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時をかける少女のエンディングの最後の走ってくるシーン好き。
ME TOO。2033年4月16日(土曜日)午後1時に65歳になった原田知世さんに再び走ってもらいたいな、普明閣の境内で。
確かに!
大林宣彦監督は、当時15歳の知世さんの背後に「西方寺普明閣の石灯籠」と「未開花の桜」を映し込みました。1982年劇場公開の映画「転校生」のラストシーンで、大林監督が小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」を映し込んだのは、明らかに1953年劇場公開の映画「東京物語」のオープニングシーンのオマージュです。したがって、「未開花の桜」も当然意味があって映し込まれているのです。その場面を注意深く観察すると、「監督 大林宣彦」という白文字が「西方寺普明閣の石灯籠」と「未開花の桜」を指し示すように動いています。「時間は過ぎ去るものでなく、やってくるものなんだ」というセリフも、「1994年4月16日(土曜日)の物語」も、すべてが「2033年4月16日(土曜日)」への伏線であるはずです。
小林聡美さんの背後に映り込む「仁井時計店」というのは腕時計専門店なんですよ。驚きですね。原節子さんが演じた平山紀子が受け取った形見が「とみの腕時計」で、香川京子さんが演じた平山京子が尾道市立筒湯小学校で汽車が通り過ぎる時刻を確認したのが「京子の腕時計」だったのですから。
竹原は今でも昔の雰囲気が残っているので良いですね。
そうですね!
「たけはら道の駅」から徒歩5~10分、竹原市立竹原小学校の東側の裏山に市営の共同墓地がありますが、そこが「深町家の葬列」が辿り着いたお墓です。大林宣彦監督は、撮影中にたまたま本物の葬列と出会った際、現場に出演者と撮影スタッフを残したまま、その葬列の後を追って撮影したそうです。実は、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」には同様の場面があるのです。1960年に「宿禰島」で新藤兼人監督が撮影した葬列と乙羽信子さんのことを意識して、カメラを手に本物の葬列を夢中で追い駆けた大林監督の思いがよくわかります。ちなみに、1991年劇場公開の映画「ふたり」には「石田ひかりさんの入浴シーン」がありますが、それは、1960年に新藤兼人監督が撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュです。「糸崎8丁目交差点」すぐそばにかつて存在したミカン倉庫の目の前には、瀬戸内海に浮かぶ無人島「宿禰島」があるのです。
当時浪人していてツーリングで竹原に行った際に、偶然時をかける少女の撮影をやってました。その時遠目でしたが原田知世さんを見ることができてそれ以来ファンになってしまいました。
羨ましい。
すごい偶然、ファンにとっては奇跡のような瞬間です
「今日は手が痺れておりまして」と言った知世さんの背後に映っている男性は誰ですか。イッツミー、これマジです。
当時、時をかける少女を見て原田知世のファンになりました。こたつさん、青春時代の思い出がよみがえりました。ありがとうございます😊
よかったです!
昔、大林三部作のロケ地巡りをしたことがあります。とても感動的でした。主さん、本当にお疲れさまでした。😅
また見に来てしまいました。ありがたい動画です。
ありがとうございます~竹原は金田一映画の「悪霊島」でも使われてましたね
悪霊島のロケ地もいずれしたいです
1984〜1998年頃に尾道によくロケ地巡りに行ってました。竹原にも何度か行きましたが、あまり変わってなくて良かったです。屋根瓦は修理の途中で最初に行った時はまだ崩れたままでした。堀川さんは当時はお好み焼き屋さんもやっていて食べた記憶があります。
屋根瓦とは映画で落ちたのことですか?
オープニングの画面も見逃さないとは。感心しました。「頑張って歩いて…」発言。結局タクシー乗るんか〜い。(笑)
結局乗りました笑
懐かしいなー今も映画の名残の建物がちゃんと有るんですね。嬉しいです。
保存地区はほとんど残ってますねー
なかなかレアな地元の人との会話シーンが個人的に嬉しい
ありがとうございます!
雨の中ご苦労様でした。2:32の島の名前ですが送電線の鉄塔の立っている島が大久野島(うさぎ島、毒ガス島)です。忠海駅から港に出ると島行きのフェリー乗り場があります。それと町並み保存地区は電柱を無くして地下に電線を通すように作り直したようです。いつ地中に埋めたのか分かりませんがマッサンのときに竹原を訪れた時には既に電線が埋まっていたと思います。最後のタバコ屋さんの隣の建物(通りの突き当りの建物)は建物を公開していて二階から町並み保存地区を見下ろせるポイントになっていました。
時をかける少女愛は輝く船過去も未来も星座も超えるから抱きとめて❤
原田知世さんが「早春物語」で共演した俳優は「林隆三さん」です。広島県竹原市本町三丁目の「西方寺」へ行ってみると、寺の庫裏(僧侶の居住用建物)に掲げられた表札が「林隆三さん」と一文字違いであることに驚かされます。「西方寺」というのは、映画「時をかける少女」のエンドロールの最後の場面が撮影された境内があるお寺のことです。
雨と空腹に耐えながらの「時をかける少女」ロケ地竹原巡り、有難うございます🎵大林映画も原田知世さんも大好きなので、本当に嬉しくてたまりません。お寺の周辺を観ると、映画のノスタルジックさと共に何故か横溝正史の『獄門島』が頭をよぎります。知世さんが30代前半位の時に『獄門島』のヒロイン鬼頭早苗を見たかったな、と思ってしまいました…(今なら『悪霊島』の巴御寮人ですかね?)。
年齢的には手毬唄の青池リカ、犬神家の梅子、女王蜂の神尾秀子とかでしょうかねぇ
尾道もいいところですが竹原も雰囲気があっていいところですね。映画やドラマのロケに良さそうです。
今でもロケは全然できると思います。
@@cotatsu_travel 2033年4月16日(土曜日)に再び走ってほしいわ、65歳になった原田知世さんに西方寺普明閣の境内を。
時をかける少女のロケ地めぐりは嬉しいです。
ロケ地巡り、お疲れ様です。いつも楽しく拝見してます。『時かけ』、大好きな作品です。今の十把一絡げのアイドルには絶対に醸し出せない、原田知世の透明感(白いブルマ姿、あれは反則ですw)。高柳良一の台詞棒読みw「土曜日の、実験室ーーー!(棒)」。そしてあの、主題歌が流れる唯一無二のエンドロール。最高です😊
棒読みは監督から、あえてそうやれと指示されたらしいですね。
@@cotatsu_travel 1 9 8 3 年 4 月 1 6 日 ( 土 曜 日 ) 午 後 2 時 、 保 健 室 で 芳 山 和 子 の 体 調 を 診 た 立 花 先 生 は 、 芳 山 和 子 が 生 理 中 で あ る こ と を 公 然 と 告 げ て い る ん で す よ 。そ れ な の に 、 そ の 2 日 後 の 4 月 1 8 日 ( 月 曜 日 ) 一 時 限 目 の 体 育 の 授 業 で 「 白 い ブ ル マ 」 を 着 用 さ せ る な ん て 。
映画撮影当時15歳の女の子に「白いブルマ」を履かせるなんて極悪非道、その前々日は生理だったらしいし。しかも、その日の放課後、弓道部の練習の背後に何の脈絡もなく「赤いブルマ」を履いた女子バレーボール部員を画面いっぱいに登場せるなんて。4月16日が「土曜日」に当たるのは、次は2033年です。私は、65歳になった原田知世さんが「白いブルマ」を履いて長江小学校の校庭で弓道部の練習に加わる姿を見てみたいと思っています。
今となってはドラマ「マッサン」やアニメ「たまゆら」の聖地、と言った方が通りがいいかも知れませんね。お好み焼き「ほり川」はアニメでも重要な舞台であり、ファンはもちろんスタッフや声優が集う「同窓会」も度々行われています
おおそうなんですね!「お好み焼き」のメニューは今あったかな。。?
夏休み行ってきます!山の方は廃墟がいっぱいあるらしくちょっぴり怖いけど楽しみです♪
映画「時をかける少女」のオープニングシーンに「菜の花」と「桜の花」が現れるのはなぜでしょうか。こたつさんは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」をご覧になったことがありますか。「修学旅行の船上でマスノが歌う浜辺の歌」と「大石先生が偶然再会した松江の悲しい背中」も映画「時をかける少女」で忠実に再現されているのですから。「松江の悲しい姿」は逆オマージュですね。立花先生を演じた根岸季衣さんが上手に演技していますよ、福島先生のネクタイを誉められた時の嬉しくてたまらない感情が。
7:57 国重要伝統的建造物群保存地区の指定が昭和57年(1982年)だから、おそらくはそれまでは開発に制限がなかっただと思われる。それくらいに建てられた住宅もちらほら見えるしね。
ロケ地、竹原市巡りお疲れ様でした。私の住んでるところから広島県は遠いのですが、是非行って見たくなりました。また、時をかける少女を観たくなったので、明日レンタル決定です。
うちの近くのゲオも未だにレンタル中になってることがあります
「芳山和子の家」、「堀川悟朗の家」とされた民家の敷地に「物干し竿と洗濯物」が現れる場面をご存知ですか。和子がハンカチを悟朗へ返すために出かける場面、和子から返してもらったハンカチを悟朗が顔の上に載せる場面の2度です。「物干し竿と洗濯物」の映像は、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオマージュですよ。気づきましたか。
こたつさんにお願いがあります。坂上香織さんの「レースのカーディガンPV」のロケ地巡りもやってください。香織さんが犬と戯れる場面のロケ地は、なんと「平山周吉の家」の前です。また、香織さんが国道2号線長江口交差点と山陽本線をバックにして歌を歌っている場面において、香織さんの視線の先には「浄土寺山」があるのです。茶房「こもん」から徒歩3分の「福善寺」の立体駐車場わきの石段は、1953年8月に小津安二郎監督が平山紀子が乗車した汽車が東京へ向けて走り去る場面のロケを行った地です。映画「転校生」のラストシーンで、尾美としのりさんが演じた斉藤一夫の背後に「浄土寺山」が映り込み、小林聡美さんが演じた斉藤一美の背後に「仁井時計店の看板」が映り込んでいるのは、決して偶然などではないのです。一夫がトラックの助手席の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた地点は、新藤兼人監督の映画「裸の島」のロケ地でもある「料亭旅館魚信」の前です。一美は、どうして先ほど出発したはずの「一夫の家」へ向かって海岸通りを走っているのですか。一美がトラックを追い駆けて走り出した場面のロケ地は、「東京物語」の冒頭シーンのロケ地で「小津アングル」とは真逆の方向から撮影しているのはなぜですか。信じ難いことですが、「時間と空間の無限ループ」という意味があるからです。
素敵な場所ですね呉線は何度か乗ってますが、海が美しいですね竹原、これは行かねば!
呉線も乗り通してみたいですね
ほぼ海岸線を走るので晴れの日は更に綺麗ですよ
なかなかゴハンにありつけないこたつさん😅竹原市‥ステキなところですね✨
いいところでした。
映画「時をかける少女」のクランクアップは1983年4月4日です。この動画を撮影したのは2023年4月5日でしょうから、正に40年目の記念なんですよ。
やだあたいが産まれる15日前のことなのね
@@materiaru0078 1983年4月4日(月曜日)は、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の放映開始日でした。「おしん」の老齢期を演じたのは女優の乙羽信子さんです。乙羽さんは、新藤兼人監督の妻です。おそらく大林監督は意図的にその日をクランクアップに選んだのでしょう。
竹原の重伝建地区、平日は人いなくていいですよね~。私が行った頃はマッサン熱がまだあった頃で竹鶴酒造の外観だけ見ました。駅から私も歩いていきましたが、離れているからこそあれだけの街並みが残されているんだと実感しました。お昼は藤井酒造さん(酒蔵交流館)でおそばと鯛めしを食べられました。ちょっと外れたところにカフェなどもあった記憶があります。閉まっているいるのが多かったのはコロナの影響があったのかもしれません。地区から少し離れたところにある旧森川家住宅というところのお庭や建物がとにかく立派でしたよ。旅の目的がロケ地巡りのはずが街並みや建物に興味が移っていったきっかけになったのが竹原でした。
なるほど、鯛めしですか。おいしいもの食べたかったですね。。
@@cotatsu_travel 駅近くの商店街を通って歩いていったのですが、シャッター商店街状態でした。食べるところに苦労しますよね。駅なかにあったセブンイレブンももうないみたいですね…
時計屋の男を演じていたのは高林陽一監督だったと思いますが大林監督の角川映画のデビュー作「金田一耕助の冒険」にも釣り師の役で出演されてましたね。大林監督も高林監督の角川映画の作品「蔵の中」にカメオ出演されてましたけど(笑)
まだ続く大林尾道シリーズロケ。自分の田舎である尾道を訪ねていた頃にどうも「時をかける少女」の風景を見かけないなぁと思っていたのですが竹原市だったんですね。長年の疑問が解けてすっきりです。いつも楽しい動画をありがとう。
そ の と お り で す 。映 画 「 時 を か け る 少 女 」 で は 、 西 方 寺 普 明 閣 境 内 の 奥 が 「 尾 道 市 長 江 二 丁 目 」 の 竹 藪 わ き の 山 道 と 繋 が っ て い る こ と に な っ て い ま す 。
尾道ではなく、主に竹原で撮影されたとは知りませんでした。この映画の知世ちゃん、かわいかったですね。
お堂の瓦が剥がれたシーンはCGらしいですよ。
あ、そうでしたか!
映画「ふたり」には、尾美としのりさんが演じた神永青年が学校帰りの実加と真子に出会う場面があります。三人の背後の中央に映り込んでいる民家の2階バルコニーに注目してください。たくさんの洗濯物が干してありますね、なぜですか。実は、その民家は、建替え後の「平山周吉の家」だからです。さて、「三人が出会った場所」と「平山周吉の家」を直線で結び、もし、その場面撮影時において、カメラが「平山周吉の家」の側にあったとしたら、どんな映像が撮影できたでしょうか。予想してみてください。映画「東京物語」の冒頭5カットのうち、5番目の尾道の風景と同じ絵が撮影できたはずです。ところで、どうして「ふたり」の冒頭には、藤田弓子さんが演じた御婦人が幼少の頃の実加と真子に出会う場面があるのでしょうか。実は、その場面は、映画「東京物語」の冒頭5カットのうち2番目の尾道の風景に登校する小学生が映し込まれていたからです。オマージュ、オマージュ、オマージュの嵐なんですね、大林監督の尾道作品は。
いつも楽しく拝見させていただいております。大林作品では少し気配の違う作品と呼ばれる廃市のロケ地を是非お願いします。柳川ロケで作品も柳川が舞台となっております。とても情緒溢れる作品で尾道三部作より好きな映画です。あと大林作品ではマイナーな姉妹坂も京都ロケで観光ついでにいかがでしょうか?
マッサンのロケ地巡りに来る方も、多いんですね😊見てみたいなぁ❤️✨
放送当時は多かったみたいですね
こたつさん 尾道に竹原とお疲れさまでした。いつも楽しく拝見しております。 県民だから何度と訪れてますが、こたつさんの比較動画で為になる情報を得てますね。刑事より全然調査能力高そう。応援してます。
[時をかける少女]は原田知世のファンでもあり、とても興味深い映画です~こたつさんの画像を参考に今度機会があったら行ってみたいと思います☝️
そ の 際 は 竹 原 小 学 校 の 裏 山 へ も 行 っ て み て く れ 。徒 歩 7 分 で 迷 わ ず 行 け る か ら 。深 町 家 の 葬 送 シ ー ン が 撮 影 さ れ た お 墓 が そ の ま ま 存 在 し て い る 、 当 然 だ け ど 。
ぜひいってみてくださいぃ
尾道市西久保町の「旧K濱邸」は、「芳山和子の家」とされた民家でした。長らく空き家のまま放置されていたようですが、2015年3月に取り壊されてしまいました。とても残念なことでした。しかし、グーグルマップで検索すると、尾道市長江一丁目の大山寺から西久保町の西國寺へ向かう裏道沿いに「芳山和子の家」が今も存在しています。それは2014年11月に撮影されたものだからです。
「東京物語」と「転校生」も見てから出かけてみてください。「時間は過ぎ去るものでなく、やって来るもの」という主張の意味が理解できるようになるからです。「転校生」のラストシーンで小林聡美さんが演じた斉藤一美は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオープニングシーンが撮影されたロケ地からトラックを追い駆けて、海岸通りを「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたのです。トラックは横浜方面へ走り去ったことになっていますが、実は、つい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたことを知ると、たいへん驚くと思います。これは、大林監督とそのスタッフによる意図的な仕込みです。「転校生」のラストシーンが撮影された海岸通りを歩いてみると「時間と空間の無限ループ」を味わえますよ。そこは、1953年8月当時、小津監督が撮影した「栗吉材木店の看板」があった場所であり、また、笠智衆さん、香川京子さん、原節子さんとともに宿泊した「竹村家」が現存する地だからです。1982年公開「転校生」のロケ地は、1953年公開「東京物語」のロケ地と接した地が選ばれているからです。「仁井時計店の看板」が斉藤一美の背後に映り込み、「浄土寺山」が斉藤一夫の背後に映り込むのは決して偶然などではありません。これらの映像はすべて「東京物語」のオマージュです。ちなみに、尾美としのりさんが演じた斉藤一夫がトラックの窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた場面のロケ地は「料亭旅館魚信」の前ですが、そこは新藤兼人監督の「裸の島」のロケ地でもあります。
大林監督と恭子プロデューサーは、どうして原田知世さんのことを「住吉浜」前にあるホテルに宿泊させたのでしょうか。また、映画「時をかける少女」のエンドロールの最後に「西方寺普明閣の石灯籠」が現れるのはなぜでしょうか。実は、これも「東京物語」と関係があります。「西方寺普明閣の石灯篭」は、「住吉神社の石灯篭」のオマージュです。「住吉神社」が「住吉浜」へ移転するきっかけをつくったのが1741年当時の尾道町奉行「平山角左衛門さん」です。尾道市の名誉市民第一号となった平山角左衛門町奉行と「東京物語」に登場する家族の名が同一なのは偶然ではありません。
この動画をきっかけに「時かけ」いま(途中まで)観ています。20年ほど前に仕事で竹原へ行っていましたが、何も知りませんでした。いまでは失われた時代背景、ゆっくりのペースがなんかいいですね。異世界のような効果、表現は映画、フィルムならではでしょうか?この動画でのポイントがよいアクセントになり楽しく観ています。(時計屋さんの主人の怖い顔あたりまで観ました(笑))引き続き楽しい動画、気づきの提供をお願いします!(冒頭、結局タクシー!😅)
途中まで笑。良いですね!
尾美としのりさんが演じた堀川悟朗は、どうして不自然に3度も「俺、ションベンに行ってくる」と言うのか理由をご存知ですか。これは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のパロディー系オマージュです。笠智衆さんが演じた平山周吉が用を足すために家族との食事の席を外す場面がありますが、それは一度限りです。しかし、香川京子さんが演じた平山京子は、3度の異なる場面で「行って参ります」と家族に告げます。特に、最初の場面では連続3回も「行って参ります」と告げるのです。平山京子は、「尾道市立筒湯小学校」の教員と言う設定です。映画「ふたり」のラストシーンで中嶋朋子さんが演じた北尾千津子の「お尻」が大きくスクリーンに映る場面、変だと思いませんでしたか。北尾千津子の背後にあったもの、それが「尾道市立筒湯小学校」です。そして、平山京子先生の背後にあったもの、それが「1953年7月の暦」です。映画「転校生」で小林聡美さんが演じた斉藤一美の15歳の誕生日がどうして「1981年7月12日(日曜日)」に設定されたのか。その理由は、平山京子先生の背後に映り込む筒湯小学校の木造教室の暦を見たらわかります。「東京物語」→「転校生」→「時をかける少女」の順で繋がっているのです。
「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」の曜日配列が同一だったのですね、普通の人は気付かないと思います。私が気付いた理由は、初めて尾道市長江一丁目の「タイル小路」へ行った時、突然、目の前に「福善寺の境内」が現れたからです。原田知世さんが演じた芳山和子は、1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた朝、目の前に置かれたカップの中が「紅茶」で満たされたことを目の当たりにして驚いています。現実世界の私は、「タイル小路」からわずか10メートル先の位置に「東京物語」のワンシーンの現場が突然現れたことに大いに驚きました。信じられないことですが、芳山和子が1983年4月に元気に高校へ通った「タイル小路」と小津安二郎監督の映画「東京物語」に登場した平山敬三が1953年7月にその母とみの突然死を嘆き悲しんだ「福善寺の境内」とは隣り合う敷地だったのです。
高林陽一監督とは『すばらしい蒸気機関車』『本陣殺人事件』『最後の蒸気機関車』の音楽作編曲されたのと、自主映画時代からの仲間ですから。
竹原に来られると言ってくだされば、お迎えにあがりましたのに。(広島県在住です)忠海駅に着くまでに「なんていう名前の島だろう。。」とおっしゃったのは、うさぎで有名な大久野島だと思います。11:33の丸ポストは、十数年前までありました。user-ye3wj6uy8wさんのおっしゃる通り悪霊島でも使われていました。胡子堂とその手前にあるおせんべい屋さんが、始まって5分くらいのところで使われています。竹原は、水曜日にお休みのお店が多かったと思います。
勤務先が竹原の隣接市の東広島市西条で、住んでいるのは熊野です。
いつもありがとうございます。純喫茶のプリンスを撮影されていましたが、ここは昭和33年創業、マスターは1926年生まれです。2016年9月30日に閉店しました。ご高齢でやめられた?
貴重な情報ありがとうございますmm
話がちょっとだけ脱線するのですが町並み保存地区では時をかける少女まっさんの他にたまゆら(アニメ)映画版るろうに剣心にも出ているのでもし良ければ探してみてください
街並保存地区も50年前とは大きく変わりました。仕出屋さんや胃腸科の医院も廃業してたし西方寺の入り小口にあったクラブ天国も無くなってましたね。
昔の竹原地区はどんなところだったのか。。
20年ちょっと前から街並保存を始めましたがそれまではアスファルト舗装で古い建物があるだけでした。昔を知る人間から見ると今は綺麗になりました。
こたつさん豆おすすめです(^^)自身、昼飯が食えない時があるので豆を少し持っていってます。
まっさんも見ていましたが、時をかける少女と同じロケ地だとは知りませんでした。原田知世さんが好きで何度も見ましたがラストシーンはいつも何か歯がゆい感じが残りました。タイムトラベル的な内容が怖面白い!
確かにそうですねぇ
私は、39年前から「原田知世さんの実の娘」が主役を演じる「続・時をかける少女」が2022年に劇場公開されることをずっとずっと期待していました。なぜならば、1983年公開の「時をかける少女」では「入江若葉・入江たか子」の親子共演があったからです。2022年4月16日(土曜日)午後2時、尾道市立長江小学校の裏門において「あの三人」が保健室から下校するのをずっと待っていたのはこの私だけでした。
今回の竹原編を見ると、やっぱり尾道というより竹原のほうが断然印象的なシーンとリンクしますね。『転校生』は見ていないので、尾道編は何か物足りなかったけど、今回はとっても見応えありました。
時をかける少女は、私も尾道より竹原のイメージのほうが強いですね西方寺とか堀川醤油、胡子神社の瓦とか、印象的なシーンは竹原です尾道に負けないくらい素敵な街でした
こたつさん、お疲れ様です。大林監督ファンの私には、時をかける少女のロケ地は、感動しました!こたつさん、さびしんぼうを見て、ロケ地巡りをしてくださいませ。尾道です!よろしくお願いいたします。
さびしんぼうは見ました!とりあえず調査して、、という感じです
@@cotatsu_travel 向 島 に あ る 「 津 部 田 の 坂 」 に は 野 生 の イ ノ シ シ が 出 没 す る ら し い 。本 当 か ど う か わ か ら な い け ど 、 「 な か た 美 術 館 」 の 裏 山 で は 実 際 に 遭 遇 し た こ と が あ る よ 。竜 王 山 っ て い う 名 の 山 で 、 「 橘 百 合 子 」 が ピ ア ノ の 練 習 を し て い た 学 校 の 裏 山 で も あ る ん だ け ど 。
竹原が撮影場所なんですね。私も10年前に尾道で「時をかける少女」の原田さんのご自宅を訪れましたが…草が鬱蒼と生え廃墟でびっくりしました。
不 動 産 登 記 記 録 に よ れ ば 、 西 國 寺 そ ば の 「 小 濱 邸 」 は 平 成 2 9 年 3 月 に 取 壊 し さ れ ま し た 。
原田知世さんが買ったマンションは竹原にはありません。
尾道は廃墟が目立ちましたねぇ
3:22 笑ったわ(笑)
ありがとうございますmm
因みに高林陽一作品は『すばらしい蒸気機関車』『最後の蒸気機関車』『蔵の中』の3作品を劇場鑑賞しました。何度か竹原の保存地区には家族で行きました。専用の駐車場に停めて歩いてみました。最初は78年4月で2回目が平成の一桁時代です。あそこが駐車場になっていたんですね。落ちてくる瓦はガラという小道具です。堀川は中でも撮影しています。カフェではお好み焼きがあります。『マッサン』は保存地区にある竹鶴酒造の跡取りだった方のお話ですからね。ニッカウヰスキーの創業者の実家ですから。『転校生』の福山シーンも行かれますか?
福山シーンは今の所行かないですね。。
尾美としのりさんが演じた堀川吾朗は、映画「時をかける少女」で不自然に3度も「俺、ションベン行ってくる」と言いますが、なぜでしょうか。尾美さんが映画「転校生」で演じた一夫が御袖天満宮の境内で立小便をしたことだけがその理由なのでしょうか。実は、これも気づかれにくい映画「東京物語」のオマージュです。大林宣彦監督は、「笠智衆さんによる演技」と「香川京子さんのセリフ」を足しあわせてパロディー化し、忠実に自身の作品で再現しているのです。平山周吉とその家族は、妻とみの葬儀の後、久保三丁目の「竹村家本館」において食事をしました。その際、周吉が無言で席を外した理由は用を足すためでした。一方、香川京子さんが演じた筒湯小学校教師の平山京子は、映画の中の3つの異なる場面で「行って参ります」という同一のセリフを繰り返しています。特に最初の場面では連続3回も「行って参ります」を繰り返しています。原田知世さんが演じた芳山和子がハンカチを吾朗に返しに行く場面で、「物干し竿・靴下2足・エプロン」が不自然な画角で映し込まれるのはなぜですか。また、吾朗がハンカチを顔に載せた場面でも堀川醤油醸造所の裏庭に「物干し竿・洗濯物」が映り込んでいます。これもすべて「東京物語」のワンシーンのオマージュです。
高い電気塔があるのがうさぎで有名な大久野島です。
一度行ってみたいんですよね
いつも楽しく拝見しております。前々から思ってましたが、お声が少し大林監督に似てますね。監督自身が語られているように感じる時があります。
ありがとうございます。ただ、監督の声は聞いたことがないですね
そうか、「時をかける少女」は、竹原市でも相当、ロケしてたんだな。ていうか、屋根が崩れたお堂とか時計店とか、印象的な場面は、尾道より竹原の方が多いじゃないの。またこの動画もほぼ無人の小雨の中で、すごく雰囲気いいね。マジ一度行ってみようそれとこれはどうでもいいんだけど、最初に竹原駅で「歩いて15分ぐらいかかるらしく、タクシー使いたいんですが、何となくズルしてる気もするんで歩きます」と、こたつ氏の弁。ふーん歩くんだと思ったら、その次にタクシー車内で運転手との会話が出てくるのは(3分30秒あたり)、どういうことなんだろね(笑)。しかも保存地区について下車したら「何とか痛い足を引きずりながらやってきた」という(笑)。ワケわかりませんでした
私もロケ地巡りしましたが、竹原のほうが面白かったですね。映画の印象的なシーンは竹原で撮影されてるのと、竹原は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されてるのでロケ当時の風景が残ってます。尾道は景色が変わってしまってる
10:55~確か火災で無くなったかと。
なんと、そういうことだったんですか。
何故15分歩いたところ、皆さんスルー???
なんか恥ずかしいですね
筒井先生曰くとても優等生の作品で思い出したように稼いでくれるそうです角川の映画が割と原作に忠実でしたか?
頑張って歩き…タクシ〜😅
帰りは頑張りました。
時計屋の人これ見るまでおばあさんだと思ってたわ
NHKのタイムトラベラー(1972年)の方が私には強い印象があります。ほとんどスタジオですが、まれに外のロケがあったはずです。謎のロケ地が知りたい。
それは未見ですね
17:31増森さんちの玄関だよ、「時計修理の日之出堂」になったのは。西方寺普明閣の奥には立派な墓所があるのさ、増森さんちの。道の駅で手作り弁当が売られていただろ、増森家から徒歩3分の。また、道の駅から歩いて7分で行けたのに、「深町家の墓」まで。
道の駅はいってないんですよね
@@cotatsu_travel 超安い手作り弁当が売られていたはずなのに、残念ですな。
変わらんな
あーーーーーー、深町クンの葬送行列シーンの撮影現場へ行かなかったのか。惜しいね、竹原小学校の裏山まで徒歩7分だったのに。
うーん、それは失敗しました。
@@cotatsu_travel その墓地は、芳山和子もニセの深町一夫も堀川悟朗も立花先生も福島先生も誰もいなかった地です。「手引きの霊柩車」が登って行った坂道は今もそのままの姿です、当然だけど。なお、その葬列は本物だったそうです。
時をかける少女のエンディングの最後の走ってくるシーン好き。
ME TOO。
2033年4月16日(土曜日)午後1時に65歳になった原田知世さんに再び走ってもらいたいな、普明閣の境内で。
確かに!
大林宣彦監督は、当時15歳の知世さんの背後に「西方寺普明閣の石灯籠」と「未開花の桜」を映し込みました。
1982年劇場公開の映画「転校生」のラストシーンで、大林監督が小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」を映し込んだのは、明らかに1953年劇場公開の映画「東京物語」のオープニングシーンのオマージュです。
したがって、「未開花の桜」も当然意味があって映し込まれているのです。
その場面を注意深く観察すると、「監督 大林宣彦」という白文字が「西方寺普明閣の石灯籠」と「未開花の桜」を指し示すように動いています。
「時間は過ぎ去るものでなく、やってくるものなんだ」というセリフも、「1994年4月16日(土曜日)の物語」も、すべてが「2033年4月16日(土曜日)」への伏線であるはずです。
小林聡美さんの背後に映り込む「仁井時計店」というのは腕時計専門店なんですよ。
驚きですね。
原節子さんが演じた平山紀子が受け取った形見が「とみの腕時計」で、香川京子さんが演じた平山京子が尾道市立筒湯小学校で汽車が通り過ぎる時刻を確認したのが「京子の腕時計」だったのですから。
竹原は今でも昔の雰囲気が残っているので良いですね。
そうですね!
「たけはら道の駅」から徒歩5~10分、竹原市立竹原小学校の東側の裏山に市営の共同墓地がありますが、そこが「深町家の葬列」が辿り着いたお墓です。
大林宣彦監督は、撮影中にたまたま本物の葬列と出会った際、現場に出演者と撮影スタッフを残したまま、その葬列の後を追って撮影したそうです。
実は、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」には同様の場面があるのです。
1960年に「宿禰島」で新藤兼人監督が撮影した葬列と乙羽信子さんのことを意識して、カメラを手に本物の葬列を夢中で追い駆けた大林監督の思いがよくわかります。
ちなみに、1991年劇場公開の映画「ふたり」には「石田ひかりさんの入浴シーン」がありますが、それは、1960年に新藤兼人監督が撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュです。
「糸崎8丁目交差点」すぐそばにかつて存在したミカン倉庫の目の前には、瀬戸内海に浮かぶ無人島「宿禰島」があるのです。
当時浪人していてツーリングで竹原に行った際に、偶然時をかける少女の撮影をやってました。その時遠目でしたが原田知世さんを見ることができてそれ以来ファンになってしまいました。
羨ましい。
すごい偶然、ファンにとっては奇跡のような瞬間です
「今日は手が痺れておりまして」と言った知世さんの背後に映っている男性は誰ですか。
イッツミー、これマジです。
当時、時をかける少女を見て原田知世のファンになりました。
こたつさん、青春時代の思い出がよみがえりました。ありがとうございます😊
よかったです!
昔、大林三部作のロケ地巡りをしたことがあります。
とても感動的でした。
主さん、本当にお疲れさまでした。😅
また見に来てしまいました。ありがたい動画です。
ありがとうございます~
竹原は金田一映画の「悪霊島」でも使われてましたね
悪霊島のロケ地もいずれしたいです
1984〜1998年頃に尾道によくロケ地巡りに行ってました。
竹原にも何度か行きましたが、あまり変わってなくて良かったです。
屋根瓦は修理の途中で最初に行った時はまだ崩れたままでした。
堀川さんは当時はお好み焼き屋さんもやっていて食べた記憶があります。
屋根瓦とは映画で落ちたのことですか?
オープニングの画面も見逃さないとは。感心しました。
「頑張って歩いて…」発言。
結局タクシー乗るんか〜い。(笑)
結局乗りました笑
懐かしいなー
今も映画の名残の建物がちゃんと有るんですね。
嬉しいです。
保存地区はほとんど残ってますねー
なかなかレアな地元の人との会話シーンが個人的に嬉しい
ありがとうございます!
雨の中ご苦労様でした。2:32の島の名前ですが送電線の鉄塔の立っている島が大久野島(うさぎ島、毒ガス島)です。忠海駅から港に出ると島行きのフェリー乗り場があります。それと町並み保存地区は電柱を無くして地下に電線を通すように作り直したようです。いつ地中に埋めたのか分かりませんがマッサンのときに竹原を訪れた時には既に電線が埋まっていたと思います。最後のタバコ屋さんの隣の建物(通りの突き当りの建物)は建物を公開していて二階から町並み保存地区を見下ろせるポイントになっていました。
時をかける少女
愛は輝く船
過去も未来も星座も超えるから
抱きとめて❤
原田知世さんが「早春物語」で共演した俳優は「林隆三さん」です。
広島県竹原市本町三丁目の「西方寺」へ行ってみると、寺の庫裏(僧侶の居住用建物)に掲げられた表札が「林隆三さん」と一文字違いであることに驚かされます。
「西方寺」というのは、映画「時をかける少女」のエンドロールの最後の場面が撮影された境内があるお寺のことです。
雨と空腹に耐えながらの「時をかける少女」ロケ地竹原巡り、有難うございます🎵大林映画も原田知世さんも大好きなので、本当に嬉しくてたまりません。お寺の周辺を観ると、映画のノスタルジックさと共に何故か横溝正史の『獄門島』が頭をよぎります。知世さんが30代前半位の時に『獄門島』のヒロイン鬼頭早苗を見たかったな、と思ってしまいました…(今なら『悪霊島』の巴御寮人ですかね?)。
年齢的には手毬唄の青池リカ、犬神家の梅子、女王蜂の神尾秀子とかでしょうかねぇ
尾道もいいところですが竹原も雰囲気があっていいところですね。映画やドラマのロケに良さそうです。
今でもロケは全然できると思います。
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2033年4月16日(土曜日)に再び走ってほしいわ、65歳になった原田知世さんに西方寺普明閣の境内を。
時をかける少女のロケ地めぐりは嬉しいです。
ロケ地巡り、お疲れ様です。いつも楽しく拝見してます。『時かけ』、大好きな作品です。今の十把一絡げのアイドルには絶対に醸し出せない、原田知世の透明感(白いブルマ姿、あれは反則ですw)。高柳良一の台詞棒読みw「土曜日の、実験室ーーー!(棒)」。そしてあの、主題歌が流れる唯一無二のエンドロール。最高です😊
棒読みは監督から、あえてそうやれと指示されたらしいですね。
@@cotatsu_travel
1 9 8 3 年 4 月 1 6 日 ( 土 曜 日 ) 午 後 2 時 、 保 健 室 で 芳 山 和 子 の 体 調 を 診 た 立 花 先 生 は 、 芳 山 和 子 が 生 理 中 で あ る こ と を 公 然 と 告 げ て い る ん で す よ 。
そ れ な の に 、 そ の 2 日 後 の 4 月 1 8 日 ( 月 曜 日 ) 一 時 限 目 の 体 育 の 授 業 で 「 白 い ブ ル マ 」 を 着 用 さ せ る な ん て 。
映画撮影当時15歳の女の子に「白いブルマ」を履かせるなんて極悪非道、その前々日は生理だったらしいし。
しかも、その日の放課後、弓道部の練習の背後に何の脈絡もなく「赤いブルマ」を履いた女子バレーボール部員を画面いっぱいに登場せるなんて。
4月16日が「土曜日」に当たるのは、次は2033年です。
私は、65歳になった原田知世さんが「白いブルマ」を履いて長江小学校の校庭で弓道部の練習に加わる姿を見てみたいと思っています。
今となってはドラマ「マッサン」やアニメ「たまゆら」の聖地、と言った方が通りがいいかも知れませんね。お好み焼き「ほり川」はアニメでも重要な舞台であり、ファンはもちろんスタッフや声優が集う「同窓会」も度々行われています
おおそうなんですね!「お好み焼き」のメニューは今あったかな。。?
夏休み行ってきます!
山の方は廃墟がいっぱいあるらしくちょっぴり怖いけど
楽しみです♪
映画「時をかける少女」のオープニングシーンに「菜の花」と「桜の花」が現れるのはなぜでしょうか。
こたつさんは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」をご覧になったことがありますか。
「修学旅行の船上でマスノが歌う浜辺の歌」と「大石先生が偶然再会した松江の悲しい背中」も映画「時をかける少女」で忠実に再現されているのですから。
「松江の悲しい姿」は逆オマージュですね。
立花先生を演じた根岸季衣さんが上手に演技していますよ、福島先生のネクタイを誉められた時の嬉しくてたまらない感情が。
7:57 国重要伝統的建造物群保存地区の指定が昭和57年(1982年)だから、おそらくはそれまでは開発に制限がなかっただと思われる。
それくらいに建てられた住宅もちらほら見えるしね。
ロケ地、竹原市巡りお疲れ様でした。私の住んでるところから
広島県は遠いのですが、
是非行って見たくなりました。
また、時をかける少女を観たく
なったので、明日レンタル決定です。
うちの近くのゲオも未だにレンタル中になってることがあります
「芳山和子の家」、「堀川悟朗の家」とされた民家の敷地に「物干し竿と洗濯物」が現れる場面をご存知ですか。
和子がハンカチを悟朗へ返すために出かける場面、和子から返してもらったハンカチを悟朗が顔の上に載せる場面の2度です。
「物干し竿と洗濯物」の映像は、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオマージュですよ。
気づきましたか。
こたつさんにお願いがあります。
坂上香織さんの「レースのカーディガンPV」のロケ地巡りもやってください。
香織さんが犬と戯れる場面のロケ地は、なんと「平山周吉の家」の前です。
また、香織さんが国道2号線長江口交差点と山陽本線をバックにして歌を歌っている場面において、香織さんの視線の先には「浄土寺山」があるのです。
茶房「こもん」から徒歩3分の「福善寺」の立体駐車場わきの石段は、1953年8月に小津安二郎監督が平山紀子が乗車した汽車が東京へ向けて走り去る場面のロケを行った地です。
映画「転校生」のラストシーンで、尾美としのりさんが演じた斉藤一夫の背後に「浄土寺山」が映り込み、小林聡美さんが演じた斉藤一美の背後に「仁井時計店の看板」が映り込んでいるのは、決して偶然などではないのです。
一夫がトラックの助手席の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた地点は、新藤兼人監督の映画「裸の島」のロケ地でもある「料亭旅館魚信」の前です。
一美は、どうして先ほど出発したはずの「一夫の家」へ向かって海岸通りを走っているのですか。
一美がトラックを追い駆けて走り出した場面のロケ地は、「東京物語」の冒頭シーンのロケ地で「小津アングル」とは真逆の方向から撮影しているのはなぜですか。
信じ難いことですが、「時間と空間の無限ループ」という意味があるからです。
素敵な場所ですね
呉線は何度か乗ってますが、海が美しいですね
竹原、これは行かねば!
呉線も乗り通してみたいですね
ほぼ海岸線を走るので晴れの日は更に綺麗ですよ
なかなかゴハンにありつけないこたつさん😅
竹原市‥ステキなところですね✨
いいところでした。
映画「時をかける少女」のクランクアップは1983年4月4日です。
この動画を撮影したのは2023年4月5日でしょうから、正に40年目の記念なんですよ。
やだ
あたいが産まれる15日前のことなのね
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1983年4月4日(月曜日)は、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の放映開始日でした。
「おしん」の老齢期を演じたのは女優の乙羽信子さんです。
乙羽さんは、新藤兼人監督の妻です。
おそらく大林監督は意図的にその日をクランクアップに選んだのでしょう。
竹原の重伝建地区、平日は人いなくていいですよね~。私が行った頃はマッサン熱がまだあった頃で竹鶴酒造の外観だけ見ました。
駅から私も歩いていきましたが、離れているからこそあれだけの街並みが残されているんだと実感しました。
お昼は藤井酒造さん(酒蔵交流館)でおそばと鯛めしを食べられました。ちょっと外れたところにカフェなどもあった記憶があります。閉まっているいるのが多かったのはコロナの影響があったのかもしれません。
地区から少し離れたところにある旧森川家住宅というところのお庭や建物がとにかく立派でしたよ。
旅の目的がロケ地巡りのはずが街並みや建物に興味が移っていったきっかけになったのが竹原でした。
なるほど、鯛めしですか。おいしいもの食べたかったですね。。
@@cotatsu_travel 駅近くの商店街を通って歩いていったのですが、シャッター商店街状態でした。食べるところに苦労しますよね。駅なかにあったセブンイレブンももうないみたいですね…
時計屋の男を演じていたのは高林陽一監督だったと思いますが大林監督の角川映画のデビュー作「金田一耕助の冒険」にも釣り師の役で出演されてましたね。大林監督も高林監督の角川映画の作品「蔵の中」にカメオ出演されてましたけど(笑)
まだ続く大林尾道シリーズロケ。
自分の田舎である尾道を訪ねていた頃に
どうも「時をかける少女」の風景を
見かけないなぁと思っていたのですが
竹原市だったんですね。
長年の疑問が解けてすっきりです。
いつも楽しい動画をありがとう。
そ の と お り で す 。
映 画 「 時 を か け る 少 女 」 で は 、 西 方 寺 普 明 閣 境 内 の 奥 が 「 尾 道 市 長 江 二 丁 目 」 の 竹 藪 わ き の 山 道 と 繋 が っ て い る こ と に な っ て い ま す 。
尾道ではなく、主に竹原で撮影されたとは知りませんでした。この映画の知世ちゃん、かわいかったですね。
確かに!
お堂の瓦が剥がれたシーンはCGらしいですよ。
あ、そうでしたか!
映画「ふたり」には、尾美としのりさんが演じた神永青年が学校帰りの実加と真子に出会う場面があります。
三人の背後の中央に映り込んでいる民家の2階バルコニーに注目してください。
たくさんの洗濯物が干してありますね、なぜですか。
実は、その民家は、建替え後の「平山周吉の家」だからです。
さて、「三人が出会った場所」と「平山周吉の家」を直線で結び、もし、その場面撮影時において、カメラが「平山周吉の家」の側にあったとしたら、どんな映像が撮影できたでしょうか。
予想してみてください。
映画「東京物語」の冒頭5カットのうち、5番目の尾道の風景と同じ絵が撮影できたはずです。
ところで、どうして「ふたり」の冒頭には、藤田弓子さんが演じた御婦人が幼少の頃の実加と真子に出会う場面があるのでしょうか。
実は、その場面は、映画「東京物語」の冒頭5カットのうち2番目の尾道の風景に登校する小学生が映し込まれていたからです。
オマージュ、オマージュ、オマージュの嵐なんですね、大林監督の尾道作品は。
いつも楽しく拝見させていただいております。
大林作品では少し気配の違う作品と呼ばれる廃市のロケ地を是非お願いします。
柳川ロケで作品も柳川が舞台となっております。
とても情緒溢れる作品で尾道三部作より好きな映画です。
あと大林作品ではマイナーな姉妹坂も京都ロケで観光ついでにいかがでしょうか?
マッサンのロケ地巡りに来る方も、多いんですね😊
見てみたいなぁ❤️✨
放送当時は多かったみたいですね
こたつさん 尾道に竹原とお疲れさまでした。いつも楽しく拝見しております。
県民だから何度と訪れてますが、こたつさんの比較動画で為になる情報を得てますね。刑事より全然調査能力高そう。応援してます。
ありがとうございます!
[時をかける少女]は原田知世のファンでもあり、とても興味深い映画です~
こたつさんの画像を参考に今度機会があったら行ってみたいと思います☝️
そ の 際 は 竹 原 小 学 校 の 裏 山 へ も 行 っ て み て く れ 。
徒 歩 7 分 で 迷 わ ず 行 け る か ら 。
深 町 家 の 葬 送 シ ー ン が 撮 影 さ れ た お 墓 が そ の ま ま 存 在 し て い る 、 当 然 だ け ど 。
ぜひいってみてくださいぃ
尾道市西久保町の「旧K濱邸」は、「芳山和子の家」とされた民家でした。
長らく空き家のまま放置されていたようですが、2015年3月に取り壊されてしまいました。
とても残念なことでした。
しかし、グーグルマップで検索すると、尾道市長江一丁目の大山寺から西久保町の西國寺へ向かう裏道沿いに「芳山和子の家」が今も存在しています。
それは2014年11月に撮影されたものだからです。
「東京物語」と「転校生」も見てから出かけてみてください。
「時間は過ぎ去るものでなく、やって来るもの」という主張の意味が理解できるようになるからです。
「転校生」のラストシーンで小林聡美さんが演じた斉藤一美は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオープニングシーンが撮影されたロケ地からトラックを追い駆けて、海岸通りを「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたのです。
トラックは横浜方面へ走り去ったことになっていますが、実は、つい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたことを知ると、たいへん驚くと思います。
これは、大林監督とそのスタッフによる意図的な仕込みです。
「転校生」のラストシーンが撮影された海岸通りを歩いてみると「時間と空間の無限ループ」を味わえますよ。
そこは、1953年8月当時、小津監督が撮影した「栗吉材木店の看板」があった場所であり、また、笠智衆さん、香川京子さん、原節子さんとともに宿泊した「竹村家」が現存する地だからです。
1982年公開「転校生」のロケ地は、1953年公開「東京物語」のロケ地と接した地が選ばれているからです。
「仁井時計店の看板」が斉藤一美の背後に映り込み、「浄土寺山」が斉藤一夫の背後に映り込むのは決して偶然などではありません。
これらの映像はすべて「東京物語」のオマージュです。
ちなみに、尾美としのりさんが演じた斉藤一夫がトラックの窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた場面のロケ地は「料亭旅館魚信」の前ですが、そこは新藤兼人監督の「裸の島」のロケ地でもあります。
大林監督と恭子プロデューサーは、どうして原田知世さんのことを「住吉浜」前にあるホテルに宿泊させたのでしょうか。
また、映画「時をかける少女」のエンドロールの最後に「西方寺普明閣の石灯籠」が現れるのはなぜでしょうか。
実は、これも「東京物語」と関係があります。
「西方寺普明閣の石灯篭」は、「住吉神社の石灯篭」のオマージュです。
「住吉神社」が「住吉浜」へ移転するきっかけをつくったのが1741年当時の尾道町奉行「平山角左衛門さん」です。
尾道市の名誉市民第一号となった平山角左衛門町奉行と「東京物語」に登場する家族の名が同一なのは偶然ではありません。
この動画をきっかけに「時かけ」いま(途中まで)観ています。20年ほど前に仕事で竹原へ行っていましたが、何も知りませんでした。
いまでは失われた時代背景、ゆっくりのペースがなんかいいですね。
異世界のような効果、表現は映画、フィルムならではでしょうか?この動画でのポイントがよいアクセントになり楽しく観ています。
(時計屋さんの主人の怖い顔あたりまで観ました(笑))
引き続き楽しい動画、気づきの提供をお願いします!(冒頭、結局タクシー!😅)
途中まで笑。良いですね!
尾美としのりさんが演じた堀川悟朗は、どうして不自然に3度も「俺、ションベンに行ってくる」と言うのか理由をご存知ですか。
これは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のパロディー系オマージュです。
笠智衆さんが演じた平山周吉が用を足すために家族との食事の席を外す場面がありますが、それは一度限りです。
しかし、香川京子さんが演じた平山京子は、3度の異なる場面で「行って参ります」と家族に告げます。
特に、最初の場面では連続3回も「行って参ります」と告げるのです。
平山京子は、「尾道市立筒湯小学校」の教員と言う設定です。
映画「ふたり」のラストシーンで中嶋朋子さんが演じた北尾千津子の「お尻」が大きくスクリーンに映る場面、変だと思いませんでしたか。
北尾千津子の背後にあったもの、それが「尾道市立筒湯小学校」です。
そして、平山京子先生の背後にあったもの、それが「1953年7月の暦」です。
映画「転校生」で小林聡美さんが演じた斉藤一美の15歳の誕生日がどうして「1981年7月12日(日曜日)」に設定されたのか。
その理由は、平山京子先生の背後に映り込む筒湯小学校の木造教室の暦を見たらわかります。
「東京物語」→「転校生」→「時をかける少女」の順で繋がっているのです。
「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」の曜日配列が同一だったのですね、普通の人は気付かないと思います。
私が気付いた理由は、初めて尾道市長江一丁目の「タイル小路」へ行った時、突然、目の前に「福善寺の境内」が現れたからです。
原田知世さんが演じた芳山和子は、1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた朝、目の前に置かれたカップの中が「紅茶」で満たされたことを目の当たりにして驚いています。
現実世界の私は、「タイル小路」からわずか10メートル先の位置に「東京物語」のワンシーンの現場が突然現れたことに大いに驚きました。
信じられないことですが、芳山和子が1983年4月に元気に高校へ通った「タイル小路」と小津安二郎監督の映画「東京物語」に登場した平山敬三が1953年7月にその母とみの突然死を嘆き悲しんだ「福善寺の境内」とは隣り合う敷地だったのです。
高林陽一監督とは『すばらしい蒸気機関車』『本陣殺人事件』『最後の蒸気機関車』の音楽作編曲されたのと、自主映画時代からの仲間ですから。
竹原に来られると言ってくだされば、お迎えにあがりましたのに。(広島県在住です)
忠海駅に着くまでに「なんていう名前の島だろう。。」とおっしゃったのは、うさぎで有名な大久野島だと思います。
11:33の丸ポストは、十数年前までありました。
user-ye3wj6uy8wさんのおっしゃる通り悪霊島でも使われていました。胡子堂とその手前にあるおせんべい屋さんが、始まって5分くらいのところで使われています。
竹原は、水曜日にお休みのお店が多かったと思います。
勤務先が竹原の隣接市の東広島市西条で、住んでいるのは熊野です。
いつもありがとうございます。
純喫茶のプリンスを撮影されていましたが、ここは昭和33年創業、マスターは1926年生まれです。2016年9月30日に閉店しました。
ご高齢でやめられた?
貴重な情報ありがとうございますmm
話がちょっとだけ脱線するのですが
町並み保存地区では
時をかける少女
まっさん
の他に
たまゆら(アニメ)
映画版るろうに剣心
にも出ているのでもし良ければ探してみてください
街並保存地区も50年前とは大きく変わりました。仕出屋さんや胃腸科の医院も廃業してたし西方寺の入り小口にあったクラブ天国も無くなってましたね。
昔の竹原地区はどんなところだったのか。。
20年ちょっと前から街並保存を始めましたがそれまではアスファルト舗装で古い建物があるだけでした。昔を知る人間から見ると今は綺麗になりました。
こたつさん
豆おすすめです(^^)
自身、昼飯が食えない時があるので豆を少し持っていってます。
まっさんも見ていましたが、時をかける少女と同じロケ地だとは知りませんでした。
原田知世さんが好きで何度も見ましたがラストシーンはいつも何か歯がゆい感じが残りました。タイムトラベル的な内容が怖面白い!
確かにそうですねぇ
私は、39年前から「原田知世さんの実の娘」が主役を演じる「続・時をかける少女」が2022年に劇場公開されることをずっとずっと期待していました。
なぜならば、1983年公開の「時をかける少女」では「入江若葉・入江たか子」の親子共演があったからです。
2022年4月16日(土曜日)午後2時、尾道市立長江小学校の裏門において「あの三人」が保健室から下校するのをずっと待っていたのはこの私だけでした。
今回の竹原編を見ると、やっぱり尾道というより竹原のほうが断然印象的なシーンとリンクしますね。『転校生』は見ていないので、尾道編は何か物足りなかったけど、今回はとっても見応えありました。
ありがとうございます!
時をかける少女は、私も尾道より竹原のイメージのほうが強いですね
西方寺とか堀川醤油、胡子神社の瓦とか、印象的なシーンは竹原です
尾道に負けないくらい素敵な街でした
こたつさん、お疲れ様です。
大林監督ファンの私には、時をかける少女のロケ地は、感動しました!
こたつさん、さびしんぼうを見て、ロケ地巡りをしてくださいませ。尾道です!よろしくお願いいたします。
さびしんぼうは見ました!とりあえず調査して、、という感じです
@@cotatsu_travel
向 島 に あ る 「 津 部 田 の 坂 」 に は 野 生 の イ ノ シ シ が 出 没 す る ら し い 。
本 当 か ど う か わ か ら な い け ど 、 「 な か た 美 術 館 」 の 裏 山 で は 実 際 に 遭 遇 し た こ と が あ る よ 。
竜 王 山 っ て い う 名 の 山 で 、 「 橘 百 合 子 」 が ピ ア ノ の 練 習 を し て い た 学 校 の 裏 山 で も あ る ん だ け ど 。
竹原が撮影場所なんですね。私も10年前に尾道で「時をかける少女」の原田さんのご自宅を訪れましたが…草が鬱蒼と生え廃墟でびっくりしました。
不 動 産 登 記 記 録 に よ れ ば 、 西 國 寺 そ ば の 「 小 濱 邸 」 は 平 成 2 9 年 3 月 に 取 壊 し さ れ ま し た 。
原田知世さんが買ったマンションは竹原にはありません。
尾道は廃墟が目立ちましたねぇ
3:22 笑ったわ(笑)
ありがとうございますmm
因みに高林陽一作品は『すばらしい蒸気機関車』『最後の蒸気機関車』『蔵の中』の3作品を劇場鑑賞しました。
何度か竹原の保存地区には家族で行きました。
専用の駐車場に停めて歩いてみました。最初は78年4月で2回目が平成の一桁時代です。
あそこが駐車場になっていたんですね。
落ちてくる瓦はガラという小道具です。
堀川は中でも撮影しています。
カフェではお好み焼きがあります。
『マッサン』は保存地区にある竹鶴酒造の跡取りだった方のお話ですからね。
ニッカウヰスキーの創業者の実家ですから。
『転校生』の福山シーンも行かれますか?
福山シーンは今の所行かないですね。。
尾美としのりさんが演じた堀川吾朗は、映画「時をかける少女」で不自然に3度も「俺、ションベン行ってくる」と言いますが、なぜでしょうか。
尾美さんが映画「転校生」で演じた一夫が御袖天満宮の境内で立小便をしたことだけがその理由なのでしょうか。
実は、これも気づかれにくい映画「東京物語」のオマージュです。
大林宣彦監督は、「笠智衆さんによる演技」と「香川京子さんのセリフ」を足しあわせてパロディー化し、忠実に自身の作品で再現しているのです。
平山周吉とその家族は、妻とみの葬儀の後、久保三丁目の「竹村家本館」において食事をしました。
その際、周吉が無言で席を外した理由は用を足すためでした。
一方、香川京子さんが演じた筒湯小学校教師の平山京子は、映画の中の3つの異なる場面で「行って参ります」という同一のセリフを繰り返しています。
特に最初の場面では連続3回も「行って参ります」を繰り返しています。
原田知世さんが演じた芳山和子がハンカチを吾朗に返しに行く場面で、「物干し竿・靴下2足・エプロン」が不自然な画角で映し込まれるのはなぜですか。
また、吾朗がハンカチを顔に載せた場面でも堀川醤油醸造所の裏庭に「物干し竿・洗濯物」が映り込んでいます。
これもすべて「東京物語」のワンシーンのオマージュです。
高い電気塔があるのがうさぎで有名な大久野島です。
一度行ってみたいんですよね
いつも楽しく拝見しております。
前々から思ってましたが、お声が少し大林監督に似てますね。
監督自身が語られているように感じる時があります。
ありがとうございます。ただ、監督の声は聞いたことがないですね
そうか、「時をかける少女」は、竹原市でも相当、ロケしてたんだな。ていうか、屋根が崩れたお堂とか時計店とか、印象的な場面は、尾道より竹原の方が多いじゃないの。またこの動画もほぼ無人の小雨の中で、すごく雰囲気いいね。マジ一度行ってみよう
それとこれはどうでもいいんだけど、最初に竹原駅で「歩いて15分ぐらいかかるらしく、タクシー使いたいんですが、何となくズルしてる気もするんで歩きます」と、こたつ氏の弁。ふーん歩くんだと思ったら、その次にタクシー車内で運転手との会話が出てくるのは(3分30秒あたり)、どういうことなんだろね(笑)。しかも保存地区について下車したら「何とか痛い足を引きずりながらやってきた」という(笑)。ワケわかりませんでした
私もロケ地巡りしましたが、竹原のほうが面白かったですね。
映画の印象的なシーンは竹原で撮影されてるのと、竹原は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されてるのでロケ当時の風景が残ってます。尾道は景色が変わってしまってる
10:55~
確か火災で無くなったかと。
なんと、そういうことだったんですか。
何故15分歩いたところ、皆さんスルー???
なんか恥ずかしいですね
筒井先生曰くとても優等生の作品で思い出したように稼いでくれるそうです
角川の映画が割と原作に忠実でしたか?
頑張って歩き…タクシ〜😅
帰りは頑張りました。
時計屋の人これ見るまでおばあさんだと思ってたわ
NHKのタイムトラベラー(1972年)の方が私には強い印象があります。
ほとんどスタジオですが、まれに外のロケがあったはずです。
謎のロケ地が知りたい。
それは未見ですね
17:31
増森さんちの玄関だよ、「時計修理の日之出堂」になったのは。
西方寺普明閣の奥には立派な墓所があるのさ、増森さんちの。
道の駅で手作り弁当が売られていただろ、増森家から徒歩3分の。
また、道の駅から歩いて7分で行けたのに、「深町家の墓」まで。
道の駅はいってないんですよね
@@cotatsu_travel
超安い手作り弁当が売られていたはずなのに、残念ですな。
変わらんな
あーーーーーー、
深町クンの葬送行列シーンの撮影現場へ行かなかったのか。
惜しいね、
竹原小学校の裏山まで徒歩7分だったのに。
うーん、それは失敗しました。
@@cotatsu_travel
その墓地は、芳山和子もニセの深町一夫も堀川悟朗も立花先生も福島先生も誰もいなかった地です。
「手引きの霊柩車」が登って行った坂道は今もそのままの姿です、当然だけど。
なお、その葬列は本物だったそうです。