【ゆっくり解説】結城宗広の史実『本当にシリアルキラーのサイコパスだったのか』

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  • Опубликовано: 17 окт 2024
  • 結城宗広は南北朝時代に活躍した人物であり、漫画やアニメで有名な逃げ上手の若君で有名になりました。
    史実の結城宗広がどの様な人物だったのか解説します。
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Комментарии • 25

  • @shou-sho
    @shou-sho 2 месяца назад +19

    『太平記』では直前の巻19で北畠顕家の軍が「民家を襲い、神社仏閣を焼き~草木一本残らなかった」んですよね。
    この辺りから、後醍醐天皇方の悪逆ぶりが目立ち始めます。
    宗広の最後も南朝の凋落を示唆する物語的描写であって、歴史的事実かどうかは注意深く検討する必要があると思います。

  • @岡村浩司
    @岡村浩司 2 месяца назад +10

    諸説あれど、下總結城家は名門武家として生き残る。徳川家康の次男秀康は、豊臣秀吉の承認の下で結城家の養子となり、名跡を継ぐことになる。

  • @Lily-pe4id
    @Lily-pe4id 2 месяца назад +6

    今、逃げ若にハマってて色々資料とか動画とか見漁ってるけど、このチャンネルはまじで好き!!チャンネル登録しました!!これからも活動頑張ってください!!

  • @iolite-T
    @iolite-T Месяц назад +2

    「この国のかたち」で読みました。結城神社の結城さんですね。

  • @naoyatahara9208
    @naoyatahara9208 2 месяца назад +6

    「逃げ上手」で血や内臓ばらまくシーンはヤバかったな。

  • @三方ヶ原家康
    @三方ヶ原家康 2 месяца назад +5

    NHK大河ドラマの太平記では名和伯耆討〇の場面と、それを新田に報告する場面で新田弟の脇屋が「これで三木一草ことごとく滅びましたな。」と、千種、結城もナレ〇させていますが、こんなドラマチックな最後だったのですね。

  • @三さん-h5r
    @三さん-h5r 2 месяца назад +4

    理由もなく人を殺すな!と言う法度の禁止規定があるのだから。
    やる奴がいたことの証明でもあるよね。

  • @中村正紀-n7q
    @中村正紀-n7q 2 месяца назад +3

    ありがとうございます!

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  2 месяца назад

      投げ銭ありがとうございます!感謝です!

  • @pokipokipon
    @pokipokipon 2 месяца назад +12

    家の前を通る座頭を滅さないよう法度に記されるぐらいだから日本中そんなだったのでしょう。

    • @nekono_mimikon
      @nekono_mimikon 2 месяца назад +1

      男衾三郎絵詞のネタを間違って覚えてるのかな
      あれは当時の価値観でも鬼畜の所業とされる残酷物語で
      実際に門前を通った人に手を出せば被害者の身分など関係無く死刑か領地没収の上で流罪

  • @snack-gon
    @snack-gon 2 месяца назад +4

    UP主さん、逃げ上手の若君を見てるんですか・・・。
    意外でした。

  • @カテジナ
    @カテジナ 2 месяца назад +22

    まあ太平記は勝者側に忖度した物語、高師直もボロクソに貶されているし(笑)作者に嫌われていたから2割くらい盛られたとかじゃないのかな?

    • @コクヨかパイロットか
      @コクヨかパイロットか 2 месяца назад +7

      忖度というよりは作為的というかね。とにかくわかっててやってると思う。

    • @かんれ-c8j
      @かんれ-c8j 2 месяца назад +1

      太平記は、どちらかと言えば、南朝方に忖度してますけどね。やった事がやったことだけに、流石に庇いきれなかったとか?。

  • @Sendai_Kid
    @Sendai_Kid 2 месяца назад +4

    「馬庭の末に生首絶やすな」と言われるくらいだから多少はね

  • @西尾誠司
    @西尾誠司 2 месяца назад +6

    嫡男の親朝は後に北朝に転じている😅

  • @megmilk8114
    @megmilk8114 2 месяца назад +5

    子孫いるんだってなった…笑

  • @弓原
    @弓原 2 месяца назад +34

    当時の武士なんてどこも軒先に首を掲げるのは当たり前なんだから、結城だけ色々言われるのは完全に作者が嫌いだっただけだろう。

    • @まいたけしめじ-v7g
      @まいたけしめじ-v7g 2 месяца назад +27

      いや、当たり前じゃないよ。軒先に首を掲げるってのは最近のネットミームみたいなもん。元ネタは「男衾三郎絵詞」からで、絵詞とあるようにあくまでフィクション、敵役である男衾三郎の残虐性を強調する脚色だよ。

    • @かんれ-c8j
      @かんれ-c8j 2 месяца назад +5

      やってる事は、男衾三郎そのものなのに、シリアルキラー扱いされて草www

    • @ああ-p1l6t
      @ああ-p1l6t 2 месяца назад +2

      ​@@まいたけしめじ-v7g
      男衾三郎は敵役じゃなくて主人公ですよ。そしてモデルは実際に男衾に館を構えていた畠山重忠といわれており、武士の鑑と言われていた武士です。
      武士の鑑が
      「馬庭の末に生首絶やすな、切り懸けよ。此の門外通らん乞食・修行者めらは、益ある物ぞ、蟇目鏑にて、駆け立て追物射にせよ。
      若者共、政澄、武勇の家に生まれたれば、其の道を嗜むべし。」
      と言ってるのです
      絵巻は武辺者の残虐性を謗っているのではなく、当時の坂東武者の勇猛さや価値観を書き記しているにすぎません。
      源頼朝や後に楠木正成に坂東一の弓取りと謳われ、元寇では幕府六波羅軍6万の総大将を務めた宇都宮家と、
      大ムカデ伝説や平将門討伐の藤原秀郷という坂東の二大バーサーカー家系を掛け合わせて生まれたのが結城家です
      仏教、儒教の影響の強い太平記では結城宗広の臨終間際に僧が宗弘に、仏にすがりこれまでの殺生を悔い改めるよう説得したが、宗弘は自分は地獄に落ちてもいいから尊氏の首を墓前に並べてほしいと望み、最後まで自分を曲げず口に刀をくわえたまま亡くなりました。
      宗弘のこの死に様は、当時の武士にとっては「残虐だ」ではなく北斗の拳のラオウのように勇壮に映ったでしょう

    • @type61type74
      @type61type74 Месяц назад +1

      @@まいたけしめじ-v7g 未来の人間がアニメに出てくる「ビッグモーター」や「スルガ銀行」のぶっ飛んだエピソードを組み合わせて作った「ヤバいブラック企業」を見て、「令和の一流企業はサイコパスやクズの巣窟w」と盛り上がってる感じなんだと思う

  • @西尾誠司
    @西尾誠司 2 месяца назад +2

    結城宗広が所領を孫の顕朝に譲る云々だが顕朝は親朝の子だから会話してる相手は親朝でないとおかしい!そもそも親光は大友貞載を打ち取った際自身も落命しています。

  • @ryutamunakata901
    @ryutamunakata901 4 дня назад

    太平記の著者、結城宗広に親でも○されたんか?