Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
尾道出身の者です。一日中歩いて下さり、ありがとうございました。また素敵に紹介して下さり嬉しいです。最高のロケ地巡り動画でした!
無断で私有地に立ち入っているので、注意してあげてください。
8:51初めて私が「タイル小路」を訪問した時、そのわずか20メートル先に「福善寺の境内墓地」が存在することにたいへん驚きました。映画「東京物語」に登場する人物の会話を注意深く聞いていると、東京に住む息子や娘の元から「平山周吉」とその妻である「平山とみ」が尾道へ帰ったのは「1953年7月10日(金曜日)」であったことがわかります。ということは、東山千榮子さんが演じた「平山とみ」が亡くなったのは、おそらく「1953年7月12日(日曜日)」の未明であると思います。小津安二郎監督とそのスタッフは、「平山とみ」が亡くなった具体的期日を明らかにしていませんが、7月12日(日曜日)であったと考えて間違いないと思います。大林宣彦監督とそのスタッフは、1982年劇場公開の映画「転校生」で小林聡美さんが演じた「斉藤一美」の15歳の誕生日を「1981年7月12日(日曜日)」に設定した理由を詳しく説明していません。それゆえに、私は、実に40年以上もの間、その設定理由を理解することができなかったのです。大林監督とそのスタッフは、「斉藤一美」が「平山とみ」の生まれ変わりであるということを主張したかったのでしょう。
お疲れさまでした。思いでと共に懐かしく拝見させて頂きました。ありがとうございました
私有地への無断立入りはいけません。登記所で所有者を調査してください。
拝見するのが遅くなってしましました。尾道ロケ①~③と本当に堪能させて頂きました。以前もコメントした様に最近は全く行けていない自分の田舎である尾道の様子がうかがえて本当に嬉しかったです。いつも楽しい動画をありがとう。
私有地への無断立入りを繰り返している撮影者をハゲしく叱責してやってください。地主が大きな迷惑を被っているのです。無責任で違法な動画撮影を二度と繰り返さぬよう厳しく叱責してやってください。
これはもう「お疲れ様でした」の言葉しか出ないですね
ありがとうございます!
@@mizusawa-hidenari 人に指図するな
@ 見知らぬ人間に指導できるほど偉いと思ってるの?
@@marquismontblanc キミ、医者に診てもらった方がいいぞ。
懐かしい❗️40年前のノスタルジーに浸れました😊
お疲れ様でした。22:45のところに新尾道三部作、ふたりのロケ地、電柱が映ってますね。
そのようですね。まだ未見なので確認します。
前回の動画にコメしたのですが、無事に小林さん家を発見出来たんですね。おめでとう御座います。朽ちちゃったのは残念ですが懐かしく拝見しました。横溝正史シリーズのロケ地巡りとか好きなので久しぶりに行きたいと思います。
長時間お疲れ様でした!こたつさんの熱意には毎回脱帽ですありがとうございます
私有地ですよ、タイル小路は。階段部分を除き民家の敷地にまで足を踏み入れてはいけません。
解りやすく、丁寧な案内で、尾道作品愛が伝わりますⅡで腹ごしらえ時のお顔も写してくれて親近感出て良いですね(笑)一緒に 訪れてる気持ちになれます。お疲れ様です🫂
私有地へ無許可で立ち入らないでください。
歩きっぱなしのロケ地巡り、大変おつかれさまでした。大林宣彦監督の尾道三部作とよく言われますが、お寺、路地、坂道、長い石段、そこから見下ろせる尾道水道などななど、魅力的な場所がたくさんありますね。当時とさほど変わっていないところも多々ありますが、廃墟などは時間の経過を思い知らされます。
廃墟は目立ちましたねぇ
お疲れ様でした。私も、時をかける少女を当時映画館でみました。やはり超満員だったのを記憶しています。とても、不思議感のある作品でしたがこの尾道のロケーションがあっての作風なんですね。
大ヒットだったんですねぇ
「転校生」私が一番好きな邦画ですね。出演者の演技力も良かったのですが、それ以上に映画をこよなく愛するスタッフが丁寧に愛情込めて創った映画だなと感じます。尾美としのりさんが演じた主人公方の紹介後に、小林聡美さんが尾美としのりさんが乗ったトラックを追いかけるラストシーンの通りがちらっと映っていましたね。ぜひ聖地巡礼したいと思います。
小林聡美さんが演じた斉藤一美がトラックを追い駆けて走り出した地点は、「おのみち映画資料館」の東隣にある尾道市公用車専用駐車場の前辺りです。そこは、1953年8月に小津安二郎監督が映画「東京物語」のオープニングシーンを撮影したロケ地そのものです。「栗吉材木店の看板」があった場所は、現在、「尾道市公用車専用駐車場」になっているのです。ただし、大林宣彦監督は、同一ロケ地においてカメラを西に向けて撮影しているために、現地を知らない人が見たらそれが同一地であることが分からないだけです。小津安二郎監督は、海岸通りに立ってカメラを「東」へ向けて撮影したのに対し、大林宣彦監督は、同一地においてカメラを「西」へ向けて撮影しているだけです。
「尾道市公用車専用駐車場」の前から海岸通りを実際に「東」へまっすぐ歩いてみてください。そこを歩いた人は、必ず「地理的な違和感」を覚えるはずです。一美は、「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追って国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ向かって走ったはずです。「斉藤一夫の家」の前を出発した次の場面は、国道2号線上で撮影されていません。その場面は「海岸通り」で撮影されているのです。したがって、海岸通りを東へまっすぐ進むと、つい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ辿り着きます。????????ここでは「地理的な無限ループ」を楽しんでください。大林宣彦監督とそのスタッフは、意図的に仕組んでいるのです。
一夫は、「料亭旅館魚信」の前辺りでトラックの助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めます。「さよなら、俺!さよなら、わたし!」の名場面です。その際、一夫の背後に「浄土寺山」が、一美の背後に「仁井時計店の看板」が映り込みます。どうして一夫は「料亭旅館魚信」の前でカメラを取り出したのでしょうか。どうして二人の背後にそれぞれ「浄土寺山」と「仁井時計店の看板」が映り込むのでしょうか。前者は、「料亭旅館魚信」の前が1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」のロケ地であるためであって、後者は、それらの背景が1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオマージュだからです。大林宣彦監督とそのスタッフは、「新藤兼人監督」と「小津安二郎監督」に対する敬愛の念を「転校生」のラストシーンにこれでもかと言わんばかりに詰め込んでいます。
中学生の時に時をかける少女、転校生を見て以来尾道でロケ地巡りをするのが夢で27年前に行けた時は嬉しかったです。タイル小路ではタイルにメッセージを書いてきたんですがもうないんですね😢懐かしい気持ちで動画見させていただきました。ありがとうございます😊
お疲れ様でしたww懐かしさと、嬉しさが溢れるロケ地巡り動画でしたwwいつかまた訪れたい場所ですwwいつも楽しませていただき。ありがとうございますww
「時かけ」の学校の桜は合成だったと大林宣彦監督が映像特典で言ってました😊
なるほど!合成だったんですね!
そのとおりです。でも、映画「時をかける少女」のエンドロールの最後には「未開花の桜」も映し込まれていることを注視してください。その場面で「未開花の桜」が現れる理由は「時間は過ぎ去るものでなく、やって来るものなんだ」というセリフに密接関連しており、大林監督は意図的に「未開花の桜」を撮影したはずです。その場面を注意深く観察してみると、「監督 大林宣彦」の白文字が「未開花の桜」と「西方寺普明閣の石灯篭」の両方を指し示すように相対的に動いています。「西方寺普明閣の石灯篭」は、映画「東京物語」のオープニングシーンに映し込まれていた「住吉神社の石灯籠」のオマージュであって、それは「小津安二郎監督」の象徴です。「未開花の桜」が開花するのは、おそらく「2033年4月16日(土曜日)」です。その時、原田知世さんは、米国の映画「猿の惑星」で主役を演じたチャールトン・ヘストンさんの存在をはるかに超える人になることでしょう。半世紀の時間を隔てて「続編」が製作発表されたことなど、われわれ人類の映画史には過去一度もありません。
おつかれさまでした!ロケ地探しへの飽くなき情熱&各シーンへの造詣の深さに改めて脱帽です。12年前、自分も浄土寺階段→一夫の家前まで歩いていたことを思い出して懐かしく拝見しました。これからも楽しみにしております。お体ご自愛頂けますと幸いです。
すごい!頑張りましたね!自分もまた行きたくなりました
ぜひ!
本当に大変お疲れさまでした。グーグルマップで「転校生」の もう一人の主人公 斎藤一美の家を見つけられず諦めてました。見つかった斉藤一美の家は人が住んでおらず、手入れもされないので荒廃してきたんでしょうね。立ち入り禁止でなければもっと近くまで行けたのに惜しい。2作品とも劇場公開から40年を過ぎ、それに伴いロケに使われた当時の建物が徐々に消えていくのはとても残念なことです。
お疲れ様でした〜今回も見応えがありました。ありがとうございました😊
22:46の辺りで大林宣彦監督の新尾道三部作の「ふたり」の映画ロケ地が偶然映ってましたね。浄土寺の周辺にも「ふたり」のロケ地が点在しているので機会が有ればぜひ「ふたり」のロケ地巡りにもチャレンジしてみてください。
聖地巡礼お疲れ様です私も10年前に尾道三部作の聖地巡礼をしたことあります夏だったこともあり大変でした。
「天国と地獄」をBGMに使っていたのがナイスw
今では信じられないかもしれませんが、時をかける少女、当時夏休みで立見でした。入れ替え制ではなかったので、2回目は座れましたが…同時上映は探偵物語でしたね。
そうでしたか!
当時、高校生が夜中に街をウロウロしても、警察に咎められることがないかったです。なので、土曜日の夜に時をかける少女を見に行きました。懐かしいです。
お疲れ様でした!尾道は坂が多くて本当にお疲れになったと思います1日でこれだけ巡れるんですね。西日本で日没が遅くて良かったです
くたくたでした
@@cotatsu_travel 尾 道 で 夕 陽 を 眺 め る と き 、 つ い つ い 尾 道 水 道 だ け に 注 目 し が ち で す が 、 実 は 、 夕 陽 に 染 ま る 浄 土 寺 山 が と っ て も 綺 麗 な ん で す よ 。海 岸 通 り で 「 斉 藤 一 美 」 に な っ た 気 分 で 「 斉 藤 一 夫 」 が 乗 っ た ト ラ ッ ク を 追 い か け て み て く だ さ い 。
2024 一美の家は朽ち果てて廃墟となり完全に崩れ去るのも近いでしょう。一美と一夫が開け放った門扉は傾いたまま残っていました。寂しいですね。実際の故郷ではないのだけど、尾道はどこか懐かしい。
そこも私有地ですぞ。ダメです、無断立入りは。
@@mizusawa-hidenari 家の前から見ただけでしょ。
@@やすひろ-m9i 立ち入ってないのならOKですよ。
すごい!転校生の家みつけてくれてありがとうございます
そこは私有地です。無断で立ち入らないでください。
お疲れ様でした!最後に見つかって👍根性👍まるで迷路ですな~!いやーお疲れ様でした!!
探検してる感じでした
咲いてる桜は合成した、という話を聞いた記憶がありますが・・。タイル小路、新しい家が建てられてもかろうじて残されてるので良かったと思いました。今後も残してもらえればと思います。。大林監督が「迷ってみて」と言われたようにだいぶ余計に歩かされたのではないでしょうか?😙☘️最後の方で迷われてた時にふいに通り過ぎた電柱は『ふたり』の電柱でしょうか。。
「ふたり」の超有名な電柱映ってましたね。まだ見ていないとのことなのでスルーされてましたけど。素晴らしい粘りでした。
「タイル小路わきの民家」の敷地は私有地ですから、その所有者(又は管理者)に無断で立ち入ってはいけません。映画「時をかける少女」のロケが行われた当時の所有者は「島居完さん」でした。島居完さんは、大林宣彦監督の生家のお隣さんです。島居家の立派な墓所は「西土堂ポケットパーク」前の通りを挟んだ真向いにあります。
大林宣彦監督のお墓はまだ建立されていないようですね。三回忌法要は「西願寺」で行われたらしいのですが、私は、大林監督のお墓は「島居完さん」の隣の区画に建立され、そこに骨されるのではないだろうかと予想しています。そこからは尾道水道がよく見えるし、山陽本線を走行する電車の音がよく聞こえます。 そこは映画「転校生」の冒頭シーンのロケが行われた場所で、土堂小学校が近く、また、斉藤一美が自転車で駆け上った坂のすぐそばだからです。
迷路の中に入ったようで冒険してた感覚でした
@@cotatsu_travel 😆💧
転校生の主人公の洋風の家、荒廃してしまったのですね。私がずいぶん前に尾道旅行に行ったときは、まだきれいだったような記憶があります。
「 弓 場 邸 」 は 2 0 2 1 年 1 2 月 2 7 日 に 売 却 さ れ ま し た 。売 却 の 事 実 は 、 Y O U T U B E R で あ る 弓 場 さ ん 本 人 か ら 教 え て も ら い ま し た 。私 は 、 偶 然 、 そ の 前 日 の 1 2 月 2 6 日 に 訪 問 し て い ま す 。福 山 ま で デ ー ト に 向 か っ た 「 斉 藤 一 美 」 の 姿 と と も に 映 っ て い た 玄 関 木 戸 は 朽 ち 果 て て し ま い ま し た 。
人がいなくなってからずいぶん経っている様子でしたね
おつかれさまでした。25年前、某自動車メーカーの雑誌広告の撮影取材で尾道を歩き回りました。ケーブルカー駅前の茶房こもんの経営者さんは大林監督の尾道撮影のプロデューサーを兼ねていらした方で、撮影時の苦労話などお聞きしたことを思い出しました。
そうだったんですか、、!
主人公の家の辺り(23:25)をグーグルアースで俯瞰しましたが、とんがり屋根の家は見当たりませんね。この辺りは貸し別荘地のようです。あるテレビドラマでデーパートの屋上から下を見下ろすシーンがあったのですが、デパートは横浜市青葉区のたまプラーザ東急で見下ろした街路は杉並区か渋谷区の高級住宅街(町名忘れた)だったことがありますので、主人公の家だけは別の場所かも知れませんね。
お使いで 下駄を履いて下ってた小さい階段とタイル小路(こうじ) 懐かしいーーー。
映画は見ていませんが、尾道に興味があって、今回の今昔動画もとても良かったです。私は尾道は九州夜行列車で夜中に通過したことと、新幹線で三原まで行ったときに新尾道を通ったのみ、街は散策していなくて、一度は訪れてみたいです。それにしても、坂の街で有名なだけに、坂道だらけ、それも細く入り組んでいて、迷路ですね。よく回られましたね。私道みたいな所も多く、通るのに躊躇しますが、足が丈夫ならば、ハイキング気分で散策できることがわかりました。またロケ地の今昔比較を楽しみにしています!
できる事なら大林宣彦監督の「時をかける少女」「さびしんぼう」「転校生」「ふたり」を観てから尾道を訪れると良いと思います。が、平成生まれの方は受けいられるかどうか(汗)80年代の世代ならばノスタルジックに感じ、ロケ地巡りも楽しくなりますが。
ロケお疲れ様です。いつも楽しみにしてます。尾道ダンジョンみたいですね
5:35この画角は極めて重要です。大林宣彦監督は、どうして「タイル小路」を映画のロケ地として選んだのでしょうか。この疑問に対する答えは、尾道市東久保町の吉田邸前が「千津子の事故現場」とされたのはなぜか、という疑問に対する答えと同一です。「タイル小路」の先は「福善寺の境内」です。「千津子の事故現場」の真向いは「尾道市立筒湯小学校」です。「福善寺の境内」も「尾道市立筒湯小学校」も、小津安二郎監督の映画「東京物語」のロケ地なのです。原田知世さんが演じた芳山和子は、目の前に置かれたコップの中が突然「紅茶」で満たされたことに驚嘆しましたが、初めて「タイル小路」へ行った時、私は、この場面とそっくり似た経験をしています。目の前に過去の映画の世界が突然現れたから、私は思わず声をあげてしまいました。な、な、なんと「タイル小路」と「福善寺の境内」は隣り合う敷地だったのです。1953年7月に「東京物語」の平山敬三と平山紀子が語り合った福善寺の境内は、1983年4月に「時をかける少女」の芳山和子が元気に高校へ通ったタイル小路のすぐ隣にあったからです。その距離はわずか10メートル、驚嘆せずにはいられませんでした。尾道市東久保町の坂道を歩いた時も、私はまったく同じことを経験しています。
世間の人々によって広く語られていませんが、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」に現れる「菜の花」、「桜の花」、「桃栗三年柿八年の歌」及び「クラスメートの前で歌うエンドロールの主題歌」は、すべて木下惠介監督の映画「二十四の瞳」に対する強烈な敬愛の念が込められたオマージュであると思います。「天ぷら一丁」という女児の声に反応して大石先生が「松江」と偶然に再会する場面は、とても印象深いものです。「松江」を演じた12歳の女の子の悲しい悲しい後ろ姿は、根岸季衣さんが演じた立花先生の喜びを表す後ろ姿によってオマージュされていると思います。福島先生が着用したネクタイについて、芳山和子が立花先生の目の前で「素敵ですねって言いたかったんです、昨日。」と告げる場面です。真逆の感情のオマージュなのでわかりづらいと思いますが、その証拠に、大林宣彦監督は、「時をかける少女」の劇場公開から3年後、原田知世さんの姉である貴和子さんを主役に抜擢して「彼のオートバイ、彼女の島」を発表しています。「岩子島小学校の元校長」の役を演じたのが田村高廣さん(盲目の磯吉を演じた俳優)であることから、間違いないと思います。
凄いですね 大変そうだけれど 楽しめました私も 深町君の家とか ちょい探してみたけれど 解からないわーまたいつか 行ってみよう・・
「時かけ」芳山和子の家は西國寺仁王門から左の住宅街の小道に入っていった所です。もう8年前くらいにロケ地巡りで訪れた時には 草木ボウボウで家も廃墟になってました。私も芳山和子の家を捜すのが大変でしたし、廃墟と墓地の多さで途中怖くなりました(笑) タイルの小路は私が行った時もボロボロでしたけど、更にボロボロになってましたね。 とても分かりやすい動画ありがとうございます。
@user-ro7qk9op5r 私も行った時は ちょっとした大林映画の小屋みたいなとこがあったので入ってみたら砂ぼこりまみれで悲しくなりました。でも なんやら最近大林宣彦監督の生家で記念館カフェみたいなものをリノベーション中とかで楽しみです。
@user-sy6yx9gh6h 芳山家は取り壊されてましたか。寂しいですね。ごめんなさい、「9時87分」とは?どんな意味ですか?
ロケ地めぐり大変でしたね、ご苦労様です私は関東の神奈川県ですこちらもかなりロケ地が有ります、今度は神奈川県藤沢市鎌倉市綾瀬市大和市海老名市厚木市ロケ地めぐりお願いします、特に藤沢市の江の島かな
「タイル小路」変わってしまってますね。90年代に行ったときは観光客がタイルに映画の思い出を書いて並べてあるスペースがあったと記憶していますが、今はまったく面影がないですね。ここに来る観光客も減っているのでしょうか。私のイチ押し映画「さびしんぼう」シリーズも期待しています。ロケ地巡り私もした事があります。
11:05大林宣彦監督の尾道映画が小津安二郎監督の映画「東京物語」と無関係であるという認識は大間違いです。私は、あなたのためにその誤認識を正す目的で様々な書き込みを加えました。
狭い坂道9時間お疲れ様でした。せっかくのロケされた家が崩壊してて寂しいですね。観光スポットとして保存してほしかったです。
なかなか難しいでしょうねぇ。。
一 般 に 、 個 人 が 「 空 き 家 」 を 撮 影 当 時 の ま ま 維 持 す る の は 不 可 能 で す 。「 タ イ ル 小 路 わ き の 長 屋 」 の 一 部 は 、 大 林 映 画 で 大 道 具 を 担 当 し た 大 田 貞 男 さ ん と 株 式 会 社 大 田 建 築 事 務 所 の 皆 さ ん に よ っ て 建 替 え ら れ て い ま す 。
古 い 建 物 を 取 り 壊 し て 改 築 し よ う と す る 場 合 は 、 現 在 の 建 築 基 準 法 に 適 合 す る よ う プ ロ に 依 頼 し て 設 計 し て も ら わ な け れ ば な り ま せ ん 。特 に ト イ レ ・ 台 所 ・ 洗 濯 等 で 生 じ る 排 水 の 処 理 問 題 は 悩 ま し い こ と で す 。
私 は 、 「 旧 弓 場 邸 」 の 新 所 有 者 で あ る Y 本 M 希 さ ん が 「 建 築 基 準 法 」 に 精 通 し た 人 物 で あ る か ど う か は 知 り ま せ ん 。で も 、 今 回 、 庭 の 木 す べ て が 伐 採 さ れ て し ま っ た こ と を 考 え る と 、 こ の 先 も 不 安 で な り ま せ ん 。尾 道 の 空 き 家 問 題 は 、 気 合 い だ け で は ど う に も な ら な い の が 実 情 な ん で す 。
15年くらい前に、アニメ「かみちゅ!」の影響で訪れた事がありました。その間だけで尾道はかなり変わってますね。廃屋が多いようですが狭い道や坂が多いのでお年寄りにはキツイのでしょう。
23:28ここから先は私有地です。近所の人に110番通報された場合は警察官によって連行されることだってあり得ますよ、注意してください。なお、5月GW明けに「旧弓場邸」の庭にあった木々はすべて伐採されてしまいました。松の木もすべて伐採されてしまったので、「斉藤一美の家」及び「前野万里子の家」の雰囲気は完全に失われてしまいました。
こたつさん、長江小学校、坂の途中にあって趣のある校舎だなって調べたら、グーグルさんが全然違う場所を教えるのです。調べてみたら、災害対応や耐震補強の困難さから、2020年度にこの校舎は廃校になり、近くの長江中学校の仮校舎に移転しています。残念ながらもうこの校舎に通う生徒は居ないようです。今は体育館が放課後児童クラブとして使用されているようです。移転理由からして、近い将来に取り壊される運命かもしれませんね。
なんと!そうでしたか。貴重な情報ありがとうございます。
だんだん廃墟街化していますね、道すら崩落で放棄されてるのはもの悲しいです。
そ の と お り で す ね 。で も 、 私 は 密 か に 期 待 し て い る ん で す よ 、 2 0 3 3 年 4 月 1 6 日 ( 土 曜 日 ) に 原 田 知 世 さ ん が 広 島 県 立 三 原 高 等 学 校 弓 道 部 の O B ・ O G の 皆 さ ん と と も に 長 江 小 学 校 校 庭 に 集 ま っ て く れ る こ と を 。そ の 時 に 見 て み た い な 、 6 5 歳 に な っ た 原 田 知 世 さ ん の 「 白 い ブ ル マ 」 を 着 用 し た 姿 を 。
千光寺周辺の道は観光地化で整備はされていますが、住民用の路地は結構痛んでますね
家を撤去したら、固定資産税が高くなるので、壊れたままにしていると思います。
半年ぶりに「タイル小路」へ行って参りました。私有地につき立入禁止の看板は取り外されていましたが、オーナーさんは、部外者の無断立入りに今も困っているようです。
こたつさんの動画を見た人が「タイル小路」わきの私有地に無断で立ち入っているのでしょう。
地元の方がRUclipsで大林作品の聖地巡礼動画(尾道・竹原・福山)がいくつもあります。
桜が綺麗・・・
ちょうどいい季節でした
尾道は複数作品を網羅出来るので、こたつサンにうってつけの場所では?しっかし、階段多すぎ〜。(笑)本当にお疲れ様でした。大工と解体業者にとっては大変な場所だ…。放置家屋多い理由も頷けます。
また尾道でロケ地巡りします!
道が細くてゴミ回収車が入れないので、ゴミ回収は、人が坂を上って回収しているのをテレビで見ました。
おっ,コモンのワッフルは絶品です!何度も行って食べてます。一度、大林監督とお会いしました。
「 斉 藤 一 美 に な っ た 一 夫 」 が 商 店 街 で 水 着 を 買 っ て も ら っ た 後 、 「 斉 藤 一 美 の 母 」 と 二 人 で 立 ち 寄 っ た の が 茶 房 「 こ も ん 」 で す 。私 は 、 初 め て 「 こ も ん 」 へ 行 っ た 際 、 入 江 若 葉 さ ん 着 座 の 席 に 座 れ た こ と が 嬉 し く て 嬉 し く て 店 内 で 小 躍 り し て し ま っ た 経 験 が あ り ま す 。
@@水澤秀成 様コモンから徒歩数十秒のところにも何か喫茶店みたいなのがありますよね。
そ の 「 喫 茶 店 み た い な お 店 」 と い う の は 、 大 谷 治 さ ん が 経 営 す る 洋 菓 子 店 の こ と で す か 。長 江 通 り に 面 す る 洋 風 建 物 の お 店 「 ガ レ ッ ト ゥ ー リ コ モ ン 」 で す よ ね 。
タイル小路…30年前…10数年前…そして数年前に寄りました。ものすごく変化を感じていましたが、家が新しく建ってるんですね〜今は。黄色いハンカチの悲別ロマン座を見てこれを見て…なんだか切なくなりました。時々ロケ地巡り見ておりますm(_ _)m
尾道のような街並みではお年を召すと生活していくには厳しいのだろうなぁ・・・
鐘突くのは撞木(しゅもく)ですね。🙂 シュモクザメ
すいません、つまらぬことで申し訳ないのですが「こでらめぐり」ではなく「こじめぐり」ではないでしょうか?前回から気になっていまして・・・
「こじ」で正しいみたいです。失礼しました!
廃屋に時の流れを感じ寂しく悲しく感じました。
ですねぇ
お疲れ様としか言いようがないです。私が訪れてから30年も経ってしまいましたが流石に残念な状況ですね。地元の方と話ましたが原付バイクや自転車も使えないから高齢者も住めないのでどんどん空き家になるのは仕方ないとの事でした。林芙美子の家の展示は残ってましたか?
林芙美子記念館は商店街の中で見かけたと思います
その昔、ロケ地ガイドマップみたいなのが用意されていたけれど、今はないのかなあ
観光案内にはなかったですね
@@cotatsu_travel 新尾道駅の片隅、改札出て左手、階段手前に少量ですがロケ地ガイドマップがあります。2023年4月終わりに確認済み。
1983年3月に行われた映画の撮影当時、「タイル小路わき長屋」の所有者は「島居完さん」でした。「島居完さん」は、大林宣彦監督の生家のお隣さんだった人です。西土堂ポケットパーク前の通りを挟んで真正面下に「島居聡建立」と刻まれた立派なお墓があります。
あの門はセットだよん!
やはりセットだったんですね
当分の間、残してありました。自分が第一回聖地巡礼した時にはまだありました。『あした』公開時に行ったときです。
尾道は道幅が4メートルないので、家が建築できないのではないのかな?新しいでなくリフォームしているのでは?
そのようですね。なので解体も難しそうです
母校です。
@水澤秀成 ありますよ、いつもは扉を閉めていますが。
良いですね!
@@ぱあっと え え え え え え え っ 、 そ れ は 見 て み た い 。ど う す れ ば 見 ら れ る の か な 、 教 育 委 員 会 の 許 可 が 必 要 ?需 要 は 高 い と 思 い ま す よ 、 そ の 鏡 。
報告します。Twitterを新たに立ち上げました。待ってられないからね。0からリスタートです。
数年前より劣化のスピードが…。10年後とかどうなってるんだろう?
尾道出身の者です。一日中歩いて下さり、ありがとうございました。また素敵に紹介して下さり嬉しいです。最高のロケ地巡り動画でした!
無断で私有地に立ち入っているので、注意してあげてください。
8:51
初めて私が「タイル小路」を訪問した時、そのわずか20メートル先に「福善寺の境内墓地」が存在することにたいへん驚きました。
映画「東京物語」に登場する人物の会話を注意深く聞いていると、東京に住む息子や娘の元から「平山周吉」とその妻である「平山とみ」が尾道へ帰ったのは「1953年7月10日(金曜日)」であったことがわかります。
ということは、東山千榮子さんが演じた「平山とみ」が亡くなったのは、おそらく「1953年7月12日(日曜日)」の未明であると思います。
小津安二郎監督とそのスタッフは、「平山とみ」が亡くなった具体的期日を明らかにしていませんが、7月12日(日曜日)であったと考えて間違いないと思います。
大林宣彦監督とそのスタッフは、1982年劇場公開の映画「転校生」で小林聡美さんが演じた「斉藤一美」の15歳の誕生日を「1981年7月12日(日曜日)」に設定した理由を詳しく説明していません。
それゆえに、私は、実に40年以上もの間、その設定理由を理解することができなかったのです。
大林監督とそのスタッフは、「斉藤一美」が「平山とみ」の生まれ変わりであるということを主張したかったのでしょう。
お疲れさまでした。思いでと共に懐かしく拝見させて頂きました。
ありがとうございました
私有地への無断立入りはいけません。
登記所で所有者を調査してください。
拝見するのが遅くなってしましました。
尾道ロケ①~③と本当に堪能させて頂きました。
以前もコメントした様に最近は全く行けていない
自分の田舎である尾道の様子がうかがえて
本当に嬉しかったです。
いつも楽しい動画をありがとう。
私有地への無断立入りを繰り返している撮影者をハゲしく叱責してやってください。
地主が大きな迷惑を被っているのです。
無責任で違法な動画撮影を二度と繰り返さぬよう厳しく叱責してやってください。
これはもう「お疲れ様でした」の言葉しか出ないですね
ありがとうございます!
@@mizusawa-hidenari 人に指図するな
@ 見知らぬ人間に指導できるほど偉いと思ってるの?
@@marquismontblanc
キミ、医者に診てもらった方がいいぞ。
懐かしい❗️
40年前のノスタルジーに浸れました😊
お疲れ様でした。22:45のところに新尾道三部作、ふたりのロケ地、電柱が映ってますね。
そのようですね。まだ未見なので確認します。
前回の動画にコメしたのですが、無事に小林さん家を発見出来たんですね。おめでとう御座います。朽ちちゃったのは残念ですが懐かしく拝見しました。横溝正史シリーズのロケ地巡りとか好きなので久しぶりに行きたいと思います。
長時間お疲れ様でした!
こたつさんの熱意には毎回脱帽です
ありがとうございます
私有地ですよ、タイル小路は。
階段部分を除き民家の敷地にまで足を踏み入れてはいけません。
解りやすく、丁寧な案内で、
尾道作品愛が伝わります
Ⅱで腹ごしらえ時のお顔も
写してくれて親近感出て
良いですね(笑)
一緒に 訪れてる気持ちになれます。お疲れ様です🫂
私有地へ無許可で立ち入らないでください。
歩きっぱなしのロケ地巡り、大変おつかれさまでした。
大林宣彦監督の尾道三部作とよく言われますが、お寺、路地、坂道、長い石段、そこから見下ろせる尾道水道などななど、魅力的な場所がたくさんありますね。当時とさほど変わっていないところも多々ありますが、廃墟などは時間の経過を思い知らされます。
廃墟は目立ちましたねぇ
お疲れ様でした。
私も、時をかける少女を
当時映画館でみました。
やはり超満員だったのを
記憶しています。
とても、不思議感のある
作品でしたがこの尾道の
ロケーションがあっての
作風なんですね。
大ヒットだったんですねぇ
「転校生」私が一番好きな邦画ですね。出演者の演技力も良かったのですが、それ以上に映画をこよなく愛するスタッフが丁寧に愛情込めて創った映画だなと感じます。尾美としのりさんが演じた主人公方の紹介後に、小林聡美さんが尾美としのりさんが乗ったトラックを追いかけるラストシーンの通りがちらっと映っていましたね。ぜひ聖地巡礼したいと思います。
小林聡美さんが演じた斉藤一美がトラックを追い駆けて走り出した地点は、「おのみち映画資料館」の東隣にある尾道市公用車専用駐車場の前辺りです。
そこは、1953年8月に小津安二郎監督が映画「東京物語」のオープニングシーンを撮影したロケ地そのものです。
「栗吉材木店の看板」があった場所は、現在、「尾道市公用車専用駐車場」になっているのです。
ただし、大林宣彦監督は、同一ロケ地においてカメラを西に向けて撮影しているために、現地を知らない人が見たらそれが同一地であることが分からないだけです。
小津安二郎監督は、海岸通りに立ってカメラを「東」へ向けて撮影したのに対し、大林宣彦監督は、同一地においてカメラを「西」へ向けて撮影しているだけです。
「尾道市公用車専用駐車場」の前から海岸通りを実際に「東」へまっすぐ歩いてみてください。
そこを歩いた人は、必ず「地理的な違和感」を覚えるはずです。
一美は、「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追って国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ向かって走ったはずです。
「斉藤一夫の家」の前を出発した次の場面は、国道2号線上で撮影されていません。
その場面は「海岸通り」で撮影されているのです。
したがって、海岸通りを東へまっすぐ進むと、つい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ辿り着きます。
????????
ここでは「地理的な無限ループ」を楽しんでください。
大林宣彦監督とそのスタッフは、意図的に仕組んでいるのです。
一夫は、「料亭旅館魚信」の前辺りでトラックの助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めます。
「さよなら、俺!さよなら、わたし!」の名場面です。
その際、一夫の背後に「浄土寺山」が、一美の背後に「仁井時計店の看板」が映り込みます。
どうして一夫は「料亭旅館魚信」の前でカメラを取り出したのでしょうか。
どうして二人の背後にそれぞれ「浄土寺山」と「仁井時計店の看板」が映り込むのでしょうか。
前者は、「料亭旅館魚信」の前が1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」のロケ地であるためであって、後者は、それらの背景が1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオマージュだからです。
大林宣彦監督とそのスタッフは、「新藤兼人監督」と「小津安二郎監督」に対する敬愛の念を「転校生」のラストシーンにこれでもかと言わんばかりに詰め込んでいます。
中学生の時に時をかける少女、転校生を見て以来尾道でロケ地巡りをするのが夢で27年前に行けた時は嬉しかったです。タイル小路ではタイルにメッセージを書いてきたんですがもうないんですね😢
懐かしい気持ちで動画見させていただきました。ありがとうございます😊
お疲れ様でしたww
懐かしさと、嬉しさが溢れる
ロケ地巡り動画でしたww
いつかまた訪れたい場所ですww
いつも楽しませていただき。
ありがとうございますww
ありがとうございます!
「時かけ」の学校の桜は合成だったと大林宣彦監督が映像特典で言ってました😊
なるほど!合成だったんですね!
そのとおりです。
でも、映画「時をかける少女」のエンドロールの最後には「未開花の桜」も映し込まれていることを注視してください。
その場面で「未開花の桜」が現れる理由は「時間は過ぎ去るものでなく、やって来るものなんだ」というセリフに密接関連しており、大林監督は意図的に「未開花の桜」を撮影したはずです。
その場面を注意深く観察してみると、「監督 大林宣彦」の白文字が「未開花の桜」と「西方寺普明閣の石灯篭」の両方を指し示すように相対的に動いています。
「西方寺普明閣の石灯篭」は、映画「東京物語」のオープニングシーンに映し込まれていた「住吉神社の石灯籠」のオマージュであって、それは「小津安二郎監督」の象徴です。
「未開花の桜」が開花するのは、おそらく「2033年4月16日(土曜日)」です。
その時、原田知世さんは、米国の映画「猿の惑星」で主役を演じたチャールトン・ヘストンさんの存在をはるかに超える人になることでしょう。
半世紀の時間を隔てて「続編」が製作発表されたことなど、われわれ人類の映画史には過去一度もありません。
おつかれさまでした!ロケ地探しへの飽くなき情熱&各シーンへの造詣の深さに改めて脱帽です。12年前、自分も浄土寺階段→一夫の家前まで歩いていたことを思い出して懐かしく拝見しました。これからも楽しみにしております。お体ご自愛頂けますと幸いです。
ありがとうございます!
すごい!頑張りましたね!自分もまた行きたくなりました
ぜひ!
本当に大変お疲れさまでした。グーグルマップで「転校生」の もう一人の主人公 斎藤一美の家を見つけられず諦めてました。
見つかった斉藤一美の家は人が住んでおらず、手入れもされないので荒廃してきたんでしょうね。立ち入り禁止でなければもっと近くまで行けたのに惜しい。
2作品とも劇場公開から40年を過ぎ、それに伴いロケに使われた当時の建物が徐々に消えていくのはとても残念なことです。
お疲れ様でした〜
今回も見応えがありました。ありがとうございました😊
ありがとうございます!
22:46の辺りで大林宣彦監督の新尾道三部作の「ふたり」の映画ロケ地が偶然映ってましたね。浄土寺の周辺にも「ふたり」のロケ地が点在しているので機会が有ればぜひ「ふたり」のロケ地巡りにもチャレンジしてみてください。
聖地巡礼お疲れ様です
私も10年前に尾道三部作の聖地巡礼をしたことあります
夏だったこともあり大変でした。
「天国と地獄」をBGMに使っていたのがナイスw
今では信じられないかもしれませんが、時をかける少女、当時夏休みで立見でした。入れ替え制ではなかったので、2回目は座れましたが…同時上映は探偵物語でしたね。
そうでしたか!
当時、高校生が夜中に街をウロウロしても、警察に咎められることがないかったです。なので、土曜日の夜に時をかける少女を見に行きました。懐かしいです。
お疲れ様でした!
尾道は坂が多くて本当にお疲れになったと思います
1日でこれだけ巡れるんですね。西日本で日没が遅くて良かったです
くたくたでした
@@cotatsu_travel
尾 道 で 夕 陽 を 眺 め る と き 、 つ い つ い 尾 道 水 道 だ け に 注 目 し が ち で す が 、 実 は 、 夕 陽 に 染 ま る 浄 土 寺 山 が と っ て も 綺 麗 な ん で す よ 。
海 岸 通 り で 「 斉 藤 一 美 」 に な っ た 気 分 で 「 斉 藤 一 夫 」 が 乗 っ た ト ラ ッ ク を 追 い か け て み て く だ さ い 。
2024 一美の家は朽ち果てて廃墟となり完全に崩れ去るのも近いでしょう。一美と一夫が開け放った門扉は傾いたまま残っていました。寂しいですね。実際の故郷ではないのだけど、尾道はどこか懐かしい。
そこも私有地ですぞ。ダメです、無断立入りは。
@@mizusawa-hidenari 家の前から見ただけでしょ。
@@やすひろ-m9i
立ち入ってないのならOKですよ。
すごい!転校生の家みつけてくれてありがとうございます
そこは私有地です。
無断で立ち入らないでください。
お疲れ様でした!
最後に見つかって👍根性👍
まるで迷路ですな~!いやーお疲れ様でした!!
探検してる感じでした
咲いてる桜は合成した、という話を聞いた記憶がありますが・・。
タイル小路、新しい家が建てられてもかろうじて残されてるので良かったと思いました。今後も残してもらえればと思います。。
大林監督が「迷ってみて」と言われたようにだいぶ余計に歩かされたのではないでしょうか?😙☘️最後の方で迷われてた時にふいに通り過ぎた電柱は『ふたり』の電柱でしょうか。。
「ふたり」の超有名な電柱映ってましたね。まだ見ていないとのことなのでスルーされてましたけど。素晴らしい粘りでした。
「タイル小路わきの民家」の敷地は私有地ですから、その所有者(又は管理者)に無断で立ち入ってはいけません。
映画「時をかける少女」のロケが行われた当時の所有者は「島居完さん」でした。
島居完さんは、大林宣彦監督の生家のお隣さんです。
島居家の立派な墓所は「西土堂ポケットパーク」前の通りを挟んだ真向いにあります。
大林宣彦監督のお墓はまだ建立されていないようですね。
三回忌法要は「西願寺」で行われたらしいのですが、私は、大林監督のお墓は「島居完さん」の隣の区画に建立され、そこに骨されるのではないだろうかと予想しています。
そこからは尾道水道がよく見えるし、山陽本線を走行する電車の音がよく聞こえます。
そこは映画「転校生」の冒頭シーンのロケが行われた場所で、土堂小学校が近く、また、斉藤一美が自転車で駆け上った坂のすぐそばだからです。
迷路の中に入ったようで冒険してた感覚でした
@@cotatsu_travel 😆💧
転校生の主人公の洋風の家、荒廃してしまったのですね。
私がずいぶん前に尾道旅行に行ったときは、まだきれいだったような記憶があります。
「 弓 場 邸 」 は 2 0 2 1 年 1 2 月 2 7 日 に 売 却 さ れ ま し た 。
売 却 の 事 実 は 、 Y O U T U B E R で あ る 弓 場 さ ん 本 人 か ら 教 え て も ら い ま し た 。
私 は 、 偶 然 、 そ の 前 日 の 1 2 月 2 6 日 に 訪 問 し て い ま す 。
福 山 ま で デ ー ト に 向 か っ た 「 斉 藤 一 美 」 の 姿 と と も に 映 っ て い た 玄 関 木 戸 は 朽 ち 果 て て し ま い ま し た 。
人がいなくなってからずいぶん経っている様子でしたね
おつかれさまでした。25年前、某自動車メーカーの雑誌広告の撮影取材で尾道を歩き回りました。ケーブルカー駅前の茶房こもんの経営者さんは大林監督の尾道撮影のプロデューサーを兼ねていらした方で、撮影時の苦労話などお聞きしたことを思い出しました。
そうだったんですか、、!
主人公の家の辺り(23:25)をグーグルアースで俯瞰しましたが、とんがり屋根の家は見当たりませんね。この辺りは貸し別荘地のようです。
あるテレビドラマでデーパートの屋上から下を見下ろすシーンがあったのですが、デパートは横浜市青葉区のたまプラーザ東急で見下ろした街路は杉並区か渋谷区の高級住宅街(町名忘れた)だったことがありますので、主人公の家だけは別の場所かも知れませんね。
お使いで 下駄を履いて下ってた小さい階段とタイル小路(こうじ) 懐かしいーーー。
映画は見ていませんが、尾道に興味があって、今回の今昔動画もとても良かったです。私は尾道は九州夜行列車で夜中に通過したことと、新幹線で三原まで行ったときに新尾道を通ったのみ、街は散策していなくて、一度は訪れてみたいです。それにしても、坂の街で有名なだけに、坂道だらけ、それも細く入り組んでいて、迷路ですね。よく回られましたね。私道みたいな所も多く、通るのに躊躇しますが、足が丈夫ならば、ハイキング気分で散策できることがわかりました。
またロケ地の今昔比較を楽しみにしています!
できる事なら大林宣彦監督の「時をかける少女」「さびしんぼう」「転校生」「ふたり」を観てから尾道を訪れると良いと思います。が、平成生まれの方は受けいられるかどうか(汗)80年代の世代ならばノスタルジックに感じ、ロケ地巡りも楽しくなりますが。
ロケお疲れ様です。いつも楽しみにしてます。
尾道ダンジョンみたいですね
5:35
この画角は極めて重要です。
大林宣彦監督は、どうして「タイル小路」を映画のロケ地として選んだのでしょうか。
この疑問に対する答えは、尾道市東久保町の吉田邸前が「千津子の事故現場」とされたのはなぜか、という疑問に対する答えと同一です。
「タイル小路」の先は「福善寺の境内」です。
「千津子の事故現場」の真向いは「尾道市立筒湯小学校」です。
「福善寺の境内」も「尾道市立筒湯小学校」も、小津安二郎監督の映画「東京物語」のロケ地なのです。
原田知世さんが演じた芳山和子は、目の前に置かれたコップの中が突然「紅茶」で満たされたことに驚嘆しましたが、初めて「タイル小路」へ行った時、私は、この場面とそっくり似た経験をしています。
目の前に過去の映画の世界が突然現れたから、私は思わず声をあげてしまいました。
な、な、なんと「タイル小路」と「福善寺の境内」は隣り合う敷地だったのです。
1953年7月に「東京物語」の平山敬三と平山紀子が語り合った福善寺の境内は、1983年4月に「時をかける少女」の芳山和子が元気に高校へ通ったタイル小路のすぐ隣にあったからです。
その距離はわずか10メートル、驚嘆せずにはいられませんでした。
尾道市東久保町の坂道を歩いた時も、私はまったく同じことを経験しています。
世間の人々によって広く語られていませんが、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」に現れる「菜の花」、「桜の花」、「桃栗三年柿八年の歌」及び「クラスメートの前で歌うエンドロールの主題歌」は、すべて木下惠介監督の映画「二十四の瞳」に対する強烈な敬愛の念が込められたオマージュであると思います。
「天ぷら一丁」という女児の声に反応して大石先生が「松江」と偶然に再会する場面は、とても印象深いものです。
「松江」を演じた12歳の女の子の悲しい悲しい後ろ姿は、根岸季衣さんが演じた立花先生の喜びを表す後ろ姿によってオマージュされていると思います。
福島先生が着用したネクタイについて、芳山和子が立花先生の目の前で「素敵ですねって言いたかったんです、昨日。」と告げる場面です。
真逆の感情のオマージュなのでわかりづらいと思いますが、その証拠に、大林宣彦監督は、「時をかける少女」の劇場公開から3年後、原田知世さんの姉である貴和子さんを主役に抜擢して「彼のオートバイ、彼女の島」を発表しています。
「岩子島小学校の元校長」の役を演じたのが田村高廣さん(盲目の磯吉を演じた俳優)であることから、間違いないと思います。
凄いですね 大変そうだけれど 楽しめました
私も 深町君の家とか ちょい探してみたけれど 解からないわー
またいつか 行ってみよう・・
「時かけ」芳山和子の家は西國寺仁王門から左の住宅街の小道に入っていった所です。もう8年前くらいにロケ地巡りで訪れた時には 草木ボウボウで家も廃墟になってました。
私も芳山和子の家を捜すのが大変でしたし、廃墟と墓地の多さで途中怖くなりました(笑)
タイルの小路は私が行った時もボロボロでしたけど、更にボロボロになってましたね。 とても分かりやすい動画ありがとうございます。
@user-ro7qk9op5r
私も行った時は ちょっとした大林映画の小屋みたいなとこがあったので入ってみたら砂ぼこりまみれで悲しくなりました。でも なんやら最近大林宣彦監督の生家で記念館カフェみたいなものをリノベーション中とかで楽しみです。
@user-sy6yx9gh6h
芳山家は取り壊されてましたか。
寂しいですね。
ごめんなさい、「9時87分」とは?
どんな意味ですか?
ロケ地めぐり大変でしたね、ご苦労様です私は関東の神奈川県ですこちらもかなりロケ地が有ります、今度は神奈川県藤沢市鎌倉市綾瀬市大和市海老名市厚木市ロケ地めぐりお願いします、特に藤沢市の江の島かな
「タイル小路」変わってしまってますね。90年代に行ったときは観光客がタイルに映画の思い出を書いて並べてあるスペースがあったと記憶していますが、今はまったく面影がないですね。ここに来る観光客も減っているのでしょうか。
私のイチ押し映画「さびしんぼう」シリーズも期待しています。ロケ地巡り私もした事があります。
11:05
大林宣彦監督の尾道映画が小津安二郎監督の映画「東京物語」と無関係であるという認識は大間違いです。
私は、あなたのためにその誤認識を正す目的で様々な書き込みを加えました。
狭い坂道9時間お疲れ様でした。
せっかくのロケされた家が崩壊してて寂しいですね。
観光スポットとして保存してほしかったです。
なかなか難しいでしょうねぇ。。
一 般 に 、 個 人 が 「 空 き 家 」 を 撮 影 当 時 の ま ま 維 持 す る の は 不 可 能 で す 。
「 タ イ ル 小 路 わ き の 長 屋 」 の 一 部 は 、 大 林 映 画 で 大 道 具 を 担 当 し た 大 田 貞 男 さ ん と 株 式 会 社 大 田 建 築 事 務 所 の 皆 さ ん に よ っ て 建 替 え ら れ て い ま す 。
古 い 建 物 を 取 り 壊 し て 改 築 し よ う と す る 場 合 は 、 現 在 の 建 築 基 準 法 に 適 合 す る よ う プ ロ に 依 頼 し て 設 計 し て も ら わ な け れ ば な り ま せ ん 。
特 に ト イ レ ・ 台 所 ・ 洗 濯 等 で 生 じ る 排 水 の 処 理 問 題 は 悩 ま し い こ と で す 。
私 は 、 「 旧 弓 場 邸 」 の 新 所 有 者 で あ る Y 本 M 希 さ ん が 「 建 築 基 準 法 」 に 精 通 し た 人 物 で あ る か ど う か は 知 り ま せ ん 。
で も 、 今 回 、 庭 の 木 す べ て が 伐 採 さ れ て し ま っ た こ と を 考 え る と 、 こ の 先 も 不 安 で な り ま せ ん 。
尾 道 の 空 き 家 問 題 は 、 気 合 い だ け で は ど う に も な ら な い の が 実 情 な ん で す 。
15年くらい前に、アニメ「かみちゅ!」の影響で訪れた事がありました。その間だけで尾道はかなり変わってますね。廃屋が多いようですが狭い道や坂が多いのでお年寄りにはキツイのでしょう。
23:28
ここから先は私有地です。
近所の人に110番通報された場合は警察官によって連行されることだってあり得ますよ、注意してください。
なお、5月GW明けに「旧弓場邸」の庭にあった木々はすべて伐採されてしまいました。
松の木もすべて伐採されてしまったので、「斉藤一美の家」及び「前野万里子の家」の雰囲気は完全に失われてしまいました。
こたつさん、長江小学校、坂の途中にあって趣のある校舎だなって調べたら、グーグルさんが全然違う場所を教えるのです。調べてみたら、災害対応や耐震補強の困難さから、2020年度にこの校舎は廃校になり、近くの長江中学校の仮校舎に移転しています。残念ながらもうこの校舎に通う生徒は居ないようです。今は体育館が放課後児童クラブとして使用されているようです。
移転理由からして、近い将来に取り壊される運命かもしれませんね。
なんと!そうでしたか。貴重な情報ありがとうございます。
だんだん廃墟街化していますね、道すら崩落で放棄されてるのはもの悲しいです。
そ の と お り で す ね 。
で も 、 私 は 密 か に 期 待 し て い る ん で す よ 、 2 0 3 3 年 4 月 1 6 日 ( 土 曜 日 ) に 原 田 知 世 さ ん が 広 島 県 立 三 原 高 等 学 校 弓 道 部 の O B ・ O G の 皆 さ ん と と も に 長 江 小 学 校 校 庭 に 集 ま っ て く れ る こ と を 。
そ の 時 に 見 て み た い な 、 6 5 歳 に な っ た 原 田 知 世 さ ん の 「 白 い ブ ル マ 」 を 着 用 し た 姿 を 。
千光寺周辺の道は観光地化で整備はされていますが、住民用の路地は結構痛んでますね
家を撤去したら、固定資産税が高くなるので、壊れたままにしていると思います。
半年ぶりに「タイル小路」へ行って参りました。
私有地につき立入禁止の看板は取り外されていましたが、オーナーさんは、部外者の無断立入りに今も困っているようです。
こたつさんの動画を見た人が「タイル小路」わきの私有地に無断で立ち入っているのでしょう。
地元の方がRUclipsで大林作品の聖地巡礼動画(尾道・竹原・福山)がいくつもあります。
桜が綺麗・・・
ちょうどいい季節でした
尾道は複数作品を網羅出来るので、こたつサンにうってつけの場所では?
しっかし、階段多すぎ〜。(笑)本当にお疲れ様でした。
大工と解体業者にとっては大変な場所だ…。放置家屋多い理由も頷けます。
また尾道でロケ地巡りします!
道が細くてゴミ回収車が入れないので、ゴミ回収は、人が坂を上って回収しているのをテレビで見ました。
おっ,コモンのワッフルは絶品です!
何度も行って食べてます。
一度、大林監督とお会いしました。
「 斉 藤 一 美 に な っ た 一 夫 」 が 商 店 街 で 水 着 を 買 っ て も ら っ た 後 、 「 斉 藤 一 美 の 母 」 と 二 人 で 立 ち 寄 っ た の が 茶 房 「 こ も ん 」 で す 。
私 は 、 初 め て 「 こ も ん 」 へ 行 っ た 際 、 入 江 若 葉 さ ん 着 座 の 席 に 座 れ た こ と が 嬉 し く て 嬉 し く て 店 内 で 小 躍 り し て し ま っ た 経 験 が あ り ま す 。
@@水澤秀成 様
コモンから徒歩数十秒のところにも何か喫茶店みたいなのがありますよね。
そ の 「 喫 茶 店 み た い な お 店 」 と い う の は 、 大 谷 治 さ ん が 経 営 す る 洋 菓 子 店 の こ と で す か 。
長 江 通 り に 面 す る 洋 風 建 物 の お 店 「 ガ レ ッ ト ゥ ー リ コ モ ン 」 で す よ ね 。
タイル小路…30年前…10数年前…そして数年前に寄りました。
ものすごく変化を感じていましたが、家が新しく建ってるんですね〜今は。
黄色いハンカチの悲別ロマン座を見てこれを見て…なんだか切なくなりました。
時々ロケ地巡り見ておりますm(_ _)m
尾道のような街並みではお年を召すと生活していくには厳しいのだろうなぁ・・・
鐘突くのは撞木(しゅもく)ですね。🙂 シュモクザメ
すいません、つまらぬことで申し訳ないのですが「こでらめぐり」ではなく「こじめぐり」ではないでしょうか?
前回から気になっていまして・・・
「こじ」で正しいみたいです。失礼しました!
廃屋に時の流れを感じ寂しく悲しく感じました。
ですねぇ
お疲れ様としか言いようがないです。私が訪れてから30年も経ってしまいましたが流石に残念な状況ですね。地元の方と話ましたが原付バイクや自転車も使えないから高齢者も住めないのでどんどん空き家になるのは仕方ないとの事でした。林芙美子の家の展示は残ってましたか?
林芙美子記念館は商店街の中で見かけたと思います
その昔、ロケ地ガイドマップみたいなのが用意されていたけれど、今はないのかなあ
観光案内にはなかったですね
@@cotatsu_travel 新尾道駅の片隅、改札出て左手、階段手前に少量ですがロケ地ガイドマップがあります。2023年4月終わりに確認済み。
1983年3月に行われた映画の撮影当時、「タイル小路わき長屋」の所有者は「島居完さん」でした。
「島居完さん」は、大林宣彦監督の生家のお隣さんだった人です。
西土堂ポケットパーク前の通りを挟んで真正面下に「島居聡建立」と刻まれた立派なお墓があります。
あの門はセットだよん!
やはりセットだったんですね
当分の間、残してありました。
自分が第一回聖地巡礼した時にはまだありました。
『あした』公開時に行ったときです。
尾道は道幅が4メートルないので、家が建築できないのではないのかな?
新しいでなくリフォームしているのでは?
そのようですね。なので解体も難しそうです
母校です。
@水澤秀成
ありますよ、いつもは扉を閉めていますが。
良いですね!
@@ぱあっと
え え え え え え え っ 、 そ れ は 見 て み た い 。
ど う す れ ば 見 ら れ る の か な 、 教 育 委 員 会 の 許 可 が 必 要 ?
需 要 は 高 い と 思 い ま す よ 、 そ の 鏡 。
報告します。
Twitterを新たに立ち上げました。
待ってられないからね。
0からリスタートです。
数年前より劣化のスピードが…。10年後とかどうなってるんだろう?