るに南大阪の市場はかなりの規模だったようですね、67億の負債も相当なものでしょうか……食肉の処理という誰もが出来るわけでもなく、肉体的にも精神的にも過酷な仕事に従事されている方々と牛さん豚さん鶏さん達のお陰で自分達は生きていけるのだと改めて感じました。人が生きていく上で絶対に避けて通れないことです、とてもいいものを見せていただきありがとうございました。
コメントを頂きありがとうございます。当たり前のように食卓へ並ぶ肉のありがたさ、ご視聴頂いた方々のコメントと旧更池村の探訪でどこか忘れてしまっていた感謝を恥ずかしながら思い出しました。
生命を頂く…いただきます🙏必ず言わねば と思いなおす動画でした。お疲れ様でした。ありがとうございました✨
動物福祉の活動をしている者です。私のような立場の人間からは更池のかつての営みは表面だけ見ると「何という酷いことを」なのですが、歴史的な背景を知った上でこの動画を見ると自分の考えが単純で幼稚なことが分かりました。「屠畜することイコール生きること」であり、この仕事に従事する人たちのおかげで美味しいお肉をいただけるです。屠畜に携わる人たちと動物たちに感謝の気持ちを捧げたいです。上原さんの本は読んだことがあり、実際の映像は興味深かったです。
自分はこの地区の隣の小学校出身ですが、中学にあがってから学校でここの歴史を学びました。「儂らは人間、儂らこそ人間」と歌ったのを今でも忘れません。
コメントを頂きありがとうございます。地縁のある方にご視聴頂き大変嬉しいです。「儂らは人間、儂らこそ人間」いまもこの地区の学生は歌っているのでしょうか。
頭では理解していても、心が悲鳴を上げそうになる。差し出される(奪い取られる)命、それに携わる人々。私はもっと、敬意を払わねばならない。目を逸らしてはならない。
👏👏👏😭☺️👍🙇♂
ぬのせ懐かしいです。近鉄南大阪線☺お肉卸は大阪は南港辺りからの仕入れも結構あるようですね。動物に感謝致します。全国の業者の皆様本当にありがとうございます。お陰様で美味しくいただく事ができている事忘れないようにします。
コメントを頂きありがとうございます。南港には中央卸売市場がありますね。日々、当たり前のように食卓へ並ぶ肉のありがたさ、心の奥で忘れずにいたいですね。
大阪出身ですが、松原市にこんな地区があったなんて、全く知らないで育ちました。松原市は行った事もなかったので、イメージとはかけ離れてました。とてもタメになりました。アップありがとうございます。
コメントを頂きありがとうございます。松原市は同じ大阪でも地縁がなければなかなか行く機会も少なそうですね。またご視聴頂けるよう歴史ある街の探訪を続けて参ります。
『日本の路地を旅する』からの引用、ちょうど読んだことのある本だったので、映像付きで紹介されるとイメージがより湧き上がってワクワクしました。編集も映像も、資料映像として使えそうなクオリティですね
今回の動画は従事した人達より、自分たちが幾つもの命を頂き生きてるんだな、って肉食べてるときに、牛や豚達が殺されるって思ったことが、可哀想。これからは命を頂いて自分は生きてるんだ、とより肝に銘じたいと思う動画でした。
コメントを頂きありがとうございます。私も旧更池村を探訪させて頂き改めて考えさせられました。
私は割とYou Tubeで国内外問わず、屠殺動画を見たりする人間でして、解体していく技術は目を見張るものがあります。差別どころか、と畜場の職員さん達には尊敬の念しかありません。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。屠殺の技術は本当に凄まじいですね。動画はもちろん、食肉センターで直接見学できるところもあるようで勉強になりそうですね。
今では『恋みくじ』で有名な布忍神社の横を流れる西除川(動画最後で左に映ってた川…布忍神社は川下)の川上(南側)に有りますね…。因みに私は、その布忍神社の前に家が有り、28歳まで住んでました。小学生の時は、学校の斜め向かいに有った「骨粉工場」の匂いが凄かったのを覚えてます。そして、屠畜場が無くなるまでは、毎日牛や豚が載せられたトラックが、1日に何台も屠畜場に向かうのを見てました。別の話しになりますが、小・中学校の先生は、更池から来てる生徒には、腫れ物を触るかのような扱いをしてましたね。(更池からの生徒は善、それ以外の地区からの生徒な悪…みたいな感じ……。)それから、その地域に住んでるだけで、税金(府市民税)がかなり割引されてるのも有名な話しです。なんせ、更池村(地区)の結束が強く、村の住人を市会議員・市職員も「触らぬ神に祟りなし…」的に扱ってます。
私は中学生の時に屠殺場関係ではない部落内の子から、集団で仲間外れにされてました。部落の人達が大勢集まった中学校で、本当に最悪な日々を過ごしました。育った環境って、人間形成に於いて本当に大事ですね。当時は毎日◯ぬ事しか考えてませんでしたが、あの時自◯しなくて良かったです。トラウマが強過ぎて、部落の人達の良い所を1つも知らないまま生きてきたので、今でも部落の人達は大嫌いです。
県外の人間にはわかりづらいんだけど、向野と更池は常に一緒に語られてるけど、実際には、両者は別の街だよね?
ありがとうございます。繰り返し観てしまいました。多くの方に観てもらいたい動画です。
嬉しいコメントを頂きありがとうございます。多くの方にご視聴頂けるよう、今後も様々な視点から街の歴史を紹介して参ります。
大阪在住ではないので、松原市にこういった大きな屠殺場があるのを知りませんでした。大変勉強になります。ありがとうございます!
自分はこの松原で生まれ育ちそして更池っていう町を今でも誇りに思い中学3中で学んだ事はけして今も忘れる事なく日々の生活を送らせて頂いてます。
コメントを頂きありがとうございます。地縁のある方にご視聴頂き大変嬉しいです。今後も更池の歴史を忘れることなく大切にしたいですね
@@mi-il8eoどういう意味?
どんなことにも言えますが、今はタブーとされて一部の人しか知らないことがあっても、私はやっぱり真実を知っておきたいです。私の住んでいた隣の地区に食肉センターがあったので、私は食肉と今も関係の深い地域で暮らしています。食肉センターの知り合いも居ます。サイボシは和牛くらい値段高いけど、美味しいです!久々、深く考えらされる動画でした。
コメントを頂きありがとうございます。食肉と関係性の深い方にご視聴頂き大変嬉しいです。サイボシを更池で購入して食べましたがとても美味しかったです。あんなにも旨味のある脂が出るとは驚きました。
大切な命をいただいているんですね。感謝して頂きます‼️
お肉は畑で作れない。感謝出来ない人は、牛も豚も鳥も食べたらあかんんと思います。
ほんとそう。
ありがとうございました❕食のありがたさ!⤴️再認識してます‼️👂️💦貴重な動画感謝です!✌️🆗⤴️
中学を卒業するまで実家でこの仕事を手伝って、後にブリーダーになった後輩がおったな。今度は動物を育てる仕事がしたいと言っていた。ハンマーで動物の頭をかち割り一気に気絶させる方が後で苦しまないと、優しい顔で言ってた
この隣町で生まれ育ちました。皮を剥がれ頭と手足が無い大きな牛が鎖で吊るされていたり、大きな鉄の箱の中から頭や手足が飛び出ていたり、臭いもすごく、小学生ながら何かを感じそれをじっと見ていた記憶があります。
世界中の人々が食肉を食べます。それは他の方々が書いている通り、大切な命を頂いて今の私達がある事を忘れてはなりません。感謝の念を持って。
命を頂く精肉の営みについては、『ある精肉店のはなし』(大阪の貝塚市が舞台ですね)を観たり、岐阜県養老の精肉産業のことにふと興味をもって、なにがしか観たり読んだりしたものですが、何時も自分の心の中に「片付かない」何かが残ってしまいます。この旧更池村は、知らずにいた場所だったのですが、動画の探訪の歩みも、上原善広氏の『日本の路地を旅する』からの引用も、やがて流れる『黄昏の影絵』も、そんな「片付かない」何かの上に雪のように降り積もって行く、そんな気持ちで拝見致しました。色んなことから目を逸らし続けるのではなく、時には見詰めて考え、生かされる有難さも考えたい、と思わされる一編でした。感謝。
ご視聴&嬉しいコメントを頂きありがとうございます。『ある精肉店のはなし』は勉強になる映画ですね。私も旧更池村の探訪を通じて考えさせられることがありました。今後も全国各地にある食肉産業を礎とする町の探訪を続けて参ります。
中学校の校区に更池があり同和教育が熱心な学校🏫でした。屠殺場の見学に社会見学で行ってアタシはそれがトラウマになり牛肉が食べる事が今でもできません‼️
この地区の小中学校出身です。小学校の社会科見学が屠殺場でした。今思うとなかなかパンチのきいた小学校でした。
部落が始まったのが戦国時代だと言われている😅大名同士が戦をして負けた大名の領民と勝った大名の領民と住む場所を分けたのが始まりらしい😅負けた大名の領民は奴隷として扱われていた😅
松原、羽曳野。今の住所のすぐそばになります。牛にハンマーを下ろす前に、嫌々をする牛をなだめるシーンが、心が痛みます。簡単に割りきって考えていいものだろうか?自分はベジタリアンの人を、考えすぎと思ってきたが、はたして、牛の悲鳴を間近に聞き、屠殺の瞬間を目撃して、同じことが言えるか?と言うと自信がありません。
ハンマーって いつの時代やねん?
私も全くコメ主様と同じ気持ちで、同じ意見です。世の中ベジタリアンの人が居ても良いし、お肉を感謝しながら美味しく頂いても良いし、色々な意見があっても良いかと思っています。ですが私は大の動物好きなので、やはりコメ主様と同様に色々と複雑な気持ちになってしまいます。
地元の事ですがかつて中心部に向かう国道沿いに屠畜場があって、バスでそこを通るとやはり金属音と絶叫が聞こえました。正直夏場などは独特の臭いもしてたので、命を頂くという事を子供時代から理解してたように思います。
コメントを頂きありがとうございます。地縁のある方にご視聴頂き大変嬉しいです。金属音と絶叫、上原善広氏の著書に書かれたエピソードそのままの思い出ですね。
父親が若い頃…40数年前に仕事で知人と大阪に仕事に行く途中…知人の嫁さんが松原町の肉屋さんだったんで一晩泊めてくれたそうで…最高級の肉を食べさせてもらったと言ってました。お風呂は近くの銭湯に行ったら沢山の松原町の方が銭湯に沢山来てほとんどの方が刺青が入っていてビックリしたそうデス。
コメントを頂きありがとうございます。来客で出されたおもてなしの最高級の肉の思い出話は素敵です。最近はどこも厳しくなってきましたが、大阪の銭湯は刺青の方も問題なく入浴できるところが多いですね
更池で食肉処理に従事されておられた方のお仕事は、身体にはきついお仕事だったと思います。私達はス−パ-に並ぶお肉を買って来て、すき焼き、焼肉と食べていますが。頂きますとご飯を食べる時、牛さんや豚さん鶏さんに感謝にして。捌いて下さる食肉センターの人にも感謝して。この気持ちを忘れてはならないと教えて頂きました。ありがとうございました。
牛さん豚さん鶏さんすべての命を我々は頂いております!人がやらない仕事をやられてきた事を尊敬しますでもやはり動物好きなものからしたら可哀想しかないです!もちろん肉は食しますが可哀想です、とにかく感謝しかないです。
牛は人間に何をされるか分からなくてとても怖くて悲鳴をあげていたんでしょうね。自分たちは普段何も考えずに肉を食べていますが、その裏では自分たちの食卓を支えている人がいるということを忘れてはいけないと思いました。何より命を頂いていることに感謝をしなければなりませんね。日本は奈良時代に仏教の影響で肉食が禁止されました。それでも今まで通りの生活を続ける人もいた。日本人の生活スタイルの変化が差別を生んだと聞いたことがあります。
更池の近くのピザ屋で大学の時バイトしてました。地方から出で来た、自分は理解出来無かったですが、野良犬が出るから、石持っていけと言われてバイクに石を積んでいきました!
どういうことでしょうか。教えて頂きたいです。
お疲れ様です。辛いですね、この仕事に従事した方がいたから肉を食べることができたのに。自分が使うなら、自分が食べるなら、全部自分でやれよと思ってしまいます。好きで命を奪っていたのでは無く、それしか仕事が無かったのだと思います。人間に限らず、生きる為に食べなければならない、植物でさえ命は有る。その命を、他人の為に、しかも下世話な者と言われてもやらなきゃ食べていけない。普通の部落ですか、それと違う気がします。汚れ地となってしまったと思いますが、いただいた命、改めて感謝しないとならないのとそんな仕事に従事された方々に、頭が下がります。また違う意味での地域、知ることができて感謝します。そして、今現在、そんなことも考えず、美味い、美味いと食べている、自分が恥ずかしくなってきました。その時代に産まれていなかったにしても、その歴史を忘れてはいけないと思う次第です。本当に、ありがとうございました😭
コメントを頂きありがとうございます。ご視聴頂いた皆様からのコメントでも「いただきます」の言葉を改めて考えさせられました。食を支える従事者の方々の歴史と動植物の命、あたりまえの日々だからこそ心の奥で忘れずにいたいですね。
ほんとに、感慨深いですね❗差別だといいながら、肉を食べている私達テレビでもやっているよ⁉️誰かが、それをやらねばならぬ‼️複雑ですよ❗
路地の子、読みました。衝撃的だし、悲しかったです映像でも、どこか悲しげで…暗い感じの路地ですね
コメントを頂きありがとうございます。『路地の子』は名著ですね。どこか寂しげな街の様子をお届けできたようでしたら何よりです。
食肉産業の衰退は、同和利権にずっぽりと足を踏み入れてしまった同和地区の支部長の責任です。
色々と考えさせられました。有難う御座います
大阪生まれの大阪育ちだけど知らない土地、歴史いっぱいありますね。勉強になりました。
ホントに勉強させられました!命を頂く!頂きます!という事を!
あの食肉卸業の帝王・ハンナングループが繁栄した理由が、何となく同和利権を原点としてわかる・・・
私も色々な書物を読んで私なりに探りましたが、屠殺産業は残念ながら『同和利権』『同和優遇措置法』に基付き、細かい所で言えば税金や所得税の免除等…数々の事実を知ると、皆様が仰るような綺麗事だけではなく裏の世界では当時から色々な闇の世界も働いていたのだと…。そうでなければ、この職業がこれほどに繁栄はしないでしょうね。
為野氏=引導を渡す=高尚な僧侶できるだけ苦しませないように、の慈悲こそが罪深い人間に出来る最後の良心
こういう動画を見ると、牛や、豚を食べたくなくなる😢生きるために必要な事とはいえ、やはり、胸が苦しくなる。
命を頂くからいただきますの深い意味を伝える動画ですね
コメントを頂きありがとうございます。普段の何気ない「いただきます」の言葉、恥ずかしながらいつの間にか言わなくなっていた自分がいました。大切にしたい言葉ですね
素晴らしい風景を見せていただきありがとうございます。関西の胃袋を支え続けた歴史の今の姿は胸に迫るものがあります。地方での屠殺がメインになったのは機械化が進み昔ほど技術を必要としなくなった事もあるのかもしれませんね。
路地裏さんぽ様へこんばんは、お世話になります。この動画をねこらいだー様、旨塩きゅうり様、歩行型ドローン様に見せたいですねw
この土地の事も初めて知りました。屠殺してくれる人達が沢山いてくれるから、私達は美味しい肉を手軽に食べられる。肉を捌くだけでなく、先ずは殺してくれる。私には出来ない業を淡々と背負ってくれる。ありがたい様なそういう業を押し付けて申し訳ないような…そして、少しづつ寂れてゆく。そんな町に夕闇が迫る(朝日が昇る?)のが物悲しいですね。
確か、昔はここの屠場は、見学を受け入れていましたね⁉️
今日、私達が当たり前のように牛肉や豚肉、鶏肉を食べられるのは、この方たちがいてこそです。生き物を殺して食肉にする。それだけでも苦しいし精神的にも肉体的にも過酷だろうに、敢えて屠殺を生業とする。この方たちがいなかったら肉は食べられなかっただろう。感謝や畏敬の念を持ちこそすれ、差別するなどおかしいことである。
🇦🇺で友人が働いてました。輸出先の宗教事情に配慮した対応します。命を頂く時も、遠慮する時も知っておきたいです。
この動画に出てくるさいぼしの店も去年で閉業してましたね。近年は流通状況が変わったのか馬肉の入荷が難しく、牛肉で代用してなんとか続けてたようですが。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。お店は閉業してしまったのですね。脂の旨味が溢れるさいぼしを購入させて頂いたお店です。誠に残念です。
我が地元北海道日高管内某町にも豚の屠畜施設がございますが、某大手食肉メーカーの関連会社が運営していて、動物に負担を掛けない、衛生体制を徹底するなど近代的なスタイルで運営されているようです。北海道安平町早来にはホクレン系の北海道畜産公社と言う屠畜施設があって、こちらは家畜全般の屠畜がメインとなっているようです。食肉産業の従事者、西欧は東欧などからの、北米は中南米からの移住者が多いと聞きます。
勉強になります。
ヴィゾンニシモト!そうかそういうことだったのかと、感動してしまいました。
関東ですが、仕事で豚の屠殺場に行きました。みなさん手際がいい事いい事・・・帰りにモツを貰って帰りましたが、煮たら家中に屠殺場の臭いが充満しました。
昔、犬の肉をよくご馳走になりました。ありがとうございました
更池の屠場が閉鎖してたのは驚きました。
こういう方達がいて私達は肉を食する事が出来る!スーパーで並んでいるのが肉ではないのです!でも当たり前過ぎて忘れてしまう…命を頂く🙏
部落を路地と呼んだのは中上健次が嚆矢ですね。「日本の路地を旅する」も「路地の子」も読みました。後者は著者の父親をモデルに描かれていますね。古い作品ですが鎌田慧著「ドキュメント屠場」もお薦めです。
コメントを頂きありがとうございます。「路地」という言葉はどこか魅力的でもありながら、日陰を思わせる切なさが残りますね。鎌田慧著「ドキュメント屠場」は興味深いです。早速、読んでみますね。
私も子供の頃大阪市から松原市に引っ越して、今も実家は松原やけど、うちの父親は今も頑なに本籍地を松原市に変えへんまま40年近くになります。もう今どきそんなん
人間(あるいは全ての動物・植物を含む)は必ず何かの「命」を奪って(これは今流行りの「ヴィーガン」も同じ)自身の命を繋げているんですよね。それに対して「差別」(「区別」とも言う)をするのは私自身としては絶対に許せません。その意味で言えば農業でも同じだと思います。願わくはこの差別(区別)が永遠に無くなりますように…
更池という地名はもともと皿池と書いて、血の池が変化していったものだと何かで読んだ記憶がある。動物の血で真っ赤に染まった池が地区内にあったのだろか?
現在此の地区は松原市東新町と呼ばれてますね。中岡モータースの看板が目印に成ります😂
うちの猫は豚に似ていて、猫を飼い始めてからいたたまれなくなって肉食をやめたことがあった。どうしてもパック詰めされた肉から屠殺される動物の姿が想像されて、うちの猫と重なってしまうから。でも味の素やらしいたけ昆布やらで旨味足しても、肉のない食事は味気がない。食事というか栄養補給という感じ。それからはそこそこ肉食べるようになったけど、食べるからには入念に準備して、めちゃくちゃ美味しく作るようにしてる。
食肉市場跡地の近くにある池で何度か釣りをしたことがあります。夜明け前になると動物の低い鳴き声が聞こえてきて、今殺されてるのかなと考えたことがあったのを思い出しました。今はもうなくなってしまったのですね。
松原出身の他県在住者です。こっちにも小規模ですが屠〇場がありました。正午になると『パーン!』としてたそうです。牛も豚も鶏も命有るものだから、有りがたく頂く理屈はわかってるけど割りきれないとこあるのも事実です。
おっしゃる 割り切れなさとは 食べない という選択肢を無思考に封殺していることだと私は自身の同じ思いから気づきました
私も同じ気持ちです。理屈は分かってはいるけれど、自分も含めて人間としての苦しみが込み上げてきちゃいます。動物が異常に小さい頃から大好きで、動物さんいっぱいと生活をしてきたから私には正直抵抗が…。
命について考えさせられるテロップもわかりやすく静かなしんみりしたbgmも内容にあっていて良き🥲よかったら何という曲名が教えて下さい
コメントを頂きありがとうございます。BGMは秋山裕和『黄昏の影絵』です。どこか切ない曲ですね
懐かしいわ昔隣の地区に住んでたこの辺は部落パワーで意味のない橋がめちゃいっぱい掛かってたり意味のない護岸工事してたり明らかに隣の地区との整備の金のかけ方が違うんだよ松原市でもこの辺の地区はマジで特別待遇だった
『屠殺業』と同和利権とは、切っても切り離せない結びつきですからね…
色々な思いが深過ぎる…
羽田空港に向かう高速でトラックから牛や豚が顔を出して運搬されているのを良く見かけたが、いつの頃からか見なくなった。見えないように運ばれているのだろうか。
品川駅の裏に日本最大の芝浦屠場がありますので今も運ばれてますよ。
これが正真正銘の「真実」。良い悪いの問題ではない。
路地裏さんの動画で、こちらの歴史からの説明が大変分かり易かった為、過去動画ですが再度となり、松原市について調べ直してみました。松原市には『解放同盟松原支部』がありました。やはりこちらの出自の上原善広氏の書籍で描かれていた屠殺産業は、同和利権を利用して優遇措置を受けながら活動をされていたのですね。こちらの松原市に限らずですが…屠殺産業の運営は解放同盟達との関わり合いの結び付きが強い地域が多いという事を、結果調べれば納得が出来ました。やはり色々な意味で、とても歴史的目線から学びが大きく、後々に残して頂きたい大変貴重な作品動画ですね。
あたりまえのように食べているお肉。改めて動物達の命にきちんと感謝しないといけないなって思いました。そして生きている命をお肉にしてくれる方々みんなに感謝しないといけない。いつか娘にもわかりやすくおしえてあげたい。
苦しまないように一発で仕留める技術レザーフェイスの爺様のくだりを思い出したよ
こういう町って路地が多いイメージ。おそらく都市計画から取り残されて、開発されなかった名残と思われる。道路が悪いから開発も進まずに地価も上がらない。悲しいかな貧困が連鎖している。
とっても詳しくてわかりやすかったです!
嬉しいコメントを頂きありがとうございます。またご視聴頂けるよう歴史ある街の探訪を続けて参ります。
@@路地裏さんぽ 返信ありがとうございます☺️私は大阪の矢田が最寄りの大学に行ってるので松原とか羽曳野も近いから何となく興味あったのでいい機会だったと思います☺️矢田とかもまたまとめて欲しいです🙇
現在は松原市の小中学校に対しての給食センターがあったり大きい噴水がある公園があったりその隣にあるグラウンドでソフトボールの試合があったり、有名人も訪れる美味しいと噂される肉屋さんがあったりいい意味でも悪い意味でも当時の事が忘れられている。いいことでもあるが悪いことでもある。松原に住んでいて思うが私は逆に忘れられてもいいと思っている。今現在当時の差別意識を持っているのは差別意識が当たり前の時に大人として生きていた現代のジジババだけ。今の子供世代、親世代は特に何も思っていないと思う。だから忘れられてもいいと思う
氷屋、昔は金持ちだったわ!花屋、靴屋、カバン屋でも、私達に必要な物ですね‼️
以前、デッカイコンパネの台の上に牛の頭が山に積まれていて、おばちゃんたちがナイフで肉を切り取っているのを見たことが有ります、特別なにも思いませんでした、勿体ないから全部取るんだな~と思って暫く見ていました、おばちゃん達は話をしながら手早く作業を続けていました、暫く見て礼を言って帰った記憶が有ります、世間で言われているような暗いイメージも無くてむしろ明るく世間話をしながら作業をしていました、自分も珍しさも有って話をした記憶が有ります!
貴重な思い出のコメントをありがとうございます。屠畜の現場の様子が目に浮かびました。
上原善広さんの地元ですね!
そんな歴史があったとは
解体業者達は差別を受けていた時代。牛などの処分をさせられた人達が、牛の肉等の美味しさを知っていた等、差別する側の歪んだ認識。こういう人達がいたおかげで、表面の肉を堪能している。
因みにですが…明治維新以降は、水平社設立後に解放同盟が加わり屠殺産業を営む方達にも優遇措置法が与えられ、利権として税金免除等の様々な利権を入手されたので、ここ松原市南新町三丁目の旧更池地区でも、元々田畑だった土地の半分を屠殺業場にして、当時は地域の八割方の若い男性達が利権も獲得されていた事が記帳にも記されていました。
どうしてもこっちゃ方面の部落 食肉産業っちゅうたら隣の街の特定の会社とある人物がオーバーラップするわ
よそ者からすれば、全く分からないですね。違う土地ですが、子供の頃にバスで通った印象が強すぎて。一目で分かるぐらい家屋・道路が違いました。(今では考えられないですが、その頃は公立の先生が赴任・転勤を断るぐらいな異常事態でした。)日本の古代には犬養部、馬養部など戦争・狩猟用の動物を担当する私有民(=部民)がおったし、馬具・武具などに皮製品が一般的に使われてた。動物・毛皮・革靴・鞄・食肉などを扱う職業が『不浄』と社会的に刷り込まれるようになったのは、鎌倉時代以降で、仏教が庶民に広く普及した影響が大きいのかなと想像します。革製品を使い、牛肉・豚肉・鶏肉・猪肉・馬肉などを食べて、でもそれを扱う職業を穢れてる位置づけるのは、さすがに論理的に無理がありますね。数百年以上(もしくは千年以上)も続く組織的・社会的な差別の理由は違うところに由来してる可能性があるのかなと思います。もしかして東国から移住させられた俘囚(≒新しく帰化した蝦夷)だったり、土蜘蛛や熊襲と呼ばれた(ヤマト朝廷に従わない)人々であったり、或いは古代の朝鮮半島からの帰化人だったり、服・海・渡など特定の職業を担う「部民」だったり・・・その末裔が社会全体から異端視されてたのかなとも想像してしまいます。実はDNA調査すればすぐ分かるんですけどね。もしかして縄文比率の高い先住民が弥生系に差別されてたとか・・・
大和川の川の色は赤とよく言われてた。とあるとき畜産の本を読んで、私はそれ以来、馬と牛と豚を受け付けなくなった。
大和川ってか、支流の東除川は本当に真っ赤っ赤!な時間帯がありました~。もう40年前の話ですが。すっごい鉄のニオイが充満してました。子供の時だったので、それにたまたま遭遇すると『見るー!』としばらく橋の上から赤い川を眺めてたなぁ^^;
上原善広氏の故郷ですね。
私は、部落の生まれですが示現舎の部落探訪とは全く違いますね。驚きはコメント欄が荒れてないところです。人権啓発センターを名乗っている示現舎とは、対局ですね。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。示現舎様の部落探訪は大変興味深く拝見しております。当チャンネルは「街歩き」を主眼においた動画制作をしております。またご視聴頂けるよう歴史ある街の探訪を続けて参ります。
@@路地裏さんぽ 示現舎は、裁判おこされていると思いますよ。なかなか、したたかな奴らなので。
松原市、羽曳野市には、さいぼしを売ってる店が有りますね。布忍や天美の方に時々行きますが、肉屋さんがあるだけで、跡地があるんですね知りませんでした(肉の処理場があったのは聞いてました)臭いはどうだったのでしょうか?やっぱりあったのでしょうね?!大阪湾あたりに理場有りますが、風向きで臭いがしてきます。いろんな土地の歴史が知れて嬉しいです^^これからも楽しみにしています♪
今は畜産のにおいより、化学工場のにおいが強烈ですよ。規制や反対運動などあったみたいですけど今でも強烈なにおいがして、カラスがやたらいます。洗濯物とか外に干せないレベル。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。週末の探訪で工場が稼働していないことと、コロナ禍につきマスクをしていたためか全く匂いは気にならなかったです。またご視聴頂けるよう歴史ある街の探訪を続けて参ります。
@@mr.mercury. 堺市北区の一部の地域にまで悪臭が広がっているみたいですね。
更池のサイボシ屋さんは無くなりました 矢田のサイボシ屋さんはあります北大谷のならびにチェリースモーク
昔は夕方臭いましたが今は無いですね
勉強になりました^ ^
コメントを頂きありがとうございます。知らない歴史が多く私も勉強させられてばかりです笑
あの水路のあたりがそうだったのですね
動物をしろ植物にしろ命を宿してる。その命を頂いて生きてる私達。感謝を忘れないようにしたいと思います。いただきます。ご馳走様。
布忍にも流れている、西除川流域は今も昔も氾濫が危惧される土地です。結果、自然と彼等が住むことになっているんです。ちなみに、新大和川が出来て、西除川は分断されました。大阪市内側(矢田方面)は埋め立てられましたが、土地としては悪く、同様に彼らが住むようになりました。昭和50年頃に地名変更する前までは、「富田」=「新田」って如何にも!って土地名が付いてました。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。川沿いや処刑場、墓地跡など悪条件で住みづらい地区に追いやられた結果、集落が築かれるケースは多いですね
命をいただく・・・いただきます・・・ごちそうさま と手を合わせましょう
ここを特集するなら、南新町にある竹田化成株式会社の工場にも行ってほしかったですね。悪臭で有名な工場です。
ご視聴頂きありがとうございます。探訪した際は週末で稼働していないのか(マスクのおかげか)臭いは気になりませんでした。食肉加工は欠かせない仕事であり難しい問題ですね。
竹田化成は部落のなにそれとは全く関係のないただただ悪臭を放つ工場です。はよ潰したらええねん。
お隣の堺市北区の一部の地域にも悪臭が広がっているようです。
@@松本隆史-q3i いまでも、臭いですよ🤭
何なんですかね…部落って誰も近づけないオーラがありますよね…
毎日通ってますがなにもないですよ
ご本人は良いお人でも、深い付き合いをしてしまうとその方達の親戚の集団結束が、実際に怖いんですよね。
食肉処理業者の敷地には決まって牛塚がありますなんと鰻塚も見たことがあります大昔からモノと命との間に線引きがされてきた国塚は神社の扱いでしょうか鶏豚の塚もありますか?
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。牛塚は探訪の際に見落としておりました…ご紹介できず申し訳ございません。鰻塚というのもあるのですね。大変興味深いです。
昔は(羽曳野市)(松原市)と堺市の(協和町)が(食用牛肉産業)が盛んでした!
コメントを頂きありがとうございます。羽曳野市は後日、動画にて紹介させていただく予定です。宜しければまたご視聴頂きますと幸いです。協和町の歴史も興味深いですね。
いつも何気なく肉を食べていますが、命を頂いている事を改めて思わされました。そして育てている方・解体している方々のおかげで毎日健康で生きている…。ありがとうございます。
なんとなく見始めたこの動画に、命を見た。今も牛肉を食べている自分が忘れていたこと、無意識になってしまっていたこと。命を頂いていることに、感謝しなければならないこと。日本人が「いただきます」と手を合わせる根源は、ここにあるのではないだろうか。そういう思いで手を合わせ自分の生にかわる命に感謝しようと思う。この動画に出会えて良かった。ありがとう。
何気なく使っている言葉…「いただきます」とっても、深い意味のある言葉だと思います。それと、「お陰さまで」わたし達は、命の大切さに感謝を忘れてはいけない気がします。
うちの近くにも元屠○場があり、今は綺麗な住宅地に整備されています。
元々住んでいた人達は「誰が住むのだろう」とひそひそ噂していましたが、全ての区画が売れ、新しい人達が何事もなく暮らしています。
人間は他の動物の命をいただき、逞しく生きていくものなんだな、と思わされます。
こう言った職業が特定の人々と結びつかないような、意義のある仕事なのだともっと認識されるといいですね。
知人が鶏の屠殺場の見学に行った話をしてくれたことがあります
「食」への考え方がひっくり返ったと
残さず感謝していただく
貴重な動画をありがとうございます
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。屠殺場の見学は大変勉強になりそうですね。食への考え方を学ぶために私も行ってみたいです。
被差別部落の本質は、在日朝鮮人です。過去に労働力のために来た朝鮮人が住んでいて、現代でも在日やら帰化人となっています。
昔、西成のHOME'Sの出来るずっと前にその近辺らへんの場所に屠殺場が有り、犬の散歩をさせていた時に、🐂が逃げて来て、男の人2、3人が後を追い掛けて来たのを見た事が有ります。少し離れていましたが、とても怖かったですが、その時の🐂の鳴き声が、今でも忘れられません。
自分的に路地裏さんぽさんシリーズ最高傑作です。いつも人の営みの爪痕が残った路地裏をいく動画に魂を奪われます…
大変嬉しいコメントを頂きありがとうございます。今後も全国各地にある「人の営みの爪痕」を探して参ります。
更新お疲れさまでございます。
敷地の広さを見るに南大阪の市場はかなりの規模だったようですね、67億の負債も相当なものでしょうか……
食肉の処理という誰もが出来るわけでもなく、肉体的にも精神的にも過酷な仕事に従事されている方々と牛さん豚さん鶏さん達のお陰で自分達は生きていけるのだと改めて感じました。
人が生きていく上で絶対に避けて通れないことです、とてもいいものを見せていただきありがとうございました。
コメントを頂きありがとうございます。当たり前のように食卓へ並ぶ肉のありがたさ、ご視聴頂いた方々のコメントと旧更池村の探訪でどこか忘れてしまっていた感謝を恥ずかしながら思い出しました。
生命を頂く…いただきます🙏必ず言わねば と思いなおす動画でした。
お疲れ様でした。
ありがとうございました✨
動物福祉の活動をしている者です。私のような立場の人間からは更池のかつての営みは表面だけ見ると「何という酷いことを」なのですが、歴史的な背景を知った上でこの動画を見ると自分の考えが単純で幼稚なことが分かりました。「屠畜することイコール生きること」であり、この仕事に従事する人たちのおかげで美味しいお肉をいただけるです。屠畜に携わる人たちと動物たちに感謝の気持ちを捧げたいです。上原さんの本は読んだことがあり、実際の映像は興味深かったです。
自分はこの地区の隣の小学校出身ですが、中学にあがってから学校でここの歴史を学びました。
「儂らは人間、儂らこそ人間」と歌ったのを今でも忘れません。
コメントを頂きありがとうございます。地縁のある方にご視聴頂き大変嬉しいです。「儂らは人間、儂らこそ人間」いまもこの地区の学生は歌っているのでしょうか。
頭では理解していても、心が悲鳴を上げそうになる。差し出される(奪い取られる)命、それに携わる人々。私はもっと、敬意を払わねばならない。目を逸らしてはならない。
👏👏👏😭☺️👍🙇♂
ぬのせ懐かしいです。近鉄南大阪線☺
お肉卸は大阪は南港辺りからの仕入れ
も結構あるようですね。
動物に感謝致します。全国の業者の皆様本当にありがとうございます。お陰様で美味しくいただく事ができている事忘れないようにします。
コメントを頂きありがとうございます。南港には中央卸売市場がありますね。日々、当たり前のように食卓へ並ぶ肉のありがたさ、心の奥で忘れずにいたいですね。
大阪出身ですが、松原市にこんな地区があったなんて、全く知らないで育ちました。
松原市は行った事もなかったので、イメージとはかけ離れてました。
とてもタメになりました。
アップありがとうございます。
コメントを頂きありがとうございます。松原市は同じ大阪でも地縁がなければなかなか行く機会も少なそうですね。またご視聴頂けるよう歴史ある街の探訪を続けて参ります。
『日本の路地を旅する』からの引用、ちょうど読んだことのある本だったので、映像付きで紹介されるとイメージがより湧き上がってワクワクしました。編集も映像も、資料映像として使えそうなクオリティですね
今回の動画は従事した人達より、自分たちが幾つもの命を頂き生きてるんだな、って肉食べてるときに、牛や豚達が殺されるって思ったことが、可哀想。
これからは命を頂いて自分は生きてるんだ、とより肝に銘じたいと思う動画でした。
コメントを頂きありがとうございます。私も旧更池村を探訪させて頂き改めて考えさせられました。
私は割とYou Tubeで国内外問わず、屠殺動画を見たりする人間でして、解体していく技術は目を見張るものがあります。
差別どころか、と畜場の職員さん達には尊敬の念しかありません。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。屠殺の技術は本当に凄まじいですね。動画はもちろん、食肉センターで直接見学できるところもあるようで勉強になりそうですね。
今では『恋みくじ』で有名な布忍神社の横を流れる西除川(動画最後で左に映ってた川…布忍神社は川下)の川上(南側)に有りますね…。
因みに私は、その布忍神社の前に家が有り、28歳まで住んでました。
小学生の時は、学校の斜め向かいに有った「骨粉工場」の匂いが凄かったのを覚えてます。
そして、屠畜場が無くなるまでは、毎日牛や豚が載せられたトラックが、1日に何台も屠畜場に向かうのを見てました。
別の話しになりますが、小・中学校の先生は、更池から来てる生徒には、腫れ物を触るかのような扱いをしてましたね。(更池からの生徒は善、それ以外の地区からの生徒な悪…みたいな感じ……。)
それから、その地域に住んでるだけで、税金(府市民税)がかなり割引されてるのも有名な話しです。
なんせ、更池村(地区)の結束が強く、村の住人を市会議員・市職員も「触らぬ神に祟りなし…」的に扱ってます。
私は中学生の時に屠殺場関係ではない部落内の子から、集団で仲間外れにされてました。
部落の人達が大勢集まった中学校で、本当に最悪な日々を過ごしました。
育った環境って、人間形成に於いて本当に大事ですね。
当時は毎日◯ぬ事しか考えてませんでしたが、あの時自◯しなくて良かったです。
トラウマが強過ぎて、部落の人達の良い所を1つも知らないまま生きてきたので、今でも部落の人達は大嫌いです。
県外の人間にはわかりづらいんだけど、向野と更池は常に一緒に語られてるけど、実際には、両者は別の街だよね?
ありがとうございます。繰り返し観てしまいました。
多くの方に観てもらいたい動画です。
嬉しいコメントを頂きありがとうございます。多くの方にご視聴頂けるよう、今後も様々な視点から街の歴史を紹介して参ります。
大阪在住ではないので、松原市にこういった大きな屠殺場があるのを知りませんでした。
大変勉強になります。
ありがとうございます!
自分はこの松原で生まれ育ちそして
更池っていう町を今でも誇りに思い
中学3中で学んだ事はけして今も忘れる事なく日々の生活を送らせて頂いてます。
コメントを頂きありがとうございます。地縁のある方にご視聴頂き大変嬉しいです。今後も更池の歴史を忘れることなく大切にしたいですね
@@mi-il8eoどういう意味?
どんなことにも言えますが、今はタブーとされて一部の人しか知らないことがあっても、私はやっぱり真実を知っておきたいです。私の住んでいた隣の地区に食肉センターがあったので、私は食肉と今も関係の深い地域で暮らしています。食肉センターの知り合いも居ます。サイボシは和牛くらい値段高いけど、美味しいです!
久々、深く考えらされる動画でした。
コメントを頂きありがとうございます。食肉と関係性の深い方にご視聴頂き大変嬉しいです。サイボシを更池で購入して食べましたがとても美味しかったです。あんなにも旨味のある脂が出るとは驚きました。
大切な命をいただいているんですね。感謝して頂きます‼️
お肉は畑で作れない。感謝出来ない人は、牛も豚も鳥も食べたらあかんんと思います。
ほんとそう。
ありがとうございました❕食のありがたさ!⤴️再認識してます‼️👂️💦貴重な動画感謝です!✌️🆗⤴️
中学を卒業するまで実家でこの仕事を手伝って、後にブリーダーになった後輩がおったな。
今度は動物を育てる仕事がしたいと言っていた。
ハンマーで動物の頭をかち割り一気に気絶させる方が後で苦しまないと、優しい顔で言ってた
この隣町で生まれ育ちました。皮を剥がれ頭と手足が無い大きな牛が鎖で吊るされていたり、大きな鉄の箱の中から頭や手足が飛び出ていたり、臭いもすごく、小学生ながら何かを感じそれをじっと見ていた記憶があります。
世界中の人々が食肉を食べます。それは他の方々が書いている通り、大切な命を頂いて今の私達がある事を忘れてはなりません。感謝の念を持って。
命を頂く精肉の営みについては、『ある精肉店のはなし』(大阪の貝塚市が舞台ですね)を観たり、岐阜県養老の精肉産業のことにふと興味をもって、なにがしか観たり読んだりしたものですが、何時も自分の心の中に「片付かない」何かが残ってしまいます。この旧更池村は、知らずにいた場所だったのですが、動画の探訪の歩みも、上原善広氏の『日本の路地を旅する』からの引用も、やがて流れる『黄昏の影絵』も、そんな「片付かない」何かの上に雪のように降り積もって行く、そんな気持ちで拝見致しました。色んなことから目を逸らし続けるのではなく、時には見詰めて考え、生かされる有難さも考えたい、と思わされる一編でした。感謝。
ご視聴&嬉しいコメントを頂きありがとうございます。『ある精肉店のはなし』は勉強になる映画ですね。私も旧更池村の探訪を通じて考えさせられることがありました。今後も全国各地にある食肉産業を礎とする町の探訪を続けて参ります。
中学校の校区に更池があり同和教育が熱心な学校🏫でした。屠殺場の見学に社会見学で行ってアタシはそれがトラウマになり牛肉が食べる事が今でもできません‼️
この地区の小中学校出身です。
小学校の社会科見学が屠殺場でした。
今思うとなかなかパンチのきいた小学校でした。
部落が始まったのが戦国時代だと言われている😅大名同士が戦をして負けた大名の領民と勝った大名の領民と住む場所を分けたのが始まりらしい😅負けた大名の領民は奴隷として扱われていた😅
松原、羽曳野。今の住所のすぐそばになります。
牛にハンマーを下ろす前に、嫌々をする牛をなだめるシーンが、心が痛みます。
簡単に割りきって考えていいものだろうか?
自分はベジタリアンの人を、考えすぎと思ってきたが、はたして、牛の悲鳴を間近に聞き、屠殺の瞬間を目撃して、同じことが言えるか?と言うと自信がありません。
ハンマーって いつの時代やねん?
私も全くコメ主様と同じ気持ちで、同じ意見です。
世の中ベジタリアンの人が居ても良いし、お肉を感謝しながら美味しく頂いても良いし、色々な意見があっても良いかと思っています。
ですが私は大の動物好きなので、やはりコメ主様と同様に色々と複雑な気持ちになってしまいます。
地元の事ですがかつて中心部に向かう国道沿いに屠畜場があって、バスでそこを通るとやはり金属音と絶叫が聞こえました。正直夏場などは独特の臭いもしてたので、命を頂くという事を子供時代から理解してたように思います。
コメントを頂きありがとうございます。地縁のある方にご視聴頂き大変嬉しいです。金属音と絶叫、上原善広氏の著書に書かれたエピソードそのままの思い出ですね。
父親が若い頃…40数年前に仕事で知人と大阪に仕事に行く途中…知人の嫁さんが松原町の肉屋さんだったんで一晩泊めてくれたそうで…最高級の肉を食べさせてもらったと言ってました。お風呂は近くの銭湯に行ったら沢山の松原町の方が銭湯に沢山来てほとんどの方が刺青が入っていてビックリしたそうデス。
コメントを頂きありがとうございます。来客で出されたおもてなしの最高級の肉の思い出話は素敵です。最近はどこも厳しくなってきましたが、大阪の銭湯は刺青の方も問題なく入浴できるところが多いですね
更池で食肉処理に従事されておられた方のお仕事は、身体にはきついお仕事だったと思います。
私達はス−パ-に並ぶお肉を買って来て、すき焼き、焼肉と食べていますが。
頂きますとご飯を食べる時、牛さんや豚さん鶏さんに感謝にして。
捌いて下さる食肉センターの人にも感謝して。
この気持ちを忘れてはならないと教えて頂きました。
ありがとうございました。
牛さん豚さん鶏さんすべての命を我々は頂いております!
人がやらない仕事をやられてきた事を尊敬します
でもやはり動物好きなものからしたら可哀想しかないです!
もちろん肉は食しますが
可哀想です、とにかく感謝
しかないです。
牛は人間に何をされるか分からなくてとても怖くて悲鳴をあげていたんでしょうね。自分たちは普段何も考えずに肉を食べていますが、その裏では自分たちの食卓を支えている人がいるということを忘れてはいけないと思いました。何より命を頂いていることに感謝をしなければなりませんね。日本は奈良時代に仏教の影響で肉食が禁止されました。それでも今まで通りの生活を続ける人もいた。日本人の生活スタイルの変化が差別を生んだと聞いたことがあります。
更池の近くのピザ屋で大学の時バイトしてました。地方から出で来た、自分は理解出来無かったですが、野良犬が出るから、石持っていけと言われてバイクに石を積んでいきました!
どういうことでしょうか。
教えて頂きたいです。
お疲れ様です。
辛いですね、この仕事に従事した方がいたから肉を食べることができたのに。
自分が使うなら、自分が食べるなら、全部自分でやれよと思ってしまいます。
好きで命を奪っていたのでは無く、それしか仕事が無かったのだと思います。
人間に限らず、生きる為に食べなければならない、植物でさえ命は有る。
その命を、他人の為に、しかも下世話な者と言われてもやらなきゃ食べていけない。
普通の部落ですか、それと違う気がします。
汚れ地となってしまったと思いますが、いただいた命、改めて感謝しないとならないのと
そんな仕事に従事された方々に、頭が下がります。
また違う意味での地域、知ることができて感謝します。
そして、今現在、そんなことも考えず、美味い、美味いと食べている、自分が恥ずかしく
なってきました。
その時代に産まれていなかったにしても、その歴史を忘れてはいけないと思う次第です。
本当に、ありがとうございました😭
コメントを頂きありがとうございます。ご視聴頂いた皆様からのコメントでも「いただきます」の言葉を改めて考えさせられました。食を支える従事者の方々の歴史と動植物の命、あたりまえの日々だからこそ心の奥で忘れずにいたいですね。
ほんとに、感慨深いですね❗差別だといいながら、肉を食べている私達テレビでもやっているよ⁉️誰かが、それをやらねばならぬ‼️複雑ですよ❗
路地の子、読みました。
衝撃的だし、悲しかったです
映像でも、どこか悲しげで…
暗い感じの路地ですね
コメントを頂きありがとうございます。『路地の子』は名著ですね。どこか寂しげな街の様子をお届けできたようでしたら何よりです。
食肉産業の衰退は、同和利権にずっぽりと足を踏み入れてしまった同和地区の支部長の責任です。
色々と考えさせられました。有難う御座います
大阪生まれの大阪育ちだけど知らない土地、歴史いっぱいありますね。勉強になりました。
ホントに勉強させられました!命を頂く!頂きます!という事を!
あの食肉卸業の帝王・ハンナングループが繁栄した理由が、何となく同和利権を原点としてわかる・・・
私も色々な書物を読んで私なりに探りましたが、屠殺産業は残念ながら
『同和利権』『同和優遇措置法』に基付き、細かい所で言えば税金や所得税の免除等…数々の事実を知ると、皆様が仰るような綺麗事だけではなく裏の世界では当時から色々な闇の世界も働いていたのだと…。
そうでなければ、この職業がこれほどに繁栄はしないでしょうね。
為野氏=引導を渡す=高尚な僧侶
できるだけ苦しませないように、の慈悲こそが罪深い人間に出来る最後の良心
こういう動画を見ると、牛や、豚を食べたくなくなる😢
生きるために必要な事とはいえ、やはり、胸が苦しくなる。
命を頂くからいただきます
の深い意味を伝える動画ですね
コメントを頂きありがとうございます。普段の何気ない「いただきます」の言葉、恥ずかしながらいつの間にか言わなくなっていた自分がいました。大切にしたい言葉ですね
素晴らしい風景を見せていただきありがとうございます。関西の胃袋を支え続けた歴史の今の姿は胸に迫るものがあります。
地方での屠殺がメインになったのは機械化が進み昔ほど技術を必要としなくなった事もあるのかもしれませんね。
路地裏さんぽ様へ
こんばんは、お世話になります。
この動画をねこらいだー様、旨塩きゅうり様、歩行型ドローン様に見せたいですねw
この土地の事も初めて知りました。屠殺してくれる人達が沢山いてくれるから、私達は美味しい肉を手軽に食べられる。肉を捌くだけでなく、先ずは殺してくれる。私には出来ない業を淡々と背負ってくれる。ありがたい様なそういう業を押し付けて申し訳ないような…
そして、少しづつ寂れてゆく。そんな町に夕闇が迫る(朝日が昇る?)のが物悲しいですね。
確か、昔はここの屠場は、見学を受け入れていましたね⁉️
今日、私達が当たり前のように牛肉や豚肉、鶏肉を食べられるのは、この方たちがいてこそです。
生き物を殺して食肉にする。
それだけでも苦しいし精神的にも肉体的にも過酷だろうに、敢えて屠殺を生業とする。
この方たちがいなかったら肉は食べられなかっただろう。
感謝や畏敬の念を持ちこそすれ、
差別するなどおかしいことである。
🇦🇺で友人が働いてました。
輸出先の宗教事情に配慮した対応します。
命を頂く時も、遠慮する時も知っておきたいです。
この動画に出てくるさいぼしの店も去年で閉業してましたね。近年は流通状況が変わったのか馬肉の入荷が難しく、牛肉で代用してなんとか続けてたようですが。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。お店は閉業してしまったのですね。脂の旨味が溢れるさいぼしを購入させて頂いたお店です。誠に残念です。
我が地元北海道日高管内某町にも豚の屠畜施設がございますが、某大手食肉メーカーの関連会社が運営していて、動物に負担を掛けない、衛生体制を徹底するなど近代的なスタイルで運営されているようです。
北海道安平町早来にはホクレン系の北海道畜産公社と言う屠畜施設があって、こちらは家畜全般の屠畜がメインとなっているようです。
食肉産業の従事者、西欧は東欧などからの、北米は中南米からの移住者が多いと聞きます。
勉強になります。
ヴィゾンニシモト!
そうかそういうことだったのかと、感動してしまいました。
関東ですが、仕事で豚の屠殺場に行きました。みなさん手際がいい事いい事・・・
帰りにモツを貰って帰りましたが、煮たら家中に屠殺場の臭いが充満しました。
昔、犬の肉をよくご馳走になりました。ありがとうございました
更池の屠場が閉鎖してたのは驚きました。
こういう方達がいて私達は肉を食する事が出来る!
スーパーで並んでいるのが肉ではないのです!
でも当たり前過ぎて忘れてしまう…
命を頂く🙏
部落を路地と呼んだのは中上健次が嚆矢ですね。「日本の路地を旅する」も「路地の子」も読みました。後者は著者の父親をモデルに描かれていますね。古い作品ですが鎌田慧著「ドキュメント屠場」もお薦めです。
コメントを頂きありがとうございます。「路地」という言葉はどこか魅力的でもありながら、日陰を思わせる切なさが残りますね。鎌田慧著「ドキュメント屠場」は興味深いです。早速、読んでみますね。
私も子供の頃大阪市から松原市に引っ越して、今も実家は松原やけど、うちの父親は今も頑なに本籍地を松原市に変えへんまま40年近くになります。もう今どきそんなん
人間(あるいは全ての動物・植物を含む)は必ず何かの「命」を奪って(これは今流行りの「ヴィーガン」も同じ)自身の命を繋げているんですよね。それに対して「差別」(「区別」とも言う)をするのは私自身としては絶対に許せません。
その意味で言えば農業でも同じだと思います。
願わくはこの差別(区別)が永遠に無くなりますように…
更池という地名はもともと皿池と書いて、血の池が変化していったものだと何かで読んだ記憶がある。
動物の血で真っ赤に染まった池が地区内にあったのだろか?
現在此の地区は松原市東新町と呼ばれてますね。中岡モータースの看板が目印に成ります😂
うちの猫は豚に似ていて、猫を飼い始めてからいたたまれなくなって肉食をやめたことがあった。
どうしてもパック詰めされた肉から屠殺される動物の姿が想像されて、うちの猫と重なってしまうから。
でも味の素やらしいたけ昆布やらで旨味足しても、肉のない食事は味気がない。食事というか栄養補給という感じ。
それからはそこそこ肉食べるようになったけど、食べるからには入念に準備して、めちゃくちゃ美味しく作るようにしてる。
食肉市場跡地の近くにある池で何度か釣りをしたことがあります。夜明け前になると動物の低い鳴き声が聞こえてきて、今殺されてるのかなと考えたことがあったのを思い出しました。
今はもうなくなってしまったのですね。
松原出身の他県在住者です。
こっちにも小規模ですが屠〇場がありました。
正午になると『パーン!』としてたそうです。
牛も豚も鶏も命有るもの
だから、有りがたく頂く
理屈はわかってるけど
割りきれないとこあるのも事実です。
おっしゃる 割り切れなさとは 食べない という選択肢を無思考に封殺していることだと私は自身の同じ思いから気づきました
私も同じ気持ちです。
理屈は分かってはいるけれど、自分も含めて人間としての苦しみが込み上げてきちゃいます。
動物が異常に小さい頃から大好きで、動物さんいっぱいと生活をしてきたから私には正直抵抗が…。
命について考えさせられる
テロップもわかりやすく静かなしんみりしたbgmも内容にあっていて良き🥲
よかったら何という曲名が教えて下さい
コメントを頂きありがとうございます。BGMは秋山裕和『黄昏の影絵』です。どこか切ない曲ですね
懐かしいわ昔隣の地区に住んでた
この辺は部落パワーで意味のない橋がめちゃいっぱい掛かってたり意味のない護岸工事してたり
明らかに隣の地区との整備の金のかけ方が違うんだよ
松原市でもこの辺の地区はマジで特別待遇だった
『屠殺業』と同和利権とは、切っても切り離せない結びつきですからね…
色々な思いが深過ぎる…
羽田空港に向かう高速でトラックから牛や豚が顔を出して運搬されているのを良く見かけたが、いつの頃からか見なくなった。見えないように運ばれているのだろうか。
品川駅の裏に日本最大の芝浦屠場がありますので今も運ばれてますよ。
これが正真正銘の「真実」。良い悪いの問題ではない。
路地裏さんの動画で、こちらの歴史からの説明が大変分かり易かった為、過去動画ですが再度となり、松原市について調べ直してみました。
松原市には『解放同盟松原支部』がありました。
やはりこちらの出自の上原善広氏の書籍で描かれていた屠殺産業は、同和利権を利用して優遇措置を受けながら活動をされていたのですね。
こちらの松原市に限らずですが…屠殺産業の運営は解放同盟達との関わり合いの結び付きが強い地域が多いという事を、結果調べれば納得が出来ました。
やはり色々な意味で、とても歴史的目線から学びが大きく、後々に残して頂きたい大変貴重な作品動画ですね。
あたりまえのように食べているお肉。
改めて動物達の命にきちんと感謝しないといけないなって思いました。
そして生きている命をお肉にしてくれる方々みんなに感謝しないといけない。
いつか娘にもわかりやすくおしえてあげたい。
苦しまないように一発で仕留める技術
レザーフェイスの爺様のくだりを思い出したよ
こういう町って路地が多いイメージ。
おそらく都市計画から取り残されて、開発されなかった名残と思われる。
道路が悪いから開発も進まずに地価も上がらない。
悲しいかな貧困が連鎖している。
とっても詳しくてわかりやすかったです!
嬉しいコメントを頂きありがとうございます。またご視聴頂けるよう歴史ある街の探訪を続けて参ります。
@@路地裏さんぽ 返信ありがとうございます☺️私は大阪の矢田が最寄りの大学に行ってるので松原とか羽曳野も近いから何となく興味あったのでいい機会だったと思います☺️矢田とかもまたまとめて欲しいです🙇
現在は松原市の小中学校に対しての給食センターがあったり大きい噴水がある公園があったりその隣にあるグラウンドでソフトボールの試合があったり、有名人も訪れる美味しいと噂される肉屋さんがあったりいい意味でも悪い意味でも当時の事が忘れられている。いいことでもあるが悪いことでもある。
松原に住んでいて思うが私は逆に忘れられてもいいと思っている。今現在当時の差別意識を持っているのは差別意識が当たり前の時に大人として生きていた現代のジジババだけ。今の子供世代、親世代は特に何も思っていないと思う。だから忘れられてもいいと思う
氷屋、昔は金持ちだったわ!花屋、靴屋、カバン屋でも、私達に必要な物ですね‼️
以前、デッカイコンパネの台の上に牛の頭が山に積まれていて、おばちゃんたちがナイフで肉を切り取っているのを見たことが有ります、特別なにも思いませんでした、勿体ないから全部取るんだな~と思って暫く見ていました、おばちゃん達は話をしながら手早く作業を続けていました、暫く見て礼を言って帰った記憶が有ります、
世間で言われているような暗いイメージも無くてむしろ明るく世間話をしながら作業をしていました、
自分も珍しさも有って話をした記憶が有ります!
貴重な思い出のコメントをありがとうございます。屠畜の現場の様子が目に浮かびました。
上原善広さんの地元ですね!
そんな歴史があったとは
解体業者達は差別を受けていた時代。牛などの処分をさせられた人達が、牛の肉等の美味しさを知っていた等、差別する側の歪んだ認識。こういう人達がいたおかげで、表面の肉を堪能している。
因みにですが…明治維新以降は、水平社設立後に解放同盟が加わり屠殺産業を営む方達にも優遇措置法が与えられ、利権として税金免除等の様々な利権を入手されたので、ここ松原市南新町三丁目の旧更池地区でも、元々田畑だった土地の半分を屠殺業場にして、当時は地域の八割方の若い男性達が利権も獲得されていた事が記帳にも記されていました。
どうしてもこっちゃ方面の
部落 食肉産業っちゅうたら
隣の街の特定の会社とある人物が
オーバーラップするわ
よそ者からすれば、全く分からないですね。違う土地ですが、子供の頃にバスで通った印象が強すぎて。一目で分かるぐらい家屋・道路が違いました。(今では考えられないですが、その頃は公立の先生が赴任・転勤を断るぐらいな異常事態でした。)
日本の古代には犬養部、馬養部など戦争・狩猟用の動物を担当する私有民(=部民)がおったし、馬具・武具などに皮製品が一般的に使われてた。動物・毛皮・革靴・鞄・食肉などを扱う職業が『不浄』と社会的に刷り込まれるようになったのは、鎌倉時代以降で、仏教が庶民に広く普及した影響が大きいのかなと想像します。革製品を使い、牛肉・豚肉・鶏肉・猪肉・馬肉などを食べて、でもそれを扱う職業を穢れてる位置づけるのは、さすがに論理的に無理がありますね。
数百年以上(もしくは千年以上)も続く組織的・社会的な差別の理由は違うところに由来してる可能性があるのかなと思います。もしかして東国から移住させられた俘囚(≒新しく帰化した蝦夷)だったり、土蜘蛛や熊襲と呼ばれた(ヤマト朝廷に従わない)人々であったり、或いは古代の朝鮮半島からの帰化人だったり、服・海・渡など特定の職業を担う「部民」だったり・・・その末裔が社会全体から異端視されてたのかなとも想像してしまいます。実はDNA調査すればすぐ分かるんですけどね。もしかして縄文比率の高い先住民が弥生系に差別されてたとか・・・
大和川の川の色は赤とよく言われてた。
とあるとき畜産の本を読んで、私はそれ以来、馬と牛と豚を受け付けなくなった。
大和川ってか、支流の東除川は本当に真っ赤っ赤!な時間帯がありました~。
もう40年前の話ですが。
すっごい鉄のニオイが充満してました。
子供の時だったので、それにたまたま遭遇すると『見るー!』としばらく橋の上から赤い川を眺めてたなぁ^^;
上原善広氏の故郷ですね。
私は、部落の生まれですが示現舎の部落探訪とは全く違いますね。驚きはコメント欄が荒れてないところです。人権啓発センターを名乗っている示現舎とは、対局ですね。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。示現舎様の部落探訪は大変興味深く拝見しております。当チャンネルは「街歩き」を主眼においた動画制作をしております。またご視聴頂けるよう歴史ある街の探訪を続けて参ります。
@@路地裏さんぽ 示現舎は、裁判おこされていると思いますよ。なかなか、したたかな奴らなので。
松原市、羽曳野市には、さいぼしを売ってる店が有りますね。布忍や天美の方に時々行きますが、肉屋さんがあるだけで、跡地があるんですね知りませんでした(肉の処理場があったのは聞いてました)臭いはどうだったのでしょうか?やっぱりあったのでしょうね?!大阪湾あたりに理場有りますが、風向きで臭いがしてきます。いろんな土地の歴史が知れて嬉しいです^^これからも楽しみにしています♪
今は畜産のにおいより、化学工場のにおいが強烈ですよ。規制や反対運動などあったみたいですけど今でも強烈なにおいがして、カラスがやたらいます。洗濯物とか外に干せないレベル。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。週末の探訪で工場が稼働していないことと、コロナ禍につきマスクをしていたためか全く匂いは気にならなかったです。またご視聴頂けるよう歴史ある街の探訪を続けて参ります。
@@mr.mercury. 堺市北区の一部の地域にまで悪臭が広がっているみたいですね。
更池のサイボシ屋さんは無くなりました 矢田のサイボシ屋さんはあります北大谷のならびにチェリースモーク
昔は夕方臭いましたが今は無いですね
勉強になりました^ ^
コメントを頂きありがとうございます。知らない歴史が多く私も勉強させられてばかりです笑
あの水路のあたりがそうだったのですね
動物をしろ植物にしろ命を宿してる。その命を頂いて生きてる私達。感謝を忘れないようにしたいと思います。
いただきます。ご馳走様。
布忍にも流れている、西除川流域は今も昔も氾濫が危惧される土地です。
結果、自然と彼等が住むことになっているんです。
ちなみに、新大和川が出来て、西除川は分断されました。
大阪市内側(矢田方面)は埋め立てられましたが、土地としては悪く、同様に
彼らが住むようになりました。昭和50年頃に地名変更する前までは、
「富田」=「新田」って如何にも!って土地名が付いてました。
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。川沿いや処刑場、墓地跡など悪条件で住みづらい地区に追いやられた結果、集落が築かれるケースは多いですね
命をいただく・・・いただきます・・・ごちそうさま と手を合わせましょう
ここを特集するなら、南新町にある竹田化成株式会社の工場にも行ってほしかったですね。悪臭で有名な工場です。
ご視聴頂きありがとうございます。探訪した際は週末で稼働していないのか(マスクのおかげか)臭いは気になりませんでした。食肉加工は欠かせない仕事であり難しい問題ですね。
竹田化成は部落のなにそれとは全く関係のないただただ悪臭を放つ工場です。はよ潰したらええねん。
お隣の堺市北区の一部の地域にも悪臭が広がっているようです。
@@松本隆史-q3i いまでも、臭いですよ🤭
何なんですかね…部落って誰も近づけないオーラがありますよね…
毎日通ってますがなにもないですよ
ご本人は良いお人でも、深い付き合いをしてしまうとその方達の親戚の集団結束が、実際に怖いんですよね。
食肉処理業者の敷地には決まって牛塚があります
なんと鰻塚も見たことがあります
大昔からモノと命との間に線引きがされてきた国
塚は神社の扱いでしょうか
鶏豚の塚もありますか?
ご視聴&コメントを頂きありがとうございます。牛塚は探訪の際に見落としておりました…ご紹介できず申し訳ございません。鰻塚というのもあるのですね。大変興味深いです。
昔は(羽曳野市)(松原市)と堺市の(協和町)が(食用牛肉産業)が盛んでした!
コメントを頂きありがとうございます。羽曳野市は後日、動画にて紹介させていただく予定です。宜しければまたご視聴頂きますと幸いです。協和町の歴史も興味深いですね。