【強すぎた】天下無双?!島津四勇将!秀吉にも一歩も引かなかった猛将たち!歴史解説

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  • Опубликовано: 24 ноя 2024

Комментарии • 9

  • @hidekikawakami4786
    @hidekikawakami4786 4 месяца назад +8

    肝付氏といえば、じゃじゃ丸やスネ夫で知られる故肝付兼太さんのご先祖様ですね!

  • @pataraxminx7495
    @pataraxminx7495 4 месяца назад +6

    分かりやすくて楽しんでます😃
    いつか名古屋城でお会いしてみたいです

  • @rud4657
    @rud4657 2 месяца назад +2

    鹿児島の蒲生はカモウで濁点はつきません。
    独特な九州の読みはわかりにくいですよね(⁠-⁠_⁠-⁠;⁠)

  • @atdxshinshin
    @atdxshinshin 4 месяца назад +4

    島津の強さは対外戦争でも発揮されてますね。
    朝鮮出兵では少ない兵で、明・朝鮮連合軍に勝利し、幕末には世界最強のイギリス軍相手に、地の利や相手の油断があったとはいえ、互角の戦い繰り広げますから。

  • @toshichika720
    @toshichika720 4 месяца назад +3

    やっぱり島津豊久が一番好き😍😍義久も好き

  • @一器高虎-y5b
    @一器高虎-y5b 4 месяца назад +2

    島津家久だけで、九州制覇出来そう😅

  • @ろっそねろ
    @ろっそねろ 4 месяца назад +6

    お疲れ様です。いつも楽しく拝見しています。
    島津四兄弟に隠れてマイナーな看経所の四人を取り上げて下さりありがとうございます。鎌田家の子孫の末端に連なる者として感謝に堪えません。いくつか気が付いた点を書きます。
    加治木城を攻囲したのは蒲生(かもう)範清です。
    新納忠元は太指(親指)武蔵と呼ばれていました。鬼武蔵は森長可の方が有名だと思います。
    鎌田政年(かまだまさとし)は二人いて文明十七年(1485年)の日向櫛間牟田迫の合戦で日新斎忠良公の祖父伊作久逸(いざくひさやす)を守って討死した鎌田宗家の尾張守政年。
    もう一人は看経所の四人である鎌田庶流の尾張守政年。両名とも島津家にとって重要人物な上に受領名も尾張守だったので分かりにくいのですが看経所の四人の政年は通称刑部左衛門、剃髪して寛栖と名乗ったので鎌田刑部左衛門もしくは鎌田寛栖入道で分かりやすくなるかと思います。
    ちなみに肝付兼盛の子孫に声優の故肝付兼太(本名兼正)氏がいます。また、新納忠元の子孫に俳優の新納慎也氏がいます。

  • @大澤正人-v2r
    @大澤正人-v2r 4 месяца назад +2

    島津は肉食を奨励?していたそうですね(体も大きく成長し、性格も獰猛になったのでしょうかw?)。