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0:30 四天王の親藩的扱いについて、酒井忠次・・・叔父忠勝・康政・・・舎弟直政・・・子(信康の代理)家康の一門扱いを見るに、松平庶家より上位すぎるとでもいいますか。
4:44 碓井姫については母方も触れないと。家康からみた家次は血縁的に久松三弟よりも近い弟的存在だったはず。それだけに疎まれたわけで。
コメントいただきありがとうございます。華陽院の流れですね。ありがとうございます。
酒井忠次の正室が家康の叔母で家康にとっては叔父?なんだよなあ、めちゃくちゃ勝ち組やん
コメントいただきありがとうございます。家老家系という感じがしますね。
酒井両家を取り上げていただき、ありがとうございます。私は、小浜藩の雅楽頭酒井家が先祖と思われます。比叡山延暦寺の千日回峰行を2回した、酒井雄哉も雅楽頭酒井家と思われます。
コメントいただきありがとうございます。ご子孫の方からコメントいただき嬉しいです。現代にも脈々と受け継がれてるのですね。本当にすごいことです。
僕の知り合いにも酒井家の子孫おります。本人は分家だと言ってました。
@user-ut9pk7pn7q 現代に受け継がれてきてるんですね、すごいです!
家康の従兄弟といえば水野勝成さんも1564年生まれだったなぁ
ある種インパクトでは勝成さんが1番印象強い人物かもしれないです!
讃岐守忠勝はうちの殿さまw幕政で忙しくてあまり国元には帰ってないけど
江戸に居ないときはないという状態ですかね、、、
国家老宛の大量の手紙が残ってて「普請奉行に誰々をあてる件そのように致せ」みたいに事細かに指示がとんでたようです。リモート経営w
リモートの走りですねw情報伝達が人や馬しかない時代で、国家老たちもそれなりに判断を求められたりと大変だったでしょうね。
とても分かりやすく、声が聞きやすいです。原稿は用意しているものと思いますが、えっとーとか、そのー、とか挟ます淀みなく話すので、聞いている方もスーッと入ってきやすかったです。綿密に調べていて、自分の知識内に習得している感じなので、人への説明力があると思います。
コメントありがとうございます。嬉しいです。より頑張れそうです!ありがとうございます。
徳川二十将図の酒井作左衛門は酒井家のどなたになるのですか?
コメントありがとうございます、自分が知ってる徳川二十将図ですと、最右下でしょうか。酒井作右衛門の表記のものでしたら見たことがあるんですが、作左衛門の表記のものが見たことがなくて...作右衛門であれば、槍の酒井重勝なんですが、、、
こんなに早くお返事いただけてありがとうございます!先日、新聞に徳川二十将図が掲載されていて、右の1番下でそのすぐ隣が服部半蔵です。徳川二十将図の下に掲載人物名が書かれており、酒井作左衛門と書いてありました。ずっと調べていて、誰だかわからず、コメントに記載した次第です。これは作右衛門、左右の書き間違えでしょうか。でもすっきりしました。ありがとうございました。酒井重勝と調べたら、この方は家康と一緒に伊賀越しているんですね。本当にありがとうございました
@user-qz1gi1ue6q いえ、とんでもないです!自分も作左衛門といえば、本多重次のイメージだったので、もしかすると知らない人物がいたかとしれないと思って酒井家の作左衛門を探しましたが、判明しませんでした。おっしゃるような左右の間違いかもしれないですね!こちらこそありがとうございました。
『葵徳川三代』に登場した酒井忠勝は忠次の孫で忠世は遠縁なんですね😮
自分も記憶があいまいですが、葵徳川三代の忠勝は、雅楽頭の忠勝で忠世の従兄弟の方かと思います、、違ったらすいません、、
同世代に誰がいるかという説明が分かりやすいです。
コメントありがとうございます。嬉しいです。ありがとうございます。同期が誰なのか、などが気になるタイプで載せさせていただきました。
酒井 抱一が知りたかったのでいつか紹介して下さい
コメントいただきありがとうございます。江戸時代の酒井家もどこかであげたいと思うので、その際に入れられるように頑張ります。ありがとうございます。
酒井忠勝が二人いますが当時は諱で人を呼ぶことはありませんでしたので幼名か通称で呼んでいたと思われます。黒田官兵衛の官兵衛のようにです。官兵衛は諱が孝高だったようですが通称の官兵衛のほうが有名ですね。ちなみに宮内大輔の忠勝は通称は小五郎、讃岐守の忠勝は通称は与七郎だったようです。
コメントありがとうございます。宮内大輔や讃岐守、小五郎、与七郎、そこの使い分けも気になるところです。
酒井雅楽頭って時代劇ではよくでてきますよね雅楽頭の方がよく知られているのでは?
酒井一族には、山内吉佐(やまうち よしすけ)のように、三河から土佐に渡った系統もいるようです。使える主君から、山内姓をもらったことで、酒井から改名したようです。
コメントありがとうございます。詳しく知らなかったので、教えていただきありがとうございます。
そだねー!
史料が少ないのは知ってるけど。酒井下総守七之助恒城にも触れて欲しかった。「酒井忠次の異母弟、恒城(つねもと)のことはよく分かりません」でも良かったから。わざわざ、僧籍から還俗したんだから、何かあったと考えた方がロマンがあるしね。
恒城、家系図のみになり、触れれば良かったです。今後に活かしたいと思います。
ごめんねー。うちの家系も大江家で、家紋も左衛門尉家と同じ、丸に片喰だからさ。ついね。たぶん、酒井家ではないんだけどね。系図的に。どちらかというと和泉式部に近いところの大江氏だと思うけど。
上野厩橋藩…群馬県民としてはうまやばしではなく、まやばしと読んでいただけると嬉しいです。
コメントいただき恐れ入ります。うまやばしとずっと覚えて来てしまっておりました。今後まやばしと読むようにいたします。ありがとうございます。
雅楽頭酒井氏は、時代劇ではほとんど出てこないね。(わしの知ってるのじゃ、【北大路欣也の『旗本退屈男]】に酒井忠清が悪役で出てるけど、ありゃ時代考証間違えてるね。忠清は、反綱吉で、綱吉の時代には、幕府の要職降りて、姫路藩主も隠居してるから、あのドラマの様に綱吉の大老はしてない。
コメントいただきありがとうございます。はい、是非とも雅楽頭家出てきてほしいです!自分の印象は1980年代の大河ドラマ、徳川家康では正親、葵徳川三代で忠世というイメージです。
@@kotsubach まあ、家の家系が、多分、雅楽頭が氏の末端(おばさんの代まで、物証の螺鈿飾り入り白柄の刀は、遠縁のおじさんが持ってったらしいので、過去帳しか遡るものないけど、北九州は遠い。(わしは札幌在住)
なんせ忠ナントカ君が多いのなんのってな
はい、、一瞬で雅楽頭家か、左衛門尉家かなども判断も難しいくらい混乱してしまいます!
遠江侵略前から城持ちになってる人こそ当時の本当の重臣岡崎城代の石川日向西尾城の酒井雅楽吉田城の酒井左衛門田原城の本多豊後いずれも1530年近辺の生まれ1560年代の弱っちい松平軍団の首脳陣大久保七郎でさえ、遠州入りしてから城持ち本多平八や榊原小平太なんてペーペー早くから持ち上げ過ぎ
小学生の時に初めて歴史を好きになった時から、なぜが四天王などがおのずと目に入り、そこから知っていきましたが、実際の家臣団について後に知った時に、三河重臣たちの偉大さを知りました。どうにかその家臣団が、全部出てくるものを見てみたいです。
0:30 四天王の親藩的扱いについて、
酒井忠次・・・叔父
忠勝・康政・・・舎弟
直政・・・子(信康の代理)
家康の一門扱いを見るに、松平庶家より上位すぎるとでもいいますか。
4:44 碓井姫については母方も触れないと。
家康からみた家次は血縁的に久松三弟よりも近い弟的存在だったはず。それだけに疎まれたわけで。
コメントいただきありがとうございます。
華陽院の流れですね。
ありがとうございます。
酒井忠次の正室が家康の叔母で家康にとっては叔父?なんだよなあ、めちゃくちゃ勝ち組やん
コメントいただきありがとうございます。
家老家系という感じがしますね。
酒井両家を取り上げていただき、ありがとうございます。
私は、小浜藩の雅楽頭酒井家が先祖と思われます。
比叡山延暦寺の千日回峰行を2回した、酒井雄哉も雅楽頭酒井家と思われます。
コメントいただきありがとうございます。ご子孫の方からコメントいただき嬉しいです。
現代にも脈々と受け継がれてるのですね。
本当にすごいことです。
僕の知り合いにも酒井家の子孫おります。
本人は分家だと言ってました。
@user-ut9pk7pn7q 現代に受け継がれてきてるんですね、すごいです!
家康の従兄弟といえば水野勝成さんも1564年生まれだったなぁ
ある種インパクトでは勝成さんが1番印象強い人物かもしれないです!
讃岐守忠勝はうちの殿さまw
幕政で忙しくてあまり国元には帰ってないけど
江戸に居ないときはないという状態ですかね、、、
国家老宛の大量の手紙が残ってて「普請奉行に誰々をあてる件そのように致せ」みたいに事細かに指示がとんでたようです。リモート経営w
リモートの走りですねw
情報伝達が人や馬しかない時代で、国家老たちもそれなりに判断を求められたりと大変だったでしょうね。
とても分かりやすく、声が聞きやすいです。原稿は用意しているものと思いますが、えっとーとか、そのー、とか挟ます淀みなく話すので、聞いている方もスーッと入ってきやすかったです。綿密に調べていて、自分の知識内に習得している感じなので、人への説明力があると思います。
コメントありがとうございます。
嬉しいです。
より頑張れそうです!
ありがとうございます。
徳川二十将図の酒井作左衛門は酒井家のどなたになるのですか?
コメントありがとうございます、
自分が知ってる徳川二十将図ですと、
最右下でしょうか。
酒井作右衛門の表記のものでしたら見たことがあるんですが、
作左衛門の表記のものが見たことがなくて...
作右衛門であれば、槍の酒井重勝なんですが、、、
こんなに早くお返事いただけてありがとうございます!
先日、新聞に徳川二十将図が掲載されていて、右の1番下でそのすぐ隣が服部半蔵です。
徳川二十将図の下に掲載人物名が書かれており、酒井作左衛門と書いてありました。ずっと調べていて、誰だかわからず、コメントに記載した次第です。
これは作右衛門、左右の書き間違えでしょうか。
でもすっきりしました。ありがとうございました。
酒井重勝と調べたら、この方は家康と一緒に伊賀越しているんですね。
本当にありがとうございました
@user-qz1gi1ue6q いえ、とんでもないです!
自分も作左衛門といえば、本多重次のイメージだったので、もしかすると知らない人物がいたかとしれないと思って酒井家の作左衛門を探しましたが、判明しませんでした。
おっしゃるような左右の間違いかもしれないですね!
こちらこそありがとうございました。
『葵徳川三代』に登場した酒井忠勝は忠次の孫で忠世は遠縁なんですね😮
自分も記憶があいまいですが、葵徳川三代の忠勝は、雅楽頭の忠勝で忠世の従兄弟の方かと思います、、
違ったらすいません、、
同世代に誰がいるかという説明が分かりやすいです。
コメントありがとうございます。
嬉しいです。
ありがとうございます。
同期が誰なのか、などが気になるタイプで載せさせていただきました。
酒井 抱一が知りたかったのでいつか紹介して下さい
コメントいただきありがとうございます。
江戸時代の酒井家もどこかであげたいと思うので、その際に入れられるように頑張ります。ありがとうございます。
酒井忠勝が二人いますが当時は諱で人を呼ぶことはありませんでしたので幼名か通称で呼んでいたと思われます。
黒田官兵衛の官兵衛のようにです。
官兵衛は諱が孝高だったようですが通称の官兵衛のほうが有名ですね。
ちなみに宮内大輔の忠勝は通称は小五郎、讃岐守の忠勝は通称は与七郎だったようです。
コメントありがとうございます。
宮内大輔や讃岐守、小五郎、与七郎、そこの使い分けも気になるところです。
酒井雅楽頭って時代劇ではよくでてきますよね
雅楽頭の方がよく知られているのでは?
酒井一族には、山内吉佐(やまうち よしすけ)のように、三河から土佐に渡った系統もいるようです。使える主君から、山内姓をもらったことで、酒井から改名したようです。
コメントありがとうございます。
詳しく知らなかったので、教えていただきありがとうございます。
そだねー!
史料が少ないのは知ってるけど。
酒井下総守七之助恒城にも触れて欲しかった。
「酒井忠次の異母弟、恒城(つねもと)のことはよく分かりません」でも良かったから。
わざわざ、僧籍から還俗したんだから、何かあったと考えた方がロマンがあるしね。
恒城、家系図のみになり、触れれば良かったです。
今後に活かしたいと思います。
ごめんねー。
うちの家系も大江家で、家紋も左衛門尉家と同じ、丸に片喰だからさ。ついね。
たぶん、酒井家ではないんだけどね。系図的に。どちらかというと和泉式部に近いところの大江氏だと思うけど。
上野厩橋藩…
群馬県民としては
うまやばしではなく、まやばしと読んでいただけると嬉しいです。
コメントいただき恐れ入ります。
うまやばしとずっと覚えて来てしまっておりました。今後まやばしと読むようにいたします。ありがとうございます。
雅楽頭酒井氏は、時代劇ではほとんど出てこないね。(わしの知ってるのじゃ、【北大路欣也の『旗本退屈男]】に酒井忠清が悪役で出てるけど、ありゃ時代考証間違えてるね。
忠清は、反綱吉で、綱吉の時代には、幕府の要職降りて、姫路藩主も隠居してるから、あのドラマの様に綱吉の大老はしてない。
コメントいただきありがとうございます。
はい、是非とも雅楽頭家出てきてほしいです!
自分の印象は1980年代の大河ドラマ、徳川家康では正親、葵徳川三代で忠世というイメージです。
@@kotsubach まあ、家の家系が、多分、雅楽頭が氏の末端(おばさんの代まで、物証の螺鈿飾り入り白柄の刀は、遠縁のおじさんが持ってったらしいので、過去帳しか遡るものないけど、北九州は遠い。(わしは札幌在住)
なんせ忠ナントカ君が多いのなんのってな
はい、、一瞬で雅楽頭家か、左衛門尉家かなども判断も難しいくらい混乱してしまいます!
遠江侵略前から城持ちになってる人こそ
当時の本当の重臣
岡崎城代の石川日向
西尾城の酒井雅楽
吉田城の酒井左衛門
田原城の本多豊後
いずれも1530年近辺の生まれ
1560年代の弱っちい松平軍団の首脳陣
大久保七郎でさえ、遠州入りしてから城持ち
本多平八や榊原小平太なんてペーペー
早くから持ち上げ過ぎ
小学生の時に初めて歴史を好きになった時から、なぜが四天王などがおのずと目に入り、そこから知っていきましたが、実際の家臣団について後に知った時に、三河重臣たちの偉大さを知りました。
どうにかその家臣団が、全部出てくるものを見てみたいです。