Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
急ピッチで編集したためまだ間違いが残っていました。申し訳ありません、以下に訂正します。①上野乗り入れについてはあいづと併結運転を行っていたわけではなく、あくまで「車両運用の都合」というのが正確です。②キハ82系の最高速度は100km/hです。③キハ181系の導入は1970年です。
間違いは誰にでもあるんで、これにめげずこれからも頑張ってください👍
つばさは東北6県庁駅に全駅乗り入れた唯一の特急ですね。
1982年11月の東北新幹線本格開業後も上野発着で残された東北本線の在来線昼行特急はつばさ、やまばとの他上野~会津若松間のあいづもありました。その3愛称はこの1982年11月改正で秋田運転所の485系9連に統一され、あいづからボンネット型先頭車が消滅しました。
つばさといえばあと一つ昭和60年改正から1年半あまり「山形−青森」便が追加されて、これで東北6県都フルコンプを果たしたことも触れておきます。仙台には、やまびこに暖簾分けした盛岡編成がすでに取り入れていたことを忘れてましたわ。
仙台〜秋田の北上線経由の青葉もありました。
修正お疲れさまです。伝えたい内容である、特急つばさの上野~仙台~山形~秋田が走ったというのははじめて知りました。臨時の寝台特急あけぼのも走ったことがあるのは知っていましたが。
キハ181になってもEF71の補機がついてたぞ
てゆうか、最初は補機なしだったのだが...ダメだったんですよね...
上越新幹線大宮始発開業当時の時も特急いなほが鳥海に改名されて上下1本だけ存続していた事も忘れないであげてください。
元々間違いはあるチャンネルだけど、ウケ狙いで列車や車両、鉄道会社を侮辱するようなことがあまりないので安心して見ていられます。
今更ながらだが…この「つばさ」のヘッドマーク…あのHONDAバイクのロゴマークにメチャクチャ似てるな(笑)って、当時から思ってた…🏍️(^-^;🤭-w-wあの赤ベースのフォントといい、白い片翼マークといい…🪽😅-w-w
東北の県庁所在地全てから発着した唯一の特急でしたね…
再投稿されてたの再コメント。【つばさ】のヘッドマークが秀逸。
つばさ、あいずは共通運用だったらしいお婆ちゃんからもらった鉄道図鑑より…仙山線ノンストップは凄いよ!
修正したんですね!
🚄東北新幹線開業前,上野駅で秋田行き[特急]を見て“随分遠くまで行くんだなあ!”と食堂車🍴を眺めていた。
91年だったか、上野で久しぶりにつばさを見た。高校の帰りに立ち寄った際だったけど、あれが最期の姿だったな。まだ走ってるんだぁと驚いたものです。その後、大宮駅で仕事の関係でつばさ号新車両御披露会で、全ての抽選客の入場が一時中止され、私と取引先の方3名で運転席まで案内。保安上の理由で写真撮影は当然禁止でしたが、その後、大宮駅貴賓室にまで案内されたのはいい思い出。
まちがいは、あまり気にしないで……さすがにおかしいとは気づきましたが。😂
まだ間違いがある。181系気動車化になったのは、1870年の3月からで、12両編成で、板谷峠も自力走行していたが、オーバーヒートが多発して予備車も少ないことから、1両減車の上で福米間でEF71型の補機の助けを受けました。それと1985年3月ダイヤ改正のつばさは単独運行であいづとは併結していません。共通運用だっただけです。もし併結していれば、通常は、14両編成で、繁忙期には18両編成にもなってしまいます。
申し訳ありません…公開動画を間違えるという根本ミスに焦るあまり、急ピッチで編集したためまだ間違いが残っていました、、、固定コメントにて訂正いたします、ご指摘いただきましてありがとうございます。
重箱の隅をつつく様だけど、1970年の2月からです。最初は10両で増11号車増12号車を経て正式に12両編成になり、以降はコメ主の通りです。
特急「つばさ」 上野から秋田へ 7時間52分
特急「つばさ」と「やまばと」は食堂車が連結していたな、利用したことはありますか?。
@@高橋浩-d6iそうですか、旅は駅弁と食堂車ですね
なんか、まだ間違い多いのですが・・・。5:40 「1972年、つばさ号は使用車両がキハ181系に置き換えられたことで、板谷峠区間で自走できるようになり」キハ181系に置き換えられたのは1970年2月。1972年に置き換えられたのは「いなほ」だよ。それと、1972年にはEF71が補機でつくようになってるから、補機ありの時期の方が長い。7:05「上野・郡山間であいづと併結するつばさ」併結運転してません。485系で運転される東北特急で併結運転はなかった。国鉄時代の485系使用の特急だと、「かもめ」「みどり」だけ。8:10 「あいづと併結すべく」というのは、「つばさと共通運用するべく」ということでしょうか。
申し訳ありません…公開動画を間違えるという根本ミスに焦るあまり、急ピッチで編集したためまだ間違いが残っていました…固定コメントにて訂正いたします、ご指摘いただきましてありがとうございます。
>国鉄時代の485系使用の特急だと、併結運転は「かもめ」「みどり」だけ。もう一つだけあります。1985年4月、急行「きのくに」の格上げで誕生した増発分の「くろしお」は、381系100番台の追加製造ではなく、東北新幹線上野開業等によって余剰となった485系44両をモノクラス4両編成に組成し直した上で運転されることになりましたが、この際に問題となったのが先頭車(Tc)不足で、対策として転属する485・489系のサハの中から11両に対し、1枚型貫通扉を備えた先頭車化改造を行ってクロ480とした上で日根野に送りつけました。増発分の「くろしお」は基本4両、列車によっては白浜で分割併合する8両編成で運転されましたが、1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正で全車紀勢線から追い出され、福知山と南福岡に飛ばされました。
私の亡くなった母は東北新幹線開業で実家まで乗り換えなしで行ける急行がなくなったこと、とても寂しがってましたし嘆いていました。つばさ号、長期間上野行きが存続したのは福島乗り換えに不安・不満だった皆さんへの配慮だったのでしょうね。もしかすると東北新幹線の上野開業の際、廃止の予定だったのかもしれません。
特急つばさは東京仙台間は東北新幹線が開通しても走っていたのは良かったです。でも山形新幹線ができてなくなったのは惜しい。でも新幹線つばさは在来線走行で開通したのはホッとします。
修正されたとのことで、それはそれでお疲れ様でした、なのですが、まだまだ間違いが残ってます。どうせ修正するのであれば、この辺りはちょっと調べればすぐ気づく内容なので、徹底的にやって欲しかったです。1往復となった上の直通「つばさ」は、「あいづ」と併結運転を行った事実はなかったはず。どちらも485系グリーン車入りの9両編成だったはずで、併結したら18両と実現されたことが無い編成両数になります。急行列車時代の455系ならば奥羽線6両+磐越西線6両というのはありえましたが。あと、細かいところで、キハ82系の最高速度は95km/hではなく、100km/hだったはず。キハ181系になった後、一旦は板谷峠での補助機関車応援はなくなったものの、たしかオーバーヒートを頻発させてまともに走れないことが多くなり補助機関車がが復活した、のは他の方も指摘してる通りです。間違いは誰にでもあるものですが、あまりに多い/残したままだと「この人の記事は信用度が低い」というレッテルを貼られて、今後の記事の再生数にも悪影響がでます。きっちりと再訂正することをお勧めします。追記:使用画像類の出展をきちんと表示している点は、非常に好感が持てます。
申し訳ありません…公開動画を間違えるという根本ミスに焦るあまり、急ピッチで編集したためまだ間違いが残っていました。固定コメントにて訂正いたします、丁寧なご指摘本当にありがとうございます。
@@koppe_233そういう致命的な間違いがあった場合は一旦非公開にして十分精査してから再アップした方がいいんでねえの?
まあ、間違い箇所については皆さまいろいろご指摘済ですので、私などの出る幕ではありませんが、個人的に非常に違和感を感じ、一言余分だな、と感じるのが、『山形県と秋田県では史上初の特急列車』という所ですね。間違いとは言えないけれども、「つばさ」と全く同じ日、即ちサンロクトオ改正では大阪ー青森・上野間に同じく80系82型(82系)気動車を使用する特急「白鳥」もデビューしており、言うまでもなく山形県・秋田県を通りますから。それともう一つ。きちんと訂正コメントはしておられますけれども、個人的には『あいづと併結運転』と動画内で説明を入れてしまってるのは、雑学系・解説系の動画としてははっきり言って致命的欠陥と感じます。間違いに気づいた時点で動画を一旦引き上げる(全削除して作り直す)のが適切であったと思います。
結果、新庄〜大曲は衰退してしまった。横手、湯沢は優等列車は来なくなり駅は寂れ始めていると聞く。
栄光の列車番号 1D だったかな?
昭和43年に電化されたのは福島ー羽前千歳間ですね
当時のつばさとやまばとの格差を考えると山形新幹線は秋田まで延伸すべきだと思います。
本来は秋田行きだった「つばさ」がすっかり山形の顔となってしまった。まあ「こまち」の方が秋田っぽいから結果オーライか。
元々奥羽特急の愛称で、従来と同じ経路だから山形で完結してもつばさが相応しい。秋田行きといっても田沢湖線経由でつばさを名乗られてもピンと来ない
結果オーライ?いやいや... 秋田県民は「つばさ」の名前を山形に盗られたと思ってますよ
この動画について様々な方が間違いの指摘をされていますが、たとえ間違いがあるにしても偉そうな論調でコメントをされるのならご自分で動画を作成されてみてはいかがでしょうか?
特急つばさに投入された485系は1000番台。当時国鉄寒冷地区間で流行っていた耐寒耐雪構造車の二代目で、後々に長野に導入された115系1000番台、同じ東北に導入された交直流近郊型の決定版417系へと床下機器の面から車体の面まで設計がそのまま用いられましたね。完全防備だったせいで、485系の中では一番の高コスト車になってあまり増えなかったけど、これが全国の交流電化区間に広まってたら、今頃485系は1000番台で埋め尽くされていただろうに。
1000番台車はつばさ電車化の為に開発された様なものだから元々の両数は少ない。53−10改正でやまばと・秋田いなほと共通運用する為に増備した他は1000番台の必要が無い青森だけで(一般車と混結すると1000番台特有の機能が活かせない)、これが485系の最終増備です。高コストというよりは必要両数が揃ったからです
「つばさ」電車化当初、長崎本線・佐世保線電化が1年遅れになるものの、「かもめ」「みどり」用に確保した485系が遊んでしまうので、当時財政悪化の国鉄、専用の1000番代投入を1年遅らせて、九州向け車両を暫定で使用したと聞いている。またこの時の485系の転配が複雑極まりないというのも聞いている。
@@坂田庄司-g6n つばさ電車化による奥羽本線のダイヤ改正は昭和51年春を予定していたが、電化工事は9月中に完成する事や冬になる前に電車化を望む地元の要望により昭和50年11月25日に前倒しする事になりました。しかし1000番台落成は当初の予定通りなので急遽長崎佐世保電化用の485系が集められました。遊休車両の活用が出来て地元の要望にも応えられる、無駄がない事から行われました。そして3月頃に1000番台が落成して5月頃に置き換え、200番台は順次九州にに転属して7月に長崎佐世保電化開業を迎えました。蛇足ながら、山形新幹線新庄開業も似たような事情により12月5日という中途半端な時期になったと聞きました
具体的にどこが間違ってたんですか?
急ピッチで編集したためまだ間違いが残っていました。申し訳ありません、以下に訂正します。
①上野乗り入れについてはあいづと併結運転を行っていたわけではなく、あくまで「車両運用の都合」というのが正確です。
②キハ82系の最高速度は100km/hです。
③キハ181系の導入は1970年です。
間違いは誰にでもあるんで、これにめげずこれからも頑張ってください👍
つばさは東北6県庁駅に全駅乗り入れた唯一の特急ですね。
1982年11月の東北新幹線本格開業後も上野発着で残された東北本線の在来線昼行特急はつばさ、やまばとの他上野~会津若松間のあいづもありました。その3愛称はこの1982年11月改正で秋田運転所の485系9連に統一され、あいづからボンネット型先頭車が消滅しました。
つばさといえばあと一つ
昭和60年改正から1年半あまり「山形−青森」便が追加されて、これで東北6県都フルコンプを果たしたことも触れておきます。
仙台には、やまびこに暖簾分けした盛岡編成がすでに取り入れていたことを忘れてましたわ。
仙台〜秋田の北上線経由の青葉もありました。
修正お疲れさまです。
伝えたい内容である、特急つばさの上野~仙台~山形~秋田が走ったというのははじめて知りました。臨時の寝台特急あけぼのも走ったことがあるのは知っていましたが。
キハ181になってもEF71の補機がついてたぞ
てゆうか、最初は補機なしだったのだが...
ダメだったんですよね...
上越新幹線大宮始発開業当時の時も特急いなほが鳥海に改名されて上下1本だけ存続していた事も忘れないであげてください。
元々間違いはあるチャンネルだけど、ウケ狙いで列車や車両、鉄道会社を侮辱するようなことがあまりないので安心して見ていられます。
今更ながらだが…この「つばさ」のヘッドマーク…
あのHONDAバイクのロゴマークにメチャクチャ似てるな(笑)って、当時から思ってた…🏍️(^-^;🤭-w-w
あの赤ベースのフォントといい、白い片翼マークといい…🪽😅-w-w
東北の県庁所在地全てから発着した唯一の特急でしたね…
再投稿されてたの再コメント。
【つばさ】のヘッドマークが秀逸。
つばさ、あいずは共通運用だったらしい
お婆ちゃんからもらった鉄道図鑑より…
仙山線ノンストップは凄いよ!
修正したんですね!
🚄東北新幹線開業前,上野駅で秋田行き[特急]を見て“随分遠くまで行くんだなあ!”と食堂車🍴を眺めていた。
91年だったか、上野で久しぶりにつばさを見た。高校の帰りに立ち寄った際だったけど、あれが最期の姿だったな。まだ走ってるんだぁと驚いたものです。その後、大宮駅で仕事の関係でつばさ号新車両御披露会で、全ての抽選客の入場が一時中止され、私と取引先の方3名で運転席まで案内。保安上の理由で写真撮影は当然禁止でしたが、その後、大宮駅貴賓室にまで案内されたのはいい思い出。
まちがいは、あまり気にしないで……
さすがにおかしいとは気づきましたが。😂
まだ間違いがある。181系気動車化になったのは、1870年の3月からで、12両編成で、板谷峠も自力走行していたが、オーバーヒートが多発して予備車も少ないことから、1両減車の上で福米間でEF71型の補機の助けを受けました。それと1985年3月ダイヤ改正のつばさは単独運行であいづとは併結していません。共通運用だっただけです。もし併結していれば、通常は、14両編成で、繁忙期には18両編成にもなってしまいます。
申し訳ありません…公開動画を間違えるという根本ミスに焦るあまり、急ピッチで編集したためまだ間違いが残っていました、、、固定コメントにて訂正いたします、ご指摘いただきましてありがとうございます。
重箱の隅をつつく様だけど、1970年の2月からです。最初は10両で増11号車増12号車を経て正式に12両編成になり、以降はコメ主の通りです。
特急「つばさ」 上野から秋田へ 7時間52分
特急「つばさ」と「やまばと」は食堂車が連結していたな、利用したことはありますか?。
@@高橋浩-d6iそうですか、旅は駅弁と食堂車ですね
なんか、まだ間違い多いのですが・・・。
5:40 「1972年、つばさ号は使用車両がキハ181系に置き換えられたことで、板谷峠区間で自走できるようになり」
キハ181系に置き換えられたのは1970年2月。1972年に置き換えられたのは「いなほ」だよ。
それと、1972年にはEF71が補機でつくようになってるから、補機ありの時期の方が長い。
7:05「上野・郡山間であいづと併結するつばさ」
併結運転してません。485系で運転される東北特急で併結運転はなかった。国鉄時代の485系使用の特急だと、「かもめ」「みどり」だけ。
8:10 「あいづと併結すべく」というのは、「つばさと共通運用するべく」ということでしょうか。
申し訳ありません…公開動画を間違えるという根本ミスに焦るあまり、急ピッチで編集したためまだ間違いが残っていました…固定コメントにて訂正いたします、ご指摘いただきましてありがとうございます。
>国鉄時代の485系使用の特急だと、併結運転は「かもめ」「みどり」だけ。
もう一つだけあります。
1985年4月、急行「きのくに」の格上げで誕生した増発分の「くろしお」は、381系100番台の追加製造ではなく、東北新幹線上野開業等によって余剰となった485系44両をモノクラス4両編成に組成し直した上で運転されることになりましたが、この際に問題となったのが先頭車(Tc)不足で、対策として転属する485・489系のサハの中から11両に対し、1枚型貫通扉を備えた先頭車化改造を行ってクロ480とした上で日根野に送りつけました。増発分の「くろしお」は基本4両、列車によっては白浜で分割併合する8両編成で運転されましたが、1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正で全車紀勢線から追い出され、福知山と南福岡に飛ばされました。
私の亡くなった母は東北新幹線開業で実家まで乗り換えなしで行ける急行がなくなったこと、とても寂しがってましたし嘆いていました。つばさ号、長期間上野行きが存続したのは福島乗り換えに不安・不満だった皆さんへの配慮だったのでしょうね。もしかすると東北新幹線の上野開業の際、廃止の予定だったのかもしれません。
特急つばさは
東京仙台間は東北新幹線が開通しても走っていたのは良かったです。
でも山形新幹線ができてなくなったのは惜しい。
でも新幹線つばさは在来線走行で開通したのはホッとします。
修正されたとのことで、それはそれでお疲れ様でした、なのですが、まだまだ間違いが残ってます。どうせ修正するのであれば、この辺りはちょっと調べればすぐ気づく内容なので、徹底的にやって欲しかったです。
1往復となった上の直通「つばさ」は、「あいづ」と併結運転を行った事実はなかったはず。どちらも485系グリーン車入りの9両編成だったはずで、併結したら18両と実現されたことが無い編成両数になります。急行列車時代の455系ならば奥羽線6両+磐越西線6両というのはありえましたが。
あと、細かいところで、キハ82系の最高速度は95km/hではなく、100km/hだったはず。キハ181系になった後、一旦は板谷峠での補助機関車応援はなくなったものの、たしかオーバーヒートを頻発させてまともに走れないことが多くなり補助機関車がが復活した、のは他の方も指摘してる通りです。
間違いは誰にでもあるものですが、あまりに多い/残したままだと「この人の記事は信用度が低い」というレッテルを貼られて、今後の記事の再生数にも悪影響がでます。きっちりと再訂正することをお勧めします。
追記:使用画像類の出展をきちんと表示している点は、非常に好感が持てます。
申し訳ありません…公開動画を間違えるという根本ミスに焦るあまり、急ピッチで編集したためまだ間違いが残っていました。固定コメントにて訂正いたします、丁寧なご指摘本当にありがとうございます。
@@koppe_233
そういう致命的な間違いがあった場合は一旦非公開にして十分精査してから再アップした方がいいんでねえの?
まあ、間違い箇所については皆さまいろいろご指摘済ですので、私などの出る幕ではありませんが、個人的に非常に違和感を感じ、一言余分だな、と感じるのが、
『山形県と秋田県では史上初の特急列車』
という所ですね。間違いとは言えないけれども、「つばさ」と全く同じ日、即ちサンロクトオ改正では大阪ー青森・上野間に同じく80系82型(82系)気動車を使用する特急「白鳥」もデビューしており、言うまでもなく山形県・秋田県を通りますから。
それともう一つ。
きちんと訂正コメントはしておられますけれども、個人的には『あいづと併結運転』と動画内で説明を入れてしまってるのは、雑学系・解説系の動画としてははっきり言って致命的欠陥と感じます。
間違いに気づいた時点で動画を一旦引き上げる(全削除して作り直す)のが適切であったと思います。
結果、新庄〜大曲は衰退してしまった。横手、湯沢は優等列車は来なくなり駅は寂れ始めていると聞く。
栄光の列車番号 1D だったかな?
昭和43年に電化されたのは福島ー羽前千歳間ですね
当時のつばさとやまばとの格差を考えると山形新幹線は秋田まで延伸すべきだと思います。
本来は秋田行きだった「つばさ」がすっかり山形の顔となってしまった。
まあ「こまち」の方が秋田っぽいから結果オーライか。
元々奥羽特急の愛称で、従来と同じ経路だから山形で完結してもつばさが相応しい。秋田行きといっても田沢湖線経由でつばさを名乗られてもピンと来ない
結果オーライ?
いやいや... 秋田県民は「つばさ」の名前を山形に盗られたと思ってますよ
この動画について様々な方が間違いの指摘をされていますが、たとえ間違いがあるにしても偉そうな論調でコメントをされるのならご自分で動画を作成されてみてはいかがでしょうか?
特急つばさに投入された485系は1000番台。当時国鉄寒冷地区間で流行っていた耐寒耐雪構造車の二代目で、後々に長野に導入された115系1000番台、同じ東北に導入された交直流近郊型の決定版417系へと床下機器の面から車体の面まで設計がそのまま用いられましたね。完全防備だったせいで、485系の中では一番の高コスト車になってあまり増えなかったけど、これが全国の交流電化区間に広まってたら、今頃485系は1000番台で埋め尽くされていただろうに。
1000番台車はつばさ電車化の為に開発された様なものだから元々の両数は少ない。53−10改正でやまばと・秋田いなほと共通運用する為に増備した他は1000番台の必要が無い青森だけで(一般車と混結すると1000番台特有の機能が活かせない)、これが485系の最終増備です。高コストというよりは必要両数が揃ったからです
「つばさ」電車化当初、長崎本線・佐世保線電化が1年遅れになるものの、「かもめ」「みどり」用に確保した485系が遊んでしまうので、当時財政悪化の国鉄、専用の1000番代投入を1年遅らせて、九州向け車両を暫定で使用したと聞いている。またこの時の485系の転配が複雑極まりないというのも聞いている。
@@坂田庄司-g6n つばさ電車化による奥羽本線のダイヤ改正は昭和51年春を予定していたが、電化工事は9月中に完成する事や冬になる前に電車化を望む地元の要望により昭和50年11月25日に前倒しする事になりました。しかし1000番台落成は当初の予定通りなので急遽長崎佐世保電化用の485系が集められました。遊休車両の活用が出来て地元の要望にも応えられる、無駄がない事から行われました。そして3月頃に1000番台が落成して5月頃に置き換え、200番台は順次九州にに転属して7月に長崎佐世保電化開業を迎えました。蛇足ながら、山形新幹線新庄開業も似たような事情により12月5日という中途半端な時期になったと聞きました
具体的にどこが間違ってたんですか?