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親子丼(かつ丼?)の話は何度聞いてもほっこり。警察が近くの食堂にベレンコに出す飯を依頼した際「ロシア料理なんてできません」と断ったが「じゃあ親子丼でも出しておけ」と言ったからだそう。
調べていても食にまつわる微笑ましいエピソードが多かったですね。親子丼も特別に作ってくれた料理だと思ったくだりとか。その一方で、ソ連の食料事情がいかに劣悪だったのか推し量れます…。
中尉の名前で検索しようとすると親子丼がワードに出てくるのね。
18歳でしたよ。函館から百里基地に移送されてきたMig-25が見たくて愛機PENTAX SPに300mmを付けて撮影しましたが機体がシートで覆われており2枚の垂直尾翼しか撮れませんでした😭
その道中は胸躍っておられたのでしょうね、結果は残念でしたがなかなか味わえなさそうです。それにしても300mmは大荷物ですね。
18歳で300mmってすごいね。
今17ですけど、親父からのお下がりで300を1本もらってから、一眼にどハマりして、ずっと航空写真ばっか撮ってます。MIG,実物を是非写真に収めたいですね
亡命事件直後からミグの破壊を狙いソ連の特殊部隊が上陸してくるのではないかと、北海道の自衛隊は臨戦態勢になっていたそうだね
こっちはパナのビデオカメラで戦闘機
分解して調査してる時に部品を壊しちゃったんだけど、アメリカ本国に連絡したら12時間後には日本にソ連製の交換部品が到着してたって逸話ありましたね。なんでそんなに早くソ連製の部品をアメリカが届けられるんだよっていう。
よほど特殊な部品出ない限り、米国で再現できたんでしょうね。それにしても太平洋を渡って12時間とは、今の通販より早いです。
豊富な写真や画像による充実した解説、詳細かつ丁寧な経緯説明。事件当時にいるかのような気持ちにもなれました。ベレンコ氏の人となりもよく理解できました。ゆっくりキャラクターの無関係であったり余計であったりする語り合いなどがある他の解説動画とは一線を画していますし、私のような素人でも大変分かりやすくとても感激しました。他の動画も拝見させて頂きます。
恐縮です、ありがとうございます。導入時に語り合いを入れるパターンは確かに多いですが、私の動画では相性が良くなくまた蛇足感が強いので入れないようにしています。また写真で補えないものを画像にして、できるだけ状況がわかりやすくなるよう努めているので、そうおっしゃっていただけてうれしい限りです。
私の母が五稜郭の丸井デパートの前で「赤い星をつけた戦闘機が物凄く大きな音で低空で飛んで行った」と話していた。母はソ連が攻めて来たと思い、急いで松陰町の家に帰り避難準備をしたとの事。
今ほど戦争が遠くなかったとはいえ、その衝撃は計り知れないものがありますね。MiG25は機体が大きく、高度も低かったでしょうからその機影はとても大きく見えたことでしょう…。
音が半端なかったと思います。
@@h498149大きな音で飛んで行ったって書いてるやろが
平和ボケせず危機感を持った素晴らしいお母様ですね。
2023年9月24日、ベレンコ中尉死去。ご冥福をお祈りします。
MIG-25の真空管使用は遅れているとか言われていたけど、当時の自衛隊の展示解説にも核攻撃の耐電磁パルス性から信頼性で使用されるとあったけど。それも時代的な事なんだろうけどね。
核戦争が現実的に考えられた時代、ある意味で合理的であったのでしょうね。最終的に役に立つのはアナログということです。
核の脅威が身近にあったという証左ですね。出力も桁違いで少々のジャミングならものともしないというのは意外でした。
確実に稼働してくれる堅実な装備を選択しただけ
確かベレンコ中尉によれば火器管制レーダーはハイパワーで地上では発信禁止だったそう当時のソ連ではバワー半導体の技術が遅れていた点と迎撃任務として一気に地上から高高度に上昇しても安定動作を確保する為には真空管がベストな選択だっただけリベットやスチールの使用も全て当時のソ連が持つ確定技術を上手く組み合わせて当時世界最適な迎撃専用機を造ったわけです
たしかに真空管は電磁障害に強いってメリットがあったが単純にその当時はまだ真空管の方が信頼性が高いという事もあった。軍事技術は信頼性が優先されるから、西側の戦闘機でも真空管はけっこう使われていたそうだ。
この事件がインスピレーションを与えて ”FIREFOX” の様な名作映画が生まれたんだな。
函館に強行着陸し 東京に移送され そこで差し入れされ食べた移送先近くの街の洋食屋の料理が美味しく どんな料理人が作ったんだと聞いたとか当時のソ連の食事情が分かりますね
@@asaichban9842 ベレンコ中尉の食にまつわる話は日本でもアメリカでも伝わっていて、ソ連の食料事情が窮していたことは容易に想像めきますね、気の毒になってきます。
それをオウム真理教に漬け込まれたんだ。
確か、カツ丼。
さらにモスクワとベレンコ中尉がいた極東でも差があったのだろうな。
@@akirakajiwara9478 パイロットとしてエリートなのに、ロクな食事も無いし、上官は立場を利用して不正蓄財に走る。奥さんは家事もしないで不満タラタラ言う、公私の生活がボロボロだったらしいね。
17歳でした。ソ連空軍宿舎で犬も食わない不味い朝食を食べてから、ベレンコは来日したんですね。当時の三木首相の毅然とした態度には好感を持ちました。
音楽が後半に向けて気分高騰してくる
過去に北海道新聞でベレンコ中尉の特集をされておりアメリカに住んでいることも、亡くなったことも知りました。どんな人生だったのでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。
わからない事件だったので、事の詳細がわかって嬉しいです♪ボードゲームで「AIR WAR」ってので、よくソ連機を使って対戦してたの思い出しました。主様の動画で、「少年の頃」を思い出しましたドモドモです
聞いたことはあるけれど、よく知らないモノコトって意外とありますよね。視聴ありがとうございます。
AIR WARなついな。AIR WARでのMIG 25の曲がらなさはすごがったよな。ロケットかよって感じ。拡張のスーパートムキャットも買って、今はルールブックだけ残しています。
@@hato5271 様返信ドモドモですあーアトール撃って「7」を2回続けて出した想い出アリマス…フィシュベットで…対戦はF4だったと(40年前のお話しでうる覚えデス)今と違って「想像」のゲームって面白かったカモ?しれませんよねw
時系列に沿った分かり易い図解といいMig-25の真空管使用理由を的確に解説している(時代遅れの真空管という誤った解説をしない)ところといいベレンコ亡命事件の解説動画の中でもトップクラスにいい動画なのでは・・・?
ありがとうございます。できるだけ誤解のない解説を心掛けていますし、図解については目立たないながらも時間がかかっているので、そう言っていただけると制作した甲斐があります。
映画ファイヤーフォックスを思い出しますね!
Mig25がファイヤーフォックスの原点したよね
当時、函館の小学生でして、このミグを授業中にみんなで見ました。ゴーッと聞いたことのない爆音がしたので上空を見たらミグがゆっくり旋回してました。三周ほどでしたか。赤い星もハッキリ見えましたね。でも子供だから、どういう事なのか分からない。「アメリカの飛行機だ!カッコいい!」なんてはしゃいでましたよw三日後くらいに親父が車で空港まで連れて行ってくれましたが、もうミグは真っ黒い真四角の格納庫に収められてました。大人になって仕事で関係のあった米国人と、この件を話したら彼がロシア系の人で少し興奮気味でした。彼曰く、ロシアでは「ベレンコ」とは言わず「ベレシェンカ」と呼ぶそうです。
子どもだと細かいことなんてわかりませんから、非日常な出来事にわくわくするでしょうね!ベレンコ中尉については、ロシア本土は否定的かもしれませんが、海外に出ているロシア系の方々は好意的なのでしょうね。
函館在住当時、このミグ25を肉眼で目撃しました。ソ連からミサイルが飛んで来るって大騒ぎでしたが、当時の外交手腕が物凄くて国際問題にはならずに済みましたね。当時は小学生で「カッコ良い戦闘機だな〜」って呑気に眺めて居ましたが、自衛隊機には無い機影で低空飛行でした。
ベレンコ中尉はレーダーをかいくぐるために、漁船のアンテナに接触しかけるほどの超低空での飛行を行ったそうだねミグ25は高高度から襲来するアメリカの爆撃機を迎撃するために開発された機体であり低空での飛行がもっとも苦手な機体だった。それでそんな無茶をするものだからベレンコ中尉も決死の覚悟だったのだろう
ドキュメンタリーで見たがいかにソ連という国(と軍)が腐敗してるかってのが語られてたなぁ。まぁ今でもその腐敗は続いてるけど
組織としての権力が強い分、共産主義や社会主義のほうが腐敗が広く横行しているイメージです。資本主義も腐りますが。
ハセガワさんのキットをリニューアルして欲しいですね😉
私は6歳の時に知った。「ミグ25」の名前は記憶に残っている。因みに1942年1月に、極東ソ連空軍の曹長が、極東ソ連空軍に配備されたばかりの最新鋭戦闘機「ラボチキンラグ3」を操縦し、旧満州に越境亡命している。
LaGG-3が鹵獲後にテストを受けた際に撮影された写真があったので、以下の動画で紹介させてもらっています。興味があればご覧ください!ruclips.net/video/ZzkspxH7p58/видео.html
当時ハセガワ製ミグ25の1/72プラモデルが発売されて買ったな~。べレンコンさんのご冥福をお祈りいたします。
秘密のベールに包まれていたソ連の戦闘機が発売されれば、ほしくなりますね。40万個の売り上げも納得です。
中学生の時に「ソレ」は起こったんだけど、クラスの前2列のガリ勉君たちや体育会系のクラスメートらは「へ~」ってな具合で全く興味を示さずミリオタとプラモキチガイ(死語ね)らは、物凄く盛り上がったのをよく覚えている。放課後は他のクラスや他の学年の子達も集まってちょっとした集会みたいになっちゃって先生たちが何事が起きたのか見に来たね。「ここでは木を抱きしめる人もいれば木を切り倒したい人もいる。そして彼らは隣り合って暮らしているんだ」とアメリカで感じ取った彼の持つ純粋な人間性が、祖国を含めた「全て」を見捨てる原動力にもなったのでしょうね。
この世代の書き方から感じる狂った日本語のヤバさ凄いよね
機密は機密のうちが最強ってのあるね
幽霊の正体見たり枯れ尾花、と言いますもんね。蓋を開けてみたら実は・・・っていうのは良くある話です。
亡命直後に関係者でないと撮れない写真がハセガワに届けられて迅速にプラモ化しました。大ヒットでした。私も買って機体のデカさ、インテークとテールパイプの太さに驚いたものです。今もそのまま店頭に並んでいるようです。
小学校四年生の時函館南西部の海岸沿いの町で友達と遊んでいたら物凄いごう音でミグ25が函館方面に飛んで行き2機のファントムが追いかけていたのを今でも脳裏に焼き付いています。町中の人が外に出て大騒ぎでした。ベレンコ中尉の名前と顔は忘れられません。2024年11月22日
幼少期にあった強烈な出来事は鮮明に覚えているものですよね。しかもそれが敵国の航空機なのですから、一大事だったことでしょう。
アニメ『戦え!!超ロボット生命体トランスフォーマー』のブリッツウィングはミグ25+戦車に変形する
護衛艦が10艦以上投入されて函館を囲んで千歳では爆装したファントムが待機していたしさらに事実上の防衛出動命令で陸自が函館に展開していたはず米英も同じように展開していたと聞いているその結果ソ連は北海道侵攻と函館強襲を諦めたと。戦争ってこうやって突然起きる物なんだって事台湾も尖閣も同じような事があるかも知れない。
三好陸幕長の対応はそういった事態を想定してのことだったのでしょうね。事件後に関係書類の破棄を政府から命じられ、抗議のために辞任されてしまったのが惜しく思えます。
機体がチタン合金ではなく鋼鉄製で、電子機器が真空管を使っていたことに・・世間は驚いた!
ロシアの乗り物の設計思想は機能よりも、信頼性を第一にしてますよね。国際宇宙ステーションもロシアの部品が多いです。
ちゃんと機体を返すんだね
写真もなかったので触れていないのですが、返還したmig-25はソ連で再度検査を受け、欠品が20点ほどあったこともありソ連から1000万ドルの損害賠償請求されています。
@@Izuko-Cameraワロタ😂
当時、小学一年生。大騒ぎだった。シートこそかけてはいたけど垂直尾翼の灰色はまだ鮮明に覚えているしあちこちに警察官がいたのも覚えてる。
道警主導で対処にあたっていましたから、それは騒々しかったでしょうね。緊急走行のサイレンもけたたましく鳴り響いてそうです。
大学2年生でした ロシア語の試験にベレンコ中尉の声明文が出題されそれを訳しました 辞書は持ち込み可でした
時事要素も含んだ問題ですね!普段使わない言葉が含まれていて難度が高そうです。だから辞書持ち込み可なのでしょうね。
裏切る自由がある‼️‼️
F-4EJと、AN/APQ-120とLCOS(光学照準器)E-2CF-4改、APG-66改レーダーなど実に懐かしいです。
@@KN-ce2et 機材のほうには明るくないので、とりあえず間違った写真を掲載していないようで良かったです。懐かしいということですが、関わりがあられたのでしょうか。
元FCSの整備員をしていたので。私の場合、初級区分でのFCSの課程で実機と機材が、上記添付のF-4EJ-ⅡとAN/APQ-120レーダーと、光学照準器(LCOS)だったので F-4EJとF-4改、三菱F-1F-2A機種の兵装作業補助員なども当時、長年し続けていたので。 ルックダウン・シュートダウン能力のなさ、ま~ナムでの通称名でのベトナム戦争時におけるベトナム航空戦とは、状況が相違だったので。
なるほど、本職でしたか。対空戦だけでなく、戦闘機にもオールラウンドの活躍が求められる時代になっていったのですね。
茨城県の日立港からソ連に帰りました。
ブラックジャックにゲストで出てたろ!
目的は自分の子供の治療だったっけ?
生まれてませんでした。
実は私もそうです。
パトレイバー2の内容が少しわかった
パトレイバーは定期的に見たくなりますね(3に目を背けながら
EJはレーダー性能ゴミだからしゃーない
EJ改になるまでは原型機(E型)にあった爆撃機能に対して騒いだ日本の政治家(本編にも出てた)が居たからそのせいでレーダー性能ワザと低下しせていたし...国防をお気持ちでケチつけるってカスのやる事だと思うの
亡くなってたの知らなかった!
外面だけ気にして身内を蔑ろにした結果、バラされたくない事実を敵にバラされたんだな。
軍備よりも国の内情を暴露されたことのほうが効いてそうですね。
フォックスバットのデザインは、ひたすら定規で真っ直ぐ描いたようなガチガチな硬直的構成で、典型的なソ連戦闘機といった感じでダサかった、
12:41 この横断幕って、ベレンコ中尉が関係者に依頼したのなら分かるが、 そうでないのなら、当時の人は(日本人が日本人に向けて)余計な気遣い、要らん小細工をするなと思う。
横断幕は自衛隊員の発案だったようです。どの自衛隊員かまではわかりませんが、強行着陸を許してしまったことへの謝罪だったのかもしれませんね。
@@Izuko-Camera 教えて頂きましてありがとうございます。大変分かりやすい動画でした。
@@dondonikeike7374 調べてなかったのでおかげで知れました。こちらこそ視聴ありがとうございます!
現代であれば「この横断幕は誰が誰に何をしたことについて謝罪しているのか?」と考えるところですが、当時の日本人は、原爆慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」もそうですが、「この謝罪の主語はいったい誰なのか」をはっきりさせないまま謝罪の言葉を安易に発信してしまう悪い癖がありました。こういうことをしてしまう当時の感覚として「自分から率先して謝るのが潔い態度」「相手が謝ったら水に流すのが潔い態度」という認識が率先すべき社会規範というレベルで社会に強く共有されていました。その反対に「謝罪することは自分の非と責任を認めること」という感覚は恐ろしいほど乏しく、「非を認めて謝っているのに水に流さずしつこく責任を追及してくるのはおかしい」という感覚さえありました。これで揉めに揉めたのが従軍慰安婦問題で「日本は従軍慰安婦を強制連行していないにも関わらず強制連行したことを認めて謝罪したのに、なぜ日本が従軍慰安婦を強制連行したと声高に叫ぶのか?もう謝ったじゃないか」という、今から考えれば「だったら認めて謝罪したらダメじゃん、馬鹿なの?」と言いたくなるようなお粗末な流れがありました。
自衛隊はよく撃ち落とさなかったな。
探知能力が低く発見も遅れてるし撃墜は政治的にできなかった以前に技術的にもできなかったってトコロだよ。
この事件の写真を素にプラモメーカーハセガワが早速Mig25のプラモを発売したが酷いもんだった。NHKがプラモ発売を取り上げたがメーカー名を出せないもんで「静岡のプラモメーカー」と音声では伝えるものの、ハセガワのマークが大写しになってたのは笑った。
NHKは宣伝に貢献してしまったわけですね。そのプラモデルの実物を見たことはないのですが、偵察型と混ざっているいわくつきの代物だったと聞いています。
社会党はさあ😅
簡単に空爆される。
この、戦闘機の、電子関係の主要部品には真空菅が、使われていた。
マッハ3近くの超高温、核使用時の電磁パルスに耐える為に信頼性を選択し真空管を使用した。日本は米国のプロパガンダを信じてバカにしていたが、当時の日本が作れる代物ではない。実際は超優秀な局地迎撃機。その証明として後継機のMig-31が大活躍してますね。
ちなみにF-15もF-16にも真空管は使われてたし多用されてたぞ
当時中学生だったが担任の女の先生が「戦争になるかもしれんよ‥」と深刻そうに言ってたの思い出した。 ったく迷惑なソ連パイロットだ怒りしかわかん
ソ連軍侵攻に陸自の部隊が交戦覚悟で対峙してたって事実。こういう緊迫した事態知らないお花畑が湧いてて草
@@cassyvita4726全然侵攻じゃなくて草
ソ連軍が奪還に向けて侵攻してくるっていう状況だったってこと。お花畑はどこまでおめでたいんだ。それとも左翼?
@@cassyvita472660くらいの爺さんも草って使うんやな
@@嫉妬って書きたいだけだろ笑ほんまやな年寄りもネット用語を操る時代か
親子丼(かつ丼?)の話は何度聞いてもほっこり。
警察が近くの食堂にベレンコに出す飯を依頼した際「ロシア料理なんてできません」と断ったが「じゃあ親子丼でも出しておけ」と言ったからだそう。
調べていても食にまつわる微笑ましいエピソードが多かったですね。親子丼も特別に作ってくれた料理だと思ったくだりとか。
その一方で、ソ連の食料事情がいかに劣悪だったのか推し量れます…。
中尉の名前で検索しようとすると親子丼がワードに出てくるのね。
18歳でしたよ。函館から百里基地に移送されてきたMig-25が見たくて愛機PENTAX SPに300mmを付けて撮影しましたが機体がシートで覆われており2枚の垂直尾翼しか撮れませんでした😭
その道中は胸躍っておられたのでしょうね、結果は残念でしたがなかなか味わえなさそうです。
それにしても300mmは大荷物ですね。
18歳で300mmってすごいね。
今17ですけど、親父からのお下がりで300を1本もらってから、一眼にどハマりして、ずっと航空写真ばっか撮ってます。
MIG,実物を是非写真に収めたいですね
亡命事件直後からミグの破壊を狙いソ連の特殊部隊が上陸してくるのではないかと、北海道の自衛隊は臨戦態勢になっていたそうだね
こっちはパナのビデオカメラで戦闘機
分解して調査してる時に部品を壊しちゃったんだけど、アメリカ本国に連絡したら12時間後には日本にソ連製の交換部品が到着してたって逸話ありましたね。なんでそんなに早くソ連製の部品をアメリカが届けられるんだよっていう。
よほど特殊な部品出ない限り、米国で再現できたんでしょうね。
それにしても太平洋を渡って12時間とは、今の通販より早いです。
豊富な写真や画像による充実した解説、詳細かつ丁寧な経緯説明。事件当時にいるかのような気持ちにもなれました。ベレンコ氏の人となりもよく理解できました。ゆっくりキャラクターの無関係であったり余計であったりする語り合いなどがある他の解説動画とは一線を画していますし、私のような素人でも大変分かりやすくとても感激しました。他の動画も拝見させて頂きます。
恐縮です、ありがとうございます。
導入時に語り合いを入れるパターンは確かに多いですが、私の動画では相性が良くなくまた蛇足感が強いので入れないようにしています。
また写真で補えないものを画像にして、できるだけ状況がわかりやすくなるよう努めているので、そうおっしゃっていただけてうれしい限りです。
私の母が五稜郭の丸井デパートの前で「赤い星をつけた戦闘機が物凄く大きな音で低空で飛んで行った」と話していた。母はソ連が攻めて来たと思い、急いで松陰町の家に帰り避難準備をしたとの事。
今ほど戦争が遠くなかったとはいえ、その衝撃は計り知れないものがありますね。
MiG25は機体が大きく、高度も低かったでしょうからその機影はとても大きく見えたことでしょう…。
音が半端なかったと思います。
@@h498149
大きな音で飛んで行ったって書いてるやろが
平和ボケせず危機感を持った素晴らしいお母様ですね。
2023年9月24日、ベレンコ中尉死去。
ご冥福をお祈りします。
MIG-25の真空管使用は遅れているとか言われていたけど、当時の自衛隊の展示解説にも核攻撃の耐電磁パルス性から信頼性で使用されるとあったけど。
それも時代的な事なんだろうけどね。
核戦争が現実的に考えられた時代、ある意味で合理的であったのでしょうね。
最終的に役に立つのはアナログということです。
核の脅威が身近にあったという証左ですね。
出力も桁違いで少々のジャミングならものともしないというのは意外でした。
確実に稼働してくれる堅実な装備を選択しただけ
確かベレンコ中尉によれば火器管制レーダーはハイパワーで地上では発信禁止だったそう
当時のソ連ではバワー半導体の技術が遅れていた点と迎撃任務として一気に地上から高高度に上昇しても安定動作を確保する為には真空管がベストな選択だっただけ
リベットやスチールの使用も全て当時のソ連が持つ確定技術を上手く組み合わせて当時世界最適な迎撃専用機を造ったわけです
たしかに真空管は電磁障害に強いってメリットがあったが
単純にその当時はまだ真空管の方が信頼性が高いという事もあった。
軍事技術は信頼性が優先されるから、西側の戦闘機でも真空管はけっこう使われていたそうだ。
この事件がインスピレーションを与えて ”FIREFOX” の様な名作映画が生まれたんだな。
函館に強行着陸し 東京に移送され そこで差し入れされ食べた移送先近くの街の洋食屋の料理が美味しく どんな料理人が作ったんだと聞いたとか
当時のソ連の食事情が分かりますね
@@asaichban9842 ベレンコ中尉の食にまつわる話は日本でもアメリカでも伝わっていて、ソ連の食料事情が窮していたことは容易に想像めきますね、気の毒になってきます。
それをオウム真理教に漬け込まれたんだ。
確か、カツ丼。
さらにモスクワとベレンコ中尉がいた極東でも差があったのだろうな。
@@akirakajiwara9478
パイロットとしてエリートなのに、ロクな食事も無いし、上官は立場を利用して不正蓄財に走る。
奥さんは家事もしないで不満タラタラ言う、公私の生活がボロボロだったらしいね。
17歳でした。ソ連空軍宿舎で犬も食わない不味い朝食を食べてから、ベレンコは来日したんですね。当時の三木首相の毅然とした態度には好感を持ちました。
音楽が後半に向けて気分高騰してくる
過去に北海道新聞でベレンコ中尉の特集をされており
アメリカに住んでいることも、亡くなったことも知りました。
どんな人生だったのでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。
わからない事件だったので、事の詳細がわかって嬉しいです♪
ボードゲームで「AIR WAR」ってので、よくソ連機を使って対戦してたの思い出しました。
主様の動画で、「少年の頃」を思い出しましたドモドモです
聞いたことはあるけれど、よく知らないモノコトって意外とありますよね。
視聴ありがとうございます。
AIR WARなついな。AIR WARでのMIG 25の曲がらなさはすごがったよな。ロケットかよって感じ。
拡張のスーパートムキャットも買って、今はルールブックだけ残しています。
@@hato5271 様
返信ドモドモです
あー
アトール撃って
「7」を2回続けて出した想い出
アリマス…フィシュベットで…対戦はF4だったと(40年前のお話しでうる覚えデス)
今と違って「想像」のゲームって面白かったカモ?しれませんよねw
時系列に沿った分かり易い図解といいMig-25の真空管使用理由を的確に解説している(時代遅れの真空管という誤った解説をしない)ところといいベレンコ亡命事件の解説動画の中でもトップクラスにいい動画なのでは・・・?
ありがとうございます。
できるだけ誤解のない解説を心掛けていますし、図解については目立たないながらも時間がかかっているので、そう言っていただけると制作した甲斐があります。
映画ファイヤーフォックスを思い出しますね!
Mig25がファイヤーフォックスの原点したよね
当時、函館の小学生でして、このミグを授業中にみんなで見ました。ゴーッと聞いたことのない爆音がしたので上空を見たらミグがゆっくり旋回してました。三周ほどでしたか。赤い星もハッキリ見えましたね。
でも子供だから、どういう事なのか分からない。「アメリカの飛行機だ!カッコいい!」なんてはしゃいでましたよw
三日後くらいに親父が車で空港まで連れて行ってくれましたが、もうミグは真っ黒い真四角の格納庫に収められてました。
大人になって仕事で関係のあった米国人と、この件を話したら彼がロシア系の人で少し興奮気味でした。彼曰く、ロシアでは「ベレンコ」とは言わず「ベレシェンカ」と呼ぶそうです。
子どもだと細かいことなんてわかりませんから、非日常な出来事にわくわくするでしょうね!
ベレンコ中尉については、ロシア本土は否定的かもしれませんが、海外に出ているロシア系の方々は好意的なのでしょうね。
函館在住当時、このミグ25を肉眼で目撃しました。
ソ連からミサイルが飛んで来るって大騒ぎでしたが、当時の外交手腕が物凄くて国際問題にはならずに済みましたね。
当時は小学生で「カッコ良い戦闘機だな〜」って呑気に眺めて居ましたが、自衛隊機には無い機影で低空飛行でした。
ベレンコ中尉はレーダーをかいくぐるために、漁船のアンテナに接触しかけるほどの超低空での飛行を行ったそうだね
ミグ25は高高度から襲来するアメリカの爆撃機を迎撃するために開発された機体であり
低空での飛行がもっとも苦手な機体だった。それでそんな無茶をするものだから
ベレンコ中尉も決死の覚悟だったのだろう
ドキュメンタリーで見たが
いかにソ連という国(と軍)が腐敗してるかってのが語られてたなぁ。
まぁ今でもその腐敗は続いてるけど
組織としての権力が強い分、共産主義や社会主義のほうが腐敗が広く横行しているイメージです。
資本主義も腐りますが。
ハセガワさんのキットをリニューアルして欲しいですね😉
私は6歳の時に知った。
「ミグ25」の名前は記憶に残っている。
因みに1942年1月に、極東ソ連空軍の曹長が、極東ソ連空軍に配備されたばかりの最新鋭戦闘機「ラボチキンラグ3」を操縦し、旧満州に越境亡命している。
LaGG-3が鹵獲後にテストを受けた際に撮影された写真があったので、以下の動画で紹介させてもらっています。
興味があればご覧ください!
ruclips.net/video/ZzkspxH7p58/видео.html
当時ハセガワ製ミグ25の1/72プラモデルが発売されて買ったな~。
べレンコンさんのご冥福をお祈りいたします。
秘密のベールに包まれていたソ連の戦闘機が発売されれば、ほしくなりますね。
40万個の売り上げも納得です。
中学生の時に「ソレ」は起こったんだけど、クラスの前2列のガリ勉君たちや体育会系のクラスメートらは「へ~」ってな具合で全く興味を示さずミリオタとプラモキチガイ(死語ね)らは、物凄く盛り上がったのをよく覚えている。
放課後は他のクラスや他の学年の子達も集まってちょっとした集会みたいになっちゃって先生たちが何事が起きたのか見に来たね。
「ここでは木を抱きしめる人もいれば木を切り倒したい人もいる。そして彼らは隣り合って暮らしているんだ」とアメリカで感じ取った彼の持つ純粋な人間性が、祖国を含めた「全て」を見捨てる原動力にもなったのでしょうね。
この世代の書き方から感じる狂った日本語のヤバさ凄いよね
機密は機密のうちが最強ってのあるね
幽霊の正体見たり枯れ尾花、と言いますもんね。蓋を開けてみたら実は・・・っていうのは良くある話です。
亡命直後に関係者でないと撮れない写真がハセガワに届けられて迅速にプラモ化しました。大ヒットでした。
私も買って機体のデカさ、インテークとテールパイプの太さに驚いたものです。今もそのまま店頭に並んでいるようです。
小学校四年生の時函館南西部の海岸沿いの町で友達と遊んでいたら物凄いごう音でミグ25が函館方面に飛んで行き2機のファントムが追いかけていたのを今でも脳裏に焼き付いています。
町中の人が外に出て大騒ぎでした。ベレンコ中尉の名前と顔は忘れられません。
2024年11月22日
幼少期にあった強烈な出来事は鮮明に覚えているものですよね。
しかもそれが敵国の航空機なのですから、一大事だったことでしょう。
アニメ『戦え!!超ロボット生命体トランスフォーマー』のブリッツウィングはミグ25+戦車に変形する
護衛艦が10艦以上投入されて函館を囲んで
千歳では爆装したファントムが待機していたし
さらに事実上の防衛出動命令で陸自が函館に展開していたはず
米英も同じように展開していたと聞いている
その結果ソ連は北海道侵攻と函館強襲を諦めたと。
戦争ってこうやって突然起きる物なんだって事
台湾も尖閣も同じような事があるかも知れない。
三好陸幕長の対応はそういった事態を想定してのことだったのでしょうね。
事件後に関係書類の破棄を政府から命じられ、抗議のために辞任されてしまったのが惜しく思えます。
機体がチタン合金ではなく鋼鉄製で、電子機器が真空管を使っていたことに・・
世間は驚いた!
ロシアの乗り物の設計思想は機能よりも、信頼性を第一にしてますよね。国際宇宙ステーションもロシアの部品が多いです。
ちゃんと機体を返すんだね
写真もなかったので触れていないのですが、返還したmig-25はソ連で再度検査を受け、欠品が20点ほどあったこともありソ連から1000万ドルの損害賠償請求されています。
@@Izuko-Cameraワロタ😂
当時、小学一年生。大騒ぎだった。シートこそかけてはいたけど垂直尾翼の灰色はまだ鮮明に覚えているしあちこちに警察官がいたのも覚えてる。
道警主導で対処にあたっていましたから、それは騒々しかったでしょうね。緊急走行のサイレンもけたたましく鳴り響いてそうです。
大学2年生でした ロシア語の試験にベレンコ中尉の声明文が出題され
それを訳しました 辞書は持ち込み可でした
時事要素も含んだ問題ですね!普段使わない言葉が含まれていて難度が高そうです。だから辞書持ち込み可なのでしょうね。
裏切る自由がある‼️‼️
F-4EJと、AN/APQ-120と
LCOS(光学照準器)E-2C
F-4改、APG-66改レーダーなど
実に懐かしいです。
@@KN-ce2et 機材のほうには明るくないので、とりあえず間違った写真を掲載していないようで良かったです。
懐かしいということですが、関わりがあられたのでしょうか。
元FCSの整備員をしていたので。
私の場合、初級区分でのFCSの課程で
実機と機材が、上記添付のF-4EJ-Ⅱと
AN/APQ-120レーダーと、
光学照準器(LCOS)だったので
F-4EJとF-4改、三菱F-1
F-2A機種の兵装作業補助員なども
当時、長年し続けていたので。
ルックダウン・シュートダウン能力の
なさ、ま~ナムでの通称名での
ベトナム戦争時におけるベトナム
航空戦とは、状況が相違だったので。
なるほど、本職でしたか。
対空戦だけでなく、戦闘機にもオールラウンドの活躍が求められる時代になっていったのですね。
茨城県の日立港からソ連に帰りました。
ブラックジャックにゲストで出てたろ!
目的は自分の子供の治療だったっけ?
生まれてませんでした。
実は私もそうです。
パトレイバー2の内容が少しわかった
パトレイバーは定期的に見たくなりますね(3に目を背けながら
EJはレーダー性能ゴミだからしゃーない
EJ改になるまでは原型機(E型)にあった爆撃機能に対して騒いだ日本の政治家(本編にも出てた)が居たからそのせいでレーダー性能ワザと低下しせていたし...国防をお気持ちでケチつけるってカスのやる事だと思うの
亡くなってたの知らなかった!
外面だけ気にして身内を蔑ろにした結果、バラされたくない事実を敵にバラされたんだな。
軍備よりも国の内情を暴露されたことのほうが効いてそうですね。
フォックスバットのデザインは、ひたすら定規で真っ直ぐ描いたようなガチガチな硬直的構成で、典型的なソ連戦闘機といった感じでダサかった、
12:41 この横断幕って、ベレンコ中尉が関係者に依頼したのなら分かるが、
そうでないのなら、当時の人は(日本人が日本人に向けて)余計な気遣い、要らん小細工をするなと思う。
横断幕は自衛隊員の発案だったようです。どの自衛隊員かまではわかりませんが、強行着陸を許してしまったことへの謝罪だったのかもしれませんね。
@@Izuko-Camera
教えて頂きましてありがとうございます。大変分かりやすい動画でした。
@@dondonikeike7374 調べてなかったのでおかげで知れました。
こちらこそ視聴ありがとうございます!
現代であれば「この横断幕は誰が誰に何をしたことについて謝罪しているのか?」と考えるところですが、当時の日本人は、原爆慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」もそうですが、「この謝罪の主語はいったい誰なのか」をはっきりさせないまま謝罪の言葉を安易に発信してしまう悪い癖がありました。
こういうことをしてしまう当時の感覚として「自分から率先して謝るのが潔い態度」「相手が謝ったら水に流すのが潔い態度」という認識が率先すべき社会規範というレベルで社会に強く共有されていました。その反対に「謝罪することは自分の非と責任を認めること」という感覚は恐ろしいほど乏しく、「非を認めて謝っているのに水に流さずしつこく責任を追及してくるのはおかしい」という感覚さえありました。
これで揉めに揉めたのが従軍慰安婦問題で「日本は従軍慰安婦を強制連行していないにも関わらず強制連行したことを認めて謝罪したのに、なぜ日本が従軍慰安婦を強制連行したと声高に叫ぶのか?もう謝ったじゃないか」という、今から考えれば「だったら認めて謝罪したらダメじゃん、馬鹿なの?」と言いたくなるようなお粗末な流れがありました。
自衛隊はよく撃ち落とさなかったな。
探知能力が低く発見も遅れてるし撃墜は政治的にできなかった以前に技術的にもできなかったってトコロだよ。
この事件の写真を素にプラモメーカーハセガワが早速Mig25のプラモを発売したが酷いもんだった。NHKがプラモ発売を取り上げたがメーカー名を出せないもんで「静岡のプラモメーカー」と音声では伝えるものの、ハセガワのマークが大写しになってたのは笑った。
NHKは宣伝に貢献してしまったわけですね。そのプラモデルの実物を見たことはないのですが、偵察型と混ざっているいわくつきの代物だったと聞いています。
社会党はさあ😅
簡単に空爆される。
この、戦闘機の、電子関係の主要部品には真空菅が、使われていた。
マッハ3近くの超高温、核使用時の電磁パルスに耐える為に信頼性を選択し真空管を使用した。
日本は米国のプロパガンダを信じてバカにしていたが、当時の日本が作れる代物ではない。
実際は超優秀な局地迎撃機。その証明として後継機のMig-31が大活躍してますね。
ちなみにF-15もF-16にも真空管は使われてたし多用されてたぞ
当時中学生だったが担任の女の先生が「戦争になるかもしれんよ‥」
と深刻そうに言ってたの思い出した。 ったく迷惑なソ連パイロットだ
怒りしかわかん
ソ連軍侵攻に陸自の部隊が交戦覚悟で対峙してたって事実。
こういう緊迫した事態知らないお花畑が湧いてて草
@@cassyvita4726全然侵攻じゃなくて草
ソ連軍が奪還に向けて侵攻してくるっていう状況だったってこと。
お花畑はどこまでおめでたいんだ。それとも左翼?
@@cassyvita472660くらいの爺さんも草って使うんやな
@@嫉妬って書きたいだけだろ笑ほんまやな
年寄りもネット用語を操る時代か