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仕事できるけど私生活壊滅的とか人格アレっていう人は現代でもいるよね。
育ちのせいで武士の考えを持たず暗黙の了解も知らないから敵の予想外の策で戦果を挙げられても武士として生きていくのは難しい、てイメージ
武家「船での戦いでは漕ぎ手に攻撃するのはルールで禁止ッスよね」義経「知らんがな(漕ぎ手を攻撃」とかやらかしましたしね
@@モチネバール 同時代の記録にもなければ、軍記物の『平家物語』にも出てこない話なんですけどね漕ぎ手を攻撃する話は平家物語にあるにはあるんですが、すでに大勢が決してからで、平家方の船に乗りうつった源氏の武士たちは義経に命じられるわけでもなく斬っています源氏方の武士から反発があったとか、平家方の武士のセリフや地の文に批難めいたことも書かれていません屋島合戦で与一の弓に感嘆して舞い始めた平家の武士を、義経が与一に射殺させた件には批難めいたことが書かれるなど、倫理に反したことを行うとそういうフォローが入ったりするんですが、それがないんですよねそもそもそう言うルールあったんでしょうかね
ジャンヌ・ダルクみてぇ
皮肉なモンやなぁ
敵モ武「武士は名乗るんや!名乗ってる途中で攻撃すんなよ!すんなよ!絶対すんなよ!」義経「オッケ!ダチョウ倶楽部パターンな!」敵軍壊滅
崖降りるエピソードは部下にイケるイケるって言ってなお自分が我先に降りたらそりゃ部下も付き従うわってなる…っぱカリスマなんよなぁ…
有名な一ノ谷の逆落としのお話やね♪
@@sjdkkjdsdsfjkl-j8t半分くらい滑落してそう
ここで転落してたら別の伝説になった。
京都の治安維持を任された際、公家から文句が出なかった時点で政治感覚がないわけがない。京都から離れて武家のみで土地支配していこうと考えた頼朝の方が発想的にはぶっ飛んでるんだ。
逆に公家から大不評だった木曽義仲は公家も都の常識とか知らなかったんだろうな
義経が京を離れる時も民衆は悲しんだと言うし言われてるほど政治オンチでは無いよね
このシリーズは最高です。歴史がすごくわかりやすく学べる。キャラの絵も可愛くてグッドです。
戦に強いだけのアホの子みたいな風潮あるけど、そもそも左遷されて辺境で育ったからそういう面倒な所作や気配りに疎かっただけの、時代に適応できなかった不運の天才児って感じ
組織のなかで生きていけなかったから組織の動きがわからない。あとは源氏の軍団が動くのが組織の歯車なのが理解できてなかった。頼朝の下で組織の中での生き方を教われば義経の最期も変わってたんじゃないかな?
@@寛喜瀬川いや頼朝は組織の古参も結局粛清したからどうだろう。中華の王朝の始祖みたいよねオチまで含め
常識に捕らわれないというか常識がないというか…
得てしてそんなもんよな
これは一番星の生まれ変わりですわ。大河ドラマだと人間的に成長して魅力的になっていったけど頼朝と気持ちがすれ違いで対立していったのが悲しかった。
大河はフォントに良く出来てたね〜♪
昭和の方では国広義経の自刃を知らされた石坂頼朝は、独りになった時「九郎… 九郎…、と床(ゆか)に臥して大号泣してました。実際は挙兵するまで会ったこともない兄弟に情なんて無かったと思うけれどね。滝沢義経は個人的には同じジャニーズだけに民放の東義経がチラついてねえ。
源氏は何でか知らんけど「コイツだけは絶対に◯す!!!」って奴がチョイチョイ生まれる
自分もここ大好きだけど、もう更新ないんかな〜と半ば諦めてたけど、ゲームにかまけとったんかい。いや正直でええんやで。これからも頑張ってや。
え、めっちゃ解りやすい!!子供のころに読んだ本とは結構違う。けど繋がってるから納得できた。義経の本だから主役を悲劇のヒーローにしたんかな。
歴史上、天才と言われてるけど調べてみればなんだと思うのが大半だけどこの人は本当に天才
戦争理由を理解できないアホやで。天才じゃなくて、突撃したらなんでか勝っちゃったっていう、ジャンヌ・ダルクと一緒やろ。
確かに白兵戦には天才的だった。けれど、それだけに政治的感覚がゼロだったのが惜しい。
本当の天才。能力が一極集中でそれ以外がからっきしってとこも含めて。ひとりでも優秀なブレーンがいたら、って思うけど、それが現実よね。だからおもしろい。
時代違うけど義経に黒田官兵衛が付いていたらどうなるか?
官兵衛がいても言うこと聞かないから同じだよ景時なんて官兵衛並の有能だもん
頼朝はホリエモン義経はひろゆき後白河法皇が岡田斗司夫までわかった。
西に逃げる義経の船が難破したり最後に頼った秀衡が最悪のタイミングで病死したり、運命ってあるんかなぁって思うレベルやな面白かった
義経、運悪い運の悪さが悲劇の武士になったのかな?頼朝が、泰衡に義経を殺させたのは京都で襲撃した時に暗殺部隊が返り討ちにあって自分の部下の損失を抑えたかったから?
戦争の才能だけは群を抜いてたからまともにやり合うと被害甚大になったろうし、その才能を秀衡に気に入られてたから息子達に嫉妬と警戒をされてたのが運の尽きやな
常盤御前との別れや不遇な幼少期を考えると多動だったり、空気読めない君になるのも無理も無いかも。でも多動🟰行動力でもあるから戦果を上げたのでしょう。どこか抜けてるところや突飛な面もあるから長年に亘って人々を判官贔屓にさせる魅力があるのだと思います。
と言うか義経って頼朝からしたらめっちゃ縁を感じないほぼ他人だしなぁ
そっかー、東国武士から嫌われていたのはイメージとちがっていたな
義経が悪いと言うより本当後白河が悪いんだよね踊らされた結果頼朝と義経は争うことになってるし義仲も死んでるしな
弁慶がめっちゃ漕いだ説を推す
想像出来てワロタww
「馬二頭落としたら一頭は降りれたから平気」って、自分たちが降りる時には完全武装の武者が背に乗ってるってことを無視してませんか....?
それ思った
畠山重忠「馬を背負って降りれば問題ない。」源頼朝「いやその理屈は可笑しい」
地元民ですが。その辺りの描写は、「平家物語にはこう書かれている」という程度の認識で十分だと思います。地元民からすると、あの一帯の崖は馬どころか、ロッククライミングの選手でも通行できない様な崖です。また、風化した花崗岩が多く、常に落石の危険もあるので、「崖を馬で駆け降りた」というのは、歴史的事実とはとても思えません。ただ、戦況を見る限り、義経が平家の防御ラインの内側に侵入して、平家がパニックになったのは事実なのでしょう。地元民しか知らない様な峠道を通って、防衛ラインを迂回できたというのが、実際の所ではないかと思います。
義経「鎧が重りになるから、むしろ安定感が増すだろ!」
@@たくま-l9cダウンフォースですねw
まあ、鞍馬山出奔〜奥州での時間が結構長かったから”当時の常識”が形成される時間も無かっただろうし、秀衡も割と義経に自由にさせてたのらしいので結果的に戦闘&軍略に全振りしたフリーダムな武将になったんだろね。でも平時には必要な世渡り能力が皆無だったから結果的にあんな最期になってしまったのかなあ〜
鎌倉殿の菅田義経が解像度高い感じがしたww
菅田将暉さんが大河ドラマに出ると狂人演じているイメージしか無い。義経の前は「おんな城主 直虎」の井伊直政。見事に狂ってます。狂いすぎて次の戦国大河で「家康家臣の中には信長討つべしなどという奴がいる」→「将暉じゃね、ソレ?」というツイートが溢れるとかなってたし。
「儂はこれから誰と戦えば良いんじゃ…」
義経ハチャメチャだったんですね。歴史苦手で源氏とか平家の話はなんか頭に入ってこないんだけど義経面白いから興味を持ったら覚えやすいかもしれないw
遮那王とか黒塚とかますらおとか義経が主人公の漫画にハマってたなぁ。もちろんペルソナ4ではヨシツネを作ります。
頼朝的には「俺のルール従ってくれよ。頼むよ。」って感じで義経を持ち余していた感が有るしな。
頼朝との決定的な違いは世間での身の振り方や作法をしってることだよね、義経はそれがなかった。武将って世の中で生きていくには作法や礼儀がないとやっていけないからな。
@@寛喜瀬川全然違う。頼朝は東国からの全国支配、幕府つまり朝廷から半独立した王様になりたかった。清盛が朝廷から冠位をもらい太政大臣まで上り詰めながらも結局貴族化し滅びたのを見ていたからだ。義経はそれを知らずに朝廷から頼朝に確認もせずに冠位をもらってしまったから頼朝と対立したのよ。
味方である鎌倉武士の義経評価は武勇はともかく功績を全部持っていかれかけたせいで嫌っているただし武勇に関しては評価しているあたりやっぱりこの時代の武士はバーサーカー
純粋な野生児って感じかな
メガテン・ライドウ・ペルソナで常にスタメンのヨシツネが、よもやこんな戦ステ極振りバカだったとは
メチャメチャオモロイ😂こんなオモロイ偉人解説動画初めてやわ😄
私の祖先の上司だ!!アホの子というのは家臣も察していた。本当ね、小説の主人公みたいな方らしい。天然な部分があって、自由人だが頭良いや素の性格は良い、しかし過去や最期のような悲しい部分もある。源氏の子ながらも兄弟と離れ離れとなり、平家や京の山寺で育ち、不遇の幼少期から煌びやかな全盛期とズレ、そして悲しき寂しき最期を迎えた。でも彼は独りぼっちではなかった。敵を作りすぎて、敵に、味方に、挙句には兄弟に、様々な人間から刃を向けられ、独りぼっちと思っていたが、彼についてゆく人達はいた、後ろを振り向けば少ないかもだがいた。人間味があっていいんです。嫌いになれないし、私は為ダムと並ぶほど源氏の中ではだいぶ好き。私の祖先は橘公長いう貴族上がりの武士だが、大変お世話になったという。公長の子で私の祖先の1人に公経という人物がいて、彼は義経と同じで、兄弟とギクシャクしたり、負い目感じていて、悩んでいた時にお世話になったと、その縁で元服の際に経の字を頂き、公経と名乗ったと。立場上最期まで味方はできなかったが、彼のくれた一字は生きている。これからも生かしていきたいね。私にとって経の一字は大切なんですよ。私の名前には入っていないけど、代々何人も使ってきた、祖先とその大切な上司が使っていた歴史ある一字だから。消させはしない。
鎌倉殿の13人の元になった吾妻鏡も義経のこと非常識人扱いだったような。
そりゃだって鎌倉時代の末期でゴリゴリ北条氏の補正が入った軍記物だからね。義経を悪く描かないと平氏方である北条氏が実権握って好き勝手やる為に、源氏の有力者を悉く粛正した行為が非難されかねないもの。粛正を実行したのは頼朝でも当時の誰の目から見ても、嫁実家の圧力だって分かってただろうから。責めて1番理不尽な粛正であろう義経は悪党にしとかないと。それでも判官贔屓って揶揄されるほど、民衆が義経をもち上げたんだから、誤魔化せなかったんだろうね民衆は。史記が始皇帝を過小評価しているのとさほど変わらんよ。始皇帝にしても、源氏の頼朝以外の人間や、平清盛が再評価されるのも結局、後の時代にその時の権力で歴史を捻じ曲げている痕跡があったからだろうね。
壇之浦の後、九郎判官が建礼門院を…なんて、ここに書かれてたのかな…
@@ミヤモトサトシそれは江戸時代のエロ小説「壇ノ浦夜合戦記」です。😊
山賊を歩く銭袋扱いって義経どのはTESシリーズの主人公かいなw
義仲さんの台詞全部黒ひげなの笑うw
嘘、マジかよ、まぐれじゃねえの?と、義経が言ったので、カチンときた与一がまぐれじゃねーよ、見てろと、踊る爺さんを射抜いたという説も、聞いた事があります。
平家物語でも、一度断ろうとした与一に対し下手くそはさっさと鎌倉に帰るみたいな酷い事言ってますからね。
義経が検非違使(現代で言う警視庁長官?)に任官したことに頼朝がキレたのは、司法と軍事の境界が曖昧だったこの時代、これが武官(武士)としての大出世の足掛かりになってしまうこと。征夷大将軍が武士の棟梁、なんてのは後世を知っているからこそ言えることで、下手したら朝廷主導でその出世ルートが用意されてしまう可能性もあった。義経がそうなってしまったその場合、東国の独立はなく、しかも義経は当代に冠絶する戦術的天才。頼朝のブチキレはごもっともであるw
個人的に悲劇の英雄というイメージ最初に覆したのが手塚治虫先生の"火の鳥-乱世編-"の没義道な義経。
どのタイミングか忘れたけど頼朝当ての手紙に源判官義経って書いてブチ切れさせた逸話があるよね。本人天然っぽいけどアレが実質後白河派に鞍替えしたって解釈になるやつ。
義経記だと行く先々で掘られてるんだよな
鬼一法眼の娘と仲良くなって娘に法眼の兵法書を盗み出させて、ハイ、さようなら、という話を聞いたような。やってんねぇ、義経さんと思った記憶が。
義経が悲劇のヒーローってお話は江戸時代(元禄文化の頃ね)草子(当時の小説)で作られた物語の影響らしいよ確かに動画見てると、調子に乗ったアフォな子に見えるw
文句なしに面白い。面白いのに史実に忠実なのもイイ!
こうしてみると頼朝が何度も許してるのは、近い血縁の一門が討たれまくって数が少ないからできるだけ離反させたくないって事と同時に「武士としての教育受けてへんのやからしゃーなしやな」っ思ってたんじゃないかな。
範頼を見てるとやらかさなくても後で粛清されそう
むしろ範頼や上総介を見ると頼朝って義経にメチャクチャ甘いからどうかな。範頼や上総介がほんの少しでも怪しい態度を見せたら即断で殺したのにも関わらず、義経に関しては部下からの義経への不満をほぼ黙殺し、義経が後白河法皇に頼朝追悼の院宣を求めるという事実上の宣戦布告をするまで義経を討とうとはしなかったので…。頼朝は義経に対しての対応はマジで甘すぎる。
昔の大河では国広義経の自刃を知らされた石坂頼朝は独りになった時「九郎… 九郎…」と床(ゆか)に臥して大号泣してたな。
実は義経は生きていて後々チンギス・ハンになったとか言われるくらいだから相当人気あったんだろうな。
人気が出たのは江戸時代に歌舞伎の演目にされてから人気が出た見たいです
子会社の部長が、親会社の社長の抜擢に、子会社の社長に相談しないで乗ったみたい。
司馬遼太郎の義経は主人公なのに「一種の痴呆」とか「政治感覚なし」とか散々な評し方で笑ってしまった
司馬遼太郎って自分の嫌いな人物はボロクソに書く傾向があるよな。
なのに才谷ウメタロウは…
@@FREEDOM-vv3wu 豊臣秀吉、坂本龍馬とか好きだよね。逆に徳川家康、西郷隆盛とかが嫌い。
訂正才谷梅太郎才谷ウメタロウだと実在の方(漫画家)でした。御免なさい。
司馬遼太郎の『義経』は、女好き、女狂いがハンパなくてRUclipsにするのも憚れるくらいやね😂
サイコパス義経キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
どんな奇跡が起きたら3日の航路が4時間になるんだい
結構戦とは言ええげつない事やるわな~舟の漕ぎ手を討ったりアイデアも結構部下が考えた物だったりするみたいやしね~其が勝利に繋がるやけどね・・
これ、藤原秀衡がもっと長生きして義経を総大将にして対鎌倉幕府戦ガチでやったらどうなってたんだろうな
あほの子って言うパワーワード😮
なんか関西弁って便利やなー。もっちゃりしてるから嫌味に聞こえんのよね。
ぐぅ…そうだったのか…ぼんやりとした認識だったけど、義経=悲劇のヒーロー、頼朝=嫉妬に狂った頭領、かと思ってた。個としては優秀だったかもしれないけど、組織の一員または長としては未熟者だったとはねぇ…そりゃあ兄ちゃん激おこっすわw
判官贔屓…するほどではなかったんやなぁ
義経の意識が頼朝(幕府)配下よりも、後白河(朝廷)配下だったと言う説を聴いたことがある。
いや動画の出来が素晴らしい!おもろいしとても分かりやすい!凄いわ。
義経を範頼への援軍に行かせたって頼朝じゃなくて後白河法皇の指示じゃなかったかな?なんかここで頼朝に判断を仰がずに独断で出陣したのが対立の始まりだった気がする。
義経の独断説と頼朝が了承してる説のふたつがあるみたいです。ここらへんは史料によって違ったり、歴史学者も見解がいろいろあるから分かりづらいですよね
大河では頼朝のやむを得ない判断とされていますね(しきりに頼朝が義経への褒美または贔屓ではないと言いまくる)
この安徳天皇入水以降、本物の剣は見つかってないんよな…
一応、直ぐに引き揚げられたら事には成って居たような。誰も信じて無いけれど。あくまでもヨリシロなので、複製でも問題なしって話もある。
動画を見ていたら、義仲一派がキングダムの桓騎一家と被る😅
歴史ものの中で最高に面白いです!次が待ち遠しい!
東国武士達は義経への不満は有れど恐れてもいたんだよな東国武士へ義経追討を宣言しても最初に集まったのは100名ちょいとかだったみたいだし、藤原氏が裏切らなきゃどうなってた事やら
上司の兄弟の娘の旦那って言う完全な他人
昔週刊少年サンデーに連載してた「ますらお」の義経が個人的には義経のイメージかなぁ
ますらお、良いですよねご存知かもしれませんが、その後、不定期で続きが描かれてます
史実と史実の間を人間臭い感情で結びつけると納得して覚えられるよね。純粋に面白いし🤣
いらすとや便利やな…
兄の阿野全成は頼朝に信頼され唯一生き残った。なお頼家。
後醍醐天皇の寵愛を受けた阿野廉子は 全成さんの子孫
為朝もそうだけど、源氏って時々こういうROCKな侍出てくるよな🤔
日本最古クラスの英雄だからか、胡散臭いエピソードが山ほどあるのが魅力・山の天狗に武芸を教わる・なぜか年近いゴロつきに慕われる(弁慶も実は年近い)・八男なのに「九郎」義経・馬で崖降りたり船の間を飛び回ったり…・アイヌやモンゴルの民と通じて日本では見ない武具を使ってたともミステリが多いのは英雄の証
天狗の仮面説ありませんか?
生存説とか大陸脱出説とかもあったねどちらも眉唾物ではあるけども
@@Japanjadadioまさか本当に天狗なるモノがいるとは思えませんので、源氏復興を企てる者が身分を明かさずに密かに後釜を鍛えていた…と考えるのが自然かと思います山深いから天狗の仮面がしっくりきたのかもwですが、並の武将が考えつかないようなことを幾つも成功させてきたのは、物の化に教えを乞うた故じゃないかと思うとロマンがありませんか?なんてw
八郎でなく九郎なのは叔父である源「鎮西八郎」為朝を敬い 遠慮をして九郎と名乗った説がある
@@日比野聡-q7d 亡くなって200年くらい過ぎた頃にできた軍記物の「義経記」に出てきた話ですね『義経記』は『平家物語』の派生作でも後発だけあって、エモいエピソードからゲスいエピソードまで盛り盛りでお話としては面白いです(それが嫌だという人もいますが)実際はちゃんと九男の九郎ですが、こっちの方が深みが出ますね
義経追討を名目にちゃっかり全国に守護地頭を置いて幕府の基盤作った頼朝が優秀すぎるw戦は下手だけどこの辺の政治力凄いよな
新しい動画みれて嬉しいです❢まってました❢義経、ほんとにほんとに戦は天才だったのになぁそれでも、若くして悲劇の結末だったこそ、これほど日本人に愛されてるんですねぇ・・おバカだけど(笑)
踊ってたじじいかわいそすぎる
為朝公は武力・口喧嘩は平安時代最強ですが、義経公はDQN武将なら平安時代最強ですね━━╋⊂( ・.・)彡スパッ
寺時代にキチンと勉強をしていれば、まだ違う運命になったのかなあ?
奥州藤原氏秀衡、何にもしないで奥州藤原氏滅びてる
生まれた時代が悪かった。商家に生まれてかつ明治時代の生まれなら大物商人として大成できたと思う。
那須与一、ロックオン・ストラトスだった説
奥州藤原氏にとって、先祖と縁のある八幡太郎義家の子孫は旗頭として必要だったわけです。前九年の役後三年の役ぐらい触れてください。
頼朝ヨイショの梶原景時が頼朝死亡後に疎まれて殺されるんよなぁ
ドリフターズの義経は史実に近い感じなんだね。最初見た時はエエ…と思いました
「空気を読まない」「ともすればサクッと死ぬ」まさに義経にも言えるなぁと思いましたね🙁
あの人はずっとああです。他者の心がわからない。それでも、何故かある所まではついていってしまう。有無を言わせずついて行かせる。でも、絶対に最後まではついて行きたくない。「ついて行ってたまるか」そんな人ですよ。それでも・・・楽しかった・・・たまらなく楽しかった・・・。by.那須与一
大阪から兵庫県の高校に通ってて、学校の行事で初めて神戸電鉄に乗った。途中で「鵯越」の駅があって、もうその風景を見た瞬間、義経を尊敬した😅以来、ずっと尊敬してるw
与一さん、ガンダムマイスターの祖先かな?()
この義経、戦のときだけ赤眼のバーサーカーと化してるんですけどww
義経はただのバーサーカー本当のチートキャラは東国武士たちを九州まで遠征させてちゃんと任務を果たし、義経も概ね御した蒲冠者
まあ、「鎌倉帰りたい」しか言わないのもいましたが(和田義盛)
以仁王は天皇になる目はなかった。まず親王ではなく王という時点で政治的に傍流
暴風雨に吹かれて船がめっちゃ速く進んだ説もあるw
戦の天才だったけど、政にはアホだったせいで自滅したか。預けられた寺での幼少期が、人生を決めちゃったね。
日本版の白起ですね
サムネの義経のイラストかっこいいな。どこから持ってきたのかな?
知り合いにお願いしてて、下絵はAIで少し手を入れてもらってます
これはこれで義経ダメ男編で話として面白いが、一方で頼朝は政治バカ男としても面白いかも。政治家としては有能だが、家を顧みず親戚や兄弟を次々殺して最後は息子や孫迄殺されて結局は血筋が断絶した何のために働いたか分からないダメなトウチャン編です。
いい意味で、合理的
義経や頼朝など武将のイラストってどこかにあるの?
「時短だ」というサイトからお借りしてます
@@2ch-gw1gb ありがとうございます!
このChの動画が好きなので更新されてうれしいです
コメント励みになります!
18:48 「あのジジイもやれ」は草ww
元服の鏡神社とか、阿賀太郎坊宮が伝承にありますが、近江源氏でも米原・氣長氏とかの勢力も義経公に味方してたのかも?八幡太郎義家の系統だから義の通字つかうんでしょうが、頼朝は、家も義も通字使わないので、八幡太郎義家の系統でないのかしらん?知りませんか?その辺の事情。
テンポも良くて面白かったです!チャンネル登録しちゃった。他の動画も見るの楽しみ!
頼朝が戦しか能がない義経をうまく使えなかったそんな義経がチンギスハンになるなど無理な話やね
今の日本国が朝鮮や中華と違う道を進めたのは頼朝公のお陰。義経公は日本史上初めてのスターですね。悲劇のスターは未来永劫忘れられませんね。義経公の戦は近代戦の様であり、あの時代では理不尽且つ卑怯と映っていたのかも。でも天才ですよね。軍事の天才義経公政治の天才頼朝公ですね。二人共に感謝です。
兵力3桁までなら義経は最強。4桁以上になると人付き合い能力が問われ義経では維持が無理。いつも少数で戦ってるんは統率力が兵力3桁しかない。
ぼんやりと認識していたことを明瞭にさせてくれた動画。義経に内政を司るような文官?がいても、たぶん止まらんかったやろな。一緒に遊ぶなら義経やろうけど、仕事するなら兄貴たちやな。後鳥羽上皇は相当できる人やのに気の毒やな。。。(壇ノ浦の件で、刀剣には拘りがあったらしいですね)大阪弁?もキレッキレやw
30分で義経記(平家物語)動画としては面白いけど、題名に歴史と付けるのはどうかと。
僧兵(脳筋)や平家の圧迫から出家した者(アンチ平家)幼少期を過ごした義経と武士や民と一緒に過ごした頼朝の違いだろうなと思う。義経は武芸や兵法には明るいが政治や権力闘争には疎く、頼朝は逆という。
平氏に対する攻撃力+100
平家と平氏をごっちゃにしたらあかん。坂東武者も上の方は大方が平氏や、北条とか。
仕事できるけど私生活壊滅的とか人格アレっていう人は現代でもいるよね。
育ちのせいで武士の考えを持たず暗黙の了解も知らないから敵の予想外の策で戦果を挙げられても武士として生きていくのは難しい、てイメージ
武家「船での戦いでは漕ぎ手に攻撃するのはルールで禁止ッスよね」
義経「知らんがな(漕ぎ手を攻撃」
とかやらかしましたしね
@@モチネバール
同時代の記録にもなければ、軍記物の『平家物語』にも出てこない話なんですけどね
漕ぎ手を攻撃する話は平家物語にあるにはあるんですが、すでに大勢が決してからで、平家方の船に乗りうつった源氏の武士たちは義経に命じられるわけでもなく斬っています
源氏方の武士から反発があったとか、平家方の武士のセリフや地の文に批難めいたことも書かれていません
屋島合戦で与一の弓に感嘆して舞い始めた平家の武士を、義経が与一に射殺させた件には批難めいたことが書かれるなど、倫理に反したことを行うとそういうフォローが入ったりするんですが、それがないんですよね
そもそもそう言うルールあったんでしょうかね
ジャンヌ・ダルクみてぇ
皮肉なモンやなぁ
敵モ武「武士は名乗るんや!名乗ってる途中で攻撃すんなよ!すんなよ!絶対すんなよ!」
義経「オッケ!ダチョウ倶楽部パターンな!」
敵軍壊滅
崖降りるエピソードは部下にイケるイケるって言ってなお自分が我先に降りたら
そりゃ部下も付き従うわってなる…っぱカリスマなんよなぁ…
有名な一ノ谷の逆落としのお話やね♪
@@sjdkkjdsdsfjkl-j8t
半分くらい滑落してそう
ここで転落してたら別の伝説になった。
京都の治安維持を任された際、公家から文句が出なかった時点で政治感覚がないわけがない。
京都から離れて武家のみで土地支配していこうと考えた頼朝の方が発想的にはぶっ飛んでるんだ。
逆に公家から大不評だった木曽義仲は公家も都の常識とか知らなかったんだろうな
義経が京を離れる時も民衆は悲しんだと言うし
言われてるほど政治オンチでは無いよね
このシリーズは最高です。歴史がすごくわかりやすく学べる。キャラの絵も可愛くてグッドです。
戦に強いだけのアホの子みたいな風潮あるけど、そもそも左遷されて辺境で育ったからそういう面倒な所作や気配りに疎かっただけの、時代に適応できなかった不運の天才児って感じ
組織のなかで生きていけなかったから組織の動きがわからない。あとは源氏の軍団が動くのが組織の歯車なのが理解できてなかった。頼朝の下で組織の中での生き方を教われば義経の最期も変わってたんじゃないかな?
@@寛喜瀬川いや頼朝は組織の古参も結局粛清したからどうだろう。中華の王朝の始祖みたいよねオチまで含め
常識に捕らわれないというか常識がないというか…
得てしてそんなもんよな
これは一番星の生まれ変わりですわ。
大河ドラマだと人間的に成長して魅力的になっていったけど頼朝と気持ちがすれ違いで対立していったのが悲しかった。
大河はフォントに良く出来てたね〜♪
昭和の方では国広義経の自刃を知らされた石坂頼朝は、独りになった時「九郎… 九郎…、と床(ゆか)に臥して大号泣してました。
実際は挙兵するまで会ったこともない兄弟に情なんて無かったと思うけれどね。
滝沢義経は個人的には同じジャニーズだけに民放の東義経がチラついてねえ。
源氏は何でか知らんけど「コイツだけは絶対に◯す!!!」って奴がチョイチョイ生まれる
自分もここ大好きだけど、もう更新ないんかな〜と半ば諦めてたけど、ゲームにかまけとったんかい。いや正直でええんやで。これからも頑張ってや。
え、めっちゃ解りやすい!!
子供のころに読んだ本とは結構違う。
けど繋がってるから納得できた。
義経の本だから主役を悲劇のヒーローにしたんかな。
歴史上、天才と言われてるけど調べてみればなんだと思うのが大半だけど
この人は本当に天才
戦争理由を理解できないアホやで。
天才じゃなくて、突撃したらなんでか勝っちゃったっていう、ジャンヌ・ダルクと一緒やろ。
確かに白兵戦には天才的だった。けれど、それだけに政治的感覚がゼロだったのが惜しい。
本当の天才。能力が一極集中でそれ以外がからっきしってとこも含めて。
ひとりでも優秀なブレーンがいたら、って思うけど、それが現実よね。
だからおもしろい。
時代違うけど義経に黒田官兵衛が付いていたらどうなるか?
官兵衛がいても言うこと聞かないから同じだよ
景時なんて官兵衛並の有能だもん
頼朝はホリエモン
義経はひろゆき
後白河法皇が岡田斗司夫
までわかった。
西に逃げる義経の船が難破したり最後に頼った秀衡が最悪のタイミングで病死したり、運命ってあるんかなぁって思うレベルやな
面白かった
義経、運悪い
運の悪さが悲劇の武士になったのかな?
頼朝が、泰衡に義経を殺させたのは
京都で襲撃した時に暗殺部隊が返り討ちにあって
自分の部下の損失を抑えたかったから?
戦争の才能だけは群を抜いてたからまともにやり合うと被害甚大になったろうし、その才能を秀衡に気に入られてたから息子達に嫉妬と警戒をされてたのが運の尽きやな
常盤御前との別れや不遇な幼少期を考えると多動だったり、空気読めない君になるのも無理も無いかも。でも多動🟰行動力でもあるから戦果を上げたのでしょう。どこか抜けてるところや突飛な面もあるから長年に亘って人々を判官贔屓にさせる魅力があるのだと思います。
と言うか義経って頼朝からしたらめっちゃ縁を感じないほぼ他人だしなぁ
そっかー、東国武士から嫌われていたのはイメージとちがっていたな
義経が悪いと言うより本当後白河が悪いんだよね
踊らされた結果頼朝と義経は争うことになってるし義仲も死んでるしな
弁慶がめっちゃ漕いだ説を推す
想像出来てワロタww
「馬二頭落としたら一頭は降りれたから平気」って、自分たちが降りる時には完全武装の武者が背に乗ってるってことを無視してませんか....?
それ思った
畠山重忠「馬を背負って降りれば問題ない。」
源頼朝「いやその理屈は可笑しい」
地元民ですが。
その辺りの描写は、「平家物語にはこう書かれている」という程度の認識で十分だと思います。
地元民からすると、あの一帯の崖は馬どころか、ロッククライミングの選手でも通行できない様な崖です。
また、風化した花崗岩が多く、常に落石の危険もあるので、「崖を馬で駆け降りた」というのは、歴史的事実とはとても思えません。
ただ、戦況を見る限り、義経が平家の防御ラインの内側に侵入して、平家がパニックになったのは事実なのでしょう。
地元民しか知らない様な峠道を通って、防衛ラインを迂回できたというのが、実際の所ではないかと思います。
義経「鎧が重りになるから、むしろ安定感が増すだろ!」
@@たくま-l9cダウンフォースですねw
まあ、鞍馬山出奔〜奥州での時間が結構長かったから”当時の常識”が形成される時間も無かっただろうし、秀衡も割と義経に自由にさせてたのらしいので結果的に戦闘&軍略に全振りしたフリーダムな武将になったんだろね。でも平時には必要な世渡り能力が皆無だったから結果的にあんな最期になってしまったのかなあ〜
鎌倉殿の菅田義経が解像度高い感じがしたww
菅田将暉さんが大河ドラマに出ると
狂人演じているイメージしか無い。
義経の前は「おんな城主 直虎」の井伊直政。
見事に狂ってます。
狂いすぎて次の戦国大河で
「家康家臣の中には信長討つべしなどという奴がいる」
→「将暉じゃね、ソレ?」というツイートが溢れる
とかなってたし。
「儂はこれから誰と戦えば良いんじゃ…」
義経ハチャメチャだったんですね。歴史苦手で源氏とか平家の話はなんか頭に入ってこないんだけど
義経面白いから興味を持ったら覚えやすいかもしれないw
遮那王とか
黒塚とか
ますらお
とか義経が主人公の漫画にハマってたなぁ。
もちろんペルソナ4ではヨシツネを作ります。
頼朝的には「俺のルール従ってくれよ。頼むよ。」って感じで義経を持ち余していた感が有るしな。
頼朝との決定的な違いは世間での身の振り方や作法をしってることだよね、義経はそれがなかった。
武将って世の中で生きていくには作法や礼儀がないとやっていけないからな。
@@寛喜瀬川全然違う。頼朝は東国からの全国支配、幕府つまり朝廷から半独立した王様になりたかった。清盛が朝廷から冠位をもらい太政大臣まで上り詰めながらも結局貴族化し滅びたのを見ていたからだ。
義経はそれを知らずに朝廷から頼朝に確認もせずに冠位をもらってしまったから頼朝と対立したのよ。
味方である鎌倉武士の義経評価は武勇はともかく功績を全部持っていかれかけたせいで嫌っている
ただし武勇に関しては評価しているあたりやっぱりこの時代の武士はバーサーカー
純粋な野生児って感じかな
メガテン・ライドウ・ペルソナで常にスタメンのヨシツネが、よもやこんな戦ステ極振りバカだったとは
メチャメチャオモロイ😂こんなオモロイ偉人解説動画初めてやわ😄
私の祖先の上司だ!!
アホの子というのは家臣も察していた。
本当ね、小説の主人公みたいな方らしい。
天然な部分があって、自由人だが頭良いや素の性格は良い、しかし過去や最期のような悲しい部分もある。
源氏の子ながらも兄弟と離れ離れとなり、平家や京の山寺で育ち、不遇の幼少期から煌びやかな全盛期とズレ、そして悲しき寂しき最期を迎えた。
でも彼は独りぼっちではなかった。敵を作りすぎて、敵に、味方に、挙句には兄弟に、様々な人間から刃を向けられ、独りぼっちと思っていたが、彼についてゆく人達はいた、後ろを振り向けば少ないかもだがいた。
人間味があっていいんです。
嫌いになれないし、私は為ダムと並ぶほど源氏の中ではだいぶ好き。
私の祖先は橘公長いう貴族上がりの武士だが、大変お世話になったという。
公長の子で私の祖先の1人に公経という人物がいて、彼は義経と同じで、兄弟とギクシャクしたり、負い目感じていて、悩んでいた時にお世話になったと、その縁で元服の際に経の字を頂き、公経と名乗ったと。
立場上最期まで味方はできなかったが、彼のくれた一字は生きている。
これからも生かしていきたいね。
私にとって経の一字は大切なんですよ。私の名前には入っていないけど、代々何人も使ってきた、祖先とその大切な上司が使っていた歴史ある一字だから。
消させはしない。
鎌倉殿の13人の元になった吾妻鏡も義経のこと非常識人扱いだったような。
そりゃだって鎌倉時代の末期でゴリゴリ北条氏の補正が入った軍記物だからね。
義経を悪く描かないと平氏方である北条氏が実権握って好き勝手やる為に、源氏の有力者を悉く粛正した行為が非難されかねないもの。
粛正を実行したのは頼朝でも当時の誰の目から見ても、嫁実家の圧力だって分かってただろうから。
責めて1番理不尽な粛正であろう義経は悪党にしとかないと。
それでも判官贔屓って揶揄されるほど、民衆が義経をもち上げたんだから、誤魔化せなかったんだろうね民衆は。
史記が始皇帝を過小評価しているのとさほど変わらんよ。
始皇帝にしても、源氏の頼朝以外の人間や、平清盛が再評価されるのも結局、後の時代にその時の権力で歴史を捻じ曲げている痕跡があったからだろうね。
壇之浦の後、九郎判官が建礼門院を…なんて、ここに書かれてたのかな…
@@ミヤモトサトシそれは江戸時代のエロ小説「壇ノ浦夜合戦記」です。😊
山賊を歩く銭袋扱いって
義経どのはTESシリーズの主人公かいなw
義仲さんの台詞全部黒ひげなの笑うw
嘘、マジかよ、まぐれじゃねえの?
と、義経が言ったので、カチンときた与一が
まぐれじゃねーよ、見てろ
と、踊る爺さんを射抜いたという説も、聞いた事があります。
平家物語でも、一度断ろうとした与一に対し下手くそはさっさと鎌倉に帰るみたいな酷い事言ってますからね。
義経が検非違使(現代で言う警視庁長官?)に任官したことに頼朝がキレたのは、司法と軍事の境界が曖昧だったこの時代、これが武官(武士)としての大出世の足掛かりになってしまうこと。
征夷大将軍が武士の棟梁、なんてのは後世を知っているからこそ言えることで、下手したら朝廷主導でその出世ルートが用意されてしまう可能性もあった。
義経がそうなってしまったその場合、東国の独立はなく、しかも義経は当代に冠絶する戦術的天才。
頼朝のブチキレはごもっともであるw
個人的に悲劇の英雄というイメージ最初に覆したのが手塚治虫先生の"火の鳥-乱世編-"の没義道な義経。
どのタイミングか忘れたけど頼朝当ての手紙に源判官義経って書いてブチ切れさせた逸話があるよね。
本人天然っぽいけどアレが実質後白河派に鞍替えしたって解釈になるやつ。
義経記だと行く先々で掘られてるんだよな
鬼一法眼の娘と仲良くなって娘に法眼の兵法書を盗み出させて、ハイ、さようなら、という話を聞いたような。やってんねぇ、義経さんと思った記憶が。
義経が悲劇のヒーローってお話は江戸時代(元禄文化の頃ね)草子(当時の小説)で作られた物語の影響らしいよ
確かに動画見てると、調子に乗ったアフォな子に見えるw
文句なしに面白い。面白いのに史実に忠実なのもイイ!
こうしてみると頼朝が何度も許してるのは、近い血縁の一門が討たれまくって数が少ないからできるだけ離反させたくないって事と同時に「武士としての教育受けてへんのやからしゃーなしやな」っ思ってたんじゃないかな。
範頼を見てるとやらかさなくても後で粛清されそう
むしろ範頼や上総介を見ると頼朝って義経にメチャクチャ甘いからどうかな。
範頼や上総介がほんの少しでも怪しい態度を見せたら即断で殺したのにも関わらず、義経に関しては部下からの義経への不満をほぼ黙殺し、義経が後白河法皇に頼朝追悼の院宣を求めるという事実上の宣戦布告をするまで義経を討とうとはしなかったので…。
頼朝は義経に対しての対応はマジで甘すぎる。
昔の大河では国広義経の自刃を知らされた石坂頼朝は独りになった時「九郎… 九郎…」と床(ゆか)に臥して大号泣してたな。
実は義経は生きていて後々チンギス・ハンになったとか言われるくらいだから相当人気あったんだろうな。
人気が出たのは江戸時代に歌舞伎の演目にされてから人気が出た見たいです
子会社の部長が、親会社の社長の抜擢に、子会社の社長に相談しないで乗ったみたい。
司馬遼太郎の義経は主人公なのに「一種の痴呆」とか「政治感覚なし」とか
散々な評し方で笑ってしまった
司馬遼太郎って自分の嫌いな人物はボロクソに書く傾向があるよな。
なのに才谷ウメタロウは…
@@FREEDOM-vv3wu 豊臣秀吉、坂本龍馬とか好きだよね。
逆に徳川家康、西郷隆盛とかが嫌い。
訂正
才谷梅太郎
才谷ウメタロウだと実在の方(漫画家)でした。御免なさい。
司馬遼太郎の『義経』は、女好き、女狂いがハンパなくてRUclipsにするのも憚れるくらいやね😂
サイコパス義経キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
どんな奇跡が起きたら3日の航路が4時間になるんだい
結構戦とは言ええげつない事やるわな~舟の漕ぎ手を討ったりアイデアも結構部下が考えた物だったりするみたいやしね~其が勝利に繋がるやけどね・・
これ、藤原秀衡がもっと長生きして義経を総大将にして対鎌倉幕府戦ガチでやったらどうなってたんだろうな
あほの子って言うパワーワード😮
なんか関西弁って便利やなー。
もっちゃりしてるから嫌味に
聞こえんのよね。
ぐぅ…そうだったのか…ぼんやりとした認識だったけど、
義経=悲劇のヒーロー、頼朝=嫉妬に狂った頭領、かと思ってた。
個としては優秀だったかもしれないけど、組織の一員または長としては
未熟者だったとはねぇ…そりゃあ兄ちゃん激おこっすわw
判官贔屓…するほどではなかったんやなぁ
義経の意識が頼朝(幕府)配下よりも、後白河(朝廷)配下だったと言う説を聴いたことがある。
いや動画の出来が素晴らしい!おもろいしとても分かりやすい!凄いわ。
義経を範頼への援軍に行かせたって頼朝じゃなくて後白河法皇の指示じゃなかったかな?なんかここで頼朝に判断を仰がずに独断で出陣したのが対立の始まりだった気がする。
義経の独断説と頼朝が了承してる説のふたつがあるみたいです。
ここらへんは史料によって違ったり、歴史学者も見解がいろいろあるから分かりづらいですよね
大河では頼朝のやむを得ない判断とされていますね(しきりに頼朝が義経への褒美または贔屓ではないと言いまくる)
この安徳天皇入水以降、本物の剣は見つかってないんよな…
一応、直ぐに引き揚げられたら事には成って居たような。
誰も信じて無いけれど。
あくまでもヨリシロなので、複製でも問題なしって話もある。
動画を見ていたら、義仲一派がキングダムの桓騎一家と被る😅
歴史ものの中で最高に面白いです!
次が待ち遠しい!
東国武士達は義経への不満は有れど恐れてもいたんだよな
東国武士へ義経追討を宣言しても最初に集まったのは100名ちょいとかだったみたいだし、藤原氏が裏切らなきゃどうなってた事やら
上司の兄弟の娘の旦那って言う完全な他人
昔週刊少年サンデーに連載してた「ますらお」の義経が
個人的には義経のイメージかなぁ
ますらお、良いですよね
ご存知かもしれませんが、その後、不定期で続きが描かれてます
史実と史実の間を人間臭い感情で結びつけると納得して覚えられるよね。純粋に面白いし🤣
いらすとや便利やな…
兄の阿野全成は頼朝に信頼され唯一生き残った。なお頼家。
後醍醐天皇の寵愛を受けた阿野廉子は 全成さんの子孫
為朝もそうだけど、源氏って時々こういうROCKな侍出てくるよな🤔
日本最古クラスの英雄だからか、胡散臭いエピソードが山ほどあるのが魅力
・山の天狗に武芸を教わる
・なぜか年近いゴロつきに慕われる(弁慶も実は年近い)
・八男なのに「九郎」義経
・馬で崖降りたり船の間を飛び回ったり…
・アイヌやモンゴルの民と通じて日本では見ない武具を使ってたとも
ミステリが多いのは英雄の証
天狗の仮面説ありませんか?
生存説とか大陸脱出説とかもあったね
どちらも眉唾物ではあるけども
@@Japanjadadioまさか本当に天狗なるモノがいるとは思えませんので、源氏復興を企てる者が身分を明かさずに密かに後釜を鍛えていた…と考えるのが自然かと思います
山深いから天狗の仮面がしっくりきたのかもw
ですが、並の武将が考えつかないようなことを幾つも成功させてきたのは、物の化に教えを乞うた故じゃないかと思うとロマンがありませんか?なんてw
八郎でなく九郎なのは叔父である源「鎮西八郎」為朝を敬い 遠慮をして九郎と名乗った説がある
@@日比野聡-q7d 亡くなって200年くらい過ぎた頃にできた軍記物の「義経記」に出てきた話ですね
『義経記』は『平家物語』の派生作でも後発だけあって、エモいエピソードからゲスいエピソードまで盛り盛りでお話としては面白いです(それが嫌だという人もいますが)
実際はちゃんと九男の九郎ですが、こっちの方が深みが出ますね
義経追討を名目にちゃっかり全国に守護地頭を置いて幕府の基盤作った頼朝が優秀すぎるw
戦は下手だけどこの辺の政治力凄いよな
新しい動画みれて嬉しいです❢
まってました❢
義経、ほんとにほんとに戦は天才だったのになぁ
それでも、若くして悲劇の結末だったこそ、これほど日本人に愛されてるんですねぇ・・おバカだけど(笑)
踊ってたじじいかわいそすぎる
為朝公は武力・口喧嘩は平安時代最強ですが、義経公は
DQN武将なら平安時代最強ですね━━╋⊂( ・.・)彡スパッ
寺時代にキチンと勉強をしていれば、まだ違う運命になったのかなあ?
奥州藤原氏秀衡、何にもしないで
奥州藤原氏滅びてる
生まれた時代が悪かった。商家に生まれてかつ明治時代の生まれなら大物商人として大成できたと思う。
那須与一、ロックオン・ストラトスだった説
奥州藤原氏にとって、先祖と縁のある八幡太郎義家の子孫は旗頭として必要だったわけです。前九年の役後三年の役ぐらい触れてください。
頼朝ヨイショの梶原景時が頼朝死亡後に疎まれて殺されるんよなぁ
ドリフターズの義経は史実に近い感じなんだね。最初見た時はエエ…と思いました
「空気を読まない」「ともすればサクッと死ぬ」
まさに義経にも言えるなぁと思いましたね🙁
あの人はずっとああです。他者の心がわからない。
それでも、何故かある所まではついていってしまう。
有無を言わせずついて行かせる。でも、絶対に最後まではついて行きたくない。
「ついて行ってたまるか」
そんな人ですよ。
それでも・・・楽しかった・・・たまらなく楽しかった・・・。
by.那須与一
大阪から兵庫県の高校に通ってて、学校の行事で初めて神戸電鉄に乗った。
途中で「鵯越」の駅があって、もうその風景を見た瞬間、義経を尊敬した😅
以来、ずっと尊敬してるw
与一さん、ガンダムマイスターの祖先かな?()
この義経、戦のときだけ赤眼のバーサーカーと化してるんですけどww
義経はただのバーサーカー
本当のチートキャラは東国武士たちを九州まで遠征させてちゃんと任務を果たし、義経も概ね御した蒲冠者
まあ、「鎌倉帰りたい」しか言わないのもいましたが(和田義盛)
以仁王は天皇になる目はなかった。
まず親王ではなく王という時点で政治的に傍流
暴風雨に吹かれて船がめっちゃ速く進んだ説もあるw
戦の天才だったけど、政にはアホだったせいで自滅したか。
預けられた寺での幼少期が、人生を決めちゃったね。
日本版の白起ですね
サムネの義経のイラストかっこいいな。どこから持ってきたのかな?
知り合いにお願いしてて、下絵はAIで少し手を入れてもらってます
これはこれで義経ダメ男編で話として面白いが、一方で頼朝は政治バカ男としても面白いかも。
政治家としては有能だが、家を顧みず親戚や兄弟を次々殺して最後は息子や孫迄殺されて結局は血筋が断絶した何のために働いたか分からないダメなトウチャン編です。
いい意味で、合理的
義経や頼朝など武将のイラストってどこかにあるの?
「時短だ」というサイトからお借りしてます
@@2ch-gw1gb ありがとうございます!
このChの動画が好きなので更新されてうれしいです
コメント励みになります!
18:48 「あのジジイもやれ」は草ww
元服の鏡神社とか、阿賀太郎坊宮が伝承にありますが、近江源氏でも米原・氣長氏とかの勢力も義経公に味方してたのかも?八幡太郎義家の系統だから義の通字つかうんでしょうが、頼朝は、家も義も通字使わないので、八幡太郎義家の系統でないのかしらん?知りませんか?その辺の事情。
テンポも良くて面白かったです!チャンネル登録しちゃった。
他の動画も見るの楽しみ!
頼朝が戦しか能がない義経をうまく使えなかった
そんな義経がチンギスハンになるなど無理な話やね
今の日本国が朝鮮や中華と違う道を進めたのは頼朝公のお陰。義経公は日本史上初めてのスターですね。
悲劇のスターは未来永劫忘れられませんね。
義経公の戦は近代戦の様であり、あの時代では理不尽且つ卑怯と映っていたのかも。でも天才ですよね。
軍事の天才義経公
政治の天才頼朝公ですね。二人共に感謝です。
兵力3桁までなら義経は最強。
4桁以上になると人付き合い能力が問われ義経では維持が無理。
いつも少数で戦ってるんは統率力が兵力3桁しかない。
ぼんやりと認識していたことを明瞭にさせてくれた動画。
義経に内政を司るような文官?がいても、たぶん止まらんかったやろな。
一緒に遊ぶなら義経やろうけど、仕事するなら兄貴たちやな。
後鳥羽上皇は相当できる人やのに気の毒やな。。。(壇ノ浦の件で、刀剣には拘りがあったらしいですね)
大阪弁?もキレッキレやw
30分で義経記(平家物語)動画としては面白いけど、題名に歴史と付けるのはどうかと。
僧兵(脳筋)や平家の圧迫から出家した者(アンチ平家)幼少期を過ごした義経と武士や民と一緒に過ごした頼朝の違いだろうなと思う。義経は武芸や兵法には明るいが政治や権力闘争には疎く、頼朝は逆という。
平氏に対する攻撃力+100
平家と平氏をごっちゃにしたらあかん。坂東武者も上の方は大方が平氏や、北条とか。