#お墓から見たニッポン

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  • Опубликовано: 28 дек 2024
  • 【twitter】 / tvohistoryclub
    徳川家康がその死を最も悲嘆したという【大谷吉継】(1565-1600)。豊臣秀吉に仕えていた吉継は、秀吉の死後に豊臣家で巻き起こった数々の問題に家康と連携し対処していく。家康と吉継の信頼関係は絶大だった。そして1600年、吉継は家康に従い上杉討伐に向かうが、その途中で三成の佐和山城に立ち寄つた。そこで、三成から「家康の討伐計画」を打ち明けられる。吉継は猛反対するが、9日間悩み抜いた末にある決断をする。「三成との友情を重んじ、負けるとわかっていた関ヶ原の戦いに挑んだ義に厚い武将」として今も人気だが、果たして友情だけで三成に組したのだろうか?空白の9日間、吉継は何を考え、覚悟して決断したのだろうか…⁉

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