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秀吉が信長の葬儀を強行した様に、葬儀というのは「後継者として周知させる」って意味があるんですよ。そんで「弟が勝手に後継者(代行)として名乗りを上げ掛けていた」所を、後継者(生前指名)がぶっ潰したので「葬儀(継承権移譲)は起きなかった」事になり。それに参加した僧侶(新後継者懇親会)も計略ぶっ潰されてメンツボロボロで沈黙した。という構図が一番しっくりくる。
フム
毎回素晴らしい出来です!ありがとうございます!
信長(15)「お前どこ忠や?俺は弾正忠の織田やぞ!?」
黄 忠「我が名は黄忠、字は漢升。蜀漢の後将軍である。吉法師殿よりは盛られてないが私も演義でイケ爺になってるの😂」
朱全忠「おっ」
魏忠賢「は?九千九百歳だが???」
芳忠「声優…」
はじめてーの〜チュウ〜「仲良くするころなり?」
続き待ってました!
うp主さんのまとめ図がいつもわかりやすくて助かります。小説や会話文や字幕は読めますが、説明文とか取説が読めない(頭に入らない)ので、ありがたいです😊
桶狭間の戦いで「家督を継いだばかりのうつけの信長が……。」って聞くたびに「馬鹿じゃないの」といつも思う。家督を継いでからの年月と、 桶狭間までに信長が何をやったのかを解っていれば「義元が油断した」は絶対にありえない。
油断はあると思いますけどね。今川に比べて家中争い真っ只中なわけですから
待ってました!別に50分動画でええんやで私は😂
0:54 面白いから毎回50分以上の動画もどんとこいでっせ!!※主さんの動画制作に差し支えない範囲で
前回の予告編から今回まででおススメ書籍を全部読んでしまった浸透襲撃さんの影響力は恐ろしや
今の「市」単位で軍事対立してんのすげえ時代だなぁ。
抹香投げつけ事件も信秀のような大物の葬式は多くの坊さんも参列するわけで、当時の坊さんは現代でいう所のTwitter民でもあり、この様な前代未聞の所業は当然書き記したり、周辺各国にも伝わるはずなのに、その様な文献も伝聞も無く、信長公記にだけ記述されているのはとても不自然なんだよね。信憑性の高いとされる一次資料にも嘘や間違いもある。志賀の陣とか本願寺の破却に関する門徒への檄文とかね・・・。
当時の信長の立場で尾張の統一。これだけで英雄譚でありドラマチックな偉業であるのにその後の功績が大き過ぎてあまり語られないのがまた凄い(資料の少なさもあるのだろうけど)
武士階級ではあるし、それなりにいい地位であったことは事実でも、国を獲れる立場だったかと問われると明確に否ですからね。むしろ大体の創作では尾張を統一してからスタート、もしくは「最初から尾張のトップに最も近い立場スタートに改変」ばかり…悲しい。
大河ドラマも尾張統一のところはすごく面白かった。
説明しようとすると本当に大変ですからね、まず形骸化してるけど守護の斯波氏は現存してるし下四郡守護代家の清須城に居候してる「本来は逆でですがこの時期は事実上の居候」という情況。で、この下四郡守護代織田家の三家老の一つが信長産まれた家でしかない。尾張最大勢力でも守護から見れば家老の家の家老でしかないそして直接の主君の下四郡守護代家が勢力は弱いとは言え未だ現存してると。信玄は守護の家に生まれてるし、謙信は越後守護代家の産まれ信長は守護代家の家老なので更に下の家柄とか説明が本当に大変
センゴク外伝とかこの辺の話語ってておもろかったよ
秀吉の立身出世ばかり言われるけど、信長や家康の最初の勢力を確立するまでの苦労もかなりの死闘なんだよねえ
この時代の若き日の信長さんのような次期当主への育成方針は・他国の情勢や外交状況などを入手し、取捨てを判断できる情報分析力・国内国外の他勢力や公家、寺社勢力との外交能力・相手の身分に応じた命令書や和歌を作成出来る文章力・場面に応じた衣服の着こなしや相手の身分に応じた言葉遣いが出来る語学力・敵の勢力にどう立ち向かうかの戦略能力こういう方面への才能の有無が問われていた時期に「軽装で馬を乗り回し、相撲と水練に明け暮れ、戦の際は槍が長いほうがよいと言い出す始末」そりゃ家臣の面々も「これは駄目だ…」と絶望し離反者が続出してもおかしくない。
個人的には抹香投げ付けは「どうしてこんな早くに死んでしまわれたのだ父上……天、神仏よ、お恨み申すぞ」的な憤りで投げつけたって解釈の物語が好き。実際の心情はわからないが。
しかし、それが一番あり得る話ですね。自分から上の役職者が、どいつもこいつも役立たずすぎて、権限や立場以上の仕事をする人物の後継なんて、普通真っ先に逃げたくなる案件ですから。
ダメ!ダメですよ!いくら恨んでいたからってお葬式で暴れたら頭おかしい奴扱いですよ!
秀吉が信長の葬式を仕切ったように葬式仕切るのは後継者の仕事だから、弟主導の葬式をぶち壊したかったのかもしれない勝手なことやってんじゃねーって
まぁでもこれ普通にすごいエピソードだよなぁと思います。大人になって余計に感じます。会社の社長の社葬で後継者の息子さんがどヤンキーの格好で登場して抹香投げつけたら?自分がその部下ならその時点で転職活動待った無しです。「こんな阿呆の会社にいられるか」と。それでも着いていった部下達に逆に聞いてみたいくらいです。
@@セヴンスだからカリスマなんだろあなたが理解できる行動しかしない人間はきっと優秀じゃないでしょう
抹香投げつけ事件は信長本人が「何最悪なタイミングで死んどんじゃボケ!、反乱祭り確定や無いか!」と、今後の内紛を最初から理解した上で怒りを込めて投げつけてたように思えるし、実際創作でもそういう描写のものは多いですよね
いいとこで終わった。。。続きはよ。
みんな大好き織田信長だけど、実は意外と詳しく掘り下げてる動画って意外と少ないからほんまに織田信長シリーズ有難いです・・・
信長公記読むと大変だから大助かりだぜw 4:56つーか椎名高志及び小学館に寄与したのかすげーな・・・
やっと来た分かりやすくて為になる南北朝とか元寇とかの戦役も解説してほしい
二大勢力っぽく見えるけど、両守護代家は既に形骸化していて、特に伊勢守家は空気。
「ファンキーファッション」浸透さんの例えがツボりますw長編で大変だと思いますが、期待しています!
9:15 パチュリー「『信長戦記』では中央部の清洲と守山は伊勢守の勢力範囲になってますし。」どちらも上四郡側の春日井郡域にありますからね(海東郡や愛知郡のすぐそばではありますが)
信長さんこのあともファンキーファッションのままだったんで本願寺攻めの帰りにたまたま伊勢参りの途中だった島津家久に見られて何だあの変なやつ?って思われてたらしい。
家久「すげえ!信長の軍勢馬がみんな馬鎧つけてる!…あのおっさん誰?(馬上でへとへとになって居眠りこいてる信長)」明智光秀・里村紹巴と一緒に温泉入る(その後光秀は長篠に出陣)&坂本城見学する、光秀「茶飲まないか?」家久「茶道は全然わかんねぇから白湯で結構っす!」って話とか、帰国する際里村殿に別れの挨拶しに屋敷まで古田左助(織部)に道案内してもらうとか滅茶苦茶濃い話がちょくちょく…→家久君上洛日記
ファンキーファッションなんて島津家久は見て無いけどな。居眠りは見てるけど
信長の服装は公家の日記に地味で大人しめって書かれてる。ほぼ天下統一した時期も金襴緞子や華美な刺繍は嫌いシンプルな服装を好んだ甲冑も所謂源平時代の大鎧を簡略化した物を好んでいる。この辺りは分家とは言え古い守護代家の一族だけある。南蛮甲冑は信長の馬印(大将はここにいると言う目印)に使われたことは各種記録に残っているが、それを身につけた記録は見付かって無い。信長の甲冑姿は江戸~戦後までは大鎧で描かれていた。それを一新したのが黒澤明の影武者。ここで初めて南蛮甲冑を身に着けた信長が登場し、以降は大河ドラマひょうげもの等の漫画でも珍奇な南蛮甲冑を着せられることになる
まだ動画途中ですが…「ミスタージパング」も面白かったですがやっぱり山岡荘八さんの「織田信長」かな~。あれはワクわくしながら一気に読めた😊最近の研究前の信長ですが、物語の時系列的には合っているし何たってかっこいい😃では続きを視聴してきま😊
お疲れ様です。美濃のあたりを語るあたりであえて土岐頼遠についてのお話を挟んでみてはいかがでしょうか?個人的な意見です。
信長公記の首巻は信憑性が低いというのが通説です首巻なのに最後に書かれており、太田牛一本人が書いていないという説もあります(本人が書いたとしても直接見聞きしてない事象なので他の資料などを参考にしたものと思われる)
今川さんがずっと消えずに信長さんのやらかしを見ていて怖い。
今川は今川で三河統一事業に失敗し三河忩劇と呼ばれる反今川国一揆が起こった。これの沈静、再統一や国人の配置換えで数年を潰した。三河は意外と親織田勢力が強く(反今川が根強いとも)短い時は半年で国の大部分が織田勢力から今川勢力、更に均衡へと目まぐるしく変わっている
信長公記は全16巻で成り立っているが上洛から死去迄の15年間は1巻を一年分として編年体で纏め太田牛一は”史書”としての体裁をきちんと守って書いている。ところが0巻とも言える生誕から美濃統一までの首巻は事件が起こった年月もいい加減で年が前後したりと史書として無茶苦茶太田牛一の自筆では『信長公記は全15巻』と記載されており首巻についての記述が一切ない。首巻にしかない出来事は総て疑った方が良い。信長公記が信頼性の高い二次史料と呼ばれるのは信長贔屓が強いとはいえ同時期の一次史料との比較でかなり正確な記述をしているから。ところが首巻内の出来事は首巻以外で確認できる一次史料が乏しい特に信秀葬儀の件。歴代の織田弾正忠家は京でも知られた法華宗の大檀那でその当主の葬式となれば尾張以外からも僧が派遣される。それなのに尾張どころか敵対勢力の美濃・三河・伊勢にも信長の葬儀での失態を記録した物は見浸かって居ないそもそも桶狭間ですら当時の中央では三好と畠山・六角の大決戦が何度も繰り広げれている最中でほぼ注目されて無い。信長の特に尾張統一あたり迄はほぼ一次史料が残って居ない空白期間
信長公記の首巻を、史実です!!とか言ってごり押しされてもねって思うよね。
若い頃の信長公記「首巻」は他の信長の人生の書体と全く違ってて(編年体ではなく時系列グチャグチャ、佐々成政が信長暗殺未遂なんて謎の話も出る)史料価値…信勝側の宣伝(町中柿や瓜などをかぶりつきながら練り歩くうつけのチンピラ…)と信長側の宣伝(若い頃から武芸の鍛錬にあけくれる!)がまとめて書かれてて若い頃は謎が多い信秀は自身の居城・末森城を信勝に相続させて信長には今川から奪ったばっかの那古野城と扱いの差が…ただ信秀は晩年、長い間病で寝たきりで正常な判断ができない状態だった一方で弾正忠家の後継者は信勝で信長は「嫡男」って認められてない空気は少なからずあった感
後世の創作だろうねぇ
ときどき鍛錬の話とゴロツキのはなしを矛盾として挙げる人がいるがその二つは普通に両立するだろ
信勝>>信長だったら、道三は濃姫を信勝に嫁がせるんじゃ...?
先代が偉大だと、跡継ぎは「同程度の能力では、先代と同様に扱われない」どの分野でもよくある話ただ、周囲がうつけだと思っていた信長は・・・・・・・・・・・・
名古屋て今でもDQNや珍走団多そう(偏見)だから、抹香ドババーの方が『さすが信長さん俺たちにできないことを平然とやってのける!そこにシビれる!あこがれるぅ!』って団結できる気が...?兄弟で葬式でヒャッハーする地獄絵図はちょっと見たかったw
家康のおじいさんの清康は三河物語だとあっという間に三河を征服した名君だが実際は西三河で一時だけ一大勢力を作り上げるが水野氏などの大勢力独自勢力で残っており西三河も制圧していない。家康が三河の支配者の家系のような感じで語られることもあるが三河を制圧したのは家康一代の事業で家柄無関係に十代後半のときに武力だけで家康が成し遂げた。
なんでこの状態から天下統一寸前まで行けるんや
インフラ構築の視点がもろ現代感覚なんだよな
信秀さん、津島と熱田を支配していたのがデカイな。今で言うなら、名駅と栄を支配していたみたいな感じやからね😂
何でも何もプレッシャーの反動でヤンチャしてた年齢相応の少年にしか見えんが
拙速ニキ待ってたよー!
更新きたーー!
ソフトウェア開発だと割とあるよね、2次受けのバイト(業務委託)が一人でやってて事実としての最高責任者
焼香事件のジパングでの描き方というか解釈は非常に面白かったな。今でも印象深い。
主君が謀反というパワーワード
応仁の乱では総大将が敵方に寝返ったりしてたからへーきへーき
後鳥羽上皇や後醍醐天皇が兵を挙げた時も『天皇御謀反』と史書に記載されているからね地位が上位の人だろうが、既存の社会システムを武力で否定しようとすると「謀反」になっちゃう
南北朝時代名物「天皇御謀叛」には敵うまい
信長公記には公方様(義昭)ご謀反てありますね
(・∀・)イイ!! 続き早く見たいでdeath
道三がえーりんなら、輝夜は濃姫か...?何してたかわからない姫→なにもしてないニート姫な感じで、織田信雄が何考えてるかわからない→何も考えてないこいしに変換したここのうp主ならやりそうな気が。
古渡 ふるわたり ですね。信長さんの産湯とった井戸の跡がある公園になってたかな。金山駅からから北に向かうとこんなところに?ってところでした。この時代は熱田が港になってるのが開発が進んで陸が伸びてるのが解ります。那古野が今の名駅近くだとして、大須の万松寺が抹香の場所って歴史の遺構が街の中に溶け込んでて何処に何が有るか解り難いから見つけた時は宝探しした気持ちになります。
待たせすぎだ…この…バカ🥺
守護、主家を滅ぼすのは少なくとも織田信秀の時代は家格秩序がギリギリ機能していたから、守護を滅ぼして云々は基本幕的になるから、追放や忙殺は無理じゃない。斎藤道三ですら一色性を名乗る申請してるくらいだし、今川も吉良氏の所領であった浜松の荘を奪った際に火消しに躍起にならなければならなかったみたいだし朝倉氏も守護になるまでかなり時間がかかっているし
信長の家督争いの話はセンゴク桶狭間戦記くらいでしか読んだことないので解説動画あげてくれるのは助かります!
色々読んだが信長の忍び尾張統一記がおすすめ
銀の意志か…。音楽のセンス良いな。
尾張の隣国で美濃(斎藤)と三河(今川、松平)はよく目にするが、伊勢に関してはどうだったんだろう?だいぶ後で伊勢長島一向一揆を大軍で滅したくらいしか分らん。
信秀、信長あたりの伊勢は南部を北畠、中部が長野、北部が伊勢四十八家と別れていて伊勢全体としてはあまりまとまりが無かった伊勢国内で最大勢力を誇った北畠は大和国に少し勢力を持ったものの興福寺もあり気を抜けず、神宮の門前町(宇治山田)や大湊の商人、一向宗など武力だけでは動かせない勢力が多く中部の長野も弱い訳では無かったので色々と苦労した印象がありますね戦としては二代にかけて長野と北畠争った印象が強いですね北部に関しては中小国人の集まりなので信長が勢力を伸ばすまでは小競り合い程度です
木曽三川の河口周辺は服部党と言う勢力が美濃伊勢尾張に勢力を張り、信長が当主友貞を排除するのは桶狭間が終わって数年後。しかしその勢力の大部分は伊勢長島一向一揆と同一化したので厳密には15年後ぐらいにやっとこの服部党を排除出来た事になる
信長、うつけで周囲の評価を落とす縛りプレイからはじめてあそこまでなったのか
神動画に違いないので見る前から高評価しました!うぷ主とコテンラジオとの共演をいつか見てみたいです!
信長さん「なんでそんなんを、普段の行いのアレを言われなアカンのや!」
織田信秀さん。人生50年時代だったとしても、42歳(満年齢だと41歳?)で亡くなるのは、当時としても早かったでしょうね。それにしても、父親の葬儀で抹香を投げつけるとか……意味不明な行動ですね。まだ欠席したほうが、はるかにマシでしょうに。 なぜこんなことをしたのでしょう?信長さんが書いた日記とか手紙でも残っていれば、原因もわかるのですが。
実情を無視した権威と道徳に反感を持つ、或いは重きを置かない者たちを集めたかったあれ?これ今現に、この現代世界でも…あとは、どうせ信秀亡き後の織田弾正忠家で自分のやりたいことやったら誰も付いてこないと判断し、荒れ狂って最初からもぎ取って行くことにした、これくらいしか初期の言動の解釈が思いつかない。
幼少の頃から津島湊と交流があった信長、そして銀経済が米経済を淘汰する。あぶれ者をかき集めた傭兵が手練れの農民兵士に挑むには、アウトレンジ可能な長い槍が必要だった。
葬式での奇行は純粋に親父が好きだったから「なんでこんな早く〇んじゃうんだよバカ―!」という気持ちをダイレクトに行動にうつした説好き
23:00「私はア◯です宣言」まじでオモロイ😂
Mrジパング好きだから取り上げてくれたの嬉しいあれも普通に戦国もので続編見てみたいわ
うわw 26分あっという間に終わってしまった・・短いよーw
よしこれは信長滅んだな風呂入ってくる
平手政秀は、織田信長が最初に葬った旧勢力だと思っている。
だっ、大丈夫だよ。ノッブはほら、夜中に民家に突然訪問してきて狩りの獲物とかをプレゼントしたりしてたから領民の支持は(多少)あったはずだよ、うん・・・・
えっ!ここから勝てる戦争があるのですか?
信長「できらぁ!」(ガチ)
お、やっと浸透襲撃版の今年の大河本編始まったか
信長(霊夢)のこの表情がじわる。アヘ顔じゃなくてむしろよかったのかも。
織田家の内部と朝廷の権力を現代風にいうなら、大企業の派閥(織田各家)と主要株主(朝廷)に近いんかな。
信長本人が体張ってるこの時期もええもんや
信忠に家督を譲るまで体張ってるのが信長
電子書籍が自分の資産になるだなんて信じないぞ!
やっぱ…イースのBGMは…最高やな。日本ファルコムのって全部フリーになったんでしたっけ。
信長「親父死ぬのが早かったから周り敵だらけやないかい!」信長自身の行動も問題ではあるが、葬儀での奇行も理解出来なくもない…?
父親の葬式で焼香を投げつけた件は「こんなときに中途半端で死にやがって!」みたいな気持ちの現われかな?と思ったりもちろんやっていいことでもないしその感情を表したいならもっと他にやりかたがあったと思いますが。。
「うつけ」と「たわけ」といわれまして、うつけは虚気で、たわけは田分けと書くのに、たわけの方が意味合いは酷い。どうやらその当時からお市さんとの関係が取り沙汰されていたらすい。
禅宗だからね!抹香は投げつけるよね
信秀が守護や守護代を追い出せないのは室町後期がガチガチの家格秩序の時代だからやろうね下手に飛びこそうとするとものすごい反発を受けるのよね
中央でも三好が畠山を破る迄は古い守護大名が普通に勢力争いしていますからね。ホント三好以降一気に時代が進みはじめた
うつけと見せかけて内部の敵対者を炙り出す信長の罠だ!ってことにしておく?
宮下英樹のセンゴク外伝桶狭間戦記はこの辺の機微が描かれて面白いっすよねそれはそれとしてネタバレやめろぉ!
荒れた職場(尾張国内)
裏切らないやつを確認したうえでまともな賢い奴らを確認して、勝って従わせる(負い目を負わせる)ってことなのか?あの愚行って
謎のMISTERジパング推し
人は多面性の生き物であるが、人が人を批評する時は批評者の触れた一面しか参考にされない。
まんまCK3のやらかし継承
布都ちゃん今回もいい役もらってるなぁ👻
動画UPお疲れ様です。毎回50分でもいいのよ?ネタバレという名の義務教育。子供のころ歴史漫画織田信長で葬式のシーン見たあれ史実だったんですね...この後鳴かず飛ばずどころか飛ぶ鳥を落とす勢いで天下人になっちゃうんですよね
信長の人生全体で言えばまだ序章なのに、このイベントの充実ぶり。考えてみたら、信長の人生ってクライマックスの連続だった。
信秀の狙いがイマイチ不明ですよな。内部統一よりも外征にハッスルしてるし。実績を積んで織田家内部での序列を穏便に上げてゆくイメージだったのかな。
多少落ちたとは言え権威がある時代での下剋上はそう簡単に成立するものではなくて大義名分が無ければこれみよがしに周囲から叩かれますこれが越前から追い出され今川にボロボロにされた(斯波義達は今川から毛を全剃りされたが生かされて返された)の斯波家が清須で生き残れていた理由でもあります信秀が健在の時代では信秀の力が抜きん出ておりある意味で安定していたのでその良くも悪くも大義名分が作りにくかったのではないでしょうかさらに言うと関東に出稼ぎのように戦をしていた上杉が有名ですが室町時代からの混乱で食糧生産が乏しく戦をしないと勢力自体を保て無いという背景もありそうですね戦をしなければならないが内部に手を出すには自分よりも権威があものばかりじゃぁ何処に行くか、三河は今川の目もあり一向宗が強く面倒が多い。結果美濃方面に攻めたのですがはないかって自分は推測してます
ノッブさんのうつけエピソード、本当にどうしてこんなことやってたんでしょうね?こういう点までフリー素材状態だから困る。
うぽつ
うつけ時代の振る舞いが、深い意図があったのかそれとも黒歴史なのかは、永遠のテーマなんやろなあ
信長、学がなくて煽られること多かったし普通に後者じゃね?
うつけの根拠が無いのよなぁ。
抹香投げつけたの「親父ぃ!なんで死んだんだよぉ!」みたいな感情が爆発したんかな?と
守役の平手さん、日頃から還元してて、信君、日頃から小五月蠅い奴って思ってたかな?
こんにちは
いいね
守護の被官と国人は違うくない?
信長が父親の葬儀に抹香を投げつけたのは作り話という者がいるが現代でもそんな事するとみんなから批判されるのに礼儀作法が今より信じられないほどにうるさいあの時代に嘘を書く理由がない。うつけぶりを書きたいならいくらでも書けるだろ。後の信長の苦労ぶりをみれば本当だと思うがね。
信長公記の首巻、すなわち信長の若年の時の記載に関しては、一応疑問視する人もいます。しかしこれを否定する文献もないので、「そういうことにしておきましょう」というスタンスでよいのではないかな。
信長の尾張平定終わったら家康の三河平定して欲しい
「こわたり」じゃなくて「ふるわたり」だな
しかし、布都ちゃんいい配役もらうなあ。三国志シリーズでも、陸遜だったし。
ネタバレなんてサイテー
16:25 信長公記で信憑性がないと言われている首巻を根拠に持ってこられてもなぁ・・・。うつけ行為自体を創作だと現代では言われてるね。
秀吉が信長の葬儀を強行した様に、葬儀というのは「後継者として周知させる」って意味があるんですよ。
そんで「弟が勝手に後継者(代行)として名乗りを上げ掛けていた」所を、後継者(生前指名)がぶっ潰したので「葬儀(継承権移譲)は起きなかった」事になり。それに参加した僧侶(新後継者懇親会)も計略ぶっ潰されてメンツボロボロで沈黙した。という構図が一番しっくりくる。
フム
毎回素晴らしい出来です!ありがとうございます!
信長(15)「お前どこ忠や?俺は弾正忠の織田やぞ!?」
黄 忠「我が名は黄忠、字は漢升。蜀漢の後将軍である。吉法師殿よりは盛られてないが私も演義でイケ爺になってるの😂」
朱全忠「おっ」
魏忠賢「は?九千九百歳だが???」
芳忠「声優…」
はじめてーの〜チュウ〜「仲良くするころなり?」
続き待ってました!
うp主さんのまとめ図がいつもわかりやすくて助かります。
小説や会話文や字幕は読めますが、説明文とか取説が読めない(頭に入らない)ので、ありがたいです😊
桶狭間の戦いで「家督を継いだばかりのうつけの信長が……。」って聞くたびに「馬鹿じゃないの」といつも思う。家督を継いでからの年月と、 桶狭間までに信長が何をやったのかを解っていれば「義元が油断した」は絶対にありえない。
油断はあると思いますけどね。
今川に比べて家中争い真っ只中なわけですから
待ってました!
別に50分動画でええんやで私は😂
0:54 面白いから毎回50分以上の動画もどんとこいでっせ!!
※主さんの動画制作に差し支えない範囲で
前回の予告編から今回まででおススメ書籍を全部読んでしまった
浸透襲撃さんの影響力は恐ろしや
今の「市」単位で軍事対立してんのすげえ時代だなぁ。
抹香投げつけ事件も信秀のような大物の葬式は多くの坊さんも参列するわけで、当時の坊さんは現代でいう所のTwitter民でもあり、この様な前代未聞の所業は当然書き記したり、周辺各国にも伝わるはずなのに、その様な文献も伝聞も無く、信長公記にだけ記述されているのはとても不自然なんだよね。信憑性の高いとされる一次資料にも嘘や間違いもある。志賀の陣とか本願寺の破却に関する門徒への檄文とかね・・・。
当時の信長の立場で尾張の統一。
これだけで英雄譚でありドラマチックな偉業であるのにその後の功績が大き過ぎてあまり語られないのがまた凄い(資料の少なさもあるのだろうけど)
武士階級ではあるし、それなりにいい地位であったことは事実でも、国を獲れる立場だったかと問われると明確に否ですからね。
むしろ大体の創作では尾張を統一してからスタート、もしくは「最初から尾張のトップに最も近い立場スタートに改変」ばかり…悲しい。
大河ドラマも尾張統一のところはすごく面白かった。
説明しようとすると本当に大変ですからね、まず形骸化してるけど守護の斯波氏は現存してるし下四郡守護代家の清須城に居候してる「本来は逆でですがこの時期は事実上の居候」という情況。
で、この下四郡守護代織田家の三家老の一つが信長産まれた家でしかない。尾張最大勢力でも守護から見れば家老の家の家老でしかない
そして直接の主君の下四郡守護代家が勢力は弱いとは言え未だ現存してると。
信玄は守護の家に生まれてるし、謙信は越後守護代家の産まれ信長は守護代家の家老なので更に下の家柄とか説明が本当に大変
センゴク外伝とかこの辺の話語ってておもろかったよ
秀吉の立身出世ばかり言われるけど、信長や家康の最初の勢力を確立するまでの苦労もかなりの死闘なんだよねえ
この時代の若き日の信長さんのような次期当主への育成方針は
・他国の情勢や外交状況などを入手し、取捨てを判断できる情報分析力
・国内国外の他勢力や公家、寺社勢力との外交能力
・相手の身分に応じた命令書や和歌を作成出来る文章力
・場面に応じた衣服の着こなしや相手の身分に応じた言葉遣いが出来る語学力
・敵の勢力にどう立ち向かうかの戦略能力
こういう方面への才能の有無が問われていた時期に
「軽装で馬を乗り回し、相撲と水練に明け暮れ、戦の際は槍が長いほうがよいと言い出す始末」
そりゃ家臣の面々も「これは駄目だ…」と絶望し離反者が続出してもおかしくない。
個人的には抹香投げ付けは「どうしてこんな早くに死んでしまわれたのだ父上……天、神仏よ、お恨み申すぞ」的な憤りで投げつけたって解釈の物語が好き。実際の心情はわからないが。
しかし、それが一番あり得る話ですね。
自分から上の役職者が、どいつもこいつも役立たずすぎて、権限や立場以上の仕事をする人物の後継なんて、普通真っ先に逃げたくなる案件ですから。
ダメ!ダメですよ!いくら恨んでいたからってお葬式で暴れたら頭おかしい奴扱いですよ!
秀吉が信長の葬式を仕切ったように葬式仕切るのは後継者の仕事だから、弟主導の葬式をぶち壊したかったのかもしれない
勝手なことやってんじゃねーって
まぁでもこれ普通にすごいエピソードだよなぁと思います。
大人になって余計に感じます。
会社の社長の社葬で後継者の息子さんがどヤンキーの格好で登場して抹香投げつけたら?
自分がその部下ならその時点で転職活動待った無しです。
「こんな阿呆の会社にいられるか」と。
それでも着いていった部下達に逆に聞いてみたいくらいです。
@@セヴンスだからカリスマなんだろ
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抹香投げつけ事件は信長本人が「何最悪なタイミングで死んどんじゃボケ!、反乱祭り確定や無いか!」と、今後の内紛を最初から理解した上で怒りを込めて投げつけてたように思えるし、実際創作でもそういう描写のものは多いですよね
いいとこで終わった。。。
続きはよ。
みんな大好き織田信長だけど、実は意外と詳しく掘り下げてる動画って意外と少ないからほんまに織田信長シリーズ有難いです・・・
信長公記読むと大変だから大助かりだぜw 4:56つーか椎名高志及び小学館に寄与したのかすげーな・・・
やっと来た
分かりやすくて為になる
南北朝とか元寇とかの戦役も解説してほしい
二大勢力っぽく見えるけど、両守護代家は既に形骸化していて、特に伊勢守家は空気。
「ファンキーファッション」
浸透さんの例えがツボりますw
長編で大変だと思いますが、期待しています!
9:15 パチュリー「『信長戦記』では中央部の清洲と守山は伊勢守の勢力範囲になってますし。」
どちらも上四郡側の春日井郡域にありますからね(海東郡や愛知郡のすぐそばではありますが)
信長さんこのあともファンキーファッションのままだったんで
本願寺攻めの帰りにたまたま伊勢参りの途中だった島津家久に見られて
何だあの変なやつ?って思われてたらしい。
家久「すげえ!信長の軍勢馬がみんな馬鎧つけてる!…あのおっさん誰?(馬上でへとへとになって居眠りこいてる信長)」
明智光秀・里村紹巴と一緒に温泉入る(その後光秀は長篠に出陣)&坂本城見学する、光秀「茶飲まないか?」家久「茶道は全然わかんねぇから白湯で結構っす!」って話とか、帰国する際里村殿に別れの挨拶しに屋敷まで古田左助(織部)に道案内してもらうとか滅茶苦茶濃い話がちょくちょく…→家久君上洛日記
ファンキーファッションなんて島津家久は見て無いけどな。居眠りは見てるけど
信長の服装は公家の日記に地味で大人しめって書かれてる。ほぼ天下統一した時期も金襴緞子や華美な刺繍は嫌いシンプルな服装を好んだ
甲冑も所謂源平時代の大鎧を簡略化した物を好んでいる。この辺りは分家とは言え古い守護代家の一族だけある。南蛮甲冑は信長の馬印(大将はここにいると言う目印)に使われたことは各種記録に残っているが、それを身につけた記録は見付かって無い。信長の甲冑姿は江戸~戦後までは大鎧で描かれていた。それを一新したのが黒澤明の影武者。ここで初めて南蛮甲冑を身に着けた信長が登場し、以降は大河ドラマひょうげもの等の漫画でも珍奇な南蛮甲冑を着せられることになる
まだ動画途中ですが…
「ミスタージパング」も面白かったですがやっぱり
山岡荘八さんの「織田信長」かな~。
あれはワクわくしながら一気に読めた😊
最近の研究前の信長ですが、物語の時系列的には合っているし何たってかっこいい😃
では続きを視聴してきま😊
お疲れ様です。美濃のあたりを語るあたりであえて土岐頼遠についてのお話を挟んでみてはいかがでしょうか?個人的な意見です。
信長公記の首巻は信憑性が低いというのが通説です
首巻なのに最後に書かれており、太田牛一本人が書いていないという説もあります
(本人が書いたとしても直接見聞きしてない事象なので他の資料などを参考にしたものと思われる)
今川さんがずっと消えずに信長さんのやらかしを見ていて怖い。
今川は今川で三河統一事業に失敗し三河忩劇と呼ばれる反今川国一揆が起こった。これの沈静、再統一や国人の配置換えで数年を潰した。三河は意外と親織田勢力が強く(反今川が根強いとも)短い時は半年で国の大部分が織田勢力から今川勢力、更に均衡へと目まぐるしく変わっている
信長公記は全16巻で成り立っているが上洛から死去迄の15年間は1巻を一年分として編年体で纏め太田牛一は”史書”としての体裁をきちんと守って書いている。ところが0巻とも言える生誕から美濃統一までの首巻は事件が起こった年月もいい加減で年が前後したりと史書として無茶苦茶
太田牛一の自筆では『信長公記は全15巻』と記載されており首巻についての記述が一切ない。首巻にしかない出来事は総て疑った方が良い。信長公記が信頼性の高い二次史料と呼ばれるのは信長贔屓が強いとはいえ同時期の一次史料との比較でかなり正確な記述をしているから。ところが首巻内の出来事は首巻以外で確認できる一次史料が乏しい
特に信秀葬儀の件。歴代の織田弾正忠家は京でも知られた法華宗の大檀那でその当主の葬式となれば尾張以外からも僧が派遣される。それなのに尾張どころか敵対勢力の美濃・三河・伊勢にも信長の葬儀での失態を記録した物は見浸かって居ない
そもそも桶狭間ですら当時の中央では三好と畠山・六角の大決戦が何度も繰り広げれている最中でほぼ注目されて無い。信長の特に尾張統一あたり迄はほぼ一次史料が残って居ない空白期間
信長公記の首巻を、史実です!!とか言ってごり押しされてもねって思うよね。
若い頃の信長公記「首巻」は他の信長の人生の書体と全く違ってて(編年体ではなく時系列グチャグチャ、佐々成政が信長暗殺未遂なんて謎の話も出る)史料価値…
信勝側の宣伝(町中柿や瓜などをかぶりつきながら練り歩くうつけのチンピラ…)と信長側の宣伝(若い頃から武芸の鍛錬にあけくれる!)がまとめて書かれてて若い頃は謎が多い
信秀は自身の居城・末森城を信勝に相続させて信長には今川から奪ったばっかの那古野城と扱いの差が…
ただ信秀は晩年、長い間病で寝たきりで正常な判断ができない状態だった一方で弾正忠家の後継者は信勝で信長は「嫡男」って認められてない空気は少なからずあった感
後世の創作だろうねぇ
ときどき鍛錬の話とゴロツキのはなしを矛盾として挙げる人がいるがその二つは普通に両立するだろ
信勝>>信長だったら、道三は濃姫を信勝に嫁がせるんじゃ...?
先代が偉大だと、跡継ぎは「同程度の能力では、先代と同様に扱われない」どの分野でもよくある話
ただ、周囲がうつけだと思っていた信長は・・・・・・・・・・・・
名古屋て今でもDQNや珍走団多そう(偏見)だから、抹香ドババーの方が『さすが信長さん俺たちにできないことを平然とやってのける!そこにシビれる!あこがれるぅ!』って団結できる気が...?
兄弟で葬式でヒャッハーする地獄絵図はちょっと見たかったw
家康のおじいさんの清康は三河物語だとあっという間に三河を征服した名君だが実際は西三河で一時だけ一大勢力を作り上げるが水野氏などの大勢力独自勢力で残っており西三河も制圧していない。家康が三河の支配者の家系のような感じで語られることもあるが三河を制圧したのは家康一代の事業で家柄無関係に十代後半のときに武力だけで家康が成し遂げた。
なんでこの状態から天下統一寸前まで行けるんや
インフラ構築の視点がもろ現代感覚なんだよな
信秀さん、津島と熱田を支配していたのがデカイな。
今で言うなら、名駅と栄を支配していたみたいな感じやからね😂
何でも何もプレッシャーの反動でヤンチャしてた
年齢相応の少年にしか見えんが
拙速ニキ待ってたよー!
更新きたーー!
ソフトウェア開発だと割とあるよね、2次受けのバイト(業務委託)が一人でやってて事実としての最高責任者
焼香事件のジパングでの描き方というか解釈は非常に面白かったな。
今でも印象深い。
主君が謀反というパワーワード
応仁の乱では総大将が敵方に寝返ったりしてたからへーきへーき
後鳥羽上皇や後醍醐天皇が兵を挙げた時も『天皇御謀反』と史書に記載されているからね
地位が上位の人だろうが、既存の社会システムを武力で否定しようとすると「謀反」になっちゃう
南北朝時代名物「天皇御謀叛」には敵うまい
信長公記には公方様(義昭)ご謀反てありますね
(・∀・)イイ!! 続き早く見たいでdeath
道三がえーりんなら、輝夜は濃姫か...?何してたかわからない姫→なにもしてないニート姫な感じで、
織田信雄が何考えてるかわからない→何も考えてないこいしに変換したここのうp主ならやりそうな気が。
古渡 ふるわたり ですね。信長さんの産湯とった井戸の跡がある公園になってたかな。金山駅からから北に向かうとこんなところに?ってところでした。この時代は熱田が港になってるのが開発が進んで陸が伸びてるのが解ります。那古野が今の名駅近くだとして、大須の万松寺が抹香の場所って歴史の遺構が街の中に溶け込んでて何処に何が有るか解り難いから見つけた時は宝探しした気持ちになります。
待たせすぎだ…この…バカ🥺
守護、主家を滅ぼすのは少なくとも織田信秀の時代は家格秩序がギリギリ機能していたから、守護を滅ぼして云々は基本幕的になるから、
追放や忙殺は無理じゃない。
斎藤道三ですら一色性を名乗る申請してるくらいだし、
今川も吉良氏の所領であった浜松の荘を奪った際に火消しに躍起にならなければならなかったみたいだし
朝倉氏も守護になるまでかなり時間がかかっているし
信長の家督争いの話はセンゴク桶狭間戦記くらいでしか読んだことないので解説動画あげてくれるのは助かります!
色々読んだが信長の忍び尾張統一記がおすすめ
銀の意志か…。
音楽のセンス良いな。
尾張の隣国で美濃(斎藤)と三河(今川、松平)はよく目にするが、伊勢に関してはどうだったんだろう?
だいぶ後で伊勢長島一向一揆を大軍で滅したくらいしか分らん。
信秀、信長あたりの伊勢は南部を北畠、中部が長野、北部が伊勢四十八家と別れていて伊勢全体としてはあまりまとまりが無かった
伊勢国内で最大勢力を誇った北畠は大和国に少し勢力を持ったものの興福寺もあり気を抜けず、神宮の門前町(宇治山田)や大湊の商人、一向宗など武力だけでは動かせない勢力が多く中部の長野も弱い訳では無かったので色々と苦労した印象がありますね
戦としては二代にかけて長野と北畠争った印象が強いですね
北部に関しては中小国人の集まりなので信長が勢力を伸ばすまでは小競り合い程度です
木曽三川の河口周辺は服部党と言う勢力が美濃伊勢尾張に勢力を張り、信長が当主友貞を排除するのは桶狭間が終わって数年後。しかしその勢力の大部分は伊勢長島一向一揆と同一化したので厳密には15年後ぐらいにやっとこの服部党を排除出来た事になる
信長、うつけで周囲の評価を落とす縛りプレイからはじめてあそこまでなったのか
神動画に違いないので見る前から高評価しました!
うぷ主とコテンラジオとの共演をいつか見てみたいです!
信長さん「なんでそんなんを、普段の行いのアレを言われなアカンのや!」
織田信秀さん。人生50年時代だったとしても、42歳(満年齢だと41歳?)で亡くなるのは、当時としても早かったでしょうね。
それにしても、父親の葬儀で抹香を投げつけるとか……意味不明な行動ですね。
まだ欠席したほうが、はるかにマシでしょうに。 なぜこんなことをしたのでしょう?
信長さんが書いた日記とか手紙でも残っていれば、原因もわかるのですが。
実情を無視した権威と道徳に反感を持つ、或いは重きを置かない者たちを集めたかった
あれ?これ今現に、この現代世界でも…
あとは、どうせ信秀亡き後の織田弾正忠家で自分のやりたいことやったら誰も付いてこないと判断し、荒れ狂って最初からもぎ取って行くことにした、
これくらいしか初期の言動の解釈が思いつかない。
幼少の頃から津島湊と交流があった信長、そして銀経済が米経済を淘汰する。
あぶれ者をかき集めた傭兵が手練れの農民兵士に挑むには、アウトレンジ可能な長い槍が必要だった。
葬式での奇行は純粋に親父が好きだったから
「なんでこんな早く〇んじゃうんだよバカ―!」
という気持ちをダイレクトに行動にうつした説好き
23:00「私はア◯です宣言」まじでオモロイ😂
Mrジパング好きだから取り上げてくれたの嬉しい
あれも普通に戦国もので続編見てみたいわ
うわw 26分あっという間に終わってしまった・・
短いよーw
よしこれは信長滅んだな風呂入ってくる
平手政秀は、織田信長が最初に葬った旧勢力だと思っている。
だっ、大丈夫だよ。ノッブはほら、夜中に民家に突然訪問してきて狩りの獲物とかをプレゼントしたりしてたから領民の支持は(多少)あったはずだよ、うん・・・・
えっ!ここから勝てる戦争があるのですか?
信長「できらぁ!」(ガチ)
お、やっと浸透襲撃版の今年の大河本編始まったか
信長(霊夢)のこの表情がじわる。アヘ顔じゃなくてむしろよかったのかも。
織田家の内部と朝廷の権力を現代風にいうなら、大企業の派閥(織田各家)と主要株主(朝廷)に近いんかな。
信長本人が体張ってるこの時期もええもんや
信忠に家督を譲るまで体張ってるのが信長
電子書籍が自分の資産になるだなんて信じないぞ!
やっぱ…イースのBGMは…最高やな。日本ファルコムのって全部フリーになったんでしたっけ。
信長「親父死ぬのが早かったから周り敵だらけやないかい!」
信長自身の行動も問題ではあるが、葬儀での奇行も理解出来なくもない…?
父親の葬式で焼香を投げつけた件は「こんなときに中途半端で死にやがって!」みたいな気持ちの現われかな?と思ったり
もちろんやっていいことでもないしその感情を表したいならもっと他にやりかたがあったと思いますが。。
「うつけ」と「たわけ」といわれまして、うつけは虚気で、たわけは田分けと書くのに、たわけの方が意味合いは酷い。どうやらその当時からお市さんとの関係が取り沙汰されていたらすい。
禅宗だからね!抹香は投げつけるよね
信秀が守護や守護代を追い出せないのは室町後期がガチガチの家格秩序の時代だからやろうね
下手に飛びこそうとするとものすごい反発を受けるのよね
中央でも三好が畠山を破る迄は古い守護大名が普通に勢力争いしていますからね。ホント三好以降一気に時代が進みはじめた
うつけと見せかけて内部の敵対者を炙り出す信長の罠だ!
ってことにしておく?
宮下英樹のセンゴク外伝桶狭間戦記はこの辺の機微が描かれて面白いっすよね
それはそれとしてネタバレやめろぉ!
荒れた職場(尾張国内)
裏切らないやつを確認したうえで
まともな賢い奴らを確認して、勝って従わせる(負い目を負わせる)ってことなのか?
あの愚行って
謎のMISTERジパング推し
人は多面性の生き物であるが、人が人を批評する時は批評者の触れた一面しか参考にされない。
まんまCK3のやらかし継承
布都ちゃん今回もいい役もらってるなぁ👻
動画UPお疲れ様です。毎回50分でもいいのよ?
ネタバレという名の義務教育。子供のころ歴史漫画織田信長で葬式のシーン見たあれ史実だったんですね...
この後鳴かず飛ばずどころか飛ぶ鳥を落とす勢いで天下人になっちゃうんですよね
信長の人生全体で言えばまだ序章なのに、このイベントの充実ぶり。
考えてみたら、信長の人生ってクライマックスの連続だった。
信秀の狙いがイマイチ不明ですよな。内部統一よりも外征にハッスルしてるし。
実績を積んで織田家内部での序列を穏便に上げてゆくイメージだったのかな。
多少落ちたとは言え権威がある時代での下剋上はそう簡単に成立するものではなくて大義名分が無ければこれみよがしに周囲から叩かれます
これが越前から追い出され今川にボロボロにされた(斯波義達は今川から毛を全剃りされたが生かされて返された)の斯波家が清須で生き残れていた理由でもあります
信秀が健在の時代では信秀の力が抜きん出ておりある意味で安定していたのでその良くも悪くも大義名分が作りにくかったのではないでしょうか
さらに言うと関東に出稼ぎのように戦をしていた上杉が有名ですが室町時代からの混乱で食糧生産が乏しく戦をしないと勢力自体を保て無いという背景もありそうですね
戦をしなければならないが内部に手を出すには自分よりも権威があものばかりじゃぁ何処に行くか、三河は今川の目もあり一向宗が強く面倒が多い。
結果美濃方面に攻めたのですがはないかって自分は推測してます
ノッブさんのうつけエピソード、本当にどうしてこんなことやってたんでしょうね?
こういう点までフリー素材状態だから困る。
うぽつ
うつけ時代の振る舞いが、深い意図があったのかそれとも黒歴史なのかは、永遠のテーマなんやろなあ
信長、学がなくて煽られること多かったし普通に後者じゃね?
うつけの根拠が無いのよなぁ。
抹香投げつけたの「親父ぃ!なんで死んだんだよぉ!」みたいな感情が爆発したんかな?と
守役の平手さん、日頃から還元してて、信君、日頃から小五月蠅い奴って思ってたかな?
こんにちは
いいね
守護の被官と国人は違うくない?
信長が父親の葬儀に抹香を投げつけたのは作り話という者がいるが現代でもそんな事するとみんなから批判されるのに礼儀作法が今より信じられないほどにうるさいあの時代に嘘を書く理由がない。うつけぶりを書きたいならいくらでも書けるだろ。後の信長の苦労ぶりをみれば本当だと思うがね。
信長公記の首巻、すなわち信長の若年の時の記載に関しては、一応疑問視する人もいます。しかしこれを否定する文献もないので、「そういうことにしておきましょう」というスタンスでよいのではないかな。
信長の尾張平定終わったら家康の三河平定して欲しい
「こわたり」じゃなくて「ふるわたり」だな
しかし、布都ちゃんいい配役もらうなあ。
三国志シリーズでも、陸遜だったし。
ネタバレなんてサイテー
16:25 信長公記で信憑性がないと言われている首巻を根拠に持ってこられてもなぁ・・・。うつけ行為自体を創作だと現代では言われてるね。