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99tは駄作でしたが、100tは中嶋悟選手の相性はよかったはず。と思います。
外見的にもずんぐりむっくりで余りよろしくなかったと思うけど、それでもセナ中嶋悟の両ドライバーの(中嶋に至ってはデビューイヤーで)奮闘しながらの上位進出は素晴らしかった…。
こんばんは。このマシンが登場した時は、中嶋悟さんがデビューしたことと重なり、アクティブサスも注目されましたがシャシー設計も進歩がなければ、アクティブサスも前回使用時から進歩がなかったということですね。当時のコンピューターでは処理能力もなかったですし。スピリットからWilliamsと組む時に中嶋さんを乗せるように打診しましたが、どこの馬の骨だ?と門前払いに。88年エンジン契約延長交渉の時「ロータスとは切るんで中嶋を」と打診しましたがホンダのセカンドチームにはなりたくないと再び拒否。もしWilliamsの初年度で中嶋さんが乗っていたら・・・。ロータスデビューイヤーも苦労していた中嶋さんをセナが見て「もっとテストさせてあげてよ」とか、「カメラを外してあげようよ」といったらしいですが拒否されたとか。
海老沢泰久著『F1地上の夢』の中で、85年にロータスのピーター・ウォーからホンダエンジンの供給を打診された櫻井淑敏は、その際に初めてセナと話す機会があり、櫻井は『この人がホンダエンジン搭載のマシンにに乗ったらどうなるのか怖くなるくらい、彼に魅了された』と語っており、ホンダ上層部に掛け合って当初縮小予定だったF1プロジェクトの予算を、中嶋悟の参戦と鈴鹿でのF1開催で据え置きにさせた。その際第二期ホンダF1の発起人だった、当時本田技研社長の川本信彦は、ロータスへのエンジン供給について『もし、コーリン・チャップマンが存命だったら反対していた』と言い、『総大将がお前(櫻井)に変わったんだ。好きにやるといいさ』と櫻井に伝えたという。川本は、第一期ホンダ参戦時はエンジニアとして参加していたが、ロータスへのエンジン供給契約を直前になって反故にされた際の、同じエンジニアや当時の監督だった中村良夫の悔しさと苦労を知っていたからこその発言だったという。
ほんとにブタの蚊取り線香入れの焼き物みたいにひどいシルエット。ほぼ同じシルエットでもJPSカラーだとスマートに見えてたのは錯覚だったのね。
デビューイヤーでこんなにダメなマシンだったのに、4回も入賞できた中嶋さんは凄いんじゃないでしょうか。セナにとってはたった2勝でしょうけど。
このクソぶりは翌年の100Tでさらに悪化・・・。せっかくピケにも負けないレベルになってきた中嶋さんがかわいそすぎました・・・。
当時はホンダエンジン積んでいる時点でアドバンテージでしたからね。
稼ぎ出したドライバーズポイント数なら5年間のF1キャリアで最高のシーズンだったんだよな4年目の1990年に乗ったティレル019が中嶋氏のキャリアにおいてベストなマシンだっただろうが、残念な事に年齢による体力低下は如何ともし難く…(涙)
リアルタイムで見てたけどまさかその2勝が最後の2勝になるとは思わなかった。モンツァは惜しかった。
このマシンを生で観ました。予選2日目セナの乗る99TがS字カーブを信じられない動きをしていました。車体はロールなしで水平を保っているのにタイヤがバラバラに動いていた。それも他のマシンと比較しても異次元のスピードで。スプーンでクールダウン中のネルソンに引っかからなければセナがポールだったと思います。何十年経ってもあの時のセナのマシンの動きを思い出します。動画探すのですが見つからないですね。今考えても車の動きではなかった。あんな極限走りができるのですから、神を見た話しも納得です。それくらい凄いスーパーラップだった。
でもマンセルがクラッシュしなかったら、39秒台でポール取った気がするな。
現在、新名神鈴鹿PAで展示してますね。細部を見るとリベットの処理が雑だったり継ぎ接ぎっぽい感じで、スタイリッシュとはお世辞にも言えないです。
このマシンで2勝したセナは、やっぱりすごいドライバーだったという事を改めて認識させてくれますね。他のドライバーだったらおそらく1勝も出来なかったでしょう。中嶋さんもこのマシンでルーキーイヤーに4回入賞・最高位4位は立派だったと思います(今と違って入賞は6位以上でしたし)。しかし翌年の100Tはもっと酷かった・・・。ピケの腕をもってしても表彰台に登るのがやっとという状態でしたからね。
アクティブサスペンションを最初にテストドライブしたのはナイジェルマンセル
そこまで駄作と呼ばれる程、悪いマシンでは無かったと思うけどなあ。アクティブサスの開発はレース部門のロータスエンジニアリングでは無く市販車開発製造のロータスカーズが主体で進めて来た技術でライドハイト、ピッチ、ヨー、ロールの全てを電子制御しようと言った先進的な技術だった。ロードカーでのテストでは当時としては相当のレベルにあって市販車の開発委託を行っていたトヨタも興味を示していたが1500馬力のターボF1のレーシングスピードにECUの演算速度と油圧制御が着いて行けなかった。空力にしても前年度の98Tの延長上に有り保守的過ぎたのもアクティブサスに開発費を取られて風洞試験に回せる余力が無かった。産まれて来るのが少し早過ぎただけで翌年の100Tよりは優秀な子だったんですよ。
アクティブサスはベースの空力が良くないとあまり意味がない。風洞実験のデータをフラットライドでいかに再現するかですからね。ウイリアムズがまさにそれ。1992年の躍進はエイドリアン・ニューウェイの空力があってこその成績。1991年にベースの空力を熟成したのが大きかった。レイトンハウスを解雇されたニューウェイを引き抜いたのはとても良い判断だった。
当時のロータスのアクティブサスの性能が低かったのは、ランボルギーニの量産車に採用できる物を作れというスポンサーの要求で重量増を余儀なくされたからだと言われてますね。ロータスのホンダエンジン供給件は聞いてた話とちょっと違うけどこっちのほうが説得力があるなあ。
確か某ゆっくりの動画で知ったけどロータスのアクティブサスって市販車への転用目的で作られたらしいね
ピケも乗ってたなぁこのロータスには
セナは当時のロータスを指揮してたピーター・ウォーのことを絶対的に嫌ってたらしい。マシンの戦闘力の低さに絶望したのももちろんだけどピーター・ウォーのチーム運営・管理に対して気に喰わない点が多々あったそう。
タミヤのプラモデルは傑作なですけれどねぇ。3台作りましたよ
それでも、87年のシルーバーストンでのホンダ1・2・3・4は感動的でしたネ!
マンセルがピケを一か八かでハンガーストレートでブチ抜いた時に、もし絡んで2台ともリタイアしてたら2位だったね。中嶋のレースキャリアで金字塔になったな。
ロータスは周回遅れだったんだよなぁ😅
ジョンバーナードが初めてセミオートマチックトランスミッションをフェラーリで採用した時も最初は懐疑的な意見が多かったけど何年かするとセミオートマをトップチームは採用していきました。最先端の技術というのは何年かして華開く事多いです。Lotusのやった事は間違いではなく技術屋魂だと思います。
中嶋さんが皮肉交じりに「乗り心地はレースカーとは思えないほどいいよ。油圧サスだからかな」と言っていたのが印象に残っています。
懐かしいセリフですね‼️
屋を余話余話わわ世を世を和世を屋を代々わやや和世ややや、入荷やんややもすれば休め休みます?👍【】
で後のウイリアムズでマンセルが「アクティブサスは耐えず水平に車高状況にされ、乗心地最悪」と涙目会見。変われば変わるモンすね(-_-;)
99Tのポテンシャルの問題もあったけど、中嶋さんデビューするには歳取りすぎてたなぁ。もっと早くウィリアムズでデビューしてほしかった…。
中嶋は遅いから例えポーポなマシン乗っても乗り心地が良い
社会の矛盾の縮小サイズを視るみたいで、辛いです。才能があるから有利、コネクションが強いから有利、1チームが勝ち続けるとレギュレーション変更、これって、一部の組織のための社会と気付いているのに、メディアが視聴率が出るからの理由で放映される。だったら、フォーミュラーEではJRの参戦など、自動車メーカーでない組織が自動車メーカーを粉砕してほしいです。中国メーカーが勝つようになれば、レギュレーション変更かな?
アクティブサスペンションを使い続けシーズンを通し1994年には念願のウィリアムズに加入したもののアクティブサスペンションなどの禁止で制御が不完全なあまり結果的に命を落としたセナの運命って。
33ニュース
セナの急逝は私自身大ショックでした。其れ以来私は本当にF1中継を見るのを辞めてしまいました
ホンダに99T保存してますが、あれだけはアクティブの関係で走らせられないんですよね。走るのはもっぱら100T。
今となっては惨かった99Tだけど公道サーキットのデトロイトで勝ったあたりはセナだけタイヤ交換なしで走り切ったことから、タイヤに負担がかからないアクティブサスの性能は驚異的だ、ロータスはすごいアドバンテージを持っているって評価だったんだよね後年にウイリアムズによって完成されたアクティブサスの異次元の効果が証明されその時の評価が正しかったということがわかるわけだけど、当時のロータスの技術力ではアクティブサスのメリットよりそれに起因したトラブルのほうが多かったのが残念だった
88年の100Tは更に酷かったですね、99Tの方がまだマシだったと思います。100Tは仮にセナがドライブしたとしても優勝は無理だったんじゃないかな。ロータスの時代は87年で完全に終わってたと思います。
小倉さんがHONDAエンジンにelfが合わなかったとも言ってました。
このローテスはギリギリリアルタイムでテレビで見ましたこの黄色覚えてます。
中嶋さんが、ホンダエンジンのJPSロータスに、フルタイムドライバーとして乗る。このニュースを最初に聞いた時のワクワク感てのは、ホント最高でありました。なので正直キャメルイエローのロータス初見時には、内心ちょっと複雑なものが(コレジャナイ感が大きかったです。何か違うなぁ、と。笑)。今と違って当時は書籍類が一番の情報素材でしたけれど、ちなみにキャメルイエローのロータスを最初に拝見したのは、Number誌166号とAutoSport1987年4月1日号でございました(未だに両方とも、本棚に置いています。こういう「思い出」の本てのは、やっぱりどうしても捨てられないですよね。笑)。
こんなダメマシンでも中盤までチャンピオン争いで踏ん張っていたセナって•••マシンの挙動がアクティブサスによってデタラメ、これは中嶋に限らず新人ドライバーにとっては致命的でしょ
実際には87年からマクラーレンにエンジン供給をする予定がウィリアムズが強硬に拒否したため、ロータスとウィリアムズにエンジン供給した裏話がありますね。
翌年の88年にマクラーレンにエンジンを供給し、あのMP4/4で16戦15勝を達成しましたね。
86年夏頃にプロストとデニスが来日してホンダに三願の礼をしたものの、87シーズンからの供給は無理だと断られたんでは?
@@5red90 そうです。ただ、その時はウィリアムズに強硬に反対されて、87年からのマクラーレンへのエンジン供給はお流れになりました。で、中嶋をウィリアムズに押し込もうとしたけど、これも反対されて中嶋はロータスからF1デビューを果たしました。
中嶋さんのF-1デビュー、それもロータスと聞いて楽しみにしていました…ところがJPSスポンサー撤退…中嶋さんの日の丸カラーのヘルメットとの組み合わせが見たかった。
結局のところロータスが資金難に陥った原因ってなんだったんだ
逆に言えばこんな駄作マシンの99Tで2勝もあげたセナの能力がとんでもなかったとも言える。
その2勝がただでさえ難易度の高い市街地コースのモナコとデトロイトだったから尚更です。
当時のCPUスペックではパーマネントサーキットのアクティブサス動作に十分対応出来なかったが、ストリートコースには対応できた。あとセナはストリートコースが大好物だったから、この2戦には注力してたらしい。
ロータスは99T、80と技術的な大冒険をした結果コケてその間に既存の技術で遅れるという失敗を何度も繰り返していたイメージ。コンサバにホンダを載せていれば...と思う反面、49等の冒険でのし上がったチームだし...もうロータスの時代ではなかったってことかな
Jpsじゃなくなってからロータスの崩壊が始まったようなもんだろう
99Tが2勝できたのは、アクティブサスの動きのさらに先を読むセナの力があったから、って言われていましたね。今回も見応えありました!
セナの2勝もすごいけどこの💦マシンで⁉️しかも、待遇面でもあまり良く無かったのに(言葉の壁はあったけど😅)これだけの成績を残した👏中嶋さんは👍素晴らしい✨ドライバーでしたね😄
中嶋さんがデビューした年で入賞出来ただけでも立派に思います😊厳しい世界で向き合い戦い日本の誇りです☝️
ロータスはJPSの黒金が良かったなぁめちゃくちゃかっこよかった
私もロータスと言えばJPSカラーというイメージです。中嶋がロータスからF1デビューすると決まったとき、スポンサーが変わって、JPSカラーではなくなってしまうと知ってがっかりした記憶があります。
@@kagetora246 さんHONDAを取るためには 仕方なかったのかもね!
あのカラーでは79Tが一番カッコ良かったかな!
黒い棺桶とも。
1988年頃にゲーセンで遊んだレースゲーム、タイトーの「コンチネンタルサーカス」のプレイヤー車が、まんまロータス99Tをモチーフにしてたりする。ゲーム中ではビシバシとライバル車を抜いていたが、現実はそんな甘くないわけで・・・・それでも99Tで2勝を挙げたセナは凄いと言わざるを得ない。
ボディソニック的な音響がよかったゲーム。
立体視グラスでプレイするやつですね、懐かしい
あれゲーム終盤になると雨降ってきてペースを落とさざるを得なかった。
熟成を進めた『アクティブサスペンション』が大きく勝敗に関わってくるまでには『ウィリアムズFW14シリーズ』の時代を待たないといけません。あんなものは潤沢な予算を持ったチームでないと出来ない…目の付け所は良かったんですけどね。その『アクティブサス』で黄金時代を築いたウィリアムズも落目なのは時代の流れですかね?
当時はMTなんで 路面のギャップを拾って暴れるステアリングを片手で制御してギアチェンジしてたんでしょ?パワステでは無いだろうし 当時のF1ドライバーは腕の筋力とか凄そう
翌年のリジェにはパワステ装備。
中嶋さんはJPSカラーのロータスに乗れると思って喜んでたらまさかのキャメルカラーで最初はがっかりしたみたいです。デビューが遅かった上に初めてのコースや慣れないマシンで苦労したんだろうけど、結局87年が一番ポイント獲得してるんですよね。自分にとっては記憶に残るマシンです。
モナコ、デトロイトの2勝は完全にセナの腕でしょうね本来なら87年からマクラーレンとジョイント予定だったのは始めて知りましたこんな裏側があったのですね
〇あのころ中嶋さんだけの車載カメラ映像は日本向けのサービスだと思っていました。だから、なんで古舘さんが納豆走法と言うのか、意味がわかりませんでした。〇後に中島監督がインカム越しに高木虎之介さんを鼓舞する場面を見て、えっ冷静沈着なだけじゃないんだと思いました。
ドライバーの気持ちは全然アクティブにならなかったサス。あれだけポール奪取するセナが確かこの年は1度しかポール奪取してないはず。
’87年ブラジルGPから観てたけど・・・知らなかった~桜井さん、やはり凄い方だったんですね。
3:40ルノーが撤退したのは、ロータスがホンダに切り替え、ルノーはマクラーレンとのエンジン供給契約の交渉をして、決まりかけてましたが、燃料のスポンサー問題で決裂(ルノーエンジン使用の場合、燃料はフランスのエルフ石油かアンター石油を使うとの契約があり、マクラーレンはスポンサーのシェルの燃料を使用。そのため、ルノーエンジンの供給契約が破談に。蛇足ですが、89年にウイリアムズがジャッドからルノーにエンジンを変えた時燃料をモービルからエルフに切り替えました)
ハッキネン、ハーバートの時のグリーン、イエロー貴重のロータスが一番好きでしたね
99Tはまだマシです。後継の100Tが前年度チャンピオン、Nピケを要しながら予選落ちを経験する始末。本来なら、タミヤから1/12のピッグスケールでリリースされる筈が、あまりにも○ソだったので、見送られたとの逸話があったとか
ピケが予選落ちしたのは101ですよ、1989ベルギー
懐かしい思い出です。
中さん加入時点でロータスは昔の名前で出ていますチームだったからねコーリーチャップマンの才能だけで持ってたチームよって天才がいなくなったら駄馬しか産めなくなった
99Tよりもさらに酷いのは100T。あれは駄作中の駄作。ドゥカルージュは85年がピークやったなぁ
シャシーと空力については重くなって太っただけの97Tですからねぇ…。アクティブサスの開発に時間を費やすというのは理解できますが、それ以外は2年落ちで勝てるわけがありません。ロータスはセナとホンダで勝ったつもりでいたんでしょうけど。まあ、翌年は更に恥をかくことになるんですけどね…。
タミヤの1/20 ロータス99T(87年)から同じくタミヤ ウイリアムズFW11(86年)へHONDA RA167Eを載せ換えてちょっと改造してFW11B(87年)を再現しようとしたのはいい思い出。今見ると99Tも格好いい。
アクティブサンペンションは開発し続けほしかったですね。100Tでも継続すれば良かったと思う。
アクティブサスがいろんな面でネガティブに働いたのは皮肉だな。ただマシンデザインは抜群にカッコ良かった。フェラーリもそうだけど、この頃は美しいがドンガメのF-1マシーンというのは多かったな。
自分の中でロータスといえばGPSではなくキャメルイエロー
確かにオス型成形モノコックは、外側のセパレートカウルを変更する事でモノコックを造り直さなくても空力変更しやすいけれども、カウルとモノコックが一体構造のメス型成形マシン(ウィリアムズFW11BやフェラーリF187)に比べて車体が一回り大きくなってしまうのが欠点?初期のマクラーレンMP4シリーズもMP4/6までオス型成形だったのでウィリアムズのFWシリーズマシンと比べて空力性能が落ちる?やっとメス型成形モノコックのMP4/7Aが投入されたけれど少し遅過ぎたでしょうか?ロータス99Tも同じオス型成形モノコックのマクラーレンMP4/3と違ってカーボンモノコックの表面にリベットいっぱい打ち込んであった?モノコックの内側に金属製バルクヘッドを止めて固定していた?
レインさん、いつも楽しませて貰ってます。日本のカート界に、菅谷安智と言うセナと戦った人を知ってますか?確か、セナはカート時代に横田基地でのレースに出場してたと思うよ。
道清さん菅谷安智さん、懐かしい名前ですネ。👍
@@ryojitokita7874 昔、カート乗りでした。SRSスガヤの、クラブマンレースのマーシャルのバイトした事があります。
あのマシンで、セナも中嶋さんもよく頑張ったな。ホンダに釣られて割り食ったのはピケだな。
確か、近いうちに1/12サイズのプラモデルが出る予定。あれってセナの仕様しか組めないのかなぁ?
そして99Tがロータス最後の優勝(セナ)マシンになってしまった(中嶋さんは4位が最高)
まさか99Tがチームロータス崩壊を想像するマシンになるとは思いませんでしたね。
後に確執を生じることになるセナとプロストだが、プロストがこの時期マクラーレンにホンダエンジンとセナの獲得を働きかけていたとは興味深い話しでした😊。
ロータス買おうかな?ローバー買おうかな?アストンマーティン買おうかな?ロールスロイス買おうかな?ジャガー買おうかな?マクラーレン買おうかな?ベントレー買おうかな?
セナがロータスホンダでドライブしましたセナのおかげで2勝しましたアクティブサスペンションの利点を生かしセナがストリートコースの強さが発揮しました
キャメルのカラーリンクが1番好きだな😊でもこんな色んな思惑があって、正直驚きました😅この時代のホンダのエンジンの凄さを感じる😊
99Tのカウル、ヘルメット後部にあった怪獣のイラストってどこのスポンサーですか?
Micro maxかな
JPSカラーのロータスホンダが見て見たかった。
タミヤのプラモ組みました。もちろん、中嶋仕様(私も日本人ですから(笑)) あくまでも模型ですが、後で組んだハッキネンのMP4-13やシューマッハの310Bと比べて、なんか成形そのものが特殊だったんですかね⁉️ 「時代が違う」と言えばそれまでなんですが、個性的なマシンだったんですね。
99Tはなんとかシーズン2勝したけれど、翌年の100Tはアクティブサスをあきらめて、最強のホンダエンジンを搭載していたのに何故あそこまで遅かったのでしょうか?
@@あます-b3k 様 詳しく解説頂き、良く解りました。ありがとうございました。
@@あます-b3k 足先がフロントアクスルより後ろ規定によって、不自然に伸びたフロントノーズがいかにもハンドリング悪そうに見えましたね。ビルシュタインショックにも問題あったようで。
当時JPSが日本人の中嶋が乗る事を嫌ってスポンサーを降りたって書いている雑誌とか結構あってF2でJPSカラーのマシンに乗ってるのに?って疑問に思っていたのですがやっぱりそういう事だったんですね
中嶋が乗る事を嫌ってというより、少なくともドライバーの一人はイギリス人にすることを望んでいたらしいですね。セナが不動なエースである以上、結果的に中嶋の採用は意に反するって事になるのかも知れませんが。
いやいや、82年だか83年だかのJPSトロフィーで勝った中嶋は、JPSロータスのテストの権利を得た。そのとき原因不明のアンコントロール状態に陥ったマシンを無傷で停めて、JPS側の高評価を得たのでした。まあ、ダンフリーズよりは実力があったのは確かですが、スポンサーは降りてしまいましたね…
@@quakerstatemotoroils 寒いドニントンでしたね
80年代のロータスのアクティブサスは失敗したのに90年代のウィリアムズをはじめとしたアクティブサス搭載車はなんで成功したかっていうと方式が違うんですよね。なんか今はあまり言われてないですが当時はロータスはフルアクティブサス、ウィリアムズはセミアクティブサスって言われていて、フルアクティブサスは地面からの入力をうけてリアルタイムに演算するという方式で当時の装置やコンピューターじゃ追いつけなかったんですが、セミアクティブサスはあらかじめインプットしておいたコースの情報をもとに有効な時だけ動かすという方式だったんですよね。なのでロータスは挑戦しすぎゃったって感じでした。その後ロータスもセミアクティブサスを搭載しましたが。87年というとイギリスGPのホンダ1-2-3-4を思い出しますねえ。中嶋の初年度はあまり良い成績を残してないように見えますが、当時は入賞は6位までですからね。しかもセナ、プロスト、マンセル、ピケがいた上で6位までに入らないといけないという無理ゲーでしたから、入賞が一度あっただけでもすごい話です。その中でマンセル、ピケ、セナに続いて中嶋が4位に入ったのはとんでもない偉業だと思います。当時セナと組んでたのはとんでもないレジェンド扱いされていて、2000年ぐらいに中嶋がレポーターとしたパドックを歩いた時にあちこちのチームのスタッフが総立ちになってめちゃめちゃザワついてたのを覚えています。
99T、取り上げてくれて、ありがとうございますm(_ _)m日本人として、思い入れがあるマシーンです。
87年までのロータスはトップチームの一角だったが、アクティブ・サスだといっぺんに色々やろうとしたり、当時のコンピューター処理能力や油圧システムではまだ早かった、ギア・ボックスは87年用の6速MTを用意した以外はほぼ86年(85年からほぼ進化してない)マシンにホンダV6を載せただけのシロモノ、セナは「85年型がベストマシン」と言っていたし、アクティブにチームの資源を注ぎ過ぎて88年はボロボロ、ノーマルサスはデータ不足、ドゥカルージュ式モノコックはオス型で接着剤やリベットを使ったのは時代遅れの剛性不足、ギアボックスは87年のをそのまま使用(重心が高い)、外注部品は多い、 「なんでここまで酷くなるの?」って言う位にあっという間に奈落へ落ちた『没落貴族』状態になってしまった。 アクティブサスでなんとかしようと奮闘していたチームが90年開幕決勝前に電気系トラブルでエンジンがかからず押しがけしていたのは虚しい、強いて言えばその時のマシンはオイルタンクが収まりきらずポコッとむき出し状態だなんて名門としては恥ずかしい。
ロータスの名声、ホンダのパワー、セナの技術をもってしても勝てないマシン。F-1の難しさですね。
デュカルージュのデザインは曲面処理に拘ってるのかグラマラスで好きですね。駄作というなら99Tより100Tの方じゃないかな?抜群のカッコ良さなんですけど走りは酷かった。あ、デザインも走りも垢抜けない101は論外だと思いますけどね野心的と言えばミッシェル・テツのJS31なんかも凄いですよねw
中嶋さんの雨の走りを世界に轟かせたのは他ならぬ101ですけどね
すごくわかる。コクピット前面の反りが特にいい。中世の甲冑?っぽい
また、マニアックなお話しをw
日本国内で展示されているロータス・99Tはアクティブサス非搭載の99T/2ですね。翌年からロータス崩壊の序曲が始まっていたりして…(おいこら)。
いつもながら素晴らしい考察と検証、大変勉強になりました。当時は本か雑誌くらいしか調べる手段もなかったので、今の時代にあらためて考えてみるのも楽しいですね。当時の中嶋悟選手の本(中嶋悟のF1日記)を読んでいても、ロータス99Tの性能に苦労していたことがよくわかりました。さらにこんな裏話があったなんて…今さらながら、99Tが名車で中嶋悟選手の大活躍があったら、日本のF1人気はどこまで過熱していたか、妄想してみたくなりました。
サムネのキャメルロータスホンダカッコいいなあ!基本HONDAエンジンってウィリアムズとマクラーレン以外は使いこなせなかったよね。それにしても桜井さんのボス感は今更ながら凄え…💧
ちょっとアレかもしれんけど、空力的に何も考えてなさそうなシャシーにターボエンジンは今のF1のようなスリムさはないにしろ圧倒的な力で走らせる感じがあって良いよね笑笑
ロータスはまさしくF1界のセガ
素人目には97T+ホンダエンジン+アクティブサス=99Tではないかと?違うかなぁ?
このポンコツなとこが好き
その後の他チームでのアクティブサスの効果を見ると、明らかに熟成不足でしたね…100Tは一説によると、「何かのテストでモノコックを剛性試験機にかけたら、いとも簡単に捩れた」とか…
見た目はめっちゃかっこいいのにな
ロータスホンダ99T 👍。懐かしいですよね😃 1987年シーズンは🇧🇷アイルトンセナ🇯🇵中島悟。ホンダエンジンは1987年のモナコグランプリで初勝利しましたすごかった。アクティブサスペンスも有りました。今回ロータスホンダ99Tの説明有り難うございました🇯🇵🇯🇵👊👊👏👏💯💯
99TがJPSカラーだったら最高だった。
衝突安全性を最大に厳しくして、空力やエンジンは自由というレギュレーションでやってくれないかなあ。とんでもないマシンになって、ドライバーが気を失ってしまうかもしれないけど。
アクティブサス この頃からあったんだよね。発展途上で信頼性にかけるシステム。HONDAターボもパワー有りすぎて諸刃の剣 HONDAターボが強すぎるからって理由でターボ禁止に(草)
当時、ウィリアムズと同じホンダエンジンを載せてるのに、何でこんなに違うんだと不思議でしたが、そーゆーことだったんですね。すっごく面白いです。
モナコとデトロイトで勝ってしまうセナは化け物としか
うわ~ピーターウォーの名前とか出てるw
中嶋さんがジャパレカグアのホームストレート走ってる時に、アクティブサスにトラブルが出て「4輪が万歳しちゃってシャシー下面で滑るソリになって、1コーナーのエスケープゾーン突っ切ってタイヤバリアに刺さった」((((;゜Д゜)))なんていう恐怖体験もしたそうですね。中嶋さんが無事だったから笑い話になってますが、、、
@@350A そうです。
@@350A ご指摘ありがとうございます。修正させてもらいますm(__)m
99T、去年ウエルカムプラザ青山で展示してたので仕事サボって(ヲィ)観に行ったけどめちゃそれだけの価値はありました(^_^;)でも実物観て感じたのは車体が大きめで当時のライバルたちに比べファットな感じはしました。アクティブサスもウイリアムズのと比べ不完全な物だったみたいでもし上手く機能してたら・・・ってタラレバですけど。あと来月にプラッツから1/12でキット化されるのでそれも楽しみにしてます(予約済み)
7:45ホンダの英断ですね。ほんとその通りだと思います。ちなみに自分がロータスで好きなカラーリングはJPSでもCAMELでもなく109だったりします。
「アクティブサスペンションを開発したのはウィリアムズじゃない。でもアクティブサスペンションを初めて制御したのはウィリアムズなんだ」「俺が超えてはいけないと肌で感じている領域を、あいつは超えるんだ...訳わかんねーぜ...」今とは比べものにならないくらいの情報しかなかったあの時代。
ウィンドウズが95年かな。すると99Tは、シングルタスクで姿勢制御してたのか?!そりゃ、無茶だと今なら思います。
@@佐々木俊明-t8z それもフルアクティブサス。
ドゥカルージュの中途半端な妥協・・・カーボンにリベット打ちって・・・あと100Tはもっとカッコ悪いで。
ジュラルミンのバルクヘッドにカーボンの板をリベットで貼った、ロータス独自の製法だそうです。確かドゥカルージュも99Tは「クラシックカーの集大成」と言っていましたが、100Tときたら…
アクティブサスはアイデアを出してテスト走行を始めた初日に急死した、いえばチャップマンの遺作なのが結果的にロータスの重荷になったのかもなぁとも思う。ピトーとソナーで油圧制御するアクティブサスの考え方は量産アクティブサスでは正しかったが、結果的にF1で成功するアクティブサスはFW14のような周回毎に特定の動きを記憶し反応するサーキット専用のアクティブサスだった・101Tも最初は駄作評価だったがランボ→HB切替で重量が軽くなって戦闘力がアップした(ハッキネンの腕によるところが大きかったが)ってのがまた皮肉な話。
亀の子ロータスですね。懐かしい。
古い本の大予想的な資料で「コカ・コーラ」が付くとかいうトンデモなのを見つけたキャメルじゃないロータスホンダもあったとか ロスマンズティレル019みたいな
地味にカワイちゃんが写ってる〜
6:24 セナが宗一郎さんと握手の間に映っている男性が若き川井ちゃんですか?
@@櫃本賢治 ですです😄😄😄
桜井さんじゃない?
99tは駄作でしたが、100tは中嶋悟選手の相性はよかったはず。
と思います。
外見的にもずんぐりむっくりで余りよろしくなかったと思うけど、それでもセナ中嶋悟の両ドライバーの(中嶋に至ってはデビューイヤーで)奮闘しながらの上位進出は素晴らしかった…。
こんばんは。
このマシンが登場した時は、中嶋悟さんがデビューしたことと重なり、アクティブサスも注目されましたがシャシー設計も進歩がなければ、アクティブサスも前回使用時から進歩がなかったということですね。
当時のコンピューターでは処理能力もなかったですし。
スピリットからWilliamsと組む時に中嶋さんを乗せるように打診しましたが、どこの馬の骨だ?と門前払いに。
88年エンジン契約延長交渉の時「ロータスとは切るんで中嶋を」と打診しましたがホンダのセカンドチームにはなりたくないと再び拒否。
もしWilliamsの初年度で中嶋さんが乗っていたら・・・。
ロータスデビューイヤーも苦労していた中嶋さんをセナが見て「もっとテストさせてあげてよ」とか、「カメラを外してあげようよ」といったらしいですが拒否されたとか。
海老沢泰久著『F1地上の夢』の中で、85年にロータスのピーター・ウォーからホンダエンジンの供給を打診された櫻井淑敏は、その際に初めてセナと話す機会があり、櫻井は『この人がホンダエンジン搭載のマシンにに乗ったらどうなるのか怖くなるくらい、彼に魅了された』と語っており、ホンダ上層部に掛け合って当初縮小予定だったF1プロジェクトの予算を、中嶋悟の参戦と鈴鹿でのF1開催で据え置きにさせた。
その際第二期ホンダF1の発起人だった、当時本田技研社長の川本信彦は、ロータスへのエンジン供給について『もし、コーリン・チャップマンが存命だったら反対していた』と言い、『総大将がお前(櫻井)に変わったんだ。好きにやるといいさ』と櫻井に伝えたという。
川本は、第一期ホンダ参戦時はエンジニアとして参加していたが、ロータスへのエンジン供給契約を直前になって反故にされた際の、同じエンジニアや当時の監督だった中村良夫の悔しさと苦労を知っていたからこその発言だったという。
ほんとにブタの蚊取り線香入れの焼き物みたいにひどいシルエット。
ほぼ同じシルエットでもJPSカラーだとスマートに見えてたのは錯覚だったのね。
デビューイヤーでこんなにダメなマシンだったのに、4回も入賞できた中嶋さんは凄いんじゃないでしょうか。セナにとってはたった2勝でしょうけど。
このクソぶりは翌年の100Tでさらに悪化・・・。
せっかくピケにも負けないレベルになってきた中嶋さんがかわいそすぎました・・・。
当時はホンダエンジン積んでいる時点でアドバンテージでしたからね。
稼ぎ出したドライバーズポイント数なら5年間のF1キャリアで最高のシーズンだったんだよな
4年目の1990年に乗ったティレル019が中嶋氏のキャリアにおいてベストなマシンだっただろうが、残念な事に年齢による体力低下は如何ともし難く…(涙)
リアルタイムで見てたけど
まさかその2勝が最後の2勝になるとは思わなかった。
モンツァは惜しかった。
このマシンを生で観ました。予選2日目セナの乗る99TがS字カーブを信じられない動きをしていました。車体はロールなしで水平を保っているのにタイヤがバラバラに動いていた。それも他のマシンと比較しても異次元のスピードで。スプーンでクールダウン中のネルソンに引っかからなければセナがポールだったと思います。何十年経ってもあの時のセナのマシンの動きを思い出します。動画探すのですが見つからないですね。今考えても車の動きではなかった。あんな極限走りができるのですから、神を見た話しも納得です。それくらい凄いスーパーラップだった。
でもマンセルがクラッシュしなかったら、39秒台でポール取った気がするな。
現在、新名神鈴鹿PAで展示してますね。
細部を見るとリベットの処理が雑だったり継ぎ接ぎっぽい感じで、スタイリッシュとはお世辞にも言えないです。
このマシンで2勝したセナは、やっぱりすごいドライバーだったという事を改めて認識させてくれますね。他のドライバーだったらおそらく1勝も出来なかったでしょう。中嶋さんもこのマシンでルーキーイヤーに4回入賞・最高位4位は立派だったと思います(今と違って入賞は6位以上でしたし)。
しかし翌年の100Tはもっと酷かった・・・。ピケの腕をもってしても表彰台に登るのがやっとという状態でしたからね。
アクティブサスペンションを最初にテストドライブしたのはナイジェルマンセル
そこまで駄作と呼ばれる程、悪いマシンでは無かったと思うけどなあ。
アクティブサスの開発はレース部門のロータスエンジニアリングでは無く市販車開発製造のロータスカーズが主体で進めて来た技術でライドハイト、ピッチ、ヨー、ロールの全てを電子制御しようと言った先進的な技術だった。ロードカーでのテストでは当時としては相当のレベルにあって市販車の開発委託を行っていたトヨタも興味を示していたが1500馬力のターボF1のレーシングスピードにECUの演算速度と油圧制御が着いて行けなかった。空力にしても前年度の98Tの延長上に有り保守的過ぎたのもアクティブサスに開発費を取られて風洞試験に回せる余力が無かった。産まれて来るのが少し早過ぎただけで翌年の100Tよりは優秀な子だったんですよ。
アクティブサスはベースの空力が良くないとあまり意味がない。風洞実験のデータをフラットライドでいかに再現するかですからね。
ウイリアムズがまさにそれ。1992年の躍進はエイドリアン・ニューウェイの空力があってこその成績。1991年にベースの空力を熟成したのが大きかった。
レイトンハウスを解雇されたニューウェイを引き抜いたのはとても良い判断だった。
当時のロータスのアクティブサスの性能が低かったのは、ランボルギーニの量産車に採用できる物を作れというスポンサーの要求で重量増を余儀なくされたからだと言われてますね。
ロータスのホンダエンジン供給件は聞いてた話とちょっと違うけどこっちのほうが説得力があるなあ。
確か某ゆっくりの動画で知ったけどロータスのアクティブサスって市販車への転用目的で作られたらしいね
ピケも乗ってたなぁこのロータスには
セナは当時のロータスを指揮してたピーター・ウォーのことを絶対的に嫌ってたらしい。
マシンの戦闘力の低さに絶望したのももちろんだけど
ピーター・ウォーのチーム運営・管理に対して気に喰わない点が多々あったそう。
タミヤのプラモデルは傑作なですけれどねぇ。3台作りましたよ
それでも、87年のシルーバーストンでのホンダ1・2・3・4は感動的でしたネ!
マンセルがピケを一か八かでハンガーストレートでブチ抜いた時に、もし絡んで2台ともリタイアしてたら2位だったね。
中嶋のレースキャリアで金字塔になったな。
ロータスは周回遅れだったんだよなぁ😅
ジョンバーナードが初めてセミオートマチックトランスミッションをフェラーリで採用した時も最初は懐疑的な意見が多かったけど何年かするとセミオートマをトップチームは採用していきました。最先端の技術というのは何年かして華開く事多いです。Lotusのやった事は間違いではなく技術屋魂だと思います。
中嶋さんが皮肉交じりに「乗り心地はレースカーとは思えないほどいいよ。油圧サスだからかな」と言っていたのが印象に残っています。
懐かしいセリフですね‼️
屋を余話余話わわ世を世を和世を屋を代々わやや和世ややや、入荷やんややもすれば休め休みます?👍【】
で後のウイリアムズでマンセルが「アクティブサスは耐えず水平に車高状況にされ、乗心地最悪」と涙目会見。変われば変わるモンすね(-_-;)
99Tのポテンシャルの問題もあったけど、中嶋さんデビューするには歳取りすぎてたなぁ。もっと早くウィリアムズでデビューしてほしかった…。
中嶋は遅いから例えポーポなマシン乗っても乗り心地が良い
社会の矛盾の縮小サイズを視るみたいで、辛いです。
才能があるから有利、コネクションが強いから有利、1チームが勝ち続けるとレギュレーション変更、
これって、一部の組織のための社会と気付いているのに、メディアが視聴率が出るからの理由で放映される。
だったら、フォーミュラーEではJRの参戦など、自動車メーカーでない組織が自動車メーカーを粉砕してほしいです。中国メーカーが勝つようになれば、レギュレーション変更かな?
アクティブサスペンションを使い続けシーズンを通し
1994年には念願のウィリアムズに加入したもののアクティブサスペンションなどの禁止で制御が不完全なあまり
結果的に命を落としたセナの運命って。
33ニュース
セナの急逝は
私自身大ショックでした。
其れ以来私は本当に
F1中継を見るのを
辞めてしまいました
ホンダに99T保存してますが、あれだけはアクティブの関係で走らせられないんですよね。
走るのはもっぱら100T。
今となっては惨かった99Tだけど公道サーキットのデトロイトで勝ったあたりはセナだけタイヤ交換なしで走り切ったことから、タイヤに負担がかからないアクティブサスの性能は驚異的だ、ロータスはすごいアドバンテージを持っているって評価だったんだよね
後年にウイリアムズによって完成されたアクティブサスの異次元の効果が証明されその時の評価が正しかったということがわかるわけだけど、当時のロータスの技術力ではアクティブサスのメリットよりそれに起因したトラブルのほうが多かったのが残念だった
88年の100Tは更に酷かったですね、99Tの方がまだマシだったと思います。
100Tは仮にセナがドライブしたとしても優勝は無理だったんじゃないかな。ロータスの時代は87年で完全に終わってたと思います。
小倉さんがHONDAエンジンにelfが合わなかったとも言ってました。
このローテスはギリギリリアルタイムでテレビで見ましたこの黄色覚えてます。
中嶋さんが、ホンダエンジンのJPSロータスに、フルタイムドライバーとして乗る。このニュースを最初に聞いた時のワクワク感てのは、ホント最高でありました。なので正直キャメルイエローのロータス初見時には、内心ちょっと複雑なものが(コレジャナイ感が大きかったです。何か違うなぁ、と。笑)。今と違って当時は書籍類が一番の情報素材でしたけれど、ちなみにキャメルイエローのロータスを最初に拝見したのは、Number誌166号とAutoSport1987年4月1日号でございました(未だに両方とも、本棚に置いています。こういう「思い出」の本てのは、やっぱりどうしても捨てられないですよね。笑)。
こんなダメマシンでも中盤までチャンピオン争いで踏ん張っていたセナって•••
マシンの挙動がアクティブサスによってデタラメ、これは中嶋に限らず新人ドライバーにとっては致命的でしょ
実際には87年からマクラーレンにエンジン供給をする予定がウィリアムズが強硬に拒否したため、ロータスとウィリアムズにエンジン供給した裏話がありますね。
翌年の88年にマクラーレンにエンジンを供給し、あのMP4/4で16戦15勝を達成しましたね。
86年夏頃にプロストとデニスが来日してホンダに三願の礼をしたものの、87シーズンからの供給は無理だと断られたんでは?
@@5red90 そうです。ただ、その時はウィリアムズに強硬に反対されて、87年からのマクラーレンへのエンジン供給はお流れになりました。で、中嶋をウィリアムズに押し込もうとしたけど、これも反対されて中嶋はロータスからF1デビューを果たしました。
中嶋さんのF-1デビュー、それもロータスと聞いて楽しみにしていました…ところがJPSスポンサー撤退…中嶋さんの日の丸カラーのヘルメットとの組み合わせが見たかった。
結局のところロータスが資金難に陥った原因ってなんだったんだ
逆に言えばこんな駄作マシンの99Tで2勝もあげたセナの能力がとんでもなかったとも言える。
その2勝がただでさえ難易度の高い市街地コースのモナコとデトロイトだったから尚更です。
当時のCPUスペックではパーマネントサーキットのアクティブサス動作に十分対応出来なかったが、ストリートコースには対応できた。
あとセナはストリートコースが大好物だったから、この2戦には注力してたらしい。
ロータスは99T、80と技術的な大冒険をした結果コケてその間に既存の技術で遅れるという失敗を何度も繰り返していたイメージ。コンサバにホンダを載せていれば...と思う反面、49等の冒険でのし上がったチームだし...もうロータスの時代ではなかったってことかな
Jpsじゃなくなってからロータスの崩壊が始まったようなもんだろう
99Tが2勝できたのは、アクティブサスの動きのさらに先を読むセナの力があったから、って言われていましたね。
今回も見応えありました!
セナの2勝もすごいけど
この💦マシンで⁉️しかも、待遇面でもあまり良く無かったのに
(言葉の壁はあったけど😅)これだけの成績を残した👏
中嶋さんは👍素晴らしい✨ドライバーでしたね😄
中嶋さんがデビューした年で入賞出来ただけでも立派に思います😊
厳しい世界で向き合い戦い日本の誇りです☝️
ロータスはJPSの黒金が良かったなぁ
めちゃくちゃかっこよかった
私もロータスと言えばJPSカラーというイメージです。中嶋がロータスからF1デビューすると決まったとき、スポンサーが変わって、JPSカラーではなくなってしまうと知ってがっかりした記憶があります。
@@kagetora246 さん
HONDAを取るためには 仕方なかったのかもね!
あのカラーでは79Tが一番カッコ良かったかな!
黒い棺桶とも。
1988年頃にゲーセンで遊んだレースゲーム、タイトーの「コンチネンタルサーカス」のプレイヤー車が、まんまロータス99Tをモチーフにしてたりする。
ゲーム中ではビシバシとライバル車を抜いていたが、現実はそんな甘くないわけで・・・・
それでも99Tで2勝を挙げたセナは凄いと言わざるを得ない。
ボディソニック的な音響がよかったゲーム。
立体視グラスでプレイするやつですね、懐かしい
あれゲーム終盤になると雨降ってきてペースを落とさざるを得なかった。
熟成を進めた『アクティブサスペンション』が大きく勝敗に関わってくるまでには『ウィリアムズFW14シリーズ』の時代を待たないといけません。
あんなものは潤沢な予算を持ったチームでないと出来ない…目の付け所は良かったんですけどね。
その『アクティブサス』で黄金時代を築いたウィリアムズも落目なのは時代の流れですかね?
当時はMTなんで 路面のギャップを拾って暴れるステアリングを
片手で制御してギアチェンジしてたんでしょ?パワステでは無いだろうし
当時のF1ドライバーは腕の筋力とか凄そう
翌年のリジェにはパワステ装備。
中嶋さんはJPSカラーのロータスに乗れると思って喜んでたらまさかのキャメルカラーで最初はがっかりしたみたいです。
デビューが遅かった上に初めてのコースや慣れないマシンで苦労したんだろうけど、結局87年が一番ポイント獲得してるんですよね。
自分にとっては記憶に残るマシンです。
モナコ、デトロイトの2勝は完全にセナの腕でしょうね
本来なら87年からマクラーレンとジョイント予定だったのは始めて知りました
こんな裏側があったのですね
〇あのころ中嶋さんだけの車載カメラ映像は日本向けのサービスだと思っていました。
だから、なんで古舘さんが納豆走法と言うのか、意味がわかりませんでした。
〇後に中島監督がインカム越しに高木虎之介さんを鼓舞する場面を見て、えっ冷静沈着なだけ
じゃないんだと思いました。
ドライバーの気持ちは全然アクティブにならなかったサス。
あれだけポール奪取するセナが確かこの年は1度しかポール奪取してないはず。
’87年ブラジルGPから観てたけど・・・
知らなかった~
桜井さん、やはり凄い方だったんですね。
3:40ルノーが撤退したのは、ロータスがホンダに切り替え、ルノーはマクラーレンとのエンジン供給契約の交渉をして、決まりかけてましたが、燃料のスポンサー問題で決裂(ルノーエンジン使用の場合、燃料はフランスのエルフ石油かアンター石油を使うとの契約があり、マクラーレンはスポンサーのシェルの燃料を使用。そのため、ルノーエンジンの供給契約が破談に。蛇足ですが、89年にウイリアムズがジャッドからルノーにエンジンを変えた時燃料をモービルからエルフに切り替えました)
ハッキネン、ハーバートの時のグリーン、イエロー貴重のロータスが一番好きでしたね
99Tはまだマシです。
後継の100Tが前年度チャンピオン、Nピケを要しながら予選落ちを経験する始末。
本来なら、タミヤから1/12のピッグスケールでリリースされる筈が、あまりにも○ソだったので、見送られたとの逸話があったとか
ピケが予選落ちしたのは101ですよ、1989ベルギー
懐かしい思い出です。
中さん加入時点でロータスは昔の名前で出ていますチームだったからね
コーリーチャップマンの才能だけで持ってたチーム
よって天才がいなくなったら駄馬しか産めなくなった
99Tよりもさらに酷いのは100T。あれは駄作中の駄作。
ドゥカルージュは85年がピークやったなぁ
シャシーと空力については重くなって太っただけの97Tですからねぇ…。
アクティブサスの開発に時間を費やすというのは理解できますが、それ以外は2年落ちで勝てるわけがありません。
ロータスはセナとホンダで勝ったつもりでいたんでしょうけど。
まあ、翌年は更に恥をかくことになるんですけどね…。
タミヤの1/20 ロータス99T(87年)から同じくタミヤ ウイリアムズFW11(86年)へHONDA RA167Eを載せ換えてちょっと改造してFW11B(87年)を再現しようとしたのはいい思い出。
今見ると99Tも格好いい。
アクティブサンペンションは開発し続けほしかったですね。100Tでも継続すれば良かったと思う。
アクティブサスがいろんな面でネガティブに働いたのは皮肉だな。
ただマシンデザインは抜群にカッコ良かった。
フェラーリもそうだけど、この頃は美しいがドンガメのF-1マシーンというのは多かったな。
自分の中でロータスといえばGPSではなくキャメルイエロー
確かにオス型成形モノコックは、外側のセパレートカウルを変更する事でモノコックを造り直さなくても空力変更しやすいけれども、カウルとモノコックが一体構造のメス型成形マシン(ウィリアムズFW11BやフェラーリF187)に比べて車体が一回り大きくなってしまうのが欠点?
初期のマクラーレンMP4シリーズもMP4/6までオス型成形だったのでウィリアムズのFWシリーズマシンと比べて空力性能が落ちる?
やっとメス型成形モノコックのMP4/7Aが投入されたけれど少し遅過ぎたでしょうか?
ロータス99Tも同じオス型成形モノコックのマクラーレンMP4/3と違ってカーボンモノコックの表面にリベットいっぱい打ち込んであった?モノコックの内側に金属製バルクヘッドを止めて固定していた?
レインさん、いつも楽しませて貰ってます。
日本のカート界に、菅谷安智と言うセナと戦った人を知ってますか?
確か、セナはカート時代に横田基地でのレースに出場してたと思うよ。
道清さん
菅谷安智さん、懐かしい名前ですネ。👍
@@ryojitokita7874 昔、カート乗りでした。SRSスガヤの、クラブマンレースのマーシャルのバイトした事があります。
あのマシンで、セナも中嶋さんもよく頑張ったな。ホンダに釣られて割り食ったのはピケだな。
確か、近いうちに1/12サイズのプラモデルが出る予定。あれってセナの仕様しか組めないのかなぁ?
そして99Tがロータス最後の優勝(セナ)マシンになってしまった(中嶋さんは4位が最高)
まさか99Tがチームロータス崩壊を想像するマシンになるとは思いませんでしたね。
後に確執を生じることになるセナとプロストだが、プロストがこの時期マクラーレンにホンダエンジンとセナの獲得を働きかけていたとは興味深い話しでした😊。
ロータス買おうかな?
ローバー買おうかな?
アストンマーティン買おうかな?
ロールスロイス買おうかな?
ジャガー買おうかな?
マクラーレン買おうかな?
ベントレー買おうかな?
セナがロータスホンダでドライブしましたセナのおかげで2勝しましたアクティブサスペンションの利点を生かしセナがストリートコースの強さが発揮しました
キャメルのカラーリンクが1番好きだな😊でもこんな色んな思惑があって、正直驚きました😅この時代のホンダのエンジンの凄さを感じる😊
99Tのカウル、ヘルメット後部にあった怪獣のイラストってどこのスポンサーですか?
Micro maxかな
JPSカラーのロータスホンダが見て見たかった。
タミヤのプラモ組みました。もちろん、中嶋仕様(私も日本人ですから(笑)) あくまでも模型ですが、後で組んだハッキネンのMP4-13やシューマッハの310Bと比べて、なんか成形そのものが特殊だったんですかね⁉️ 「時代が違う」と言えばそれまでなんですが、個性的なマシンだったんですね。
99Tはなんとかシーズン2勝したけれど、
翌年の100Tはアクティブサスをあきらめて、最強のホンダエンジンを搭載していたのに何故あそこまで遅かったのでしょうか?
@@あます-b3k 様 詳しく解説頂き、良く解りました。ありがとうございました。
@@あます-b3k
足先がフロントアクスルより後ろ規定によって、不自然に伸びたフロントノーズがいかにもハンドリング悪そうに見えましたね。
ビルシュタインショックにも問題あったようで。
当時JPSが日本人の中嶋が乗る事を嫌ってスポンサーを降りたって書いている雑誌とか結構あって
F2でJPSカラーのマシンに乗ってるのに?って疑問に思っていたのですがやっぱりそういう事だったんですね
中嶋が乗る事を嫌ってというより、少なくともドライバーの一人はイギリス人にすることを望んでいたらしいですね。セナが不動なエースである以上、結果的に中嶋の採用は意に反するって事になるのかも知れませんが。
いやいや、82年だか83年だかのJPSトロフィーで勝った中嶋は、JPSロータスのテストの権利を得た。そのとき原因不明のアンコントロール状態に陥ったマシンを無傷で停めて、JPS側の高評価を得たのでした。
まあ、ダンフリーズよりは実力があったのは確かですが、スポンサーは降りてしまいましたね…
@@quakerstatemotoroils 寒いドニントンでしたね
80年代のロータスのアクティブサスは失敗したのに90年代のウィリアムズをはじめとしたアクティブサス搭載車はなんで成功したかっていうと方式が違うんですよね。なんか今はあまり言われてないですが当時はロータスはフルアクティブサス、ウィリアムズはセミアクティブサスって言われていて、フルアクティブサスは地面からの入力をうけてリアルタイムに演算するという方式で当時の装置やコンピューターじゃ追いつけなかったんですが、セミアクティブサスはあらかじめインプットしておいたコースの情報をもとに有効な時だけ動かすという方式だったんですよね。なのでロータスは挑戦しすぎゃったって感じでした。その後ロータスもセミアクティブサスを搭載しましたが。87年というとイギリスGPのホンダ1-2-3-4を思い出しますねえ。中嶋の初年度はあまり良い成績を残してないように見えますが、当時は入賞は6位までですからね。しかもセナ、プロスト、マンセル、ピケがいた上で6位までに入らないといけないという無理ゲーでしたから、入賞が一度あっただけでもすごい話です。その中でマンセル、ピケ、セナに続いて中嶋が4位に入ったのはとんでもない偉業だと思います。当時セナと組んでたのはとんでもないレジェンド扱いされていて、2000年ぐらいに中嶋がレポーターとしたパドックを歩いた時にあちこちのチームのスタッフが総立ちになってめちゃめちゃザワついてたのを覚えています。
99T、取り上げてくれて、ありがとうございますm(_ _)m
日本人として、思い入れがあるマシーンです。
87年までのロータスはトップチームの一角だったが、アクティブ・サスだといっぺんに色々やろうとしたり、当時のコンピューター処理能力や油圧システムではまだ早かった、ギア・ボックスは87年用の6速MTを用意した以外はほぼ86年(85年からほぼ進化してない)マシンにホンダV6を載せただけのシロモノ、セナは「85年型がベストマシン」と言っていたし、アクティブにチームの資源を注ぎ過ぎて88年はボロボロ、ノーマルサスはデータ不足、ドゥカルージュ式モノコックはオス型で接着剤やリベットを使ったのは時代遅れの剛性不足、ギアボックスは87年のをそのまま使用(重心が高い)、外注部品は多い、 「なんでここまで酷くなるの?」って言う位にあっという間に奈落へ落ちた『没落貴族』状態になってしまった。 アクティブサスでなんとかしようと奮闘していたチームが90年開幕決勝前に電気系トラブルでエンジンがかからず押しがけしていたのは虚しい、強いて言えばその時のマシンはオイルタンクが収まりきらずポコッとむき出し状態だなんて名門としては恥ずかしい。
ロータスの名声、ホンダのパワー、セナの技術をもってしても勝てないマシン。
F-1の難しさですね。
デュカルージュのデザインは曲面処理に拘ってるのかグラマラスで好きですね。駄作というなら99Tより100Tの方じゃないかな?抜群のカッコ良さなんですけど走りは酷かった。あ、デザインも走りも垢抜けない101は論外だと思いますけどね
野心的と言えばミッシェル・テツのJS31なんかも凄いですよねw
中嶋さんの雨の走りを世界に轟かせたのは他ならぬ101ですけどね
すごくわかる。コクピット前面の反りが特にいい。中世の甲冑?っぽい
また、マニアックなお話しをw
日本国内で展示されているロータス・99Tはアクティブサス非搭載の99T/2ですね。翌年からロータス崩壊の序曲が始まっていたりして…(おいこら)。
いつもながら素晴らしい考察と検証、大変勉強になりました。
当時は本か雑誌くらいしか調べる手段もなかったので、今の時代にあらためて考えてみるのも楽しいですね。
当時の中嶋悟選手の本(中嶋悟のF1日記)を読んでいても、ロータス99Tの性能に苦労していたことがよくわかりました。さらにこんな裏話があったなんて…
今さらながら、99Tが名車で中嶋悟選手の大活躍があったら、日本のF1人気はどこまで過熱していたか、妄想してみたくなりました。
サムネのキャメルロータスホンダカッコいいなあ!
基本HONDAエンジンってウィリアムズとマクラーレン以外は使いこなせなかったよね。
それにしても桜井さんのボス感は今更ながら凄え…💧
ちょっとアレかもしれんけど、空力的に何も考えてなさそうなシャシーにターボエンジンは今のF1のようなスリムさはないにしろ
圧倒的な力で走らせる感じがあって良いよね笑笑
ロータスはまさしくF1界のセガ
素人目には97T+ホンダエンジン+アクティブサス=99Tではないかと?違うかなぁ?
このポンコツなとこが好き
その後の他チームでのアクティブサスの効果を見ると、明らかに熟成不足でしたね…
100Tは一説によると、「何かのテストでモノコックを剛性試験機にかけたら、いとも簡単に捩れた」とか…
見た目はめっちゃかっこいいのにな
ロータスホンダ99T 👍。懐かしいですよね😃 1987年シーズンは🇧🇷アイルトンセナ🇯🇵中島悟。ホンダエンジンは1987年のモナコグランプリで初勝利しましたすごかった。アクティブサスペンスも有りました。今回ロータスホンダ99Tの説明有り難うございました🇯🇵🇯🇵👊👊👏👏💯💯
99TがJPSカラーだったら最高だった。
衝突安全性を最大に厳しくして、空力やエンジンは自由というレギュレーションでやってくれないかなあ。
とんでもないマシンになって、ドライバーが気を失ってしまうかもしれないけど。
アクティブサス この頃からあったんだよね。
発展途上で信頼性にかけるシステム。
HONDAターボもパワー有りすぎて諸刃の剣
HONDAターボが強すぎるからって理由でターボ禁止に(草)
当時、ウィリアムズと同じホンダエンジンを載せてるのに、何でこんなに違うんだと不思議でしたが、そーゆーことだったんですね。すっごく面白いです。
モナコとデトロイトで勝ってしまうセナは化け物としか
うわ~ピーターウォーの名前とか出てるw
中嶋さんがジャパレカグアのホームストレート走ってる時に、アクティブサスにトラブルが出て
「4輪が万歳しちゃってシャシー下面で滑るソリになって、1コーナーのエスケープゾーン突っ切ってタイヤバリアに刺さった」((((;゜Д゜)))
なんていう恐怖体験もしたそうですね。中嶋さんが無事だったから笑い話になってますが、、、
@@350A そうです。
@@350A
ご指摘ありがとうございます。修正させてもらいますm(__)m
99T、去年ウエルカムプラザ青山で展示してたので仕事サボって(ヲィ)
観に行ったけどめちゃそれだけの価値はありました(^_^;)
でも実物観て感じたのは車体が大きめで当時のライバルたちに比べファットな感じはしました。
アクティブサスもウイリアムズのと比べ不完全な物だったみたいでもし上手く機能してたら・・・ってタラレバですけど。
あと来月にプラッツから1/12でキット化されるのでそれも楽しみにしてます(予約済み)
7:45
ホンダの英断ですね。
ほんとその通りだと思います。
ちなみに自分がロータスで好きなカラーリングはJPSでもCAMELでもなく109だったりします。
「アクティブサスペンションを開発したのはウィリアムズじゃない。でもアクティブサスペンションを初めて制御したのはウィリアムズなんだ」
「俺が超えてはいけないと肌で感じている領域を、あいつは超えるんだ...訳わかんねーぜ...」
今とは比べものにならないくらいの情報しかなかったあの時代。
ウィンドウズが95年かな。
すると99Tは、シングルタスクで姿勢制御してたのか?!
そりゃ、無茶だと今なら思います。
@@佐々木俊明-t8z
それもフルアクティブサス。
ドゥカルージュの中途半端な妥協・・・
カーボンにリベット打ちって・・・
あと100Tはもっとカッコ悪いで。
ジュラルミンのバルクヘッドにカーボンの板をリベットで貼った、ロータス独自の製法だそうです。確かドゥカルージュも99Tは「クラシックカーの集大成」と言っていましたが、100Tときたら…
アクティブサスはアイデアを出してテスト走行を始めた初日に急死した、いえばチャップマンの遺作なのが結果的にロータスの重荷になったのかもなぁとも思う。ピトーとソナーで油圧制御するアクティブサスの考え方は量産アクティブサスでは正しかったが、結果的にF1で成功するアクティブサスはFW14のような周回毎に特定の動きを記憶し反応するサーキット専用のアクティブサスだった・101Tも最初は駄作評価だったがランボ→HB切替で重量が軽くなって戦闘力がアップした(ハッキネンの腕によるところが大きかったが)ってのがまた皮肉な話。
亀の子ロータスですね。懐かしい。
古い本の大予想的な資料で「コカ・コーラ」が付くとかいうトンデモなのを見つけたキャメルじゃない
ロータスホンダもあったとか ロスマンズティレル019みたいな
地味にカワイちゃんが写ってる〜
6:24 セナが宗一郎さんと握手の間に映っている男性が若き川井ちゃんですか?
@@櫃本賢治 ですです😄😄😄
桜井さんじゃない?