【新しいウィトゲンシュタインの入門書】古田徹也『言葉の魂の哲学』レビュー

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 14 мар 2019
  • 言葉の魂の哲学 (講談社選書メチエ)
    amzn.to/2u8GlmX
    主に哲学や文学について、読書や考察をしてます
    よかったら評価&チャンネル登録お願いします!
    ブログ(高等遊民のyoutube動画の要約をしてます)
    kotoyumin.com/category/youtub...
    Twitter (↓の回答はTwitterで書いてます)
    / mneeton
    note
    note.mu/kotoyumin
    高等遊民への質問はこちらからできます(質問や「こんな話して」っていうリクエストをどうぞ。登録不要なのでお気軽に)
    marshmallow-qa.com/mneeton

Комментарии • 40

  • @takagikohei679
    @takagikohei679 4 года назад +3

    「言葉の使用についての倫理性」のくだりに痺れました。だからウィトゲンシュタインはあんなにも真剣にそして切実にのたうち回っていたのかなと。哲学の主題として扱われることとより、人間一般の営みに真剣に向き合うウィトゲンシュタインの態度には敬意しかありません。

  • @user-xt8kg4fo9h
    @user-xt8kg4fo9h 5 лет назад +3

    ウィトゲンシュタインの手紙のところで、感動しました。ありがとうございます。

  • @saikoumettya9350
    @saikoumettya9350 5 лет назад +1

    紹介ありがとうございます!Amazonで購入してきます!

  • @user-sv8hn6bg5s
    @user-sv8hn6bg5s 3 года назад +2

    古田徹也先生!放送大学の『経験論から言語哲学へ』の講義で古田先生のことを知り、今回紹介して頂いた本もいつか読みたいなと思っていました(ちなみに『経験論から言語哲学へ』は教材として書籍も出ていてオススメです)。紹介していただいて、新たに読んでみたい気持ちが再燃しました、ありがとうございます。
    言葉を慎重に選ぶということは、自らの「内」に表れ出てきたありのままの事実(世界、感覚)に対して誠実であろうとすることだと思います。そして一旦発された言葉(世界に対する限定)に対して、それが(不完全ながらも現時点において)私の選んだ最良の世界の捉え方であると責任(所有権)をもつこと。そのようなことがカール・クラウスの言語観なのではないかなと感じました。そしてそのようことは、なんだか哲学の営みそれ自体を指しているようにも思われてきます。世界のありのままを捉えようとして常に言葉を探しつつ悩み、時には自信を持って、時には恐る恐る「これこそがぴったりとした表現だ」と言葉を発すること、そしてすぐその後に、その言葉が適切であったかを反省し吟味し直していくこと。言葉に誠実であることは哲学する際の土台の一つのなのだろうなと感じています。

  • @user-ed9wm9uy5i
    @user-ed9wm9uy5i 4 года назад +4

    高等遊民さんのお陰で出会えた本書を、ゆっくりと自戒しながら読み進めています。 理工系の論文誌ばかり読んでおり哲学に明るくない私にとって、本書の大枠を掴めた事は読むハードルを格段に下げるように働きました。 フレーズばかりに頼ることなく、時にはレトリック表現も楽しみつつ…言葉を大切に扱いたいものです。

  • @useruseruse90500
    @useruseruse90500 4 года назад +1

    ウィトゲンシュタインは、若い頃挫折しました。古田先生の本の紹介ありがとうございます😊

  • @takadakensi4359
    @takadakensi4359 5 лет назад +12

    ヴィトゲンシュタインは非常に実用的な哲学を展開してますよね
    いじめをどうやったらなくせるかなんて議論が盛んにされてますが
    写像理論の視点から考えると、いじめがなくならないことは明白
    (いじめは、現実にあるのでなく、個々の頭の中に存在しているだけ)
    真剣に議論している人たちに
    是非ともヴィトゲンシュタインを学んで欲しいものです

    • @user-pp1bn8rf8d
      @user-pp1bn8rf8d 4 года назад

      そんな捻くれた事を実用的なんていえない。「嫌われる勇気」を読んでも別に何も変わらないのと同じ。

  • @ikirutamenomanabi
    @ikirutamenomanabi 5 лет назад +8

    面白そうな本ですね!

  • @marusan1411
    @marusan1411 3 года назад +4

    「論考」は詩集です。この詩集の中の、私が好きな詩は、「言葉に成し得ない答えに対しては、その問いも言葉に成し得ない。例え、・・・・」 この・・・の、続きの部分、忘れてしまいました。教えて下さい。
    私はこの詩を昔、泣きながら読んでいました。分けの分からない事で悩んで、自殺でもしようかと思ってた時、論考を読んで、理解できませんでしたが、答えが分からなければ、その問いも、発する必要は無いんだよ、と言われたようで、救われたように思いました。
    現在、私が生きているのは、論考を読んだおかげです。「論考」は「論語」に匹敵する名著です。「論語」と同じように、分かろうが、分かるまいが、全ての高校生が読むべきです。

  • @user-zg9he9ft3g
    @user-zg9he9ft3g 4 года назад +3

    この動画に出会えて良かったです。表現の職業を志す者として、かなり喰らいました。youtubeでMAD動画を制作してる方がいて、その方がウィトゲンシュタインの論理哲学論考を好きな本としてあげており、そこからウィトゲンシュタインというワードで検索してこの動画に辿り着いたのですが、本当に良かった。哲学というと、自分には縁遠いものだと思っていましたが、こんなに身近なテーマを纏っている哲学もあるのですね。

    • @ah1044boc
      @ah1044boc 4 года назад

      ナンと化してよドラえも~ん

  • @user-hj1fz7cf4e
    @user-hj1fz7cf4e 2 года назад +1

    ウィトゲンシュタインの重要性が伝わりました。この本を入門書として読んでみてウィトゲンシュタインに挑戦していきたいと思います。

  • @kyomosamui
    @kyomosamui 4 года назад +8

    I've just finished reading the book you recommended to us. Thanks for your recommendation.
    Based on our naive realism, we believe that things already exist before we name them. But it's nothing but an illusion. Actually things are born just after we give a name to them.

  • @JohnSmith-et6cz
    @JohnSmith-et6cz 4 года назад +2

    ヴィトゲンシュタインに触れていただき、感謝です。いつも楽しく拝聴させて頂いております。 声の高音域が響いて(音質?)聞き取りにくい部分が有るのと、身も蓋もない話ですがマスクで音が少しこもるのがちょっとだけ惜しく感じます。(読唇も…)   これからも楽しく学ばせて頂きます。ありがとうございます😊

  • @RonriChannel
    @RonriChannel 5 лет назад +6

    偶然と必然とが一致するとすれば、それは、矛盾以外の何者でもない。しかし、ある事柄に関し、或る視点で見れば偶然だが、別の視点で見れば必然であるなら、何も矛盾していないことになる。
    例えば、ピラミッドを横から見る視点では、三角形に見えるであろうし、上から見る視点では、正方形に見えるであろう。ピラミッドは、三角形であり四角形でもあるが、視点を変えているだけであって、何も矛盾はないし、不思議でもない。
    このように、視点を変えれば、全然別物に見えるのが普通であって、どこから見ても同じ形に見えるのは、図柄のない球形だけである。
    哲学者は、矛盾するかのように聞こえる言い方が好きなようで、何も矛盾はないのに、矛盾があるかのように言うことが多い。「矛盾」を議論に持ち込む者がいたら、それが本当に「矛盾」なのかを検討した方が良い。多くの場合、それは「矛盾」ではない。へーゲルの弁証法における「矛盾」と称するものは、「矛盾」でないし、共産主義思想に含まれる「矛盾」と称するものも、「矛盾」ではない。なぜなら、本当の「矛盾」は、この世の事象として、絶対に起きないからである。

  • @user-nv2ry1cr4p
    @user-nv2ry1cr4p 3 года назад +2

    楽しそうですね。

  • @user-pk1ff6pn1c
    @user-pk1ff6pn1c 5 лет назад +11

    ヴィトゲンシュタインは「教える-学ぶ」という非対称的な(教える側の方が弱い)観点から「語る-聞く」という言語使用の態度を批判しようとしたんだと思います。ここでは「語る主体」は独白的であり「教える主体」は対話的です。ヴィトゲンシュタインはのちに哲学から距離を置きますが、それは恐らく哲学があくまで「語る主体」であり続けたからではないでしょうか。例えばプラトンの対話篇はその形式を取りながらも、彼自身のモノローグに終始しています。ここからは推測ですが、魂のある言語とは「他者」(犬、石、宇宙人等々)に向けられた言語ではないでしょうか。ヴィトゲンシュタインは「他者」を導入することで言語(諸学問の源泉)の可能性を示したのだと思います。

    • @neomin
      @neomin  5 лет назад +3

      大胆で興味深い説ですね!
      私はウィトゲンシュタイン素人なので全く知らないのですが
      教える学ぶ
      語る聞く
      という区別をウィトゲンシュタインがしてると言える根拠があるのですか?

    • @user-pk1ff6pn1c
      @user-pk1ff6pn1c 5 лет назад +7

      ネオ高等遊民:哲学マスター
      返信ありがとうございます(^^)。まず前提として、『論考』の序文で「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。」とあります。『論考』自体は彼が「語りうる」ことについて書いた前期の著作です。それに対して後期の『哲学探究』では『語りえない』ことを主題にしています。彼は「語りえない」ことは「示される」と考えました。例えば、泳げない人が泳げるようになるには、泳ぐように言う(語る)のではなく、泳ぐように教える(示す)ほかありません。さて、ヴィトゲンシュタインが「語る-聞く」と「教える-学ぶ」の区別をしていたかの根拠についてですが、『論考』の序文から既にその区別が読み取れると考えています(もっとも言葉づかいは違いますが)。こんな説明で十分でしょうか?

    • @neomin
      @neomin  5 лет назад +2

      ありがとうございます!
      なるほど!
      とても面白いですね
      大変勉強になりました(^^)

  • @user-rr4yp2dl9l
    @user-rr4yp2dl9l 5 лет назад +5

    常套句のような言葉で会話のほとんどが構成されている者が増えている一方で、常套句を狭い意味でしか
    理解できない者が増えていることにも危機を感を感じています。
    とはいえその原因はやはり言葉を減少させた前者にあるのだとしたら、話し手が適切な表現を
    選び取っていく努力をできる限りしていかなければならない。
    そうやって新たに言葉を覚える事は結果受けて側に立った時にも効用が期待できる。
    こいつ「あの映画やばかったっすー」て言ってるけど、たぶん「戦慄を憶えましたー」て言いたいんだろうな
    と理解した上で「それ、やばいの範疇に含まれている戦慄を憶える、な」と諭すことができ、相手も新たな
    言葉をゲットできる。
    こういう両者のできる限りの努力でしか言葉の減少は防げないような気もする。
    持つ言葉の少なさは持つ感受性、思想の少なさを意味し、それは不幸や大衆の容易な誘導を招きかねない。
    『1984』年の持つ怖ろしさを改めて知らされました。 ツイッターの思惑は何処に?
    文字制限のある情報発信の中で空っぽの常套句の蔓延、侵入を防ぐには受けて側も多くの
    言葉を持っていなければならない。
    紹介の本を見て言葉について改めて確認したい、又やれる事はなんなのか考えてみたいと思いました。
    最後に草(ツタ)延びました?

    • @user-rr4yp2dl9l
      @user-rr4yp2dl9l 5 лет назад

      戦慄を憶える×→戦慄を覚える○ 失礼

    • @neomin
      @neomin  5 лет назад +3

      ありがとうございます
      蔦増えました!

    • @tonightstarry67
      @tonightstarry67 2 года назад +1

      しかしそれを防がなければならない必然性はないのかもしれません。
      危険だと感じるのは、私たちにとって異質な、私たちよりも少ない語彙で生きる社会の台頭に対して「おそれ」を抱くからというだけのことなのかもしれません。
      適応的な社会がいずれは勝利を収めるのですから、語彙は少なく1984的ディストピアの危険性を孕む社会が成功を収めるという可能性の前に私たちはおそらく何も出来ないでしょう。それは選択圧と適応度の決めることです。

  • @kyomosamui
    @kyomosamui 4 года назад +2

    「言葉の意味とは何なのか」という問いは古来より人々を悩ませてきた。 古くは個物と普遍の関係をめぐっての普遍論争。言葉というものは何かを指し示す記号ではないと言ったソシュール(言語の非記号性)。そしてウィトゲンシュタイン、言葉の意味とはその使い方にあるそうな(言語ゲーム)。言語とは環境に対するショック アブソーバーと宣う言語学者の鈴木孝夫氏(この観点から氏は国際共通語の可能性を否定する)

  • @qutarou2910
    @qutarou2910 4 года назад +2

    カール・クラウスってたしかヴァルター・ベンヤミンが言及してた人ですよね
    この動画を見て世紀末ウィーンの文芸・批評シーンについてもっと詳しく知りたくなりました
    ベンヤミンとヴィトゲンシュタインを並べて論じている人っているんでしょうか(ポストモダン哲学を批判している人から怒られそうですが…)

  • @gkobayashi
    @gkobayashi 5 лет назад +4

    ヴィトゲンシュタイン、昨日読んだのですが理系で言語を数字として表現するという点で共通していたのでおおよその思想と発想は理解することができました。
    世界は自分の言語的な思考が全てであり、外部の世界は自分の言語的な思考に内包されるような数式の表現をしていたようでした。そしてこれはかなり納得できます

  • @Luca-rz6ue
    @Luca-rz6ue 2 года назад +1

    ウィトゲンシュタインは難しいのですか?

  • @ansei4th
    @ansei4th 5 лет назад +4

    言葉の意味を深く考える人は、少数派の読書人くらいかもしれませんね。自分も周りで言葉を注意深く使う人は、ほとんど見たことがない。常套句とテンプレートを使わない人は実に少ない。

    • @user-pp1bn8rf8d
      @user-pp1bn8rf8d 4 года назад +1

      そもそも、他人にそんなコアな部分話しませんよ。実際は結構いますよ。言葉にコンプレックスを持つ人は多いので。

    • @ansei4th
      @ansei4th 4 года назад +1

      くるぶしれん そんなものかな。確かに内面を語るのは恥ずかしいっちゃ恥ずかしいですね。でも、テンプレートで考える人も少なくない気はします。まあ、論証する証拠がパッとは出ませんが。

  • @user-qn8yh2xu2i
    @user-qn8yh2xu2i 3 года назад +3

    僕もよく極右やネトウヨって言われる!
    腹も立たんけどね。レッテル貼りたいんだローネって思うだけ。ちゃんと討論できない人のすることだから!考えが違う人でも討論するのは自分を高めると思うから、多様性も認め討論するのが一番いいかな!

  • @ansei4th
    @ansei4th 5 лет назад +2

    人工言語だけど、ロシア未来派のザーウミを連想した

  • @fantajista3622
    @fantajista3622 5 лет назад +2

    言語の限界を論じた人ですよね?

  • @user-fg6pg8si1k
    @user-fg6pg8si1k 4 года назад +1

    いつも楽しい動画をありがとーございます。
     音声が聞き取りづらく、発音がよく聞き取れません。なんかプチプチ言ってるしとても残念です。
     一定レベルの録音をすればチャンネル登録者数も増えると思います。
     内容ではなく音声を原因として中座致しまする。

    • @neomin
      @neomin  4 года назад +1

      音声はいつも課題なんですよね。
      音質良くしたいのですが、どうもうまくできないです。
      教えてくださってありがとうございます!

  • @gnomons.
    @gnomons. 4 года назад +1

    「哲学」の広大な守備範囲には「美学」も含まれていますね。
    「ネオ高等遊民:哲学マスター」さんの、決して「美しい」とは
    言えない風貌を、パソコン画面のマッ正面に延々と展開する
    RUclips画面の構成は、かなり最低線ですね。
    他のRUclipsrさんの場合ですと・・・、
     ・画面の右下あたりに小さくサムネイル動画として本人が
      登場し、
     ・メインのバック画面には固定文字、固定画像、テーマ動
      画を掲げる。
    などで構成している例など、色々工夫しています。
    延々と、美的でないご本人を眺めさせられるのは、苦痛です。
    → 従って、あなたの画面を上方に8割ほどスクロールして、
    音声のみ聞くようにしています。ラジオ風にして・・・。
    しかし、内容は面白いので、チャンネル登録しようかとは
    思いますが・・・