Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
蘇我氏の人たちの名前、稲目、馬子、蝦夷、入鹿というのは、藤原が日本書紀を編纂する時に、蘇我氏を貶める為に創作した名前で、本当の名前は記録が消されてしまい未だにわからないんですよね。おそらく、◯◯麻呂、みたいな名前だったと思われますが。蘇我氏で只一人、大化の改新に協力した倉山田石川麻呂だけが本名が記録に残された。
蝦夷、入鹿に関しては、名前を歪めるために名前だと思うけど、それ以前に関しては、そうは思わない。「韓子」と言う名前の人物は、当時の日本の豪族の中にそれなりにいて、日本書紀の中に「日本の大人たちが隣国人の女性に産ませた子に韓子と名付けた」という記述があるから、母方にそういう家系の者がいたのであろう。
当時の日本の貴族の中に「韓子」と言う名前が多かった。何も蘇我氏だけではない。日本書紀の記述によると、日本の貴族が隣国人の女性との間に儲けた子に「韓子」と名付けたという記述があるので、それが真実でしょう。蘇我氏の祖先は、皇別・武内氏の庶流にあたり、この家系は外交官をしていたので、半島系の人を側室に迎えて生まれた子供いたであろうし。。。ちなみに、武内氏の嫡流にあたるのが、皇別・葛城氏で、この一族は雄略天皇の時代に失脚したので、代わりに武内氏傍流の蘇我氏が台頭したと思われている。
ほ!なわ?
そーなん?
@@usa7006 ありがとうございます。勉強になりました。
本当に横暴さによって滅ぼされたのか、勝者が相手を滅ぼしたことを正当化するために後付けで作った話なのか、その両者が混じっているのか、あるいは当時の人ではない後世の人の意図で大いに創作された内容であるのか、いろんな可能性を考えることができておもしろいですよね。
守屋と馬子あたりの流れは漫画の『日出る処の天子』で学びましたーあれは面白かった…
同じくー推古天皇もあの顔でインプットされてる
里中満智子の天上の虹も面白いでぇ〜。
蘇我氏が石川と言う名字になった話しは初めて聞いた。勉強になりますわー。
藤原氏は賢かったですね。藤原氏は自ら天皇を主として持ち上げ、天皇第一の家臣として天皇の権威を借りながら実権を握りましたので。
武内宿禰の宿禰というのは、後に身分を表す名称なので、宿禰というのは何代かいたのだろうという説がいる。つまり、歌舞伎でいうところの中村勘九郎みたいに何代も受け継がれる通称。戦国時代の松平家だと「次郎三郎」みたいな通称みたいなもん。それと、武内宿禰のいた時代は暦が違っていて、春に耕して秋に収穫して1年と計算していて、300年のところは実際は150年くらい。しかも、武内宿禰の宿禰は、世襲名、通称みたいなもんで、何代かいたはず。ちなみに、武内氏の嫡流の地位にあったのは葛城セツヒコで、彼の生母はタカミムスビ系の葛城県主の娘で、その母方の強力な支援から、武内氏の嫡流にあったと思われるが。。。たしか雄略天皇の時代に葛城セツヒコは失脚し、その代わりに新しく台頭してきたのが、武内氏傍流の蘇我氏だったと思われる。
『日出処の天子』と『天上の虹』で日本古代史ファンになりました🥰 これからも様々な事が発見されていくニュースを楽しみにしております♬『驕れる者は久しからず』は飛鳥時代より先の時代の物語の冒頭句ですが、他に古くからのことわざにしても昔の人は何事にも的を得た考えを持っていたのだと感心するばかりです✨
当方の小学校時代の同級生の一人に、その人の母上の実家が物部氏の直系の子孫という人がいました。
穴穂部皇子の墓と比定される藤の木古墳が奈良にあるが副葬品がとてつもなく素晴らしい。金ピカの剣に冠に金ピカの靴まで。
奢ってくれる者は久しくいないw名言やなあ
蝦夷とか馬子の名から、クーデターを正当化するために悪者にでっち上げられたと思います。
どうしてクーデターが起きたのか、その時代背景を考察すれば、違う結論が出る筈ですが。
蘇我氏以上に謎の秦氏
蘇我氏の悪者観は後に藤原氏が作ったと言われてることについては?..
霊夢氏は居住地を新潟に移せば庭から石油がワンチャンある(千葉に移すとガスが出るチャンスが)
奢ってたかというとまた別の問題なんだわなこれおそらく対唐政策のぶつかり合いではないかな
鎌足をカタマリっていうのはサザエさんでも出てくるネタですね
「ねぇ…アイスクリーム固まった~?」😁
古事記や萬葉集は何度も読みましたけれど、日本書紀はまだじっくりと読んだことがないなあ。
11:09しっかり間違えて伏線回収してるの好き笑
64X年、奈良は大化の炎に包まれた!入鹿はヤラれ蝦夷は死に、あらゆる蘇我氏は絶滅したかに見えた。しかし蘇我氏は死に絶えてはいなかった。
蘇我氏のおかげで仏教が日本で栄えるきっかけになりましたね!
中臣鎌足ってもしかして後の藤原氏……?
そうだよ鎌足自身が姓を賜ったから中臣一族の中で彼の子孫だけが藤原を名乗れた
分かりやすくて面白い。やっぱり歴史はいいですね。
蘇我馬子と物部守屋の対立は小学館系の「日本の歴史」(故あおむら純氏版)で知った話です。
霊夢氏は磁石とか持っていきそうだな(流石に古い手段だけど)
蘇我さんなん?蔵さんなん?山田さんなん?石川さんなん?誰さんやねん!?ですね笑…ただ石川という苗字はこの一族の流れときいたことがあります。あと、土佐の長宗我部家も!
蘇我氏といえば、 山本正之氏の歌ですな。
ソガ~ ソガ~ 奈良県明日香村~近鉄橿原神宮前~ 石舞台~仏教は命 渡来の殿堂されど 勝利の日 いまだ遠しつまづき 落ち込み でも立ち直りソガ~ ソガ~ おお進め明日香へ
現在の皇族が存続できてるのは蘇我蝦夷の恩情❗敵討ちは容易かったはず‼️本当の歴史書と翡翠の産地と共に消えていった。継体天皇は蘇我氏血統ですけどね。
今は乙巳の変と教科書に書いてあるそうですね。おじさんの頃は大化の改新でした。
「八百万」は「やおよろず」と発音して欲しかった~!
「大臣」など、読みが変なのは機械に読ませているのかな?
古墳時代の時の大臣の読み方は「おおおみ」で合ってると思いますよ。
@@saucool366 さん返信ありがとうございます。今、見直しました。ちゃんと振り仮名が付いていましたね。音声だけで聞いていたので、「おおおみ」って聞こえなかったもんですから。確認してから書くべきでした。すみません。2021.12.06.10:35
蝦夷って、まじに下げる名前だから、いやー、天智天皇と藤原鎌足にはめられたんでしょうねえ。息子の不比等は日本書紀とかいろんな文書を作成させているし、やりたい放題(笑)。
よく中臣鎌足が蘇我氏を陥れた説ですが、疑問があり、中臣氏は名家ではあるが、鎌足は中臣氏の嫡家でなく、分家のような存在でいきなり表舞台に出て皇子を言いくるめる様ば最初から権力があったのだろうか?
3:08 アラブの王と濃い関係< 庭を掘って石油が出るほうが・・ww
勝者の作った歴史。馬子蝦夷入鹿って穢名っぽい
入鹿は「鞍作(くらつくり)」が本名と思われます。
蝦夷は「林臣」、入鹿は「鞍作」が本当の名前であったことは証明されているのに、例えば蝦夷は当時もう使われた例があった(例:佐伯今毛人)のを理由として別称ではない可能性が高いと表記を変えようとしない歴史家や教科書出版の業者がまず固定観念を改めないと蘇我氏の真実は見えて来ないと思う
その既に証明されている情報どこかのサイトとかに載ってますか??知らなかったので教えていただけると幸いです🙇♀️
@@にきにんにき さん林臣に関しては高校の日本史の教諭(大学でもさ教鞭を執っていた)が授業で蘇我蝦夷の本名は「はやしのおみ」入鹿の本名は「はやしのおみたろう」と伝わっているという話していたのが根拠です。この場合の「たろう」は「⚪︎⚪︎の長男」と言う意味でしょう。鞍作に関しては広辞苑の第二版で知識を得ました。日本書紀に拠ると入鹿の別名が林臣や林太郎と書かれているようですが、上記との考え併せで筆者が父子の名を混同してるように思います。日本書紀が書かれた時点では蘇我父子は過去の逆賊扱いされていたでしょうから蔑称(入鹿は古事記に書かれている、越の気比大神に穢れ禊ぎの幣として血が臭い「鼻の毀てる入鹿の魚」から来ているようです)だけが意図的に伝承されたのだと思います
@@薩道ヨッシー さん丁寧にありがとうございます!勉強になりました!!
馬子と聖徳太子って聞いて、ギャグ漫画日和を思い出してしまった
推古が蘇我氏を馬に例えたり馬背もいたり、葛城氏の下で馬に関わった渡来系と考えます。天皇もいるし、やはり渡来系というのはタブー視されている可能性もあると思う。
蝦夷が自宅に火を着けた事で、当時の歴史書が全て失われたと言われていますね。まぁ残っていたとしても、古事記以上に神話的で歴史的価値は無かったかもしれないけど。
改革者は、嫌われ評価されない今も昔も日本は変わらない点が興味深いですね❤️
蘇我氏は改革者の側面はあったが、簒奪(未遂)者である。後世から筆誅を加えられて当然である。
最近の教科書は聖徳太子ではなく、厩戸王だったとして、皇位継承権も無い小さな存在であり、彼の事績も蘇我氏や他の皇族が行ったとしていますね。しかし、ならばなぜ、つまらない男が聖徳太子として千年以上も崇められてきたのか。教科書を書く学者は、それには全く答えないんですよね。最近は大化の改新も、蘇我の先進政治を理解できない保守派による反動運動だった、という語り方も普及しています。
実に嘆かわしい。左翼学者モドキの奇をてらった妄言だと思われます。
現代版ソガ氏=佳代ちゃん(笑)
結局やっている政治は蘇我と藤原だと印象が逆となるんで難しいな。蘇我は公地公民で天皇に力を強めようとして、家柄身分にとらわれず重用しろ、仏教を敬えなどの17条の憲法を作ったが、それを倒した藤原は藤原独裁をやっていったわけで、いったいどっちがどうなんだという印象があるんだが
10:54え、間違える事は一度くらいあるだろ(経験者)
中臣氏は蘇我氏の刀。
曽我兄弟の祖先か実は皇統を奪取したのが天智側と言う説もあるとかないとか
曾我兄弟は鎌倉時代初期の武士で河津祐泰の子息。系譜上は藤原氏。最近は皇室の権威を何としてでも貶めようと暗躍する左翼学者モドキが、奇をてらった妄言を吹聴しているに過ぎない。
宿禰の紙幣持ってる。
蘇我稲目 馬子「外戚関係築いて、物部倒して俺らもう順調じゃね?」蝦夷「なんか俺の親戚強かったし天皇雑に扱うわ」入鹿「YO,YO俺は最強おまいは最弱俺に敵うものはいな,,,」中大兄皇子 中臣鎌足「🔫ガチャッ」
更に謎な皇籍の橘氏と何で歴史から消えてるのかなと
武内の宿禰は、浦島太郎の別名応神天皇の実の親だったと思っている。
蘇我さんて今も多いよね。
蘇我が朝鮮の出なら一重はこいつのせいの可能性あるな
蘇我氏は武内氏の血統だから、半島系ではない。ただし、蘇我氏は初期は外交官の地位にいた家系だから。「韓子」と言う名前の人物は、当時の日本の豪族の中にそれなりにいて、日本書紀の中に「日本の大人たちが隣国人の女性に産ませた子に韓子と名付けた」という記述があるから、母方にそういう家系の者がいたのであろう。ちなみに、武内氏の嫡流の地位にあったのは葛城セツヒコで、彼の生母はタカミムスビ系の葛城県主の娘で、その母方の強力な支援から、武内氏の嫡流にあったと思われるが。。。たしか雄略天皇の時代に葛城セツヒコは失脚し、その代わりに新しく台頭してきたのが、武内氏傍流の蘇我氏だったと思われる。
当時の半島人は今の半島人とはまったくの別の人種。鎌足は百済王の皇子扶余豊璋だという説もあるよね。
@@mozuku-san-channel そんな説を信じるべきではない。アカデミックの歴史学では、バカにされるような話だよ。
@@mozuku-san-channel 当時の半島人と今の半島人が別だという説も無理がありすぎる。そんな短期間でコロッと人種が入れ替わるとは思えない。まあ、百歩譲って、百済の王族が現在の半島人の主流の先祖にならなかったくらいのことか?ただし、日本人のY染色体を調べてみても、日本人の支配階層のDNAを調べてみてみたら、百済王族とほぼ関係ないという結果しか出てこない。「鎌足は百済王の皇子扶余豊璋」という説を掲げた人は、アカデミックの歴史学者ではなくて、歴史作家の関裕二だぞ。彼の著書は、学術的なものではなくて、ほぼ娯楽作品として読むべきであって、そんなものを信じている時点でアウトだよ、君はw
@@usa7006 そんな話もあるよねって、世間話程度の書き込みでマジになるなよw
当時は飛鳥の豪族たちは大君は自分達の勢力のバランスの象徴として立てた盟主で実質的に自分達と同格なんだと思っていたふしがあります。だから蘇我蝦夷や入鹿が自分の屋敷を宮と呼ばせたり子供たちを御子と呼ばせたのは必ずしもおごりだったとは言えないのではないかな。それを許せんと思ってクーデターを起こして蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子が天皇に権力を集中させようとしたところからもその説は正しいんじゃないかと日本史の教師がのたまわっていました。結構当たりじゃないかな。
天皇殺した罪は永遠に消えないと思うよ
どちらかと言うと「ナマゴミノカタマリ」って間違いのが多いかも笑笑
蘇我馬子の妻は物部守屋の妹
パチンコで3万スッたのはスッたうちに入らんし実質トントンやぞ
なにゆえ金山古墳?
もくまんち=蘇我のまんち?
屠自古の実家だ。
百済の子孫たちよ…
百済は神武天皇の兄が作ったと言う説も有りますね。新羅も倭人が作った。だから王も宰相も途中まで倭人だった。しかし年月が経つと百済も新羅も王や宰相や豪族軍人も半島生まれの半島育ちが増え、祖先の様に倭に愛着を持たなくなり、ただ自分達が大陸に有って、中華の文化が倭より早く入って来る為に、自分達の方が倭より上と思い見下す様になった。それが今の韓国人の思想に染み付いてるとか。だから日本が自分達より評価されてるのが許せず、とにかく足を引っ張りたがる。また白村江の戦いで日本が百済の為に遠征したのは、同盟国の他に百済の王族と日本の皇室が親類関係に有ったからと言われてます。一つの説ですが。
魔理沙何歳だよ。。。。
やおおろずですよ?
蘇我氏は調子ぶっこいた一族。武内宿禰はKFCのレシピ保管マニュアルと同じような仕組みで歴史やいわゆる予言の類を守ってきた一族ですね。確か12人いてお互いが別の人の内容は知らず武内宿禰だけがぞの全体を知っているという口伝システムだったそうです。日本には今でこそオカルト扱いされますが古神道があり、人物像が一言で示されています。入鹿と蝦夷だけど。蘇我入鹿 魂の種類:オロチ 霊格値ランク:獣人 政治家、飛鳥時代の豪族、クーデター首謀者、珍しいオロチの魂蘇我蝦夷 魂の種類:レプティリアン 霊格値ランク:小人 政治家、飛鳥時代の豪族、朝廷図書館に放火して日本の古代史を消した だそうです。
批判してきた?避難して来たです!m(_ _)m
しおひめ
実は物部氏もお寺建てたりしてるし物部氏の影響力の高い地域に聖徳太子の建立した法隆寺があるし物部氏の編纂した先代旧事本紀には蘇我入鹿は物部氏の系統って記述されてるから物部氏と蘇我氏は良好で共栄関係だと思う。物部守屋は奔流で分家です。蘇我馬子=厩戸皇子=聖徳太子、蘇我蝦夷=山背大兄王説を推す。
蘇我馬子と蘇我入鹿の名前を合わせて馬鹿☆
蘇我氏だけは許せないんだよなぁ。
SAGASIGASUGASEGASOGA
嵯峨天皇(勅撰漢詩集×2・三筆・蔵人頭・東寺?)、滋賀大津・菅義偉前首相、セガサミーホールディングス・蘇我一族
韓国ぽいではなく朝鮮半島ぽいじゃないかな?北朝鮮も同じようなもんなんだし
男なのに馬子ww😂
蘇我氏の人たちの名前、稲目、馬子、蝦夷、入鹿というのは、藤原が日本書紀を編纂する時に、蘇我氏を貶める為に創作した名前で、本当の名前は記録が消されてしまい未だにわからないんですよね。おそらく、◯◯麻呂、みたいな名前だったと思われますが。蘇我氏で只一人、大化の改新に協力した倉山田石川麻呂だけが本名が記録に残された。
蝦夷、入鹿に関しては、名前を歪めるために名前だと思うけど、それ以前に関しては、そうは思わない。
「韓子」と言う名前の人物は、当時の日本の豪族の中にそれなりにいて、日本書紀の中に「日本の大人たちが隣国人の女性に産ませた子に韓子と名付けた」という記述があるから、母方にそういう家系の者がいたのであろう。
当時の日本の貴族の中に「韓子」と言う名前が多かった。何も蘇我氏だけではない。日本書紀の記述によると、日本の貴族が隣国人の女性との間に儲けた子に「韓子」と名付けたという記述があるので、それが真実でしょう。蘇我氏の祖先は、皇別・武内氏の庶流にあたり、この家系は外交官をしていたので、半島系の人を側室に迎えて生まれた子供いたであろうし。。。ちなみに、武内氏の嫡流にあたるのが、皇別・葛城氏で、この一族は雄略天皇の時代に失脚したので、代わりに武内氏傍流の蘇我氏が台頭したと思われている。
ほ!なわ?
そーなん?
@@usa7006 ありがとうございます。勉強になりました。
本当に横暴さによって滅ぼされたのか、勝者が相手を滅ぼしたことを正当化するために後付けで作った話なのか、その両者が混じっているのか、あるいは当時の人ではない後世の人の意図で大いに創作された内容であるのか、いろんな可能性を考えることができておもしろいですよね。
守屋と馬子あたりの流れは漫画の『日出る処の天子』で学びましたー
あれは面白かった…
同じくー
推古天皇もあの顔でインプットされてる
里中満智子の天上の虹も面白いでぇ〜。
蘇我氏が石川と言う名字になった話しは初めて聞いた。勉強になりますわー。
藤原氏は賢かったですね。
藤原氏は自ら天皇を主として持ち上げ、天皇第一の家臣として
天皇の権威を借りながら実権を握りましたので。
武内宿禰の宿禰というのは、後に身分を表す名称なので、宿禰というのは何代かいたのだろうという説がいる。つまり、歌舞伎でいうところの中村勘九郎みたいに何代も受け継がれる通称。戦国時代の松平家だと「次郎三郎」みたいな通称みたいなもん。それと、武内宿禰のいた時代は暦が違っていて、春に耕して秋に収穫して1年と計算していて、300年のところは実際は150年くらい。しかも、武内宿禰の宿禰は、世襲名、通称みたいなもんで、何代かいたはず。
ちなみに、武内氏の嫡流の地位にあったのは葛城セツヒコで、彼の生母はタカミムスビ系の葛城県主の娘で、その母方の強力な支援から、武内氏の嫡流にあったと思われるが。。。たしか雄略天皇の時代に葛城セツヒコは失脚し、その代わりに新しく台頭してきたのが、武内氏傍流の蘇我氏だったと思われる。
『日出処の天子』と『天上の虹』で日本古代史ファンになりました🥰 これからも様々な事が発見されていくニュースを楽しみにしております♬
『驕れる者は久しからず』は飛鳥時代より先の時代の物語の冒頭句ですが、他に古くからのことわざにしても昔の人は何事にも的を得た考えを持って
いたのだと感心するばかりです✨
当方の小学校時代の同級生の一人に、その人の母上の実家が物部氏の直系の子孫という人がいました。
穴穂部皇子の墓と比定される藤の木古墳が奈良にあるが副葬品がとてつもなく素晴らしい。金ピカの剣に冠に金ピカの靴まで。
奢ってくれる者は久しくいないw
名言やなあ
蝦夷とか馬子の名から、クーデターを正当化するために悪者にでっち上げられたと思います。
どうしてクーデターが起きたのか、その時代背景を考察すれば、違う結論が出る筈ですが。
蘇我氏以上に謎の秦氏
蘇我氏の悪者観は後に藤原氏が作った
と言われてることについては?..
霊夢氏は居住地を新潟に移せば庭から石油がワンチャンある
(千葉に移すとガスが出るチャンスが)
奢ってたかというとまた別の問題なんだわなこれ
おそらく対唐政策のぶつかり合いではないかな
鎌足をカタマリっていうのはサザエさんでも出てくるネタですね
「ねぇ…アイスクリーム固まった~?」😁
古事記や萬葉集は何度も読みましたけれど、日本書紀はまだじっくりと読んだことがないなあ。
11:09しっかり間違えて伏線回収してるの好き笑
64X年、奈良は大化の炎に包まれた!
入鹿はヤラれ蝦夷は死に、あらゆる蘇我氏は絶滅したかに見えた。
しかし蘇我氏は死に絶えてはいなかった。
蘇我氏のおかげで仏教が日本で栄えるきっかけになりましたね!
中臣鎌足ってもしかして後の藤原氏……?
そうだよ
鎌足自身が姓を賜ったから中臣一族の中で彼の子孫だけが藤原を名乗れた
分かりやすくて面白い。やっぱり歴史はいいですね。
蘇我馬子と物部守屋の対立は小学館系の「日本の歴史」(故あおむら純氏版)で知った話です。
霊夢氏は磁石とか持っていきそうだな(流石に古い手段だけど)
蘇我さんなん?蔵さんなん?山田さんなん?石川さんなん?誰さんやねん!?ですね笑…ただ石川という苗字はこの一族の流れときいたことがあります。あと、土佐の長宗我部家も!
蘇我氏といえば、
山本正之氏の歌ですな。
ソガ~ ソガ~ 奈良県明日香村~
近鉄橿原神宮前~ 石舞台~
仏教は命 渡来の殿堂
されど 勝利の日 いまだ遠し
つまづき 落ち込み でも立ち直り
ソガ~ ソガ~ おお
進め明日香へ
現在の皇族が存続できてるのは蘇我蝦夷の恩情❗
敵討ちは容易かったはず‼️
本当の歴史書と翡翠の産地と共に消えていった。
継体天皇は蘇我氏血統ですけどね。
今は乙巳の変と教科書に書いてあるそうですね。おじさんの頃は大化の改新でした。
「八百万」は「やおよろず」と発音して欲しかった~!
「大臣」など、読みが変なのは機械に読ませているのかな?
古墳時代の時の大臣の読み方は「おおおみ」で合ってると思いますよ。
@@saucool366 さん
返信ありがとうございます。
今、見直しました。ちゃんと振り仮名が付いていましたね。音声だけで聞いていたので、「おおおみ」って聞こえなかったもんですから。確認してから書くべきでした。すみません。2021.12.06.10:35
蝦夷って、まじに下げる名前だから、いやー、天智天皇と藤原鎌足にはめられたんでしょうねえ。息子の不比等は日本書紀とかいろんな文書を作成させているし、やりたい放題(笑)。
よく中臣鎌足が蘇我氏を陥れた説ですが、疑問があり、中臣氏は名家ではあるが、鎌足は中臣氏の嫡家でなく、分家のような存在でいきなり表舞台に出て皇子を言いくるめる様ば最初から権力があったのだろうか?
3:08 アラブの王と濃い関係< 庭を掘って石油が出るほうが・・ww
勝者の作った歴史。馬子蝦夷入鹿って穢名っぽい
入鹿は「鞍作(くらつくり)」が本名と思われます。
蝦夷は「林臣」、入鹿は「鞍作」が本当の名前であったことは証明されているのに、例えば蝦夷は当時もう使われた例があった(例:佐伯今毛人)のを理由として別称ではない可能性が高いと表記を変えようとしない歴史家や教科書出版の業者がまず固定観念を改めないと蘇我氏の真実は見えて来ないと思う
その既に証明されている情報どこかのサイトとかに載ってますか??
知らなかったので教えていただけると幸いです🙇♀️
@@にきにんにき さん
林臣に関しては高校の日本史の教諭(大学でもさ教鞭を執っていた)が授業で蘇我蝦夷の本名は「はやしのおみ」入鹿の本名は「はやしのおみたろう」と伝わっているという話していたのが根拠です。この場合の「たろう」は「⚪︎⚪︎の長男」と言う意味でしょう。鞍作に関しては広辞苑の第二版で知識を得ました。
日本書紀に拠ると入鹿の別名が林臣や林太郎と書かれているようですが、上記との考え併せで筆者が父子の名を混同してるように思います。
日本書紀が書かれた時点では蘇我父子は過去の逆賊扱いされていたでしょうから蔑称(入鹿は古事記に書かれている、越の気比大神に穢れ禊ぎの幣として血が臭い「鼻の毀てる入鹿の魚」から来ているようです)だけが意図的に伝承されたのだと思います
@@薩道ヨッシー さん
丁寧にありがとうございます!
勉強になりました!!
馬子と聖徳太子って聞いて、ギャグ漫画日和を思い出してしまった
推古が蘇我氏を馬に例えたり馬背もいたり、葛城氏の下で馬に関わった渡来系と考えます。天皇もいるし、やはり渡来系というのはタブー視されている可能性もあると思う。
蝦夷が自宅に火を着けた事で、当時の歴史書が全て失われたと言われていますね。
まぁ残っていたとしても、古事記以上に神話的で歴史的価値は無かったかもしれないけど。
改革者は、嫌われ評価されない今も昔も日本は変わらない点が興味深いですね❤️
蘇我氏は改革者の側面はあったが、簒奪(未遂)者である。
後世から筆誅を加えられて当然である。
最近の教科書は聖徳太子ではなく、厩戸王だったとして、皇位継承権も無い小さな存在であり、彼の事績も蘇我氏や他の皇族が行ったとしていますね。
しかし、ならばなぜ、つまらない男が聖徳太子として千年以上も崇められてきたのか。
教科書を書く学者は、それには全く答えないんですよね。
最近は大化の改新も、蘇我の先進政治を理解できない保守派による反動運動だった、という語り方も普及しています。
実に嘆かわしい。
左翼学者モドキの奇をてらった妄言だと思われます。
現代版ソガ氏=佳代ちゃん(笑)
結局やっている政治は蘇我と藤原だと印象が逆となるんで難しいな。蘇我は公地公民で天皇に力を強めようとして、家柄身分にとらわれず重用しろ、仏教を敬えなどの17条の憲法を作ったが、それを倒した藤原は藤原独裁をやっていったわけで、いったいどっちがどうなんだという印象があるんだが
10:54
え、間違える事は一度くらいあるだろ(経験者)
中臣氏は蘇我氏の刀。
曽我兄弟の祖先か
実は皇統を奪取したのが
天智側と言う説もあるとかないとか
曾我兄弟は鎌倉時代初期の武士で河津祐泰の子息。系譜上は藤原氏。
最近は皇室の権威を何としてでも貶めようと暗躍する左翼学者モドキが、奇をてらった妄言を吹聴しているに過ぎない。
宿禰の紙幣持ってる。
蘇我稲目 馬子「外戚関係築いて、物部倒して俺らもう順調じゃね?」
蝦夷「なんか俺の親戚強かったし天皇雑に扱うわ」
入鹿「YO,YO俺は最強おまいは最弱俺に敵うものはいな,,,」
中大兄皇子 中臣鎌足「🔫ガチャッ」
更に謎な皇籍の橘氏と
何で歴史から消えてるのかなと
武内の宿禰は、浦島太郎の別名
応神天皇の実の親だったと思っている。
蘇我さんて今も多いよね。
蘇我が朝鮮の出なら一重はこいつのせいの可能性あるな
蘇我氏は武内氏の血統だから、半島系ではない。ただし、蘇我氏は初期は外交官の地位にいた家系だから。「韓子」と言う名前の人物は、当時の日本の豪族の中にそれなりにいて、日本書紀の中に「日本の大人たちが隣国人の女性に産ませた子に韓子と名付けた」という記述があるから、母方にそういう家系の者がいたのであろう。
ちなみに、武内氏の嫡流の地位にあったのは葛城セツヒコで、彼の生母はタカミムスビ系の葛城県主の娘で、その母方の強力な支援から、武内氏の嫡流にあったと思われるが。。。たしか雄略天皇の時代に葛城セツヒコは失脚し、その代わりに新しく台頭してきたのが、武内氏傍流の蘇我氏だったと思われる。
当時の半島人は今の半島人とはまったくの別の人種。
鎌足は百済王の皇子扶余豊璋だという説もあるよね。
@@mozuku-san-channel そんな説を信じるべきではない。アカデミックの歴史学では、バカにされるような話だよ。
@@mozuku-san-channel 当時の半島人と今の半島人が別だという説も無理がありすぎる。そんな短期間でコロッと人種が入れ替わるとは思えない。まあ、百歩譲って、百済の王族が現在の半島人の主流の先祖にならなかったくらいのことか?ただし、日本人のY染色体を調べてみても、日本人の支配階層のDNAを調べてみてみたら、百済王族とほぼ関係ないという結果しか出てこない。
「鎌足は百済王の皇子扶余豊璋」という説を掲げた人は、アカデミックの歴史学者ではなくて、歴史作家の関裕二だぞ。彼の著書は、学術的なものではなくて、ほぼ娯楽作品として読むべきであって、そんなものを信じている時点でアウトだよ、君はw
@@usa7006 そんな話もあるよねって、世間話程度の書き込みでマジになるなよw
当時は飛鳥の豪族たちは大君は自分達の勢力のバランスの象徴として立てた盟主で実質的に自分達と同格なんだと思っていたふしがあります。だから蘇我蝦夷や入鹿が自分の屋敷を宮と呼ばせたり子供たちを御子と呼ばせたのは必ずしもおごりだったとは言えないのではないかな。それを許せんと思ってクーデターを起こして蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子が天皇に権力を集中させようとしたところからもその説は正しいんじゃないかと日本史の教師がのたまわっていました。結構当たりじゃないかな。
天皇殺した罪は永遠に消えないと思うよ
どちらかと言うと「ナマゴミノカタマリ」って間違いのが多いかも笑笑
蘇我馬子の妻は物部守屋の妹
パチンコで3万スッたのはスッたうちに入らんし実質トントンやぞ
なにゆえ金山古墳?
もくまんち=蘇我のまんち?
屠自古の実家だ。
百済の子孫たちよ…
百済は神武天皇の兄が作ったと言う説も有りますね。
新羅も倭人が作った。
だから王も宰相も途中まで倭人だった。
しかし年月が経つと百済も新羅も王や宰相や豪族軍人も半島生まれの半島育ちが増え、祖先の様に倭に愛着を持たなくなり、ただ自分達が大陸に有って、中華の文化が倭より早く入って来る為に、自分達の方が倭より上と思い見下す様になった。
それが今の韓国人の思想に染み付いてるとか。
だから日本が自分達より評価されてるのが許せず、とにかく足を引っ張りたがる。
また白村江の戦いで日本が百済の為に遠征したのは、同盟国の他に百済の王族と日本の皇室が親類関係に有ったからと言われてます。
一つの説ですが。
魔理沙何歳だよ。。。。
やおおろずですよ?
蘇我氏は調子ぶっこいた一族。武内宿禰はKFCのレシピ保管マニュアルと同じような仕組みで歴史やいわゆる予言の類を守ってきた一族ですね。確か12人いてお互いが別の人の内容は知らず
武内宿禰だけがぞの全体を知っているという口伝システムだったそうです。日本には今でこそオカルト扱いされますが古神道があり、人物像が一言で示されています。入鹿と蝦夷だけど。
蘇我入鹿 魂の種類:オロチ 霊格値ランク:獣人 政治家、飛鳥時代の豪族、クーデター首謀者、珍しいオロチの魂
蘇我蝦夷 魂の種類:レプティリアン 霊格値ランク:小人 政治家、飛鳥時代の豪族、朝廷図書館に放火して日本の古代史を消した だそうです。
批判してきた?避難して来たです!m(_ _)m
しおひめ
実は物部氏もお寺建てたりしてるし物部氏の影響力の高い地域に聖徳太子の建立した法隆寺があるし物部氏の編纂した先代旧事本紀には蘇我入鹿は物部氏の系統って記述されてるから物部氏と蘇我氏は良好で共栄関係だと思う。物部守屋は奔流で分家です。蘇我馬子=厩戸皇子=聖徳太子、蘇我蝦夷=山背大兄王説を推す。
蘇我馬子と蘇我入鹿の名前を合わせて馬鹿☆
蘇我氏だけは許せないんだよなぁ。
SAGA
SIGA
SUGA
SEGA
SOGA
嵯峨天皇(勅撰漢詩集×2・三筆・蔵人頭・東寺?)、滋賀大津・菅義偉前首相、セガサミーホールディングス・蘇我一族
韓国ぽいではなく朝鮮半島ぽいじゃないかな?
北朝鮮も同じようなもんなんだし
男なのに馬子ww😂
推古が蘇我氏を馬に例えたり馬背もいたり、葛城氏の下で馬に関わった渡来系と考えます。天皇もいるし、やはり渡来系というのはタブー視されている可能性もあると思う。
推古が蘇我氏を馬に例えたり馬背もいたり、葛城氏の下で馬に関わった渡来系と考えます。天皇もいるし、やはり渡来系というのはタブー視されている可能性もあると思う。