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いつもありがと
織田信長という人の凄さの真骨頂が詰まった回ですね今回は織田信長は戦闘でもめちゃくちゃ強いですがそれ以上に政戦両略の天才ですねこの時代、多くの傑出した人物がいましたが、その中でも織田信長は図抜けています
六角の感情の問題と考察されていますが、六角と臣下との関係の問題というのもあるのかなと思いました浅井より格下になることを許すというのは臣下に舐められることでもありますし、下克上の世において浅井の格下になることを認めることは臣下との関係においても同様のことが起こりえることを許す可能性があるというメタメッセージにもなります
これ順番も重要ですよね。もし義昭を先に岐阜へ招いていたら、まだ上洛に向けた準備中で、朝倉と同様、頼りないと思われれば他勢力へ逃げられる可能性もあったのではないでしょうか。全ての準備を終え、最後に義昭を迎え入れたからこそ、来てすぐに出発し迅速(神速)に上洛を成し遂げるスピード感を演出できたのではないでしょうか。そこら辺も含めて、信長の段取りは凄いなと思わされました。
31:02~ 最早触れられもされない細川京兆家19代当主・細川六郎(昭元)
信長が京に入らなかったのは京都は守りにくい土地だってことを見抜いてたからかもしれませんね楠木正成や明智光秀など歴史に名を残すような名将でも京付近に陣を構えた戦で大敗して戦死しているし信長は京の守りにくく攻めやすいという土地の特徴を見抜いていたのかも信長自身も京都の本能寺で亡くなってるわけだしね
なお六角はこの後死ぬほどうざくなる模様
面白かったのでチャンネル登録しました!
畿内を本拠地にしないのは割と前例があって、六角定頼とかがそうですね。定頼自体も役職とか断ってるので信長自体が幕府を支える上でのモデルケースとして定頼を参考にしたとか言われてますね
夏休みに神すぎる
本当に上手いですよね、神速で南近江と五畿内を平定した訳ですが、実は織田の子飼いを入れたのは南近江のみで五畿内は幕府を担いだ間接統治ですつまり、畿内の諸勢力は建前上は再興された足利幕府に臣従してるのであって織田の家臣に成った訳ではないと言う事に建前上は幕府に臣従しろっていう切り札が使える状況で近畿の平定が出来るとしかも、幕府の役職を信長は受けて無いので、明確に足利家と主従関係が出来てる訳でないという事にもなるという結果からみれば、物凄い智謀に見える
京に入ると京の面倒を見ないといけなくなる。配下が京でオイタしないように統制しないといけないし、流通の確保ができないと京って飢えるし。
今も苦しんでいる宗教の無害化やっぱ織田信長スゲーよ
寺社放火は日常茶飯事なので…家臣らへの恩賞捻出に寺社の土地を使う。理由は「仏の道外れてるから(寺同士の喧嘩)」「本殿じゃないからOK(信長のは麓町の近江坂本が中心)」とか心理的ハードルを下げてからやってた。源義朝「また建て直せば罰当たらん!(保元の乱で法性寺放火)」平家「阿弥陀様に救われるから大丈夫…(清水寺放火)」信長の焼き討ちはキリシタンらの寺社仏閣破壊の口実に使われるようになる…→カブラル「信長が焼いても罰当たるどころか栄えてるから焼いても問題ない!」
信長が天下を取れた理由はいくつもあるけど、本拠地が尾張という京都から遠すぎず近すぎない絶妙な位置だったのは大きいね畿内だと既得権がたくさんあって自勢力を育てにくいし、政争のゴタゴタに巻き込まれやすい遠方すぎるとまず上洛が大変だし、上洛している間に情勢が変わることもある。家臣や資産が本拠地と京都に分断されるだろうし
大内家とかはやらかしにつながりましたからね。
この動画のテンポがとても心地良い😆
面白い動画ありがとうございます。過去作、三国志のやつとかまでさかのぼって動画見てます。織田信長の続きとても楽しみにしています。
中央集権っていざやろうとすると大失敗した時のリスクがエグイからな…→六角義治 二頭政治卒業を図って父派の後藤を斬ったが余波がえぐいことに六角は久米田・教興寺の戦いで河内畠山と義輝幕臣の伊勢貞孝と組んで三好と戦ったけど三好に大敗してわからされちゃった経歴あるから尾張の田舎者が~ではない朝倉は宗滴の養子で敦賀郡司の景紀と大野郡司の景鏡(親父も義景親父時代に謀反起こして逃亡)と分家同士の関係最悪で子どもも夭折して跡継ぎ0だから下手な冒険できんし、将軍家の味方と言われると「将軍家が上洛する時は一貫して何度も味方になってくれた若狭武田家」のお家騒動に介入してるからな…
六角は信長の野望で知る限りだと序盤戦の中ボス程度の存在なんだけど意外と頑張ってるんだよね
六角は定頼が優秀だったからなぁ
@@Noya360Key 信長自体が定頼を参考にしてたらしいですしね
@@Noya360Key 六角好きなんですよ❤️信長の野望で初登場の時から序盤戦の中ボスをレギュラーでこなしてますし、子供の頃に読んだ漫画でもチョイ悪親父みたいな色のあるキャラだったんで、中年になった今でも好きです😎観音寺城跡とか見にも行きましたよ!
@@ゆう23-p7t 信長ってドラゴンボールのセルみたいに他を吸収してどんどん化けるのが凄いですよね。1+1が3になっておかしな方向(結果的に良い方向)に変異し続けます!
つ コーヒーと金平糖代
なお簡単に蹴散らせれたと思っていた三好、六角他の畿内勢にこの後かなり苦しめたられた義昭信長政権なのであった…
本拠地の阿波が無事である限り、何回でも立て直せますからね※ご指摘があり、訂正しました。
@@あぼぼですすみません、三好氏の本拠地は、阿波(現在の徳島県)です
@@あぼぼです 制海権はしっかり維持してる関係上で畿内に復帰しやすいんですな
根っこが残ってると、何回上っ面を草刈りしても生えてくる、みたいな。
Steamで光栄の信長の野望シリーズが半額セールになってる。武将風雲録買っちゃった。
この情報ありがたいです
29:30 うろ覚えだけど楽市楽座って六角氏もじゃなかったっけあと六角氏が即逃げたのってビビったのもあると思うけど元々守りきれないことがわかった時点でゲリラ戦に切り替えるつもりだったのかなと思ってる。織田がくる前にも同じように甲賀でゲリラ戦展開して勝ってるから同じことをやりたかったけど織田が強すぎて甲賀から帰ってこれなかくなったんじゃないかと
六角は九代将軍義尚の勾の陣の頃の六角高頼の時代からゲリラ戦してますからね。
終ぞ信長が在京を望まなかったのは、政治的な計算もあるでしょうが投資効率上の問題点を見切っていたというのもあるでしょうね確かに京都は伝統的な大都市ではありますが、地形的な面でも、政治的な面でも、大規模な新規開発をするには難しい土地ですそういう場所はインフラの再整備が難しく、新たな投資をしても、なかなか収益を増やせません更に朝廷や幕府があるせいで、自由な開発それ自体ができないだったら新規開発の余地があり、自由に開発計画を実施できる場所に重点的に投資をおこなったほうが儲けが大きいという訳です信長の先見性は、京都を全国の戦国大名の中で唯一「投資家の目で見た」事にあると思います実際、京都は明治に入って「首都として拡張投資をするのに不適格だから放棄」されてしまいましたこの時期にその問題に気づけた、それが信長の凄いところだと思います
養子縁組の件、実際は乗っ取りだとしても、家名が残るというのは地元民の反感を買わない為の政策として非常に重要だと思われます。縁組は形式上は同盟だから面目が保てるし。ネームバリューの有効活用でしょう。
うまく行ったかどうかはそれぞれの家で異なりますね。織田信雄による北畠家乗っ取りは、結局血みどろの粛清劇に発展して北畠重臣をことごとく葬る羽目になったので失敗例でしょう。それなら最初から開戦したほうがマシだった。毛利の小早川乗っ取りは、小早川が沼田と竹原に分裂して不仲だったこと、当主の夭折が続いたことから小早川重臣にも望まれたことだったので比較的スムーズだった。
信長の天下事業に欠かせない九鬼水軍は北畠氏の傘下国人でしたね。毛利家との木津川の戦いに参加した九鬼水軍はあくまで北畠(織田)信雄配下として参戦していますこのように伊勢の国人衆は旧主の配下のままで織田軍団に組み込まれる事が多く国人衆を刺激したくない信長の配慮でしょうね
動画の最後の最後にドリフターズの信長のセリフがでてきましたが、この上洛はまさにその言葉が体現されたものでしたね。しかしこのあとに六角や三好、北畠、更には斎藤龍興に邪魔されまくるなぞ誰が思ったでしょうね
その経験があるからこそ同じドリフでの「征服したなら姫の様にもてなすか、悉く滅ぼすしかない(意訳)」に繋がるのでしょうね
と言うか、六角も三好(細川)も畿内が不利と悟ったら甲賀や阿波に引っ込むと言うのを何度も繰り返していますからね。彼らからしたら抑えがたい敵が来たのでいなして鋭鋒が衰えたところで勢力を回復すると言うのが常套手段六角の甲賀は鎌倉時代から阿波の三好(細川)は名管領細川頼之以来と百年単位で本拠地とした地こう言う地は小田氏治の小田氏のように国人衆でなく農民・地侍層の根強い地盤が有るのでそうそう簡単に失陥する事が無い信長には信長の戦略が有るだろうが彼らにも彼らなりの生存戦略が有ると言うだけ
昔のノッブ→幕府がなんじゃい!俺は魔王や!神やで!今のノッブ→わいは将軍様を立てて幕府を再建するんや!将軍あっての織田家や!義昭様の邪魔をする奴は俺が許さん!
そして、なんやかんやで家康が将軍になって室町幕府は正式に消えたという
この動画饅頭たちの表情がすごく豊かですこ
信長上洛のスピードが如何に、事前の準備と外交関係の根回しによるものだとよくわかる動画でした。でもって変に駐留せずに、自国の本拠地をおろそかにしなかった。京都はあくまで幕府の為に置いといて自身は戦国大名として今後も行動するってそうそう決断できることじゃない
伊勢については伊勢湾の水運を把握し水軍をようする経済的にも軍事的にも最重要地域なのでむしろ重要だから無理しなかったのでないかと、所謂海賊衆の調略の都合もあったのかも知れない北畠家は超名門ですし
投稿ありがとうございます。もしできれば、足利尊氏に関する一考察を頂けると嬉しいです。
一人欠けても三人衆という五人揃って四天王の逆バージョンみたいな三好三人衆。
なんなら信長の上洛に前後して三好宗渭は病没するのでこの後は長逸一人が三人衆を名乗ることに…長逸は三人衆を気に入ってたよう
敵地への略奪を容認した出稼ぎ出兵が多い戦国では異色な軍事作戦。将兵が華やかな京の文化の虜になる前に引き返すとか、木曽義仲の教訓なんだろうか。
三河一向一揆は家康の三大危機とか言われてますが、最近の研究によると終始家康側優勢で終息も意外と早かったと言われてますね。
ノッブニキすげー!細かい根回しとか策を出した家臣はいたんやろか?それともノッブニキが考えたんかな?
34:20劉邦「お、そうだな」董卓「せやせや」
もう信長RTA走者(ガバ多め、完走重視)やってるだろ...
あまり攻略が早すぎても信玄の寿命までの期間が逆に伸びるのでタイミング的にはちょうどよかったという強運チャート
ランダム要素多すぎてガバなしとか無理なゲームだから…
三好家の内ゲバ解説お願いしますw
けいおんが15年前・・・だと?やめろ。その術は俺に効く
信長の野望全国版から入った自分にとって六角なんてずっと序盤ですぐ謀反か一揆で死ぬ超弱小大名のイメージしかなかったから今川や武田と同じ格式高い守護大名って学んだ時に理解するまでに結構時間かかった記憶あるてかそのせいで諱の「六角義賢」で覚えてたから「承禎」と言われても未だに全然ピンと来ないw
長慶ブラザーズが長生きしていれば、三人衆with久秀も結束していただろうし残念。それにしても畿内は魑魅魍魎の世界だな・・・
来た神動画
俯瞰すれば全て道理なのだけど、それをやれる人は曹操居ない。
逆に言うなら曹操なら可能と……。
あくまで雰囲気なので恐縮なのですが。信長の畿内侵攻については、特に六角氏などは「そもそも守護ってどの程度までその土地を支配してたことになってたの?」的な違和感があります。いわゆる鎌倉政権~足利政権と織田勢力の勃興以降の武家政権では、土地や人民の支配につき認識の「つくり」、前提が違うのではないか?という印象を受けます。ある意味、以前動画にしていただいた、「国司と守護」レベルかそれ以上で変わっている気がするのですが、いかがでしょう?
六角の強みはゲリラ戦ですよ。足利義久率いる幕府軍も鎮圧しきれなかった粘り強さです。家臣団と争っていて本領を発揮できなかったというのもあるでしょうが、敵が強ければ下がるのも大事でしょう。むしろ手勢を温存して山中で抵抗できる体制を作ったのは判断が早いと思います。城を死守して玉砕したら末代まで語り継がれることはあっても、戦略的には失敗です。
まさに孫子よな。
佐久間や林ら有能な家臣が能力を発揮した。
1:25けいおん!や化物語から15年経過?またまたご冗談を・・・え?マジで??
ドリフターズの名言ですね
喉元の長島とか服部とか厄介な連中やで
「太田うしいち」という方がRUclipsチャンネルで織田信長の官位辞退について詳しく解説していましたね。管領は名誉職に過ぎず、他の官位も受け取るのは非現実的であり義昭のリップサービスだったのではないかと。ただし弾正忠の京職は貰ってるので、あくまで朝廷の権威を重んじていたのかもしれないですね
弾正忠は信長の家系が僭称していた官位だから、そこは正式に任命してもらったってことなのでしょうねえ
歴史にifはないが、三好兄弟が健在で、万全の状態の三好家で信長とぶつかるところが見たかった。
信長関係の小説やドラマでは名前が出ると同時に逃亡して滅亡してることの多い六角氏、実際は逃亡してもしぶとく抵抗したり、信長と敵対する原因になった足利義昭が追放されると義昭の傍に使えさらには信長後の秀吉の天下で秀吉に仕えてたりする。
朝倉氏と言えばやはり大叔父の朝倉宗滴を語らずして通れまい。彼が存命中は朝倉も安泰であったろうに。
有名な桶狭間の戦いも得られたものは今川家の弱体化と三河との同盟という知名度の割には大したものは得られなかったけど、今回の戦は首都とその周辺国を制圧するという破格の戦果なのにあまり知られてないのはやっぱり展開が地味だったからなんだろうなあ…
この信長の完璧超人っぷりはどこかのタイミングで死んで死に戻りしてない?
六角氏は滅亡後から本気を出すタイプ
というより、鎌倉幕府の頃からの家ですから、お家再興に向ける熱量が違います。六角承禎の時点で近江国守護の15代目とか、歴史が分厚過ぎる。
信長編が終わったら天正壬午の乱も見たいです
ノブさん生きてたらどんな歴史やったんかなぁ・・浸透ニキうp乙です!
徳川家康の最初の改名って松平元信→松平元康だよね?
38:57 実際このあと貴族化して断絶しちゃった簒奪者や後継者もいますね…
直轄地にせず、現地勢力に任せるのは、寺社勢力、住民の統治がまず難しからでしょうね。反抗勢力は隠居させたり追放させ親族や分家に任せるのが普通ですね。その点後の滝川一益や織田方面軍は有能です。
なんか後半のマップの浅井が下の緑部分が体に見えて変な体勢で座ってるように見える笑
小ネタ2 六角は浅井に1560年に大敗したというのが歴史に詳しい、特に戦国好きならそこそこ知られてるエピソードだが翌年の1561年に京都で三好勢を撃破して1562年には京都を掌握し徳政令をだしてしるなどはほとんど知られていない。一時的に京都の主になったが直ぐに三好長慶と和睦するなど室町幕府最晩年の歴史の主役として戦に政治に大活躍している。1565年に足利義輝が三好松永軍に弑逆されると後の義昭が六角領に逃げ込んできてこれを匿う。このあと浸透襲撃さんの美濃攻略戦で詳しい信長の美濃攻めにつながるのだが、この時に六角が取り持って足利義昭の近臣の和田惟政を使者に織田家のお市の方と浅井長政の婚姻を進めてる。だが運命の大逆転、三好側からの誘いに乗って義昭を朝倉に追放したため1566年には浅井に攻められる。その二年後の1568年に信長に攻められ逃亡生活に入る。
関連会社みたいな経営するのは人がいないこともありそう
織田信長の宗教無害化、襲撃さんの安土宗論解説聞いてみたいねえ
海原雄山をここで持ち出してくる(笑)
個人的に、六角家のやつは、勾の陣の踏襲だと思う。(相手の兵糧が尽きるのを待つ)だけど織田家の補給体制が強くて、やらかした形になったけど・・・
六角は浅井の主家の京極家と同じ佐々木道誉の子孫、それが浅井と同列になるなど受け入れられる訳がない。後に播磨の別所、摂津の荒木村重が反旗を翻したのは秀吉の出自が農民とされる程低かったから、そんな秀吉の下に入る事をうけいれられなかった説がありますね。
秀吉が別所長治の叔父・別所重棟娘と『まだ荒木の与力』の黒田官兵衛の子(後の黒田長政)の婚姻を「別所長治とも官兵衛の主君・小寺政職とも無許可で」斡旋して別所と小寺を怒らせた 「信長様に頭下げて「家臣」になったのになんで「同じ家臣」の秀吉に家のこと口出しされるのだ!いつ秀吉の家臣になったんだ!」荒木は元々播磨国衆らの交渉担当で別所らを信長の下へ臣従する説得成功したのが秀吉のこのやらかしで手柄が台無しに&自分の献策無視されて佐久間信盛の本願寺攻め案が採用されて本願寺攻め失敗とで織田家で居場所が無くなったところを毛利と本願寺が勧誘した。と、三好研究最前線の天野先生は指摘してます。秀吉は流石に反省したのか筑前守を返上して無位無官になって反省期間作ってます…(なお信長の無許可で信用の欠片も無い宇喜多直家を説得)
小ネタ 戦国大名としてはマイナー武将の六角だが代々の近江守護で足利将軍と戦をしたり、将軍の後ろ盾になったりと足利尊氏の頃の先祖の佐々木から中央の歴史に燦然と輝いてる名門。甲賀と伊賀三郡を収めている忍者の里の大名でもある。織田家とは長く友好関係を結んでいる。信長の父の代には六角織田朝倉で織田信秀を主戦力とした美濃斎藤攻めをし、情報は少ないが桶狭間に織田方支援で援軍を出したというい話もある。桶狭間は織田vs今川というだけでなく足利義輝幕下の織田信長と三国同盟など東国の盟主的な立場の今川義元との抗争という見方でみることもできる。
信長さんの領内は、農民がちょっと頑張れば鉄砲を用意できるぐらいの価格で流通してたってことか。
35:33
京をとった方が負ける。これが空城の計か‥
ドラマや漫画でも美濃平定後の畿内戦ってあっさりしすぎててタイムワープしたんか?レベルだったけど史実でもそんなもんだったというw
浅井家って戦国時代後半への影響力が尋常じゃなくて、ある意味裏主人公ばりに関わってくるの好き。牝系で豊臣徳川京極まで絡んで大繁栄したし。
挙句、天皇家まで血が入って現在に至りますからね。ある意味執念ですが、崇源院さんが子だくさんだったからともいえますね。
だからこそ後世での若干の持ち上げある感じ
織田信長とゆかいななかまたちでいろいろかけそうだな。信長の野望外伝みたいなかたちで。
織田信長が群を抜いてヤバいですが、徳川家康も大概ですな。バックグラウンドがあったとはいえ23歳で三河統一を成し遂げてるとか普通にヤバい事やってる。
織田家と同盟を結んでいるという圧で押し切ったのかもしれません。それにしても野心を微塵も出さずに尻尾を隠していたのはすごいとも思います。空き巣狙いに尾張掠め取っても対応には時間がかかったでしょうし。
岐阜ゲットまで3年で終わってたら天下統一してたかしら?
六角承禎ほとんどの大河ドラマでナレーションで出ればいい方ってレベルで黙殺されてるけど、このあっけなさ、盛り上がりの無さからすると物語的には仕方ないと思えて来た
海原雄山「この漆を塗ったのはだれだー!」
これ、当時の六角辺りはどの程度までこの状況を把握できていたのでしょうね?
状況見えてないと言われることは歴史ではよくあるけど、当時に当人たちがどこまで把握できていたのやら
あくまで一守護の織田は将軍の権威というのは重要になってくるのだろうなと思いますね。だけど、その下の職位はつかないというのも、重要になってくるだろう。執権や管領の権力が強かった鎌倉室町時代と江戸の閣士たる老中は権威と権力が小さく将軍の権威の圧倒的大きさを持ったのは、家康がこういうのを横から見たのも大きいのかも知れません。江戸が長く続き、鎌倉室町が江戸ほど続かなかったのは、政府の明らかな権威の差と言えるでしょう。国家の最高主権責任者(SSRP)、将軍等の首席執行幹事(幹部長、CEO)、管領等の首席運営幹事(COO)における権威、責任の差配を調整することが如何に重要かと言えます。
〆で同年代(歳が近い)だと解ります😀
この時期ですら仏教徒の勢力はものすごかったのに本当に仏教徒の道鏡が天皇になってたらこの辺どうなってたことやら
六角承禎も朝倉義景も別に無能ってイメージは無いな本物の無能はいらん内ゲバ勝手に起こす織田信雄とか六角義治とかそこらへんよ
足利幕府最高!
三好家は信長上洛期は内ゲバでボロボロだったけど義継と久秀が阿波三好と組んで三好家完全体になったら畿内で連戦連勝したのは流石信玄の急死で崩れたのは残念だけど世代交代失敗した時点で残当な結果ではあるね
義興君が生きていれば、、、
大三好家復活の流れはすこ
@@またのー-s7m義興は有能だし義輝とも上手くやってたみたいだから義維派ガチ勢の実休より惜しい存在でしたね
27:30志摩のことじゃね!?
この時の志摩はまだ北畠領だったと思います
❤
朝倉さんとこのおじいちゃんはチートやからな…
近江、越前は畿内ではないのでは?
平蜘蛛爆破まであと僅か😂
信長公記の「信長御入洛」が「ご入浴」に見えてへー信長って風呂入りながら機内制圧を命じたんだ、と一瞬思ってしまった
おまどうま
信長が京都に入った結果、本能寺の変にあったのは何とも皮肉
織田信長なんだが相手に自己紹介するときは平朝臣織田上総介三郎信長と言う。氏·性(かばね)·名字·官名·仮名·諱の順
六角がなんで織田と同盟しなかったの分からんってそんなもん所司代に任じられて洛中も預けるとか言われて信じる馬鹿はいない
義昭が義秋になってる(笑)
間違いを指摘するなら動画をちゃんと見るなり義秋で検索するなりしてからにしたら?
始めの名前は義「秋」、後で義「昭」に改名する。
守りにくい洛陽から自領近くの長安へと都市を移動させた曹操と、守りにくいならそもそも都を獲ることをしなかった織田信長みたいな対比になっていそう。やることがRTA走者みたいに合理化されてるんだよね、この人。
「長安」ではなく、許昌では?
いつもありがと
織田信長という人の凄さの真骨頂が詰まった回ですね今回は
織田信長は戦闘でもめちゃくちゃ強いですがそれ以上に政戦両略の天才ですね
この時代、多くの傑出した人物がいましたが、その中でも織田信長は図抜けています
六角の感情の問題と考察されていますが、六角と臣下との関係の問題というのもあるのかなと思いました
浅井より格下になることを許すというのは臣下に舐められることでもありますし、下克上の世において浅井の格下になることを認めることは臣下との関係においても同様のことが起こりえることを許す可能性があるというメタメッセージにもなります
これ順番も重要ですよね。
もし義昭を先に岐阜へ招いていたら、まだ上洛に向けた準備中で、朝倉と同様、頼りないと思われれば他勢力へ逃げられる可能性もあったのではないでしょうか。
全ての準備を終え、最後に義昭を迎え入れたからこそ、来てすぐに出発し迅速(神速)に上洛を成し遂げるスピード感を演出できたのではないでしょうか。そこら辺も含めて、信長の段取りは凄いなと思わされました。
31:02~ 最早触れられもされない細川京兆家19代当主・細川六郎(昭元)
信長が京に入らなかったのは京都は守りにくい土地だってことを見抜いてたからかもしれませんね
楠木正成や明智光秀など歴史に名を残すような名将でも京付近に陣を構えた戦で大敗して戦死しているし信長は京の守りにくく攻めやすいという土地の特徴を見抜いていたのかも
信長自身も京都の本能寺で亡くなってるわけだしね
なお六角はこの後死ぬほどうざくなる模様
面白かったのでチャンネル登録しました!
畿内を本拠地にしないのは割と前例があって、六角定頼とかがそうですね。定頼自体も役職とか断ってるので信長自体が幕府を支える上でのモデルケースとして定頼を参考にしたとか言われてますね
夏休みに神すぎる
本当に上手いですよね、神速で南近江と五畿内を平定した訳ですが、実は織田の子飼いを入れたのは南近江のみで五畿内は幕府を担いだ間接統治です
つまり、畿内の諸勢力は建前上は再興された足利幕府に臣従してるのであって織田の家臣に成った訳ではないと言う事に
建前上は幕府に臣従しろっていう切り札が使える状況で近畿の平定が出来ると
しかも、幕府の役職を信長は受けて無いので、明確に足利家と主従関係が出来てる訳でないという事にもなるという
結果からみれば、物凄い智謀に見える
京に入ると京の面倒を見ないといけなくなる。配下が京でオイタしないように統制しないといけないし、流通の確保ができないと京って飢えるし。
今も苦しんでいる宗教の無害化
やっぱ織田信長スゲーよ
寺社放火は日常茶飯事なので…家臣らへの恩賞捻出に寺社の土地を使う。理由は「仏の道外れてるから(寺同士の喧嘩)」「本殿じゃないからOK(信長のは麓町の近江坂本が中心)」とか心理的ハードルを下げてからやってた。源義朝「また建て直せば罰当たらん!(保元の乱で法性寺放火)」平家「阿弥陀様に救われるから大丈夫…(清水寺放火)」
信長の焼き討ちはキリシタンらの寺社仏閣破壊の口実に使われるようになる…→カブラル「信長が焼いても罰当たるどころか栄えてるから焼いても問題ない!」
信長が天下を取れた理由はいくつもあるけど、本拠地が尾張という京都から遠すぎず近すぎない絶妙な位置だったのは大きいね
畿内だと既得権がたくさんあって自勢力を育てにくいし、政争のゴタゴタに巻き込まれやすい
遠方すぎるとまず上洛が大変だし、上洛している間に情勢が変わることもある。家臣や資産が本拠地と京都に分断されるだろうし
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過去作、三国志のやつとかまでさかのぼって動画見てます。
織田信長の続きとても楽しみにしています。
中央集権っていざやろうとすると大失敗した時のリスクがエグイからな…→六角義治 二頭政治卒業を図って父派の後藤を斬ったが余波がえぐいことに
六角は久米田・教興寺の戦いで河内畠山と義輝幕臣の伊勢貞孝と組んで三好と戦ったけど三好に大敗してわからされちゃった経歴あるから尾張の田舎者が~ではない
朝倉は宗滴の養子で敦賀郡司の景紀と大野郡司の景鏡(親父も義景親父時代に謀反起こして逃亡)と分家同士の関係最悪で子どもも夭折して跡継ぎ0だから下手な冒険できんし、将軍家の味方と言われると「将軍家が上洛する時は一貫して何度も味方になってくれた若狭武田家」のお家騒動に介入してるからな…
六角は信長の野望で知る限りだと序盤戦の中ボス程度の存在なんだけど意外と頑張ってるんだよね
六角は定頼が優秀だったからなぁ
@@Noya360Key 信長自体が定頼を参考にしてたらしいですしね
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六角好きなんですよ❤️
信長の野望で初登場の時から序盤戦の中ボスをレギュラーでこなしてますし、子供の頃に読んだ漫画でもチョイ悪親父みたいな色のあるキャラだったんで、中年になった今でも好きです😎
観音寺城跡とか見にも行きましたよ!
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信長ってドラゴンボールのセルみたいに他を吸収してどんどん化けるのが凄いですよね。
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つ コーヒーと金平糖代
なお簡単に蹴散らせれたと思っていた三好、六角他の畿内勢にこの後かなり苦しめたられた義昭信長政権なのであった…
本拠地の阿波が無事である限り、何回でも立て直せますからね
※ご指摘があり、訂正しました。
@@あぼぼですすみません、三好氏の本拠地は、阿波(現在の徳島県)です
@@あぼぼです 制海権はしっかり維持してる関係上で畿内に復帰しやすいんですな
根っこが残ってると、何回上っ面を草刈りしても生えてくる、みたいな。
Steamで光栄の信長の野望シリーズが半額セールになってる。
武将風雲録買っちゃった。
この情報ありがたいです
29:30 うろ覚えだけど楽市楽座って六角氏もじゃなかったっけ
あと六角氏が即逃げたのってビビったのもあると思うけど元々守りきれないことがわかった時点でゲリラ戦に切り替えるつもりだったのかなと思ってる。織田がくる前にも同じように甲賀でゲリラ戦展開して勝ってるから同じことをやりたかったけど織田が強すぎて甲賀から帰ってこれなかくなったんじゃないかと
六角は九代将軍義尚の勾の陣の頃の六角高頼の時代からゲリラ戦してますからね。
終ぞ信長が在京を望まなかったのは、政治的な計算もあるでしょうが
投資効率上の問題点を見切っていたというのもあるでしょうね
確かに京都は伝統的な大都市ではありますが、地形的な面でも、政治的な面でも、大規模な新規開発をするには難しい土地です
そういう場所はインフラの再整備が難しく、新たな投資をしても、なかなか収益を増やせません
更に朝廷や幕府があるせいで、自由な開発それ自体ができない
だったら新規開発の余地があり、自由に開発計画を実施できる場所に重点的に投資をおこなったほうが儲けが大きいという訳です
信長の先見性は、京都を全国の戦国大名の中で唯一「投資家の目で見た」事にあると思います
実際、京都は明治に入って「首都として拡張投資をするのに不適格だから放棄」されてしまいました
この時期にその問題に気づけた、それが信長の凄いところだと思います
養子縁組の件、実際は乗っ取りだとしても、家名が残るというのは地元民の反感を買わない為の政策として非常に重要だと思われます。
縁組は形式上は同盟だから面目が保てるし。
ネームバリューの有効活用でしょう。
うまく行ったかどうかはそれぞれの家で異なりますね。織田信雄による北畠家乗っ取りは、結局血みどろの粛清劇に発展して北畠重臣をことごとく葬る羽目になったので失敗例でしょう。それなら最初から開戦したほうがマシだった。毛利の小早川乗っ取りは、小早川が沼田と竹原に分裂して不仲だったこと、当主の夭折が続いたことから小早川重臣にも望まれたことだったので比較的スムーズだった。
信長の天下事業に欠かせない九鬼水軍は北畠氏の傘下国人でしたね。毛利家との木津川の戦いに参加した九鬼水軍はあくまで北畠(織田)信雄配下として参戦しています
このように伊勢の国人衆は旧主の配下のままで織田軍団に組み込まれる事が多く国人衆を刺激したくない信長の配慮でしょうね
動画の最後の最後にドリフターズの信長のセリフがでてきましたが、この上洛はまさにその言葉が体現されたものでしたね。
しかしこのあとに六角や三好、北畠、更には斎藤龍興に邪魔されまくるなぞ誰が思ったでしょうね
その経験があるからこそ同じドリフでの「征服したなら姫の様にもてなすか、悉く滅ぼすしかない(意訳)」に繋がるのでしょうね
と言うか、六角も三好(細川)も畿内が不利と悟ったら甲賀や阿波に引っ込むと言うのを何度も繰り返していますからね。彼らからしたら抑えがたい敵が来たのでいなして鋭鋒が衰えたところで勢力を回復すると言うのが常套手段
六角の甲賀は鎌倉時代から阿波の三好(細川)は名管領細川頼之以来と百年単位で本拠地とした地
こう言う地は小田氏治の小田氏のように国人衆でなく農民・地侍層の根強い地盤が有るのでそうそう簡単に失陥する事が無い
信長には信長の戦略が有るだろうが彼らにも彼らなりの生存戦略が有ると言うだけ
昔のノッブ→幕府がなんじゃい!俺は魔王や!神やで!
今のノッブ→わいは将軍様を立てて幕府を再建するんや!将軍あっての織田家や!義昭様の邪魔をする奴は俺が許さん!
そして、なんやかんやで家康が将軍になって室町幕府は正式に消えたという
この動画饅頭たちの表情がすごく豊かですこ
信長上洛のスピードが如何に、事前の準備と外交関係の根回しによるものだとよくわかる動画でした。
でもって変に駐留せずに、自国の本拠地をおろそかにしなかった。京都はあくまで幕府の為に置いといて
自身は戦国大名として今後も行動するってそうそう決断できることじゃない
伊勢については伊勢湾の水運を把握し水軍をようする経済的にも軍事的にも最重要地域なのでむしろ重要だから無理しなかったのでないかと、所謂海賊衆の調略の都合もあったのかも知れない北畠家は超名門ですし
投稿ありがとうございます。もしできれば、足利尊氏に関する一考察を頂けると嬉しいです。
一人欠けても三人衆という五人揃って四天王の逆バージョンみたいな三好三人衆。
なんなら信長の上洛に前後して三好宗渭は病没するのでこの後は長逸一人が三人衆を名乗ることに…長逸は三人衆を気に入ってたよう
敵地への略奪を容認した出稼ぎ出兵が多い戦国では異色な軍事作戦。
将兵が華やかな京の文化の虜になる前に引き返すとか、木曽義仲の教訓なんだろうか。
三河一向一揆は家康の三大危機とか言われてますが、最近の研究によると終始家康側優勢で終息も意外と早かったと言われてますね。
ノッブニキすげー!
細かい根回しとか策を出した家臣はいたんやろか?それともノッブニキが考えたんかな?
34:20
劉邦「お、そうだな」
董卓「せやせや」
もう信長RTA走者(ガバ多め、完走重視)やってるだろ...
あまり攻略が早すぎても信玄の寿命までの期間が逆に伸びるのでタイミング的にはちょうどよかったという強運チャート
ランダム要素多すぎてガバなしとか無理なゲームだから…
三好家の内ゲバ解説お願いしますw
けいおんが15年前・・・だと?
やめろ。その術は俺に効く
信長の野望全国版から入った自分にとって六角なんてずっと序盤ですぐ謀反か一揆で死ぬ超弱小大名のイメージしかなかったから今川や武田と同じ格式高い守護大名って学んだ時に理解するまでに結構時間かかった記憶ある
てかそのせいで諱の「六角義賢」で覚えてたから「承禎」と言われても未だに全然ピンと来ないw
長慶ブラザーズが長生きしていれば、三人衆with久秀も結束していただろうし残念。それにしても畿内は魑魅魍魎の世界だな・・・
来た神動画
俯瞰すれば全て道理なのだけど、それをやれる人は曹操居ない。
逆に言うなら曹操なら可能と……。
あくまで雰囲気なので恐縮なのですが。
信長の畿内侵攻については、特に六角氏などは「そもそも守護ってどの程度までその土地を支配してたことになってたの?」的な違和感があります。
いわゆる鎌倉政権~足利政権と織田勢力の勃興以降の武家政権では、土地や人民の支配につき認識の「つくり」、前提が違うのではないか?という印象を受けます。
ある意味、以前動画にしていただいた、「国司と守護」レベルかそれ以上で変わっている気がするのですが、いかがでしょう?
六角の強みはゲリラ戦ですよ。足利義久率いる幕府軍も鎮圧しきれなかった粘り強さです。家臣団と争っていて本領を発揮できなかったというのもあるでしょうが、敵が強ければ下がるのも大事でしょう。むしろ手勢を温存して山中で抵抗できる体制を作ったのは判断が早いと思います。城を死守して玉砕したら末代まで語り継がれることはあっても、戦略的には失敗です。
まさに孫子よな。
佐久間や林ら有能な家臣が能力を発揮した。
1:25
けいおん!や化物語から15年経過?
またまたご冗談を・・・
え?マジで??
ドリフターズの名言ですね
喉元の長島とか服部とか厄介な連中やで
「太田うしいち」という方がRUclipsチャンネルで織田信長の官位辞退について詳しく解説していましたね。
管領は名誉職に過ぎず、他の官位も受け取るのは非現実的であり義昭のリップサービスだったのではないかと。
ただし弾正忠の京職は貰ってるので、あくまで朝廷の権威を重んじていたのかもしれないですね
弾正忠は信長の家系が僭称していた官位だから、そこは正式に任命してもらったってことなのでしょうねえ
歴史にifはないが、三好兄弟が健在で、万全の状態の三好家で信長とぶつかるところが見たかった。
信長関係の小説やドラマでは名前が出ると同時に逃亡して滅亡してることの多い六角氏、実際は逃亡してもしぶとく抵抗したり、信長と敵対する原因になった足利義昭が追放されると義昭の傍に使えさらには信長後の秀吉の天下で秀吉に仕えてたりする。
朝倉氏と言えばやはり大叔父の朝倉宗滴を語らずして通れまい。彼が存命中は朝倉も安泰であったろうに。
有名な桶狭間の戦いも得られたものは今川家の弱体化と三河との同盟という知名度の割には大したものは得られなかったけど、今回の戦は首都とその周辺国を制圧するという破格の戦果なのにあまり知られてないのはやっぱり展開が地味だったからなんだろうなあ…
この信長の完璧超人っぷりはどこかのタイミングで死んで死に戻りしてない?
六角氏は滅亡後から本気を出すタイプ
というより、鎌倉幕府の頃からの家ですから、お家再興に向ける熱量が違います。
六角承禎の時点で近江国守護の15代目とか、歴史が分厚過ぎる。
信長編が終わったら天正壬午の乱も見たいです
ノブさん生きてたらどんな歴史やったんかなぁ・・浸透ニキうp乙です!
徳川家康の最初の改名って松平元信→松平元康だよね?
38:57 実際このあと貴族化して断絶しちゃった簒奪者や後継者もいますね…
直轄地にせず、現地勢力に任せるのは、寺社勢力、住民の統治がまず難しからでしょうね。反抗勢力は隠居させたり追放させ親族や分家に任せるのが普通ですね。その点後の滝川一益や織田方面軍は有能です。
なんか後半のマップの浅井が下の緑部分が体に見えて変な体勢で座ってるように見える笑
小ネタ2 六角は浅井に1560年に大敗したというのが歴史に詳しい、特に戦国好きならそこそこ知られてるエピソード
だが翌年の1561年に京都で三好勢を撃破して1562年には京都を掌握し徳政令をだしてしるなどはほとんど知られていない。
一時的に京都の主になったが直ぐに三好長慶と和睦するなど室町幕府最晩年の歴史の主役として戦に政治に大活躍している。
1565年に足利義輝が三好松永軍に弑逆されると後の義昭が六角領に逃げ込んできてこれを匿う。
このあと浸透襲撃さんの美濃攻略戦で詳しい信長の美濃攻めにつながるのだが、この時に六角が取り持って足利義昭の近臣の和田惟政を使者に織田家のお市の方と浅井長政の婚姻を進めてる。
だが運命の大逆転、三好側からの誘いに乗って義昭を朝倉に追放したため1566年には浅井に攻められる。その二年後の1568年に信長に攻められ逃亡生活に入る。
関連会社みたいな経営するのは人がいないこともありそう
織田信長の宗教無害化、襲撃さんの安土宗論解説聞いてみたいねえ
海原雄山をここで持ち出してくる(笑)
個人的に、六角家のやつは、勾の陣の踏襲だと思う。(相手の兵糧が尽きるのを待つ)だけど織田家の補給体制が強くて、やらかした形になったけど・・・
六角は浅井の主家の京極家と同じ佐々木道誉の子孫、それが浅井と同列になるなど受け入れられる訳がない。
後に播磨の別所、摂津の荒木村重が反旗を翻したのは秀吉の出自が農民とされる程低かったから、そんな秀吉の下に入る事をうけいれられなかった説がありますね。
秀吉が別所長治の叔父・別所重棟娘と『まだ荒木の与力』の黒田官兵衛の子(後の黒田長政)の婚姻を「別所長治とも官兵衛の主君・小寺政職とも無許可で」斡旋して別所と小寺を怒らせた 「信長様に頭下げて「家臣」になったのになんで「同じ家臣」の秀吉に家のこと口出しされるのだ!いつ秀吉の家臣になったんだ!」
荒木は元々播磨国衆らの交渉担当で別所らを信長の下へ臣従する説得成功したのが秀吉のこのやらかしで手柄が台無しに&自分の献策無視されて佐久間信盛の本願寺攻め案が採用されて本願寺攻め失敗とで織田家で居場所が無くなったところを毛利と本願寺が勧誘した。と、三好研究最前線の天野先生は指摘してます。
秀吉は流石に反省したのか筑前守を返上して無位無官になって反省期間作ってます…(なお信長の無許可で信用の欠片も無い宇喜多直家を説得)
小ネタ 戦国大名としてはマイナー武将の六角だが代々の近江守護で足利将軍と戦をしたり、将軍の後ろ盾になったりと足利尊氏の頃の先祖の佐々木から中央の歴史に燦然と輝いてる名門。甲賀と伊賀三郡を収めている忍者の里の大名でもある。
織田家とは長く友好関係を結んでいる。信長の父の代には六角織田朝倉で織田信秀を主戦力とした美濃斎藤攻めをし、情報は少ないが桶狭間に織田方支援で援軍を出したというい話もある。桶狭間は織田vs今川というだけでなく足利義輝幕下の織田信長と三国同盟など東国の盟主的な立場の今川義元との抗争という見方でみることもできる。
信長さんの領内は、農民がちょっと頑張れば鉄砲を用意できるぐらいの価格で流通してたってことか。
35:33
京をとった方が負ける。これが空城の計か‥
ドラマや漫画でも美濃平定後の畿内戦ってあっさりしすぎててタイムワープしたんか?レベルだったけど史実でもそんなもんだったというw
浅井家って戦国時代後半への影響力が尋常じゃなくて、ある意味裏主人公ばりに関わってくるの好き。牝系で豊臣徳川京極まで絡んで大繁栄したし。
挙句、天皇家まで血が入って現在に至りますからね。
ある意味執念ですが、崇源院さんが子だくさんだったからともいえますね。
だからこそ後世での若干の持ち上げある感じ
織田信長とゆかいななかまたちでいろいろかけそうだな。信長の野望外伝みたいなかたちで。
織田信長が群を抜いてヤバいですが、徳川家康も大概ですな。
バックグラウンドがあったとはいえ23歳で三河統一を成し遂げてるとか普通にヤバい事やってる。
織田家と同盟を結んでいるという圧で押し切ったのかもしれません。それにしても野心を微塵も出さずに尻尾を隠していたのはすごいとも思います。空き巣狙いに尾張掠め取っても対応には時間がかかったでしょうし。
岐阜ゲットまで3年で終わってたら天下統一してたかしら?
六角承禎ほとんどの大河ドラマでナレーションで出ればいい方ってレベルで黙殺されてるけど、このあっけなさ、盛り上がりの無さからすると物語的には仕方ないと思えて来た
海原雄山「この漆を塗ったのはだれだー!」
これ、当時の六角辺りはどの程度までこの状況を把握できていたのでしょうね?
状況見えてないと言われることは歴史ではよくあるけど、当時に当人たちがどこまで把握できていたのやら
あくまで一守護の織田は将軍の権威というのは重要になってくるのだろうなと思いますね。だけど、その下の職位はつかないというのも、重要になってくるだろう。執権や管領の権力が強かった鎌倉室町時代と江戸の閣士たる老中は権威と権力が小さく将軍の権威の圧倒的大きさを持ったのは、家康がこういうのを横から見たのも大きいのかも知れません。江戸が長く続き、鎌倉室町が江戸ほど続かなかったのは、政府の明らかな権威の差と言えるでしょう。国家の最高主権責任者(SSRP)、将軍等の首席執行幹事(幹部長、CEO)、管領等の首席運営幹事(COO)における権威、責任の差配を調整することが如何に重要かと言えます。
〆で同年代(歳が近い)だと解ります😀
この時期ですら仏教徒の勢力はものすごかったのに
本当に仏教徒の道鏡が天皇になってたらこの辺どうなってたことやら
六角承禎も朝倉義景も別に無能ってイメージは無いな
本物の無能はいらん内ゲバ勝手に起こす織田信雄とか六角義治とかそこらへんよ
足利幕府最高!
三好家は信長上洛期は内ゲバでボロボロだったけど義継と久秀が阿波三好と組んで三好家完全体になったら畿内で連戦連勝したのは流石
信玄の急死で崩れたのは残念だけど世代交代失敗した時点で残当な結果ではあるね
義興君が生きていれば、、、
大三好家復活の流れはすこ
@@またのー-s7m義興は有能だし義輝とも上手くやってたみたいだから義維派ガチ勢の実休より惜しい存在でしたね
27:30
志摩のことじゃね!?
この時の志摩はまだ北畠領だったと思います
❤
朝倉さんとこのおじいちゃんはチートやからな…
近江、越前は畿内ではないのでは?
平蜘蛛爆破まであと僅か😂
信長公記の「信長御入洛」が「ご入浴」に見えて
へー信長って風呂入りながら機内制圧を命じたんだ、と一瞬思ってしまった
おまどうま
信長が京都に入った結果、本能寺の変にあったのは何とも皮肉
織田信長なんだが
相手に自己紹介するときは
平朝臣織田上総介三郎信長と言う。
氏·性(かばね)·名字·官名·仮名·諱の順
六角がなんで織田と同盟しなかったの分からんって
そんなもん所司代に任じられて洛中も預けるとか言われて信じる馬鹿はいない
義昭が義秋になってる(笑)
間違いを指摘するなら動画をちゃんと見るなり義秋で検索するなりしてからにしたら?
始めの名前は義「秋」、後で義「昭」に改名する。
守りにくい洛陽から自領近くの長安へと都市を移動させた曹操と、守りにくいならそもそも都を獲ることをしなかった織田信長みたいな対比になっていそう。やることがRTA走者みたいに合理化されてるんだよね、この人。
「長安」ではなく、許昌では?