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陽水の「傘がない」は、ビートルズのア・デイ・イン・ザ・ライフを聴いて(歌詞カードを読んで)書いたそうです。 陽水本人が吉田拓郎のラジオで言っていました。GFRのハートブレイカーでは無いらしいw
日本のポピュラー音楽史的なものはこれまでにもいちおう切れ切れには語られてきており、雑誌やラジオから摂取したそれらの言説についての記憶によると、四畳半フォークという言葉が指す、社会問題に目を向けず個人主義に走った潮流を代表するアーティストはかぐや姫とされているはずです。四畳半フォーク以前の世代である拓郎さん陽水さんの場合、個人を描いていても、社会問題を明らかに意識しながらえがいており、主人公は社会を良くするために行動しない自分にどこか後ろめたさを感じていたり、自分自身をシニカルに見つめる文学的な視点がありました(ユーミンのいちご白書をもう一度、はまさにその受け売りで作られた曲であるように思います)ボブディランに影響を受けている世代ですから当然といえば当然です。かぐや姫やNSPらの世代の楽曲は、個人的なできごとについての感情の揺れを描くことだけに集中し、政治や国に対する問題意識は感じさせません。そこが四畳半フォークと呼ばれる所以で拓郎さん自身がその世代を揶揄するような発言をラジオでしているのを聞いたことがあります。糾弾するわけじゃなく、からかうような感じでしたが。こうやってブラッシュアップできてゆくなら崇高で素晴らしいお仕事に着手されていると思っています。つまらない炎上など気にせず今後もずっと続けてください
ニューサディスティックピンク→「窒素と硫黄と燐」
坂崎幸之助、泉谷しげる、尾崎亜美、そして自殺数か月前の加藤和彦の対談番組があって、「ギターで弾けばフォーク、鍵盤で弾けばニューミュージック」などのぶっちゃけ分類があったり「ゲバ棒からギターに持ち替えたんだから」と泉谷がしれっと言ったり、加藤和彦が「今の音楽に力はない。昔はあった」と真顔で言って泉谷に茶化されてたり見どころ満載だった。アタリマエだけど人間なんだから政治と個の距離感は多様。アーティスト個人を追って行くと当時と今のそれぞれの流れや繋がり、それぞれの社会への切り結び方がよく見えて来るよ。
バブル絶頂期ぐらいだと思うけど、陽水が「都会では自殺する…」と歌い出すととんねるずにスリッパではたかれて「暗いよ!」と言われるコントで陽水を初めて知った世代(笑)今思うとそれはそれで凄い時代だったなぁと思う。
こうみると吉田拓郎の影響力というか功績がえげつないですね…
1981年に坂崎幸之助さんのオールナイトニッポンで坂崎さんが「ニッポン放送の資料室で保管されていた昔のハガキを見てたら(坂崎さんの)うちの兄貴が10年前にニッポン放送に出したリクエストがありましてね」「弟が10年たって兄貴のリクエストに答えます」て言って流れたのが花の香りにでした瘤のないラクダとかも坂崎さんのオールナイトで初めて聴きました
はっぴいえんど中心の音楽史観で語られることが多いけど、実際のところその時代のポピュラー音楽を本当に引っ張って影響を与えていたのは吉田拓郎だと思ってる。
70年代の拓郎は神がかってるというか、名盤ばっかりですよ。なんであんなに評論家に無視され叩かれているのかわからん。
@@sawakome 様、メジャーな存在になるにつれて、聴衆からも裏切者のレッテルを張られた(ボブディランみたい)んですよ。ライブで「帰れコール」をされたりしてましたから。
@@sawakome嫉妬でしょうwあと売れたから商業主義だみたいな冷たさ
本当そう思う日本音楽史を語るなら拓郎、陽水の方が 圧倒的に主流ではっぴいえんどは枝葉。また、ここではフォーライフに参加していた事でしか語られていない泉谷しげるの方がはっぴいえんどより全然、日本音楽シーンに与えた影響は大きかったと記憶してるんですがね。
@@sawakome それまでのフォークは「僕らの」だったが、「僕の」「君の」にしちゃったのが吉田拓郎これが団塊世代の気に障ったらしく当時殊の外嫌われた、と何かで目にしたことがあります。あと、動画でも触れてますが歌謡界との早すぎる接続。ここで「節操なしの軟派野郎」のレッテル貼られたってのもありそうですけど、リアルタイム世代でないんで分かりません。
フォーク編ありがたいですねえ
音楽的にも稀有な人物だが吉田拓郎という人は全国コンサートツアー考案、ラジオでのディスクジョッキー担当、フォーライフレコードの設立フォークシンガーとは違う歌手への楽曲提供等々インパクトの強いムーブメントを先導、色々な面で影響を与えた人。そんなイメージです。
本当はフォークソングだった吉田拓郎の「結婚しようよ」を、加藤和彦がカントリー調に編曲したものがニューミュージックのはしりだそうです。そう考えると、フォークからニューミュージックに歴史が繋がってると考えられて面白いです。
あの筒美京平が吉田拓郎の「結婚しようよ」の登場に新しさを感じたらしいですね(youtubeにインタビュー動画あり)。日本でいわゆるコンサートツアーというのを始めたのも拓郎のようです。総売上はそんなに大したことないですが功績は大きいですね。
イベンターを育てたのも吉田拓郎
陽水さんの夢の中へはすごく共感しました。傘がないは逃避的なのが良いと思いましたね。
何を歌おうが自由、社会を歌おうが政治を歌おうが人生を歌おうがラブソングを歌おうが自由なのに「フォークは社会問題やプロテストを歌わねばならない」ってな意識高い系学生にとっつかまってそれが嫌になって岡林さんは京都の山奥に引っ込んだんですよね。吉田拓郎への批判も歌詞の話ばっか。音楽を公正に評価できなかった未熟なリスナーと評論家たちの問題があったんです。
現在の左翼連中だ
帰ってきたヨッパライ。テープ早回しもだけど詞の内容がインパクト絶大。考えたのは松山猛氏北山修氏みたいですが、一度聴いたら忘れられない曲。ビートルズじゃないけれどあの時代、才能有る人が何人も集まると凄いモノが出来るという典型。
シンガーソングライターの起点であるフォークが社会批判から私的感情にシフトしていく経緯が分かりやすいです。余談ですが小学生の時「帰ってきたヨッパライ」が校内放送で流れ、放送部の顧問の先生が団塊世代だったことに気付きました。今思えば先生の好きな曲で生徒を沼に引き込む作戦だったのかな。
リアルタイムではありませんが日本のフォークといえば、エンケンさんの「カレーライス」がイメージとして時代の空気を感じます
時代背景である三島由紀夫vs東大全共闘の録音を新潮カセットブックかなんかで聞いたことがある。三島由紀夫が快活でユーモアたっぷりで余裕があって、狂信的な硬いイメージと違ってびっくりした。
アマプラで全共闘のドキュメンタリー映画見れますよ
このムーブメントが無かったらきっとずーっと洋楽ばっか聴き続けてたと思う。
高田渡は「自衛隊に入ろう」「三億円強奪事件の唄」辺りの皮肉強めの歌がキャッチーで覚えられがちだけど個人的にはアルバム「ごあいさつ」「石」「Fishin' On Sunday」「系図」辺りの後期の高田渡がもう最高過ぎて酒によく合うよ
岡林信康繋がりと言えば個人も社会も歌ってたのがジャックスでしょうマイジェネレーションとか堕天使ロックジャックスのからっぽの世界もいまだにカバーされてます遠藤ミチロウさんが大好きだったジャックス
「帰って来たヨッパライ」のようにメジャーシーンで売れながら、こっそりとビートルズのハードデイズナイトを入れ込むなんてマイナーな部分で別の層に訴える戦略が以外に多いように思います。岡林さんについては「オカモト理研ゴム」を歌った歌が周囲の人と幼い私との反応のギャップがあって記憶に生生しく残ってます。
お経のとこ
帰って来たヨッパライのテープ早回しは、1950年代後半のAlvin & the Chipmunksのノベルティーソングが元ネタでビートルズの影響じゃない。でもズートルビ(山田君とは違うグループ)の水虫の歌はビートルズのオマージュ。😄
岡林信康さんの唄を聴き、コピーして、はっぴいえんどを知り、合わせてロバート・アレン・ジンマーマンとホークスを知ってしまった小学校6年から泥沼へ…もう、還暦を過ぎましたが、未だにギターがもっと上手くなりたいと…17歳から考え方は全然変わっていないまま…死んでいくのだな…楽器とレコードとCD はどうしようか…
高田渡の「失業手当」大好き。
当時のいわゆるフォークってロック的な楽曲も多いですよね。カントリーロック的なサウンドが主体。さらにはA&Mサウンドの影響も。吉田拓郎などはサザンソウルまで。だからアーティストごとにこの人はフォーク、この人はロックなどと峻別するのは土台無理な話。
坂崎幸之助がフォークソングはフォークギターソングだったというようなことを言っています。つまりアコースティックギターをフォークギターと呼んでいたので、岡林信康や高田渡はともかく、遠藤賢司や泉谷しげるのようなロック的なアーティストまでフォークだった。カレッジフォークだの、反戦フォークだの、四畳半フォークだの、色々あるけど、フォークギターソングという言葉でとらえると分かりやすい。で、今「フォークギター」という言葉は生きているのでしょうか?
井上陽水は本当に奥深いです。ビートルズ好きで影響を公言しながら、初期の楽曲ではビートルズ感はあまり表に出てこないですし、70年代後半以降は都会的なサウンドに大胆にシフト、これも "あの声" の響きと相まって完璧な世界観、そして90年代に入ると普遍的名曲(少年時代)を生み出しつつ、ようやくビートルズからの影響を徐々に表に出してくる‥
アングラ・レコード・クラブ(通称: URCがフォークを支えましたね ブルーグラス系フォークのソルテイ-シュガーの走れコータローとか今聴いても面白い
失礼します。通史ではまだ後期になりますが、Mellowheadを聴いて欲しいです。90年以降日本の底辺を支えていたひとりの深沼元昭さんがもっと評価されるべきだと思うからです。底辺というのはアンダーグランドという意味です。歌詞、メロディー、アレンジ、スタジオワーク、何もかもが、売れていないで集約されるのは当たり前のことですが、何年か前にLOVE PSYCHEDELICOのズーコさんと結婚されたというニュースは人生の重大ニュースの8位となりました。日本の音楽は好きが行き切ることでしか昇華されなかった文化かもしれませんが、プレイグスもメロウヘッドも、深沼さんも、一生好きでいられると思っています。個人の話ですが。
物凄い気付きがありました!
アメリカのフォークが、フォークソングならば、日本のフォークは、69年までで、70年によしだたくろうがデビューしてからは、アコギを弾いて大衆音楽を演奏する、フォークギターミュージックの歌手、グループが大部分だったと思います(かぐや姫等)だから、歌謡曲への楽曲提供も容易だったのかと。
子供の頃神田川の歌詞にツッコミをいれていたら母が笑ってくれました良い思い出です嬉しくなってずっと言っていたらしっかり怒られました良い思い出です
受験生ブルースの高石ともやは北海道の旭川近くの田舎雨竜出身で北海道滝川高校出身のマラソン好きの関西人です。フォークルはGSと同時期だよ、偉いよなフォーク系は作詞作曲やってたしな、、、あとグループ名忘れたけど「ケメコの歌」もヒットしてたよな。
「ケメコの歌」は当時2種類出ていましたけど、そのうちの一つが『帰ってきた酔っ払い』の影響を受けてテープの早回しをしてましたね。
フォークルの「帰ってきたヨッパライ」、ラストでオラは生き返るんだけど、神様が「出てゆけ〜」と天国から追い出すわけで、つまり「楽園追放」なのです。つまりオラはただ生き返ったわけではなく、「楽園追放」で追い出された先が「現世」だったというのがこの歌のミソだと論じる人の文章を読んで「なるほど」と感心した覚えがあります。
とても面白かったです。チューリップ、オフコースについても語っていただきたいです。😊
オフコースやチューリップは、どちらかといえばここで解説されてたカレッジフォークの系譜ですな。
高石ともやの受験生ブルースとマイク真木のバラが咲いたという曲はあんまり触れてないのね
はっぴいえんど史観をいったん忘れて、吉田拓郎史観で日本のポップスを考えると、全く違う見え方がある
はっぴいえんどのメンバーはともかく、はっぴいえんど自体「日本語ロックの先駆者」以上の影響力が表面化したのは1990年代以降かと。
フォークが日本の音楽シーンにもたらした最大の革命は日本に本格的なシンガーソングライター時代をもたらしたこと。これが今につながるわけですね。それからエレックレコードを紹介しないのはちょっとね。みのさんが読んでると思われる日本フォーク紀て本、あれひどいんですよ。エレックなんか1ページぐらいしか書いてない。それからやはりみのさんが読んでると思われるなぎらさんの本、あれ嘘が多いんです。そういう嘘や不作為によって歴史が改ざんされることが一番怖い。
加川良の「教訓1」は歌詞の盗作騒動などはあったが、当時を代表する歌だったし、近年の大友良英氏によるカバーなどを聞くと普遍的な楽曲だとも思う。ボブ・マーリーに接近した加川良のアルバム『ONE』なども再評価されていい。岡林信康について言うと近年のエンヤトットを聞いて欲しい。ディランへの憧れを捨てたところに新境地があったということだと思う。実はエンヤトットという言葉は古代ヘブライ語と関連していると自分は考えている。(一説ではヘブライ語でエンヤーは「主(ヤハウェ)とともに」、トット(ドット)は「愛される人」という意味)多くの日本民謡の掛け合いがヘブライ語で解読できるという説は都市伝説で片付けられないし、単なる偶然ではないと思う。これに関してはまず木遣り歌とエチオピア教会音楽を聴き比べてもらえればと思う。
きちんと当時の現実を知ることで、はっぴいえんど史観がいかにうさんくさいかが知られるといいなと思いますね。
本当うさんくさいですね。当時の日本音楽史を語るならフォークでもロックでも拓郎、陽水の方がそのインパクト影響は数段上。はっぴいえんどのメンバーに聞いても同じ答が返ってくると思います。だって事実そうなんだし。
イカ天のたま→ナゴムの流れからURCレコードに辿りついた人は自分だけではないはず。
若造の認識だと、全共闘世代と結びついた反体制的なフォークミュージックが盛り上がったものの、70年代は全共闘世代の失敗によってシラケ世代となって四畳半フォークで個人主義的な幸せを目指したという認識です。この時代のフォークは日本らしいシンガーソングライターの系譜の始点の1つなのでしょうね。箱根アフロディーテの出演者凄いですね😮
6:44 これは感慨深いですね
日本のアングラフォークシーンで好きなアーティストと言えば南正人
エンケンに触れて欲しかったなあ笑
フォークを触れるんだったらエンケンに触れないといけない!満足できるかなはフォークの中でも屈指の出来
唯一無二の「ハードフォーク」を確立した天才
このメンツと比較すると圧倒的に知名度が足りないから入れなかったのだろう
'70年『niyago』 ’71年『満足できるかな』 NMM誌が選ぶ【日本のロック】アルバム受賞。つまり70〜71年は遠藤賢司が日本のロック代表!
@@下痢人参 本当に圧倒的、かな笑?
むかしHEY!HEY!HEY!で武田鉄矢が「井上陽水が、♪傘がない〜、って、買えよ!買ってやるから!」みたいに言ってて、爆笑したのを今いきなり思い出した。
吉田拓郎の最初の成功を見て、同じように音楽で大金を稼ぎたいと思ってたのが井上陽水って順番だと思いますよすぐに追いつき追い越せってなったと思いますが矢沢永吉も古いインタビューで当時の拓郎の成功ぶりを誉めてた記憶があります
日本のフォークはサウンド的に実質ロックなのが多いんです。エレキが変えた学生はロックにエレキが買えなかった学生はアコギにって感じなので。あとボブ・ディランに影響を受けていてもエレキ化したディランの影響であったりします。それ以前のディランの影響は1966年頃のカレッジフォークのブームに辿ります。
「日本における自作自演の走り」っていう切り口でフォークを語るならこういう紹介になるのも無理はないのかもしれませんが、ヒットチャートを賑わすような曲がたくさん出てきてトレンドにまでなったっていう意味での世間的なフォーク/ニューミュージック・ブームは拓郎・陽水以降だと思うので、拓郎・陽水が出てきたところで解説が終わってるのは正直「あれ?これからじゃないの?」と思っちゃいました。ブームを盛り上げたかぐや姫、NSP、ふきのとう、グレープ、ダ・カーポなどにも触れてほしかったし、ブームが落ち着いてからも長渕剛、海援隊、村下孝蔵などがヒットを出していますからね。特に「四畳半フォーク」というワードまで出ているのにかぐや姫にすら触れないのはちょっと無理があるような。
拓郎さんの元気ですは世代じゃないけど間おくと聞きたくなる この高円寺のバージョン、なんか癖になるんだよなぁ~
70年代フォーク・ニューミュージックのアーティストは評論家からはほとんど無視されていて村八分とか頭脳警察とかはっぴいえんどとか必死にヨイショされてるんだけど、現在サブスクで聞ける音源をチエックすると、明らかに吉田拓郎や井上陽水や風、アリスといった当時売れていたアーティストたちの音楽のほうが数段出来が上なんだけど、あれはどういうことなんだろうか??
「四畳半フォーク」はほぼ、かぐや姫のことを指すのでして。この辺がみのさんが同時代人でない部分の弱さなのでしょうけれど、とーにかく、「神田川」が思いっきり売れて、当時の若者は「同棲生活」にめっちゃくちゃ憧れたのです(セックスし放題じゃねーか、みたいなw で、実際にエヴァンゲリオンで庵野はそれを描いてしまったw)。で、井上陽水は今や老人の域に突入した感のあるオイラにとってめっちゃくちゃ思い出深くて、父が「井上陽水は天才だ!」と当時絶賛して「氷の世界」とかを買ってきてたのですね。ちっちゃい子供のオイラには、「窓の外ではリンゴ売り〜」の歌詞はあまりにも不可解すぎて衝撃だったな。井上陽水の凄さは、歌が抜群に上手いことでした。表現力が突き抜けてますからね。 なつかしーw
いつかALFEE取り上げてほしいわ。
自作曲を歌う人がフォーク、日本作曲家協会加入の作曲家先生の曲を歌う人が歌謡曲。ピアノ弾きもギター持たされた写真でフォークの仲間入り。GAROとかGSからの転向も多かったフォークはGSと結構演者の年代は変わらない。四畳半フォークは(エレキから転向してデビューした)吉田拓郎が(海のトリトンの主題歌や酔どれかぐや姫とか演ってた)かぐや姫の神田川を「しみったれた四畳半アパートみたいな歌」と腐したのを(八王子のお嬢様)荒井由美が笑い命名したとか。ベトナム反戦運動とアングラフォークで市民革命を信じていた厨二病の意識高い系世代の残念な人達が昭和30年代以降生まれの政治を歌わなくなった現実主観のフォークを支持した世代を三無主義、四無主義と罵倒した。
順番で言ったら吉田拓郎が売れてから井上陽水が再デビューする時、名前の「あきみ」を拓郎」を意識して「ようすい」にした位ですから話しの順番が逆だな、と思うのです。まあ別に良いのだが。
ノンポリになりすぎた弊害ってのもある。これは非常に日本的なんじゃないかな?音楽シーンだけに留まらないから。
中津川のフォークジャンボリーの会場だったところは、今でもアクセスが悪いど、よく2万人以上も来た思う
吉田拓郎のコンサート落陽がギターでの弾き語りでした
このあとかぐや姫~風の話は出て来るのかな。勝手にかぐや姫は日本のビートルズに匹敵すると思っています。丸眼鏡のこうせつが超個性的なファウンダーであるジョンであり、リードギターも弾き後半に才能を爆発させてとんでもないヒット曲を生み出した正やんはポールでありジョージであり、最年長で背骨としてユニットを支えたパンダさんはリンゴでしょう。黄色い船はイエローサブマリンとしか思えない。
それは過大評価。
拓郎や陽水は絶対的に四畳半フォークという括りではないと思います。四畳半フォークは第二期以降のかぐや姫路線を指す規定だと思うのです。そして陽水、拓郎の世界観がユーミンの土台を作ったように感じます。それにしても、本当に四畳半フォークは東京で生まれ育った人間には苦痛でしかなかったのです!。
そうですね。 僕も南こうせつ、泉谷しげるぐらいしか思い浮かばないです
ユーミンがこの言葉を言い始めたって、聞いたことがあります。神田川がヒットした頃に。
かぐや姫も不憫。神田川、赤ちょうちんの2曲だけで四畳半のレッテルを貼られてもねえ・・・そういうレッテルをひっぺがえしたフラットな視点からでしか本当の評論て生まれないと思うが・・・
あくまで一説ですが、四畳半フォークって呼び名は、荒井由美が吉田拓郎の曲(何の曲かはわかりませんが)を聞いて言い出したとか。俺は四畳半フォークと聞いたら、かぐや姫とか風みたいなのが浮かびますが
拓郎は4畳半フォークではないですね。初期聞くと、R&Bとかロックの影響のほうが強いですね。
いつも楽しみに拝見しています。今回のご著書に対して中々炎上騒ぎを含めて、大変な様ですが、例えばこの回のフォークソングブームなどに関しては、リアルタイムで聞いていた人間がメチャクチャ多く、年代的にも(俺も含めて)色々口出ししたいのはよく分かるし、みのさんのご苦労もよく分かります。特にフォークブームの頃は出版業界も盛んな頃で、各種情報が乱れ飛んでいたので尚更です。で、レイジ先生曰くの「高円寺オヤジ」ではないですが、余計な蘊蓄を。同時代のはっぴいえんどが岡林のパックバンドをしていたのは有名ですが、同時に高田渡や加川良、遠藤賢司のアルバムでバックを務めていました。その辺に触発されたのか、拓郎が初期に出した「ともだち」と言うライブアルバム内のMCで、自分のバックを務めるバンド(と言ってもエレキギターとベースだけ。「ミニバンド」と称していたので、ディランのパック「ザ・バンド」を意識してます)のことに触れ、「はっぴいえんどみたいにイイ音出すのは無理なので」と発言し、これによって爆発的に増えていた拓郎ファンの頭に「はっぴいえんど=イイ音だすグループ」と言うのが刻み込まれました。断定的に言いましたが、俺がそうなので(笑) そこから、当時出ていた「ゆでめん」「風町ろまん」、さらには「中津川フォークジャンボリー」のアルバムではっぴいえんどのライブを聴くに至った道筋はかなりあると思います(少数派かもですが)。と、言うように、自分の体験からのエピソードを語りたい人間がごまんといるので、鬱陶しいとは思いますが、色々と深ぼってください。応援してます。
サウンド的に純粋な日本のフォークは高田渡だと思う。はっぴいえんどをバックにしたアルバムも出したけどカーター・ファミリーの曲の替え歌とかやってるのホンモノ感がある。
夢の中へ、斉藤由貴がその前にカバーしてます。
サマソニの起源はhideとマンソンの対バン計画だったとも言われてるhideが亡くなってBUCK-TICKとマンソンの対バンになったが、hideの意思を継ぐ形でサマソニになったと言われてる
よしだたくろうが四畳半フォークというのはちょっと違うんじゃないか?
同感!「こうせつらと一緒にすんな!」と拓郎が怒ると思う。
本人はフォークシンガー呼ばわりを嫌がっていたしね。
卒論で、プロテストフォークについて書きます!主に高田渡についてです。
あだち充の「みゆき」のアニメ第9話では井上陽水「傘がない」が挿入曲として使われ、すごく違和感があったが、それが良かった。
学費値上げ反対!っていくらからいくらか知ってる?年、12,000円から36,000円ですよ。それも滞納するやつがいましたけど。
服装から寒いのかな?風邪?って思ったら暑かったんかいw
凄い時代だったんですね!今の日本では想像出来ないですね😅下痢を治しに旅に出るとか楽し過ぎる😂
たしか、寺尾聰さんが在籍していたGSのサベージの曲では寺尾さん作曲の曲がありましたけど、本流ではなかったのでムーブメントへの影響はなかったですね…なので他の方のコメントにある、加山雄三さんの功績もっと確固としないと、と思いました。薄いコメント失礼しました。
面白いんだけど、当時の社会の空気、雰囲気にまで言及すれば、もっと適切に表現できそうですね。みのさんは、実体験じゃ無理だけど。村上龍の感じとか。つげ義春とかおそらく文句ある人は、そこも期待するのかな
いろんなアーティストに影響与えてるボブ・ディラン強すぎませんか!?
邦楽ほとんど何も知らん俺が勉強させてもらってて思ったのは、フォークミュージシャンの自主性の獲得は、フォークの背景・根底としてあった左翼的思想が歌謡秩序を旧体制の権力側と見なして、それらに抗うことに貢献したという面はあったんだろうなと、そう想像しました。
『彼氏彼女の事情』とかは知らんな~。『夢の中へ』は栗田ひろみさん主演の映画『放課後』の主題歌ですよ。
フォーククルセダーズのあの声は「アルビンとチップマンクス」というキャラクターソングかららしいです。だいぶ昔の「レコードコレクターズ」で知りました。
チップマンクスは1958年にChipmunk Songでビルボード4週1位など、アメリカでは今もネタにされるほど人気を得ました。アニメとしてチップマンク(シマリス)のキャラが子供に受けていましたが日本では放送されたのかな?(元の声はロス·バグダサリアンという人。彼はWitch Doctorでもまた1位を取っている)
ラジオの深夜放送との関わりには触れられているのでしょうか?
日本のロックの元祖って、ベンチャーズ・ブームと繋がっているんだよね。故忌野清志郎が、映画「不確かなメロディー」の中で、ミュージシャンとしての原初体験は「ベンチャーズ」だった、みたいなことを言っていました。エレキギターの「テケテケ・サウンド」が日本のロックの原体験だったのさ。
フェスの話するんやったら、「春一番」は外せんでしょう。って、大阪人やから?
みのさんはハーフ?
僕にとってのパンクはURCの面々やボブディランなどのフォークミュージシャン。
四畳半フォークという言葉の生みの親は松任谷由実と聞きました。
ボブ・ディラン、はっぴいえんど、岡林信康、高田渡、初期のRCサクセションとかは好きだけど、四畳半あたりは受け付けなかったな
URCの屋台骨を支えたのは五つの赤い風船です。過小評価されているので記しておきます🥹
アフロ版吉沢亮
もうええてー
GSも自作曲をやってるんですが、かまやつさんの一部以外、売れてる曲はほぼ歌謡曲なんだよね。加瀬さん、井上さん、喜多嶋さん、、、。ロックは売れなかったんだよ。
自作自演と同時に歌手の「アーティスト売り」のはじまりと言えますね。大手芸能事務所所属ではないのでテレビに出られないけど、逆にテレビに出ないことでアーティストとしてのブランド力が高まるということに気づいた
高田渡の自衛隊に入ろうは自衛隊が勘違いして使わせてほしいと言ってきたらしいですね。また加川良の教訓は憲法改正に向かう警笛として令和の今にも通じるメッセージを持ってると思いました。
レーガン大統領がボーン・イン・ザUSAをキャンペーンに使おうとしたみたいな話もありますね
トランプがQueenのWe will rock youを無断で使って問題になったのは政治絡みというか趣味の問題だったと思う。曲の中身は政治と関係ないし。ただ若者が好きそうな曲をエサにする発想が馬鹿な政治家にはありがち。
カウンターカルチャーの同時多発は偶然じゃなくて誰かが仕掛けた???陰謀論かな😂
革命に躓き、社会に対してシニカルにやれやれする井上陽水と村上春樹の同時代性(*´ω`*)
岡林信康や高田渡の前で、「音楽に政治を持ち込むな」とか言ったら、しばかれそう。
しばくのは、周りにいた人たち。本人は『その通り。音楽に政治を持ち込んじゃいけないよね』と言うと思うよ。
サムネタイトル、みのさん狙ってますね。自作自演はみのさんの方。
私はフォークあってのロックだったんだろう、と思います。如何に『言葉を届けるか派』と如何に『音で楽しませるか』派みたいな。その点では村八分は大好きです❤ 本家のストーンズよりも❤中学校の入学式にビートルズの『ヘイ・ジュード』のブラスバンドを聴いて音楽にのめり込んだので『言葉』への意識は弱くなります…。その分、音への感性は高まり、前のバンドでは私がチューナー役でした😅そんなことよりもダイナミックな音楽を描きたかったのですが…
学生運動と共に盛り上がったプロテストフォークや反戦歌と、アングラフォークは分けて考えるべきだと思います。アングラフォーク勢は、しばしば学生運動家にステージを邪魔されていますしねw
フォークが自由で、なぜGSが歌謡界体制側に取り込まれたか。それは簡単に、GSが電気に支配されたからと見ています。ケーブルを敷いてエレキギターとマイクをアンプに繋がねばならない。その場を体制側に支配される。だから、ロックが自由にならなかった。フォークは生ギター1本でできた。だから、自由だった。のちに、忌野清志郎がタイマーズを結成した時に「電気がなくとも出来る編成」とした。原発反対の立場からの作品だったから、電気を抜かれてもロックできる自由を得た。
珍しくかなり正しい歴史観、つーか誤解や勘違いの無い流れだと思いますよ、この時代をリアルタイムで過ごした人間として。若いのに?よくご存じで。
うわー。こういう上から目線つらい。
@@jink494 一つ指摘するなら井上陽水の「夢の中へ」は映画「放課後」の主題曲です。さらに4畳半フォークは「神田川」以降で陽水や拓郎にはあてはまらない。でもだいたいあってるかな。。
当時の空気を良くとらえてますよね。良く評論家みたいな人がデータや資料で語りますが、当時の空気感が解っていないので違和感がある。みのさんは鑑賞力があるから作品を聴くことで当時の空気を察知理解分析できるのでしょう。
ん~、できれば・・拓郎さんが前で、陽水がその後出て来る方がよかったかな、JPOPの始めた人だし、氷の世界を紹介するならば、元気ですも言わなくてはダメな気がしますが?拓郎さんの功績が凄かったことを言って欲しかったし・・ん~拓郎信者なので・・でも、名前を出してくれただけで良いことにしましょうかね・・。
@@エスf5b拓郎さんはWikipediaによるとJ-ポップの開祖らしいです。それだけ音楽界にとって凄く有難い人物。
陽水の「傘がない」は、ビートルズのア・デイ・イン・ザ・ライフを聴いて(歌詞カードを読んで)書いたそうです。
陽水本人が吉田拓郎のラジオで言っていました。
GFRのハートブレイカーでは無いらしいw
日本のポピュラー音楽史的なものはこれまでにもいちおう切れ切れには語られてきており、雑誌やラジオから摂取したそれらの言説についての記憶によると、四畳半フォークという言葉が指す、社会問題に目を向けず個人主義に走った潮流を代表するアーティストはかぐや姫とされているはずです。
四畳半フォーク以前の世代である拓郎さん陽水さんの場合、個人を描いていても、社会問題を明らかに意識しながらえがいており、主人公は社会を良くするために行動しない自分にどこか後ろめたさを感じていたり、自分自身をシニカルに見つめる文学的な視点がありました(ユーミンのいちご白書をもう一度、はまさにその受け売りで作られた曲であるように思います)
ボブディランに影響を受けている世代ですから当然といえば当然です。
かぐや姫やNSPらの世代の楽曲は、個人的なできごとについての感情の揺れを描くことだけに集中し、政治や国に対する問題意識は感じさせません。そこが四畳半フォークと呼ばれる所以で拓郎さん自身がその世代を揶揄するような発言をラジオでしているのを聞いたことがあります。糾弾するわけじゃなく、からかうような感じでしたが。
こうやってブラッシュアップできてゆくなら崇高で素晴らしいお仕事に着手されていると思っています。つまらない炎上など気にせず今後もずっと続けてください
ニューサディスティックピンク
→「窒素と硫黄と燐」
坂崎幸之助、泉谷しげる、尾崎亜美、そして自殺数か月前の加藤和彦の対談番組があって、「ギターで弾けばフォーク、鍵盤で弾けばニューミュージック」などのぶっちゃけ分類があったり「ゲバ棒からギターに持ち替えたんだから」と泉谷がしれっと言ったり、加藤和彦が「今の音楽に力はない。昔はあった」と真顔で言って泉谷に茶化されてたり見どころ満載だった。アタリマエだけど人間なんだから政治と個の距離感は多様。アーティスト個人を追って行くと当時と今のそれぞれの流れや繋がり、それぞれの社会への切り結び方がよく見えて来るよ。
バブル絶頂期ぐらいだと思うけど、陽水が「都会では自殺する…」と歌い出すととんねるずにスリッパではたかれて「暗いよ!」と言われるコントで陽水を初めて知った世代(笑)
今思うとそれはそれで凄い時代だったなぁと思う。
こうみると吉田拓郎の影響力というか功績がえげつないですね…
1981年に坂崎幸之助さんのオールナイトニッポンで坂崎さんが
「ニッポン放送の資料室で保管されていた昔のハガキを見てたら(坂崎さんの)うちの兄貴が10年前にニッポン放送に出したリクエストがありましてね」
「弟が10年たって兄貴のリクエストに答えます」
て言って流れたのが花の香りにでした
瘤のないラクダとかも坂崎さんのオールナイトで初めて聴きました
はっぴいえんど中心の音楽史観で語られることが多いけど、実際のところその時代のポピュラー音楽を本当に引っ張って影響を与えていたのは吉田拓郎だと思ってる。
70年代の拓郎は神がかってるというか、名盤ばっかりですよ。なんであんなに評論家に無視され叩かれているのかわからん。
@@sawakome 様、メジャーな存在になるにつれて、聴衆からも裏切者のレッテルを張られた(ボブディランみたい)んですよ。ライブで「帰れコール」をされたりしてましたから。
@@sawakome
嫉妬でしょうw
あと売れたから商業主義だみたいな冷たさ
本当そう思う日本音楽史を語るなら拓郎、陽水の方が 圧倒的に主流ではっぴいえんどは枝葉。また、ここではフォーライフに参加していた事でしか語られていない泉谷しげるの方がはっぴいえんどより全然、日本音楽シーンに与えた影響は大きかったと記憶してるんですがね。
@@sawakome
それまでのフォークは「僕らの」だったが、「僕の」「君の」にしちゃったのが吉田拓郎
これが団塊世代の気に障ったらしく当時殊の外嫌われた、と何かで目にしたことがあります。
あと、動画でも触れてますが歌謡界との早すぎる接続。
ここで「節操なしの軟派野郎」のレッテル貼られたってのもありそうですけど、リアルタイム世代でないんで分かりません。
フォーク編ありがたいですねえ
音楽的にも稀有な人物だが
吉田拓郎という人は全国コンサートツアー考案、ラジオでのディスクジョッキー担当、フォーライフレコードの設立
フォークシンガーとは違う歌手への楽曲提供等々インパクトの強いムーブメントを先導、色々な面で
影響を与えた人。
そんなイメージです。
本当はフォークソングだった吉田拓郎の「結婚しようよ」を、加藤和彦がカントリー調に編曲したものがニューミュージックのはしりだそうです。そう考えると、フォークからニューミュージックに歴史が繋がってると考えられて面白いです。
あの筒美京平が吉田拓郎の「結婚しようよ」の登場に新しさを感じたらしいですね(youtubeにインタビュー動画あり)。
日本でいわゆるコンサートツアーというのを始めたのも拓郎のようです。
総売上はそんなに大したことないですが功績は大きいですね。
イベンターを育てたのも吉田拓郎
陽水さんの夢の中へはすごく共感しました。傘がないは逃避的なのが良いと思いましたね。
何を歌おうが自由、社会を歌おうが政治を歌おうが人生を歌おうがラブソングを歌おうが自由なのに「フォークは社会問題やプロテストを歌わねばならない」ってな意識高い系学生にとっつかまってそれが嫌になって岡林さんは京都の山奥に引っ込んだんですよね。吉田拓郎への批判も歌詞の話ばっか。音楽を公正に評価できなかった未熟なリスナーと評論家たちの問題があったんです。
現在の左翼連中だ
帰ってきたヨッパライ。
テープ早回しもだけど
詞の内容がインパクト絶大。
考えたのは松山猛氏北山修氏
みたいですが、一度聴いたら忘れられない曲。
ビートルズじゃないけれど
あの時代、才能有る人が何人も集まると凄いモノが出来るという典型。
シンガーソングライターの起点であるフォークが社会批判から私的感情にシフトしていく経緯が分かりやすいです。
余談ですが小学生の時「帰ってきたヨッパライ」が校内放送で流れ、放送部の顧問の先生が団塊世代だったことに気付きました。今思えば先生の好きな曲で生徒を沼に引き込む作戦だったのかな。
リアルタイムではありませんが日本のフォークといえば、
エンケンさんの「カレーライス」がイメージとして時代の空気を感じます
時代背景である三島由紀夫vs東大全共闘の録音を新潮カセットブックかなんかで聞いたことがある。三島由紀夫が快活でユーモアたっぷりで余裕があって、狂信的な硬いイメージと違ってびっくりした。
アマプラで全共闘のドキュメンタリー映画見れますよ
このムーブメントが無かったらきっとずーっと洋楽ばっか聴き続けてたと思う。
高田渡は「自衛隊に入ろう」「三億円強奪事件の唄」辺りの皮肉強めの歌がキャッチーで覚えられがちだけど個人的にはアルバム「ごあいさつ」「石」「Fishin' On Sunday」「系図」辺りの後期の高田渡がもう最高過ぎて酒によく合うよ
岡林信康繋がりと言えば個人も社会も歌ってたのがジャックスでしょう
マイジェネレーションとか堕天使ロック
ジャックスのからっぽの世界もいまだにカバーされてます
遠藤ミチロウさんが大好きだったジャックス
「帰って来たヨッパライ」のようにメジャーシーンで売れながら、こっそりとビートルズのハードデイズナイトを入れ込むなんてマイナーな部分で別の層に訴える戦略が以外に多いように思います。
岡林さんについては「オカモト理研ゴム」
を歌った歌が周囲の人と幼い私との反応のギャップがあって記憶に生生しく残ってます。
お経のとこ
帰って来たヨッパライのテープ早回しは、1950年代後半のAlvin & the Chipmunksのノベルティーソングが元ネタでビートルズの影響じゃない。でもズートルビ(山田君とは違うグループ)の水虫の歌はビートルズのオマージュ。😄
岡林信康さんの唄を聴き、コピーして、はっぴいえんどを知り、合わせてロバート・アレン・ジンマーマンとホークスを知ってしまった小学校6年から泥沼へ…もう、還暦を過ぎましたが、未だにギターがもっと上手くなりたいと…17歳から考え方は全然変わっていないまま…死んでいくのだな…楽器とレコードとCD はどうしようか…
高田渡の「失業手当」大好き。
当時のいわゆるフォークってロック的な楽曲も多いですよね。カントリーロック的なサウンドが主体。さらにはA&Mサウンドの影響も。吉田拓郎などはサザンソウルまで。だからアーティストごとにこの人はフォーク、この人はロックなどと峻別するのは土台無理な話。
坂崎幸之助がフォークソングはフォークギターソングだったというようなことを言っています。つまりアコースティックギターをフォークギターと呼んでいたので、岡林信康や高田渡はともかく、遠藤賢司や泉谷しげるのようなロック的なアーティストまでフォークだった。カレッジフォークだの、反戦フォークだの、四畳半フォークだの、色々あるけど、フォークギターソングという言葉でとらえると分かりやすい。で、今「フォークギター」という言葉は生きているのでしょうか?
井上陽水は本当に奥深いです。
ビートルズ好きで影響を公言しながら、初期の楽曲ではビートルズ感はあまり表に出てこないですし、
70年代後半以降は都会的なサウンドに大胆にシフト、これも "あの声" の響きと相まって完璧な世界観、
そして90年代に入ると普遍的名曲(少年時代)を生み出しつつ、ようやくビートルズからの影響を徐々に表に出してくる‥
アングラ・レコード・クラブ(通称: URCがフォークを支えましたね ブルーグラス系フォークのソルテイ-シュガーの走れコータローとか今聴いても面白い
失礼します。通史ではまだ後期になりますが、Mellowheadを聴いて欲しいです。90年以降日本の底辺を支えていたひとりの深沼元昭さんがもっと評価されるべきだと思うからです。底辺というのはアンダーグランドという意味です。歌詞、メロディー、アレンジ、スタジオワーク、何もかもが、売れていないで集約されるのは当たり前のことですが、何年か前にLOVE PSYCHEDELICOのズーコさんと結婚されたというニュースは人生の重大ニュースの8位となりました。日本の音楽は好きが行き切ることでしか昇華されなかった文化かもしれませんが、プレイグスもメロウヘッドも、深沼さんも、一生好きでいられると思っています。個人の話ですが。
物凄い気付きがありました!
アメリカのフォークが、フォークソングならば、日本のフォークは、69年までで、70年によしだたくろうがデビューしてからは、アコギを弾いて大衆音楽を演奏する、フォークギターミュージックの歌手、グループが大部分だったと思います(かぐや姫等)だから、歌謡曲への楽曲提供も容易だったのかと。
子供の頃神田川の歌詞にツッコミをいれていたら母が笑ってくれました
良い思い出です
嬉しくなってずっと言っていたらしっかり怒られました
良い思い出です
受験生ブルースの高石ともやは北海道の旭川近くの田舎雨竜出身で北海道滝川高校出身のマラソン好きの関西人です。
フォークルはGSと同時期だよ、偉いよなフォーク系は作詞作曲やってたしな、、、あとグループ名忘れたけど「ケメコの歌」もヒットしてたよな。
「ケメコの歌」は当時2種類出ていましたけど、そのうちの一つが『帰ってきた酔っ払い』の影響を受けてテープの早回しをしてましたね。
フォークルの「帰ってきたヨッパライ」、ラストでオラは生き返るんだけど、神様が「出てゆけ〜」と天国から追い出すわけで、つまり「楽園追放」なのです。
つまりオラはただ生き返ったわけではなく、「楽園追放」で追い出された先が「現世」だったというのがこの歌のミソだと論じる人の文章を読んで「なるほど」と感心した覚えがあります。
とても面白かったです。
チューリップ、オフコースについても語っていただきたいです。😊
オフコースやチューリップは、どちらかといえばここで解説されてたカレッジフォークの系譜ですな。
高石ともやの受験生ブルースとマイク真木のバラが咲いたという曲はあんまり触れてないのね
はっぴいえんど史観をいったん忘れて、吉田拓郎史観で日本のポップスを考えると、全く違う見え方がある
はっぴいえんどのメンバーはともかく、はっぴいえんど自体「日本語ロックの先駆者」以上の影響力が表面化したのは1990年代以降かと。
フォークが日本の音楽シーンにもたらした最大の革命は日本に本格的なシンガーソングライター時代をもたらしたこと。これが今につながるわけですね。それからエレックレコードを紹介しないのはちょっとね。みのさんが読んでると思われる日本フォーク紀て本、あれひどいんですよ。エレックなんか1ページぐらいしか書いてない。それからやはりみのさんが読んでると思われるなぎらさんの本、あれ嘘が多いんです。そういう嘘や不作為によって歴史が改ざんされることが一番怖い。
加川良の「教訓1」は歌詞の盗作騒動などはあったが、当時を代表する歌だったし、近年の大友良英氏によるカバーなどを聞くと普遍的な楽曲だとも思う。
ボブ・マーリーに接近した加川良のアルバム『ONE』なども再評価されていい。
岡林信康について言うと近年のエンヤトットを聞いて欲しい。ディランへの憧れを捨てたところに新境地があったということだと思う。
実はエンヤトットという言葉は古代ヘブライ語と関連していると自分は考えている。
(一説ではヘブライ語でエンヤーは「主(ヤハウェ)とともに」、トット(ドット)は「愛される人」という意味)
多くの日本民謡の掛け合いがヘブライ語で解読できるという説は都市伝説で片付けられないし、単なる偶然ではないと思う。
これに関してはまず木遣り歌とエチオピア教会音楽を聴き比べてもらえればと思う。
きちんと当時の現実を知ることで、はっぴいえんど史観がいかにうさんくさいかが知られるといいなと思いますね。
本当うさんくさいですね。当時の日本音楽史を語るならフォークでもロックでも拓郎、陽水の方がそのインパクト影響は数段上。はっぴいえんどのメンバーに聞いても同じ答が返ってくると思います。だって事実そうなんだし。
イカ天のたま→ナゴムの流れからURCレコードに辿りついた人は自分だけではないはず。
若造の認識だと、全共闘世代と結びついた反体制的なフォークミュージックが盛り上がったものの、70年代は全共闘世代の失敗によってシラケ世代となって四畳半フォークで個人主義的な幸せを目指したという認識です。
この時代のフォークは日本らしいシンガーソングライターの系譜の始点の1つなのでしょうね。
箱根アフロディーテの出演者凄いですね😮
6:44 これは感慨深いですね
日本のアングラフォークシーンで好きなアーティストと言えば南正人
エンケンに触れて欲しかったなあ笑
フォークを触れるんだったらエンケンに触れないといけない!
満足できるかなはフォークの中でも屈指の出来
唯一無二の「ハードフォーク」を確立した天才
このメンツと比較すると圧倒的に知名度が足りないから入れなかったのだろう
'70年『niyago』 ’71年『満足できるかな』 NMM誌が選ぶ【日本のロック】アルバム受賞。つまり70〜71年は遠藤賢司が日本のロック代表!
@@下痢人参 本当に圧倒的、かな笑?
むかしHEY!HEY!HEY!で武田鉄矢が「井上陽水が、♪傘がない〜、って、買えよ!買ってやるから!」みたいに言ってて、爆笑したのを今いきなり思い出した。
吉田拓郎の最初の成功を見て、同じように音楽で大金を稼ぎたいと思ってたのが井上陽水って順番だと思いますよ
すぐに追いつき追い越せってなったと思いますが
矢沢永吉も古いインタビューで当時の拓郎の成功ぶりを誉めてた記憶があります
日本のフォークはサウンド的に実質ロックなのが多いんです。エレキが変えた学生はロックにエレキが買えなかった学生はアコギにって感じなので。あとボブ・ディランに影響を受けていてもエレキ化したディランの影響であったりします。それ以前のディランの影響は1966年頃のカレッジフォークのブームに辿ります。
「日本における自作自演の走り」っていう切り口でフォークを語るならこういう紹介になるのも無理はないのかもしれませんが、ヒットチャートを賑わすような曲がたくさん出てきてトレンドにまでなったっていう意味での世間的なフォーク/ニューミュージック・ブームは拓郎・陽水以降だと思うので、拓郎・陽水が出てきたところで解説が終わってるのは正直「あれ?これからじゃないの?」と思っちゃいました。ブームを盛り上げたかぐや姫、NSP、ふきのとう、グレープ、ダ・カーポなどにも触れてほしかったし、ブームが落ち着いてからも長渕剛、海援隊、村下孝蔵などがヒットを出していますからね。
特に「四畳半フォーク」というワードまで出ているのにかぐや姫にすら触れないのはちょっと無理があるような。
拓郎さんの元気ですは世代じゃないけど間おくと聞きたくなる この高円寺のバージョン、なんか癖になるんだよなぁ~
70年代フォーク・ニューミュージックのアーティストは評論家からはほとんど無視されていて村八分とか頭脳警察とかはっぴいえんどとか必死にヨイショされてるんだけど、現在サブスクで聞ける音源をチエックすると、明らかに吉田拓郎や井上陽水や風、アリスといった当時売れていたアーティストたちの音楽のほうが数段出来が上なんだけど、あれはどういうことなんだろうか??
「四畳半フォーク」はほぼ、かぐや姫のことを指すのでして。この辺がみのさんが同時代人でない部分の弱さなのでしょうけれど、とーにかく、「神田川」が思いっきり売れて、当時の若者は「同棲生活」にめっちゃくちゃ憧れたのです(セックスし放題じゃねーか、みたいなw で、実際にエヴァンゲリオンで庵野はそれを描いてしまったw)。で、井上陽水は今や老人の域に突入した感のあるオイラにとってめっちゃくちゃ思い出深くて、父が「井上陽水は天才だ!」と当時絶賛して「氷の世界」とかを買ってきてたのですね。ちっちゃい子供のオイラには、「窓の外ではリンゴ売り〜」の歌詞はあまりにも不可解すぎて衝撃だったな。井上陽水の凄さは、歌が抜群に上手いことでした。表現力が突き抜けてますからね。 なつかしーw
いつかALFEE取り上げてほしいわ。
自作曲を歌う人がフォーク、日本作曲家協会加入の作曲家先生の曲を歌う人が歌謡曲。ピアノ弾きもギター持たされた写真でフォークの仲間入り。GAROとかGSからの転向も多かったフォークはGSと結構演者の年代は変わらない。
四畳半フォークは(エレキから転向してデビューした)吉田拓郎が(海のトリトンの主題歌や酔どれかぐや姫とか演ってた)かぐや姫の神田川を「しみったれた四畳半アパートみたいな歌」と腐したのを(八王子のお嬢様)荒井由美が笑い命名したとか。
ベトナム反戦運動とアングラフォークで市民革命を信じていた厨二病の意識高い系世代の残念な人達が昭和30年代以降生まれの政治を歌わなくなった現実主観のフォークを支持した世代を三無主義、四無主義と罵倒した。
順番で言ったら吉田拓郎が売れてから井上陽水が再デビューする時、名前の「あきみ」を拓郎」を意識して「ようすい」にした位ですから話しの順番が逆だな、と思うのです。まあ別に良いのだが。
ノンポリになりすぎた弊害ってのもある。これは非常に日本的なんじゃないかな?音楽シーンだけに留まらないから。
中津川のフォークジャンボリーの会場だったところは、今でもアクセスが悪いど、よく2万人以上も来た思う
吉田拓郎のコンサート
落陽がギターでの弾き語りでした
このあとかぐや姫~風の話は出て来るのかな。
勝手にかぐや姫は日本のビートルズに匹敵すると思っています。
丸眼鏡のこうせつが超個性的なファウンダーであるジョンであり、リードギターも弾き後半に才能を爆発させてとんでもないヒット曲を生み出した正やんはポールでありジョージであり、最年長で背骨としてユニットを支えたパンダさんはリンゴでしょう。
黄色い船はイエローサブマリンとしか思えない。
それは過大評価。
拓郎や陽水は絶対的に四畳半フォークという括りではないと思います。
四畳半フォークは第二期以降のかぐや姫路線を指す規定だと思うのです。
そして陽水、拓郎の世界観がユーミンの土台を作ったように感じます。
それにしても、本当に四畳半フォークは東京で生まれ育った人間には苦痛でしかなかったのです!。
そうですね。 僕も南こうせつ、泉谷しげるぐらいしか思い浮かばないです
ユーミンがこの言葉を言い始めたって、聞いたことがあります。神田川がヒットした頃に。
かぐや姫も不憫。神田川、赤ちょうちんの2曲だけで四畳半のレッテルを貼られてもねえ・・・そういうレッテルをひっぺがえしたフラットな視点からでしか本当の評論て生まれないと思うが・・・
あくまで一説ですが、四畳半フォークって呼び名は、荒井由美が吉田拓郎の曲(何の曲かはわかりませんが)を聞いて言い出したとか。
俺は四畳半フォークと聞いたら、かぐや姫とか風みたいなのが浮かびますが
拓郎は4畳半フォークではないですね。
初期聞くと、R&Bとかロックの影響のほうが強いですね。
いつも楽しみに拝見しています。
今回のご著書に対して中々炎上騒ぎを含めて、大変な様ですが、例えばこの回のフォークソングブームなどに関しては、リアルタイムで聞いていた人間がメチャクチャ多く、年代的にも(俺も含めて)色々口出ししたいのはよく分かるし、みのさんのご苦労もよく分かります。
特にフォークブームの頃は出版業界も盛んな頃で、各種情報が乱れ飛んでいたので尚更です。
で、レイジ先生曰くの「高円寺オヤジ」ではないですが、余計な蘊蓄を。
同時代のはっぴいえんどが岡林のパックバンドをしていたのは有名ですが、同時に高田渡や加川良、遠藤賢司のアルバムでバックを務めていました。その辺に触発されたのか、拓郎が初期に出した「ともだち」と言うライブアルバム内のMCで、自分のバックを務めるバンド(と言ってもエレキギターとベースだけ。「ミニバンド」と称していたので、ディランのパック「ザ・バンド」を意識してます)のことに触れ、「はっぴいえんどみたいにイイ音出すのは無理なので」と発言し、これによって爆発的に増えていた拓郎ファンの頭に「はっぴいえんど=イイ音だすグループ」と言うのが刻み込まれました。断定的に言いましたが、俺がそうなので(笑) そこから、当時出ていた「ゆでめん」「風町ろまん」、さらには「中津川フォークジャンボリー」のアルバムではっぴいえんどのライブを聴くに至った道筋はかなりあると思います(少数派かもですが)。
と、言うように、自分の体験からのエピソードを語りたい人間がごまんといるので、鬱陶しいとは思いますが、色々と深ぼってください。
応援してます。
サウンド的に純粋な日本のフォークは高田渡だと思う。はっぴいえんどをバックにしたアルバムも出したけどカーター・ファミリーの曲の替え歌とかやってるのホンモノ感がある。
夢の中へ、斉藤由貴がその前にカバーしてます。
サマソニの起源はhideとマンソンの対バン計画だったとも言われてる
hideが亡くなってBUCK-TICKとマンソンの対バンになったが、hideの意思を継ぐ形でサマソニになったと言われてる
よしだたくろうが四畳半フォークというのはちょっと違うんじゃないか?
同感!
「こうせつらと一緒にすんな!」と拓郎が怒ると思う。
本人はフォークシンガー呼ばわりを嫌がっていたしね。
卒論で、プロテストフォークについて書きます!主に高田渡についてです。
あだち充の「みゆき」のアニメ第9話では井上陽水「傘がない」が挿入曲として使われ、すごく違和感があったが、それが良かった。
学費値上げ反対!っていくらからいくらか知ってる?年、12,000円から36,000円ですよ。それも滞納するやつがいましたけど。
服装から寒いのかな?風邪?って思ったら暑かったんかいw
凄い時代だったんですね!今の日本では想像出来ないですね😅下痢を治しに旅に出るとか楽し過ぎる😂
たしか、寺尾聰さんが在籍していたGSのサベージの曲では寺尾さん作曲の曲がありましたけど、本流ではなかったのでムーブメントへの影響はなかったですね…なので他の方のコメントにある、加山雄三さんの功績もっと確固としないと、と思いました。薄いコメント失礼しました。
面白いんだけど、当時の社会の空気、雰囲気にまで言及すれば、もっと適切に表現できそうですね。
みのさんは、実体験じゃ無理だけど。
村上龍の感じとか。つげ義春とか
おそらく文句ある人は、そこも期待するのかな
いろんなアーティストに影響与えてるボブ・ディラン強すぎませんか!?
邦楽ほとんど何も知らん俺が勉強させてもらってて思ったのは、フォークミュージシャンの自主性の獲得は、
フォークの背景・根底としてあった左翼的思想が歌謡秩序を旧体制の権力側と見なして、それらに抗うことに貢献したという面はあったんだろうなと、そう想像しました。
『彼氏彼女の事情』とかは知らんな~。
『夢の中へ』は栗田ひろみさん主演の映画『放課後』の主題歌ですよ。
フォーククルセダーズのあの声は「アルビンとチップマンクス」というキャラクターソングかららしいです。
だいぶ昔の「レコードコレクターズ」で知りました。
チップマンクスは1958年にChipmunk Songでビルボード4週1位など、アメリカでは今もネタにされるほど人気を得ました。アニメとしてチップマンク(シマリス)のキャラが子供に受けていましたが日本では放送されたのかな?(元の声はロス·バグダサリアンという人。彼はWitch Doctorでもまた1位を取っている)
ラジオの深夜放送との関わりには触れられているのでしょうか?
日本のロックの元祖って、ベンチャーズ・ブームと繋がっているんだよね。故忌野清志郎が、映画「不確かなメロディー」の中で、ミュージシャンとしての原初体験は「ベンチャーズ」だった、みたいなことを言っていました。エレキギターの「テケテケ・サウンド」が日本のロックの原体験だったのさ。
フェスの話するんやったら、「春一番」は外せんでしょう。
って、大阪人やから?
みのさんはハーフ?
僕にとってのパンクはURCの面々やボブディランなどのフォークミュージシャン。
四畳半フォークという言葉の生みの親は松任谷由実と聞きました。
ボブ・ディラン、はっぴいえんど、岡林信康、高田渡、初期のRCサクセションとかは好きだけど、四畳半あたりは受け付けなかったな
URCの屋台骨を支えたのは五つの赤い風船です。過小評価されているので記しておきます🥹
アフロ版吉沢亮
もうええてー
GSも自作曲をやってるんですが、かまやつさんの一部以外、売れてる曲はほぼ歌謡曲なんだよね。加瀬さん、井上さん、喜多嶋さん、、、。ロックは売れなかったんだよ。
自作自演と同時に歌手の「アーティスト売り」のはじまりと言えますね。大手芸能事務所所属ではないのでテレビに出られないけど、逆にテレビに出ないことでアーティストとしてのブランド力が高まるということに気づいた
高田渡の自衛隊に入ろうは自衛隊が勘違いして使わせてほしいと言ってきたらしいですね。また加川良の教訓は憲法改正に向かう警笛として令和の今にも通じるメッセージを持ってると思いました。
レーガン大統領がボーン・イン・ザUSAをキャンペーンに使おうとしたみたいな話もありますね
トランプがQueenのWe will rock youを無断で使って問題になったのは政治絡みというか趣味の問題だったと思う。曲の中身は政治と関係ないし。ただ若者が好きそうな曲をエサにする発想が馬鹿な政治家にはありがち。
カウンターカルチャーの同時多発は偶然じゃなくて誰かが仕掛けた???陰謀論かな😂
革命に躓き、社会に対してシニカルにやれやれする
井上陽水と村上春樹の同時代性(*´ω`*)
岡林信康や高田渡の前で、「音楽に政治を持ち込むな」とか言ったら、しばかれそう。
しばくのは、周りにいた人たち。
本人は『その通り。音楽に政治を持ち込んじゃいけないよね』と言うと思うよ。
サムネタイトル、みのさん狙ってますね。自作自演はみのさんの方。
私はフォークあってのロックだったんだろう、と思います。如何に『言葉を届けるか派』と如何に『音で楽しませるか』派みたいな。
その点では村八分は大好きです❤ 本家のストーンズよりも❤
中学校の入学式にビートルズの『ヘイ・ジュード』のブラスバンドを聴いて音楽にのめり込んだので『言葉』への意識は弱くなります…。その分、音への感性は高まり、前のバンドでは私がチューナー役でした😅
そんなことよりもダイナミックな音楽を描きたかったのですが…
学生運動と共に盛り上がったプロテストフォークや反戦歌と、アングラフォークは分けて考えるべきだと思います。
アングラフォーク勢は、しばしば学生運動家にステージを邪魔されていますしねw
フォークが自由で、なぜGSが歌謡界体制側に取り込まれたか。
それは簡単に、GSが電気に支配されたからと見ています。
ケーブルを敷いてエレキギターとマイクをアンプに繋がねばならない。その場を体制側に支配される。だから、ロックが自由にならなかった。
フォークは生ギター1本でできた。だから、自由だった。
のちに、忌野清志郎がタイマーズを結成した時に「電気がなくとも出来る編成」とした。
原発反対の立場からの作品だったから、電気を抜かれてもロックできる自由を得た。
珍しくかなり正しい歴史観、つーか誤解や勘違いの無い流れだと思いますよ、この時代をリアルタイムで過ごした人間として。若いのに?よくご存じで。
うわー。
こういう上から目線つらい。
@@jink494 一つ指摘するなら井上陽水の「夢の中へ」は映画「放課後」の主題曲です。
さらに4畳半フォークは「神田川」以降で陽水や拓郎にはあてはまらない。でもだいたいあってるかな。。
当時の空気を良くとらえてますよね。良く評論家みたいな人がデータや資料で語りますが、当時の空気感が解っていないので違和感がある。みのさんは鑑賞力があるから作品を聴くことで当時の空気を察知理解分析できるのでしょう。
ん~、できれば・・拓郎さんが前で、陽水がその後出て来る方がよかったかな、JPOPの始めた人だし、氷の世界を紹介するならば、元気ですも言わなくてはダメな気がしますが?拓郎さんの功績が凄かったことを言って欲しかったし・・ん~拓郎信者なので・・でも、名前を出してくれただけで良いことにしましょうかね・・。
@@エスf5b拓郎さんはWikipediaによるとJ-ポップの開祖らしいです。
それだけ音楽界にとって凄く有難い人物。