無知の知(ソクラテスの哲学用語)は完全に間違い。理由やおすすめ本を分かりやすく解説
HTML-код
- Опубликовано: 9 апр 2019
- 哲学用語で有名な無知の知。
ソクラテスの代名詞のように言われてますが、古代ギリシア哲学を学んだ人からすれば、実は完全に間違いなのです。
なぜ間違ってるのか、哲学youtuberネオ高等遊民が分かりやすく解説します
おすすめ本
ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)
amzn.to/2U5JGxH
2020年現在、最も優れた翻訳。amazon読み放題です
哲学の誕生 ──ソクラテスとは何者か (ちくま学芸文庫)
amzn.to/2Gf76Ny
上記翻訳者(納富信留先生)による入門書・解説書です
無知の知がなぜ間違ってるのか、より詳しく知りたいならこちらをどうぞ
ネオ高等遊民の解説も、基本的にはこの本を参考にしてます
主に哲学や文学について、読書や考察をしてます
よかったら評価&チャンネル登録お願いします!
ブログ(高等遊民のyoutube動画の要約をしてます)
kotoyumin.com/category/youtub...
Twitter (↓の回答はTwitterで書いてます)
/ mneeton
note
note.mu/kotoyumin
高等遊民への質問はこちらからできます(質問や「こんな話して」っていうリクエストをどうぞ。登録不要なのでお気軽に)
marshmallow-qa.com/mneeton
こういう例は経済学にも多い。例えばマルクスは「資本主義」を批判したみたいな。正しくは「資本家的生産様式」kapitalistischen produktionweiseであって、マルクスは「資本主義 」kapitalismusなる用語は使ってないし、この用語自体、ゾンバルトとウェーバーの様なドイツの社会学者が20世期に使い出して広まったんだから、19世期のマルクスが使うわけないのだけれど。
ずっと、その誤った解釈をしていました。
そして、為になりました。
ありがとうございます。
めちゃくちゃ面白い
無知の知の知は
無知を知る=知っていくであって
知ってるとは違うと思っている
めんじゃん
ほんとそれだよ。「無知の知を知る。」
なのに知識を知っているって間違った解釈してるよ。この動画上げてる人は
分かりやすい解説をありがとうございました😊とても興味深い話でした❗️
面白かったです!無知も不知も違いがあること。不知の自覚できました。チャンネルフォローさせてもらいます!
この解釈の違いって哲学者でもなけれ別にそれ程気にしない事かと。
わかりやすく、勉強になりました…m(_ _)m。
自分は「無知の知」という言葉をよく使いますが(座右の銘にしているので)、使い方としてはまさに「不知の自覚」です。知らないということを自覚した上でその「知らないこと」がたくさんあるからこそ好奇心が掻き立てられ探求したくなる、探求しようとする。そういうニュアンスを伝えるために「無知の知」という言葉を用いていましたが誤用だったのですね…驚きました。やっぱりもっと学ばなきゃいけないなと再確認しました。
ためになりました。ありがとうございました。賢くなったぜ!
おお!
コメントありがとうございます!
元々のラテン語は「scio me nihil scire」であって、「scio」(知っている)という言葉が使われてるから、翻訳の間違いではなく「無知の知」が正しいな。
「自分は自分が何も知らない事を知っているという一点において、それすら知らない人より賢い」というのがソクラテスの文意だね。
元々はラテン語でないことが常識です😅
@@hectorwu8729 無知の知「scio me nihil scire」というフレーズはキケローのアカデミカにでてくるソクラテスの哲学を要約した言葉が元だから、ラテン語なんだ。古代からずっと無知の知と語られてきたわけで、けして日本人が間違って翻訳したわけではない。
@@teruduki そういうフレーズはアカデミカにないよ(あなたは少しでもラテン語を読めるなら分かるはずです)、ラテン語を読めないのにググって結果を貼ってそれが正しい理解というのはどうでしょうか?
@@hectorwu8729 いやあるから。アカデミカの記述は厳密には「ipse se nihil scire id unum sciat」だけど、ニュアンスは同じだから。
むしろこの時代、ググれば分かる程度の間違いを書き込む方が恥だぞ。
@@teruduki 「厳密には」lol shame on you google boy
間違えてるんだと思って動画開いたら間違ってなかったです
聞いててすごく勉強になるし、楽しいけど、だんだん「知」がゲシュタルト崩壊してきた…
面白い!
そうかな?
お前は絶対あってるって言えるのか??
要するに知ってるなんてこと簡単に言わないで下さいってことですね
分からないことが分からないことを自分が分からないかもしれないと自分で客観視出来ているということですね
言葉のニュアンスめちゃくちゃ大切!!
え~と、知ってるつもりが自覚ってことで、その点は、ソクラテスさんも、ソクラテスさんが自分より劣ると言っている人も、変わらないということなのでは~?
その論調だと、どちらも自覚に過ぎないという意見でしょ?
これだと、訳す人も話にならないから、ソクラテスさんのことを立てて、『無知の知』としたのでは?
私が翻訳家でも、そうすると思いますよ~
やっぱり、ソクラテスさんは、世界の四大聖人なわけだしね~
まあ、出版社は作家さんを立ててなんぼの商売ですからね~笑
すっかり誤解してました。
ソクラテスの弁明、高校で習ったんだけどなぁ(^◇^;)
大変勉強になりました。
動画、ブログで紹介させて頂きました。
ありがとうございます!
無知への堕落は怖いですよね。
仏教解説動画作ってほしいです!
中論の解説をしてほすぃ😗
既に世の中に普及しちゃってる慣用表現は怖いですね笑
無知の知という言葉が無知の自覚の方が良い理由はよくわかったのですが、自分が知らない(ことがある)ことを知っているという状態が存在しなかったら何かを探求するという哲学的な態度は生まれないような気もします。哲学のことはまだまだ理解出来てないのですが、解説頂けたら嬉しいです
安易に「無知」という言葉を使ってました。「無知」と「不知」の違い 勉強になりました
では、非知・未知・否知・空知・排知は、どう違うんでしょうか?
「不知の自覚」の方がより謙虚な表現の仕方ってことかな?
勉強になりました(-_-)
少し疑問なのですが、日本語を他の言語から変換する時点で、違う言語から他の言語へ翻訳されていると思います。なのになぜ、「不知の自覚」の「不知」そして「自覚」という言葉がプラトンが意図していた当時の言葉と同一だと言い切れるのでしょうか?確かに、「無知の知」よりも「不知の自覚」の方が確からしいという意味ではそうかもしれませんが、翻訳という手段を経ている以上、「知」なのかそれとも「自覚」なのかというのは捉え方が異なれば問題ですが議論にするほどの問題点かは自分はわかりません。要は言葉の定義や意図している範囲は言語によって異なると考えるからです。
僕も聴き始めはそのように思いましたが、最後まで聞いて議論すべき問題だと感じました。
知ってるということをとことん疑おうという態度なので、
自分の知らなさに関しても知っているとは言い切るべきでない
単に無知とすると、知ることができないと諦めた態度と誤解されうるので、
不知とするのが適切、そういう話なのではと思います。
私は業務改革に携わっていますが、特に以下の2点で共感します。
1、曖昧な翻訳がもたらす顛末
2、真意の正しい理解(無知の知は発展なし。不知の自覚は人間の絶え間ない探究心
)
私が携わる1の一例は、ゴールとオブジェクティブです。翻訳するとどちらも目的目標ですが、海外では違います。ゴールは中期の包括的目標。オブジェクティブは短期の具体的数値目標です。
2の不知の自覚は、人間の本来の姿としてまさに自覚すべきことと思います。私の分野でも業務改革は継続的になされるものとして定義されています。日本の海外からの遅れの一因として、翻訳して終わりで意味を正しく伝道しないところがあるように感じています。
「無知の知」は誤訳で「不知の自覚」と訳すべきである件、その通りだなと思ったので、あえて確認しますが、
9:41からのまとめは、「知らないこと」を「知らない」と自覚しているから... が正しいのではないでしょうか?
「慢心したら人間はお終いだ」って言葉が自分の中ですっげぇ結びつく。……これが正しい解釈かは断定出来ないが、
ありがとうございます。
無知の知は、他人を非難する言葉ではなく、自分の反省のためにのみ使うべきだと思います。
・『無知』という言葉は内容が空疎
という点に疑問を持ちました。『私は知らない』ということも1つの事実を指し示している点で独立した知識であると思ったのですが、違うのでしょうか
『私は (確実なものを) 知らない (生き物である)』
『私は (確実なものを) 知らない(状態である)』
など補足を入れるとますます、この世界に現に存在する状態を指し示す知識であると言えるように思えてしまって混乱してきます…
それとも、ここで使われている『知識』という言葉の意味がそもそも日常的なものとは違うのでしょうか
『無知の知というのは知識であるのにその知識内容を全く説明できないから誤り』と言っていますが、上記のことを考え合わせると『無知の知というのはね、皆が知っていると思っていることを少なくとも私は知らない状態なんだという知識なんだよ』と説明できる気がして、なんだか腑に落ちない感じです…
また、
・『確実なものを見つけたら哲学はそこで終わりだから、知っているという言葉は哲学では基本的に使えない』
という点も疑問を抱きました。まさにデカルトは『我思う故に我あり』ということを疑問を差し挟むことのできない確実なものと認めて、それを足がかりに色んなことを考えていったのではないかと思うのですが(違ったらすみません)、それを考えるとあながち『知っている』と言ってしまっても問題ないように思いました。確実であると言えるものがあって初めて哲学がスタートできる気がしますので…
言葉の定義・用法を理解しておらず哲学をほぼ学んだことのない個人の勝手な疑問ですし偉い学者さんも言ってることなので、馬鹿だと思って見てほしいのですが、コメント欄の方でももし解説等して頂けたら幸いですm(_ _)m
あることについて「知らないこと」の自覚を、あることについての知識と呼べるか、ってことでしょうか?
なるほどおもしろいですね。
確かに翻訳家により誤解されるリスクはありますね
時間があったら、『旧約聖書』「伝道の書」の解説があったら嬉しいです。
知らないと言い切るのって難しいですね。
本当はわからないのに自分は知ってると思い込んでいることと、無知の知という言葉を使うことで自分は何も知らないと決めつけることも、どっちも大差ない気がしました。
あと、ソクラテスって歴史や古典の引用しまくるし幾何学も利用するしで結構物知りですよね?w
京都で「わたし、あんまり詳しくないので、よう分からんのですが」と前置きされたら、その道の大家だと思って身構えておけというエピソードに通じるものを感じました。
歳を重ねるほど、自分は何も知らないと気がつくと、かつて20歳年上の友人が言っていました。死ぬまで探求ですね。
東大の辛口入学祝辞の話で「メタ知識」の単語が出てきたので、「メタ知識」または「無知の知」という言葉がもっと広まればいいのにと思い意味を調べていたらここに来ました。
無知の知、誤用しまくってました。
意味の内容は同じような意味で使っていましたが、日本語は本当に不安定で意味が意味を表現してくれないものばかりです。
「無知の知」発音のしやすさから余計に定着してしまったように思います。
「不知(無知)の認識」発音しやすく言いやすい言い方があれば定着させたいですね。
質問があります。
ソクラテスは「悪法もまた法なり」といわれたのでしょうか。哲学用語図鑑には言ったとかかれてるのですが
知らないことを学ぶことが哲学。
自分の名言にして友達に話そう🤝
ゆるい解説書などで、デカルトの方法的懐疑→哲学の第一原理の話に引っ張られて
説明されることでこのような誤解が定着している気がします。
私が知らないということだけは疑いようもなく知っている、的な。
感想です。いつか忘れてしまいましたが、昔にこの動画に出会い、納富先生とソクラテスのことをなんとなく覚えました。そうして現在、紆余曲折を経て哲学というものに目覚めたようで、『ソクラテスの弁明』(光文社古典新訳文庫の納富先生翻訳のもの!)を読むところまで流れ着きました!
ということで、この動画に出会えて今の自分があるなあと思ったのでコメントしました。ネオ民さんあの時からありがとう。これからも日本から見てますb
論文などの正式な物に関してははっきり言葉の区別は付けるべきですが、日常会話だとそんな所まで配慮する必要はないです。つまり、無知の知という言葉を使っている人をせせら笑うということは、「来れる」とか言っている人に「お前ら抜き言葉なんか使っているの?日本語勉強し直したら?」って言っているような物なんですが。
なるほど、勉強になりました。
100分で名著でも
不知とは価値のあることを知らないという事実を表すニュートラルな意味。
無知とは、本当は知らないのに知っていると思い込んでいる恥ずべき状態。
と書かれてました。
無知と不知をプラトンが区別しているという話はたしかに細かいことなのですが、学者さんが指摘してくれなかったら、僕らはずっとその区別に無頓着なままなので、本当にありがたいですね。
知がゲシュタルト崩壊した
わかりやすい!!だよねー笑
腑に落ちた...(笑)
無知な奴らが論争を繰り返して平行線をたどる。無知なのに知ったかぶりの論争で真理に辿り着けるわけもないのに。理解できない相手と戦う姿は壁に頭をぶつけてるのと同等にしか見えなかった(笑)無知の自覚のない人は怖い(笑)
すごくいいマイクのつけかたー!
これ言ったら友達減りそうw
でも、減った分以上に、逆に増えるかも知れません。
ムチムチに聞こえてきた…
雑なものでずっと間違って無知の知って言ってました。「不知の自覚」「知らない事を知らないと思っている」って今度から言います。又、知ることを諦めた「無知」でなく、知ることを探求する「不知」が哲学者の姿勢かあ。。。なるほど(n*´ω`*n) 時間経って、忘れそうになったら、「知ってる」と「思っている」の違いって何だっけ?と考えればいいですね。すごく勉強になりました。
無知の知 一切無一物
もうこれってさぁ
禅問答と一緒だね
それが本当に間違っているのかどうか
常に疑い探求し続ける姿勢が
哲学者にとって必要なのではないか
無知の知は間違っている、間違っていると主張できる原因は知という言葉にあり、これは前者の無知を不知としたり、後者の知を自覚など別の言葉に置き換えることでより正確に解釈される、と動画を解釈してよいのだろうか。しかし、仮に別の言葉に置き換えたとしても、それは哲学というジャンルが定義している言葉の使い方に則った方法に置き換えられただけで 、意味の変化はあまり起こらず、したがって間違いも何も解消されてないように思ってしまうのは私の理解力が足りないせいだろうか。
冒頭の〈せせら笑う〉ある意味ソクラテス的アイロニーですね(笑)
『学識ある無知について』の書籍、納富信留先生の書籍は、以前別の本棚動画でも紹介されてましたよね。
納富先生の本は何冊か購入し読んでます。
ソクラテスは知ったかぶりのソフィストではなく本来、哲学者とは知恵を愛する人なのだからたとえ答えの見つからない普遍的な真理の定義など知を探究し続けた諦めない人だったと今回の動画で更に確信が持て高等遊民さんにシンパシーを感じさせて頂きました!
ちなみに私の周りは「不知の自覚」云々以前にソクラテスのことも「無知の知」さえ知らず哲学に関心のない友人ばかりです(悲)
最後に一言、この動画にぴったりの知らないTシャツ最高ですよ!
ありがとうございます(*´∀`)
Tシャツはこだわり抜きました!笑
PS,超人の皆さん元気ですかの話、偶然参加させていただきました!結果として研究の証明の一端になれたかと思います。夢を求めることとしてプロソフィアでした。自分があり続けて行くこと、分かった!自分と、これから分かって行く自分との思いでした!私自身は、探究者です!文章が拙く、まとまっていませんが?
皆それぞれ知らないことがあるのは当然なのでせせら笑うことはしないかな私はね
でもひとつ賢くなれたのでありがとうございます
よく分かります。
誰でも知らない何かがあるから
知らないことを笑うことは
絶対できないですね。
哲学得意じゃないのですが、このセリフを聞くたびにいつもモヤモヤしてました。すっごくスッキリしましたーありがとうございます
初めまして😊とても心地よく視聴させていただきました💞
「無知の知」を詳しく知りたくて検索したら….ラファエルか❗️❗️❓❓笑ってしまいました。ラファさんも哲学好きだから間違いました💦
素晴らしいので高評価とチャンネル登録しました👍
無知の知って現代社会とか倫理政経の教科書にすらそう載ってるんじゃない?
確実に、『無知の知』の方がキャッチーで良い気がする~笑
私がソクラテスさんの話を子どもの頃、初めて聞いて、一番疑問だったのは、なぜ?ソクラテスさんが罪人として裁かれていたのかな~という事ですが、最近、大人になって、わかったのは、内容はともかく、立場が下の人に偉そうに物事を論じられて、それを論破できない上の人は、非常に都合が悪いという事。
これを権力者は、古代から今、現代に到るまで、ずっと取り締まってきた歴史があるという事です~
ソクラテスさんは、事前に自殺願望をお弟子さんにこぼしていたようですし、あの場で、あのような弁明をする事が許される事では無い事に間違いなく気づいていたんですよね~
もしかしたら、プラトンさんたち多数のお弟子さんは、ソクラテスさんの無知の知なんていう屁理屈よりも、権力に逆らう姿勢に感動したのかも?しれませんよね~
そして、それにより個人の暴走がはじまり、ギリシャの伝統が廃れはじめたのだとしたら、あながち権力者側の姿勢も、間違いではなかったかも?しれませんよね~
結局、「自分が知らない」ということ自体を自覚してるってことでええんよな?今までそう解釈してたけど。
知ると思うの区別ができていればOKです!
@@neomin あざす!!!
不知の自覚
ストンとスッキリしました。
有難う御座いますm(_ _)m
知っていると思っている
イケヴォ
この人は、完璧思想哲学な人なのでしょう、ソクラテスは「自分は完全な生き物ではない事を知る事が一番の知恵なのだと言ってるのだが、理解が違い過ぎると世の中に悪影響をおよぼすだろう、人間は思想がり行動する、哲学は答えを見つけるのが目的、其処で終わっていいのだよ、その上は分野が変わるだけの事、自分は何院のか、存在の意義を知ることが目的、哲学は手段
ムチムチプリン
無知の知は
内容が空疎であるし、哲学的でない
おっしゃるとおりです!
自分が無知であることを知っている
意外と簡単に証明出来るんじゃないかな。そもそも、知っている、って客観的評価なのか主観的評価どっちなのかな。それが主観的評価なら、例えば友達からドラマの話をされたけど、自分はそのドラマの存在すら知らなかった。この場合って無知の中身はドラマの存在を知らないってことなのでは。その時点で自分の無知は主観的評価では知っているっていう状態。知っている、はあくまで状態なので、そこで止まるかどうかは関係ないのでは。哲学的にどうこうは詳しくないので分からないのですが、知的謙遜が大事ということなのでしょうかね。
これ引くほどいいこと言ってるやん
引いたわ
ありがとうございます笑
無知の知の知
哲学に確実なんてないんだったら無知の知が間違ってるって言い切るのも間違ってるだろ
私の無知の知(無知の自覚)に対する理解はもしや間違っていた...?と不安になりながら動画を見ましたが、理解があっていることを確認できてよかったです。確かにソクラテスの弁明等の本を実際に読んでいない人は"無知の知"という言葉に惑わされ、そのままの意味で勘違いしているんだと思います。読んでくれたらこの誤解も解けるんですが...。よく知りもしない言葉を恰も知っているかのように使ってしまう人達が居ることを知ると、如何にこういった哲学的姿勢が大切か改めて実感するので何とも皮肉的ですね(笑)
無知の知という言葉を使う人こそ、知らないことを知っているつもりになっていることを暴露する。。。まことに超一級の言葉ですね
私は、知らないという事を、知っている。
不知の自覚は、この一文て説明できるのでは?
おっしゃる通りなのですが、実はプラトンはそんなこと言ってなかった!
というのが、この動画を作った動機なのです😀
@@neomin
ああなるほど、「私はソクラテスの考えを知っている」を前提にしている人は、不知の自覚を日常生活に当てはめて理解できないのですね。
人は自分の心の中を見るように、他者の心の中を見ることができません。にもかかわらず人は安易に、「あいつはこういうヤツだ」と決めつけてしまいます。それは言い換えれば、知らないという事を知らない、になるでしょう。
上記に気づき、そうならないよう己を戒める人生を数十年生きれば、ソクラテスが何を伝えたかったを、学問ではなく実体験として理解できるようになりますね。
哲学の形式に沿った説明で詭弁な気がする。確実なところに行き着いたら、哲学の目標達成っていうのも抽象的には分けるけど、それを無知の知に当てはめるのは無理がある気がする。あと内容が空疎に関しては、知らないっていう事実を知るって考えると別に空疎だとは思えないし。
いやあなた動画ちゃんと観てないでしょ。まず無知の意味を知りましょう。何もかも空っぽな知識であり、言い換えると何も無い知識ということなんです。あなたの発言と対比してこの動画に沿って分かりやすく言いますと…その知らないって言う事実を知ることのできる機会が無かったらどうですか?空疎ですよね。知らないことを知ることもできないんだから。何も知識がない状態で知らないことを知らないと当たり前なことを言ってるわけで内容が空っぽなんですよ。ですが普通大抵の知識が付いてるでしょう。そうしないと何もかも理解できないですし。知識を探求するためにはまずその大まかな内容を少しでも知らなければ探求できません。
例えば、AさんとBさんがいるとしよう。A何か学ぶぞ!
B何を学ぶ?
A知らないけど何か学ぶんだ!
B知らないけど、何か学ぶ…とは具体的にどういうことだ?
Aそれも知らないけど、(理解してない)それを(知らないということだけを)私は知っている。
Bそれは空疎だね。どこかで少しでも触れたことがある上でただ知らないことを知らないのではなく、それすらも全てのことについて知らないわけなんだね。
Aだが、その知らなさを私は知っている!…
こういうことなんですよ。意味分からないでしょう?
確かに無知の知は間違っているのも極論な気がするけれど、ちゃんと動画を観てそれに沿って判断した方がいいよ。
君は主観が強い。読解力を磨いた方が良い。主観で判断しても良いことがない。それも極論になってしまうからね。
名も無きものべえ 一般的には、無知は知識が足りないこと、空疎は形だけで中身がないことっていう意味ですよね。哲学の領域では何もかも空っぽって意味なのかもしれないですが、それを俗に言う無知の知に当てはめるのは、ちょっとズレてるかなと思いました。その意味で哲学の形式に囚われすぎてるのかなと思いました
疑問をありがとうございます。
「俗にいう無知の知」とおっしゃいましたが、無知の知という言葉の起源は哲学にあります。
しかし無知の知という言葉遣いは、実は間違っていると説明しました。それが動画の主旨です。
なので、間違っているもの(俗にいう無知の知)を軸にして反論されても困ってしまいます。
宝石に例えると、無知の知という言葉は模造品です。対して不知の自覚は本物です。
不知の自覚が正しいという主張に対して、模造品と比べるとここが違うからおかしいと言われても、いやそもそも模造品を基準に考えられても困るとしか言えません。
「知らないという事実を知る」とのことですが、プラトンは知ると思うを正確に使い分けています。
「知らないという事実を知る」、こちらの言わんとすることは理解できます。
これをプラトン風に言えば「知らないことをその通り知らないと思っている」になります
@@saladinwater9606
私の方が大きく誤解していたようです。まず比べるという事自体がそもそもの滑稽な言い様でした。今後このようなことのないようによく勉強します。あなたの疑問はネオ高等遊民さんが仰っている通りです。私は恥辱な発言をしてしまいました。Saladinさん、私は勝手にあなたの発言に対して独自解釈を広げていました。あなたの疑問はもっともです。自分で読み直したところ、全然ネオ高等遊民さんの言ったこととSaladinさんの言ったことに沿った言い方になってませんでした。従って、私はもう控えます。
申し訳ありませんでした。
ソクラテスの考え方まで調べて使っているかが重要じゃない?
この動画…深い!(ボーちゃん風)
誤用なのは分かった。
しかし、今まで使ってた誤用を意味する言葉は何だろうね。
誤用なのは理解したけど話をまとめたらそこまで内容があるようには思えなかったな。
正直世間で使われてる「無知の知」でも全然平気でしょうね。
プラトンが定義した「無知」だなんて知りませんから認知の歪みが起きるわけもない。
「無知の知」でも「不知の自覚」でも用途は一緒かな
では、「無知の知」とは、「不知の自覚」とか「無知の自覚」というのが正しいのですかな?
はい。まあただ重要なことは、知とは神にきせられるものだというソクラテスの洞察です。それがわかってれば、たくさんのコメントで書かれてるように無知の知と言おうが構わないと思います。
知らない。知らない。知らない。
ジーザス♬\(^_^)/♬
最後の方の「無知と不知の違い」が重要なのであって、それを先に言うべきではないかなと思いました。その上で、「不知の知」と「不知の自覚」であれば、大差ないのではないか? と思います。「自分は不知であることを知っている」と言っても、「無知」ではなく「不知」なら探求はやめないでしょうし、9:40 あたりでも「知らないことを知っている」と言ってしまっていますし。「私は何を知らないのかを知っている」ということは空疎だから言えないけれども、「私には知らないことがあるということを知っている」のであれば、その「知らないこと」の内容を説明する必要はないのではないですか。
立論が酷い
まずソクラテスがどう言ってるか、誰が言ってるかなんて関係無い
その後も論理破綻してて聞いてられない
哲学して下さい
この「無知の知」を持って、やたらと弁証法をしまくって「結局、分かったことなんてないからあんたバカよね」と言いたい輩がクソバカに多くなったからなー。論点をずらしまくってなに言ってるか分からなくすることでることを狙ってるだけなんだがね。
納富先生は有名
とても興味深い内容と知的好奇心を刺激する理解しやすい語り口。大学時代の教養科目(哲学)でこのような講義を聴いていたら、もっと哲学に関心をもって読書に励んだことだろう。勉強になります。
もし不知の知であるとするならば知恵者に対して自分の方が優れるという認識にはならず、自分がいかに今まで無知であったかを自覚し、知識を得ようとすることを意味するのが「無知の知」ではないでしょうか
間違っていれば訂正よろしくお願いします🤲
不知の知という言葉はありませんので、「もし」という仮定が間違ってます
そしてご主張を縮めると「もし不知の知なら……知識を得ようとすることが無知の知である」
とおっしゃっているように見えて、私には文意を理解できません
哲学に全く見識のないものですが、素朴な疑問を。
日本語の「知」には「しる」の他に「かんじる」とか「みとめる」という意味もあるようです。
自分がまだまだ物事を十分に知ら無いということを感じている、と解釈すると、話はまた違った方向にいきそうですが、いかがでしょうか。
ありがとうございます
おっしゃるとおり、日本語に限らず、ギリシア語や英語の知るにも「みとめる」や「かんじる」といった意味で使えることでしょう
ただ重要なのは、単語そのものの意味ではなく、ソクラテスやプラトンの言葉の使い方を理解することです
で、プラトンは知ると思うの区別を厳密にしています
動画でも説明した知るの確実性ですね
なのでその解釈は適当ではありません
他者の言葉を虚心坦懐に理解しようとすることが、文学や哲学の営みの1つなのです
極論、無知の知という言葉を自由に解釈して使っても構わないのですが、
それはソクラテスやプラトンとは何の関係もない概念
むしろプラトンが本気で否定しにかかった概念だと理解した上で使う必要があります
これは余談ですが無知の知という言葉を使う人は、無知の知の間違いを指摘されても、ご自身には「無知の知」を適用してくれません笑
つまり無知の知という言葉を使う人は、なぜか自分が知を持つ立場として使用して、無知を認めないんですよね
即答ありがとうございました。
面白いものですね。
ほかの動画も見させていただきます。
@@neomin 人間みな、空虚な自尊心を得たい生き物なんですかね
「知」に別の意味があったとしても、ここで重要なのは「無知の知」という言葉を人々がどういう意味で使っているかという点だと思います。
Tシャツが草
ムチムチ
無知の知、無知の知★晴れ
この無知の知を学校で習うのも
どうかと思う。
こんばんは。まだ寝てないです。テレビのインテリコメンテーターよりずっと説得力あるので、彼らから出演料の一部を口座に振り込んでもらいましょう。
わたしはよく「俺は知らないってことも知らずにいる可能性があるから、前に進めない」と言ってます。
仕事の準備に忙しいから、仕事をやる暇がない😂
手の動きが広告のvチューバー
なんか動いちゃいます笑
知ってるも思ってるもそう違いなくないか?結局自分の中でそうであるって納得してるから出てくる言葉でしょ
結果どちらも真実であるかどうかは別とするのだから知っていると自負してようがそう思ってると思い込むのも一緒な気がしますわ!
Tシャツ
無知の知→→→不知の自覚
ソクラテスの弁明って作品なんですか?
作品と言うとアートや音楽などの創作品が思い浮かぶのでなにか引っかかるような気がする。0から1を生み出すような、自分の中にあるものを物質に映すような表現であるような気がする。教科書を作品とは言わないですよね。ソクラテスの弁明はプラトンがソクラテスの述べた意を書物にしたものだからどうなんだろうと感じる。
神の見えざる手, 原著ではinvisible hand. 神とは書いていない.
絶対にいるよね。スミスは「神の」見えざる手とは言っていない。という人。キリスト教世界の中で、その倫理に一見反するような利己の追求が、社会の善となる。このテーゼを誰がお許しになるのだい?? 単なる「手」ですかい?? 誰の「手」ですかい?? 原著には書いてない!(キリッ)僕は知っているんだ! って感じ?? 何で「神の」見えざる手って、訳されたのだろうか?その時代背景や宗教観を想像したり、疑ったり、そういうことは一切しないんだ・・。国富論には「神の」とは書いてないということを僕は知っている! 凄いね。
@@user-or7tt1hh2x 想像通りのコメント(笑)
無知の知とは「私は0円持っている!😆←持ってないやん😭」みたいなコトですね。
だいたい、「私はバカなので~」とか言ってる人間は、ほんとうに自分を馬鹿だとは思ってませんからね。
無知の知→不知の自覚