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こんなに貴重な走行音をよく録音されてましたね。感謝です。
東海道線でよく利用しました。初期のは正面が三枚窓でいまいちでしたが、のちに正面二枚窓の湘南顔は全国の私鉄まで影響を与えたエポックでした。乗り心地がどうのこうと出ていますが、そういうのを超越した存在で私もなぜ湘南顔(クハ86023~)の保存がされなかったのは残念です。
40年前の日常の音をありがとう、
モハ80形808号車(モハ80形800番台)で収録した、80系800番台(80系300番台からの低屋根化改造車)の走行音ですね、素晴らしいですね、お見事ですよ。
過去に行けるタイムマシンが開発されれば80系電車に乗りに行きたいです。
超久々に80の吊り掛け音を聞きました。イイっすネ、80。昔、山陽本線では、姫路から西側はこの電車ばかりで、一番初期型である前面が3枚窓の電車もいました😆👍 旧型の足回りなのに、なかなかの駿足やったのを覚えてます。
はい?俊足?475系急行型電車と多分直線で勝負したら余裕で475系電車が勝ちますよ。私は成人したころ80系電車と登場仕立ての471・475系電車と乗り比べをしました。まぁはっきり言ってホイールベースが長いだけで、空気バネ台車の475系カルダン駆動式急行型電車の足元にも及びませんでした。皆さん総出で80系電車を持ち上げて吊り掛け駆動でもこんないいものがあるんだとか言っておられますが、ハッキリ言えば吊り掛け駆動の応答性の悪さ、高速運転の出来なさには私みたいな新性能電車好きにはたまらず、80系電車に乗って嘔吐を吐きそうになったのを今でも忘れませんよ。471系や475系電車の長距離移動してても体調を崩さないカルダン駆動の電車こそ真の名車であり、日本の鉄道を救った電車でもあるのにも関わらず、新性能電車の保存例は極めて少なくそういう吊り掛け駆動の悪しき文化だけを博物館展示して”この電車は凄い”だとか”この電車こそ今の電車の土台を釣り上げて凄い”だとか言って旧性能車を置き換えた新性能電車は皆からの注目なんてほとんどない、ただの使い捨てマッチで終わるのが新性能電車をこよなく愛す私からしてみれば怒りがこみあげてくるものなんですよ。日本の鉄道を崩壊に導こうとした鉄道車両はそういった吊り掛け駆動や蒸気機関車達だということを忘れないで欲しいです。新性能電車があるので今の電車が乗り心地がよく、また車両の応答性が上がったわけなので少なからず新性能電車も皆もっと注目して欲しいです.......。
@@drivecardan18 誰も新性能電車の事を悪く言ったりなんかしてませんが🤨 昭和20年代にカルダン駆動が登場した時は、それはそれで素晴らしい画期的でしたよ。
鉄オタって、自分の好みに適当に理由をつけて延々と語るなぁ。他人がどう感じようと自由だろう
@hiro Challenger あほなの?✕聖人君主→○聖人君子
@@drivecardan18 あほ?103系より(低速域では)加速は劣るが、脚は間違いなくずーっと速いよ!ちなみに、高速度試験で80系は4M1Tで特にチューンなしで125km/hを1955年頃記録している。101系がモハ90だった1957年の高速度試験では、オールMで1両はギヤ比を5.6から3.95にアップした空気バネ台車にはきかえて行なって135km/hだった。103系はモーターがトルクと消費電力抑制を重視したMT55のため、100km/h近くなると限界が近いことを露呈して、よく常磐快速なんかに使っていたものだと感心した。その代わり、MT比イーブンぐらいだと、当時の水準で加速は優れ、消費電力も抑制できた。用途によって、力の入れ所が違う。ちなみにその103系開発にあたって、吊り掛け式も検討されていたことは有名。回転数低いモーターでも、トルクを稼ぎたかったからだが、カルダン式のMT55が開発され、それに落ち着いた。ただし、やはりあまりに足が遅く、とりわけ中央・総武緩行では101系に合わせたダイヤに、市川以東で脚が遅くてうまく乗れず、運転士から不評だったという。
昔の吊り掛け音は凄い音だなー🚃
雰囲気が伝わる素敵な走行音!一度乗ってみたかったです
平地から山に向かっていく感じですね。甲信越は旧電の最後の楽園でした。身延線飯田線大糸線も面白かった
良い音ですね~♪
湘南型ですね!現役は無いけれど、電車の草分けで、新幹線に繋がる電車ですね!基本構造は43系客車です!153系を誕生させる試金石車両です!
確かに誕生させましたが、やはり吊り掛け駆動なので付随車の乗り心地が悪く乗っていられるようなものではなかったのを覚えています。その悪い車両だということで153系電車はカルダン駆動車になりました。皆さん普段電車に乗ってて乗り心地が悪く無いのはカルダン駆動のお陰だということをお忘れなく。
@@drivecardan18 お前アホ?吊り掛けとカルダンの差を論じるのに、電動車ではなく「付随車の乗り心地が悪く…」なんておかしいこと言ってるの?あちこちで生半可な知識で半端なこと書いてるが、ただ叩いて欲求不満を発散したいだけのオナニー野郎は迷惑だよ。
翌昭和55年1月から115系1000番台へ
高速域になると音の上がり方が速い=意外と加速が良いですね。
80系のMT40型モーターは旧型国電の標準。東武の電気機関車や京王井の頭線の1900型や小田急1800形や南海1521系も採用された。
いい音色ですね。
80系は長距離電車だから乗り心地はさほど悪くないと思いますが、73系(元祖モハ63)辺りはいわゆる下駄電でしたから吊り掛けと相まって振動で乗り心地がかなり悪かったです。横浜線や京浜東北線に乗った時の事をよく覚えています。昭和40年代の話です。
@keikyuspirits of simens kyoichi カルダンにした時点で80系ではなく別車両を名乗るだけ!ただし、確かに大した車両ではないことは同意する。足回りはブレーキ系統とギヤ比を除いて72系と変わらない。てか、加速悪すぎ。6~11分あたりで約90キロ(25mレール一本で約1秒)走行があり、その領域でも速度は伸びがあるが、低速域はダメだね?でも、142Kwパワーで登坂能力はあったし、MT比が低くてもトルクを発揮していた。
@BVE_0721 倍の登坂性能って、どうやって割り出したの? 実際にどこ(なに)が倍なの? 単なる感覚的な問題ではなく、ちゃんと根拠を明快に述べて?あと、線路軟弱云々も、まだ新幹線からのセコハンレールによる軌道強化があまり進んでいなかった線路種別では丙線になる飯田線が、80系はじめことごとく旧型国電で占められていた以上、甲線である幹線系にはあまり当てはまらない。最高速度100km/hどまりも、むしろブレーキ性能によるもの。重量かさむELも、国鉄時代末期は吊り掛けばかりだった。
@hiro Challenger 他人にそう指摘する自分こそがむきになって、確かに面倒くさい奴だなwしかもテーマから離れ過ぎだwVVVFインバーター制御の普及で、今後吊り掛け式採用の可能性は低いが、過去にもたびたび吊り掛け式採用は検討されている(有名なのは103系)。採用に至らなかった以上、その先は単なる「たら・れば」の話になるだけ。あと、カルダンドライブにおいては、おもに一部民鉄で継ぎ手破損などのトラブルが現に発生したことがあり、それこそ面倒くさいのだよwまあ、話がずれまくるから、これ以上続けたら立派な荒らしであることを指摘しておく。
@hiro Challenger 線路が軟弱すぎて吊り掛け電車が対応できないなら、もっと重い吊り掛け電機なんかもってのほかという矛盾の指摘だというのが読み取れない、最低底辺の愚か者は黙れ!
72系では横浜線内で速度を出すと車体が上下左右に結構激しく揺れましたが、根岸線区間に入ると今までの揺れが嘘だったかのようにスーッと走っており、軌道規格の格差が感じ取れたものです。
80系も昭和50年代の初め頃まで東京駅まで乗り入れていたような。あと、急行天竜号の運行もあった。
153系よりも長く活躍した80系。山でも使えたのがメリットだった。103系にそっくりな荷物車が近代的に感じた。北府中、東芝府中に試験車としてあります。クモニ84。
野村廣文 クモニ83ねそいつは80系じゃないよどちらかというと72系だね
といっても100番台は80系であってる。でも府中にいるのは83006だから0番台なので72系です
勉強捗るわあ
80系は見た目よりも乗り心地が悪い電車でした。その感じがすごく伝わってくる貴重な録音ですね。
80系200.300台の車はDT20Aだったのでホイルベースが長くどっしりとして乗り心地は良かったですよ。113.115系のDT21に比べたら雲泥の差ですよ。
DT32形インダイレクトマウント式空気バネ台車に比べたら、DT20Aなんて大したことない。これの方が雲泥の差だよ。安心しな。カルダン駆動にはどうあがいても旧性能車では勝つことなんて、出来ないんだから。
@@drivecardan18 乗り心地を求められるほどの余裕がある時代ではなかったのだ。「標準」が違う時代の製品を同列で比較しても無意味なことは明白。相手にならなくて当たり前。
@hiro Challenger 長文ご苦労様でした。私は製品を時代背景とともに考えるべきという常識的な事実を言っただけであって、旧型車が良いか悪いかという主観は言及していません。たくさん話を想像で拡張していただきましたが、論理の破綻があれば教えて下さい。
@keikyuspirits of simens kyoichi 事実だとしても、空気バネで、乗車定員も少なく、優等列車充当(特急・急行)前提で設計された車両と、通勤対応を重視した、製造年次もはるかに古い車両と比較する時点で、まるでアンフェア。もちろん、吊り掛け電車の振動はカルダンより激しいのは当然。
わあ~!このつりかけの音、昭和ですね!いっすね!
東海道線で使用の時は、100Km/hでノッチオフしていました。この篠ノ井線使用の時は、引退直前で歯車同士のグリスがかなり枯れているような音ですね。グリス切れかも。
本来は東海道本線においても、80系の最高運転速度は部内の規定で95km/hでした。もちろん、リミッターによる頭打ちなどなく、現実的には多少の「違反」はあったのでしょうが…。また、この録音で南松本から村井の中間あたり、7分前後に再ノッチ入っていますが、東海道で駅間長い直線などは、再ノッチを頻繁に入れたり、95km/h前後で均衡に近い状態になる低いノッチを長時間入れっぱなしなんてこともあったように思います。でも、東海道本線の80系の音は出てきませんね? (CDは1種類はあるようです)そんな中でわずかでも90km/h超えが堪能できる貴重な音源と言えるかも知れません。
最初は、規定は、95Km/hでしたが、後年は100Km/hに改定され運転していました。これは実際の体験と資料にも載っています。
@@arimahhhhhhhh いえ、それが事実なら昭和53年10月改正当時の「列車設定規準規程」違反です(同規程内に、東海道本線・旧型として明記。当時営業運転用は波動輸送用の80系のみ)。80系は許容速度は70系とともに100km/hですが、実際の運転では95km/h運転で指示が出ているのです(100km/h向上は、新性能化完了以降)。当時の局報などにも、臨時列車の80系の最高運転速度として、95または85km/h(線区・区間による)と明記がいちいちあり、100になっていることは絶対にありませんでした。違反とは言っても、あくまでも規程厳守をする場合の話で、速度計誤差などを勘案した余裕ぶん程度の内容かも知れません。
昭和53年と言えば80系が幹線筋から引退した年です。自分が言っているのは昭和40年代東京発333M富士行を利用していましたが、100Km/hでノッチオフをしていました。
@@naokiiwase1751 もう追及する機関もされる運転士もいないと思うぞ
写真は松本駅ですか。塩尻駅は移転前。収録の列車は中央西線中津川行きのようですね。ということは、塩尻でスイッチバック!?今の上高地線に80系のような車両が。元京王井の頭線。
80系時代は塩尻駅は旧駅。よって篠ノ井線~中央西線はスイッチバック。
歯車の音ですか、懐かしいです。
やっぱりステキ、湘南電車
上諏訪発、長野行き、211M天竜1号、80系4連からなる、最後の旧型急行、よく乗りました。吊り掛け音を満喫したいときはモハ80に、編成にサロ85300改造の、クハ85300が連結されている時は、かならずこちらに。東鉄局内発売の[信州ワイド7日間周遊券]で長野夜行441Mから、何時も乗り換えていた。懐かしい!確か、松本運転所の受け持ちだったと思います。
名シンの80系が高崎方面まで運用していましたね。
名シンは長野まで。高崎なんか来てねーよ!
@@hi-resolutionsound1938 さんあんたが知らんだけだよ返信するならもっとちゃんとした文章にしないとばかにされますよ。
神領の80系は高崎局管内までは運用していません。最長は、中央東線を塩尻経由で、甲府までです。信越線は、当時長野運転所の80系が碓井線(碓井峠)を下り、高崎まで顔を出していました。後年、松本運転所に移管された時には高崎運用は終了していたと思います。
@@利-y8w この年の前年1月までに長野の80系は115系1000番台集中投入によって全て置き換えられた筈ですしね。新潟でも78年までには115系1000番台に置き換えられ、普通列車は165系の間合い運用除けば115系1000番台の天下だったと聞いております。長野もおそらくそうだったと思います。この時長野県内で残ってた旧国って大糸線除くと飯田線ぐらいで、他路線は全て115系1000番台だったかと。
1979年の時点で松本にあったのか…
吊りかけ駆動だ
身延山行きが最後の東海道線でした!時間を合わせて、品川から川崎まで乗車しました。103系と競走する様が忘れられません!旧国はローリングとピッチが激しく、躍動感が有る走りです。まだ、常磐線も旧国で、60系73系の混合編成が唸る走行をしていました!編成美の80系で、153系のクモユニは連結しない運転で、各駅停車の103系とは別物の走りでしたよ!70系も観たかったが、111系に代わっていました。飯田線が有名な旧国運転線で、映像が残っている筈ですよ!80系の替わり色は新潟と関西圏に有りました。
60年前の電車ってこんなかんじだったのか。
80系批判してる奴 こういった車両があったからこそ新性能が生まれたことを忘れるな 旧車に乗って暑いだの乗り心地が悪いだの言ってるのと同じ 80系はこの時代の役割を全うした
70系もですね。あれがいたから113系1000'番台やE217系、E235系1000番台が生まれました。
悲しい現実言うと、長野ローカルで活躍していた80系は115系投入までの繋ぎとしてしかなかった。72年3月改正で投入されたけど、置き換えは78年1月でしょ?6年しか活躍できなかったのは、まず気候が80系向きじゃない、寒冷地対策施したとは言え寒さに弱いので運休を誘発するようになったというのもあって、乗務員から乗客双方から旧国の普通列車は嫌われていた。トドメを刺されたのは52豪雪。70・80系双方のダブル運休が来て、新鋭115系の普通列車一本以外の普通列車が全滅したことにより、旧国置き換えの要望が加速。特に長野局は大糸線の旧国をセットで置き換えてくれという要望まで出す始末だから、相当嫌っていたと思う。
直線が多い区間ですね。時速何キロまで引っ張っていたのでしょうか。
目を閉じて聞くと、身体が勝手に横揺れするんだが。
おなじこと思ったw貫通ホロの下の踏み板が上下左右にペロンペロンする感じ。
普通列車 湘南色、木曽福島行きですね
阪和線の快速で湘南色塗装の、あれは70系だったかな?
写真のレール、ほっそ!30キロレールかも
80系の初期車は京王井の頭線の1800型にそっくり
今の電車全盛期の礎になったクルマやけど保存されたのがたった2両全金車はもう見られへん触れへんっちゅうのが、、、デゴイチなんかあんなぎょうさんいらんやろっていつも思うわ
@keikyuspirits of simens kyoichi 80系がおらんかったら101系につながらんやろもうちょっと車両の歴史ちゃんと考えんかいそれから国鉄の近郊型は421/401系が先でその後が111系っちゅうの知っとるんか?勉強不足なの丸出しやろ
ううん。なんで101系や111系などの初期の新性能電車を書かなかったか、まぁ私が考えるには理由がいくつかありますので一つ一つ言っていきますね。まず、101系電車が本格的な国鉄新性能電車の先駆けになったわけですが、この車両全電動車で当時の変電所をパンクさせかねず、また元々は旧型国電を首都圏から追い出そうとした車両ですがそれが仇となり旧型国電よりも電力消費量が多いためにこれ以上の量産が見込めないということで本格的な国電のエースとはなれず、我々新性能電車ファンは”失敗作”と呼んでおります。101系はご存じかもしれませんが置き換えられなかった分を103系に丸投げしていますので、101系はいいとこどりして逃げた臆病者ということになります。401系・421系・111系も同様の理由でMT46電動機では出力不足なので再度の量産をやめて113系・115系・403系にバトンタッチし、これらの車両が旧来の旧性能車を置き換えました。はっきり言わせていただきます。貴方の方こそちゃんと勉強なされてみてはいかがですか?私は昭和20年代生まれで旧性能車や旧型客車をいやというほど乗りましたが、正直言わせていただくとこの車両達は日本の鉄道をダメにする蛆虫同然の車両だということをお忘れなく。あと80系電車は混雑緩和ができなかったので、電車全盛期の礎とはいいがたいです。真の電車全盛期の礎を築いたのは国鉄103系であってそれ以前の旧型車は礎を築くまでには至りませんでした。
まぁ新性能電車好きの僕が言うけど、80系電車をリアルで乗った世代で私の感想を言わせていただけばホイールベースの長い電動車は確かにちゃんと整備された区間での乗り心地は111系のコイルバネ台車の新性能電車に比べたら乗り心地は80系の方が良かったが、あまりよろしくなくところを走るとそれは逆転して物凄く振動が多くて私は乗車した当時ゲロを吐きそうになるぐらい酷いものだったよ。当時は東海道新幹線とかが普通に走ってた時代だから、僕みたいなアメリカのWN駆動方式の電車を見た後日本の鉄道車両を乗った人間から見れば吊り掛け駆動なんて悪い駆動方式を採用している時点で電車全盛期の基礎を築いた電車なんて微塵も思えないけどね。だって80系電車は電車全盛期築いた言うけど全国に配置されて客車列車を全て置き換えられたんですか?置き換えられたという話は新性能の近郊型電車が配置されてようやく消えたと思うんだけど。それに80系電車の少し後にキハ10系気動車が登場したけどそれは直角カルダン駆動だったんだよ?ほぼ同時期の車両なのに電車側の方の80系電車は吊り掛け駆動だったし。悪いけど二両保存されるだけでも有り難いと思った方がいいと思うけどね。対して凄いこと何もしてないから。東海道本線と一部幹線の電車化を実現しただけでほとんどの客車列車を置き換え電車化させたのは115系や113系電車なんだし。あと君が大好きな80系電車の事について、475系急行型電車と乗り比べしてみたけどやはり475系急行型電車の方が遥かに乗り心地が良かった。こちらも急行型電車だから都市部の詰め込み聞かないけどDT32形インダイレクトマウント空気ばね台車とDT20Aゲルリッツ式近似軸ばね台車ではやはりというか当然の結果だがインダイレクトマウント方式の空気バネ台車の方が乗り心地が良いことが分かったし、そもそも吊り掛け駆動ファンは乗り心地乗り心地というけどカルダン駆動を認められない自分の狭い視野でしか見れない小さい人達だと思うし、もしそんなに保存して欲しいというならタイムマシンでも出来た時過去に戻って国鉄に陳情してみれば?まぁ結果は”新性能電車の開発の方が忙しいから、そんな電車にかまけてる余裕はない”の一択でしょうけどね。
@@drivecardan18 国鉄車なんかみんな乗り心地悪いよ 113系も115系もゴミ211系はまぁいいとして やっぱりE231系E233系E235系だわ
こういう顔は過去に阪和線もありましたね。by酒向正也
70系スカ色(横須賀線色)だと思いますね。
停車中はカルダン駆動の抵抗制御車よりも、つり掛け駆動方式の車両の方が静かだね。
101系は静かだったが103系や113系、115系等のパワーアップされたカルダン車は物凄かったです。
@@快速急行梅田行放課後パワーアップされた分、M車の冷却ブロア音、そして容量上げたM‘車のCPMG音、更には冷房用MGとコンデンサー、屋根上の排気音などなど… ソレに比べて現在の車両は驚くほど静かになったもんですよね😅
@@ウルトラヘブン-r7y VVVFとSIVになってその分静かになりましたね。国鉄末期は騒音問題も深刻でしたし、今では交流電動機にすることによってブラシのメンテナンスをする必要性も無くなりましたし。
@@快速急行梅田行放課後 そうですか😃 実は今日会社の忘年会で久しぶりに地元の南武線乗りまして、昔の釣り掛け式旧型国電の72系→新性能型101系→103系→JR。国鉄時代にあり得なかった初めての新車導入された専用カラーの205系には感激したもんで、現在の滑るように走るE233系8000番台はクルマとバイクしか乗らない今の自分にとって隔世の思いです❗🥹
名鉄の戦前機器みたいな吊り掛け音だな
何行きですか?
中央本線、長坂行き?
中央西線中津川行き
@@林口英樹-e7u ありがとうございます!
1979年じゃほぼ瀕死の状態じゃん。1977年から随時115系300番台、1000番台による置き換えが進行している時でこの当時ですら余命何年って言われてたから相当のボロだった。115系投入が遅れてたこともあって生きてたけど115系の製造が進行してたら間違えなく1960年代に廃車になってたと思うよこいつ。
お前筋金入りのあほやな?1960年代に、篠ノ井線に80系なんか走っていません。だから、115系に置き換えるもなにも、1973年の中央西線全線電化で長野と神領の80系が篠ノ井線に入るようになったのに、そんな史実をまるで飛び越えて、ブッとんだおうましかさん。あんたの脳ミソ、「軽いじゃん」、だからカルダンですかね?あちこちに能書きウザイ!
まず80系は長野向けの車両ではないので、投入当初でわかる通り使い捨てする為に投入したのは、ご承知できるかと思います。
こんなに貴重な走行音をよく録音されてましたね。感謝です。
東海道線でよく利用しました。初期のは正面が三枚窓でいまいちでしたが、のちに正面二枚窓の湘南顔は全国の私鉄まで影響を与えたエポックでした。乗り心地がどうのこうと出ていますが、そういうのを超越した存在で私もなぜ湘南顔(クハ86023~)の保存がされなかったのは残念です。
40年前の日常の音をありがとう、
モハ80形808号車(モハ80形800番台)で収録した、80系800番台(80系300番台からの低屋根化改造車)の走行音ですね、素晴らしいですね、お見事ですよ。
過去に行けるタイムマシンが開発されれば80系電車に乗りに行きたいです。
超久々に80の吊り掛け音を聞きました。イイっすネ、80。昔、山陽本線では、姫路から西側はこの電車ばかりで、一番初期型である前面が3枚窓の電車もいました😆👍 旧型の足回りなのに、なかなかの駿足やったのを覚えてます。
はい?俊足?475系急行型電車と多分直線で勝負したら余裕で475系電車が勝ちますよ。私は成人したころ80系電車と登場仕立ての471・475系電車と乗り比べをしました。まぁはっきり言ってホイールベースが長いだけで、空気バネ台車の475系カルダン駆動式急行型電車の足元にも及びませんでした。皆さん総出で80系電車を持ち上げて吊り掛け駆動でもこんないいものがあるんだとか言っておられますが、ハッキリ言えば吊り掛け駆動の応答性の悪さ、高速運転の出来なさには私みたいな新性能電車好きにはたまらず、80系電車に乗って嘔吐を吐きそうになったのを今でも忘れませんよ。471系や475系電車の長距離移動してても体調を崩さないカルダン駆動の電車こそ真の名車であり、日本の鉄道を救った電車でもあるのにも関わらず、新性能電車の保存例は極めて少なくそういう吊り掛け駆動の悪しき文化だけを博物館展示して”この電車は凄い”だとか”この電車こそ今の電車の土台を釣り上げて凄い”だとか言って旧性能車を置き換えた新性能電車は皆からの注目なんてほとんどない、ただの使い捨てマッチで終わるのが新性能電車をこよなく愛す私からしてみれば怒りがこみあげてくるものなんですよ。日本の鉄道を崩壊に導こうとした鉄道車両はそういった吊り掛け駆動や蒸気機関車達だということを忘れないで欲しいです。新性能電車があるので今の電車が乗り心地がよく、また車両の応答性が上がったわけなので少なからず新性能電車も皆もっと注目して欲しいです.......。
@@drivecardan18 誰も新性能電車の事を悪く言ったりなんかしてませんが🤨 昭和20年代にカルダン駆動が登場した時は、それはそれで素晴らしい画期的でしたよ。
鉄オタって、自分の好みに適当に理由をつけて延々と語るなぁ。
他人がどう感じようと自由だろう
@hiro Challenger
あほなの?
✕聖人君主→○聖人君子
@@drivecardan18
あほ?
103系より(低速域では)加速は劣るが、脚は間違いなくずーっと速いよ!
ちなみに、高速度試験で80系は4M1Tで特にチューンなしで125km/hを1955年頃記録している。
101系がモハ90だった1957年の高速度試験では、オールMで1両はギヤ比を5.6から3.95にアップした空気バネ台車にはきかえて行なって135km/hだった。
103系はモーターがトルクと消費電力抑制を重視したMT55のため、100km/h近くなると限界が近いことを露呈して、よく常磐快速なんかに使っていたものだと感心した。その代わり、MT比イーブンぐらいだと、当時の水準で加速は優れ、消費電力も抑制できた。
用途によって、力の入れ所が違う。
ちなみにその103系開発にあたって、吊り掛け式も検討されていたことは有名。回転数低いモーターでも、トルクを稼ぎたかったからだが、カルダン式のMT55が開発され、それに落ち着いた。
ただし、やはりあまりに足が遅く、とりわけ中央・総武緩行では101系に合わせたダイヤに、市川以東で脚が遅くてうまく乗れず、運転士から不評だったという。
昔の吊り掛け音は凄い音だなー🚃
雰囲気が伝わる素敵な走行音!一度乗ってみたかったです
平地から山に向かっていく感じですね。
甲信越は旧電の最後の楽園でした。身延線飯田線大糸線も面白かった
良い音ですね~♪
湘南型ですね!現役は無いけれど、電車の草分けで、新幹線に繋がる電車ですね!基本構造は43系客車です!153系を誕生させる試金石車両です!
確かに誕生させましたが、やはり吊り掛け駆動なので付随車の乗り心地が悪く乗っていられるようなものではなかったのを覚えています。その悪い車両だということで153系電車はカルダン駆動車になりました。皆さん普段電車に乗ってて乗り心地が悪く無いのはカルダン駆動のお陰だということをお忘れなく。
@@drivecardan18
お前アホ?
吊り掛けとカルダンの差を論じるのに、電動車ではなく「付随車の乗り心地が悪く…」なんておかしいこと言ってるの?
あちこちで生半可な知識で半端なこと書いてるが、ただ叩いて欲求不満を発散したいだけのオナニー野郎は迷惑だよ。
翌昭和55年1月から115系1000番台へ
高速域になると音の上がり方が速い=意外と加速が良いですね。
80系のMT40型モーターは旧型国電の標準。東武の電気機関車や京王井の頭線の1900型や小田急1800形や南海1521系も採用された。
いい音色ですね。
80系は長距離電車だから乗り心地はさほど悪くないと思いますが、73系
(元祖モハ63)辺りはいわゆる下駄電でしたから吊り掛けと相まって振動で乗り心地がかなり悪かったです。
横浜線や京浜東北線に乗った時の事をよく覚えています。
昭和40年代の話です。
@keikyuspirits of simens kyoichi
カルダンにした時点で80系ではなく別車両を名乗るだけ!
ただし、確かに大した車両ではないことは同意する。
足回りはブレーキ系統とギヤ比を除いて72系と変わらない。
てか、加速悪すぎ。6~11分あたりで約90キロ(25mレール一本で約1秒)走行があり、その領域でも速度は伸びがあるが、低速域はダメだね?
でも、142Kwパワーで登坂能力はあったし、MT比が低くてもトルクを発揮していた。
@BVE_0721
倍の登坂性能って、どうやって割り出したの? 実際にどこ(なに)が倍なの? 単なる感覚的な問題ではなく、ちゃんと根拠を明快に述べて?
あと、線路軟弱云々も、まだ新幹線からのセコハンレールによる軌道強化があまり進んでいなかった線路種別では丙線になる飯田線が、80系はじめことごとく旧型国電で占められていた以上、甲線である幹線系にはあまり当てはまらない。
最高速度100km/hどまりも、むしろブレーキ性能によるもの。
重量かさむELも、国鉄時代末期は吊り掛けばかりだった。
@hiro Challenger
他人にそう指摘する自分こそがむきになって、確かに面倒くさい奴だなw
しかもテーマから離れ過ぎだw
VVVFインバーター制御の普及で、今後吊り掛け式採用の可能性は低いが、過去にもたびたび吊り掛け式採用は検討されている(有名なのは103系)。
採用に至らなかった以上、その先は単なる「たら・れば」の話になるだけ。
あと、カルダンドライブにおいては、おもに一部民鉄で継ぎ手破損などのトラブルが現に発生したことがあり、それこそ面倒くさいのだよw
まあ、話がずれまくるから、これ以上続けたら立派な荒らしであることを指摘しておく。
@hiro Challenger
線路が軟弱すぎて吊り掛け電車が対応できないなら、もっと重い吊り掛け電機なんかもってのほかという矛盾の指摘だというのが読み取れない、最低底辺の愚か者は黙れ!
72系では横浜線内で速度を出すと車体が上下左右に結構激しく揺れましたが、根岸線区間に入ると今までの揺れが嘘だったかのようにスーッと走っており、軌道規格の格差が感じ取れたものです。
80系も昭和50年代の初め頃まで東京駅まで乗り入れていたような。あと、急行天竜号の運行もあった。
153系よりも長く活躍した80系。山でも使えたのがメリットだった。103系にそっくりな荷物車が近代的に感じた。北府中、東芝府中に試験車としてあります。クモニ84。
野村廣文 クモニ83ね
そいつは80系じゃないよ
どちらかというと72系だね
といっても100番台は80系であってる。でも府中にいるのは83006だから0番台なので72系です
勉強捗るわあ
80系は見た目よりも乗り心地が悪い電車でした。その感じがすごく伝わってくる貴重な録音ですね。
80系200.300台の車はDT20Aだったのでホイルベースが長くどっしりとして乗り心地は良かったですよ。113.115系のDT21に比べたら雲泥の差ですよ。
DT32形インダイレクトマウント式空気バネ台車に比べたら、DT20Aなんて大したことない。これの方が雲泥の差だよ。安心しな。カルダン駆動にはどうあがいても旧性能車では勝つことなんて、出来ないんだから。
@@drivecardan18 乗り心地を求められるほどの余裕がある時代ではなかったのだ。「標準」が違う時代の製品を同列で比較しても無意味なことは明白。相手にならなくて当たり前。
@hiro Challenger 長文ご苦労様でした。私は製品を時代背景とともに考えるべきという常識的な事実を言っただけであって、旧型車が良いか悪いかという主観は言及していません。たくさん話を想像で拡張していただきましたが、論理の破綻があれば教えて下さい。
@keikyuspirits of simens kyoichi
事実だとしても、空気バネで、乗車定員も少なく、優等列車充当(特急・急行)前提で設計された車両と、通勤対応を重視した、製造年次もはるかに古い車両と比較する時点で、まるでアンフェア。
もちろん、吊り掛け電車の振動はカルダンより激しいのは当然。
わあ~!このつりかけの音、昭和ですね!いっすね!
東海道線で使用の時は、100Km/hでノッチオフしていました。この篠ノ井線使用の時は、引退直前で歯車同士のグリスがかなり枯れているような音ですね。グリス切れかも。
本来は東海道本線においても、80系の最高運転速度は部内の規定で95km/hでした。もちろん、リミッターによる頭打ちなどなく、現実的には多少の「違反」はあったのでしょうが…。
また、この録音で南松本から村井の中間あたり、7分前後に再ノッチ入っていますが、東海道で駅間長い直線などは、再ノッチを頻繁に入れたり、95km/h前後で均衡に近い状態になる低いノッチを長時間入れっぱなしなんてこともあったように思います。でも、東海道本線の80系の音は出てきませんね? (CDは1種類はあるようです)
そんな中でわずかでも90km/h超えが堪能できる貴重な音源と言えるかも知れません。
最初は、規定は、95Km/hでしたが、後年は100Km/hに改定され運転していました。これは実際の体験と資料にも載っています。
@@arimahhhhhhhh
いえ、それが事実なら昭和53年10月改正当時の「列車設定規準規程」違反です(同規程内に、東海道本線・旧型として明記。当時営業運転用は波動輸送用の80系のみ)。80系は許容速度は70系とともに100km/hですが、実際の運転では95km/h運転で指示が出ているのです(100km/h向上は、新性能化完了以降)。
当時の局報などにも、臨時列車の80系の最高運転速度として、95または85km/h(線区・区間による)と明記がいちいちあり、100になっていることは絶対にありませんでした。
違反とは言っても、あくまでも規程厳守をする場合の話で、速度計誤差などを勘案した余裕ぶん程度の内容かも知れません。
昭和53年と言えば80系が幹線筋から引退した年です。自分が言っているのは昭和40年代東京発333M富士行を利用していましたが、100Km/hでノッチオフをしていました。
@@naokiiwase1751 もう追及する機関もされる運転士もいないと思うぞ
写真は松本駅ですか。
塩尻駅は移転前。収録の列車は中央西線中津川行きのようですね。ということは、塩尻でスイッチバック!?今の上高地線に80系のような車両が。元京王井の頭線。
80系時代は塩尻駅は旧駅。よって篠ノ井線~中央西線はスイッチバック。
歯車の音ですか、懐かしいです。
やっぱりステキ、湘南電車
上諏訪発、長野行き、211M天竜1号、80系4連からなる、最後の旧型急行、よく乗りました。吊り掛け音を満喫したいときはモハ80に、編成にサロ85300改造の、クハ85300が連結されている時は、かならずこちらに。東鉄局内発売の[信州ワイド7日間周遊券]で長野夜行441Mから、何時も乗り換えていた。
懐かしい!確か、松本運転所の受け持ちだったと思います。
名シンの80系が高崎方面まで運用していましたね。
名シンは長野まで。高崎なんか来てねーよ!
@@hi-resolutionsound1938 さん
あんたが知らんだけだよ
返信するならもっとちゃんとした文章にしないとばかにされますよ。
神領の80系は高崎局管内までは運用していません。
最長は、中央東線を塩尻経由で、甲府までです。
信越線は、当時長野運転所の80系が碓井線(碓井峠)を下り、高崎まで顔を出していました。後年、松本運転所に移管された時には高崎運用は終了していたと思います。
@@利-y8w この年の前年1月までに長野の80系は115系1000番台集中投入によって全て置き換えられた筈ですしね。新潟でも78年までには115系1000番台に置き換えられ、普通列車は165系の間合い運用除けば115系1000番台の天下だったと聞いております。長野もおそらくそうだったと思います。この時長野県内で残ってた旧国って大糸線除くと飯田線ぐらいで、他路線は全て115系1000番台だったかと。
1979年の時点で松本にあったのか…
吊りかけ駆動だ
身延山行きが最後の東海道線でした!時間を合わせて、品川から川崎まで乗車しました。103系と競走する様が忘れられません!旧国はローリングとピッチが激しく、躍動感が有る走りです。まだ、常磐線も旧国で、60系73系の混合編成が唸る走行をしていました!編成美の80系で、153系のクモユニは連結しない運転で、各駅停車の103系とは別物の走りでしたよ!70系も観たかったが、111系に代わっていました。飯田線が有名な旧国運転線で、映像が残っている筈ですよ!80系の替わり色は新潟と関西圏に有りました。
60年前の電車ってこんなかんじだったのか。
80系批判してる奴 こういった車両があったからこそ新性能が生まれたことを忘れるな 旧車に乗って暑いだの乗り心地が悪いだの言ってるのと同じ 80系はこの時代の役割を全うした
70系もですね。あれがいたから113系1000'番台やE217系、E235系1000番台が生まれました。
悲しい現実言うと、長野ローカルで活躍していた80系は115系投入までの繋ぎとしてしかなかった。72年3月改正で投入されたけど、置き換えは78年1月でしょ?6年しか活躍できなかったのは、まず気候が80系向きじゃない、寒冷地対策施したとは言え寒さに弱いので運休を誘発するようになったというのもあって、乗務員から乗客双方から旧国の普通列車は嫌われていた。トドメを刺されたのは52豪雪。70・80系双方のダブル運休が来て、新鋭115系の普通列車一本以外の普通列車が全滅したことにより、旧国置き換えの要望が加速。特に長野局は大糸線の旧国をセットで置き換えてくれという要望まで出す始末だから、相当嫌っていたと思う。
直線が多い区間ですね。時速何キロまで引っ張っていたのでしょうか。
目を閉じて聞くと、身体が勝手に横揺れするんだが。
おなじこと思ったw
貫通ホロの下の踏み板が上下左右にペロンペロンする感じ。
普通列車 湘南色、木曽福島行きですね
阪和線の快速で湘南色塗装の、あれは70系だったかな?
写真のレール、ほっそ!
30キロレールかも
80系の初期車は京王井の頭線の1800型にそっくり
今の電車全盛期の礎になったクルマやけど
保存されたのがたった2両
全金車はもう見られへん触れへんっちゅうのが、、、
デゴイチなんかあんなぎょうさんいらんやろっていつも思うわ
@keikyuspirits of simens kyoichi
80系がおらんかったら
101系につながらんやろ
もうちょっと車両の歴史
ちゃんと考えんかい
それから国鉄の近郊型は
421/401系が先で
その後が111系っちゅうの知っとるんか?
勉強不足なの丸出しやろ
ううん。なんで101系や111系などの初期の新性能電車を書かなかったか、まぁ私が考えるには理由がいくつかありますので一つ一つ言っていきますね。まず、101系電車が本格的な国鉄新性能電車の先駆けになったわけですが、この車両全電動車で当時の変電所をパンクさせかねず、また元々は旧型国電を首都圏から追い出そうとした車両ですがそれが仇となり旧型国電よりも電力消費量が多いためにこれ以上の量産が見込めないということで本格的な国電のエースとはなれず、我々新性能電車ファンは”失敗作”と呼んでおります。101系はご存じかもしれませんが置き換えられなかった分を103系に丸投げしていますので、101系はいいとこどりして逃げた臆病者ということになります。401系・421系・111系も同様の理由でMT46電動機では出力不足なので再度の量産をやめて113系・115系・403系にバトンタッチし、これらの車両が旧来の旧性能車を置き換えました。はっきり言わせていただきます。貴方の方こそちゃんと勉強なされてみてはいかがですか?私は昭和20年代生まれで旧性能車や旧型客車をいやというほど乗りましたが、正直言わせていただくとこの車両達は日本の鉄道をダメにする蛆虫同然の車両だということをお忘れなく。あと80系電車は混雑緩和ができなかったので、電車全盛期の礎とはいいがたいです。真の電車全盛期の礎を築いたのは国鉄103系であってそれ以前の旧型車は礎を築くまでには至りませんでした。
まぁ新性能電車好きの僕が言うけど、80系電車をリアルで乗った世代で私の感想を言わせていただけばホイールベースの長い電動車は確かにちゃんと整備された区間での乗り心地は111系のコイルバネ台車の新性能電車に比べたら乗り心地は80系の方が良かったが、あまりよろしくなくところを走るとそれは逆転して物凄く振動が多くて私は乗車した当時ゲロを吐きそうになるぐらい酷いものだったよ。当時は東海道新幹線とかが普通に走ってた時代だから、僕みたいなアメリカのWN駆動方式の電車を見た後日本の鉄道車両を乗った人間から見れば吊り掛け駆動なんて悪い駆動方式を採用している時点で電車全盛期の基礎を築いた電車なんて微塵も思えないけどね。だって80系電車は電車全盛期築いた言うけど全国に配置されて客車列車を全て置き換えられたんですか?置き換えられたという話は新性能の近郊型電車が配置されてようやく消えたと思うんだけど。それに80系電車の少し後にキハ10系気動車が登場したけどそれは直角カルダン駆動だったんだよ?ほぼ同時期の車両なのに電車側の方の80系電車は吊り掛け駆動だったし。悪いけど二両保存されるだけでも有り難いと思った方がいいと思うけどね。対して凄いこと何もしてないから。東海道本線と一部幹線の電車化を実現しただけでほとんどの客車列車を置き換え電車化させたのは115系や113系電車なんだし。あと君が大好きな80系電車の事について、475系急行型電車と乗り比べしてみたけどやはり475系急行型電車の方が遥かに乗り心地が良かった。こちらも急行型電車だから都市部の詰め込み聞かないけどDT32形インダイレクトマウント空気ばね台車とDT20Aゲルリッツ式近似軸ばね台車ではやはりというか当然の結果だがインダイレクトマウント方式の空気バネ台車の方が乗り心地が良いことが分かったし、そもそも吊り掛け駆動ファンは乗り心地乗り心地というけどカルダン駆動を認められない自分の狭い視野でしか見れない小さい人達だと思うし、もしそんなに保存して欲しいというならタイムマシンでも出来た時過去に戻って国鉄に陳情してみれば?まぁ結果は”新性能電車の開発の方が忙しいから、そんな電車にかまけてる余裕はない”の一択でしょうけどね。
@@drivecardan18 国鉄車なんかみんな乗り心地悪いよ 113系も115系もゴミ211系はまぁいいとして やっぱりE231系E233系E235系だわ
東海道線でよく利用しました。初期のは正面が三枚窓でいまいちでしたが、のちに正面二枚窓の湘南顔は全国の私鉄まで影響を与えたエポックでした。乗り心地がどうのこうと出ていますが、そういうのを超越した存在で私もなぜ湘南顔(クハ86023~)の保存がされなかったのは残念です。
こういう顔は過去に阪和線もありましたね。by酒向正也
70系スカ色(横須賀線色)だと思いますね。
停車中はカルダン駆動の抵抗制御車よりも、つり掛け駆動方式の車両の方が静かだね。
101系は静かだったが103系や113系、115系等のパワーアップされたカルダン車は物凄かったです。
@@快速急行梅田行放課後パワーアップされた分、M車の冷却ブロア音、そして容量上げたM‘車のCPMG音、更には冷房用MGとコンデンサー、屋根上の排気音などなど… ソレに比べて現在の車両は驚くほど静かになったもんですよね😅
@@ウルトラヘブン-r7y
VVVFとSIVになってその分静かになりましたね。
国鉄末期は騒音問題も深刻でしたし、今では交流電動機にすることによってブラシのメンテナンスをする必要性も無くなりましたし。
@@快速急行梅田行放課後 そうですか😃 実は今日会社の忘年会で久しぶりに地元の南武線乗りまして、昔の釣り掛け式旧型国電の72系→新性能型101系→103系→JR。国鉄時代にあり得なかった初めての新車導入された専用カラーの205系には感激したもんで、現在の滑るように走るE233系8000番台はクルマとバイクしか乗らない今の自分にとって隔世の思いです❗🥹
名鉄の戦前機器みたいな吊り掛け音だな
何行きですか?
中央本線、長坂行き?
中央西線中津川行き
@@林口英樹-e7u ありがとうございます!
1979年じゃほぼ瀕死の状態じゃん。1977年から随時115系300番台、1000番台による置き換えが進行している時でこの当時ですら余命何年って言われてたから相当のボロだった。115系投入が遅れてたこともあって生きてたけど115系の製造が進行してたら間違えなく1960年代に廃車になってたと思うよこいつ。
お前筋金入りのあほやな?
1960年代に、篠ノ井線に80系なんか走っていません。だから、115系に置き換えるもなにも、1973年の中央西線全線電化で長野と神領の80系が篠ノ井線に入るようになったのに、そんな史実をまるで飛び越えて、ブッとんだおうましかさん。あんたの脳ミソ、「軽いじゃん」、だからカルダンですかね?
あちこちに能書きウザイ!
まず80系は長野向けの車両ではないので、投入当初でわかる通り使い捨てする為に投入したのは、ご承知できるかと思います。