【迷列車で行こう エイダン編】第捌話 さよなら、グッバイ変電所 〜イロトリドリに光る103系〜 「国鉄103系 常磐線 混色編成:マト5編成/12M3T編成」
HTML-код
- Опубликовано: 9 фев 2025
- いつもご視聴、ありがとうございます!
【シリーズ:国鉄型地下直車の歴史編】
第一編→ • 【迷列車で行こう エイダン編】第肆話 塗装...
第二編→ • 【迷列車で行こう エイダン編】第伍話 焦げ...
第三編→ • 【迷列車で行こう エイダン編】第陸話 迷車...
第四編→ • 【迷列車で行こう エイダン編】第漆話 今、...
第五編→本動画
第六編→ • 【迷列車で行こう エイダン編】第玖話 生ま...
宜しければ、チャンネル登録を宜しくお願い致します!
他の動画も是非ご覧ください!
/ @tourin_205
【参考文献・出典】
103系物語 毛呂 信昭/著 JTBパブリッシング
1983.84.85.86.87.88.91年 国鉄電車編成表 JR電車編成表/ジェー・アール・アール
東武鉄道思い出の73・78型様 常磐快速103系4色編成
kaede150421.blo...
【画像・動画出典】
作者撮影
フォトAC
PhotoLibrary 購入品
pixta 購入品
js3vxwの鉄道管理局様
裏辺研究所様より転載可能画像
Wikipedia commmons
cheap-graphics...
【BGM】
ニコニ・コモンズより
sanche様
(commons.nicovi...)
この場を借りまして深く御礼申し上げます。
【使用端末・アプリ】
iPhone 14
Ibis paint
CapCut
#迷列車で行こう #301系 #103系 #jr東日本 #千代田線 #常磐線 #地下鉄 #営団 #国鉄車両 #国鉄型 #国鉄
当時『太陽にほえろ!』で
この混色カオス編成が目白押しだった常磐快速線をネタにした『四色の電車』という話が放映されました。
調べてみましたが、混色編成に腹を立てた男がダイナマイトで常磐線と心中するぶっ飛んだ内容だそうで……。とんでもない話ですが、趣味者的には面白いですね!常磐線の混色編成が59年2月から走り始めた……という話も、マト5が組成された年月日と重なりますので、非常に興味深かったです!
@@tourin_205 @ さま
このドラマ放映(84年 11月23日)後 国鉄当局のお偉いさんが現場に「こんなドラマ迄放送されて 早く何とかならんか。」と苦言を呈したそうです。
その後 10両全てが1000番台地下直カラーそのまんま編成はあったものの それまでの混色編成は 急速に エメグリへと塗り替えが進んだと記憶しています。
常磐線はエメラルドグリーンじゃないと常磐線じゃないんだ!という男
まだ「オタク」という言葉の無い時代「マニア」が女性から忌諱されていた時代、上手に話をまとめていました
ちなみに本話の脚本は古内一成さん、のちにコナン劇場版第一弾の脚本を担当します
@@ふゆせみ さま
古内一成さんは『太陽…』時代 『四色の…』の前にも『一枚の絵』という これまた電車ネタの話(誘拐された少年が落としたスケッチブックに描いてあった黄緑・青・赤・白4本の線の色から どこかの電車の車庫近くに監禁されている事を トシさんが突き止める。因みに東神奈川電車区とその隣の京急新町検車区)を書かれましたが これは その頃スランプに陥り 岡田晋吉プロデューサーから「脚本は足で稼げ。」と アドバイスされて 東京近郊の電車を乗りまくり そこから閃いたそうですね。
気になる
8:47 横浜線の103系カマ72編成も、青・黄緑・黄緑・朱色・エメラルド・エメラルド・青のゲテモノ4色混合編成103系verでした。
しかもこのカマ72がゲテモノ4種混合編成になっていたのがたったの1日だけしかみられなかったとの事
ついでに、4回も色変があったというね…
あの編成はあの編成で「ゲテモノ」を極めてますもんね……。ただ、運行期間がこちらは1ヶ月程度あった模様で、そこは勝ってる……のか?(どっちもやばい事には変わりないのですが💦)
横浜線にも混合編成あった気がすると思ったらやはりあったんですね。自分が見たのはそこまでカラフルではなかったと思いますが2,3色?混合だし前に横浜線って看板出してるだけでお下がりなんだろうなと思ってました。一応首都圏なのに当時はまだ単線だし菊名駅とか東横線との乗り換え改札なかったりでビックリした記憶があります。色々知らなかったのでてっきり赤字路線かと思ってました。
@@いとへん-b7w 横浜線は国鉄末期含めてずっと黒字です。今でも、全国のJR在来線営業係数で比較すると、トップ5に入るかぐらいです。コロナ禍除いて、だいたい70〜80の投資で100円儲かる路線だとか。
つい最近まで、お隣の流山電鉄のオムライス編成が話題になってましたが、それすら霞んで見えるゲテモノ混色がいるとは、いやはや…。
色の混ざりっぷりが「段違い」ですからね……w
しかし、今となっては混色になる車両自体が珍しくなってくる時代。インパクトは昔に比べては足りなくとも、色々と写真に残しておきたい所ですw
マト103はやはりカオスで良き
敬遠されがちのクモハ103を上手く活用していた路線なのがやはり特殊で良き
編成表を見ると、それが良く分かりますよね!付属の4M1T編成を組成する時も、上手くクモハが活かされています。
@tourin_205 マイクロから出てる0 1000番台混結15連にはクモハが2両入ってますし
大活躍してたのが編成みて分かりますよねぇ
まぁ他線区だと4連組むこと多くてクモハは弾かれたりしてましたが
広島のワンマン3両快速のために
純正クモハ103最後の1両が広島で活躍していたのはあまり知られてない事実
京浜東北線 山手線 京浜東北線 関西本線 片町線 山陽本線呉線へと渡り歩いたクモハ103-48含む広ヒロD01編成編成内全ての車両が形式別最若番車両で構成されてた奇跡の編成
103系語るなら広島の103系も欠かせませんよ!元武蔵野線E38編成も広島に居たし(地下鉄は関係ないけど……)
「や〜い、ゲテモノ4種混合編成〜♪」
どう考えてもアンタの方がゲテモノじゃない!この「電動車バカ積み編成」!
209系500番台「な、なんて醜い争いなんだ。」
武蔵野線205系😂
武蔵野線205系😂
め、迷…ループ……!?
このコメを見る前にとある場面で2回ほど207-900が映りこんでいることに気付いた人は果たしてどれぐらいいるだろうか
後ろにちらっと……数回出てます。よく気づきましたね……w
15両化に伴う付属編成のくだり
で出でますね…
あれ整備のマニュアルも違いすぎて使い勝手も悪く扱う立場の人は手を焼いていたみたい。
ボーっとしていて
何故か京浜東北線の205系だと
思い込んでいた自分…
@@ゆっくりコルドロン
山手線がオール205系になってその後横浜線で京浜東北線もそうなると思ってたら209系が現れて103系より先に消滅したっけ?
ちなみに京浜東北線に分割編成がいたのは、103系を新製投入した当時の電車区構内の有効長の関係で、分割できる必要性があったためだと聞いたことがあります。
同じ理由で武蔵小金井電車区と中野電車区の201系も分割編成で登場したそうです。
仰る通り、下十条電車区(北モセ)の有効長が7両までしかないために、京浜東北線では分割編成が多数存在していました。
@@tourin_205
モセは8両、カマが7両です‼️
@@103jnrすみません!そうだったんですね💦
7+3のイメージが強くて、てっきり7両有効長かと……。(確かに、103系の最低組成両数は3両なので、8+2は組めず7+3になった……のでしょうか?)
@@tourin_205
京浜東北線は2+6or8両貫通→3+7or10両貫通→4+6or10両貫通のような変遷で組成が変わっています。(編成の奇数向側から書いてます)
輸送力調整の側面もあったようです
103系物語p89より
@@103jnr 手元に同じ書籍があったので、拝見したところ8連が存在したようですね。これは失礼いたしました.......。7+3等の増結可能な編成をうまく活用して、輸送力を適切に調整していた歴史もあるようですね。いやぁ、京浜東北の103も突き詰めたくなってきましたw
ちょうど松戸区が(というより勝田区を含めた常磐線が)面白い時期の1988~1997年に常磐線・成田線を利用していたので懐かしさを感じながら拝見しました。ありがとうございます。
ATS-P導入、白電方向幕本格利用、非冷房車・初期車の一掃、車両更新、電連整備に伴う基本編成の組み換え、113系運用の廃止(成田線)などなどがこの時期にあって、朝乗った編成が別の車両を組み込んで夕方の運用についていた、なんてこともざらにありました。
そしてそれをすれ違いざまに判別する眼力を持っていたことに自分でも驚きます(笑)。
103系だらけの常磐線、しかも1番美味しい時期を体感されておられる……羨ましい限りですw
朝乗った編成が、別の車両を組み込んで夕方の運用に就いていた、とか言うパワーワードw もう驚きですw
そりゃ、電車編成表でも追い切れないワケですよね……。
車両更新については103系や113系はかなりの数で115系はまあまあでしたが403系や415系ではあまり普及しなかったのは謎です。
@@tourin_205 編成表のコピー取って修正液で直して…、なんてことを繰り返してましたね。運用、という概念をちゃんと理解したのもこの頃でした。
@@寿一-h1e 403系は車両更新してたイメージです。ユニットでクーラーの形態が違うのもいたような。500番台や700番台はロングシートが割とふかふかだったのでそのままでも全然良かったです。
@@charityaadeus
編成単位でやってたのは少ないかと思います。クハのみで中間が500番台や700番台とかだったりです。500番台700番台は更新のようで更新じゃない偽更新だと友人は嫌ってました。自分も嫌でした。
415系だとステンレスの1500番台が好きでたまに来るオール編成はラッキーでした。
全部白電だと舌打ちしてました。
当時、なんじゃこりゃ?と思いつつ乗っていました。
混色編成を見なくなった頃、乗るとドア下レールの隅っことか、塗り残しや剥がれがあって、イエローやオレンジがチラホラ見えてましたよ。
慌てて塗ったんかなと思ってました
編成表で車両の動きを追っていくと、民営化以降、急速に塗り替えが進んだ印象がありますね.......。車両区で塗り替えを施行する例もあったらしいので、やはり急いでいたのでしょうか。慌てて塗った感は否めませんね💦
そう思うと旧型国電の茶色一色って合理的だったんやね
ラインカラーもへったくれもありませんでしたが、まぁ転属はやりやすかったでしょうねw
E231系とE233系の混色編成面白かったです笑 本当に走ったらカオスですよね
恐らく今の車両はハイテクなので、連結できたとしてもまともに走れない可能性が高いですね……w
@@tourin_205走ることは走りますが個体差、性能差があったりするのでブレーキする時の癖が酷くなると思います
いや、あれはクハに読替装置を積んでいるから編成単位の場合に限ってできるだけであって、
編成の途中だと信号線が違うから動かすことすらできないのでは?
4色カラフル電車に12M3Tの超ハイパワー通勤電車…
もうツッコミどころ満載な車両たちですね😅
一組カットしたとしても、パワーユニット5組って十分すぎますよね😅
10Mならそれで十分だと思いますw
ホントに松戸区の103はツッコミどころが多すぎて、変に尺を伸ばしてる訳でもないのに4部作構成になってしまいましたw
大阪環状線では6M2Tの編成や転属によりスカイブルーやウグイスのまま運用する車両もいましたが、そんなのが可愛く見えるくらいカオスですね。
103系ではないですが、かつてムーンライトながらで運用されていた183/189系は8M2Tで東海道線を爆走していたのもなかなかだと思います。(183系列にはサハが存在しないので仕方ない面もありましたが)
485、183系の国鉄特急形はモハユニットを増やさないとパワー不足なんです。東武日光線直通の485系はパワー不足でダイヤ維持が出来なかったそうです。
波動用の183/9系列にも面白い車両がたくさんいましたね......。それはそうと、8M2Tだとうるさくて寝れなさそう.....w (まぁ、ながらで熟睡しようなんて贅沢ですがw)
一回、下り(91号)が豊橋→名古屋無停車のはずが岡崎で急病人対応停車に遭遇した事がありました。
しかしその後はかなり爆走して名古屋はほぼ定刻到着でした…(恐らく120km/h出してたはず)
まぁ、無停車なのに日中の快速並の走行時分とスジが寝てたから成せた事だと思いますけどね。
JR初期の松戸、のこたんやボーボボくらいカオスだなぁ
カオスすぎて他の線区が可愛く見えてきます、まぁ他も他で大概なのですがw
常磐線は過去 "国鉄103系時代"
10両編成で、先頭と後部の2両ずつを緑色・その他 京浜東北線の青色を2両・中央線のオレンジ色を2両・総武線の黄色2両を挟み、堂々とファンサービスとして 走らせた事 が有りましたね (笑)。
そんなことが.......w
平成生まれの私にとって、103系と言えばエメラルドグリーンの常磐線のイメージが強いのですが、やはり最後まで残っていたからなのでしょうかね。地下直車も、地上線も103系だった時代は、まさに103系天国という言葉が一番似合う時代だったのでしょう.....見てみたかったですw
@tourin_205 さん、素敵なお返事に感謝します。
今から「40年位前」の "103系黄金時代" に国鉄が行ったサービスでした。
多分 御存知で、記憶されて居る "鉄道マニア" が多数存在すると、思います (^o^)。
マト5編成 よくやってくれました🙇
大ミハから来た2000番台ユニットの戸袋窓には『車内禁煙🚭️』のステッカーが貼られ それまで客車列車でタバコ吸い放題だった福知山線の乗客への警告なんだなと思いました。
本来は福知山線編成から抜かれた全てのユニットが関東に転属する予定だったものの 2ユニットのみが来て あとは淀川の低年式ユニットと差し替えられました。これは 新しい2000番台を関東に渡したくない 大鉄局の思惑ともいわれました
なるほど、淀川から流れてきた車両にはそんな裏話が……59.2改正に合わせての車両の流れを追いまくっていたので、色々と参考になります!
マト5編成を組成した車の中で、廃車まで一貫して松戸に残ったのは、関西・福知山線の名残を色濃く残してやって来たM778.M'2035ユニット……運命とは分からぬものです。
マト5編成沿線小学生から色きち電車と呼ばれ乗れたらラッキーと言われていた。長い期間走っていたような気がしたけどわずか1ヶ月だったんだ。懐かしいいな〜🤣
色きち電車……昔の子供たちはそんな呼び方をしてたんですね。やはりカラフルな電車は目につくことが多かったのでしょうか?
資料上、この4色編成が走ったと確認が取れたのは1984.2~3の間の1ヶ月程度なんですよね。確実に84年4月には解消されているので、活躍は非常に短かったようですね。(カマ72よりマシですが……)
@
ちびっ子は変化球的なもの大好物だから、私も含め電車好き子供たちはグリーンと千代田線カラーの混在編成も好きでしたね〜
やはり103系は色々とえぐい…
韓国にも103系をベースに製造された車両がいますが、先頭車化魔改造されたり、製造からまだ浅い車両を全く別の車両に流用したり…やっぱし103系シリーズは色々とぶっとんだことになりますね…
韓国のあの車両も、やはり103のDNAを受け継いでいるからなのか、色々エッグい噂を聞きますねw
はじめまして。黄緑6号と黄色5号の混色の総武線103系、実際に何度も乗っています。民営化直後に幕張電車区で黄緑6号→黄色5号の塗装変更を施工しましたね。常磐線では非営業ながら103系導入前に三鷹電車区の101系が運用されたことがあります。目的は401系の習熟運転のためで、平日に松戸~取手間を一日4往復運転されており、401系の製造が間に合わなかったため駆り出されたそうです。209系1000番台が多く語れるのは必然ですね。
それは存じませんでした。
常磐快速線は 中高速性能に優れる101系に置き換える計画もあったそうですが その時点で既に『低年式車』となっていた事 他線区で車両が要るようになった事もあり 実現はしなかったそうで それより遥か昔に101系が 試運転とはいえ常磐線を走っていたとは驚きました。
因みにもしご存知でしたら どこから借りた編成だったのでしょう?
@@toriri-service 三鷹電車区からの借り入れで編成はクモハ101-61、クモハ100-61の2連でした。
@@クモハ5185 さま
ありがとうございます。
当時の中央快速線用 付属編成ですね。
マト5編成が走る20数年も前に オレンジ🟧の新性能電車が常磐線を走ったなんて ちょっとしたロマンを感じます。
まさかの2連の101系が、常磐線を走っていたとは......初耳です。401系の代役を、101系がしっかり務めることができたのかは、些か疑問ではありますが.......笑 新系列という括りであれば、良かったのでしょうかね?
非常に興味深いお話、ありがとうございます!
1984年2月には混結以外にもEF62が下関に行ったりクロ157が房総半島に初めて入ったりC57 1が復活したりなどいろんなことがありましたぁ 鉄道ファン1984年5月号から引用
1984年2月……色々あったんですねぇ。当時の鉄道ファン誌面を読み返してみると言うのも、楽しいものです!
なんでもできる故、何をしても伝説級のネタと化す
それでこそ国鉄最狂の汎用車!
ホンマに何をしてもネタになるんですよね、この系列。沼すぎますw
身近な所でのお話、面白く拝見させていただきました。
ユニット単位での転属は、やはり国鉄時代ならではのお話ですね…現代でもぜひ見てみたいものですが
103系の汎用性が色濃く出ているエピソードですよね!
やはり「ユニット単位」の細かい転属は、205系が最後だったように感じます.......。これ以降、見れることはあるのでしょうか、趣味者的にはもう一度見たいところですがw
混色編成綺麗で好きなんだよなぁ
カラフルで見る分には楽しいですよね〜!乗客として乗る立場になると......ホーム間違ったか!?と自分を疑いそうw
京急には、12M0Tと言うやつがあって出力155kwのVVVFインバータを×4×12で編成出力7440kwのよくわからん脳筋みたいな物もある 銀千4連を3つ繋げたブツ12や1800番台を3つ繋げたブツ12等で見ることができる
オールMはフルノッチが禁止されてるらしいです。
1800番台✕2の8M0T編成は 京成から出禁をくらいました。
@@toriri-service出禁出した?のはどっちかと言うと都営の方・・・(どこぞの東武30000みたく中間運転台が邪魔という理由で、あと京成線内はリミッターかけて運用してたのでそこまで文句が出たかと言うと疑問符。)
事実旧1000の12両は12M0Tだったよね
一度どっかの動画の神奈川新町での乗務員交代の際、下車した運転手が車番読み上げた後に乗務運転手が「オールM!?」ってびっくりしてたシーンありましたねw
この時代から時がたつこと数年。網干区に6M1Tの115系が誕生することになるw
サムネの右側、メチャクチャ凄くないか?
この時代に、こんなに鮮明な画像があるなんて!
関西本線も台風で車両が水没して、101系113系がカオスでしたよ、更に先頭車にはお約束の黄色の横棒も入れてたし。
101の床材のコルクが水を吸って、大多数がダメになってしまった事件ですね......。113の全車は修理復旧したようですが、床材が水を吸うレベルの深さの浸水。修復はかなり大変だったのではないでしょうか.....と思ったりします。
103系は5色もいて混色がカオスを極めましたね(113系・115系は湘南色とスカ色のみだった頃はまだマシ、2006年頃の日根野では2編成併結で4色という事もありましたが)。
かのマト5編成の4色混色は全て関西転属(出戻り車)だったとは(出戻りなら広島・岡山に行った115系が小山に帰って来た事もありましたが湘南色のまま)。
そして15両化の政策は常磐線の複々線化が他線区と異なったために出来た技であり、他線区のように中距離と快速の分離(+地下鉄直通)となっていたら、常磐線もどうなっていたのか(あと5両でクモハ103を上手く活用出来たのもミソですね)。
やはり103系で制作した動画を「103系編」でまとめてみてはいかがでしょうか(笑)。
次回も楽しみ
お楽しみに!九州の103にもぜひ乗りに来てくださいねw
1ユニットカット運転時でも、発電ブレーキは全ユニットで動作するようになっていたんですよね。
今回もお待ちしておりました
103系ってほんとに昔はゲテモノでしたよね
混色あってもおかしくなかったですしなぁ
混色を追うのが醍醐味、みたいな所はありますね笑
電車編成表でも追い切れない部分が沢山あるので、もう大変ですが……笑
不思議です
先頭車がエメラルドグリーンなんて、国鉄の良心があります。
グチャグチャすぎて面白いですね。そういえば103系で一番転属を経験した車は誰なのか気になってきました。E231系とE233系混結コラ画像すきですww
横浜線とかもそうだった、前面に横浜線の表記ではしっていたけど色は青と緑、先頭車は後期の高運転台500番代、しかしモハは初期の8とか、
それが総武線のトラブルで総武線を走って来た事があって途中で運転打ち切りとか、国鉄だから。
学生時代に使っていた武蔵野線もこんな編成が多くて、2色や3色混合の列車によく乗りました。しかも、当時は日中は利用客が極めて少ない閑散路線だった関係か、非冷房の車両が混じっていることが多くて、ハズレの列車にあたると夏は地獄でした。80年代半ばの話です。
国鉄型だからNゲージみたいに色々な編成が繋げる事が出来ますよね。
リアル鉄道模型状態なのが、ホンマにおもろいですよね笑
武蔵野線も初期は寄せ集めでした。常磐線は殺人的な混雑率が印象深いです。
武蔵野は、主に1000番台地上線転用で溢れた松戸の車両を受け入れていたので、編成の殆どが青緑1号なんてこともあったようですねw
ちなみに、このゲテモノ4色混合変性を組成していたほとんどの車両が、S60~61年にかけて松戸から豊田に転属し、武蔵野線を走行することになった....という後日談もあります。
マト5編成は8㌔位チャリ漕いで江戸川鉄橋で写しました。
後年東のイベント5色編成もビックリの編成でしたね。【1000番台が山手線で客扱いした唯一の編成】
民営化時東に採用された方の話ですが、1か月の貸し出しでも貸出線の色にすると言う事を話されていまして、千葉の113が末期に湘南色にしたのはファンサービスだったんでしょうね。
12M3Tって言う脳筋パワー厨丸出し編成好きです。
やはりパワーはすべてを解決する。
あとタイトル見た瞬間に某VTuberが変電所破壊したかと思ったのは自分だけじゃないはずw
今のE231系の6M9Tとかいう貧弱編成とは真逆だな。
常磐線の103系ってこんなに複雑だったんか…沿線民なのに知らんかった
もう40年くらい前の出来事ですからね.....。こうして多くの人に103系のゲテモノ伝説を知ってもらって、伝わっていけばいいな、と思ったりもしてますw
@ 常磐線の模型メインで収集してるので103も欲しいと思いつつ沼にハマりそうなので怖くて買えませんw
12M3Tなら安心して碓氷峠を登れるね!!!(小並)
ちなみに碓氷峠を115系が8M2T(モハ1ユニットは死重)の11両で登ったことがあるらしいですが…。
なお登るだけで降りれない模様
猫かよ
ブレーキを強化しないと下りれないですからね。
EF63の如く、電磁吸着ブレーキでも搭載しないと😅
登るだけで降りれない……MAXあさまとは真逆の状況なのがまた面白い🤣
さすが日本一製造された電車、奥が深い...
製造数の多さは、沼の深さと比例する……ような気もします、もしかして233も……そうなるかも笑
当時の太陽にほえろ!に、サブタイトル4色の電車というエピソードがある。
国鉄末期、武蔵野線と青梅・五日市線6両編成が共通になって、五日市線に色々と走って楽しかった。
私の師匠は40年間常磐線一筋の鉄道職員だった。当時は転配属により松戸での編成組み換えが大変だった。1000番代のみの編成はとてもスムーズに走るが15両にして一般車と混結するとギクシャクしてお客から下手くそと言われた。駆け込み乗車がありドアの再開閉が続くとスイッチが故障した、等々生前言っていた。ドアが60枚もあるからね!
そういう事で横浜線も多色編成で走ってたんですね。八王子と東神奈川で乗り間違えする人いたろうなぁと想像します。それにしても変電所キラー東日本にも居たとはね。
横浜線も、京浜東北から流れてきたスカーブルー編成が多数走っていたらしいですね。前面にサボはついていたみたいですが、ボーッとしてたら絶対乗り間違えそうw
昔、横浜線でも3色くらいの103系がいたような…子供の頃、祖母の家に行く際に見た記憶が有ります。
あったような
車両番号はオレンジのサハ103-61だったかな?って事くらいしか覚えてないけど
昔の横浜線とか、南武線にも混じってるの居た気がします。
子ども心には、何とも可愛く思いましたけどね。
オレンジのは中央線のお古かな?とか、思いましたね。
これ、ボクも小学生の時に南武線で見たことある。黄色、オレンジ、水色にエメラルドグリーンだったと記憶してます。
南武線も混色が普通だったけど、これにはタマゲタよ。あと、律儀にドア上には南武線って黄色いシール貼ってた。
当時千代田線に乗るために綾瀬駅をよく利用していましたので、このゲテモノ編成はよく見かけました。
……その編成の様は、まさに何じゃこりゃ状態😅
ハマの1日限定4色編成が霞んで見える
カマ72も大概でしたがねw
15:45の編集すこ
付属編成どうしの10両も、2M3Tどうしがペアになって4M6Tで走ったこともあったような😅
逆に4M1Tどうしの8M2Tも。
103系=カオス
確かに
仰る通りですw 流石、日本一製造された通勤電車w
現在も付属編成で5+5で走ってるE231系がたまに見ることがありますね。
そうですね!たま〜に成田線で5+5を見ることがありますね!
@tourin_205 常磐快速線でも見れますよ5+5の10両編成が朝だけですが
常磐線の103系の混色について。
昭和50年代中期〜末期には、常時エメグリの中にウグイス色やスカイブルー色が混在した編成が走っているのを実際に見ました。
当時はエメグリ一色の編成、あまり見かけた事はなかったですね。
2色混色はザラにあったし。
うぽつです!
昔、大阪環状線でオレンジバーミリオンとウグイス色の混結編成がいましたね……
10:09違和感ない笑
15:55 パワー厨すぎる……笑
日根野の225系の4+4でも8Mなのに
Nゲージで再現できそう()
次回、〇〇に残る103系編楽しみにしてます!!
あと阪和の方でも大阪環状線車と大和路線車の混結やってませんでしたっけ?
@@tanamoida2597
やってましたね!
しかもウグイス色とオレンジバーミリオンの混結編成が走ってたらしいです
19:35筑肥線103系だったりして〜見てたら本当に筑肥線だった!次回私の大好きな筑肥線103系!?
迷要素沢山あります!
是非是非、お楽しみにしていただければ!
常磐線関係の混色編成だと
485系ひたち色が新潟に転属して
上沼垂、国鉄色に混じって
新潟雷鳥とかで走ってたんでしょ?
みのりで長野にも入線してたかも…
つくば博が終わって 余った415系500番台の一部が南福岡へ転属し 同所の(こちらで言うところの)赤電色と 新常磐線色の混色で走った事もありました。(後のJR九州カラーは 新常磐線色が参考になったとも)
因みに南福岡からは代わりに485系ヒゲなしボンネット 赤スカートの九州仕様のままの初期車が勝田へ大量にやって来て『ひたち』大増発に充てられました。
113系も例えば湘南色とスカ色との混成などが有りましたね
いまのE231系やE531系が6M9Tで問題なく走れることを考えると、12M3Tって相当電気代のかかった編成組成ですよね。VVVFインバータ制御の高性能さが痛いほど分かりますね…😨
車体が軽いのも走れる理由です。
ただ、E231系やE531系などは必要な加速力を得るために力行時に過負荷運転をしているので、VVVF車が省エネとは言えかなりの電力消費はします。架線電圧計を見るとそれなりに針が下がりますしね
技術の進歩を感じますね。モーター過回転状態で走り続ける新系列電車は、国鉄型とはまた違った唸りっぷりを見せますが、それも面白いものです。
ただ、103系にとって高速度域での連続運転は、性能的にきついものがあったはずなので、10M5Tでも苦しい所はあったのではないか……と思ってしまいます。(1個人の妄想ですが)
四色混合・・・横浜線カマ72編成が1日限定でやったな~
これぞカオス理論
ホンマに103系カオス理論で大学の講義できそうw
こんなに組みかえやっててだるいわけで、そりゃE231系とかで半永久的に固定化したくなる気持ちがよくわかるほどだ。
横浜線の103系より上がいたとは
カマ72ですね、あれはアレで酷かったw
知人のイベントに参加しており遅れました。
色物、脳筋…本当に103系のカオスさはとどまることを知リませんね。12М3Tって出力は違えど500系新幹線(16M0T)並の電動車比率ですよ…。
あと確か横浜線(だったっけ?)にも色物がいたはずです。
100系が12M4Tなので、ちょうどそんな感じですね……w 最早新幹線車両並のパワー厨状態ですw
12M3T……あのうるさいスカレンジになると思うと恐ろしいっすね…
スカレンジを12M3Tなんかにしたら、大変なことになりますよw
…惜しい、ウグイス色が有ったならコンプリートだったのに…(←マテ!)(笑)
つか、やはり103系の泥沼は底無し沼だった…(笑)
コンプリートしたら、5色詰め合わせ特別運行のおもしろ電車の立場が無くなってしまいますw
ウグイスとスカイブルーは昭和55年頃から見ていましたが、オレンジとイエローが来た時は驚きました。
「大ヨト」「大ヒネ」とか表記もそのままで走っていたのも驚きでした。
昭和59年頃、エメラルドの中にオレンジが6両入った編成があり「ツギハギ電車」として『太陽にほえろ!』に出ました。
車内は103系ではなく小田急でした…
「大ヒネ」正しくは「天ヒネ」です。
※当時天王寺鉄道管理局日根野電車区、現吹田総合車両所日根野支所
大ヒネ表記はJR西日本になってからです。
EF200とこいつらが共存しなかっただけマシ…なのか?
そんなことが起こったら……どうなっちゃうんでしょうね、まじでw
マト5編成って文字通り東西奔走転属した車両をかき集めた結果とんでもない雰囲気をマトってしまった編成だった
また上手いことを仰っておられるw
その雰囲気を「マト」っていたのも、1ヶ月だけでしたが……存在感は物凄かったでしょうねw
カマ72をわすれんじゃねーぞ()
あれもバーミリオンオレンジが近モリ、水色が近ヒネだにぇ
絶対松戸区側で 意図的に組成したとしか思えませんでした。
『マト』もじゃないですね。
武蔵野線には6両で4色(McM'青T黄緑MM'青緑T'c朱)ってのがいたなぁ。
元々全車冷改の3色だったのにモハユニットを松戸から転属してきた非冷房に差し替えて4色化した。
わざとやったのか他の事情でたまたまそうなったのか・・・
豊橋鉄道元都電がまた車体をのせかえたハリボテ編やってほしい
5:39 山手線おもしろ電車と比にならないくらい衝撃
あれは意図的に組んだものですからね……偶然の産物、マト5には勝てない……と思います、個人的にはw
なお今回と同レベルのカオス混血103は横浜線にも居たのだが、それはまた別のお話…
カマ72ですね、あれはあれでゲテモノの極みでした笑
京浜東北から移籍したばかりのブタ鼻ヘッドライトじゃないのも今となっては良い思い出?
そうですね、意外ですがJR化後もデカ目の白熱灯の車両が一定数残っていたようで……。
こんにちはです。
5:40
な、なんじゃこりぁぁぁぁぁ!!!!!
これは鉄ちゃんとお子様が見たら喜びます!
サハ103-2ってもしかしてクハ103-1・2と編成組んでました?
池袋→下十条→関西の経歴同じだったような
クハは1が501とペアになり森ノ宮、2はクハ・サハとも鳳へと生き別れました。
ちなみにサハの1は2とともに鳳→日根野へ移り、JR化の翌年日根野への205−1000投入により奈良へ異動、最後は宮原に異動し再度ウグイス→カナリア→スカイブルーと色替えし活躍しました。
国鉄末期は混合色編成が多かった記憶があります…山手線でも色とりどりだったような。。。
子供ながら、やりくり大変そうだなーって思っていた記憶があります。
余談ですが、当時、いちばん困ったのが「電車」を待っていたら「電気機関車牽引の客車列車」が来た時です。
客車列車は「銀河鉄道999」の知識しかなかったので特急料金が必要なんか??ってテンパりまして、
近くのオバちゃんに乗車券だけでOKなのか聞いたもんです。
昔、横浜線の103系でも混合編成が運行されているのをどっかのサイトで見たことがあります…。例えば、横浜線のカラーはウグイス色のはずがなぜかスカイブルー色も混じっていたりなんてのもあったりで、誤乗防止のため必ず前面に『横浜線』のサボを掲げて運行しているのがしばしばだったそうです(とはいえ、当時初期車も混じっていて側面に方向幕のない車両もいたので何行きかはほぼ先頭車の方向幕を見ないと区別できなかったのがネックの模様)。でも、まさか常磐線の103系であんなに車両ごとに色が違う形で編成を組みまくった結果…まさに支離滅裂な編成。もはや素人目で見た目だけでは何線なのかさえも分からなくなるほどカオスw
その挙げ句関西からも103系の車両を引っ張り出して無理やり編成組ませたりで・・・本当に国鉄末期の四面楚歌さが浮き彫りになった感じですね
横浜の103は殆どがスカイブルーの時代もあったようですね……。初期車は仰る通り側面幕のない車もいたため、本当に「これはなんなんだ」状態だったのかもしれませんw
常磐線の直流電車は何でこうもゲテモノ揃いなのか
魔境・常磐線、流石と言うべきでしょうかw
いつかは、忘れましたが、
モハかサハの妻面の扉をロックして、クハと連結した編成が、あった。
今回も非常に楽しく拝見させていただきました…
5:43 10連でこれはやばい…しかも編成の半分が元関西って…
10:31 似たような話をどっかで聞いたことがあるような…
転属車、全部関西なのはビックリですよねw 後期車モハの2000番車、そして若番サハ103-2が同居しているのも面白い所ですw
伝説……あっ、ハエの大窓の……w
@@tourin_205
しかも宮原のやつって、確かこの当時新製から3年しかたってなかったはずですからね…
@ 他の方のコメントで私も初めて知りましたが、この2000番台ユニットを大阪から転出させない為に、淀川区と車両をわざわざ差し替えて松戸に持ってきたとか何とか……。
@@tourin_205 片町線が地元路線ですが、当時、京阪神緩行線からの103系の転入が頻繁にあった中で、この玉突き転用で、一時期オレンジ+カナリアの混成編成があったな。
昭和40年代末から50年代初頭くらいに、総武線101系に混色編成が走っているのを見た5歳前後の僕、「この電車、総武線?え?どこ行くの?」とちょっとしたトラウマで、だいぶ後々まで変な混色編成の電車に乗って訳のわからないところに行く夢を見ることがありました(笑)
岡山電車区じゃ 4M編成が今でも爆走してるよ🎉
マト5編成キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
忘れもしない…
かつて常磐線103系引退の頃に
鉄道ファンで103系特集が組まれた際、
混色編成特集コーナーで見かけた
あのマト5編成…
近年思い出してネットで情報を探してみても
ほとんど情報が載っていないと思っていたら
まさか1ヶ月前後限定だったなんて…
ありがとうございます!
本当にありがとうございます!
18年越しのマト5編成との再会!
迷列車動画でここまでテンション上がるなんて
なかなかないo(((゚∀゚)))o
追記↓
大変申し訳ないことに、
マト5編成の写真が掲載されていたのは、
103系特集をしていた
鉄道ファン2006年5月号ではなかったようで、
5月号を手に取って内容を確認したところ
マト5編成の写真は
掲載されていませんでした…
恐らく親戚の家にある
別の号に掲載されていたものと
思われます(´・ω・`)
1984年5月の各鉄道雑誌に載っていました。
@MARKUN223
ありがとうございます!(*´∀`*)
やはり当時の鉄道雑誌でも話題になっていたのですね…
最早エイダン編じゃなくてマツドデンシャク編な気が…
その15両を1両に凝縮したのがEF200ってことか…
あの機関車のヤバさが際立ちますよね……w
16:55
さりげなくぱわわぷ体操をぶちこんでるwww
1000番台x10+1200番台x5の編成も存在していたか気になる。
91年中に、浦和区のMM'ユニット×1と1200番台転入による組み換えで、1000番台の8M2Tは解消されているため、恐らく1200番台4M1T+1000番台8M2Tの組み合わせは実現しなかったものと思われます……。(実際見ていないので、断言はできませんが。)
ちなみに、91年4月地点で、8M2T編成はマト14・15の2本のみ、その上マト15の先頭車は併結改造クハの-188.627だったため、純粋な1000番台のみの編成は1編成しか存在しませんでした。その点からも、やはり1200番台+1000番台と言うのは無かったのではないか……というのが私の見解です。
12M0Tの京急1000形「呼ばれた気がする」
あぁ、銀千4+4+4の化け物……帰った帰った!w
松戸区 フリーダムすぎる
松戸区の103系、他線区も酷いんですがやはり群を抜いてると私は思いますw
@@tourin_205
寄せ集めだったケヨ軍団を上回る
(見終わって)もう、オナカイッパイ
ムチャクチャとしか言いようが無い(^_^;)それに松戸の103は、遅れ回復のためにオーバースピードで走る事はザラ…実際見た時は110㌔前後で車体をガタガタ揺らしながら爆走してたよ。
12:19 捻出数(転出数)ですが、
浦和区44両+川越区4両+中原区6両=56両で、
5連 X 12編成=60両に4両不足するのですが、、、
この時、松戸区の基本編成を1本バラして5+5に組みかえているので、足りない分は松戸内部の組み替えで対応しています。
1 2 三瓶です
武蔵野線マト5編成→トタ9編成中間車+トタ25編成→仙石線だ💡
首都圏で特別保全工事実施済みの為仙石線転用改造は必要最小限に留められた。
唯一更新後のクモハ103-155のみジャンパー栓納めがついていましたね。😃💡
他は小さなフックみたいなのが💡
同じようにカマ72編成もカオスでしたw
とある山梨の某鉄道会社は2M1Tで基本構成してても変電所都合でノッチは最大4速まで。
3Mユニット以上持つ編成は最大2速固定。3速やると三相故障から変電所が吹っ飛ぶ見たいな所も有りまして…
総武線の103系は3色よくありました、黄色+橙+水色(黄緑)
3色はそこそこ編成表をめくっても、見かけますね。カラフルな編成が多く、趣味者目線では非常に面白そうな時代だなあ、と感じますw
「12M3T」という文字列だけで面白いw
インパクトは絶大ですw