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アマテラスで検索してたら、ここにたどり着いて、神谷さんのDIYの初回だったので、え~❗とびっくりでした。恵比寿さんの話しとかいろんな神様の歴史が楽しかったです💡
神谷さん頑張って下さいね。応援しています🙆
🌄✨🕊️始めてコメントさせて頂きました。私は真摯な仏教徒でしたが!神道にも興味があり月に一度!お参りをさせて頂いておりましたので!両方の事が理解できます。晩年にクリスチャンになりました。神谷さんと小田先生のお話を微笑ましく視聴させて頂きました。お二人共に品があってユーモラスな会話に惹きつけられました。本当に小田先生の言われる通りに!日本人はどんな神様を受け入れる従順さはありますが!本当に神様を信じて居られる方は少ないです。私の母は京都出身ですので!以前はよく神社にお参りにまいりましたが!確かに!御神体はと…聞いても知らない方々が多いのにはビックリします。今回は小田先生の分かりやすい解説に感動致しました。シリーズでの動画がある様でしたら楽しみに待ってますよ。ありがとう〜🌄✨🕊️
次回も楽しみにしています。
日本の神道はアニミズムが原始的であるという見方に一石を投じる力があると思う。
無知な若者を責めないであげて欲しい。大人たちが施した教育の結果なのだから。
ホント、日教組教育は 最悪ですな・・・
旧世代のハラスメント体質の人間はいまだに若者を無知だと言って「知識マウント」で自尊心を保とうしますね。冗談でも他宗教をケッタイなどとバカにするような言葉を発するのは無神経で見ていて本当に嫌な気分になりました。
@@ツバキバンジュウ なんか神経質すぎるよ。ケッタイって言いながら世界一多いって言ってんじゃん。そんな悪く言ってないのにずいぶん曲がった見方するねぇ(笑)
やはり天皇は死刑にすべきだったよね
祭神に『誰が』はないですよ。せめて『どなた』を使ってください(いずれの神が、とまではいいませんが)。日本神道で大切なのは個別の神格の云々ではなくて、「神を畏れる敬意」という心のありようです。今失われつつあるのは、子供たちに伝えていくべきは、その『畏れ』です。子供が真似をします。現代では『人を超えた存在が共にある』ことを教える機会や作品は多いですが、『畏れ』を教える作品はホラーばかりです。そして『敬意』はあまり教えられない。まあ、このあたり『怖い隣人との付き合い方』そのもののような気がしますけどね。畏れ敬して付き合うが、恐怖はすべきではない…とか。
小田全宏舐めてるな!
天照大御神 詳しく言うと 内宮:天照坐皇大御神(天照大御神); 外宮:豊受大御神
もっとびっくりするような深い話を期待してしまいました。
伊勢神宮にはいくつかの御社があって、それぞれに神様が祀られてる天照大御神は内宮、豊受大御神は外宮、などなど天照大御神だけじゃない
その通りです。神谷、全宏は神仏に対する畏敬の念が足りない様ですね。神仏に対する心構えは、謙虚さが大切と思います。全宏君は沙門全眞と言う名を得てますが、単立宗教法人大本山弘法寺管長ならば、神仏に対する心構えは修得しておられた筈ですね。信仰心が無いと思います。
真言宗の教えに従ってさとりを求めた有名な人が刈萱道心かるかやどうしんです。元は加藤左衛門繁氏といって筑前、筑後、肥前、大隅、薩摩の6ケ国の探題でした。ある日、繁氏が花見をしていると、桜の花びらがひとひら散って、酒の盃の中に浮かびました。それを見た繁氏は、「自分もこのようにやがて死んで行かねばならない」と深く無常を感じて家に帰りました。ところがその夜、妻の千里と側室の須磨が、琴を合奏しました。表面は仲良さそうにしていますが、障子に映った二人の髪の毛が大蛇となって噛み合っている嫉妬の心のすさまじさを見て、このように人を大蛇にする原因は皆自分にあると重い罪悪に驚き、その夜ひそかに出家して、高野山に入り、真言宗の僧となりました。こうして刈萱童心と名乗ります。ところが、妻の千里には子供が宿っており、10カ月後に生まれると石童丸と名づけられました。やがて大きくなると「なぜ僕には父様がないの」としきりに尋ねるので、千里は一部始終を打ち明けました。石童丸はお父さんが恋しくなり、お母さんと高野山に向かいます。ところが高野山は女人結界の地なのでお母さんはは登れません。高野山の麓で別れる時「お前の父上は人よりも背が高く左の眉毛にホクロのあるお方だよ」と言い残して別れました。石童丸はそれをたよりに高野山の峰や谷の寺々をくまなく尋ね歩きますが、父上らしい僧侶に出会うことは出来ません。ある日一つの橋を渡ろうとした時、左手に花を持ち右手に念珠を持って南無遍照金剛を唱えながら刈萱道心が下って来ました。何となく父上でなかろうかと石童丸は駆けよって、その名を尋ねた。刈萱道心は不審に思ってよく見れば、その顔は妻と生き写しです。その上持っている短刀はまさしく以前、自分が持っていたものです。「おおお前は我が子、石童丸ではないか」とあわや言いそうになりましたが、真言宗では、一切の恩愛を断ち切れと説かれています。今、名のれば今までの14年間の苦行は水の泡になってしまうと思い、「そなたの尋ねている刈萱道心は去年の秋に亡くなられた」と心を鬼にして言い切ります。一瞬泣きくずれた石童丸が「せめてお墓なりとも」とたのむので道心は仕方なく一つの新しい墓前に連れていきました。もみじのような両手を合わせじーっと墓を見つめていた石童丸は、やがてワッと泣き出します。刈萱道心は張りさける思いに堪えながら、漸く下山させましたが、我が子の影がみえなくなると同時にその場に打ち倒れました。石童丸は泣く山を下りてみると麓でしきりに烏が鳴いています。不思議に思いつつ帰ってみると、お母さんも、病気で亡くなっていました。仕方がないので一人のお姉さんをたよりに筑前に帰りましたが、その姉もこの世を去って四十九日目でした。石童丸はいよいよ無常を痛感して意を決し、自分も父のみあとを慕って出家しようと再び高野山を訪ねます。再び山に登ってきた我が子の姿に驚き一切を聞かされた刈萱道心は「何、母が死に姉も死んだのか」と思わず知らずほろーッと一滴の涙を落としました。この一滴の涙が刈萱童心の14年間の難行を元の木阿弥にしてしまったといいます。このように真言宗は、即身成仏の理論はあるのですが、やはり自力の修行が必要なので、その実践は極めて困難なのです。この真言宗の教えに従った難行苦行は大変なもので、開祖である空海さえも完全な三密加持はできず、臨終にこのような歌を残しています。空海の 心の中に 咲く花は 弥陀より外に 知る人はなし大日如来に救われることができなかったので、大日如来の先生である、阿弥陀如来にすがらずにはいられなかったのです。そこで、お釈迦さまは、難行苦行のできない私たち、どんな人でも煩悩即菩提の境地をえられる教えを説かれています。
出口王仁三郎の話、ス神から探っていっても面白いとおもいます。
伊勢に祀られてるのが誰か、初代天皇が誰か、古事記に何が書いてあるのか、皇統がどのように繋がれてきたのか、学校で教えるべき。「天皇のシンカクカガー」勢力が煩いから意図的に教えないし、難しいのはわかるんですけど、いいかげん方向転換しないとそのうち本当に「よく知らないけど女系天皇でもよくね?」が大多数、となる日が来るよ。
CGSは神道については多くのコンテンツがありますが、禅についても解説する人がいれば、やってほしいです。
元伊勢神社の天橋立の菊の御紋の籠神社、奥にある真名井神社はイスラエルと関係ありとか
必ずご由緒書きはみますよ。でも、たまにえ?と思う時がありますよね。
古神道、神道、を詳しく知りたい方は竹内睦泰さんのお話が面白いですよ。故人となってしまわれましたが、RUclipsにたくさんのコンテンツ残ってます。神様の長ーいお名前はまるで呪文のようで覚えられませんが、不思議な力を持ちつつ生臭かったり、興味深いです。
竹内文書 この女性の話も鮮明で面白いですよ(超古代文明)ruclips.net/p/PL74gepbf7m2ZaVldKpQwaubNIRW8UXph7後半の宇宙人の話までは流石に私は信じていませんが、天皇史や人類の起源については結構そうかもなという部分が多いです古事記も結局、藤原不比等などときの権力者によって事実からは捻じ曲げられているでしょうから
@@ikinariiwaretemo0987 さん見てみました。まだ全部ではありませんが、おもしろいです。
じふもんぽん さん この女性もむっちゃんと同じく 竹内文書=古代史→ハープ気象→宇宙飛来説の流れなんですよね どうも私には古代史までしか信じられないのですがそれにしても、むっちゃんは本当に亡くなったんでしょうかね私は例によって、擬死のような気がしてなりません
@@ikinariiwaretemo0987 さんむっちゃん、、w 親しかったのですね。竹内さん愛されてますね。私が彼を知ったのは亡くなってからなのですが、役割を担って生まれてきたように感じ、また死期を選んで逝ったのかなとも思いました。身体が有るときより、今、自由なのではないでしょうか。地球を護ってくれてるかもしれませんよ\(^_^)/
じふもんぽん さん 「あるはない、ないはある」と言っていましたからね↓こちらの表先生の話も勉強になりますよruclips.net/p/PLgfGL0CEXzjBZpy2lAadijPj8EBl0nh-8何年か前はよく理解できませんでしたが、むっちゃんと超古代文明を観てからですと、この表先生の話にもちゃんとついて行けます 良かったら
小田全宏君神谷君は神宮参詣は?瑞垣の木戸門から入り御正殿、 東西寶殿を禮拝なさった事は有りますか?御正殿、東西寶殿には何が祀ってあるかご存知でしょう?
「東京大神宮って縁結びの神様なんだよ」「そうだね」「伊勢神宮も縁結びなんだって」「そうなんだぁ」っていう会話が普通にされるのが今の世の中・・・。
アマテラス。で・・聖書というのは日本の民族をみていた青い目の人たち流のアレンジ物語ではないかと思います。イエスというのは伊勢神宮の神と同じだと思いますが本家が日本なのでアマテラスでよい。聖書は脚色しすぎで今日本にみられる神道が本来の姿なのではと思っています。
深いです。自分も含めて本当に神社の神様を知らないですね。
神は大抵二つ以上の名前を持っていて複数の神社に祭られていることが多く、それらを複合的にまとめ追っていくと最後は天照大神に辿り着くという。このシステムをまとめていったのが八咫烏であり修験者だったのだろう。つまり秦氏である。
知っとるわ!
小田先生!!神谷さんと!!
すごいコメントが多いので驚嘆しました。当方は「浅く広く」の知識しかありませんが、奇妙な点が気になっています。伊勢神宮の海に「夫婦岩」がありますね。あれは?「岩」を古語で「イハー」と言い、分解すると→「イ・ハー」「ハー」をヘブライ語の敬称と解釈すれば、「イの神様」という意味になるのです。神の名が「イ」?驚くかもしれませんが、「伊勢神宮」という呼び名は→「伊の勢力」と解釈できます。旧約聖書は何度も、「神は岩である」と告げています。ある時モーセは、神からこう命じられました。→「岩の上に立て」その時から彼は、「岩の上」に「立場を定めた」という意味になるのでしょう。こうして、イスラエルの民は、「岩」を「神の象徴」として神聖視する気風を持ちました。ならば、現代でもそうしていなければおかしいのです。※ キリスト教で、岩の上に建てられた教会があるという話は知っていますが、日本以外で、岩に注連縄を張っている国家を私は知りません。(ご存じの方、教えてください。)極東に「岩」を神聖視する特異な国家「日本」があり、そこには地名として「岩手」、「岩国」・・・また、「岩田」、「岩本」、「岩佐」など「神の名を冠した」(?)と思える名も多数あります。(ロックという英語表記では神の名を保存できません)国家は研究を伏せており、墳墓の調査さえ許しません。なぜ?「知られたら潰される」との恐れからでしょうか。実際、日本は何度も戦争への誘い水により、遂には滅亡寸前に至った国家です。「諸外国に知られまい」とする心理は当然かも知れませんが、外国の要人はとっくに知っています・・・(だから、罠を仕掛けられた)ここに来てやっと、光の時代に突入しました。これから、謎は次々解けていくでしょう。関係者の方々の邁進に期待しています。
もう一つが月読尊に代表される豊国の宇佐族。彼らは遥か太古に日本列島に渡来して西日本全域に広がって繁栄していたという。また、月神を信仰する故に月に住むと言うウサギ(月兎、玉兎、、、)に因み自らをウサギ族と号していたのがウサ族に変化したとか。当然ながら奉祀する神は月の女神/月読尊。宇佐族の神宮、宇佐神宮の主神は当然、月読尊(女神)。後に八幡宮と言われて現在、四万以上と言われる八幡宮の主神も月読尊である事は疑念の余地はありません。また、異名同神が豊受大神。伊勢神宮の外宮のご祭神。
伊勢の神宮には何の神様を祀っているのか?で三柱あると聞いています。天照大神他の神様のお名前を教えて下さるのか?と思いました。ちょっと残念…
神社と神話と絡めると主神はその地を舞台とした主演俳優になるんじゃないかな?と思ったら脇を固める神様までいちいち覚える必要は無いかと思いました言霊の国だけにもしかしたらそれぞれの神社にそれぞれの物語があるんじゃないかという事であと各地各地に神社がやたら多いのは戦乱などが起きたときに民衆の避難場所として活躍してたからなんじゃないかなど思いました(境内はエログロ禁止!)
戦後教育で日本人は魂を抜かれてしまった、形のないものに価値を見いだすセンスすらも失くしてしまった、それを取り戻すのにいったいどれほどの時間と流血を見ることか
ラクシュミー女神は、ヴィシュヌ神の奥様ですよ。シヴァ神の奥様はパールヴァティー女神です。
😊
日本の神道のいい所は邪悪な一神教を排除する力です。神様はなんでもいい。イワシの頭でも。邪悪でなければ。
吉祥天:ラクシュミーはヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌの妻!シヴァの妻は有名どころで、パールヴァティ その他 サティとかドゥルガーとかカーリーとか・・・ by 女神転生
現代人は靖国神社をもっと知って良いと思う。
すみません。知りませんでした。
イセラエル、伊勢に栄光を。
天照大神はアーメンテラス、つまり、アーメン(一人の人)イエスキリストに焦点を当てる神の意味です。天照の孫のニニギノミコトは二つの木を握る、つまり、善悪と命の二つの木を握る(手中)ミコトでイエスキリストの置き換えです。歴史の歴ほ林(二つの木)を止めると言う意味で、二つの木で始まる旧約聖書の歴史を止めると言う意味です。なぜ旧約聖書を止めたのか、それは私たちは悪魔の子となっているからです。神道の神様は、旧約聖書に登場する人物の置き換え(モチーフにつくられた)られた神です。
猿田彦がキリストって説もありますね~✨
大黒さまは、日本の神様だと思っていましたが………。そうではないのですか?。だって………「🎵大きな袋を 肩にかけ 🎵大黒さまが 来かかると 🎵そこに いなばの白兎 🎵皮を剥がれて 赤裸……」という歌があります。大国主命だと 思っていましたが、間違いだったのでしょうか?。あの歌に 出てくる大黒さまは、………???。
偏差値が高くても教養がないと言いたいところだが私も勉強中なので。。。任那の日本府とか三韓征伐など50すぎて知りましたお恥ずかしい限りです日本書紀の方が面白い今日この頃です
伊勢神宮って皇室にとって皇祖神を祀る大事なものだと思いますが、意外にも天皇で初めて参拝に行ったのが明治天皇である事を知りましたが理由が分かりません!何故でしょう?
皇族の皇祖神じゃないからですよ
推測で物言うのはいかがかと思います 天皇家は隠し事はしていません
稲荷は、何で農業の神じゃ無くて商売の神になるんだ⁉️
ザックリ言っちゃえば社会の多様性を受け止めてきたからとも言えます。そして一方で稲荷社は特に江戸時代には最も身近に有った神様だからとも言えます。
令和の天皇陛下です。
そもそも、神道には、言上げせず(喋らない、ありのままを感じ取る)という概念があり、教典もないのです。しかも、弘法大師の両部神道など神仏習合だったのに、明治に神仏分離令によりバラバラになってしまった。天照大御神は、大日如来の化身であるとされていました。徳川家康は、東照大権現といわれ、神仏習合の象徴ですし、豊臣秀吉は、豊国大明神です。金毘羅神社の御祭神は、山岳信仰と神仏習合の神様だったり、兵隊さんが神様の靖国神社など、神道の歴史は、複雑ですよね!
伊勢神宮は天照大神ね。その他諸々ね。ふ〜〜ん。しかしこんなの、専門でお勉強して、学者になる人が知っていてくれればいいのでは。専門学者以外の人は学者が知らないことを沢山知ってると思うけど。しかし神話は面白いですね、現実離れしてるところが,思わず聴いてしまいます。
伏見稲荷大社は、元々は 建速須佐之男命 がまつられていました。七福神のうち日本人は恵比寿さんだけですね。(^^)
0g
結局、何が言いたいのか分からない。もともと何の教えがあるという訳でもない宗教なので当然かも。聖徳太子の頃には日本は仏教を中心にするということは決着がついてます。
神様ってw
真言宗とは、特徴を簡単に説明するとこのような宗派です。真言宗は、「弘法大師」として知られるわが国屈指の高僧、空海が開いた仏教宗派です。仏教とは、お釈迦さまが説いた「人々が幸せに生きるための教え」です。真言宗も仏教の一つですが、根本本尊はお釈迦さま(釈迦如来)ではなく、大日如来です。なぜなら、大日如来こそが大宇宙の真理そのものであるとし、数多いる仏さまはその化身であり、お釈迦さまもその一人と考えるからです。一般的には真言宗を上記のように考えられていますが、本当に数多いる仏様の本仏は、大日如来といえるのでしょうか?また真言宗の本尊である大日如来については、こちらをお読みください。➾大日如来とは?意味や真言(ご利益)阿弥陀如来との関係……偉い仏はどっち?真言宗の教えと深い関わりのある密教については、下記をご覧ください。➾密教とは何か・呪術や修行など仏教や顕教との違い以下では、真言宗の目的を確認しつつ、真言宗の教えの中身を解説していきます。真言宗の目的仏教の目的は、仏のさとりを開くことです。仏のさとりというのは、低いものから高いものまで、大宇宙に52あるさとりの中で、最高の52段目のさとりです。ところが、真言宗が現れるまでは、仏のさとりを開くまでに大変な長い時間のかかる宗派ばかりでした。法相宗では、三阿僧祇劫という果てしなく長い時間、生まれ変わり死に変わりを繰り返しながら修行し続ける必要があります。華厳宗でも、最短で3回の生まれ変わりが必要とされ、現実には開祖の杜順を含めて誰もできず、3回どころではありません。天台宗は、この世で成仏できるといいますが、開祖の天台大師でも、52段中10段程度しかさとりを得られませんでした。そこで、真言宗の開祖の空海は、この身このままで仏のさとりを開く「即身成仏」が可能である理論を示しました。従って、真言宗の教えの特徴は、分かりやすく言うと、「即身成仏」の理論と、その実践方法です。この世で仏のさとりが得られる3つの理論空海は、この身このままで仏になれる即身成仏ができる根拠を以下の3つの観点から説明しました。1つには六大、2つには四曼、3つには三密です。即身成仏ができる3つの根拠六大四曼三密それぞれどんな意味なのでしょうか。六大1つ目の六大とは、地大・水大・火大・風大・空大・識大の6つで、物質と精神です。物質というのは、地大・水大・火大・風大・空大の5つで、現象の中に大日如来の力があるということです。精神というのは識大で、大日如来の智慧です。五大は、智慧によって認識されるので、六大がとけ合って世界が成立します。これを「六大無碍」といいます。この「六大無碍」によって、大日如来と修行者が一体になり、仏のさとりがえられます。四曼2つ目の四曼とは、大日如来の功徳を表す四つのマンダラのことです。4つのマンダラとは、1.大マンダラ2.三昧耶マンダラ3.法マンダラ4.羯磨マンダラの4つです。まずマンダラには、『金剛頂経』に説かれ、大日如来の智慧を表す金剛界マンダラと、『大日経』に説かれ、大日如来の慈悲を表す胎蔵界マンダラの2つがあります。1つ目の大マンダラとは、この2つのマンダラに描かれる諸仏菩薩がそれぞれの徳と姿を持っていることを言います。2つ目の三昧耶マンダラとは、諸仏菩薩それぞれの本誓を表します。諸仏菩薩は共通して何とか人々を助けたいと思っていますが、本願が異なるので方法が異なります。それを形で表わされた、薬師如来の薬つぼ、観音菩薩の蓮華、不動明王の刀剣などの能力や本誓です。3つ目の法マンダラは、種子マンダラともいいます。仏のさとりは一つですが、諸仏はそれぞれの機縁に応じてこの世に現れるので、それぞれの固有の名前や性質があります。それをサンスクリットの文字で表したのが「種子」です。例えば大日如来の種子は「阿字」です。このようにマンダラを種子で表したのが法マンダラです。4つ目の羯磨マンダラとは、「羯磨」とはカルマのことで、行為のことです。諸仏菩薩は、人々を救うために、色々な行いをします。立ったり、座ったり、色々な印を結びます。これまでの3つのマンダラを前提とする、このような変化を羯磨マンダラといいます。真言宗では、諸仏や菩薩を大日如来におさめて見ますので、これら4つのマンダラによって大日如来の功徳を表します。大日如来と一体になれば、これらの功徳と一体になるので、仏のさとりを得ることができるということです。三密三密とは、大日如来の三業で、身密、口密、意密の3つです。深い禅定の状態で、手に印を結ぶ身業と、口に真言を唱える口業と、心に阿字を念じる意業の行者の三業と、大日如来の三業とが相応すれば、行者の身口意と仏の身口意が融合します。すると、大日如来の三密が行者の三業に加持され、入我我入して大日如来と行者が一体となり、即身成仏できるというものです。これを「三密加持」といいます。このように、六大が大日如来のものがらであり、四曼が大日如来のすがたであり、三密が大日如来のはたらきです。こうして3つの観点により、即身成仏の理論が明らかになりました。この即身成仏を体得するための実践方法は観法です。観法とは、心で何かを思い浮かべることです。具体的には、阿字観や、月輪観、五相成身観などです。この心が口に現れたのが真言を口に唱える念誦で、体に現れたのが供養です。念誦や供養には、色々な方法が定められています。ところが真言宗では、供養する際に危ない行為があります。危ない行為というのは、供養する時に「護摩」を取り入れている点です。護摩とは、護摩壇で護摩木と呼ばれる木を燃やしながら祈祷きとうを行うことです。インドの仏教以外の宗教でも行われており、色々なものを火に投げ込んで神々に供養します。真言宗の本当の目的は即身成仏ですが、やっていることは仏教以外の宗教と同じですので、息災延命や除難招福などの現世利益を祈って加持祈祷を始めると、色々な迷信を引き起こし、人々の救いの道を閉ざすことになります。また、危ない2つ目として、真言宗で大事にされているお経『理趣経』に説かれる男女の肉体関係です。『理趣経』に説かれた男女の快楽は、仏のさとりから観た煩悩即菩提であって、即身成仏を果たさずに欲望を満たせということではありません。自らの煩悩によって、因果応報、自ら苦しむことになります。このように、真言宗では、すべて自力で仏のさとりに至るわけではありませんが、大日如来の加威力を受持して加持成仏するには、やはり大変な自力の修行が必要です。
名前とか間違えるし、いけてない
だって学校で教えてないもん。
教えないどころか、知っていたら右翼扱いだぞ。
今の文化、伝統、風習、信仰等あらゆるモノの原点で原郷が古代出雲王国に有ります。決してアニミズムではなく、ちゃんと宗教として、文化として体系化されたモノで、日本の文化文明は出雲にあり!です。宗教は出雲王国時代には国教で統治の源泉でもあり、古事記の完成による内容の強制、強要が行われる(現代迄もいたる)以前には宗教、信仰、社会の規範で有った幸の神信仰を理解しない事には古代は何も見えて来ません。伊勢神宮には、先ず三輪山の媛巫女が逐われて(キキ神話はウソ)結果的に伊勢に逃避してイザワ富家に庇護を求めて匿われてしばらくした後に五十鈴川の川上に後に伊勢神宮(内宮)の元となる神祠に三輪山で祭祀されていた神鏡(出雲族の太陽の女神/大日霎貴尊の形代)を納め奉り奉仕なさったのが原点。外宮は、その媛巫女を大和から追放した豊国宇佐神宮の媛巫女、豊媛命が三輪山西麓に檜原神社を建立して宇佐族伝統の月の女神/月読尊を布教。人々は彼女を稚日女命と尊称して崇敬した。、、、月読尊は稚日女尊と呼ばれたかしらん。宇佐神宮の主神=月読尊(女神)=三輪山の檜原神社の祭神/稚日女神=天照大神稚魂尊。この際、豊媛命は魏から正式に親魏倭王に指名、叙任を受けた。、、、月の女神/月読尊の媛巫女で親魏倭王。豊媛命。の誕生。、、、いわゆる女王トヨ。共に大和入りて平定した物部勢(物部イクメ王(垂仁))との軋轢(総帥のイクメ王の魏の官位を格下の駒にしか思っていなかった異母妹の豊媛命の官位が超越してマサカの王位となった事で豊媛命の命令に従わざるをえなく成った。結局、物部イクメ王は魏の傘下か(ノ-_-)ノ~┻━┻ら勝手に離脱した)、勢力争いに敗れた豊国宇佐勢は丹波に退避。そこでも豊媛命は宇佐族伝統の月の女神/月読尊の信仰を布教して丹波人(海部氏)は彼女やかの神を豊受媛命、豊受大神と尊称して崇敬崇拝、豊国宇佐勢が追撃を受けて丹波を退去した後も変わらず引き続き豊受大神(=月読尊)の祭祀を継続しました。後に外宮の創建に際して月の女神/月読尊=豊受大神を迎えて創建された伊勢神宮は天皇幢と同様、外宮に月の女神=豊受大神(=宇佐神宮の神)、内宮に太陽の女神=天照大神を祭る神宮として整備された。
森岩光 さま、お伊勢にも詳しいですね。神職の方ですか?
そして、内宮に主神としての立場を奪われて減封された、宇治系の社/地域が、伊雑宮で星の立ち位置を与えられたと聞いております。
伊勢も出雲も元はアニミズムと言われますが、実際は縄文のアニミズムよりもっと一神教的な宗教をもつ渡来人の人達の関わりが深く影響してると思います。その代表が古代ユダヤの神様ですね。有名などこの神社にも共通しているのは、ヤハウェーであり、それを広めたのが古代ユダヤ支族李家客家の末裔である秦氏を先祖とする藤原家の人達。全国津々浦々に道教の考え方と共に八幡社と稲荷、弁財天を広めていき、大きな神社には何故か競う様に道教の仙人をモチーフとした彫刻が飾られています。上手く政治的に利用しました。それは今も変わりませんね。その前は天御中主神はどうやらヤハウェーなので、他には国常立神やクナト三神、アラハバキ神などの元々の大元の神ですが、日本には神様が余りに多すぎて中心の神様の実態は分からないというのが現実だと思います。今は中々古事記や他の記録を見る機会なんてそうそう無いですから。そういう意味でも今のCovid-19で時間がある時はじっくりと調べてみるのも良いと思います。
秦氏は藤原家の祖ではありません。秦氏は天照大神直系の皇族で縄文人。藤原家は李○が祖です。弥生人。
イスラエルの失われた10氏族の一部が渡来して物部氏となり神道の基を作り、その後南イスラエルのユダ族が秦氏として渡来して天皇家と繋がり神道を完成させていきました。藤原は元の姓は中臣で鹿島神宮の辺りが源流です。
伊勢神宮に祀られているのは、猿田彦(イエス キリスト)。・・・らしい〰️
天照大神だけにしたらいいのにね‼️いろんな神様を作ったのは人間の煩悩だよね‼️
アマテラスで検索してたら、ここにたどり着いて、神谷さんのDIYの初回だったので、え~❗とびっくりでした。
恵比寿さんの話しとかいろんな神様の歴史が楽しかったです💡
神谷さん頑張って下さいね。応援しています🙆
🌄✨🕊️始めてコメントさせて頂きました。私は真摯な仏教徒でしたが!神道にも興味があり月に一度!お参りをさせて頂いておりましたので!両方の事が理解できます。晩年にクリスチャンになりました。神谷さんと小田先生のお話を微笑ましく視聴させて頂きました。お二人共に品があってユーモラスな会話に惹きつけられました。本当に小田先生の言われる通りに!日本人はどんな神様を受け入れる従順さはありますが!本当に神様を信じて居られる方は少ないです。私の母は京都出身ですので!以前はよく神社にお参りにまいりましたが!確かに!御神体はと…聞いても知らない方々が多いのにはビックリします。今回は小田先生の分かりやすい解説に感動致しました。シリーズでの動画がある様でしたら楽しみに待ってますよ。
ありがとう〜🌄✨🕊️
次回も楽しみにしています。
日本の神道はアニミズムが原始的であるという見方に一石を投じる力があると思う。
無知な若者を責めないであげて欲しい。
大人たちが施した教育の結果なのだから。
ホント、日教組教育は 最悪ですな・・・
旧世代のハラスメント体質の人間はいまだに若者を無知だと言って「知識マウント」で自尊心を保とうしますね。
冗談でも他宗教をケッタイなどとバカにするような言葉を発するのは無神経で見ていて本当に嫌な気分になりました。
@@ツバキバンジュウ なんか神経質すぎるよ。ケッタイって言いながら世界一多いって言ってんじゃん。そんな悪く言ってないのにずいぶん曲がった見方するねぇ(笑)
やはり天皇は死刑にすべきだったよね
祭神に『誰が』はないですよ。せめて『どなた』を使ってください(いずれの神が、とまではいいませんが)。
日本神道で大切なのは個別の神格の云々ではなくて、「神を畏れる敬意」という心のありようです。
今失われつつあるのは、子供たちに伝えていくべきは、その『畏れ』です。子供が真似をします。
現代では『人を超えた存在が共にある』ことを教える機会や作品は多いですが、『畏れ』を教える作品はホラーばかりです。そして『敬意』はあまり教えられない。
まあ、このあたり『怖い隣人との付き合い方』そのもののような気がしますけどね。畏れ敬して付き合うが、恐怖はすべきではない…とか。
小田全宏舐めてるな!
天照大御神 詳しく言うと 内宮:天照坐皇大御神(天照大御神); 外宮:豊受大御神
もっとびっくりするような深い話を期待してしまいました。
伊勢神宮にはいくつかの御社があって、それぞれに神様が祀られてる
天照大御神は内宮、豊受大御神は外宮、などなど
天照大御神だけじゃない
その通りです。神谷、全宏は神仏に対する畏敬の念が足りない様ですね。神仏に対する心構えは、謙虚さが大切と思います。
全宏君は沙門全眞と言う名を得てますが、単立宗教法人大本山弘法寺管長ならば、神仏に対する心構えは修得しておられた筈ですね。信仰心が無いと思います。
真言宗の教えに従ってさとりを求めた有名な人が
刈萱道心かるかやどうしんです。
元は加藤左衛門繁氏といって筑前、筑後、肥前、大隅、薩摩の
6ケ国の探題でした。
ある日、繁氏が花見をしていると、桜の花びらがひとひら散って、
酒の盃の中に浮かびました。
それを見た繁氏は、
「自分もこのようにやがて死んで行かねばならない」と深く無常を感じて家に帰りました。
ところがその夜、妻の千里と側室の須磨が、
琴を合奏しました。
表面は仲良さそうにしていますが、障子に映った二人の髪の毛が大蛇となって噛み合っている
嫉妬の心のすさまじさを見て、
このように人を大蛇にする原因は皆自分にあると
重い罪悪に驚き、その夜ひそかに出家して、
高野山に入り、真言宗の僧となりました。
こうして刈萱童心と名乗ります。
ところが、妻の千里には子供が宿っており、
10カ月後に生まれると石童丸と名づけられました。
やがて大きくなると「なぜ僕には父様がないの」
としきりに尋ねるので、千里は一部始終を打ち明けました。
石童丸はお父さんが恋しくなり、お母さんと高野山に向かいます。
ところが高野山は女人結界の地なのでお母さんはは登れません。
高野山の麓で別れる時
「お前の父上は人よりも背が高く左の眉毛にホクロのあるお方だよ」
と言い残して別れました。
石童丸はそれをたよりに高野山の峰や谷の寺々を
くまなく尋ね歩きますが、父上らしい僧侶に出会うことは出来ません。
ある日一つの橋を渡ろうとした時、左手に花を持ち右手に念珠を持って
南無遍照金剛を唱えながら刈萱道心が下って来ました。
何となく父上でなかろうかと石童丸は駆けよって、その名を尋ねた。刈萱道心は不審に思ってよく見れば、
その顔は妻と生き写しです。
その上持っている短刀はまさしく以前、自分が持っていたものです。
「おおお前は我が子、石童丸ではないか」
とあわや言いそうになりましたが、
真言宗では、一切の恩愛を断ち切れと説かれています。
今、名のれば今までの14年間の苦行は
水の泡になってしまうと思い、
「そなたの尋ねている刈萱道心は去年の秋に亡くなられた」
と心を鬼にして言い切ります。
一瞬泣きくずれた石童丸が
「せめてお墓なりとも」
とたのむので道心は仕方なく
一つの新しい墓前に連れていきました。
もみじのような両手を合わせじーっと墓を見つめていた石童丸は、
やがてワッと泣き出します。
刈萱道心は張りさける思いに堪えながら、
漸く下山させましたが、我が子の影がみえなくなると同時にその場に打ち倒れました。
石童丸は泣く山を下りてみると
麓でしきりに烏が鳴いています。
不思議に思いつつ帰ってみると、
お母さんも、病気で亡くなっていました。
仕方がないので一人のお姉さんをたよりに筑前に帰りましたが、
その姉もこの世を去って四十九日目でした。
石童丸はいよいよ無常を痛感して意を決し、
自分も父のみあとを慕って出家しようと
再び高野山を訪ねます。
再び山に登ってきた我が子の姿に驚き
一切を聞かされた刈萱道心は
「何、母が死に姉も死んだのか」と思わず知らず
ほろーッと一滴の涙を落としました。
この一滴の涙が刈萱童心の14年間の難行を
元の木阿弥にしてしまったといいます。
このように真言宗は、即身成仏の理論はあるのですが、
やはり自力の修行が必要なので、その実践は極めて困難なのです。
この真言宗の教えに従った難行苦行は大変なもので、
開祖である空海さえも完全な三密加持はできず、
臨終にこのような歌を残しています。
空海の 心の中に 咲く花は
弥陀より外に 知る人はなし
大日如来に救われることができなかったので、
大日如来の先生である、
阿弥陀如来にすがらずにはいられなかったのです。
そこで、お釈迦さまは、難行苦行のできない私たち、
どんな人でも煩悩即菩提の境地をえられる教えを説かれています。
出口王仁三郎の話、ス神から探っていっても面白いとおもいます。
伊勢に祀られてるのが誰か、初代天皇が誰か、古事記に何が書いてあるのか、皇統がどのように繋がれてきたのか、学校で教えるべき。
「天皇のシンカクカガー」勢力が煩いから意図的に教えないし、難しいのはわかるんですけど、
いいかげん方向転換しないとそのうち本当に「よく知らないけど女系天皇でもよくね?」が大多数、となる日が来るよ。
CGSは神道については多くのコンテンツがありますが、禅についても解説する人がいれば、やってほしいです。
元伊勢神社の天橋立の菊の御紋の籠神社、奥にある真名井神社はイスラエルと関係ありとか
必ずご由緒書きはみますよ。でも、たまにえ?と思う時がありますよね。
古神道、神道、を詳しく知りたい方は竹内睦泰さんのお話が面白いですよ。故人となってしまわれましたが、RUclipsにたくさんのコンテンツ残ってます。
神様の長ーいお名前はまるで呪文のようで覚えられませんが、不思議な力を持ちつつ生臭かったり、興味深いです。
竹内文書 この女性の話も鮮明で面白いですよ(超古代文明)
ruclips.net/p/PL74gepbf7m2ZaVldKpQwaubNIRW8UXph7
後半の宇宙人の話までは流石に私は信じていませんが、
天皇史や人類の起源については結構そうかもなという部分が多いです
古事記も結局、藤原不比等などときの権力者によって事実からは捻じ曲げられているでしょうから
@@ikinariiwaretemo0987 さん
見てみました。まだ全部ではありませんが、おもしろいです。
じふもんぽん さん
この女性もむっちゃんと同じく 竹内文書=古代史→ハープ気象→宇宙飛来説
の流れなんですよね どうも私には古代史までしか信じられないのですが
それにしても、むっちゃんは本当に亡くなったんでしょうかね
私は例によって、擬死のような気がしてなりません
@@ikinariiwaretemo0987 さん
むっちゃん、、w 親しかったのですね。竹内さん愛されてますね。
私が彼を知ったのは亡くなってからなのですが、役割を担って生まれてきたように感じ、また死期を選んで逝ったのかなとも思いました。
身体が有るときより、今、自由なのではないでしょうか。地球を護ってくれてるかもしれませんよ\(^_^)/
じふもんぽん さん 「あるはない、ないはある」と言っていましたからね
↓こちらの表先生の話も勉強になりますよ
ruclips.net/p/PLgfGL0CEXzjBZpy2lAadijPj8EBl0nh-8
何年か前はよく理解できませんでしたが、むっちゃんと超古代文明を観てからですと、
この表先生の話にもちゃんとついて行けます 良かったら
小田全宏君神谷君は神宮参詣は?瑞垣の木戸門から入り御正殿、 東西寶殿を禮拝なさった事は有りますか?御正殿、東西寶殿には何が祀ってあるかご存知でしょう?
「東京大神宮って縁結びの神様なんだよ」「そうだね」「伊勢神宮も縁結びなんだって」「そうなんだぁ」っていう会話が普通にされるのが今の世の中・・・。
アマテラス。
で・・聖書というのは日本の民族をみていた青い目の人たち流のアレンジ物語ではないかと思います。
イエスというのは伊勢神宮の神と同じだと思いますが本家が日本なのでアマテラスでよい。
聖書は脚色しすぎで今日本にみられる神道が本来の姿なのではと思っています。
深いです。自分も含めて本当に神社の神様を知らないですね。
神は大抵二つ以上の名前を持っていて複数の神社に祭られていることが多く、
それらを複合的にまとめ追っていくと最後は天照大神に辿り着くという。
このシステムをまとめていったのが八咫烏であり修験者だったのだろう。
つまり秦氏である。
知っとるわ!
小田先生!!神谷さんと!!
すごいコメントが多いので驚嘆しました。
当方は「浅く広く」の知識しかありませんが、奇妙な点が気になっています。
伊勢神宮の海に「夫婦岩」がありますね。
あれは?
「岩」を古語で「イハー」と言い、分解すると
→「イ・ハー」
「ハー」をヘブライ語の敬称と解釈すれば、「イの神様」という意味になるのです。
神の名が「イ」?
驚くかもしれませんが、「伊勢神宮」という呼び名は
→「伊の勢力」
と解釈できます。
旧約聖書は何度も、
「神は岩である」
と告げています。
ある時モーセは、神からこう命じられました。
→「岩の上に立て」
その時から彼は、
「岩の上」に「立場を定めた」という意味になるのでしょう。
こうして、イスラエルの民は、「岩」を「神の象徴」として神聖視する気風を持ちました。
ならば、現代でもそうしていなければおかしいのです。
※ キリスト教で、岩の上に建てられた教会があるという話は知っていますが、
日本以外で、岩に注連縄を張っている国家を私は知りません。
(ご存じの方、教えてください。)
極東に「岩」を神聖視する特異な国家「日本」があり、そこには地名として「岩手」、「岩国」・・・また、「岩田」、「岩本」、「岩佐」など「神の名を冠した」(?)と思える名も多数あります。
(ロックという英語表記では神の名を保存できません)
国家は研究を伏せており、墳墓の調査さえ許しません。
なぜ?
「知られたら潰される」との恐れからでしょうか。
実際、日本は何度も戦争への誘い水により、遂には滅亡寸前に至った国家です。
「諸外国に知られまい」とする心理は当然かも知れませんが、外国の要人はとっくに知っています・・・
(だから、罠を仕掛けられた)
ここに来てやっと、光の時代に突入しました。
これから、謎は次々解けていくでしょう。
関係者の方々の邁進に期待しています。
もう一つが月読尊に代表される豊国の宇佐族。
彼らは遥か太古に日本列島に渡来して西日本全域に広がって繁栄していたという。
また、月神を信仰する故に月に住むと言うウサギ(月兎、玉兎、、、)に因み自らをウサギ族と号していたのがウサ族に変化したとか。
当然ながら奉祀する神は月の女神/月読尊。
宇佐族の神宮、宇佐神宮の主神は当然、月読尊(女神)。
後に八幡宮と言われて現在、四万以上と言われる八幡宮の主神も月読尊である事は疑念の余地はありません。
また、異名同神が豊受大神。
伊勢神宮の外宮のご祭神。
伊勢の神宮には何の神様を祀っているのか?で三柱あると聞いています。天照大神他の神様のお名前を教えて下さるのか?と思いました。
ちょっと残念…
神社と神話と絡めると主神はその地を舞台とした主演俳優になるんじゃないかな?と思ったら脇を固める神様までいちいち覚える必要は無いかと思いました
言霊の国だけにもしかしたらそれぞれの神社にそれぞれの物語があるんじゃないかという事で
あと各地各地に神社がやたら多いのは戦乱などが起きたときに民衆の避難場所として活躍してたからなんじゃないかなど思いました(境内はエログロ禁止!)
戦後教育で日本人は魂を抜かれてしまった、形のないものに価値を見いだすセンスすらも失くしてしまった、それを取り戻すのにいったいどれほどの時間と流血を見ることか
ラクシュミー女神は、ヴィシュヌ神の奥様ですよ。シヴァ神の奥様はパールヴァティー女神です。
😊
日本の神道のいい所は邪悪な一神教を排除する力です。
神様はなんでもいい。イワシの頭でも。邪悪でなければ。
吉祥天:ラクシュミーはヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌの妻!
シヴァの妻は有名どころで、パールヴァティ その他 サティとかドゥルガーとかカーリーとか・・・ by 女神転生
現代人は靖国神社をもっと知って良いと思う。
すみません。知りませんでした。
イセラエル、伊勢に栄光を。
天照大神はアーメンテラス、つまり、アーメン(一人の人)イエスキリストに焦点を当てる神の意味です。
天照の孫のニニギノミコトは二つの木を握る、つまり、善悪と命の二つの木を握る(手中)ミコトでイエスキリストの置き換えです。
歴史の歴ほ林(二つの木)を止めると言う意味で、二つの木で始まる旧約聖書の歴史を止めると言う意味です。
なぜ旧約聖書を止めたのか、それは私たちは悪魔の子となっているからです。
神道の神様は、旧約聖書に登場する人物の置き換え(モチーフにつくられた)られた神です。
猿田彦がキリストって説もありますね~✨
大黒さまは、日本の神様だと思っていましたが………。
そうではないのですか?。
だって………「🎵大きな袋を 肩にかけ 🎵大黒さまが 来かかると 🎵そこに いなばの白兎 🎵皮を剥がれて 赤裸……」という歌があります。
大国主命だと 思っていましたが、間違いだったのでしょうか?。
あの歌に 出てくる大黒さまは、………???。
偏差値が高くても教養がないと言いたいところだが私も勉強中なので。。。
任那の日本府とか三韓征伐など50すぎて知りましたお恥ずかしい限りです
日本書紀の方が面白い今日この頃です
伊勢神宮って皇室にとって皇祖神を祀る大事なものだと思いますが、意外にも天皇で初めて参拝に行ったのが明治天皇である事を知りましたが理由が分かりません!何故でしょう?
皇族の皇祖神じゃないからですよ
推測で物言うのはいかがかと思います 天皇家は隠し事はしていません
稲荷は、何で農業の神じゃ無くて商売の神になるんだ⁉️
ザックリ言っちゃえば社会の多様性を受け止めてきたからとも言えます。そして一方で稲荷社は特に江戸時代には最も身近に有った神様だからとも言えます。
令和の天皇陛下です。
そもそも、神道には、言上げせず(喋らない、ありのままを感じ取る)という概念があり、教典もないのです。
しかも、弘法大師の両部神道など神仏習合だったのに、明治に神仏分離令によりバラバラになってしまった。
天照大御神は、大日如来の化身であるとされていました。
徳川家康は、東照大権現といわれ、神仏習合の象徴ですし、豊臣秀吉は、豊国大明神です。
金毘羅神社の御祭神は、山岳信仰と神仏習合の神様だったり、兵隊さんが神様の靖国神社など、神道の歴史は、複雑ですよね!
伊勢神宮は天照大神ね。その他諸々ね。ふ〜〜ん。しかしこんなの、専門でお勉強して、学者になる人が知っていてくれればいいのでは。専門学者以外の人は学者が知らないことを沢山知ってると思うけど。しかし神話は面白いですね、現実離れしてるところが,思わず聴いてしまいます。
伏見稲荷大社は、元々は 建速須佐之男命 がまつられていました。七福神のうち日本人は恵比寿さんだけですね。(^^)
0g
結局、何が言いたいのか分からない。もともと何の教えがあるという訳でもない宗教なので当然かも。
聖徳太子の頃には日本は仏教を中心にするということは決着がついてます。
神様ってw
真言宗とは、特徴を簡単に説明するとこのような宗派です。
真言宗は、「弘法大師」として知られるわが国屈指の高僧、空海が開いた仏教宗派です。
仏教とは、お釈迦さまが説いた「人々が幸せに生きるための教え」です。
真言宗も仏教の一つですが、根本本尊はお釈迦さま(釈迦如来)ではなく、大日如来です。
なぜなら、大日如来こそが大宇宙の真理そのものであるとし、数多いる仏さまはその化身であり、お釈迦さまもその一人と考えるからです。
一般的には真言宗を上記のように考えられていますが、本当に数多いる仏様の本仏は、大日如来といえるのでしょうか?
また真言宗の本尊である大日如来については、こちらをお読みください。
➾大日如来とは?意味や真言(ご利益)阿弥陀如来との関係……偉い仏はどっち?
真言宗の教えと深い関わりのある密教については、下記をご覧ください。
➾密教とは何か・呪術や修行など仏教や顕教との違い
以下では、真言宗の目的を確認しつつ、真言宗の教えの中身を解説していきます。
真言宗の目的
仏教の目的は、仏のさとりを開くことです。
仏のさとりというのは、低いものから高いものまで、
大宇宙に52あるさとりの中で、最高の52段目のさとりです。
ところが、真言宗が現れるまでは、仏のさとりを開くまでに大変な長い時間のかかる宗派ばかりでした。
法相宗では、三阿僧祇劫という果てしなく長い時間、
生まれ変わり死に変わりを繰り返しながら修行し続ける必要があります。
華厳宗でも、最短で3回の生まれ変わりが必要とされ、
現実には開祖の杜順を含めて誰もできず、3回どころではありません。
天台宗は、この世で成仏できるといいますが、
開祖の天台大師でも、52段中10段程度しかさとりを得られませんでした。
そこで、真言宗の開祖の空海は、
この身このままで仏のさとりを開く
「即身成仏」が可能である理論を示しました。
従って、真言宗の教えの特徴は、分かりやすく言うと、
「即身成仏」の理論と、その実践方法です。
この世で仏のさとりが得られる3つの理論
空海は、この身このままで仏になれる
即身成仏ができる根拠を以下の3つの観点から説明しました。
1つには六大、2つには四曼、3つには三密です。
即身成仏ができる3つの根拠
六大
四曼
三密
それぞれどんな意味なのでしょうか。
六大
1つ目の六大とは、地大・水大・火大・風大・空大・識大の6つで、
物質と精神です。
物質というのは、地大・水大・火大・風大・空大の5つで、
現象の中に大日如来の力があるということです。精神というのは識大で、大日如来の智慧です。
五大は、智慧によって認識されるので、
六大がとけ合って世界が成立します。
これを「六大無碍」といいます。
この「六大無碍」によって、大日如来と修行者が一体になり、
仏のさとりがえられます。
四曼
2つ目の四曼とは、大日如来の功徳を表す四つのマンダラのことです。
4つのマンダラとは、
1.大マンダラ
2.三昧耶マンダラ
3.法マンダラ
4.羯磨マンダラ
の4つです。
まずマンダラには、『金剛頂経』に説かれ、
大日如来の智慧を表す金剛界マンダラと、
『大日経』に説かれ、
大日如来の慈悲を表す胎蔵界マンダラの2つがあります。
1つ目の大マンダラとは、この2つのマンダラに描かれる
諸仏菩薩がそれぞれの徳と姿を持っていることを言います。
2つ目の三昧耶マンダラとは、諸仏菩薩それぞれの本誓を表します。
諸仏菩薩は共通して何とか人々を助けたいと思っていますが、
本願が異なるので方法が異なります。
それを形で表わされた、薬師如来の薬つぼ、観音菩薩の蓮華、
不動明王の刀剣などの能力や本誓です。
3つ目の法マンダラは、種子マンダラともいいます。
仏のさとりは一つですが、
諸仏はそれぞれの機縁に応じてこの世に現れるので、
それぞれの固有の名前や性質があります。
それをサンスクリットの文字で表したのが「種子」です。
例えば大日如来の種子は「阿字」です。
このようにマンダラを種子で表したのが法マンダラです。
4つ目の羯磨マンダラとは、「羯磨」とはカルマのことで、
行為のことです。
諸仏菩薩は、人々を救うために、色々な行いをします。
立ったり、座ったり、色々な印を結びます。
これまでの3つのマンダラを前提とする、
このような変化を羯磨マンダラといいます。
真言宗では、諸仏や菩薩を大日如来におさめて見ますので、
これら4つのマンダラによって大日如来の功徳を表します。
大日如来と一体になれば、これらの功徳と一体になるので、
仏のさとりを得ることができるということです。
三密
三密とは、大日如来の三業で、身密、口密、意密の3つです。
深い禅定の状態で、
手に印を結ぶ身業と、
口に真言を唱える口業と、
心に阿字を念じる意業の行者の三業と、
大日如来の三業とが相応すれば、行者の身口意と仏の身口意が融合します。
すると、大日如来の三密が行者の三業に加持され、入我我入して大日如来と行者が一体となり、
即身成仏できるというものです。
これを「三密加持」といいます。このように、
六大が大日如来のものがらであり、四曼が大日如来のすがたであり、
三密が大日如来のはたらきです。
こうして3つの観点により、即身成仏の理論が明らかになりました。
この即身成仏を体得するための実践方法は観法です。
観法とは、心で何かを思い浮かべることです。
具体的には、阿字観や、月輪観、五相成身観などです。
この心が口に現れたのが真言を口に唱える念誦で、
体に現れたのが供養です。
念誦や供養には、色々な方法が定められています。
ところが真言宗では、供養する際に危ない行為があります。
危ない行為というのは、供養する時に「護摩」を取り入れている点です。
護摩とは、護摩壇で護摩木と呼ばれる木を燃やしながら
祈祷きとうを行うことです。
インドの仏教以外の宗教でも行われており、
色々なものを火に投げ込んで神々に供養します。
真言宗の本当の目的は即身成仏ですが、
やっていることは仏教以外の宗教と同じですので、
息災延命や除難招福などの現世利益を祈って
加持祈祷を始めると、
色々な迷信を引き起こし、
人々の救いの道を閉ざすことになります。
また、危ない2つ目として、
真言宗で大事にされているお経『理趣経』に説かれる男女の肉体関係です。
『理趣経』に説かれた男女の快楽は、仏のさとりから観た煩悩即菩提であって、
即身成仏を果たさずに欲望を満たせということではありません。
自らの煩悩によって、因果応報、自ら苦しむことになります。
このように、真言宗では、
すべて自力で仏のさとりに至るわけではありませんが、
大日如来の加威力を受持して加持成仏するには、
やはり大変な自力の修行が必要です。
名前とか間違えるし、いけてない
だって学校で教えてないもん。
教えないどころか、知っていたら右翼扱いだぞ。
今の文化、伝統、風習、信仰等あらゆるモノの原点で原郷が古代出雲王国に有ります。
決してアニミズムではなく、ちゃんと宗教として、文化として体系化されたモノで、
日本の文化文明は出雲にあり!です。
宗教は出雲王国時代には国教で統治の源泉でもあり、古事記の完成による内容の強制、強要が行われる(現代迄もいたる)以前には
宗教、信仰、社会の規範で有った幸の神信仰を理解しない事には古代は何も見えて来ません。
伊勢神宮には、先ず三輪山の媛巫女が逐われて(キキ神話はウソ)結果的に伊勢に逃避してイザワ富家に庇護を求めて匿われてしばらくした後に五十鈴川の川上に
後に伊勢神宮(内宮)の元となる神祠に
三輪山で祭祀されていた神鏡(出雲族の太陽の女神/大日霎貴尊の形代)を納め奉り奉仕なさったのが原点。
外宮は、その媛巫女を大和から追放した豊国宇佐神宮の媛巫女、豊媛命が三輪山西麓に檜原神社を建立して
宇佐族伝統の月の女神/月読尊を布教。
人々は彼女を稚日女命と尊称して崇敬した。
、、、月読尊は稚日女尊と呼ばれたかしらん。
宇佐神宮の主神=月読尊(女神)=三輪山の檜原神社の祭神/稚日女神=天照大神稚魂尊。
この際、豊媛命は魏から正式に親魏倭王に指名、叙任を受けた。
、、、月の女神/月読尊の媛巫女で親魏倭王。豊媛命。の誕生。
、、、いわゆる女王トヨ。
共に大和入りて平定した物部勢(物部イクメ王(垂仁))との軋轢(総帥のイクメ王の魏の官位を格下の駒にしか思っていなかった異母妹の豊媛命の官位が超越してマサカの王位となった事で豊媛命の命令に従わざるをえなく成った。
結局、物部イクメ王は魏の傘下か(ノ-_-)ノ~┻━┻ら勝手に離脱した)、勢力争いに敗れた豊国宇佐勢は丹波に退避。
そこでも豊媛命は宇佐族伝統の月の女神/月読尊の信仰を布教して
丹波人(海部氏)は彼女やかの神を豊受媛命、豊受大神と尊称して崇敬崇拝、豊国宇佐勢が追撃を受けて丹波を退去した後も変わらず引き続き豊受大神(=月読尊)の祭祀を継続しました。
後に外宮の創建に際して月の女神/月読尊=豊受大神を迎えて創建された
伊勢神宮は天皇幢と同様、外宮に月の女神=豊受大神(=宇佐神宮の神)、内宮に太陽の女神=天照大神を祭る神宮として整備された。
森岩光 さま、お伊勢にも詳しいですね。神職の方ですか?
そして、内宮に主神としての立場を奪われて減封された、宇治系の社/地域が、伊雑宮で星の立ち位置を与えられたと聞いております。
伊勢も出雲も元はアニミズムと言われますが、実際は縄文のアニミズムよりもっと一神教的な宗教をもつ渡来人の人達の関わりが深く影響してると思います。その代表が古代ユダヤの神様ですね。有名などこの神社にも共通しているのは、ヤハウェーであり、それを広めたのが古代ユダヤ支族李家客家の末裔である秦氏を先祖とする藤原家の人達。全国津々浦々に道教の考え方と共に八幡社と稲荷、弁財天を広めていき、大きな神社には何故か競う様に道教の仙人をモチーフとした彫刻が飾られています。上手く政治的に利用しました。それは今も変わりませんね。その前は天御中主神はどうやらヤハウェーなので、他には国常立神やクナト三神、アラハバキ神などの元々の大元の神ですが、日本には神様が余りに多すぎて中心の神様の実態は分からないというのが現実だと思います。今は中々古事記や他の記録を見る機会なんてそうそう無いですから。そういう意味でも今のCovid-19で時間がある時はじっくりと調べてみるのも良いと思います。
秦氏は藤原家の祖ではありません。秦氏は天照大神直系の皇族で縄文人。藤原家は李○が祖です。弥生人。
イスラエルの失われた10氏族の一部が渡来して物部氏となり神道の基を作り、その後南イスラエルのユダ族が秦氏として渡来して天皇家と繋がり神道を完成させていきました。藤原は元の姓は中臣で鹿島神宮の辺りが源流です。
伊勢神宮に祀られているのは、猿田彦(イエス キリスト)。・・・らしい〰️
天照大神だけにしたらいいのにね‼️いろんな神様を作ったのは人間の煩悩だよね‼️
真言宗とは、特徴を簡単に説明するとこのような宗派です。
真言宗は、「弘法大師」として知られるわが国屈指の高僧、空海が開いた仏教宗派です。
仏教とは、お釈迦さまが説いた「人々が幸せに生きるための教え」です。
真言宗も仏教の一つですが、根本本尊はお釈迦さま(釈迦如来)ではなく、大日如来です。
なぜなら、大日如来こそが大宇宙の真理そのものであるとし、数多いる仏さまはその化身であり、お釈迦さまもその一人と考えるからです。
一般的には真言宗を上記のように考えられていますが、本当に数多いる仏様の本仏は、大日如来といえるのでしょうか?
また真言宗の本尊である大日如来については、こちらをお読みください。
➾大日如来とは?意味や真言(ご利益)阿弥陀如来との関係……偉い仏はどっち?
真言宗の教えと深い関わりのある密教については、下記をご覧ください。
➾密教とは何か・呪術や修行など仏教や顕教との違い
以下では、真言宗の目的を確認しつつ、真言宗の教えの中身を解説していきます。
真言宗の目的
仏教の目的は、仏のさとりを開くことです。
仏のさとりというのは、低いものから高いものまで、
大宇宙に52あるさとりの中で、最高の52段目のさとりです。
ところが、真言宗が現れるまでは、仏のさとりを開くまでに大変な長い時間のかかる宗派ばかりでした。
法相宗では、三阿僧祇劫という果てしなく長い時間、
生まれ変わり死に変わりを繰り返しながら修行し続ける必要があります。
華厳宗でも、最短で3回の生まれ変わりが必要とされ、
現実には開祖の杜順を含めて誰もできず、3回どころではありません。
天台宗は、この世で成仏できるといいますが、
開祖の天台大師でも、52段中10段程度しかさとりを得られませんでした。
そこで、真言宗の開祖の空海は、
この身このままで仏のさとりを開く
「即身成仏」が可能である理論を示しました。
従って、真言宗の教えの特徴は、分かりやすく言うと、
「即身成仏」の理論と、その実践方法です。
この世で仏のさとりが得られる3つの理論
空海は、この身このままで仏になれる
即身成仏ができる根拠を以下の3つの観点から説明しました。
1つには六大、2つには四曼、3つには三密です。
即身成仏ができる3つの根拠
六大
四曼
三密
それぞれどんな意味なのでしょうか。
六大
1つ目の六大とは、地大・水大・火大・風大・空大・識大の6つで、
物質と精神です。
物質というのは、地大・水大・火大・風大・空大の5つで、
現象の中に大日如来の力があるということです。精神というのは識大で、大日如来の智慧です。
五大は、智慧によって認識されるので、
六大がとけ合って世界が成立します。
これを「六大無碍」といいます。
この「六大無碍」によって、大日如来と修行者が一体になり、
仏のさとりがえられます。
四曼
2つ目の四曼とは、大日如来の功徳を表す四つのマンダラのことです。
4つのマンダラとは、
1.大マンダラ
2.三昧耶マンダラ
3.法マンダラ
4.羯磨マンダラ
の4つです。
まずマンダラには、『金剛頂経』に説かれ、
大日如来の智慧を表す金剛界マンダラと、
『大日経』に説かれ、
大日如来の慈悲を表す胎蔵界マンダラの2つがあります。
1つ目の大マンダラとは、この2つのマンダラに描かれる
諸仏菩薩がそれぞれの徳と姿を持っていることを言います。
2つ目の三昧耶マンダラとは、諸仏菩薩それぞれの本誓を表します。
諸仏菩薩は共通して何とか人々を助けたいと思っていますが、
本願が異なるので方法が異なります。
それを形で表わされた、薬師如来の薬つぼ、観音菩薩の蓮華、
不動明王の刀剣などの能力や本誓です。
3つ目の法マンダラは、種子マンダラともいいます。
仏のさとりは一つですが、
諸仏はそれぞれの機縁に応じてこの世に現れるので、
それぞれの固有の名前や性質があります。
それをサンスクリットの文字で表したのが「種子」です。
例えば大日如来の種子は「阿字」です。
このようにマンダラを種子で表したのが法マンダラです。
4つ目の羯磨マンダラとは、「羯磨」とはカルマのことで、
行為のことです。
諸仏菩薩は、人々を救うために、色々な行いをします。
立ったり、座ったり、色々な印を結びます。
これまでの3つのマンダラを前提とする、
このような変化を羯磨マンダラといいます。
真言宗では、諸仏や菩薩を大日如来におさめて見ますので、
これら4つのマンダラによって大日如来の功徳を表します。
大日如来と一体になれば、これらの功徳と一体になるので、
仏のさとりを得ることができるということです。
三密
三密とは、大日如来の三業で、身密、口密、意密の3つです。
深い禅定の状態で、
手に印を結ぶ身業と、
口に真言を唱える口業と、
心に阿字を念じる意業の行者の三業と、
大日如来の三業とが相応すれば、行者の身口意と仏の身口意が融合します。
すると、大日如来の三密が行者の三業に加持され、入我我入して大日如来と行者が一体となり、
即身成仏できるというものです。
これを「三密加持」といいます。このように、
六大が大日如来のものがらであり、四曼が大日如来のすがたであり、
三密が大日如来のはたらきです。
こうして3つの観点により、即身成仏の理論が明らかになりました。
この即身成仏を体得するための実践方法は観法です。
観法とは、心で何かを思い浮かべることです。
具体的には、阿字観や、月輪観、五相成身観などです。
この心が口に現れたのが真言を口に唱える念誦で、
体に現れたのが供養です。
念誦や供養には、色々な方法が定められています。
ところが真言宗では、供養する際に危ない行為があります。
危ない行為というのは、供養する時に「護摩」を取り入れている点です。
護摩とは、護摩壇で護摩木と呼ばれる木を燃やしながら
祈祷きとうを行うことです。
インドの仏教以外の宗教でも行われており、
色々なものを火に投げ込んで神々に供養します。
真言宗の本当の目的は即身成仏ですが、
やっていることは仏教以外の宗教と同じですので、
息災延命や除難招福などの現世利益を祈って
加持祈祷を始めると、
色々な迷信を引き起こし、
人々の救いの道を閉ざすことになります。
また、危ない2つ目として、
真言宗で大事にされているお経『理趣経』に説かれる男女の肉体関係です。
『理趣経』に説かれた男女の快楽は、仏のさとりから観た煩悩即菩提であって、
即身成仏を果たさずに欲望を満たせということではありません。
自らの煩悩によって、因果応報、自ら苦しむことになります。
このように、真言宗では、
すべて自力で仏のさとりに至るわけではありませんが、
大日如来の加威力を受持して加持成仏するには、
やはり大変な自力の修行が必要です。