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お菓子職人まで輩出していたとは初耳です。健康オタクの家康が好んだお菓子だからきっとヘルシーなお菓子だったのでしょうね。
自分もどんなお菓子で、甘いのか、ですとか食べてみたいと思いました!レシピとか受け継がれてそうな気がします!
岡崎市民です。5:25 「上和田」。読みは「かみわだ」ですね。愛知県岡崎市上和田町。JR東海道線岡崎駅のすぐ西側の県道沿い上和田城跡に愛知県建立の「大久保氏発跡地碑」が建っています。蛇足になりますが「下和田(しもわだ)」町もあります。
お教えいただきありがとうございます。調べ方が甘かったです。お気づきいただきまして、ありがとうございました。
@@kotsubach 恐縮です。完全に主観ですが、大久保氏、特に大久保彦左衛門忠教を主人公として直木賞作家宮城谷昌光氏が執筆した「新三河物語」が大久保一族を知るにはとてもわかりやすいです。当然史実をもとにした創作物ですが。宮城谷氏は史実をかなり調べ上げて執筆されたとみえ、史実を重視する歴史ヲタにとって本当に嬉しい内容となっています。個人的にはこれをベースにして大河ドラマを作って欲しかったです。
貴重な情報いただきありがとうございます。読んでみたいと思いました!今度読んでみます。ありがとうございます。
大変興味深く拝見しました。大久保家は忠朝に興味を持ったことから家系を調べていましたが、ここまで広く調べられなかったので非常に参考になりました。後に一時期自分が住んでいた場所が大久保家の中屋敷の敷地内だったことや、忠朝以降の菩提寺である教化院に住職が父親の友人だったことを知り、何やら因縁めいたものも感じています。本編で参考にされた「三河物語」は読みづらい著作ではありますが、不遇時代の大久保家にあって一人残された彦左衛門気持ちが伝わってくる書物です。挫折された方は、安彦良和氏のまんが「三河物語」が理解の大きな手助けになりますのでお勧めです。
ありがとうございます。そう言ったところに住まわれてたり、住職の方が関係者だったりと何か縁を感じますね。そういった屋敷跡に住んでた羨ましいです!自分もそういった由緒ある地に引っ越してみたいです。安彦良和氏のマンガみてみます。ありがとうございます。
最後のほうなので「忠行?知らんなあ」と思っていたら2019年のNHK正月時代劇「家康、江戸を建てる」で佐々木蔵之介さんが演じられていた方なんですね。よくできたドラマだったので2年たってたまたま東京都水道歴史館に立ち寄った際に記憶がリフレッシュしたばかりでしたがここで家系がこうつながるとは。
コメントありがとうございます。蔵之介さん演じられてました。水道歴史館行ってみたいです!今度行ってみます!
お疲れ様です大久保忠世から大久保菓子店までやはり名族は違いますね幕末の大久保利通家系とは繋がらないんですかね?
コメントいただきありがとうございます。今までの中では、繋がりを確認したことはありませんでした。
とても楽しく拝見致しました🐰✨菓子司の話は、大変興味深かったです!益々、「どうする家康」が楽しみになってきます!
コメントありがとうございます!嬉しいです!大河ドラマにもできるだけ登場していだけたら嬉しいです!
いろいろ、ありがとうございます。常春の家系の明治は貴族院までなってますね江戸の要所には大久保家の領土があったんですね
コメントありがとうございます。大久保一族の繁栄は、非常に興味がそそられます!
9:07 総領家が4.5万石とは少なく思えますが関東移封時には、本多平八ら先手旗本の頭3人10万石以上なのは別格それでも酒井左衛門の代替わり家次で3万石を上回るのだから譜代最高格さらに弟たちへも別禄なのだから大久保軍団としては随分多いでしょうしかも小田原領有なんだから軽くはないただ相模守忠隣、後継の新十郎のちの加賀守忠常に先立たれたのが、そもそもの不幸次の新十郎忠職が美濃加納へ再封されたのは外祖父・奥平美作と伯父一家が3代で断絶その遺領を若年ながら託されたもの大老にも相当する松平下総叔父のおかげとも再興してからは相模守ではなく忠常・忠職以来の加賀守を世襲した模様有名な領民は二宮尊徳さんあ、幕末の幕臣・一翁さんありませんねしゃーないです
小田原10万石は相当な待遇だと思いました。関東への入り口の要衝となると信頼感を感じます。奥平美作のくだりなどお詳しいです。恐れ入ります。一翁までいきたかったんですが江戸初期中期で止めようと思って幕末の譜代編で出したいと思います。いつもありがとうございます。
いつも面白く拝見させていただいております。今回は大久保一族ですか。詳しくてありがたいです。気になったことと、もっと掘り下げて欲しかったのは大久保忠隣と大久保長安ですかね。気になったのはこの二人だけ通称が無いんですよ。何故?と思いました。説明だけで名前が出てきた人は仕方ないと思うんですけれども。大きく人物紹介したの中でこの二人だけ通称がないって、何か特別感があるというか、さみしいというか。忠行も通称あったのに。大久保新十郎忠隣、大久保十兵衛長安ですよね。掘り下げて欲しかったのは、大久保長安ですね。と言っても、深掘りは必要ないんです。あの人、武田家で土屋昌続の与力になった時に、土屋姓を賜っているんです。当時は土屋藤十郎長安ですね。二人の主君に主君と同じ苗字を賜るって相当だと思うんです。そこだけ掘り下げて欲しかったかなぁと思います。
統一化すれば良かったです。無意識に通称を外していました。ありがとうございます。
大久保党は徳川家譜代の中でも結構な勢力を誇っており酒井家と同等かと。蟹江七本槍は大久保氏が5名も出ています。
かなり武闘派が多かったということですね。
犀ヶ崖まで出したら、布橋の逸話(創作?)まで出して欲しかったなぁ😮今日、銘菓「布橋の雪」を食べたので、つい思っちゃいました。
あ、大久保さんがやった作戦なのかは知りません。
布橋の話出せば良かったです!お恥ずかしながら中々静岡に行く機会がなく、食べたことがないので今度食べてみたいと思います。
三河物語の「門外不出」はあれダチョウ倶楽部的なフリですから。後動画の後の話になりますが大久保忠隣が改易された後子孫の忠朝が同じ小田原に復帰したのは当時でもまずありえない奇跡の様なものだそうで。そして何気に地元小田原のアマチュア劇団では北条よりも大久保家の方が多く題材にされております。
コメントありがとうございます。ダチョウ倶楽部のフリ、わかりやすいです!その戻った流れ、今度詳しく調べてみます。小田原ではそうなのですね。外側からでは知ることができない話です。ありがとうございます。
本当に忠常の早世は痛すぎますよね。大久保忠常以降の復活劇には、孫の後見についた奥平のゴッドマザー、亀姫様(=徳川家康と瀬名姫の娘)の影響がありそう。それでも、幕府として問題無いとされる範囲での加増を重ねていったのがうまいところですが。
長安が作った、浅川の氾濫時の貯水池が八王子市役所、水道局に成っています。
行ってみたいです!貴重な情報ありがとうございます。
僕の徳川関連のバイブルは「新三河物語」です。
コメントありがとうございます。お教えいただきありがとうございます!今度読んでみます!
彦左衛門長生きしたもんだな
コメントありがとうございます。家光の治世まで、生き抜いてますね。忠世から始まる兄弟は歳の差はあるにしろ、家康たちと共に戦った人物が、平和の時代に伝えたこともあると思うので貴重ですね。
大久保家も旗本家として残った家が相当あります。なので相当な勢力だったのでしょう。
大久保一族の勢いと三河時代の貢献度の高さを感じます。
関係ないけど、大久保って聞いたら佳代子さんを思い浮かべる👍
気持ちわかります!
大久保一派は徳川譜代の中でも最大派閥と言っても良いくらいなのに専横を極めようとする輩が居ないのが素晴らしいと思います。(長安を除けばw)
コメントありがとうございます!バランス良い大久保家が自分は好きです!確かに長安は、、、w
長安さん、成果も大きいけれど、やり過ぎたよね。。。
何事もバランスが大事ですね、、、
長安はそもそも大久保氏出身じゃ無いけどね。
22:01 (大久保長安の子供たちが全員切腹したり、関係者が改易されたりする事に関し)あまりにも極端すぎる(と思う)
もう少し詳細載せればよかったです。
@@kotsubach 大久保長安の子供たちが全員切腹したり、関係者が改易されたりする事についてを言いたかった……はずです。
大久保長安だけで1本動画作れそうなくらい、八王子では有名な歴史人物です。最後は一族と関係のあった女、子供まで根絶やしに処刑されたと伝わっています。
根絶やしにする必要があったということ考えるとすごい話です。今回大久保家に差し込んだので少しの紹介したんですが、1本できる濃い人物ですね。
大久保長安は志村けんさんと高見沢俊彦さんをこの世に誕生させた歴史的キーパーソンの一人でもあります。
今度八王子を巡って来たいと思います。
お菓子職人まで輩出していたとは初耳です。
健康オタクの家康が好んだお菓子だからきっとヘルシーなお菓子だったのでしょうね。
自分もどんなお菓子で、
甘いのか、ですとか
食べてみたいと思いました!
レシピとか受け継がれてそうな気がします!
岡崎市民です。5:25 「上和田」。読みは「かみわだ」ですね。愛知県岡崎市上和田町。JR東海道線岡崎駅のすぐ西側の県道沿い上和田城跡に愛知県建立の「大久保氏発跡地碑」が建っています。蛇足になりますが「下和田(しもわだ)」町もあります。
お教えいただきありがとうございます。
調べ方が甘かったです。
お気づきいただきまして、ありがとうございました。
@@kotsubach 恐縮です。完全に主観ですが、大久保氏、特に大久保彦左衛門忠教を主人公として直木賞作家宮城谷昌光氏が執筆した「新三河物語」が大久保一族を知るにはとてもわかりやすいです。当然史実をもとにした創作物ですが。宮城谷氏は史実をかなり調べ上げて執筆されたとみえ、史実を重視する歴史ヲタにとって本当に嬉しい内容となっています。個人的にはこれをベースにして大河ドラマを作って欲しかったです。
貴重な情報いただきありがとうございます。読んでみたいと思いました!
今度読んでみます。
ありがとうございます。
大変興味深く拝見しました。大久保家は忠朝に興味を持ったことから家系を調べていましたが、ここまで広く調べられなかったので非常に参考になりました。後に一時期自分が住んでいた場所が大久保家の中屋敷の敷地内だったことや、忠朝以降の菩提寺である教化院に住職が父親の友人だったことを知り、何やら因縁めいたものも感じています。本編で参考にされた「三河物語」は読みづらい著作ではありますが、不遇時代の大久保家にあって一人残された彦左衛門気持ちが伝わってくる書物です。挫折された方は、安彦良和氏のまんが「三河物語」が理解の大きな手助けになりますのでお勧めです。
ありがとうございます。
そう言ったところに住まわれてたり、住職の方が関係者だったりと何か縁を感じますね。そういった屋敷跡に住んでた羨ましいです!自分もそういった由緒ある地に引っ越してみたいです。
安彦良和氏のマンガみてみます。
ありがとうございます。
最後のほうなので「忠行?知らんなあ」と思っていたら2019年のNHK正月時代劇「家康、江戸を建てる」で佐々木蔵之介さんが演じられていた方なんですね。よくできたドラマだったので2年たってたまたま東京都水道歴史館に立ち寄った際に記憶がリフレッシュしたばかりでしたがここで家系がこうつながるとは。
コメントありがとうございます。
蔵之介さん演じられてました。
水道歴史館行ってみたいです!
今度行ってみます!
お疲れ様です
大久保忠世から大久保菓子店までやはり名族は違いますね
幕末の大久保利通家系とは繋がらないんですかね?
コメントいただきありがとうございます。
今までの中では、繋がりを確認したことはありませんでした。
とても楽しく拝見致しました🐰✨
菓子司の話は、大変興味深かったです!益々、「どうする家康」が楽しみになってきます!
コメントありがとうございます!
嬉しいです!
大河ドラマにもできるだけ登場していだけたら嬉しいです!
いろいろ、ありがとうございます。
常春の家系の明治は貴族院までなってますね
江戸の要所には大久保家の領土があったんですね
コメントありがとうございます。
大久保一族の繁栄は、非常に興味がそそられます!
9:07 総領家が4.5万石とは少なく思えますが
関東移封時には、本多平八ら先手旗本の頭3人10万石以上なのは別格
それでも酒井左衛門の代替わり家次で3万石を
上回るのだから譜代最高格
さらに弟たちへも別禄なのだから
大久保軍団としては随分多いでしょう
しかも小田原領有なんだから軽くはない
ただ相模守忠隣、後継の新十郎
のちの加賀守忠常に先立たれたのが、そもそもの不幸
次の新十郎忠職が美濃加納へ再封されたのは
外祖父・奥平美作と伯父一家が3代で断絶
その遺領を若年ながら託されたもの
大老にも相当する松平下総叔父のおかげとも
再興してからは相模守ではなく
忠常・忠職以来の加賀守を世襲した模様
有名な領民は二宮尊徳さん
あ、幕末の幕臣・一翁さんありませんね
しゃーないです
小田原10万石は相当な待遇だと思いました。
関東への入り口の要衝となると信頼感を感じます。
奥平美作のくだりなどお詳しいです。恐れ入ります。
一翁までいきたかったんですが江戸初期中期で止めようと思って幕末の譜代編で出したいと思います。
いつもありがとうございます。
いつも面白く拝見させていただいております。
今回は大久保一族ですか。
詳しくてありがたいです。
気になったことと、もっと掘り下げて欲しかったのは
大久保忠隣と大久保長安ですかね。
気になったのはこの二人だけ通称が無いんですよ。何故?と思いました。説明だけで名前が出てきた人は仕方ないと思うんですけれども。大きく人物紹介したの中でこの二人だけ通称がないって、何か特別感があるというか、さみしいというか。忠行も通称あったのに。
大久保新十郎忠隣、大久保十兵衛長安ですよね。
掘り下げて欲しかったのは、大久保長安ですね。と言っても、深掘りは必要ないんです。あの人、武田家で土屋昌続の与力になった時に、土屋姓を賜っているんです。当時は土屋藤十郎長安ですね。二人の主君に主君と同じ苗字を賜るって相当だと思うんです。そこだけ掘り下げて欲しかったかなぁと思います。
統一化すれば良かったです。
無意識に通称を外していました。
ありがとうございます。
大久保党は徳川家譜代の中でも結構な勢力を誇っており酒井家と同等かと。蟹江七本槍は大久保氏が5名も出ています。
かなり武闘派が多かったということですね。
犀ヶ崖まで出したら、布橋の逸話(創作?)まで出して欲しかったなぁ😮
今日、銘菓「布橋の雪」を食べたので、つい思っちゃいました。
あ、大久保さんがやった作戦なのかは知りません。
布橋の話出せば良かったです!
お恥ずかしながら中々静岡に行く機会がなく、食べたことがないので今度食べてみたいと思います。
三河物語の「門外不出」はあれダチョウ倶楽部的なフリですから。
後動画の後の話になりますが大久保忠隣が改易された後子孫の忠朝が同じ小田原に復帰したのは
当時でもまずありえない奇跡の様なものだそうで。
そして何気に地元小田原のアマチュア劇団では北条よりも大久保家の方が多く題材にされております。
コメントありがとうございます。
ダチョウ倶楽部のフリ、わかりやすいです!
その戻った流れ、今度詳しく調べてみます。小田原ではそうなのですね。外側からでは知ることができない話です。ありがとうございます。
本当に忠常の早世は痛すぎますよね。
大久保忠常以降の復活劇には、孫の後見についた奥平のゴッドマザー、亀姫様(=徳川家康と瀬名姫の娘)の影響がありそう。
それでも、幕府として問題無いとされる範囲での加増を重ねていったのがうまいところですが。
長安が作った、浅川の氾濫時の貯水池が八王子市役所、水道局に成っています。
行ってみたいです!
貴重な情報ありがとうございます。
僕の徳川関連のバイブルは「新三河物語」です。
コメントありがとうございます。
お教えいただきありがとうございます!
今度読んでみます!
彦左衛門長生きしたもんだな
コメントありがとうございます。
家光の治世まで、生き抜いてますね。
忠世から始まる兄弟は歳の差はあるにしろ、家康たちと共に戦った人物が、平和の時代に伝えたこともあると思うので貴重ですね。
大久保家も旗本家として残った家が相当あります。
なので相当な勢力だったのでしょう。
大久保一族の勢いと三河時代の貢献度の高さを感じます。
関係ないけど、大久保って聞いたら佳代子さんを思い浮かべる👍
気持ちわかります!
大久保一派は徳川譜代の中でも最大派閥と言っても良いくらいなのに専横を極めようとする輩が居ないのが素晴らしいと思います。(長安を除けばw)
コメントありがとうございます!
バランス良い大久保家が自分は好きです!
確かに長安は、、、w
長安さん、成果も大きいけれど、
やり過ぎたよね。。。
何事もバランスが大事ですね、、、
長安はそもそも大久保氏出身じゃ無いけどね。
22:01 (大久保長安の子供たちが全員切腹したり、関係者が改易されたりする事に関し)あまりにも極端すぎる(と思う)
もう少し詳細載せればよかったです。
@@kotsubach 大久保長安の子供たちが全員切腹したり、関係者が改易されたりする事についてを言いたかった……はずです。
大久保長安だけで1本動画作れそうなくらい、八王子では有名な歴史人物です。最後は一族と関係のあった女、子供まで根絶やしに処刑されたと伝わっています。
根絶やしにする必要があったということ考えるとすごい話です。
今回大久保家に差し込んだので少しの紹介したんですが、1本できる濃い人物ですね。
大久保長安は志村けんさんと高見沢俊彦さんをこの世に誕生させた歴史的キーパーソンの一人でもあります。
今度八王子を巡って来たいと思います。