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中村甚五郎、格好良すぎる。どうせ町道場と思ったら菓子屋で修行からとは思い切りが良すぎる。しかし銭勘定に優れた人を探していた重役さんは逸材を逃しましたね。
これは現代の人にも言える事だよなぁ「今までこの職で食ってきたんだから」とか「俺はこの仕事の才能がある、だから次も同じ職種で上を目指すんだ」「この歳で今更一から学び直すなんて無理だしそんな気にもなれない」とプライドを捨てきれない人が転職で失敗するしがみついてでも家族を養うために、生きていくためにプライドを捨て謙虚になれる人が案外前職と関係ない仕事でもうまくやっていけたりするもんなんだよな
逆に400年間一切お咎めなく平穏無事だった藩ってのもあって、それはそれですごい
真田氏は、関ヶ原で父弟が西軍に組みしながら、兄信之が徳川につき、幕府の監視の元、明治維新まで生き延びたのは、立派。
室町時代挟んで平穏無事なとこなさそう
@@フォトン-q2mメジャー所で平穏では無いけど、島津は?
関ヶ原での裏切りで知られる朽木氏は鎌倉時代から明治維新まで生き延びた事で知られています。
250年程では?
社会の制度が変わるというのは大変な血と汗が流れる。明治政府はよくも乗り切ったと思う。わかりやすい内容でした。
知らないことだったので凄く面白かったです。武士も大変だったんですね。
いつもありがとうございます。
城の受け取りは、大変名誉あるお役目なのだった。
我が上杉藩の事ですね。 下級武士は畑を開墾し自給自足したり、帰農し新田を開墾したりしました。
興味深い動画をありがとうございます!以前、働いていた老人ホームに徳川四天王『酒井家』の分家の末裔の老婦人がおられました。彼女の父は明治維新直後、地元に来た英国人宣教師に接し「これからの世は英語だ!」と直感し、幼い息子を彼に託して上京させました。少年は後に高名な英文学者となりました。彼は「よくも、旧態依然たる因循固な奥州の地にあって、私の父に先見の明があったものだ!朋輩たちの多くは時流が読めずに没落疲弊して行ったのに」そのように、感慨深く語っていたそうです。
中村甚五郎の話は現代で転職やら再就職を考えてる人にも参考になる話だと思う前職でそこそこいい役職や肩書をもらっていると変なプライドが邪魔をして前と同じ仕事に就こうとか、特技や肩書を活かした仕事に就こうと考えがちだけどそういう人ほどいつまでも転職先、再就職先が決まらない全て捨てて一から始めるくらいの覚悟でいた方が就職先も決まりやすく、実際働き始めてからも謙虚になれる人が多いからうまくいきやすいものだよな
それにしても、武士として真面目に鍛え上げた剣術というスキルを否定されるのはつらいですよね。某藩重役との面接シーンは今の社会でもゴマンとありそうな光景・・・
改易されて浪人となり、長屋で笠張や悪徳商人の用心棒的イメージしかなかったんで勉強に成りました。
先生!おねげーしやす。
諫言した老中を改易って家光にも狭量な部分があるな
実際の家光は気分屋で癇癪持ちで嫉妬深くキレやすい。というかなり性格に難がある人物だったようです(しかも女性に全く興味がないガチ◯モ)忠俊に対しても改易した後すぐに後悔し、何度も呼び戻そうとするが「それでは自らの誤りを認めることになります」と頑として応じなかったという。
逆に聞くけどSNSとかで間違い指摘されて素直に認めて謝る奴がどれだけいると思う?あんたもそうだろ
@@明m8c snsとは比べてもしょうがないと思う
福島正則の居城受取にそれだけの藩兵を出すとは…。正則なら城を枕に討ち死にじゃあ!城受取たくば我が屍を踏み越えよ…の勇ましさをおそれたのかも…。
本気で恐れたようです。というより、福島正則が猛将なら家臣に至っては名将智将良将が揃いも揃っていたためシャレぬきに予想されたようです。ただ、実際は福島正則の命に従いおとなしく退去しました。ちなみに家臣たちですが尾張徳川家が「あそこは政ごとに優れた家臣が多いから」とたくさん採用したようです。
浪人がやる読み書きを教える寺子屋があったおかげで、意外と識字率が高かったって話は有りますね。
先祖は、平家から鎌倉幕府の御家人に、最後は加賀藩の藩校の先生~でした。
もしや長崎氏もしくは関氏の末裔の方ですか?
先祖は葛西大崎一揆で主家(黒川氏)を失って帰農した近所がほとんど同じ名字w
うちは改易されたあとは、地元に戻って、何人かついてきた家臣らと豪農になったらしいね。
そういった場合って、未だに元家臣の家系の人達と付き合いがあったりするのか気になる
@@ykok6145 ありますね。作った作物の1割の上納を条件に畑を貸していて、宴席だけですが今も本家の当主を「殿」と呼んでますね。
@@山県昌景-y9w ほぇー面白い殿と呼ぶのはあくまでもユーモアなのか、それともうっすらでも未だに上下関係的なものはあるのだろうか
@@ykok6145 酒の席の話ですのでユーモアでしょうね、普段は「○○さん」呼びですし。ただ上下関係はあるでしょうね。農地を貸してる関係ですし、作物も地元企業(給食関係)に口利きで卸してますし。良くも悪くも逆らえないでしょうね。
@@山県昌景-y9w なるほどなんだかカルチャーショックだわもしかしたら家臣云々に限らず田舎の方では農地などの関係でまだそういった上下関係的な風習が残っているのかもしれないけど、街中で生まれ育った自分はそういった関係性を見たことがないので興味深かった教えてくれてありがとう
07:00からの再藩探しがまさに、4.50代の再就職みたいで泣ける( ;∀;)しかも面接で、甚五郎「そろばん一級です!」別の求職者「おぉ!」面接官「そろばんねぇ…今の時代はもうパソコン使えないとねぇ…エクセルは?」みたいなのが想像できて泣ける( ;∀;)他の求職者のリアクションからもそやつらも落選したんだろうなぁ…って泣ける( ;∀;)いつの時代も新しいシステムに乗りそこねると再就職はつらいんだなぁと
甚五郎すごすぎる!!
本人だけに留めて、他にはチャンスを与えるところが徳川幕府がうまくいったひとつのところなのかな
失政で切腹どころか斬罪になった大名も実際います。
板倉勝家ですね。
松倉勝家ですね父・重政の代から続けてきた切支丹弾圧を強化するなど圧政を敷いた事がきっかけとなって島原の乱を起こされた責任を問われたとされていますが乱の鎮圧後、藩内の各所から圧政の証拠が次々と露見したため斬首となったそうです尚、徳川幕府260年余を通して斬首となった大名は勝家ただひとりでした
あぁ松倉か……
うちは大名やめたあとは神職やってた。
中村甚五郎が就活してる時代が江戸初期なら三河岡崎の水野忠善が召し抱えてくれたかもね。尾張徳川家を仮想敵国にしてたから、武術に長けた武士を必要としてただろうし。
チャンネル主のナレーション、難しい語句を早口でこなすとは凄い✨滑舌いいですね。
江戸時代の「おをしまてゐ」には改易された大名の城が事故物件扱いされて載ってるとか。
ジンゴロウさん、他人事とは思えない。切実だ・・・
もしも島津や毛利が改易されたら、どうなっていたんだろうね?
中村さん、剣術に秀でてるなら夜な夜な悪を成敗する仕事人に・・って時代劇の見過ぎですねw
城を枕に討ち死を・・・なんていう勇ましい連中はいなかったんだね
東勝寺合戦のように一族郎党家中全員が一つ所に集まって全員自害、というケースもなかったんですね。
親藩や譜代大名でさえ、違反をすれば、公平に改易された。外様大名は何かと理由をつけて改易されることを恐れていた。
今の時代にネットやハロワ、求人情報誌や失業者対策が不完全とは言え存在してる事は実に有難いことだ。それを考えると昔は本当に大変だった。思えばつい三十数年前なんて携帯どころかポケベル全盛期の頃だったから電話かけるのにも公衆電話必須だったからね。今がどれだけ便利なのかと思ってその幸せをしみじみ噛締めてるよw あと技能とか資格とか経験も重要。じえーたいの頃に運良く隊内で取れた大型免許のお陰で今も仕事に在り付けてるよw
ありがたい?一番の問題は、やっと職にありつけて入ってみたら職場がクソorブラックっていうオチが日本だろ
@@reyesdelavega3105転職すりゃ良いじゃん?江戸時代じゃないんだから?笑われますよ?当時の人達に
自称弱者聞いてるか?
ウチは警察官になりました👮大手柄を挙げ、栃木県某所に碑があります✨
改易初めてきいたわ
うちは豪農として室町時代後期のどさくさに紛れて土地を手に入れ地域にのさばり、戦国時代には家臣として毛利氏に付いて西軍に参加して負けて土地を取り上げれても何故か生き残って藩の重役務めつつ隠れキリシタンになって最後は新政府軍して生き残って太平洋戦争では関東軍の一員として戦いそして生き残り復員後はたまーに村長やりつつ血を脈々と残してる後今も隠れキリシタンの遺構として仏壇風祭壇が実家に現存してる。
素晴らしい。DNAは続きます。👍
公務員から民間企業みたいなのな。改易は、家相や地相を捻じ曲げてく真意なんだろな。
常陸国の佐竹氏、秋田へ国替えになったが連れて行ったのは上級の家臣だけ。あとの家臣は農民に逆戻りとなった。水戸徳川家に仕えた者も少しいるようだが。
なんでわざわざ聞き取りづらく改悪するんだか…
足軽は士族でなく卒族です…
卒身分も最終的に士族に統合されました。
こう見ると大久保忠隣って激甘処分だったんですね
甚五郎は赤穂藩なら需要があったかも。赤穂は製塩が盛んだから、就職できれば将来は安泰だぞ。
うちのご先祖は屯田兵だったね。
我が国昔からだいたい不景気だな…
伊達騒動は、よく、改易にならなかったなあ🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉
伊達は、徳川の家来じゃ無いし譜代大名とする所を外様大名に成っているのは、伊達と前田は、徳川の家来じゃ無いからね。徳川の親戚だから御目溢し。
最上を潰して間もないので外様の大藩を潰して東北諸藩が動揺するのを避けたんでしょう。その代わりに後々天下普請できっちり搾り取ってますが。
黒田騒動などもそうですね。あと、毛利や宇和島伊達藩の支藩とのもめごとも取り潰されててもまあおかしくない。時代が安定してくると言われてるほど厳しく取り潰さなくなりますよね。越前松平本家筋の越後高田藩取り潰しは綱吉の見せしめ(あと酒井忠清への当てつけ)でしょうが、厳しい。
結局商才あって草
改易はいいぞぉ~。再就職が難しい江戸時代で絶望を感じ取ることができる。地方なら本貫地や(取りつぶされた家からの)旧知行地で帰農・下野もあるが、江戸詰めだと江戸しか知らんから…。
写経を書き写すというのが引っかかりましたw
改易された大名は本家や預け先に迷惑をかけないために速やかに自害するのがマナーだと思ってました。
徳川狸、調子乗りすぎやろ
今も養子が認められない状態は可笑しいよね。金持ちだったら片親でもOKで、寄付金もらうような里親はNGにした方が良い。養子を虐待事件とかあったろ。
BGMうるさくて聞こえん
よくまとまってます。語りも澱みなく。
指を咥えて?何が羨ましいんや?手をこまねいて やろ
内容は良いですが 早口過ぎて 聴きづらい
私は逆に1.75倍速で聴いてました。( ´ ▽ ` )ノ
@@hato5271 さん わお!(◎_◎;) 年代の違い?
中村甚五郎、格好良すぎる。
どうせ町道場と思ったら菓子屋で修行からとは思い切りが良すぎる。
しかし銭勘定に優れた人を探していた重役さんは逸材を逃しましたね。
これは現代の人にも言える事だよなぁ
「今までこの職で食ってきたんだから」とか「俺はこの仕事の才能がある、だから次も同じ職種で上を目指すんだ」「この歳で今更一から学び直すなんて無理だしそんな気にもなれない」とプライドを捨てきれない人が転職で失敗する
しがみついてでも家族を養うために、生きていくためにプライドを捨て謙虚になれる人が案外前職と関係ない仕事でもうまくやっていけたりするもんなんだよな
逆に400年間一切お咎めなく平穏無事だった藩ってのもあって、それはそれですごい
真田氏は、関ヶ原で父弟が西軍に組みしながら、兄信之が徳川につき、幕府の監視の元、明治維新まで生き延びたのは、立派。
室町時代挟んで平穏無事なとこなさそう
@@フォトン-q2mメジャー所で平穏では無いけど、島津は?
関ヶ原での裏切りで知られる朽木氏は鎌倉時代から明治維新まで生き延びた事で知られています。
250年程では?
社会の制度が変わるというのは大変な血と汗が流れる。明治政府はよくも乗り切ったと思う。わかりやすい内容でした。
知らないことだったので凄く面白かったです。武士も大変だったんですね。
いつもありがとうございます。
城の受け取りは、大変名誉あるお役目なのだった。
我が上杉藩の事ですね。 下級武士は畑を開墾し自給自足したり、帰農し新田を開墾したりしました。
興味深い動画をありがとうございます!
以前、働いていた老人ホームに徳川四天王『酒井家』の分家の末裔の老婦人がおられました。
彼女の父は明治維新直後、地元に来た英国人宣教師に接し「これからの世は英語だ!」と直感し、
幼い息子を彼に託して上京させました。
少年は後に高名な英文学者となりました。
彼は「よくも、旧態依然たる因循固な奥州の地にあって、私の父に先見の明があったものだ!朋輩たちの多くは時流が読めずに没落疲弊して行ったのに」
そのように、感慨深く語っていたそうです。
中村甚五郎の話は現代で転職やら再就職を考えてる人にも参考になる話だと思う
前職でそこそこいい役職や肩書をもらっていると変なプライドが邪魔をして前と同じ仕事に就こうとか、特技や肩書を活かした仕事に就こうと考えがちだけどそういう人ほどいつまでも転職先、再就職先が決まらない
全て捨てて一から始めるくらいの覚悟でいた方が就職先も決まりやすく、実際働き始めてからも謙虚になれる人が多いからうまくいきやすいものだよな
それにしても、武士として真面目に鍛え上げた剣術というスキルを否定されるのはつらいですよね。
某藩重役との面接シーンは今の社会でもゴマンとありそうな光景・・・
改易されて浪人となり、長屋で笠張や悪徳商人の用心棒的イメージしかなかったんで勉強に成りました。
先生!おねげーしやす。
諫言した老中を改易って家光にも狭量な部分があるな
実際の家光は気分屋で癇癪持ちで嫉妬深くキレやすい。というかなり性格に難がある人物だったようです(しかも女性に全く興味がないガチ◯モ)
忠俊に対しても改易した後すぐに後悔し、何度も呼び戻そうとするが「それでは自らの誤りを認めることになります」と頑として応じなかったという。
逆に聞くけどSNSとかで間違い指摘されて素直に認めて謝る奴がどれだけいると思う?あんたもそうだろ
@@明m8c snsとは比べてもしょうがないと思う
福島正則の居城受取にそれだけの藩兵を出すとは…。正則なら城を枕に討ち死にじゃあ!城受取たくば我が屍を踏み越えよ…の勇ましさをおそれたのかも…。
本気で恐れたようです。というより、福島正則が猛将なら家臣に至っては名将智将良将が揃いも揃っていたためシャレぬきに予想されたようです。ただ、実際は福島正則の命に従いおとなしく退去しました。ちなみに家臣たちですが尾張徳川家が「あそこは政ごとに優れた家臣が多いから」とたくさん採用したようです。
浪人がやる読み書きを教える寺子屋があったおかげで、意外と識字率が高かったって話は有りますね。
先祖は、平家から鎌倉幕府の御家人に、最後は加賀藩の藩校の先生~でした。
もしや長崎氏もしくは関氏の末裔の方ですか?
先祖は葛西大崎一揆で主家(黒川氏)を失って帰農した
近所がほとんど同じ名字w
うちは改易されたあとは、地元に戻って、何人かついてきた家臣らと豪農になったらしいね。
そういった場合って、未だに元家臣の家系の人達と付き合いがあったりするのか気になる
@@ykok6145
ありますね。
作った作物の1割の上納を条件に畑を貸していて、宴席だけですが今も本家の当主を「殿」と呼んでますね。
@@山県昌景-y9w ほぇー面白い
殿と呼ぶのはあくまでもユーモアなのか、それともうっすらでも未だに上下関係的なものはあるのだろうか
@@ykok6145
酒の席の話ですのでユーモアでしょうね、普段は「○○さん」呼びですし。
ただ上下関係はあるでしょうね。
農地を貸してる関係ですし、作物も地元企業(給食関係)に口利きで卸してますし。
良くも悪くも逆らえないでしょうね。
@@山県昌景-y9w なるほど
なんだかカルチャーショックだわ
もしかしたら家臣云々に限らず田舎の方では農地などの関係でまだそういった上下関係的な風習が残っているのかもしれないけど、街中で生まれ育った自分はそういった関係性を見たことがないので興味深かった
教えてくれてありがとう
07:00からの再藩探しがまさに、4.50代の再就職みたいで泣ける( ;∀;)しかも面接で、
甚五郎「そろばん一級です!」
別の求職者「おぉ!」
面接官「そろばんねぇ…今の時代はもうパソコン使えないとねぇ…エクセルは?」
みたいなのが想像できて泣ける( ;∀;)他の求職者のリアクションからもそやつらも落選したんだろうなぁ…って泣ける( ;∀;)
いつの時代も新しいシステムに乗りそこねると再就職はつらいんだなぁと
甚五郎すごすぎる!!
本人だけに留めて、他にはチャンスを与えるところが徳川幕府がうまくいったひとつのところなのかな
失政で切腹どころか斬罪になった大名も実際います。
板倉勝家ですね。
松倉勝家ですね
父・重政の代から続けてきた切支丹弾圧を強化するなど圧政を敷いた事がきっかけとなって
島原の乱を起こされた責任を問われたとされていますが
乱の鎮圧後、藩内の各所から圧政の証拠が次々と露見したため斬首となったそうです
尚、徳川幕府260年余を通して斬首となった大名は勝家ただひとりでした
あぁ松倉か……
うちは大名やめたあとは神職やってた。
中村甚五郎が就活してる時代が江戸初期なら三河岡崎の水野忠善が召し抱えてくれたかもね。尾張徳川家を仮想敵国にしてたから、武術に長けた武士を必要としてただろうし。
チャンネル主のナレーション、難しい語句を早口でこなすとは凄い✨滑舌いいですね。
江戸時代の「おをしまてゐ」には改易された大名の城が事故物件扱いされて載ってるとか。
ジンゴロウさん、他人事とは思えない。切実だ・・・
もしも島津や毛利が改易されたら、どうなっていたんだろうね?
中村さん、剣術に秀でてるなら夜な夜な悪を成敗する仕事人に・・って時代劇の見過ぎですねw
城を枕に討ち死を・・・
なんていう勇ましい連中はいなかったんだね
東勝寺合戦のように一族郎党家中全員が一つ所に集まって全員自害、というケースもなかったんですね。
親藩や譜代大名でさえ、違反をすれば、公平に改易された。
外様大名は何かと理由をつけて改易されることを恐れていた。
今の時代にネットやハロワ、求人情報誌や失業者対策が不完全とは言え存在してる事は実に有難いことだ。それを考えると昔は本当に大変だった。思えばつい三十数年前なんて携帯どころかポケベル全盛期の頃だったから電話かけるのにも公衆電話必須だったからね。今がどれだけ便利なのかと思ってその幸せをしみじみ噛締めてるよw あと技能とか資格とか経験も重要。じえーたいの頃に運良く隊内で取れた大型免許のお陰で今も仕事に在り付けてるよw
ありがたい?一番の問題は、やっと職にありつけて入ってみたら職場がクソorブラックっていうオチが日本だろ
@@reyesdelavega3105転職すりゃ良いじゃん?江戸時代じゃないんだから?笑われますよ?当時の人達に
自称弱者聞いてるか?
ウチは警察官になりました👮大手柄を挙げ、栃木県某所に碑があります✨
改易初めてきいたわ
うちは豪農として室町時代後期のどさくさに紛れて土地を手に入れ地域にのさばり、戦国時代には家臣として毛利氏に付いて西軍に参加して負けて土地を取り上げれても何故か生き残って藩の重役務めつつ隠れキリシタンになって最後は新政府軍して生き残って太平洋戦争では関東軍の一員として戦いそして生き残り復員後はたまーに村長やりつつ血を脈々と残してる
後今も隠れキリシタンの遺構として仏壇風祭壇が実家に現存してる。
素晴らしい。DNAは続きます。👍
公務員から民間企業みたいなのな。
改易は、家相や地相を捻じ曲げてく真意なんだろな。
常陸国の佐竹氏、秋田へ国替えになったが連れて行ったのは上級の家臣だけ。あとの家臣は農民に逆戻りとなった。水戸徳川家に仕えた者も少しいるようだが。
なんでわざわざ聞き取りづらく改悪するんだか…
足軽は士族でなく卒族です…
卒身分も最終的に士族に統合されました。
こう見ると大久保忠隣って激甘処分だったんですね
甚五郎は赤穂藩なら需要があったかも。赤穂は製塩が盛んだから、就職できれば将来は安泰だぞ。
うちのご先祖は屯田兵だったね。
我が国昔からだいたい不景気だな…
伊達騒動は、よく、改易にならなかったなあ🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉
伊達は、徳川の家来じゃ無いし譜代大名とする所を外様大名に成っているのは、伊達と前田は、徳川の家来じゃ無いからね。
徳川の親戚だから御目溢し。
最上を潰して間もないので外様の
大藩を潰して東北諸藩が動揺するのを避けたんでしょう。その代わりに後々天下普請できっちり搾り取ってますが。
黒田騒動などもそうですね。あと、毛利や宇和島伊達藩の支藩とのもめごとも取り潰されててもまあおかしくない。時代が安定してくると言われてるほど厳しく取り潰さなくなりますよね。
越前松平本家筋の越後高田藩取り潰しは綱吉の見せしめ(あと酒井忠清への当てつけ)でしょうが、厳しい。
結局商才あって草
改易はいいぞぉ~。再就職が難しい江戸時代で絶望を感じ取ることができる。
地方なら本貫地や(取りつぶされた家からの)旧知行地で帰農・下野もあるが、江戸詰めだと江戸しか知らんから…。
写経を書き写すというのが引っかかりましたw
改易された大名は本家や預け先に迷惑をかけないために速やかに自害するのがマナーだと思ってました。
徳川狸、調子乗りすぎやろ
今も養子が認められない状態は可笑しいよね。金持ちだったら片親でもOKで、寄付金もらうような里親はNGにした方が良い。養子を虐待事件とかあったろ。
BGMうるさくて聞こえん
よくまとまってます。語りも澱みなく。
指を咥えて?
何が羨ましいんや?
手をこまねいて やろ
内容は良いですが 早口過ぎて 聴きづらい
私は逆に1.75倍速で聴いてました。( ´ ▽ ` )ノ
@@hato5271 さん わお!(◎_◎;) 年代の違い?