【伊勢神宮の謎】なぜアマテラスは大和に祀られていないのか?【古代ミステリー】
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- Опубликовано: 5 фев 2025
- 【動画目次】
00:00 オープニング
00:55 アマテラスのご意思で伊勢の地が選ばれた!?
05:11 奇妙な一致?アマテラスの巡幸と大海人皇子の行軍ルート
08:42 伊勢神宮の祭神はタカムスヒからアマテラスへ交代したのか?
11:48 大海人皇子は皇位簒奪者だったのか?
14:45 伊勢神宮の国家的整備 持統天皇がアマテラスのモデルなのか?
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▪️参考図書
『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』
(著:武澤秀一/筑摩書房)
『持統天皇と男系継承の起源』(著:武澤秀一/筑摩書房)
『持統天皇 壬申の乱の「真の勝者」』
(著:瀧浪貞子/中央公論新社)
『最強神社と太古の神々』(著:島田裕巳/祥伝社)
『空白の日本史』(著:本郷和人/扶桑社新書
#ゆっくり解説 #伊勢神宮 #天照大神
三重県?!なのかぁ?カスは、行く方がいいのかなぁ・・?
天武天皇が崩御した時の天武天皇を忍ぶ万葉集をみたら伊勢出身としか思えないような歌だった。
ディザスターリカバリー対策だろ。
熱田神社と同じ。
あれがなかったら草薙剣が復活できなかったわけで
京都の福知山の元伊勢内宮皇大神社、宮津の元伊勢籠神社も元伊勢といわれているので、そうなると大海人皇子の移動ルートとは重なっていないと思いますね。
元伊勢籠神社は海部氏が関連しているのでそちら由来となると関係あるかもですけど。
ミステリーですねー
若狭に 元伊勢神社が あり、結局 若狭の女神が 伊勢の外宮に 祀られたのは、シーパワーの国で あった 若狭と 伊勢で 誘致合戦が あった のでは ないでしょうか?
最初は奈良に有ったけど丹波に移した後に最終的に伊勢に落ち着いたはずですが。
伊勢神宮に行った時に下宮も内宮も社が砦のように感じ、砦が集まった要塞のように感じた。
外宮ね
東国支配の拠点として、数度移動を繰り返しながら伊勢に落ち着いた。ってのが最近の有力な説ですよね。
興味深く拝見しました。
何故皇室とは特にゆかりの深い伊勢神宮と熱田神宮がともに畿内では無く、三関を出た東海にあるのか不思議に思っていました。熱田神宮についても知りたいです。
伊勢神宮は明日香村の東にあり、さらに神宮の東で五十鈴川の河口近くの二見浦では夏至の日に夫婦岩の間から富士山の背後から日の出が上がる。太陽神を祀る場所としては、ここ以外に無いという最高の場所。
ヤマト媛は垂仁・景行~雄略と長期に登場するので役職名としての襲名説を検討してほしい。いうなれば、斎王は初期は襲名で具体名は後世からということになるか。
美濃と一瞬でるが
もっと美濃の具体的地名などが
出て良いはずだが出ないのは何故かと思う。尾張は当時名古屋がほとんど海とか沼地だったから現在の岐阜県可児市とか多治見市などの勢力に随分天武天皇はお世話になったはずなのに。
神明神社としてなら、奈良県や京都府にも分社はありますね。元伊勢を廻ると結界を張るためにあちこち廻る必要があったらしい。
伊勢神宮では無く
伊勢に在る神宮が正解
中身を見る前に考えると、関東近辺より東を含まない本州で、真っ先にまともに日の出の光を浴びれる地だから?
三丹地方の天照御魂神は火明命だって説があって、天照国照彦櫛玉饒速日尊と同一とか。
太陽神が複数いたのは間違いないですよね、素人なんで詳しくは知りませんが。
あと、日向と伊勢と常陸の同一性とか、色々古代は面白い。
御代代わりしたら斎宮も代わるのは後のことなのでしょうか?伊勢に落ち着くまで、流浪の天照大神と呼ばれていたのも読んだことあります。今回も面白かったです!
伊勢の外宮は
雄略期 夢に現れた 秦大津父(はたのおおつち)を 山城 深草で見つける
「馬で伊勢に行商に行ってました」
登用し 多大な富をもたらす。
外宮の始祖は大幡主 で 今の度会氏(わたらい)は秦氏。(雄略22年創祀)
深草の伏見稲荷も創祀したのは 秦氏で
宇迦之御魂大神=豊受大御神(稲荷秘文祝詞)
持統天皇は 幼名 「鵜野讃良皇女」
河内郡更荒郡(さららのこおり)から
きており 百済人 飛鳥戸造に養育された。
更荒郡は今の 大阪府寝屋川市太秦近辺。 秦河勝の墓(伝承)もあり古代には渡来系が多く住んでいた。
外宮先祭。
ホツマツタヱでは古代にハラミ山 (富士山) のヤスクニ宮という宮に居たアマテル神が
正皇后の瀬織津姫ホノコと共に都をイサワ宮 (伊雑宮) に移して国の統治をしていたとある
神宮が伊勢に建てられた理由と伊雑宮には深い関係がある
靖國神社の社名も中国由来とされているがヤスクニ宮からであると思います
天皇家の本当の持ち物は「八尺瓊勾玉」だけだったと予想。
「草薙剣」「八咫鏡」は、合議制だった他の地域の物だったんじゃね?
だから、崇神天皇に「草薙剣」が祟ったという話があったり、「八咫鏡」を伊勢に出したんだろう。
もっと言えば、天皇即位のときに「剣璽等承継の儀」というのがあるけれど、「剣」と「勾玉」だけで「鏡」は無いんだよね。
まぁ、鏡は誰も見たことがないって代物だから、おいそれとは持ってこられないんだろうけれど。
天武朝で、伊勢が重要とされたのは、それなりに理由がありそうだなぁ。
面白かったです。
乙巳の変→他の実力者排除して天皇に→外征失敗→天智の死→不破での戦い
本能寺の変→他の実力者排除して天下人→外征失敗→太閤の死→関ヶ原
妹を嫁がせる事まで瓜二つ
歴史は繰り返すんだな
巫女の霊夢が天照大神を呼び捨てにするなんて・・・。
伊勢、春日、出雲の大神宮は、元々軍事拠点で、蝦夷との戦力集結地点だったとの話を聞いたことがあります。
伊勢の神と三輪の神。
一体二神の御事。
今さら何を岩倉や。
能楽、三輪。
の、
クライマックスで
幾度もリフレインされる一節。
伊豆の天城越えみたいにアマテラスさんも山越えして海見えてホッとしたんだろ多分。
タカムスヒ? 一般的にはタカムスビと末尾が濁ります。これも先のヤマト媛同様役職名兼襲名というべきか。
別天神が高天原で八百万の神の中心になって天孫降臨時まで生きていたというのも無理だからなあ。
もののけ姫のアシタカの譜系をたどってよ。常陸の国の湿地帯を遡って東の北から来たという。鹿島香取神宮あたりに邪馬台国があったという説。
アマテラス「やんやー!」
もともと伊勢で祀られていたのは海の守護神・サルタヒコでした。海女に信仰されていたわけです。
ところが、『古事記』編纂の際に伊勢を神代の頃からある聖地である事にするため、サルタヒコを海の神ではなくして、アマテラスを据えたそう。
なので、天孫降臨のあとにサルタヒコが貝を取りに海へ潜ると溺れてしまい、「海の守護神」としての資格を失ってしまったというわけです。
全ては中つ国そのものが天皇家とその皇祖神であるアマテラスの手中になければいけないという都合のために書き換えられたものなのです。
日向から東征して出来たヤマト王権は、周りを懐柔しながら、西へ。そこで出雲に出会う。その時、その国の伝説、神話を気に入ったのではないか。それを譲ってほしいと。まだヤマト王権にはアマテラスしかいなかったのでは。国譲りとはそういうことだったのでは。
伊勢に落ち着いた理由はともかく、なぜ近場で祀ることができなかったのか。
有力氏族の抵抗があったのか。実は地元の神と習合して名を変えて祀られているのか。
そしてアマテラスの名を冠した神宮は、分け御霊のように遠方に置かれたのか。
日本の最高神って 天照大神だと思ってた
持統天皇が 世界に数多ある太陽神でも珍しい女神にしました。
何故 伊勢か?
古代最大の交易品の一大産地だからです。
そこに宮=役所と 官=役人を置いた。
最初は奈良の宮中に祀られてたのが、最終的に伊勢に左遷させられた🎉
左遷では無くあまりにも御威光が強いので変異が宮中を襲う様に成り遠ざけることに成った
わりに依代のレプリカを置いた
@@鷹の爪団員ジャステス
なぜ、アマテラスは宮中を襲うようになったのでしょう?
万世一系であれば、祖神は現政権を守るはずで、「空白の4世紀」に易姓革命があったと考えます。
しかし、現政権にとっては継続性が求められるため、抹殺できずに宮中から外されたのではないか。。
「常世の国の波が来る伊勢にいたい」とアマテラスが言うはずはないのです🎉
いかるが
たかむすひ
猿田彦命と伊豆、富士、そして一宮
……何より《常世の国》との関連
だよ。
常世の国……根の国、方丈の国だ。
だから紀伊半島には明日葉が自生
しているんだよ。
持統天皇は、金髪だった。
本当なの?
天武は新羅系か?