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目から鱗。たった10頁でもいいから一生懸命読むのですね。乱読でもなければ積ん読むのでもない。良書を徹底的も読むこむのかぁ。ありがと。
最初にデカルトの夢と現実の区別の話を読んだ時、「そんなことあるかい!夢には現実ほどのリアル感、どう考えてもないでしょ」と正直思った。しかしその後、ある時、この今の「現実感」とまったく同じ「現実感」の中で、「これ夢じゃないぞ、どう考えたって現実」と「認識」している「夢」を見てしまったのだ。リクツではなく、デカルト言っていることが、その時初めて腑に落ちましたね。
面白かったです。実際に読んでみようと思います!
大学の授業でマトリックス観ながらデカルトの話をしてくださる先生がいて、そういう視点で映画を見たことがなかったので面白かったです。おすすめ
デカルトの『省察』懐かしいです。大分忘れてしまいましたが、蜜蠟が大好きですよね。ブーン 最近レヴィナス老師を読んでいると、デカルトが省察で言っている無限を「顔」と捉えるあたりから、認識から倫理へ、世界が責任を持ったものに変貌していく話の印象が強くなっているので、そういう意味付けを取り払った元の文脈でまた読み直してみたいと思っています。
人間には超能力が備わっています。きっと。解説ありがとうございました。
わかりやすいし面白い!
何これオモロイ!買って読んでみます。
学のない私が見て笑えたんだから凄い!「まずは、暇なこと」的なのw凄く解りやすいんだと思うなるほど、なるほど、ほんの少し「哲学」ってのの端っこの端っこが理解?ってか感じられた気がしたパラドクスの宝石箱やw俺みたいな馬鹿に何かを伝えられたのは多分きっとセンスあるんだと思うありがとう、ほんとうに。
夢は誰かが感じてる現実なんじゃねえかって思ってた
夢っていうのは、細かい部分の設定が雑になっています。例えば、夢の中に出てくる建物の壁などに近づいて模様を詳しく見てみると、曖昧でぼやけて見えるはずです。良かったら、今度やってみて下さい。
今生きている世界が夢だったとしたらそれは夢の中で作られた概念で現実世界はもっと細かい部分が丁寧になっているのかもしれない。
すごくわかりやすかったです!
コールドプレイよかデカルトが好きだった。
死んた人や動物が生きているように活動している夢、失われた命を見送った過去の記憶の感覚も疑うのでしょうか?
記憶とは感覚なのかという問題はありますが、いったん感覚だとすれば、もちろん疑います。むしろ感覚とは真っ先に疑われ、時々誤りうるがために、常に確実に信用できるものではないとされます。
パスカルはどうですか?
ラッセルはいいぞ
匿名です。パスカルはどうかって聞いてる
哲学にハマり過ぎると社会適合出来なくなる人もいるので注意が必要。
それ絶対あるよ。社会なんて嘘だらけなのに対して真実を求めるのが哲学なんだもん。真逆よw
夢見てる時は夢が現実
夢の中でほっぺをつねると、驚くことに痛くないですよ(体験談) 現実でもつねっていると夢でもつねります、そして痛くないから夢と気付いて笑えます
先の立言において「脳は我々の意思(意志)に関係なく動いている」と」言いました。この物言いだと「じゃあ、お前は人の自由意志というものを認めないのか」という反論が早速に帰ってきそうです。「はたして人に自由意志があるのかないのか」 これは正直なところ、とても難しすぎるので棚上げの状態、結論に至ることは終生ないような気がします。しかし、人が一日に万単位(回数には諸説あり)で決断するという言説や件の受動意識仮説の知見に接するごとに、はたして自由などという形容詞が値するのか甚だ疑問です。自由意志がないと考えたほうが人は幸せに生きられるような気がします。
これを映画にしたのがインセプションじゃね???
私は夢の中で夢と気付いた時、起きる!と思ったことで起きたことがあります。
あー、わかります。これは夢だ! 早く起きねば!って感じですよねわたしは辞めたはずの仕事に遅刻する夢を見て、これは夢だと気づきましたw
@@neomin あ、同じです。辞めたはずの苦痛な仕事場にまだいるってので気づいて、これはってなりました。
全く同じじゃないですかw
夢と現実を区別する手段としてトイレに行って小便をするという方法を提案します。もっとも、それが夢であった場合悲惨なことになりますが...
デカルトはりんごの存在を疑っている自分の認知を疑っているにもかかわらず、我思う我を疑わなかったのはなぜか?
これすぎる多分無限後退で説明したかったんだろうけど納得いかないし、現代哲学では無限後退は否定されがち
なんで、全てを疑ってみようなんて考えを起こしたんだろう。デカルトに何があったんだろ?
夢か現実かって面白いテーマですよね。胡蝶の夢とか世界五分前仮説とか昔からずっと言われてることなんですよね。押井守とかマトリックスとか大好きです。何なら現実だと思ってたものが夢だった方が面白いなと個人的には思いますw夢かどうか確かめるのは僕はパソコンとかで調べ物をしますかねー。夢は所詮自分の知ってる範囲のことしか反映されないんで、情報の精度が低いと思います。そもそも、自分が夢にいると疑えることが稀ですけどね。もし、今書き込んでるのが夢なんだとしたら、目覚めてる俺は滅茶苦茶知識持ってて頭良いなと思いますw
メガシンノスケさんに見えました
赤いカプセルを飲むと目覚めるよ
懐疑に際しては、真か偽かのオール・オア・ナッシングで考えてはいけない。絶対に正しいとか、絶対に間違いであるとか、そんな考え方を捨てなければならない。真か偽かの判断は、確率の問題であって、連続的に変化する程度問題に過ぎない。人間の認識の全ては、仮説に過ぎない、と一応考えるわけである。仮説の正しさは、確率の問題であって、程度問題でしかない。有り得る仮説を比較して、仮説を支える証拠の良質および多数がどの仮説であるかによって、「暫定的真理」と見なし得る「比較優位仮説」を選び取ることになる。諸説を比較しての暫定的真理の選択と検証作業の継続、それ以外に適切な方法はない。これは、科学的思考における原則で、哲学的思考にも応用できる考え方になる。
仏教用語で シャベツ と言う言葉があります、全ての人と物質との間には区別がない 例えば机と自分 と言ったように区別を取り払い机も自分も同じであり どちらが机か?自分なのか?でもなく 境界線を取り除くこと無の世界観のようです、このシャベツと言う言葉が現代世界の差別 と言う言葉の語源らしいのですが。
目を開ける
現実と夢の違い…。難しいですね。現実は、後悔しても戻らない連続性?でも、夢を連続ドラマみたいに、見る人もいますし…(ーдー)。他人の事なら、他人が起きていて、現実にいたり、他人が寝ていて夢を観てるのは、わかるような…。気も、一瞬しましたが…。もしかしたら、他人が夢を観てるのを、観ている夢かも…。難しいです…( TДT)。
目から鱗。たった10頁でもいいから一生懸命読むのですね。乱読でもなければ積ん読むのでもない。
良書を徹底的も読むこむのかぁ。ありがと。
最初にデカルトの夢と現実の区別の話を読んだ時、
「そんなことあるかい!夢には現実ほどのリアル感、どう考えてもないでしょ」と正直思った。
しかしその後、ある時、この今の「現実感」とまったく同じ「現実感」の中で、
「これ夢じゃないぞ、どう考えたって現実」と「認識」している「夢」を見てしまったのだ。
リクツではなく、デカルト言っていることが、その時初めて腑に落ちましたね。
面白かったです。実際に読んでみようと思います!
大学の授業でマトリックス観ながらデカルトの話をしてくださる先生がいて、そういう視点で映画を見たことがなかったので面白かったです。おすすめ
デカルトの『省察』懐かしいです。大分忘れてしまいましたが、蜜蠟が大好きですよね。ブーン 最近レヴィナス老師を読んでいると、デカルトが省察で言っている無限を「顔」と捉えるあたりから、認識から倫理へ、世界が責任を持ったものに変貌していく話の印象が強くなっているので、そういう意味付けを取り払った元の文脈でまた読み直してみたいと思っています。
人間には超能力が備わっています。きっと。
解説ありがとうございました。
わかりやすいし面白い!
何これオモロイ!買って読んでみます。
学のない私が見て笑えたんだから凄い!
「まずは、暇なこと」的なのw
凄く解りやすいんだと思う
なるほど、
なるほど、ほんの少し「哲学」ってのの端っこの端っこが理解?ってか感じられた気がした
パラドクスの宝石箱やw
俺みたいな馬鹿に何かを伝えられたのは多分きっとセンスあるんだと思う
ありがとう、ほんとうに。
夢は誰かが感じてる現実なんじゃねえかって思ってた
夢っていうのは、細かい部分の設定が雑になっています。
例えば、夢の中に出てくる建物の壁などに近づいて模様を詳しく見てみると、曖昧でぼやけて見えるはずです。
良かったら、今度やってみて下さい。
今生きている世界が夢だったとしたらそれは夢の中で作られた概念で現実世界はもっと細かい部分が丁寧になっているのかもしれない。
すごくわかりやすかったです!
コールドプレイよかデカルトが好きだった。
死んた人や動物が生きているように活動している夢、失われた命を見送った過去の記憶の感覚も疑うのでしょうか?
記憶とは感覚なのかという問題はありますが、いったん感覚だとすれば、もちろん疑います。むしろ感覚とは真っ先に疑われ、時々誤りうるがために、常に確実に信用できるものではないとされます。
パスカルはどうですか?
ラッセルはいいぞ
匿名です。
パスカルはどうかって聞いてる
哲学にハマり過ぎると社会適合出来なくなる人もいるので注意が必要。
それ絶対あるよ。社会なんて嘘だらけなのに対して真実を求めるのが哲学なんだもん。真逆よw
夢見てる時は夢が現実
夢の中でほっぺをつねると、驚くことに痛くないですよ(体験談) 現実でもつねっていると夢でもつねります、そして痛くないから夢と気付いて笑えます
先の立言において「脳は我々の意思(意志)に関係なく動いている」と」言いました。この物言いだと「じゃあ、お前は人の自由意志というものを認めないのか」という反論が早速に帰ってきそうです。「はたして人に自由意志があるのかないのか」 これは正直なところ、とても難しすぎるので棚上げの状態、結論に至ることは終生ないような気がします。
しかし、人が一日に万単位(回数には諸説あり)で決断するという言説や件の受動意識仮説の知見に接するごとに、はたして自由などという形容詞が値するのか甚だ疑問です。
自由意志がないと考えたほうが人は幸せに生きられるような気がします。
これを映画にしたのがインセプションじゃね???
私は夢の中で夢と気付いた時、起きる!と思ったことで起きたことがあります。
あー、わかります。これは夢だ! 早く起きねば!
って感じですよね
わたしは辞めたはずの仕事に遅刻する夢を見て、これは夢だと気づきましたw
@@neomin あ、同じです。辞めたはずの苦痛な仕事場にまだいるってので気づいて、これはってなりました。
全く同じじゃないですかw
夢と現実を区別する手段としてトイレに行って小便をするという方法を提案します。
もっとも、それが夢であった場合悲惨なことになりますが...
デカルトはりんごの存在を疑っている自分の認知を疑っているにもかかわらず、我思う我を疑わなかったのはなぜか?
これすぎる
多分無限後退で説明したかったんだろうけど納得いかないし、現代哲学では無限後退は否定されがち
なんで、全てを疑ってみようなんて考えを起こしたんだろう。デカルトに何があったんだろ?
夢か現実かって面白いテーマですよね。胡蝶の夢とか世界五分前仮説とか昔からずっと言われてることなんですよね。押井守とかマトリックスとか大好きです。
何なら現実だと思ってたものが夢だった方が面白いなと個人的には思いますw
夢かどうか確かめるのは僕はパソコンとかで調べ物をしますかねー。夢は所詮自分の知ってる範囲のことしか反映されないんで、情報の精度が低いと思います。そもそも、自分が夢にいると疑えることが稀ですけどね。
もし、今書き込んでるのが夢なんだとしたら、目覚めてる俺は滅茶苦茶知識持ってて頭良いなと思いますw
メガシンノスケさんに見えました
赤いカプセルを飲むと目覚めるよ
懐疑に際しては、真か偽かのオール・オア・ナッシングで考えてはいけない。
絶対に正しいとか、絶対に間違いであるとか、そんな考え方を捨てなければならない。
真か偽かの判断は、確率の問題であって、連続的に変化する程度問題に過ぎない。
人間の認識の全ては、仮説に過ぎない、と一応考えるわけである。
仮説の正しさは、確率の問題であって、程度問題でしかない。
有り得る仮説を比較して、仮説を支える証拠の良質および多数がどの仮説であるかによって、
「暫定的真理」と見なし得る「比較優位仮説」を選び取ることになる。
諸説を比較しての暫定的真理の選択と検証作業の継続、それ以外に適切な方法はない。
これは、科学的思考における原則で、哲学的思考にも応用できる考え方になる。
仏教用語で シャベツ と言う言葉があります、全ての人と物質との間には区別がない 例えば机と自分 と言ったように区別を取り払い
机も自分も同じであり どちらが机か?自分なのか?でもなく 境界線を取り除くこと無の世界観のようです、このシャベツと言う言葉が現代世界の差別 と言う言葉の語源らしいのですが。
目を開ける
現実と夢の違い…。難しいですね。
現実は、後悔しても戻らない連続性?
でも、夢を連続ドラマみたいに、見る人もいますし…(ーдー)。
他人の事なら、
他人が起きていて、現実にいたり、他人が寝ていて夢を観てるのは、わかるような…。
気も、一瞬しましたが…。
もしかしたら、他人が夢を観てるのを、観ている夢かも…。
難しいです…( TДT)。