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Nは現代の町乗りでも十分に乗れて良いんですよね。乗っていた時にお巡りさんに止められて「懐かしいの乗ってるねぇ(笑)この先一方通行だから気をつけてね」等声をかけられたりしました。ステップバンで走っていたらたまたま隣車線を走っていた消防車の消防士さんにサムズアップされたり(笑)。ミッションレバーの位置に慣れれば普通に走れます。良く回る空冷エンジンが気持ちいいんですよ、バモスは専用エンジンなので維持が辛いかなぁ…。
今は亡き父親が乗ってました。子供心にエンジン音は煩く夏は暑く冬は寒く、雨か降る日はバタバタと雨音がする快適な車では無かった記憶があります。ただ父親が運転する姿が頼もしく思えていました。この動画を見て思い出しました。
貧しかったけど、夢とパッションがあった❗️今思えばイイ時代だった。
ホンダN360ですね。通称Nコロです。この車のお陰で日本のモータリゼーションに影響を与えた。私はホンダN360のデザインが大好きです。ちなみに私が戦中か戦後すぐに生まれてこの車が現役の時に若かったら軽免許を取って運転したい車です。
小学生の頃、初めて家に来た新車がN360でした。 あの新車のニオイ・・ 父の笑顔・・ 忘れられんわ
小学生の頃から車が大好きでした。私が社会人になった1967年に発売されたN360、それまでの軽が当時の共産圏の車に見えるほど外観もメカニズムも完成度の高い車でした。
コレ今でも乗りたいと思う唯一の軽の旧車、ついでに欧州仕様のN600も欲しいです
ミッションが単車と同じ常時噛合式、独特のフィリングでした。
数年前に車検場で見かけたことがあります。検査官がボンネットを開けて見ていたのですが、スペアタイヤがそこにあったのにはびっくりしましたね。
出勤途中でよくこのN360をほぼ毎日見かけます。
昔も今もHONDAのNは軽自動車の代名詞ですね。そして当時としてはこんな高性能軽自動車が軽自動車免許(1968に廃止された)で乗れたのは、驚きです
で、新規格の550軽に乗ると無免許運転になりました。
日本国内の町・村は、軽で充分!好きな人は、ポルシェでもGTRでも、お好きにどうぞ。
テレビでN360が出てその影響でN360ではありませんがN―ONEのG−Lの赤を買いました。
このエンジンを積んだZ360GSに乗ってました。スバル360から乗り換えてそのパワフルな走りに満足しました。ハンドルが重くなり小回りが利きませんでしたが。そしてドグミッションの感触が大好きでした。意味もなくギアチェンジして楽しんでました。高速100キロ巡行はお手の物。最高速はメーターで116位だから実質108ほどかな。フライホイールが重いのでバイクのようにファンファンと吹き上がりませんがその分低速で乗りやすかったです。360度クランクの空冷エンジンはホークⅡのエンジンの音や吹き上がり方に似ています。水冷180度クランクになったGSSに乗ってみたいですね。
20歳のころ、NⅢに乗ってました。当時、乗用車として充分でしたよ。「高速で蛇行する」問題って、高速道路での軽の最高速80km/hを大幅に上回る115だか120だかで下り坂を爆走したときに起きる現象だったと記憶しています。軽は高速でも80k制限なのに、その速度って使い方の問題でしょ。実車は、80はおろか、100でも安定していました。 ↑ このあたり、今の感覚で考えたらダメですよ。当時は普通車でも100k巡航がなんとかと言う時代ですから。わたし、東京大阪間を何度か走りましたし、富士山の5合目にも行きました。空気は沸騰しないから?オーバーヒートもしなかったし(この次に新車で買った日産車は夏の渋滞路では常に水温がかなりあがり、ついでにバッテリーもあがりかけるダメクルマだったけど)というわけで、ホンダの「N」はいいクルマでした。
N360の欠陥車騒動は、今にして思うとFF車特有のアンダーステアとタックイン現象でしょうね。コーナーをアクセルオンのまま、一定以上のスピードで急旋回すると、フロント荷重が重い前輪が、遠心力に負けて外側に膨らみます。ここで大概のドライバーは焦って、アクセルを戻します。すると、それまでフロントに強くかかっていた遠心力がなくなり、反動で車は急激に内側を向きます。この挙動に驚いたドライバーは、あわてて急ブレーキを掛けます。そしてスピンした挙げ句、横転するのだと思います。当時、殆どのドライバーはFF車に乗り慣れていない上に、N360は現在のFF車に比べ、この挙動が顕著だったのだと思います。加えて当時は、軽免許というのがありました。これが16歳で取得できることから、高校1年生でN360に乗っている人もいました。大人しく、ゆっくり走れば良かったのでしょうが、血気盛んな16歳の少年が荒っぽい運転をして、上記に挙げた、アンダーステア→アクセルを戻す→タックイン→急ブレーキ→スピン→横転というパターンの事故が、多発したことは考えられると思います。
この車の600cc版はヨーロッパでも人気だったけど、日本で生産が終了した後東欧のルーマニアに生産と販売の権利と設備一切を譲渡(売却?)する計画があったらしい。寸前にオイルショックで実現する事はなかったそうだけど、もし現実のものになってたらトラバントに代わって東欧の国民車になってたかも。
東欧に移転してたら90年代まであったかもね?ポーランドのFIATでも空冷の126を2000年頃まで作ってましたからね。
Nっころ 懐かしいな友人が乗っていて何時も便乗して遊びまわってたなもう半世紀ぐらい経つのかな 大昔で記憶もさだかでない燃料節約でシートも運転席だけで軽量化あとは座布団敷いて3人拾って麻雀メンバー集めガソリンは全員の金を集めても数百円だったけど、それで数リッターのガス入れみんな貧乏だった懐かしい学生時代当時の仲間達とも疎遠になってるけど生きてるかな
ホンダは2サイクルを排して4サイクルにFFにこだわっていた。販売と同時にスバル360をトップから引きずり降ろしたんですよね。😅
開発者は最初からN3顔にしたかったのに、オヤジさんがグリルとライトを分けたくなかったんですよね。
懐かしい!TSって言ったか、ハイパワータイプに2台乗り継ぎました。
懐かしい、中学生の頃 無免許運転で乗っていた、360㏄のバイクのエンジン 単車に二つタイヤをたした
NⅢ乗ってました。125km/秒出ました🎉
戸塚さん、それは恐ろしい速度ですな。8km/秒で引力圏振り切れますよ。早く編集しなはれ。
Nコロですか~。懐かしいですネ~。ミッションが「常時噛合い式ドッグミッション」で、正しくバイクのエンジン&ミッションをそのまま載せた感じで、うまく回転を合わせればクラッチ無しでシフト出来ましたから、当時の狭い曲がりくねった山道では2000㏄のスポーツタイプと言われていた乗用車を煽りまっくて居ました。勿論こちらはアクセル全開ですけどね。有る時R1をシグナルスタートした時に、何気に左後ろを見たら白バイが並走して居て、目が有ったら笑って来ました。ソレックスのツインキャブにコスミックのアルミホイールを付けて居たので、「こいつも好きな奴だナ~」と言う感じだったのかナ~?と思って居ます。当時の白バイは、今と比べると割とおおらかだった様ですね。
Nコロのコンセプトはホンダが標榜したMM思想を最も具現化した物だったと思う
うちの父親が昔NIII360に乗ってエコーラインを登ったほかの普通車はオーバーヒートで止まってボンネットを開けてる中、N360は50km/hでガンガン登って行った大人になって知った話だけど、オイルパンに仕切りを作ってカーブでオイルが方よならい設計だったとかF1の技術を取り入れたんだとか
CB450ツイン乗っていましk-1❗️中古だけど、良かった‼️ノーヘルの頃の話
日本はやたらモデルチェンジで外装変えるけど、そんなに頻繁に変えなくてもいい気がする。HONDAはその傾向が多い。
N360は親戚のお兄さんが乗ってました。後部座席が驚くほど広かった記憶があります。それから三菱500は軽自動車ではなく普通車(小型車)ですね。近所の人が乗ってました。
変なところにシフトレバーがあって ヒーターを入れると危ないにおいがした2年間乗って Zに乗り換えました
ℤですか・・・「水中メガネ」ですね。懐かしい。
Nコロを取り上げていただいてありがとうございます。現在NⅢを治しているので励みになります。ただ、三菱500は軽自動車ではありませんw
この車に4人乗ってスキーに行ってた人がいた!スキーは屋根に積めるが、荷物は大変だったろな!昔だね。
私が子供の頃、父親がスズキのスティングレイと呼ばれたフロンテに乗っていて家族5人でよく旅行に行ってましたよ。ただ峠道というか坂道が登れず皆んなで押してましたが(^ ^)
我が家のN360はスキー帰りの国道で転がってしまい壊れた
昔だね~❗これも良い思い出だと、思います。
数年前まで知人の零細整備工場で眠ってました。散らかった工場内でシートを被せて大量の荷物の下に埋まってたので、私は存在さえ知らなかったのです。先代がいつかはレストアするつもりで保管したまま亡くなられたので、遺品整理で発掘したのです。配線がネズミに噛られまくってたらしいので、復活は諦めたとの事ですが、マニアに引き取られて行きました。ちなみに屋外には草ヒロ以下の360ライフもありましたが、邪魔なので処分されました。
N360のバリエーションのZがジャンボーグ9になるんですね。
まさにスバル360の大ライバル
一番冷や汗かいたのは百瀬晋六(スバル360やサンバーの開発責任者)
N360のスポーツモデルをN360Sと言っていた記憶があるのですがTですか?
後輩のN360を運転した時、バイクみたいだと思った。
子供の頃近所のおじさんがこれ乗っていた一度小学校まで送ってもらったことある
タコメーターがいつも振り切ってた。
ボアアップして乗ってたな。 結構良く走って楽しかったけど、エキパイからの排ガス漏れが空冷エンジンのヒーターから室内に充満して死にそうになって友だちにあげてしまった。
ドイツでは250ccのボアダウンキットが販売されていたらしい(当時のドイツでは排気量250cc以下の車は届出制で免許が不要だったとか)。
N360のレースって………あのspoonの市嶋氏をも、育てたのですよ…?良い車だったなぁ〜??
フェローマックスについて取り上げてください。
40馬力のど根性!(*´・∀・)
Nコロはリヤは板バネじゃなかったかな。
おっしゃる通りです。これほど短いリヤオーバーハングの車にもかかわらず板バネですので、後ろから見ると、板バネを支えているシャックルが丸見えの車でした。
1970年に、母親が中古で買って乗ってました。確か27万だったと思う。オートマチック車だった。
一時期裁判沙汰になったNっころ!
ローで引っ張るとウギャ〜と悲鳴あげてたなぁ、よく売れたよね。😅
最近のホンダは軽自動車ばかり売ってるイメージがあるけど、原点に回帰したというわけか
今どきの軽自動車は舐めてはいけない。新東名高速(120キロ区間あり)だと油断するとあっという間にリミッターに到達する。(特にターボ車)
先輩たちがCBの集合が付くとか言ってたけどホントのとこどうだったんだろ?それっぽい音で走るNコロは見たことあんだけど、、
これが後のNSXだと考えたらホンダも日本も進んだものだ。
その頃は, 軽自動車運転免許があって, 16歳から乗れた・・
NⅠかNⅡ、欲しい!!
本田宗一郎氏は1989年、VTECが初めて搭載されたインテグラの最終試作車のリヤコンビネーションランプを見て激怒し、蹴飛ばして叩き割ってしまったそうです。何でも日産の、S13型シルビアのそれにそっくりなデザインだったそうで(市販モデルのデザインから、試作車のデザインが、だいたい想像がつく)、それに激怒したそうです。宗一郎氏の激昂ぶりに焦った開発エンジニアは、発売を間近に控えたインテグラのリヤコンビネーションランプのデザインを急遽、改めたそうです(ひと回り小さくしただけ)。それほどまでに他社の真似を嫌った本田宗一郎氏が、どう見てもローバーミニ(当時はモーリスミニ?)の真似としか思えない、このN360のスタイリングを容認したことは意外と言うか不思議でもあります。それでも初期型はフロントグリルにだけは、かろうじて独自性がありましたが、マイナーチェンジして台形のフロントグリルになってからは、ミニのパクり車であることが、より一層あからさまになりました。自動車評論家の故、徳大寺有恒氏も生前、著書にそのことを記していましたが、さすがの徳大寺氏も、宗一郎氏にはなかなかそのことは聞けず、宗一郎氏は鬼籍に入ってしまわれたとのことです。徳大寺氏は、その著書の中で「宗一郎氏はどうも、国産車の真似はNGだけど、外国車の真似ならOKという価値観のようだ」とも、記していました。言われてみると確かに、そのようにも思えます。
Sシリーズのインパネとかはロータスエリートのそれと瓜二つでしたからね。宗一郎さんにとっては外国車、特にイギリス車は「お手本」みたいなモノだったのかも。
戦前生まれの人にありがちな「尊欧侮亜」思想だったんでしょ。日本全体がそうでしたからね。白州次郎などという赤紙握りつぶしの欧州かぶれもいたし。また激高ぶりを表す逸話としてダックスのインマニが気に入らないからと投げつけて流血沙汰になったと聞きました。
タックインが凄かったな~。高速コーナリング中にビビってアクセル離したらコロって前転してた。だからNコロって呼んでましたよ。
『小さく見えないフロントグリル』がいいですね。ほぼ形が決まり金型を発注した後にオヤジさんにクレイモデルを見せたら(「これで行きたいと思います!」)『うん、ちょっとこの辺がな~』ガリガリ削りだし💦(金型発注済w)『おい、どうだ良くなっただろ?』社員『は…はい!』はこれですか😂(金型変更w)初期は会議で企画提案すると役員会議では『で?どこが他と違うんだ?』質問攻め💦
この車で思い出すのが山上たつひこ先生の怪僧のざらし、住職が乗ってたNを「日本車は鉄板薄い」と言いながらボコり怒った住職に撥ねられたw、住職は「鉄板の薄い車に轢かれて痛いだろ!!」😆😆😆
今のホンダの考えならN360Rで、DOHC 2気筒が市販化されたと思います。CB450のDOHCヘッドがポン付け出来るです。
コーナーで簡単に転がるからNコロだわ。転倒避けるのにトレッドを広げるのにホイールを裏返しにつけるのが流行った。走る実験室の名の通り未完成のまま発売したツケ。
三菱500は普通車。三菱ミニカ360だな。
間違えておりました、申し訳ありませんご指摘をいただきましてありがとうございます。
T500の事を忘れている。
変われジャンカーZジャンボーグナイ―ンに~ナインナインジャンボーグナイン♪
N360はCB350のエンジンを積んだが、N360のために開発したATのホンダマチックはCB400Tに移植された!
N360のベースエンジンはDOHCエンジンCB450です。73年職場の同僚がNⅡ360に乗っていて私はCB450でした。
互換性はないがな
CB400ATでしょ?近所のオッちゃんが乗ってたスッゲー遅いの
Nコロだろ?Nッコロなんて、当時、誰も言ってなかったぞ。
中学校の頃に我が家の最初の車がN360だった ただ今なら欠陥車で騒がれるだろうが多くのN360はカーブで転がってしまい我が家のN360も同様に壊れた😭
本田宗一郎はFFが大嫌いだったんですよ。
赤とシルバーのツートンカラーの360Zに乗ってみたいよな(^▽^)/
プアマンズ・ミニと呼ばれたNコロだけど本家ミニはメイファとなって90年代まで生き延び、未だに古さを感じさせないが(メイファに限るけど)Nはもし生産を続けていても古さを感じさせて時代を跨げなかったろうな…う〜ん!この違いは何だろう⁉︎
コメントをいただきましてありがとうございます全く同感です、外車だから国産だからの差だけでは無いと思います。なんなんでしょうね?
@@as-kv5ci 返信と同意ありがとうございます❕本当に謎ですよね…どう違うのでしょう⁉︎
普通に走らせるだけでも頻繁に変速して高回転を維持する必要がある日本独自の360ccという排気量の規制が、設計の足かせになっていたように感じます。しっかりした車をいかに小さく作るかというコンセプトのミニと比べ、コストや排気量の制限があり4輪車作りの経験が浅いホンダのN360は、当時のミニと雰囲気がよく似ていてもまだまだ未完成な商品だったと思います。ミニのドアの開閉音やエンジンフードの造形、室内の開放感ある居住性、軽快なハンドリングなどからも、車作りの歴史の違いを感じますね。
ただ今のN-BOXのバージョンN-oneはN360とうりふたつで、先祖返りをしたそれになんだこんな物にありがたがって乗ってるのかと思う。あくまで外観だけの話。
◆初期N360のデザインはミニと同じく シンプルな面構成でクルマの普遍性が充分感じられるものだと思います。メイフェアはミニが持っている造形の良さを最大限に残しながら正常進化しましたよね~N360の造形上の失敗は N III のマイナーチェンジで フェイスをイジリ壊してしまったこと。その後 水冷式になったホンダライフで初期N360のデザインモチーフが復活そして現在の国産2ボックスの基礎となるシビックに初期N360デザインの系譜は移っていきます。個人的にはオールドミニが時代の熟成を重ねていったように初代シビックの造形のまま育っていく姿が見たかったように思います。そうすればあるいは メイフェアのように歴史に名を残せるクルマに育ったのかもしれません。( ΦωΦ)
よく転がるからN転とも呼ばれたな…
今は忘れ去られた悪しきホンダ商法とユーザーユニオン事件、礼賛も結構だが闇にも目を向けよう。
ラルフネーダーさんか?
ユーザーユニオンのアホのせいで軽自動車にも車検導入
日本車=貧乏ニンの乗り物🎉😂
バイクのCB350のエンジンを積んでたな、、まったく何考えているんだか。
Nは現代の町乗りでも十分に乗れて良いんですよね。乗っていた時にお巡りさんに止められて「懐かしいの乗ってるねぇ(笑)この先一方通行だから気をつけてね」等声をかけられたりしました。ステップバンで走っていたらたまたま隣車線を走っていた消防車の消防士さんにサムズアップされたり(笑)。ミッションレバーの位置に慣れれば普通に走れます。良く回る空冷エンジンが気持ちいいんですよ、バモスは専用エンジンなので維持が辛いかなぁ…。
今は亡き父親が乗ってました。子供心にエンジン音は煩く夏は暑く冬は寒く、雨か降る日はバタバタと雨音がする快適な車では無かった記憶があります。ただ父親が運転する姿が頼もしく思えていました。この動画を見て思い出しました。
貧しかったけど、夢とパッションがあった❗️今思えばイイ時代だった。
ホンダN360ですね。通称Nコロです。この車のお陰で日本のモータリゼーションに影響を与えた。私はホンダN360のデザインが大好きです。ちなみに私が戦中か戦後すぐに生まれてこの車が現役の時に若かったら軽免許を取って運転したい車です。
小学生の頃、初めて家に来た新車がN360でした。 あの新車のニオイ・・ 父の笑顔・・ 忘れられんわ
小学生の頃から車が大好きでした。私が社会人になった1967年に発売されたN360、それまでの軽が当時の共産圏の車に見えるほど外観もメカニズムも完成度の高い車でした。
コレ今でも乗りたいと思う唯一の軽の旧車、ついでに欧州仕様のN600も欲しいです
ミッションが単車と同じ常時噛合式、独特のフィリングでした。
数年前に車検場で見かけたことがあります。検査官がボンネットを開けて見ていたのですが、スペアタイヤがそこにあったのにはびっくりしましたね。
出勤途中でよくこのN360をほぼ毎日見かけます。
昔も今もHONDAのNは軽自動車の代名詞ですね。
そして当時としてはこんな高性能軽自動車が軽自動車免許(1968に廃止された)で乗れたのは、驚きです
で、新規格の550軽に乗ると無免許運転になりました。
日本国内の町・村は、軽で充分!好きな人は、ポルシェでもGTRでも、お好きにどうぞ。
テレビでN360が出てその影響でN360ではありませんがN―ONEのG−Lの赤を買いました。
このエンジンを積んだZ360GSに乗ってました。スバル360から乗り換えてそのパワフルな走りに満足しました。ハンドルが重くなり小回りが利きませんでしたが。そしてドグミッションの感触が大好きでした。意味もなくギアチェンジして楽しんでました。高速100キロ巡行はお手の物。最高速はメーターで116位だから実質108ほどかな。フライホイールが重いのでバイクのようにファンファンと吹き上がりませんがその分低速で乗りやすかったです。360度クランクの空冷エンジンはホークⅡのエンジンの音や吹き上がり方に似ています。水冷180度クランクになったGSSに乗ってみたいですね。
20歳のころ、NⅢに乗ってました。当時、乗用車として充分でしたよ。
「高速で蛇行する」問題って、高速道路での軽の最高速80km/hを大幅に上回る115だか120だかで下り坂を爆走したときに起きる現象だったと記憶しています。軽は高速でも80k制限なのに、その速度って使い方の問題でしょ。実車は、80はおろか、100でも安定していました。
↑ このあたり、今の感覚で考えたらダメですよ。当時は普通車でも100k巡航がなんとかと言う時代ですから。
わたし、東京大阪間を何度か走りましたし、富士山の5合目にも行きました。空気は沸騰しないから?オーバーヒートもしなかったし
(この次に新車で買った日産車は夏の渋滞路では常に水温がかなりあがり、ついでにバッテリーもあがりかけるダメクルマだったけど)
というわけで、ホンダの「N」はいいクルマでした。
N360の欠陥車騒動は、今にして思うとFF車特有のアンダーステアとタックイン現象でしょうね。
コーナーをアクセルオンのまま、一定以上のスピードで急旋回すると、フロント荷重が重い前輪が、遠心力に負けて外側に膨らみます。
ここで大概のドライバーは焦って、アクセルを戻します。
すると、それまでフロントに強くかかっていた遠心力がなくなり、反動で車は急激に内側を向きます。
この挙動に驚いたドライバーは、あわてて急ブレーキを掛けます。
そしてスピンした挙げ句、横転するのだと思います。
当時、殆どのドライバーはFF車に乗り慣れていない上に、N360は現在のFF車に比べ、この挙動が顕著だったのだと思います。
加えて当時は、軽免許というのがありました。
これが16歳で取得できることから、高校1年生でN360に乗っている人もいました。
大人しく、ゆっくり走れば良かったのでしょうが、血気盛んな16歳の少年が荒っぽい運転をして、上記に挙げた、アンダーステア→アクセルを戻す→タックイン→急ブレーキ→スピン→横転というパターンの事故が、多発したことは考えられると思います。
この車の600cc版はヨーロッパでも人気だったけど、日本で生産が終了した後東欧のルーマニアに生産と販売の権利と設備一切を譲渡(売却?)する計画があったらしい。
寸前にオイルショックで実現する事はなかったそうだけど、もし現実のものになってたらトラバントに代わって東欧の国民車になってたかも。
東欧に移転してたら90年代まであったかもね?ポーランドのFIATでも空冷の126を2000年頃まで作ってましたからね。
Nっころ 懐かしいな
友人が乗っていて何時も便乗して遊びまわってたな
もう半世紀ぐらい経つのかな 大昔で記憶もさだかでない
燃料節約でシートも運転席だけで軽量化
あとは座布団敷いて3人拾って麻雀メンバー集め
ガソリンは全員の金を集めても数百円だったけど、それで数リッターのガス入れ
みんな貧乏だった懐かしい学生時代
当時の仲間達とも疎遠になってるけど生きてるかな
ホンダは2サイクルを排して4サイクルにFFにこだわっていた。販売と同時にスバル360をトップから引きずり降ろしたんですよね。😅
開発者は最初からN3顔にしたかったのに、オヤジさんがグリルとライトを分けたくなかったんですよね。
懐かしい!
TSって言ったか、ハイパワータイプに2台乗り継ぎました。
懐かしい、中学生の頃 無免許運転で乗っていた、360㏄のバイクのエンジン 単車に二つタイヤをたした
NⅢ乗ってました。
125km/秒出ました🎉
戸塚さん、それは恐ろしい速度ですな。8km/秒で引力圏振り切れますよ。
早く編集しなはれ。
Nコロですか~。懐かしいですネ~。ミッションが「常時噛合い式ドッグミッション」で、正しくバイクのエンジン&ミッションをそのまま載せた感じで、うまく回転を合わせればクラッチ無しでシフト出来ましたから、当時の狭い曲がりくねった山道では2000㏄のスポーツタイプと言われていた乗用車を煽りまっくて居ました。勿論こちらはアクセル全開ですけどね。有る時R1をシグナルスタートした時に、何気に左後ろを見たら白バイが並走して居て、目が有ったら笑って来ました。ソレックスのツインキャブにコスミックのアルミホイールを付けて居たので、「こいつも好きな奴だナ~」と言う感じだったのかナ~?と思って居ます。当時の白バイは、今と比べると割とおおらかだった様ですね。
Nコロのコンセプトはホンダが標榜したMM思想を最も具現化した物だったと思う
うちの父親が昔NIII360に乗ってエコーラインを登った
ほかの普通車はオーバーヒートで止まってボンネットを開けてる中、N360は50km/hでガンガン登って行った
大人になって知った話だけど、オイルパンに仕切りを作ってカーブでオイルが方よならい設計だったとか
F1の技術を取り入れたんだとか
CB450ツイン乗っていましk-1❗️中古だけど、良かった‼️ノーヘルの頃の話
日本はやたらモデルチェンジで外装変えるけど、そんなに頻繁に変えなくてもいい気がする。HONDAはその傾向が多い。
N360は親戚のお兄さんが乗ってました。
後部座席が驚くほど広かった記憶があります。
それから三菱500は軽自動車ではなく普通車(小型車)ですね。
近所の人が乗ってました。
変なところにシフトレバーがあって ヒーターを入れると危ないにおいがした
2年間乗って Zに乗り換えました
ℤですか・・・「水中メガネ」ですね。懐かしい。
Nコロを取り上げていただいてありがとうございます。
現在NⅢを治しているので励みになります。
ただ、三菱500は軽自動車ではありませんw
この車に4人乗ってスキーに行ってた人がいた!スキーは屋根に積めるが、荷物は大変だったろな!昔だね。
私が子供の頃、父親がスズキのスティングレイと呼ばれたフロンテに乗っていて家族5人でよく旅行に行ってましたよ。
ただ峠道というか坂道が登れず皆んなで押してましたが(^ ^)
我が家のN360はスキー帰りの国道で転がってしまい壊れた
昔だね~❗これも良い思い出だと、思います。
数年前まで知人の零細整備工場で眠ってました。
散らかった工場内でシートを被せて大量の荷物の下に埋まってたので、私は存在さえ知らなかったのです。
先代がいつかはレストアするつもりで保管したまま亡くなられたので、遺品整理で発掘したのです。
配線がネズミに噛られまくってたらしいので、復活は諦めたとの事ですが、マニアに引き取られて行きました。
ちなみに屋外には草ヒロ以下の360ライフもありましたが、邪魔なので処分されました。
N360のバリエーションのZがジャンボーグ9になるんですね。
まさにスバル360の大ライバル
一番冷や汗かいたのは百瀬晋六(スバル360やサンバーの開発責任者)
N360のスポーツモデルをN360Sと言っていた記憶があるのですがTですか?
後輩のN360を運転した時、バイクみたいだと思った。
子供の頃近所のおじさんがこれ乗っていた
一度小学校まで送ってもらったことある
タコメーターがいつも振り切ってた。
ボアアップして乗ってたな。 結構良く走って楽しかったけど、エキパイからの排ガス漏れが空冷エンジンのヒーターから室内に充満して死にそうになって友だちにあげてしまった。
ドイツでは250ccのボアダウンキットが販売されていたらしい(当時のドイツでは排気量250cc以下の車は届出制で免許が不要だったとか)。
N360のレースって………あのspoonの市嶋氏をも、育てたのですよ…?
良い車だったなぁ〜??
フェローマックスについて取り上げてください。
40馬力のど根性!(*´・∀・)
Nコロはリヤは板バネじゃなかったかな。
おっしゃる通りです。
これほど短いリヤオーバーハングの車にもかかわらず板バネですので、後ろから見ると、板バネを支えているシャックルが丸見えの車でした。
1970年に、母親が中古で買って乗ってました。確か27万だったと思う。オートマチック車だった。
一時期裁判沙汰になったNっころ!
ローで引っ張るとウギャ〜と悲鳴あげてたなぁ、よく売れたよね。😅
最近のホンダは軽自動車ばかり売ってるイメージがあるけど、原点に回帰したというわけか
今どきの軽自動車は舐めてはいけない。
新東名高速(120キロ区間あり)だと油断するとあっという間にリミッターに到達する。(特にターボ車)
先輩たちがCBの集合が付くとか言ってたけどホントのとこどうだったんだろ?
それっぽい音で走るNコロは見たことあんだけど、、
これが後のNSXだと考えたらホンダも日本も進んだものだ。
その頃は, 軽自動車運転免許があって, 16歳から乗れた・・
NⅠかNⅡ、欲しい!!
本田宗一郎氏は1989年、VTECが初めて搭載されたインテグラの最終試作車のリヤコンビネーションランプを見て激怒し、蹴飛ばして叩き割ってしまったそうです。
何でも日産の、S13型シルビアのそれにそっくりなデザインだったそうで(市販モデルのデザインから、試作車のデザインが、だいたい想像がつく)、それに激怒したそうです。
宗一郎氏の激昂ぶりに焦った開発エンジニアは、発売を間近に控えたインテグラのリヤコンビネーションランプのデザインを急遽、改めたそうです(ひと回り小さくしただけ)。
それほどまでに他社の真似を嫌った本田宗一郎氏が、どう見てもローバーミニ(当時はモーリスミニ?)の真似としか思えない、このN360のスタイリングを容認したことは意外と言うか不思議でもあります。
それでも初期型はフロントグリルにだけは、かろうじて独自性がありましたが、マイナーチェンジして台形のフロントグリルになってからは、ミニのパクり車であることが、より一層あからさまになりました。
自動車評論家の故、徳大寺有恒氏も生前、著書にそのことを記していましたが、さすがの徳大寺氏も、宗一郎氏にはなかなかそのことは聞けず、宗一郎氏は鬼籍に入ってしまわれたとのことです。
徳大寺氏は、その著書の中で「宗一郎氏はどうも、国産車の真似はNGだけど、外国車の真似ならOKという価値観のようだ」とも、記していました。
言われてみると確かに、そのようにも思えます。
Sシリーズのインパネとかはロータスエリートのそれと瓜二つでしたからね。宗一郎さんにとっては外国車、特にイギリス車は「お手本」みたいなモノだったのかも。
戦前生まれの人にありがちな「尊欧侮亜」思想だったんでしょ。日本全体がそうでしたからね。白州次郎などという赤紙握りつぶしの欧州かぶれもいたし。
また激高ぶりを表す逸話としてダックスのインマニが気に入らないからと投げつけて流血沙汰になったと聞きました。
タックインが凄かったな~。
高速コーナリング中にビビってアクセル離したらコロって前転してた。
だからNコロって呼んでましたよ。
『小さく見えないフロントグリル』がいいですね。ほぼ形が決まり金型を発注した後にオヤジさんにクレイモデルを見せたら(「これで行きたいと思います!」)『うん、ちょっとこの辺がな~』ガリガリ削りだし💦(金型発注済w)『おい、どうだ良くなっただろ?』
社員『は…はい!』はこれですか😂(金型変更w)初期は会議で企画提案すると役員会議では『で?どこが他と違うんだ?』質問攻め💦
この車で思い出すのが山上たつひこ先生の怪僧のざらし、住職が乗ってたNを「日本車は鉄板薄い」と言いながらボコり怒った住職に撥ねられたw、住職は「鉄板の薄い車に轢かれて痛いだろ!!」😆😆😆
今のホンダの考えならN360Rで、DOHC 2気筒が市販化されたと思います。
CB450のDOHCヘッドがポン付け出来るです。
コーナーで簡単に転がるからNコロだわ。転倒避けるのにトレッドを広げるのにホイールを裏返しにつけるのが流行った。走る実験室の名の通り未完成のまま発売したツケ。
三菱500は普通車。
三菱ミニカ360だな。
間違えておりました、申し訳ありません
ご指摘をいただきましてありがとうございます。
T500の事を忘れている。
変われジャンカーZジャンボーグナイ―ンに~
ナインナインジャンボーグナイン♪
N360はCB350のエンジンを積んだが、N360のために開発したATのホンダマチックはCB400Tに移植された!
N360のベースエンジンはDOHCエンジンCB450です。
73年職場の同僚がNⅡ360に乗っていて私はCB450でした。
互換性はないがな
CB400ATでしょ?
近所のオッちゃんが乗ってた
スッゲー遅いの
Nコロだろ?
Nッコロなんて、当時、誰も言ってなかったぞ。
中学校の頃に我が家の最初の車がN360だった ただ今なら欠陥車で騒がれるだろうが多くのN360はカーブで転がってしまい我が家のN360も同様に壊れた😭
本田宗一郎はFFが大嫌いだったんですよ。
赤とシルバーのツートンカラーの360Zに乗ってみたいよな(^▽^)/
プアマンズ・ミニと呼ばれたNコロだけど本家ミニはメイファとなって90年代まで生き延び、未だに古さを感じさせないが(メイファに限るけど)Nはもし生産を続けていても古さを感じさせて時代を跨げなかったろうな…う〜ん!この違いは何だろう⁉︎
コメントをいただきましてありがとうございます
全く同感です、外車だから国産だからの差だけでは無いと思います。なんなんでしょうね?
@@as-kv5ci
返信と同意ありがとうございます❕
本当に謎ですよね…どう違うのでしょう⁉︎
普通に走らせるだけでも頻繁に変速して高回転を維持する必要がある日本独自の360ccという排気量の規制が、設計の足かせになっていたように感じます。
しっかりした車をいかに小さく作るかというコンセプトのミニと比べ、コストや排気量の制限があり4輪車作りの経験が浅いホンダのN360は、
当時のミニと雰囲気がよく似ていてもまだまだ未完成な商品だったと思います。
ミニのドアの開閉音やエンジンフードの造形、室内の開放感ある居住性、軽快なハンドリングなどからも、車作りの歴史の違いを感じますね。
ただ今のN-BOXのバージョンN-oneはN360とうりふたつで、先祖返りをしたそれになんだこんな物にありがたがって乗ってるのかと思う。あくまで外観だけの話。
◆初期N360のデザインはミニと同じく シンプルな面構成でクルマの普遍性が充分感じられるものだと思います。
メイフェアはミニが持っている造形の良さを最大限に残しながら正常進化しましたよね~
N360の造形上の失敗は N III のマイナーチェンジで フェイスをイジリ壊してしまったこと。
その後 水冷式になったホンダライフで初期N360のデザインモチーフが復活
そして現在の国産2ボックスの基礎となるシビックに初期N360デザインの系譜は移っていきます。
個人的にはオールドミニが時代の熟成を重ねていったように初代シビックの造形のまま育っていく姿が見たかったように思います。
そうすればあるいは メイフェアのように歴史に名を残せるクルマに育ったのかもしれません。
( ΦωΦ)
よく転がるからN転とも呼ばれたな…
今は忘れ去られた悪しきホンダ商法とユーザーユニオン事件、礼賛も結構だが闇にも目を向けよう。
ラルフネーダーさんか?
ユーザーユニオンのアホのせいで軽自動車にも車検導入
日本車=貧乏ニンの乗り物🎉😂
バイクのCB350のエンジンを積んでたな、、まったく何考えているんだか。