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柳井から田布施まで学校に通うのに柳井駅使ってます。今は自動改札機あってセブンは無くなりました。自販機の数も減ってしまいました。
ふるい駅舎の時、個の駅から上京しました。その後社会人になってもよく利用したし、孫と一緒に帰省した時、駅舎の大きな金魚チョウチンのしたで写真を撮ったな。
5番線ホームの供用開始は昭和43年10月改正以降になります。
線路使用開始が昭和43年で、ホーム使用開始は昭和47年3月改正からになります。
柳井市は以前から知っていましたが、柳井市にも興味が出てきました。柳井市の中心駅であり立派な駅ですね。
この駅は確か、かつてクハ86とモハ80のトップナンバーが、留置されていたところでしたか。
田舎が柳井なのでここはよく行ってました幼い頃帰省した時はあさかぜやはやぶさ 富士見たさに早起きしたこともありました最近下関側にも跨線橋が建設されているのは全く知りませんでした
昔は、柳井機関区があったそうです。現、岩徳線に代わって山陽本線になったけど、(元は、柳井線?)新幹線のルートから外れてしまいましたね・・・
かつて「富士」が補給のために運転停車をしていた駅、小学生の頃に見ず知らずの彼方の地の夜更けを想わせた駅…という事で下車してみた事があります。2005年頃でしたが、もっと以前には大規模な駅だった事を伺わせてくれる雰囲気でした。
2:22 山陽本線は電化されていて柳井には岩徳線の乗り入れもないのになぜキハ40がいるのですかね??営業列車じゃないのかな?
岩徳線のラッシュ時間に合わせて、山口鉄道部から回送しているのかもしれない。
これは、芸備線用の車輌です。岩徳線用は徳山まで、別の回送列車が設定されています。
柳井駅のホーム接近メロディーには10年程前は首都圏で使用されているせせらぎが1番線で春が4番線で流れていました、又下り普通列車の一部は3番線で4番線を通過する高速コンテナ貨物列車の待避を行っています。
あさかぜの乗車位置案内残ってないのかな....
かつては、寝台列車が停車していた駅でしょう。ラッチが多いのは、その名残かもしれないでしょう。
ちなみに、はじめはこのルートが山陽本線で、1934年に現在の岩徳線が開業するとそちらが「山陽本線」を名乗り、このルートは柳井線として優等列車の多くが持ってかれたそうです。しかし、1944年に山陽本線を複線化することになった際、岩徳線ルートは起伏の激しさと3kmを超える(当時としては)長大トンネルを抱えることから柳井線が複線化されることが決まり、再び「山陽本線」を名乗ることとなったという逸話があります。しかも、柳井線を複線化させるために必要となったレールは、丹那トンネル開通後も複線だった御殿場線を単線にし、そのレールを流用したというのだから、いかに当時が鉄不足だったのかが分かりますね。
柳井駅…幾度となく通ったけれど乗降する機会は未だ得ていませんorz。出番は減ったモノの3番線・5番線は今も時折通過列車待避で普通列車が発着することがあります。山陽新幹線開業前、乗っていた上り普通列車(80系初代湘南型6連)が3番線に停まり2番線には上り貨物列車、そして1番線には475系急行(確か広島行[はやとも])がやってきました。当初予定では乗り換える手筈でしたが、デッキまで立ち客がいる様子を見て乗り換えは諦めそのまま普通列車で岩国へ(そこで芸備線直通の気動車列車=広島までは普通列車で広島からは急行[ちどり]=に乗り換えました。キロ28も繋いだキハ58系5連の前にキハ20系が3両位=広島で切り離し=繋がっていました)。入換信号機は今もある柳井始発・柳井終着列車の転線に機能しているのでしょうね。撤去されたのは貨物側線だけではありません。その昔はここに柳井機関区がありD52が屯していました。然し電化後は此処に機関区を置く必然性=蒸機と違い電機はロングラン運用が可能=も無くなりました。山陽新幹線開業前はこの駅の名物駅弁として[ドライカレー弁当]なるモノが売られていましたが新幹線開業に伴い昼行優等列車が壊滅したのを機に販売を止めた由(まだ夜行寝台特急の発着は数往復残っていたのですが…)。それでも[はやぶさ・富士]が残っていた頃には朝の下り列車の乗客向けに細々と特製弁当が販売されていたのですが、同列車の廃止に伴い運命を共にしたとのことです。
一時期、岩徳線が山陽本線に組み込まれて、柳井経由は柳井線と呼ばれていた時期があったそうです。そのためか山陽本線や山陽新幹線を利用する際の運賃計算は岩徳線で算出するようになりましたね。地方交通線経由なので割高になるんですよね。柳井経由で計算するとどうなるんでしょうね。
5番線ホーム、「白線」が現役ですね。こんな大きな駅で、点字ブロック未設置ホームが現役とは驚きです。重厚なラッチ、改札鋏を持ち制服制帽と白手袋に身を固めた駅員さんに立ってほしいですねぇ。
新しい跨線橋が使用開始されました古い跨線橋は封鎖され入れません。古いレールが使われてボロボロだけど趣があった旧跨線橋の内部が見れなくなるのは惜しいです。
キオスクが少なくって、コンビニに変更されたり廃止された駅が、多いみたいですね。三池炭鉱があった福岡県大牟田市の大牟田駅や隣の荒尾駅(熊本県)も、炭鉱からの引き込み線があって、石炭を積んだ貨車が出入りしてましたけど、現在は貨物自体の取り扱いを止めてしまって、錆び付いたレールが残ってるだけです。
柳井氏ではなくて、柳井市ですね。
ユニクロの柳井氏
やないやないか
こういう施設にまだまだ恵まれている駅は、レトロ化改装をしてラッチで駅員さんがパチパチと切符に入鋏してみせると風情が出るのになあ…と思いました。勿論合理化は大切ですが、地域の特性に合わせた投資も必要だと思うんですよね…🤔
柳井から田布施まで学校に通うのに柳井駅使ってます。今は自動改札機あってセブンは無くなりました。自販機の数も減ってしまいました。
ふるい駅舎の時、個の駅から上京しました。その後社会人になってもよく利用したし、孫と一緒に帰省した時、駅舎の大きな金魚チョウチンのしたで写真を撮ったな。
5番線ホームの供用開始は昭和43年10月改正以降になります。
線路使用開始が昭和43年で、ホーム使用開始は昭和47年3月改正からになります。
柳井市は以前から知っていましたが、柳井市にも興味が出てきました。柳井市の中心駅であり立派な駅ですね。
この駅は確か、かつてクハ86とモハ80のトップナンバーが、留置されていたところでしたか。
田舎が柳井なのでここはよく行ってました
幼い頃帰省した時はあさかぜやはやぶさ 富士見たさに早起きしたこともありました
最近下関側にも跨線橋が建設されているのは全く知りませんでした
昔は、柳井機関区があったそうです。現、岩徳線に代わって山陽本線になったけど、(元は、柳井線?)
新幹線のルートから外れてしまいましたね・・・
かつて「富士」が補給のために運転停車をしていた駅、小学生の頃に見ず知らずの彼方の地の夜更けを想わせた駅
…という事で下車してみた事があります。
2005年頃でしたが、もっと以前には大規模な駅だった事を伺わせてくれる雰囲気でした。
2:22 山陽本線は電化されていて柳井には岩徳線の乗り入れもないのになぜキハ40がいるのですかね??
営業列車じゃないのかな?
岩徳線のラッシュ時間に合わせて、山口鉄道部から回送しているのかもしれない。
これは、芸備線用の車輌です。岩徳線用は徳山まで、別の回送列車が設定されています。
柳井駅のホーム接近メロディーには10年程前は首都圏で使用されているせせらぎが1番線で春が4番線で流れていました、又下り普通列車の一部は3番線で4番線を通過する高速コンテナ貨物列車の待避を行っています。
あさかぜの乗車位置案内残ってないのかな....
かつては、寝台列車が停車していた駅でしょう。ラッチが多いのは、その名残かもしれないでしょう。
ちなみに、はじめはこのルートが山陽本線で、1934年に現在の岩徳線が開業するとそちらが「山陽本線」を名乗り、このルートは柳井線として優等列車の多くが持ってかれたそうです。しかし、1944年に山陽本線を複線化することになった際、岩徳線ルートは起伏の激しさと3kmを超える(当時としては)長大トンネルを抱えることから柳井線が複線化されることが決まり、再び「山陽本線」を名乗ることとなったという逸話があります。
しかも、柳井線を複線化させるために必要となったレールは、丹那トンネル開通後も複線だった御殿場線を単線にし、そのレールを流用したというのだから、いかに当時が鉄不足だったのかが分かりますね。
柳井駅…幾度となく通ったけれど乗降する機会は未だ得ていませんorz。出番は減ったモノの3番線・5番線は今も時折通過列車待避で普通列車が発着することがあります。山陽新幹線開業前、乗っていた上り普通列車(80系初代湘南型6連)が3番線に停まり2番線には上り貨物列車、そして1番線には475系急行(確か広島行[はやとも])がやってきました。当初予定では乗り換える手筈でしたが、デッキまで立ち客がいる様子を見て乗り換えは諦めそのまま普通列車で岩国へ(そこで芸備線直通の気動車列車=広島までは普通列車で広島からは急行[ちどり]=に乗り換えました。キロ28も繋いだキハ58系5連の前にキハ20系が3両位=広島で切り離し=繋がっていました)。
入換信号機は今もある柳井始発・柳井終着列車の転線に機能しているのでしょうね。
撤去されたのは貨物側線だけではありません。その昔はここに柳井機関区がありD52が屯していました。然し電化後は此処に機関区を置く必然性=蒸機と違い電機はロングラン運用が可能=も無くなりました。
山陽新幹線開業前はこの駅の名物駅弁として[ドライカレー弁当]なるモノが売られていましたが新幹線開業に伴い昼行優等列車が壊滅したのを機に販売を止めた由(まだ夜行寝台特急の発着は数往復残っていたのですが…)。それでも[はやぶさ・富士]が残っていた頃には朝の下り列車の乗客向けに細々と特製弁当が販売されていたのですが、同列車の廃止に伴い運命を共にしたとのことです。
一時期、岩徳線が山陽本線に組み込まれて、柳井経由は柳井線と
呼ばれていた時期があったそうです。そのためか山陽本線や山陽新幹線を
利用する際の運賃計算は岩徳線で算出するようになりましたね。
地方交通線経由なので割高になるんですよね。柳井経由で計算するとどうなるんでしょうね。
5番線ホーム、「白線」が現役ですね。こんな大きな駅で、点字ブロック未設置ホームが現役とは驚きです。
重厚なラッチ、改札鋏を持ち制服制帽と白手袋に身を固めた駅員さんに立ってほしいですねぇ。
新しい跨線橋が使用開始されました
古い跨線橋は封鎖され入れません。
古いレールが使われてボロボロだけど趣があった旧跨線橋の内部が見れなくなるのは惜しいです。
キオスクが少なくって、コンビニに変更されたり廃止された駅が、多いみたいですね。
三池炭鉱があった福岡県大牟田市の大牟田駅や隣の荒尾駅(熊本県)も、炭鉱からの引き込み線があって、石炭を積んだ貨車が出入りしてましたけど、現在は貨物自体の取り扱いを止めてしまって、錆び付いたレールが残ってるだけです。
柳井氏ではなくて、柳井市ですね。
ユニクロの柳井氏
やないやないか
こういう施設にまだまだ恵まれている駅は、レトロ化改装をしてラッチで駅員さんがパチパチと切符に入鋏してみせると風情が出るのになあ…と思いました。
勿論合理化は大切ですが、地域の特性に合わせた投資も必要だと思うんですよね…🤔