突然決まった撤退..潰えた日産ルマン優勝の夢【解説】【日産R391】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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今回は日産が1999年のルマンに投入したLMPマシン、R391についてのエピソードを解説していきます。
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99年といえばルノー傘下直前にS15やBNR34が出て、(本当の意味で)日産が純粋にどうにか元気だった最後の頃に思えますね。
排ガス規制により2台とも2002年に生産を終えざる得ないという状況だったみたいですね
日産は「熟成不足」が多すぎるような気がしますね。。
あと、経営陣にはもっと、モータースポーツ、ル・マンがどういうものか知っていて欲しかったですね。。
日産にはトヨタに於けるオベ・アンダーソンみたいな存在がいなかったというのが一番大きかったでしょう。
当時、ル・マン富士1000kmに先駆け、富士で平日にテスト走行することが判ってたので有給取ってR391見に行きました。レースウィークじゃないのでなんの制限もなく、隣のピット内の金網越しにR391観察してました。インダクションポッドよりも、走行中にリヤウィングのマウント、エアジャッキあたりから路面に対し垂直にスポットライトが当てられており、あれはなんだろう?と気がかりでした。後日NISMO訪問時に某偉い方にあれはなんだったのか伺ったところ、「ああ、あれはリヤの車高を測っていた。」とのことでした。
3度のレースで勝利することなく退役したTS020だったが、それから19年を経て現在に至る活躍ぶりは継続は力なりと教えてくれる。マツダの優勝もそうだった。
日産に上層部からの横やりがなければ最初からR390ではなく当時では最適解だったオープンプロトを開発して優勝を狙えたのではないかと思う。
やはり現場の読みのほうが正しかった。
しかしR391でも翌年にはアウディR8がいましたからいずれ優勝は出来なかったと思います。
なにか日産には継続の意思が見えないんですよね。
R&Dで参戦するメーカーが目立ちますが、
このメーカーは終始広告宣伝費扱いなんですよね。
経営陣が広告に使えないと判断すると一から構築したマネージメントが全て水泡に帰する。
テクノロジーはヨソへ流出。
規模に差はあれどワークス参戦を継続しエンドユーザーが欲するサポートをも提供するポルシェにはスポーツカーレースでは敵わない。
あの当時の日産の経営体力がね、、、、
赤字覚悟でエントリーするホンダぐらいのやる気が無ければ経営悪化する一方でしょう。
@@user-ri3pv5vt9g 試作車の部品発注すら出来ないギリギリの状態だった
なんでR391はVRH35を捨てたんだろう?後にLMPの覇権マシンになるR8も3.6L V8ツインターボとほぼ同じ構成なのに...トラブルも出尽くして安心だろうに。
恐らくですが…
後に供給したIRL用エンジン VRH35A(日産の発表だとVRH50のディチューン版)との(何らかの理由で)共用化を図りたかった?のか…
@@telkor-tzm50r それにしたって、ルマン本戦でVRH35より遅い上にトラブルでは救われませんね...設計共用しないとIRLにすら出れないぐらい予算が切り詰められたんですかね?
コスト
@@Railton-bb う〜ん…なんか『後に見たことあるような気がする??』北米絡み案件な気がするのは気のせいですかね(笑)
日本以外のプライベーターには荷が重いんじゃないの?あのターボをロジスティクスも含めて一年回すのって、
そしてお笑いGT-Rの登場する2015年へ・・・
FFだとぉ!?
何故かGTSPORTやGT7に収録している
FFなGT-Rもどきな黒歴史
2000年の撤退はショックでしたね。それまでの半アマチュア的な温いレース感で挑むんじゃなく、限られた時間とお金を工夫してその中での全力を尽くす1999年の日産は一味ちがいましたから。追浜の中身が大森になった感じがして期待してたんですよ。
日産は国内レースでしか、実際の実績がないんだよね。
過去の日本グランプリやGTRとかの栄光を今だに語るけど、すべて国内レース。
素晴らしい実績だけど、他の国内メーカーのような海外でメジャータイトルはない。
とりあえず、過去に縛られなくならないと厳しいと思う。。
結局、日産は何がしたかったのかね…
マシン形状、カラーリングも含めてR391は腰が痺れるくらいカッコいい!と思わせてくれたマシンで、99年の東京モーターショーでも
このマシンを目当てに行ったくらい思い入れがありました。
でもその生い立ちには紆余曲折があり、ルマン本戦では惨敗してしまいました。
翌年も参戦できていたならば・・・という思いもありますが、そこは日産という会社の宿命なのか経営難に見舞われ結局参戦を見合わせてしまいました。
あと1年あったならと、R90シリーズでもあった無念をここでも再現してしまった日産はルマンの女神に嫌われているのかもしれませんね。
11:29 それから16年後にルマンに復帰するのだが、しかし……
FFのGT-Rもどきな黒歴史……
もう忘れてやれよ…
ホント…このまま00年に参戦していたら優勝の可能性もあったのに…
当時日産好きだった自分は悔しかったなぁ〜
当時を知る厚木勤務の社員の証言「試作車を作るための部品の発注すら滞り、倒産の危機を感じた」
R390カッコ良かった。
391になってオープンになってビックリした。
この時期の日産はル◦マンでは中途半端だったイメージ。
絶賛赤字だったからかな?
LMGTEの解説をしてほしいです!お願いします!
ル・マンどころか、ZやGTRさえ販売開発中止になるような経営状態だったはず。
それを覆したのが、あのゴーンと言われてるね。
本山哲選手のファンですが、99年のR391といい2012年のデルタウイングといい、コース上でのトラブルになんとか対処しようとして涙を飲む……、というレースばかりですね。あの頃の本山選手が勝てる日産ワークスマシンで走る姿を見たかった……。
同ベースエンジンを
3500から5000…
他のメーカーならジャッドやザイテックもたくさん排気量違いのバリエーション作ってましたね。ただこちららNAオンリーですが💦
予選のクラッシュ凄まじいですね😰
下手したら……。
猫つり目のローラ
発見👍
フェラーリ333SPも。
当時はこのパッケージスタイルのマシンは
苦労したようですね。
2000年代に入って
GT1に代わりLMP1
LMP2では、
今回のGフォースのようなクラージュC60
やローラ達の熟成度が
上がりエンジンメーカーもコスワースや
ジャッド、MGなど
賑やかな感じになってまいりました。
キャデラックはGフォースだったんだ👍💦
キャデラックはライリー&スコットじゃなかったかな
@@yamagisimasato9519 そうだったですか💦ありがとうございます🙇👍👍👍👍👍👌
390も前にジャガー用に開発した2種のうちジャガーにならなかった方を使ってだから新車時で数年前の設計だもんな
デルタウイングもインディで使わないヤツとか、
オープンじゃなく、クローズドで挑んでからのオープンへとかも日産の後手後手感、裏目裏目感がすごい
この頃(まで)の日産がピークだったな。
ルマンに真剣に取り組んでたし、グループCでもR92CPは最速だったなあ……
しかし、2010年代に入ると米日産の我儘のせいで、デルタウイングやFFのGT-Rもどき作った挙げ句に惨敗して即撤退して酷すぎた
2010年代でも、デルタウイングで頑張ったからまだセーフってことで...
...ところでR391といいデルタウイングといい、なんで本山さんが乗ると
①トラブルでストップ
②工具で修理を敢行
③ダメでした
の三段オチになるんだろう?本山さんから日産ファンになった人間としては、ただただ辛いんですが...
@@Railton-bb 本山選手はGT選手権でチャンピオンになったのに……酷い
あのFFのGT-Rもどきは鈴鹿1000kmを制した松田次生選手が……
あんな賞典外のクルマで走って、日産がやる事か⁉︎ファンを馬鹿にしやがって!と当時は苦々しく思ってました。大失敗でもFFGTRの方がまだチャレンジ精神があってよかったと思います。
まあグダグダで、米日産はGTRの名を汚しやがりましたが。
日産にはもう一度オールジャパンでルマンやってほしいなまずGTEでもいいから
@@シゲオカワチあと、ベンボウルビーのせいでもあるから……
空力だけがいいって訳じゃないですから……😓
FFの“GT-Rもどき”というより
”名前だけGT-R“の方が正しいと思う。
なんか本山さん不運に不運重ねてるなあ。R391とかデルタウィングとかさ
でもGT500ではチャンピオンに輝いています
R391は外観が上下に分厚く見えて、速そうに見えなかった。R390の方がまだ速そうに見えた。
結局、首切りしか能がないレバノン人のクソ野郎の犠牲になったのか
あのまま続けていたら確実に倒産して既存の部品供給もなくなっていたし、まあ首切りレバノン人の方がマシだったなと
なんで、こんな経営の危ないときに、レース活動なんてお金のたくさんかかることをしていたんですかね。日産は、なんていうのかな。会社としての方針が一貫していない。だから、こんなR390というマシンは、即限界になり、新たに作ったR391というマシンは熟成不足。結局、2000年のルマンは断念。非常におかしな組織としての日産が垣間見れたお話ですね。
2012年と15年では場違いなアメリカ人の設計者の食い物にされるという……
日産が一番情けない
だからトヨタに勝てないんだよ!(正論)
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