【ゆっくり解説】蘇我氏とは何者だったのか…

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 4 апр 2024
  • ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    にっぽんぽんTwitter 【制作の裏話など】
    nipponppo/status/...
    にっぽんぽんInstagram【偉人の名言】
    pCcP2FQDva...
    歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
    過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
    先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
    こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
    このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
    ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
    ※動画内の素材はすべて引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的はございません。
    著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願いします。
    osigotoiraihakotira@gmail.com
    #ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説

Комментарии • 23

  • @user-zp5cz3hk7y
    @user-zp5cz3hk7y 3 месяца назад +53

    蘇我えみしと言うと、山岸凉子さんの「日出処の天子」を思い出す

    • @user-bw2rn8hm9m
      @user-bw2rn8hm9m 2 месяца назад +4

      山岸先生は天才であり、神です。

  • @user-bk3sg4wh9i
    @user-bk3sg4wh9i 3 месяца назад +13

    ちょうど蘇我氏の本を借りて
    帰ってきて通知が来たので驚いた
    素晴らしいタイミング!!
    ありがとうございます!!

  • @user-xk5jm2cg5o
    @user-xk5jm2cg5o 3 месяца назад +16

    年寄なので厩戸皇子と蘇我毛人と書いてしまいます

  • @110nari8
    @110nari8 3 месяца назад +19

    記紀は200年も前に石川家と別れた蘇我家を一つの家として書いています。馬子や蝦夷と言う名は存在しません。この辺は記紀は分かりやすく誤魔化しであることを書いています。元々大陸に出すための書籍であって国内向けにはさほど誤魔化す必要は無かったし、そもそもやられた側が真実を忘れるわけがありません。
    蘇我馬子は、石川臣麻古といい、現在でも北陸蘇我家に本来の名前が伝わっています。初代武内宿祢は出雲に匿われて嫁を貰った以降は、出雲系の臣を名乗り、物部系の宿祢姓を捨てました。
    蘇我臣石川。彼が蘇我宗家の石川家の始まりです。
    息長家と中臣家、中臣家に養子入りした鎌子が石川家を暗殺して滅ぼした事を、逆に英雄にするために蘇我氏の名前を使って書いたのが記紀になります。

    • @gorilla_in_IQexperiment
      @gorilla_in_IQexperiment 2 месяца назад +3

      出雲口伝でも似たような話がありますね。

    • @user-xl7dm5fo6v
      @user-xl7dm5fo6v 2 месяца назад

      知りませんでした。江戸幕府倒幕後に在日朝鮮人が日本人に養子縁組して政財界に入り込み日本解体に動いていることと似てますね。こんな昔から似たようなことが繰り返されていたのですね。だから身内で結婚することが権力を守ることに必須なのですね。

  • @user-ri3yz4fc6c
    @user-ri3yz4fc6c 3 месяца назад +9

    阿蘇氏も 宜しくお願いします

  • @MikuHatsune-np4dj
    @MikuHatsune-np4dj 2 месяца назад +7

    藤原氏とは何者なのかもやってください

  • @moftoshi
    @moftoshi 2 месяца назад +5

    もう一つの蘇我氏のルーツは、北陸三国郡石川臣氏です。そこにオオドノキミ(継体天皇)が入婿し、オオドノキミと一緒に大和入ったとする説。ヤマトの地元豪族でない蘇我氏は、連姓になれなかった。

  • @user-hc4nt7qp9s
    @user-hc4nt7qp9s 2 месяца назад +4

    我蘇るですか、凄い名前ですね😓

  • @user-fs5kh9bc4u
    @user-fs5kh9bc4u Месяц назад +2

    蘇我氏が滅亡した後、翡翠が何処で取れるか分からなくなったそう。ということは、蘇我氏は縄文系、蝦夷系の有力者の家系では?竹内文書にも出てくる、世界を飛び回った家系だと思う。

  • @naoki080808
    @naoki080808 Месяц назад +2

    蘇我蝦夷の母は物部尾輿の娘です。物部宗家滅亡後、その権益を相続したのではないか。
    一方、上宮王家(太子一族)も斑鳩や九州など旧物部の勢力が強い地域に影響力があります。
    蝦夷と山背は旧物部の権益を巡って対立していたのではないでしょうか。
    事実、馬子没後、蝦夷は上宮王家の私有民(壬部)を勝手に使役し係争となった記録があります
    境部→上宮王家と協力して旧物部権益を経営する蘇我守旧派
    蝦夷→独占したい改革派
    じゃないかな
    それなら、非蘇我系の皇族を立てる理由を説明できる

  • @user-id5ql2gd6s
    @user-id5ql2gd6s 2 месяца назад +2

    上宮聖徳法王帝説には蘇我入鹿は林太郎との記述があるんでしょ?別名だと思われるけども、これの意味と林太郎の記述の後に意図的に消された(削られた)文字列が謎です。

  • @user-jd7gb2xt5h
    @user-jd7gb2xt5h 2 месяца назад +2

    昔、職場に中臣さんていたな…
    そう言えばもっと昔、別の職場にソガジイと呼ばれるソガさんがいたな(笑)

  • @user-it1su6jx7z
    @user-it1su6jx7z 2 месяца назад +2

    大臣は”おおきみ”でなく”おおおみ” おおきみは大王、つまり天皇の事だし

  • @Data_analyst.
    @Data_analyst. 22 дня назад +1

    我は蘇の者なり。

  • @HoleGreat
    @HoleGreat 2 месяца назад +4

    個人的には入鹿が殺害された時の「韓人が入鹿を殺した」という言葉の意味が気になる
    韓人とはだれのことをさしているのか
    中大兄皇子と鎌足のことか

  • @user-hx3fb5ck4l
    @user-hx3fb5ck4l 3 месяца назад +7

    藤原氏の方が…ね

  • @Eii73489
    @Eii73489 2 месяца назад +1

    ヤマトの国の高市の本宗家は磯城郡だと思ったが?蘇我氏の本拠地はも?翡翠の話しは本当だと思われるけれども?勾玉の弥生時代から引き続いていた話しがあって、蘇我宗家が無くなって仕舞った後は翡翠の原産地が解からなくなってしまったとか?分家の相模の曾我の庄園は続いて居るよ。俺もそこの曾我の男子の部の民の種なんだけれども 、多分女系の嫁入りの母の管轄ってことになるかなぁ?渡来人でも帰化しなければ日本国に住み付かないじゃない?蘇我氏に対する妬みの恨みで造り話しがされたのかも知れないが?名前自体があり得無いじゃない?蝦夷とか馬子とか入鹿とか?それでも人間の政治手法で議会政治は天皇の権限を抑制するからだとか?議会の建議はもうずっと後で天皇は倒れないけれども?イギリスの名誉革命で手っ取り早くして「ここにサインを下さいませ?ウィリアム・イギリス王万歳!?聖なる王は汚い政治に介入せずとも加わらなくても善いのです、配下の者が行動しますので?」って?天皇のもの公家だから人殺しせずに?ちょっとそっちにいていろ!?あとで聴くからだとか?明治天皇が啓蒙君主からだとか!?文明開化で!?俺は天皇陛下の支配下に御座います!天皇陛下万歳!?って?東条英機じゃないけれども?