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これみると気持ちが熱くなって泣けてくる俳優の迫力とBGMがほんとに神
この布陣を観ていると、戦術と戦略、謀略が全くの別物ってのがはっきりわかる
藤堂タカトラさんは、合言葉決定の打ち合わせに事前に加わっていたのか、何事も用意周到に把握出来ていて、世渡り上手で、なんかとってもいいですねぇ。
東軍・西軍の布陣をつらつら読み上げる中村梅雀さんの声に燃える!お気に入りの武将が読み上げられると思わずの武者震いが…🤨
大関ヶ原展を見に行く前にこの動画を見て勉強します!すごく分かりやすかったです♪
葵徳川三代は最初に関ヶ原を持ってきて、そのあと、秀吉没後から関ヶ原までを詳細に放送してくれた。その後の大坂の陣、最終回まで本当に素晴らしい大河だった。金かけて楽しませてくれた。改めてみると鬼籍に入られた方が多くなってしまった。津川家康、宍戸忠勝、細川吉継、神山正信、宇津井輝元、夏八木左近、すま政宗、蟹江正則、佐藤長盛、内藤正継、、思い出しただけでも結構いらっしゃる。
重厚な役者ばかり
予算の多くを関ヶ原で使い切って、あとは室内劇中心で安く済ませた構成力も見事
大阪の陣以降も、兄弟の争いとか家臣の取り立てとか面白く描いていますよね。
@@umakara55 そうはいっても、関ケ原合戦のシーンは壮観につきますよ。CGに頼らず人と金を使いまくってます。今後あれ以上の実写合戦シーンは作れないですよ。ところで劇中の桃配山はリアル現地のものでしょうか?何度も通っている21号線からではあの幟を見えてます。
布陣は大谷吉継と島左近が主導したらしいが見事な陣構え。小早川が山降りて東軍左翼を突き、毛利勢が後方右翼を突いて本体は宇喜多隊を全面に押し出して攻勢をかければ遅くとも2,3時間でケリは着いただろう。大谷吉継が裏切りそうな面々を本体の外側に配陣しているのも特筆に値する。これで勝てない所が歴史の歴史たるゆえん。石田三成は実際に戦する前に決着がついていたなんて夢にも思っていなかっただろう。そして裏切った時にその楯となるべく自分を配置している所に男を感じる。
7年ぶりですが大谷吉継かっこ良すぎる...
@マッシブーン 脇坂安治とかは元々家康と繋がってたって言う説?もあるらしいですけどね
結局、毛利は動かず宇喜多壊滅。徳川と話がついていたのだ。関ケ原戦後、毛利は領土の3分の2を徳川に取られ中国地方の端、山口県に押し込まれた。毛利領は東軍についた諸大名へのプレゼントになった。
もし俺が石田三成なら毛利と小早川そばに置く宇喜多は小早川の位置でいい
@@ネムネム-j9y 元々松尾山には大垣城主が陣張ってたのに小早川が追い出して陣張ったからな
この番組の解説が一番わかりやすいね
第421回目の大戦ということで今年も観に来ました。やはり葵徳川三代は別格ですよほんとに。
ここでは描かれてないけど 宇喜多の先鋒明石掃部は福島隊を約500メートルも押し返してるし、大谷吉継は寝返った小早川を三度も松尾山に押し返してる
寝返って楽しい
@@ネムネム-j9y 楽しくねぇよ可哀想に
@@HCL-se5ih違う意味裏切るではなくゴロゴロする意味
フィクションですね。
合い言葉を伝えながらの諸将紹介。震えるような演出。
定期的に見たくなる
z
2年前葵徳川三代が再放送していてめっちゃテンションあがってた。今でもNo.1大河です。独眼竜もそうだしジェームス三木さん凄すぎ。イケメン俳優が駄目とかではないけど、重厚感溢れる名優ばかりで嬉しかったな。時代的に男社会だけどそれも反映してた。利家とまつ以来言葉は悪いけど女がでしゃばってて戦国の世はそんなんじゃないやろって思ってたよ。最近じゃあ真田丸以外早送りで観てる。
中学生の頃、マイクラやりながらこれリピート再生してたせいで、未だに関ヶ原の布陣を暗唱できるw
私もwww
バケモンおる、、、
弁当食ってるので動けませんはホント好き
めし食いながら、喋ってご飯粒が飛ばす津川さんの迫力ある演技凄すぎる
なお、とばっちりを受けた毛利秀元さん 一生、空弁当言われてバカにされ続ける模様。
徳川家康は凄いよね。「こうならなければこする、ならなければこうやる」石田三成を黒田長政が攻めて、殲滅できなければ小早川秀秋の寝返り、できなければ徳川家康本隊が小早川秀秋を潰す。それができなければ敗戦、でも保険の徳川秀忠がまだいる。そりゃこんなに4重の保険をかけていれば勝つわな。
魁塾 かたや三成側は単純な力も団結力も万が一の対処も負けて、、、
ですが、豊臣恩顧の大名ら福島、池田は結構同士討ちしそうなぐらいてんでばらばらだったんだがな。
主力の秀忠隊がくる予定だったのに間に合わず、それでも勝ち切った家康
マンガや物語では、策士や軍師が奇抜な作戦を思いつくけど、実際は敵の可能行動、我の可能行動を列挙して、こうしたらこうなって、そうなってとシミュレーションしつくして一番安牌な作戦を取る。でも、感情や精神力がそれを凌駕するというのも、大谷吉継や島津を見て実感できる。
細かくわかりやすい
10年もなると実はこうじゃなかったが大分分かってきた関ヶ原さん
5:25ここの家康の全軍への指示すき。信長と共に戦い、武田信玄や豊臣秀吉と野戦をしたことがある歴戦の武将らしさが出てる。
一般兵への気遣いも細やかなんですね
か っこいい
この頃の大河の方が渋さや男臭さがあったし戦闘シーンに力を入れていた。今は物足りない。
やっぱり、津川雅彦さんは徳川家康の印象が強い。
徳川家康が憑依していたとのうわさ。
歴史的皮肉とでも言おうか、関ヶ原で凱歌をあげた東軍は実はほとんどが非徳川系の豊臣系大名が占めてたんだよな。徳川系は先鋒隊の松平忠吉や井伊直政ぐらいで、実際、事後の全国領地配分においてはその3分の1が豊臣系大名だね。
まぁ、ある意味「豊臣家の内紛」だよね関ヶ原。秀長の早すぎる死、秀次事件、朝鮮出兵がなけりゃどうなってたかね。
@@tomoyama7176 その3個も大変重要ですが、一番まずかったのは、武断派と文治派の対立。秀吉が豊臣家臣を対立させることなく、まとめることが出来ていたら時代は豊臣政権のままだったかと。そして、全盛期のキレキレの【人たらし】の秀吉なら家臣をたらしこんでまとめ上げる事など訳もなかったかと思います。やはり晩年の秀吉は天下人になったせいもあるし、秀頼が産まれたせいでもあるが、疑心暗鬼になり大事にしなければならない人を処刑したり、追い詰めたりと、人心をまとめるどころか、離れて行きましたね。秀吉が臨終の枕元で家康に【秀頼を頼みましたぞ】と遺言していく事しか出来ず、秀吉死後には武断派が石田三成を暗殺に動いている。もうとっくに実際には豊臣政権は終わっている。あとはいかに時期を見て豊臣家臣を争わせて出来るだけ勢力を削り、味方に取り込み、家康自らの勢力を拡大させるかだけだった。長生きした幸運もあるけど、秀吉死後の家康は、効果的に上手に豊臣政権をひっくり返した。
葵徳川三代は本当に面白かった。 日曜が来るのが楽しみだったわ。
今はどうなんだ?
あっ(察し)
この映像は「関ヶ原合戦」(二木謙一著・中公新書)を傍らに置いて観ると理解が深まると思います。
アナウンス神やろ
これは布陣を見たら分かるけど、西軍にとっての真の悪は小早川ではなくて、毛利を含めた南宮山に布陣した西軍の連中でしょう。初めから戦う気すらない布陣だったのだから。
長宗我部は動こうと思えば動けたよね 麓に陣取ってたし、毛利だって本当に戦うつもりなら吉川広家を蹴散らして山を降りれば良かった
違いますよ、毛利秀元や長宗我部盛親は戦う気でいたと思います。ですか前に布陣していた、吉川広家が内府と通じていたのでそこから動かなかったのでしょう。結果的に毛利秀元や長宗我部盛親が観戦してしまうことになってしまったと思います。まあこの戦いは、内府側の調略が功を奏したと思います。
だから本気で戦う気なら毛利秀元はともかく 麓に布陣してた長宗我部は動けたと思うんだよな…
もふ もふさん。毛利秀元が吉川広家を蹴散らしてしまうと南宮山に布陣していた軍勢同士で吉川広家側対毛利秀元側で仲間割れしてしまう確率があります。しかも毛利秀元は、合戦上では総大将であります。そうなると敗走してしまってはもうそこで負けです。長宗我部や安国寺が戦いに参戦しても、吉川広家の裏切りで混乱してしまう可能性もあります。なので動けなかったかもしれません。
戦う気がなかったのに殺される安国寺恵瓊は少し可哀想戦わなかったから毛利氏は存続できたわけだし
現地に行くと見える事があった。三成の本陣から松尾山はかなり遠い。松尾山下るのに30分以上かかる。小早川は最初から戦する気なかったと思う。島津は小勢で三成と宇喜田の主力に挟まれており、これも最初から脱出のみ考えていたと思う。何故なら西軍を攻める東軍は台地を下から重い具足を着け攻め登って行くため、戦終る頃には兵の体力無く島津への追撃人数は限られたと思う。前半の西軍優勢はこの高所からの攻撃に依るものと思う。島津はやはり戦の空気読むのは上手い。普通なら背後の伊吹山方面に退却したがるのが人情だが伊勢街道に進むメリットが計算されている所が凄い。敵兵満ちている現地の地形見たら突っ込む勇気は並大抵では無い。現地に行くとドラマだけでは解らない事実が見えますよ。
羨ましい。岐阜は遠くてなかなか行けない。。死ぬ前に関ヶ原に行かねば…
リアルタイムで祖父と一緒に見た記憶で祖父が大谷吉継が討ち死にした時に(大谷が討ち死にした)と声を出したのが印象にあります。
番組の陣形図は明治政府の陸軍参謀本部が作成したものであり、実際の陣形図は全く異なることが近年の調査で判明しています。合戦場所も合戦場跡ではなく、それよりも西の山中地区であることが判明しています。毛利の空弁当、家康の問い鉄砲などはすべて創作であることも判明しています。
古戦場には、骨がなかった事が判明していましたから、実際はここではありません
@@マヤ平 さんへ、大規模な遺構調査の結果、戦があったことを示す証拠が発見されなかったのですよね。
吉継公も秀秋の裏切りは予測できただろうが、その対策として置いた4隊(赤座、小川、朽木、脇坂)この4隊が裏切るとはねー
本当だよね…この4人も東軍に内通してたのが…
予測していたので裏切りに備えてあの位置に陣取ったとも
しかも脇坂って七本槍の1人じゃ無かったか
勝てないと悟ったからでは。豊臣家が中立だから、石田三成に殉じる理由もない。
@@missunderstood3333 あくまでこれ豊臣家臣同士の内紛だからな
外国の軍人がこの布陣図を見て西軍の圧勝であると応えたそうな
まあ、実際勝敗を知らない、そして実際に東軍と相対した軍勢を知らなきゃまあ、そうみるよなあ配置だけでいえば東軍の周り全体に西軍が配置されてるんだから、普通にみたら進軍して真ん中で挟み撃ち出来るから尚更ね
まぁこの布陣はそもそも小早川勢が裏切る事を前提にして成立してるし、小早川の寝返りがないと東軍が見てれば、そもそもこの布陣図にはならんからな。
たしかドイツの軍人さんでしたっけ?
@@Qremstar 戦は机上の計算だけではない不確実性が多々ある。それをわからないから世界大戦でドイツは二度も負けたんだろうな!
@@Qremstar 思えば明治政府を作り第二次世界大戦を敗北に追いやったのは西軍諸将の末裔たち!この関ヶ原の戦いを世界大戦レベルでやってしまったと言う事でしょうね。
秀吉、葵三代宍戸錠がいい味だしてるよな。
この大河は極めて史実に忠実な点も魅力の一つだったね。純粋な歴史を知ることができる。『江』をはじめとした最近の大河は脚色し過ぎ。あれほどの脚色は自国の歴史に泥を塗っているようなものだと思う。
これも史実に忠実ではないけどな…
脚色なしで大河にしたら視聴者から大ブーイングだろなw開戦したらいきなり小早川が裏切り挟み撃ちになって大谷が討ち死に大谷は驚く間もなく退場してあとは作戦もへったくれもなく戦場から一目散に逃げ出す西軍しかし逃げた先でつまってしまい、仕方なく島津は前方へ撤退←ここは盛り上がるあとはひたすら逃げる西軍武将の首をとってくだけ見せ場は島津くらいしか、、
徳川家康公の覚悟が見える布陣だと思った。いくら調略済みとは言え何が起きるかは当日まで分からない。これが天下人の勇敢さなのかな、と。
恐らく小早川は宇喜多を狙っていたのだろう。かなり戦前に対立していたみたいだし。事実大谷、宇喜多の様子を注視している動きがある。
個人的に恨みと言うか憎しみがあったらしい。秀家は秀吉の養子で秀頼になにかあれば豊臣の家督と関白を譲られる立場だった。一方の秀秋も秀吉の義理の甥で秀吉の後継者の1人だったが、秀秋は秀吉に疎まれ謀反の疑いまでかけられる(これを救ったのが家康)。一方で秀家は秀吉に寵愛されて、豪姫(前田利家の娘で秀吉の養女)を妻にして岡山に37万石・更に五大老と言う厚遇。血筋的には秀秋の方が秀吉に近い(秀家は妻が秀吉の養女ってだけで血縁は無い)のに他人とも言える秀家の方が気に入られてたのが秀秋には気に入らなかったんだろう
俳優のレベルが高すぎる
今の俳優だって演技力あるよ。単純に貴方が今の俳優を知らないだけでしょ?まぁそりゃ顔分からなきゃ、判断なんかつかないわな?俳優陣のレベル云々言う前に自分の老化を認めろよ
山内一豊の布陣、安全過ぎて草
ちよちよ💓
家康の思惑通りの関ヶ原幸村の武士の魂の大坂
この布陣図を見ると島津義弘が徳川家康の本陣までよく突破出来たなと思う
そりゃ薩摩隼人だしね。ただ、戦が終わりかけてたので、他の東軍諸隊は島津軍が中央突破するのを呆然と見ていただけらしい。井伊直政隊が立ち塞がったが、直政は銃撃されて負傷し(のちにその傷が元で死去)、徳川家康の追撃中止の命令が下されたから生きて帰れたってのもある。
「戌の刻」は、19時~21時… だとすると米を水に浸して15~6時間後に食えという事になる(およそですが)
可惜 天不從人願毛利家不能團結一心 一致對外 導致戰力無法發揮 不然勝負未可知宇喜多秀家 真的拼老命打到最後~~~~關原會戰 堪稱 精典 以多勝少戰結論: 家和萬事興 倘若 豊臣家內外平順一心 恐怕 德川也沒辦法 見縫插針
やっぱ家康は津川さんだなぁ
西田さん秀忠との掛け合いも素晴しかった
吉川広家の陣配置を見てください。 毛利秀元、長宗我部盛親らの進軍路を扼する形で布陣しており、毛利勢や長宗我部勢は味方であるはずの吉川の陣を蹴散らさなければ戦場に到達できなかったのです。吉川広家は毛利本家を存続させるため密かに家康に内通していたと伝えられ、その功で西軍の総大将であった毛利家は取り潰しを免れたとのこと。 とばっちりを食らったのが長宗我部家であったわけです。
これ見ると、家康のランニングコースとか三成のマイホーム が脳内再生されてまじめに見れないw
何気に藤堂高虎公は合言葉を既に知っているって演出かな?藤堂さんなら事前に賄賂で知ってたんだろうなあ細かいとこも注意して作ってるね
ドラマの便宜上、ただ単に端折ったんだと思ってましたが?w
Giantnio Inoba 端折ったならこのシーンカットだろw端折った意味をしれ
むしろ合言葉って藤堂高虎のやり取りで合ってるんじゃないの?代表的なのが『山』と聞かれたら『川』と答えるのが合言葉違う答えが返ってきた時点で「曲者!」となるわけで福島も黒田も『山に山、財に財』って復唱してるだけでは??ってなった
この時の藤堂高虎は田村亮さんじゃなくない?
この後京極高知がいきなり合言葉使い始めるんだよな…
いぃ解説だぁ~!
くさかんむりはつ思い出した1:01「石田三成はここに一軒家を建てた 初めてのマイホームである」
関ヶ原にしろ、幕末にしろ、毛利がカギを握っている。秀吉は毛利を上手く使っています。毛利が幕末のような活躍をすれば。
幕末は関ヶ原の本当の決着ですね。関ヶ原の本戦は半日で終わったけど、実は二百云十年続く、長い長い冷戦の始まりだったのかもしれない。
南宮山の毛利勢3万に対して1万4千しか備えを置いてないんだから動かない前提だよねぇ南宮山を抑えられてたら逃げ場が無いように見える
こんだけ入り乱れると敵味方の判断すら無理ゲーレベル
今の大河ドラマの、めちゃくちゃ現代語なセリフがどうかこの頃ぐらいに戻りますように
いっぱいいっぱいとか言うからな。受信料をそんな使い方すんなと思うね。
今の若い役者は、わからないのかもしれません。
このドラマもOPで光圀がめちゃめちゃ横文字使ってますけどそれは不問なの?
渋さや男臭さもありましたね。
@@kuwajiro 一応、落語家だし何も知らない若い俳優をナレーションを使うからダメになる
23年前かー全然古さを感じない
結局、一番長生きしたのは宇喜多秀家か。
確か84歳でしたっけ?
島流しですよね
真田信之はこれにわずかしか登場してないけど92歳まで生きましたね
西軍は関ヶ原での決戦を選択する必要はなかった。東軍が大垣城周辺の西軍を残して、本気で近江に入るはずがない。つまり、家康が西軍を誘き出そうとしていることは当時でも明らか。近江や大阪城と連系を図らずに、さっさと事を進めてしまった三成の戦略ミスだと思うなぁ。確かに秀忠主力が到着する前に・・・っと思うのはわかるけど。たぶん関ヶ原にいなかった西軍武将は、「えっ!!もう終わっちゃったの!?」ってなもんでしょう。
omaoru1582 三成はもともと関ヶ原で戦うつもりでしたよ、秀頼と毛利輝元を入場させる城も作ってあったし、
omaoru1582 昔から天下分け目の大会戦は、ココしかない!青野ヶ原なんだか関ヶ原が、お約束となる。まぁ、高校球児の憧れの甲子園!!みたいな感じ。
最初に来た伝令の方、「大坂城にて承る」のセリフでおなじみの坂口芳貞さんに見えたが、冷静に考えたら、井上正就役の天宮良さんかなと思ったりもする。
駄目じゃ…映像だけでorara氏のミリしらアフレコを思い出す
山岡荘八著『徳川家康』だと、この「生米は水につけて食え」のエピソードは戦の日の夜に出てくる。天気悪くて火が起こせずご飯が炊けない。でも、生米のまま食べると必ず腹を壊す。だから、水に数時間つけてから兵に食わせるように。本の中だと、逃亡した石田三成が、途中で生米をそのまま食べて腹を壊す場面も出てくる。
hassysar 戌の刻に食えってんだからそうじゃないとおかしいですよね
実際に関が原を見てきたが、毛利の布陣した南宮山は戦場から離れすぎていた。毛利勢はやる気あったのだろうか、、、それと小早川の布陣した松尾山も宇喜多、福島の陣から3kmくらい離れていた。加えてかなり高い山で関ヶ原全体が見渡せた。日和見する気だったと思った。
毛利は吉川が東軍に内通してたから、例え毛利本隊にやる気があっても前が邪魔で動けなかったかな。小早川も近年では最初から東軍についていた(開戦速攻で寝返った)って説もあるけどどうなんだろうね。まあ三成憎しの東軍に対して西軍は大半が成り行きでそうなったから日和見大名は多かっただろう。
史実の関ヶ原の布陣はまったくわかっていないんだよね。後世にまた聞きで書いただけで、かなり適当に配置図を書いている。
なるほどね。色々と言われていますからね。秀忠は遅参でなくあえて遅く着陣したとか、小早川は裏切りではなく最初から東軍で参戦してて、家康の威嚇射撃もなかったとか‥以前、葵徳川三代の動画で「最近の大河は歴史を無視したファンタジー。この葵徳川三代こそ史実性の高い数少ないドラマだ」なんて言ってる輩がいましたが思わず笑ってしまいましたよ。。。歴史学は日々進歩します。その精進を忘れないよう心掛けることが大事ですね
@@kuwajiro しょせん、大河ドラマはファンタジーですから、面白くおかしく書かれているもの、真剣に見る方がどうかしている。
一次資料だと布陣含めてほとんどわかってないんだよね
第一関ヶ原古戦場には一度も骨も見つかっていない
西軍は後退しながら関ヶ原に布陣したので万全の体制だったとは言い難い。まずそれが敗因の一つ…
布陣だけみるとなんか西軍勝てそうだけどなあ、囲んでるしなお裏切られる模様
小早川秀秋の裏切りよってね…
よく考えたらこの布陣図で徳川が突っ込んでくるのおかしすぎるなwまあ毛利も小早川も寝返ってたとしても徳川方が危なすぎる実態は城からほうほうのていで逃げ出してたところを関ヶ原で追い付かれて殲滅、ついでに小早川も裏切ったって新説が正しいわな
惜しいかな後世、この戦いで小早川のイメージが裏切り者になってしまった。朝鮮で先陣切って首級を上げた事も考慮されず、この戦だけで小心者なんて不名誉な呼ばれ方をするはめになるとは。
早世したことで挽回の機会なかったことも不運でした…
日和見で優柔不断、豊臣一族でありながら裏切り者で大谷の怨念で呪い殺されたというイメージが強い。
秀吉の甥にもあたる秀秋がその後の日本のあり方を決定付けたこの大戦で、合戦中の裏切りによって西軍を負けさせ、ひいては豊臣家滅亡をさせているのだから、裏切り者というのは事実であり何も不当では無い。
生米は決して食うな 水に浸しておいて戌の刻に食えの意味が分かる人はいますか?
ゴンベー あまり消化しないからでは?
戌の刻以降、亥の刻あたりに動くということではないでしょうか?食事の時間を指定しているように見せて、行動を起こす時間を伝えているのだと思います。米を水に浸して食べるのは、シンプルに、できるだけ早くエネルギーにするためだと思います。
島津義弘が夜襲を提案し宇喜多秀家が賛同するも石田三成が反対したためこの時点で島津軍は戦意喪失し毛利勢も全く動かずこのためこのため石田・大谷・宇喜多軍以外はやる気を無くしていた。
大坂城、伏見城を確保して大津城も時間の問題、大垣城に駐留する西軍がなぜ野戦に引き釣り出されたか疑問だったけど、兵站に不安があるのはむしろ西軍だった。野戦による短期決戦はむしろ西軍の望むところだった。双方勝てると思った時に大戦になる。
関ヶ原の戦い石田三成軍小早川の前後数人は 裏切ることにたるもは・・・
そもそも毛利勢が山に篭ってるから大垣城から石田三成とかが退去したんじゃなかったっけ。石田三成の布陣見ると毛利勢を警戒してると言うか信用していないようにも見える。
もしも信康生きていたら家康では無く信康が総大将ですかね?
豊臣秀吉に成人の男子が居れば又違った歴史になっていたと思う。そして織田信長の長男信忠が本能寺で死なず生きていれば又歴史が変わっていたと思う。
ざいぎにちわく 前田利家や秀長が生きてたら、秀次殺したのもなぁ
晩年の秀吉ほんとポンコツ。秀次殺さずに秀頼が大きくなるまで陣代として家督継がせれば良かったのに。信玄亡き後の勝頼みたいに
@@ほっしゃー-j5i なお武田家
今須山 名神高速道路の今須トンネルが貫通してます
0:11 完全に「アホな人」の顔してて草
戦国時代の戦。方陣を組み、戦うようですが。行軍体形から鶴翼に。あるいは。野営から鶴翼に。鶴翼以外にもあるのですか?詳しい方よろしくお願いします。練度の差によって戦いの様相はどう変わるのですか?例えば一週間訓練した兵と、一月訓練した兵とでは。小学校の運動会と同じで。最初はバラバラでも。しばらく練習すれば。という事ですか?鶴翼に陣を構えるにしても、素早く出来れは、相手が◯◯していれは、そのまま押し切れるのですか。詳しい方よろしくお願いします。まあ鶴翼に構えている最中に、相手が向かつてくれば。 受けるのは?大阪冬の陣では西軍はどのくらいのな訓練時間があったのですか。果たしてそれで戦え---?まさかそれで籠城するしか。夏の陣ではそれなりに。まさか。詳しい方よろしくお願いします。武田と小笠原。武田と上杉。その差では。まさか。陣を構える早さが戦闘にどう影響するのか? 詳しい方よろしくお願いします。
i wonder did he planned that Oda assassination back then
戦国時代の戦は調略で始まる前からある程度帰趨が決まってる事が多かったそうだ。これはその集大成かもしれない
関ヶ原の戦いに出てた武士達の末裔が今の日本で活躍してるんだもんな。この頃は実力のみが全てだもんな。言い出したらキリないけど西軍に勝って欲しかった
毛利輝元が出てきてれば結果が違ったな。
たらればなのは承知の上で、毛利と小早川が西軍として動いていれば、歴史は大きく変わっていたんだろうな。
一話12話年末に三回も同じとこやってたもんな
お金掛かってるからね…😅
わっかりやす~い
信康の命日だったんだね…。
徳川家康といえば津川さんしかいないな🤔👍‼️
迫力が違いすぎて、悪役にピタッりかな?
南宮山への備えが薄すぎる。宰相の空弁当と吉川広家だけが裏切ったことになっているが、毛利一族が根こそぎ裏切っていたのではないかな。
ユキムラ ミツナリ ノブヤスイエヤス ヨシツグ ヒデアキユキナガ ナガマサ タカトラマサノリ タダイエ ナオマサタダカツ モトナリ
蟹江敬三さんの福島正則が似合い過ぎんか
この布陣図自体がフィクションだったというオチ。昔はみんな信じてたけどね。
光成大将なのにたったの6,000しかいなかったんや。宇喜多15,000もおるのに
大将じゃないよ
閲兵とか理由をつけて一瞬でも秀頼が西軍側にいたら結果は違ってたんだろうなぁ関ヶ原の戦いが豊臣の内紛なんて言うように東軍方の武将も秀頼に刃を向けてるつもりはなかったわけで.....
秀頼の出馬は淀が許さなかった無理やり連れ出せばそれこそ難癖つけられて東軍に西軍討伐の口実を与えてしまうただ豊臣の旗を山に立てるぐらいの工作は可能だったと思うそうすれば福島や加藤は秀頼が出馬したと思って西軍に寝返ったかもしれない
歴史にifはないけど野戦に優れた家康を考慮したら三成はわかってたんかなぁ豊臣の命運を😢
宇喜多と毛利の配置が逆ならどうなってただろ
家康は城攻めが苦手でした。西軍が大垣城を出たからとくいの野戦で勝負できるのです。遠方から来た東軍は長引くと糧秣が不足して苦戦する。
城攻めに強そうなのが本多正信親子と家康かな。その他は野戦武将って感じだしね。謀将に乏しかったから、本多親子は貴重だっただろう。
これどうやったら西軍勝てたんだろ。丹後勢と伊勢勢が合流しても数日後に信濃から本隊着くわけでしょ、加賀の前田も分からないし。やっぱり小早川なんかより大坂の輝元が悪いのかなー
近くの山に豊臣の旗を立てればワンチャン可能性は有った
敵は鶴翼の陣か!!!!
西軍が鶴翼の陣、東軍が魚鱗の陣形だね…徳川は三方ヶ原の戦いで学んで関ヶ原の戦いでは魚鱗の陣を組んだから
なんで本多忠勝隊は500人しかいないの(3:47)。これでは戦力にならない。家康に過ぎたるものじゃなかったのか
本多忠勝の仕事は軍監(敵軍の監視)であって、戦況を家康に伝えて、自分の意見を言うものだったと言われています。戦場に出向き、それを伝えるために帰還するには大軍で動くよりは少人数の方がいいでしょう。多ければいいってもんじゃないし、500人という人数は役職に合わせて作られてるものですので戦力重視ではないです。少ない=デメリットという考えがそもそも間違ってます。
最初から戦闘要員じゃなかったんだよ、徳川譜代は。前線で戦わせてたら兵力が損耗し、譜代の国力が減っちゃうしね。あくまで豊臣家の武将の国力を削るのが目的。井伊直政は福島を出し抜いて一番槍を付けさせ、徳川家が最初に槍を交えたという既成事実を作るために前線にいた。
本多忠勝「500人も居れば充分だわ」
そりゃ仕方ないわ。戦目付の仕事(監督)だし。本気なら4500位動員できるよ。あの御仁の石高ならな
この伝令の人、写ルンですのCMにも出てなかった?じたばたするなよ!聖飢魔IIが来るぜ!久々!ってやつ
この映画はまだ見ていないが、日本の歴史は、見たものはいなく、すべて小説家の想像や歴史学者の憶測でしかなく、昨今の大河ドラマは語るも哀れな物が多すぎます。ただ単にドラマとして、時間つぶしに楽しむだけですねぇ!
扇橋正仁 そうですか。
しょうがないね見た人はいないし、信憑性ある記述も限られるしねでも、そんな推測の仕方もあるんやな!って考えながら見るのも楽しいで(^^)
小説ってのはフィクションですよ。だから大河ドラマもフィクションです。哀れとかそういう問題ではありませんよ。
この布陣だけ見ると西軍が負けるとは到底思えんな。それだけに毛利・小早川の裏切りは痛すぎた。
このドラマ見てないけど飯炊きの煙から出陣を悟られず移動できるように、との配慮では?
戦当日の朝は、雨が降っていて火を興して飯が炊けないからと台詞では出てきます。史実ではどうなのか?不明ですけど。
これみると気持ちが熱くなって泣けてくる
俳優の迫力とBGMがほんとに神
この布陣を観ていると、戦術と戦略、謀略が全くの別物ってのがはっきりわかる
藤堂タカトラさんは、合言葉決定の打ち合わせに事前に加わっていたのか、何事も用意周到に把握出来ていて、世渡り上手で、なんかとってもいいですねぇ。
東軍・西軍の布陣をつらつら読み上げる中村梅雀さんの声に燃える!お気に入りの武将が読み上げられると思わずの武者震いが…🤨
大関ヶ原展を見に行く前に
この動画を見て勉強します!
すごく分かりやすかったです♪
葵徳川三代は最初に関ヶ原を持ってきて、
そのあと、秀吉没後から関ヶ原までを詳細に放送してくれた。
その後の大坂の陣、最終回まで本当に素晴らしい大河だった。
金かけて楽しませてくれた。
改めてみると鬼籍に入られた方が多くなってしまった。
津川家康、宍戸忠勝、細川吉継、神山正信、宇津井輝元、夏八木左近、すま政宗、蟹江正則、佐藤長盛、内藤正継、、思い出しただけでも結構いらっしゃる。
重厚な役者ばかり
予算の多くを関ヶ原で使い切って、あとは室内劇中心で安く済ませた構成力も見事
大阪の陣以降も、兄弟の争いとか家臣の取り立てとか面白く描いていますよね。
@@umakara55 そうはいっても、関ケ原合戦のシーンは壮観につきますよ。CGに頼らず人と金を使いまくってます。
今後あれ以上の実写合戦シーンは作れないですよ。
ところで劇中の桃配山はリアル現地のものでしょうか?
何度も通っている21号線からではあの幟を見えてます。
布陣は大谷吉継と島左近が主導したらしいが見事な陣構え。
小早川が山降りて東軍左翼を突き、毛利勢が後方右翼を突いて本体は宇喜多隊を全面に押し出して攻勢をかければ遅くとも2,3時間でケリは着いただろう。
大谷吉継が裏切りそうな面々を本体の外側に配陣しているのも特筆に値する。
これで勝てない所が歴史の歴史たるゆえん。石田三成は実際に戦する前に決着がついていたなんて夢にも思っていなかっただろう。
そして裏切った時にその楯となるべく自分を配置している所に男を感じる。
7年ぶりですが大谷吉継かっこ良すぎる...
@マッシブーン 脇坂安治とかは元々家康と繋がってたって言う説?もあるらしいですけどね
結局、毛利は動かず宇喜多壊滅。徳川と話がついていたのだ。関ケ原戦後、毛利は領土の3分の2を徳川に取られ中国地方の端、山口県に押し込まれた。毛利領は東軍についた諸大名へのプレゼントになった。
もし俺が石田三成なら毛利と小早川そばに置く宇喜多は小早川の位置でいい
@@ネムネム-j9y 元々松尾山には大垣城主が陣張ってたのに小早川が追い出して陣張ったからな
この番組の解説が一番わかりやすいね
第421回目の大戦ということで今年も観に来ました。やはり葵徳川三代は別格ですよほんとに。
ここでは描かれてないけど 宇喜多の先鋒明石掃部は福島隊を約500メートルも押し返してるし、
大谷吉継は寝返った小早川を三度も松尾山に押し返してる
寝返って楽しい
@@ネムネム-j9y 楽しくねぇよ可哀想に
@@HCL-se5ih違う意味裏切るではなくゴロゴロする意味
フィクションですね。
合い言葉を伝えながらの諸将紹介。震えるような演出。
定期的に見たくなる
z
2年前葵徳川三代が再放送していてめっちゃテンションあがってた。今でもNo.1大河です。独眼竜もそうだしジェームス三木さん凄すぎ。
イケメン俳優が駄目とかではないけど、重厚感溢れる名優ばかりで嬉しかったな。
時代的に男社会だけどそれも反映してた。
利家とまつ以来言葉は悪いけど女がでしゃばってて戦国の世はそんなんじゃないやろって思ってたよ。最近じゃあ真田丸以外早送りで観てる。
中学生の頃、マイクラやりながらこれリピート再生してたせいで、未だに関ヶ原の布陣を暗唱できるw
私もwww
バケモンおる、、、
弁当食ってるので動けませんはホント好き
めし食いながら、喋ってご飯粒が飛ばす津川さんの迫力ある演技凄すぎる
なお、とばっちりを受けた毛利秀元さん 一生、空弁当言われてバカにされ続ける模様。
徳川家康は凄いよね。
「こうならなければこする、ならなければこうやる」
石田三成を黒田長政が攻めて、殲滅できなければ小早川秀秋の寝返り、できなければ徳川家康本隊が小早川秀秋を潰す。
それができなければ敗戦、でも保険の徳川秀忠がまだいる。
そりゃこんなに4重の保険をかけていれば勝つわな。
魁塾 かたや三成側は単純な力も団結力も万が一の対処も負けて、、、
ですが、豊臣恩顧の大名ら福島、池田は結構同士討ちしそうなぐらいてんでばらばらだったんだがな。
主力の秀忠隊がくる予定だったのに間に合わず、それでも勝ち切った家康
マンガや物語では、策士や軍師が奇抜な作戦を思いつくけど、実際は
敵の可能行動、我の可能行動を列挙して、こうしたらこうなって、そうなってとシミュレーションしつくして
一番安牌な作戦を取る。
でも、感情や精神力がそれを凌駕するというのも、大谷吉継や島津を見て実感できる。
細かくわかりやすい
10年もなると実はこうじゃなかったが大分分かってきた関ヶ原さん
5:25
ここの家康の全軍への指示すき。
信長と共に戦い、武田信玄や豊臣秀吉と野戦をしたことがある歴戦の武将らしさが出てる。
一般兵への気遣いも細やかなんですね
か っこいい
この頃の大河の方が渋さや男臭さがあったし戦闘シーンに力を入れていた。
今は物足りない。
やっぱり、津川雅彦さんは徳川家康の印象が強い。
徳川家康が憑依していたとのうわさ。
歴史的皮肉とでも言おうか、関ヶ原で凱歌をあげた東軍は実はほとんどが非徳川系の豊臣系大名が占めてたんだよな。徳川系は先鋒隊の松平忠吉や井伊直政ぐらいで、実際、事後の全国領地配分においてはその3分の1が豊臣系大名だね。
まぁ、ある意味「豊臣家の内紛」だよね関ヶ原。
秀長の早すぎる死、秀次事件、朝鮮出兵がなけりゃどうなってたかね。
@@tomoyama7176 その3個も大変重要ですが、一番まずかったのは、武断派と文治派の対立。
秀吉が豊臣家臣を対立させることなく、まとめることが出来ていたら時代は豊臣政権のままだったかと。
そして、全盛期のキレキレの【人たらし】の秀吉なら家臣をたらしこんでまとめ上げる事など訳もなかったかと思います。
やはり晩年の秀吉は天下人になったせいもあるし、秀頼が産まれたせいでもあるが、疑心暗鬼になり大事にしなければならない人を処刑したり、追い詰めたりと、人心をまとめるどころか、離れて行きましたね。
秀吉が臨終の枕元で家康に【秀頼を頼みましたぞ】と遺言していく事しか出来ず、秀吉死後には武断派が石田三成を暗殺に動いている。
もうとっくに実際には豊臣政権は終わっている。
あとはいかに時期を見て豊臣家臣を争わせて出来るだけ勢力を削り、味方に取り込み、家康自らの勢力を拡大させるかだけだった。
長生きした幸運もあるけど、秀吉死後の家康は、効果的に上手に豊臣政権をひっくり返した。
葵徳川三代は本当に面白かった。 日曜が来るのが楽しみだったわ。
今はどうなんだ?
あっ(察し)
この映像は「関ヶ原合戦」(二木謙一著・中公新書)を傍らに置いて観ると
理解が深まると思います。
アナウンス神やろ
これは布陣を見たら分かるけど、西軍にとっての真の悪は小早川ではなくて、
毛利を含めた南宮山に布陣した西軍の連中でしょう。
初めから戦う気すらない布陣だったのだから。
長宗我部は動こうと思えば動けたよね 麓に陣取ってたし、
毛利だって本当に戦うつもりなら吉川広家を蹴散らして山を降りれば良かった
違いますよ、毛利秀元や長宗我部盛親は戦う気でいたと思います。ですか前に布陣していた、吉川広家が内府と通じていたのでそこから動かなかったのでしょう。結果的に毛利秀元や長宗我部盛親が観戦してしまうことになってしまったと思います。まあこの戦いは、内府側の調略が功を奏したと思います。
だから本気で戦う気なら毛利秀元はともかく 麓に布陣してた長宗我部は動けたと思うんだよな…
もふ もふさん。毛利秀元が吉川広家を蹴散らしてしまうと南宮山に布陣していた軍勢同士で吉川広家側対毛利秀元側で仲間割れしてしまう確率があります。しかも毛利秀元は、合戦上では総大将であります。そうなると敗走してしまってはもうそこで負けです。長宗我部や安国寺が戦いに参戦しても、吉川広家の裏切りで混乱してしまう可能性もあります。なので動けなかったかもしれません。
戦う気がなかったのに殺される安国寺恵瓊は少し可哀想
戦わなかったから毛利氏は存続できたわけだし
現地に行くと見える事があった。三成の本陣から松尾山はかなり遠い。松尾山下るのに30分以上かかる。小早川は最初から戦する気なかったと思う。島津は小勢で三成と宇喜田の主力に挟まれており、これも最初から脱出のみ考えていたと思う。何故なら西軍を攻める東軍は台地を下から重い具足を着け攻め登って行くため、戦終る頃には兵の体力無く島津への追撃人数は限られたと思う。前半の西軍優勢はこの高所からの攻撃に依るものと思う。島津はやはり戦の空気読むのは上手い。普通なら背後の伊吹山方面に退却したがるのが人情だが伊勢街道に進むメリットが計算されている所が凄い。敵兵満ちている現地の地形見たら突っ込む勇気は並大抵では無い。現地に行くとドラマだけでは解らない事実が見えますよ。
羨ましい。岐阜は遠くてなかなか行けない。。
死ぬ前に関ヶ原に行かねば…
リアルタイムで祖父と一緒に見た記憶で祖父が大谷吉継が討ち死にした時に(大谷が討ち死にした)と声を出したのが印象にあります。
番組の陣形図は明治政府の陸軍参謀本部が作成したものであり、実際の陣形図は全く異なることが近年の調査で判明しています。
合戦場所も合戦場跡ではなく、それよりも西の山中地区であることが判明しています。毛利の空弁当、家康の問い鉄砲などはすべて創作であることも判明しています。
古戦場には、骨がなかった事が判明していましたから、実際はここではありません
@@マヤ平 さんへ、大規模な遺構調査の結果、戦があったことを示す証拠が発見されなかったのですよね。
吉継公も秀秋の裏切りは予測できただろうが、その対策として置いた4隊(赤座、小川、朽木、脇坂)この4隊が裏切るとはねー
本当だよね…この4人も東軍に内通してたのが…
予測していたので裏切りに備えてあの位置に陣取ったとも
しかも脇坂って七本槍の1人じゃ無かったか
勝てないと悟ったからでは。豊臣家が中立だから、石田三成に殉じる理由もない。
@@missunderstood3333 あくまでこれ豊臣家臣同士の内紛だからな
外国の軍人がこの布陣図を見て西軍の圧勝であると応えたそうな
まあ、実際勝敗を知らない、そして実際に東軍と相対した軍勢を知らなきゃまあ、そうみるよなあ
配置だけでいえば東軍の周り全体に西軍が配置されてるんだから、普通にみたら進軍して真ん中で挟み撃ち出来るから
尚更ね
まぁこの布陣はそもそも小早川勢が裏切る事を前提にして成立してるし、小早川の寝返りがないと東軍が見てれば、そもそもこの布陣図にはならんからな。
たしかドイツの軍人さんでしたっけ?
@@Qremstar 戦は机上の計算だけではない不確実性が多々ある。それをわからないから世界大戦でドイツは二度も負けたんだろうな!
@@Qremstar 思えば明治政府を作り第二次世界大戦を敗北に追いやったのは西軍諸将の末裔たち!この関ヶ原の戦いを世界大戦レベルでやってしまったと言う事でしょうね。
秀吉、葵三代
宍戸錠がいい味だしてるよな。
この大河は極めて史実に忠実な点も魅力の一つだったね。純粋な歴史を知ることができる。
『江』をはじめとした最近の大河は脚色し過ぎ。
あれほどの脚色は自国の歴史に泥を塗っているようなものだと思う。
これも史実に忠実ではないけどな…
脚色なしで大河にしたら視聴者から大ブーイングだろなw
開戦したらいきなり小早川が裏切り挟み撃ちになって大谷が討ち死に
大谷は驚く間もなく退場して
あとは作戦もへったくれもなく戦場から一目散に逃げ出す西軍
しかし逃げた先でつまってしまい、仕方なく島津は前方へ撤退←ここは盛り上がる
あとはひたすら逃げる西軍武将の首をとってくだけ
見せ場は島津くらいしか、、
徳川家康公の覚悟が見える布陣だと思った。
いくら調略済みとは言え何が起きるかは当日まで分からない。
これが天下人の勇敢さなのかな、と。
恐らく小早川は宇喜多を狙っていたのだろう。かなり戦前に対立していたみたいだし。事実大谷、宇喜多の様子を注視している動きがある。
個人的に恨みと言うか憎しみがあったらしい。
秀家は秀吉の養子で秀頼になにかあれば豊臣の家督と関白を譲られる立場だった。
一方の秀秋も秀吉の義理の甥で秀吉の後継者の1人だったが、
秀秋は秀吉に疎まれ謀反の疑いまでかけられる(これを救ったのが家康)。
一方で秀家は秀吉に寵愛されて、
豪姫(前田利家の娘で秀吉の養女)を妻にして岡山に37万石・更に五大老と言う厚遇。
血筋的には秀秋の方が秀吉に近い(秀家は妻が秀吉の養女ってだけで血縁は無い)のに
他人とも言える秀家の方が気に入られてたのが秀秋には気に入らなかったんだろう
俳優のレベルが高すぎる
今の俳優だって演技力あるよ。
単純に貴方が今の俳優を知らないだけでしょ?まぁそりゃ顔分からなきゃ、判断なんかつかないわな?俳優陣のレベル云々言う前に自分の老化を認めろよ
山内一豊の布陣、安全過ぎて草
ちよちよ💓
家康の思惑通りの関ヶ原
幸村の武士の魂の大坂
この布陣図を見ると島津義弘が徳川家康の本陣までよく突破出来たなと思う
そりゃ薩摩隼人だしね。
ただ、戦が終わりかけてたので、他の東軍諸隊は島津軍が中央突破するのを呆然と見ていただけらしい。
井伊直政隊が立ち塞がったが、直政は銃撃されて負傷し(のちにその傷が元で死去)、徳川家康の追撃中止の命令が下されたから生きて帰れたってのもある。
「戌の刻」は、19時~21時… だとすると米を水に浸して15~6時間後に食えという事になる(およそですが)
可惜 天不從人願
毛利家不能團結一心 一致對外 導致戰力無法發揮 不然勝負未可知
宇喜多秀家 真的拼老命打到最後~~~~
關原會戰 堪稱 精典 以多勝少戰
結論: 家和萬事興 倘若 豊臣家內外平順一心 恐怕 德川也沒辦法 見縫插針
やっぱ
家康は
津川さんだなぁ
西田さん秀忠との掛け合いも素晴しかった
吉川広家の陣配置を見てください。 毛利秀元、長宗我部盛親らの進軍路を扼する形で布陣しており、毛利勢や長宗我部勢は味方であるはずの吉川の陣を蹴散らさなければ戦場に到達できなかったのです。
吉川広家は毛利本家を存続させるため密かに家康に内通していたと伝えられ、その功で西軍の総大将であった毛利家は取り潰しを免れたとのこと。 とばっちりを食らったのが長宗我部家であったわけです。
これ見ると、家康のランニングコースとか三成のマイホーム が脳内再生されてまじめに見れないw
何気に藤堂高虎公は合言葉を既に知っているって演出かな?
藤堂さんなら事前に賄賂で知ってたんだろうなあ
細かいとこも注意して作ってるね
ドラマの便宜上、ただ単に端折ったんだと思ってましたが?w
Giantnio Inoba 端折ったならこのシーンカットだろw
端折った意味をしれ
むしろ合言葉って藤堂高虎のやり取りで合ってるんじゃないの?
代表的なのが『山』と聞かれたら『川』と答えるのが合言葉
違う答えが返ってきた時点で「曲者!」となるわけで
福島も黒田も『山に山、財に財』って復唱してるだけでは??ってなった
この時の藤堂高虎は田村亮さんじゃなくない?
この後京極高知がいきなり合言葉使い始めるんだよな…
いぃ解説だぁ~!
くさかんむりはつ思い出した
1:01
「石田三成はここに一軒家を建てた 初めてのマイホームである」
関ヶ原にしろ、幕末にしろ、毛利がカギを握っている。秀吉は毛利を上手く使っています。毛利が幕末のような活躍をすれば。
幕末は関ヶ原の本当の決着ですね。関ヶ原の本戦は半日で終わったけど、実は二百云十年続く、長い長い冷戦の始まりだったのかもしれない。
南宮山の毛利勢3万に対して1万4千しか備えを置いてないんだから動かない前提だよねぇ
南宮山を抑えられてたら逃げ場が無いように見える
こんだけ入り乱れると敵味方の判断すら無理ゲーレベル
今の大河ドラマの、めちゃくちゃ現代語なセリフがどうかこの頃ぐらいに戻りますように
いっぱいいっぱいとか言うからな。受信料をそんな使い方すんなと思うね。
今の若い役者は、わからないのかもしれません。
このドラマもOPで光圀がめちゃめちゃ横文字使ってますけどそれは不問なの?
渋さや男臭さもありましたね。
@@kuwajiro 一応、落語家だし何も知らない若い俳優をナレーションを使うからダメになる
23年前かー
全然古さを感じない
結局、一番長生きしたのは宇喜多秀家か。
確か84歳でしたっけ?
島流しですよね
真田信之はこれにわずかしか登場してないけど92歳まで生きましたね
西軍は関ヶ原での決戦を選択する必要はなかった。
東軍が大垣城周辺の西軍を残して、本気で近江に入るはずがない。
つまり、家康が西軍を誘き出そうとしていることは当時でも明らか。
近江や大阪城と連系を図らずに、さっさと事を進めてしまった三成の戦略ミスだと思うなぁ。
確かに秀忠主力が到着する前に・・・っと思うのはわかるけど。
たぶん関ヶ原にいなかった西軍武将は、「えっ!!もう終わっちゃったの!?」ってなもんでしょう。
omaoru1582 三成はもともと関ヶ原で戦うつもりでしたよ、秀頼と毛利輝元を入場させる城も作ってあったし、
omaoru1582 昔から天下分け目の大会戦は、ココしかない!青野ヶ原なんだか関ヶ原が、お約束となる。
まぁ、高校球児の憧れの甲子園!!みたいな感じ。
最初に来た伝令の方、「大坂城にて承る」のセリフでおなじみの坂口芳貞さんに見えたが、冷静に考えたら、井上正就役の天宮良さんかなと思ったりもする。
駄目じゃ…映像だけでorara氏のミリしらアフレコを思い出す
山岡荘八著『徳川家康』だと、この「生米は水につけて食え」のエピソードは戦の日の夜に出てくる。
天気悪くて火が起こせずご飯が炊けない。でも、生米のまま食べると必ず腹を壊す。だから、水に数時間つけてから兵に食わせるように。
本の中だと、逃亡した石田三成が、途中で生米をそのまま食べて腹を壊す場面も出てくる。
hassysar 戌の刻に食えってんだからそうじゃないとおかしいですよね
実際に関が原を見てきたが、毛利の布陣した南宮山は戦場から離れすぎていた。毛利勢はやる気あったのだろうか、、、それと小早川の布陣した松尾山も宇喜多、福島の陣から3kmくらい離れていた。加えてかなり高い山で関ヶ原全体が見渡せた。日和見する気だったと思った。
毛利は吉川が東軍に内通してたから、例え毛利本隊にやる気があっても前が邪魔で動けなかったかな。
小早川も近年では最初から東軍についていた(開戦速攻で寝返った)って説もあるけどどうなんだろうね。
まあ三成憎しの東軍に対して西軍は大半が成り行きでそうなったから日和見大名は多かっただろう。
史実の関ヶ原の布陣はまったくわかっていないんだよね。後世にまた聞きで書いただけで、かなり適当に配置図を書いている。
なるほどね。色々と言われていますからね。秀忠は遅参でなくあえて遅く着陣したとか、小早川は裏切りではなく最初から東軍で参戦してて、家康の威嚇射撃もなかったとか‥
以前、葵徳川三代の動画で「最近の大河は歴史を無視したファンタジー。この葵徳川三代こそ史実性の高い数少ないドラマだ」なんて言ってる輩がいましたが思わず笑ってしまいましたよ。。。
歴史学は日々進歩します。その精進を忘れないよう心掛けることが大事ですね
@@kuwajiro しょせん、大河ドラマはファンタジーですから、面白くおかしく書かれているもの、真剣に見る方がどうかしている。
一次資料だと布陣含めてほとんどわかってないんだよね
第一関ヶ原古戦場には一度も骨も見つかっていない
西軍は後退しながら関ヶ原に布陣したので万全の体制だったとは言い難い。まずそれが敗因の一つ…
布陣だけみるとなんか西軍勝てそうだけどなあ、囲んでるし
なお裏切られる模様
小早川秀秋の裏切りよってね…
よく考えたらこの布陣図で徳川が突っ込んでくるのおかしすぎるなw
まあ毛利も小早川も寝返ってたとしても徳川方が危なすぎる
実態は城からほうほうのていで逃げ出してたところを関ヶ原で追い付かれて殲滅、ついでに小早川も裏切ったって新説が正しいわな
惜しいかな後世、この戦いで小早川のイメージが裏切り者になってしまった。
朝鮮で先陣切って首級を上げた事も考慮されず、この戦だけで小心者なんて不名誉な呼ばれ方をするはめになるとは。
早世したことで挽回の機会なかったことも不運でした…
日和見で優柔不断、豊臣一族でありながら裏切り者で大谷の怨念で呪い殺されたというイメージが強い。
秀吉の甥にもあたる秀秋が
その後の日本のあり方を決定付けたこの大戦で、合戦中の裏切りによって西軍を負けさせ、ひいては豊臣家滅亡をさせているのだから、裏切り者というのは事実であり何も不当では無い。
生米は決して食うな 水に浸しておいて戌の刻に食えの意味が分かる人はいますか?
ゴンベー あまり消化しないからでは?
戌の刻以降、亥の刻あたりに動くということではないでしょうか?
食事の時間を指定しているように見せて、行動を起こす時間を伝えているのだと思います。
米を水に浸して食べるのは、シンプルに、できるだけ早くエネルギーにするためだと思います。
島津義弘が夜襲を提案し宇喜多秀家が賛同するも石田三成が反対したためこの時点で島津軍は戦意喪失し毛利勢も全く動かずこのためこのため石田・大谷・宇喜多軍以外はやる気を無くしていた。
大坂城、伏見城を確保して大津城も時間の問題、大垣城に駐留する西軍がなぜ野戦に引き釣り出されたか疑問だったけど、兵站に不安があるのはむしろ西軍だった。野戦による短期決戦はむしろ西軍の望むところだった。双方勝てると思った時に大戦になる。
関ヶ原の戦い
石田三成軍
小早川の前後数人は
裏切ることにたるもは・・・
そもそも毛利勢が山に篭ってるから大垣城から石田三成とかが退去したんじゃなかったっけ。
石田三成の布陣見ると毛利勢を警戒してると言うか信用していないようにも見える。
もしも信康生きていたら家康では無く信康が総大将ですかね?
豊臣秀吉に成人の男子が居れば又違った歴史になっていたと思う。
そして織田信長の長男信忠が本能寺で死なず生きていれば又歴史が変わっていたと思う。
ざいぎにちわく 前田利家や秀長が生きてたら、秀次殺したのもなぁ
晩年の秀吉ほんとポンコツ。秀次殺さずに秀頼が大きくなるまで陣代として家督継がせれば良かったのに。信玄亡き後の勝頼みたいに
@@ほっしゃー-j5i
なお武田家
今須山 名神高速道路の今須トンネルが貫通してます
0:11 完全に「アホな人」の顔してて草
戦国時代の戦。
方陣を組み、戦うようですが。
行軍体形から鶴翼に。
あるいは。
野営から鶴翼に。
鶴翼以外にもあるのですか?
詳しい方よろしくお願いします。
練度の差によって戦いの様相はどう変わるのですか?
例えば一週間訓練した兵と、一月訓練した兵とでは。
小学校の運動会と同じで。
最初はバラバラでも。
しばらく練習すれば。
という事ですか?
鶴翼に陣を構えるにしても、
素早く出来れは、
相手が◯◯していれは、そのまま押し切れるのですか。
詳しい方よろしくお願いします。
まあ鶴翼に構えている最中に、相手が向かつてくれば。
受けるのは?
大阪冬の陣では西軍はどのくらいのな訓練時間があったのですか。
果たしてそれで戦え---?
まさかそれで籠城するしか。
夏の陣ではそれなりに。
まさか。
詳しい方よろしくお願いします。
武田と小笠原。
武田と上杉。
その差では。
まさか。
陣を構える早さが戦闘にどう影響するのか?
詳しい方よろしくお願いします。
i wonder did he planned that Oda assassination back then
戦国時代の戦は調略で始まる前からある程度帰趨が決まってる事が多かったそうだ。これはその集大成かもしれない
関ヶ原の戦いに出てた武士達の末裔が今の日本で活躍してるんだもんな。
この頃は実力のみが全てだもんな。
言い出したらキリないけど西軍に勝って欲しかった
毛利輝元が出てきてれば結果が違ったな。
たらればなのは承知の上で、毛利と小早川が西軍として動いていれば、歴史は大きく変わっていたんだろうな。
一話12話年末に三回も同じとこやってたもんな
お金掛かってるからね…😅
わっかりやす~い
信康の命日だったんだね…。
徳川家康といえば津川さんしかいないな🤔👍‼️
迫力が違いすぎて、悪役にピタッりかな?
南宮山への備えが薄すぎる。宰相の空弁当と吉川広家だけが裏切ったことになっているが、毛利一族が根こそぎ裏切っていたのではないかな。
ユキムラ ミツナリ ノブヤス
イエヤス ヨシツグ ヒデアキ
ユキナガ ナガマサ タカトラ
マサノリ タダイエ ナオマサ
タダカツ モトナリ
蟹江敬三さんの福島正則が似合い過ぎんか
この布陣図自体がフィクションだったというオチ。昔はみんな信じてたけどね。
光成大将なのにたったの6,000しかいなかったんや。宇喜多15,000もおるのに
大将じゃないよ
閲兵とか理由をつけて一瞬でも秀頼が西軍側にいたら結果は違ってたんだろうなぁ
関ヶ原の戦いが豊臣の内紛なんて言うように東軍方の武将も秀頼に刃を向けてるつもりはなかったわけで.....
秀頼の出馬は淀が許さなかった
無理やり連れ出せばそれこそ難癖つけられて東軍に西軍討伐の口実を与えてしまう
ただ豊臣の旗を山に立てるぐらいの工作は可能だったと思う
そうすれば福島や加藤は秀頼が出馬したと思って西軍に寝返ったかもしれない
歴史にifはないけど
野戦に優れた家康を考慮したら
三成は
わかってたんかなぁ
豊臣の命運を😢
宇喜多と毛利の配置が逆ならどうなってただろ
家康は城攻めが苦手でした。
西軍が大垣城を出たからとくいの野戦で勝負できるのです。
遠方から来た東軍は長引くと糧秣が不足して苦戦する。
城攻めに強そうなのが本多正信親子と家康かな。その他は野戦武将って感じだしね。謀将に乏しかったから、本多親子は貴重だっただろう。
これどうやったら西軍勝てたんだろ。
丹後勢と伊勢勢が合流しても数日後に信濃から本隊着くわけでしょ、加賀の前田も分からないし。
やっぱり小早川なんかより大坂の輝元が悪いのかなー
近くの山に豊臣の旗を立てれば
ワンチャン可能性は有った
敵は鶴翼の陣か!!!!
西軍が鶴翼の陣、東軍が魚鱗の陣形だね…徳川は三方ヶ原の戦いで学んで関ヶ原の戦いでは魚鱗の陣を組んだから
なんで本多忠勝隊は500人しかいないの(3:47)。これでは戦力にならない。家康に過ぎたるものじゃなかったのか
本多忠勝の仕事は軍監(敵軍の監視)であって、戦況を家康に伝えて、自分の意見を言うものだったと言われています。戦場に出向き、それを伝えるために帰還するには大軍で動くよりは少人数の方がいいでしょう。多ければいいってもんじゃないし、500人という人数は役職に合わせて作られてるものですので戦力重視ではないです。少ない=デメリットという考えがそもそも間違ってます。
最初から戦闘要員じゃなかったんだよ、徳川譜代は。
前線で戦わせてたら兵力が損耗し、譜代の国力が減っちゃうしね。あくまで豊臣家の武将の国力を削るのが目的。
井伊直政は福島を出し抜いて一番槍を付けさせ、徳川家が最初に槍を交えたという既成事実を作るために前線にいた。
本多忠勝「500人も居れば充分だわ」
そりゃ仕方ないわ。戦目付の仕事(監督)だし。本気なら4500位動員できるよ。あの御仁の石高ならな
この伝令の人、写ルンですのCMにも出てなかった?
じたばたするなよ!聖飢魔IIが来るぜ!久々!
ってやつ
この映画はまだ見ていないが、日本の歴史は、見たものはいなく、すべて小説家の想像や歴史学者の憶測でしかなく、
昨今の大河ドラマは語るも哀れな物が多すぎます。ただ単にドラマとして、時間つぶしに楽しむだけですねぇ!
扇橋正仁
そうですか。
しょうがないね
見た人はいないし、信憑性ある記述も限られるしね
でも、そんな推測の仕方もあるんやな!って考えながら見るのも楽しいで(^^)
小説ってのはフィクションですよ。だから大河ドラマもフィクションです。哀れとかそういう問題ではありませんよ。
この布陣だけ見ると西軍が負けるとは到底思えんな。
それだけに毛利・小早川の裏切りは痛すぎた。
このドラマ見てないけど
飯炊きの煙から出陣を悟られず移動できるように、との配慮では?
戦当日の朝は、雨が降っていて
火を興して飯が炊けないからと
台詞では出てきます。
史実ではどうなのか?不明ですけど。