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余計なBGMもナレーションも無く字幕もシンプルな、とても美しい動画だと思います。UPありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。他のチャンネルを見ても、こだわりだったり、美しく撮影していたり、昭和時代でも鮮明な動画があったりで本当に列車が好きな人が多く嬉しく思っています♪太郎三毛猫チャンネルも試行錯誤しながら少しでも見やすいもの、少しでも鉄道に対する思いを共有できたらと思っています☺️こちらこそ、ありがとうございます。励みになります!
白鳥に初めて乗車したのが高校生の夏休み。青森から大阪まで乗り通しました。車内販売のサンドイッチと駅弁を買って車窓を見ながら食べたのはいい思い出です。
ご視聴、コメントありがとうございます。私も白鳥は高校時代が初めてでした。郵便局バイト代を使ったので、全区間は乗れませんでしたが、いつかは全区間乗りたいと思いました。今では移動時間が1時間~2時間位の特急が主流となり少し寂しく感じます😖
@@太郎三毛猫 長い距離の移動はほぼ新幹線や航空機にとってかわられた印象が強いですね
十津川警部「特急白鳥14時間」を読んだのは、15年前の中学校の図書室でした。超長距離・長時間の昼行特急というだけで、ロマンの塊でした。何度読み返したことか・・・2020年になって実物の動画を拝めるなんて感激です。ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。自分の思い出用に撮影したものを共有できて本当に嬉しいです、こちらこそありがとうございます。☺️
新潟駅の発車が自分が乗っていた189系特急みのり6両とほぼ同時だったため,しばらく併走したことがありました。白鳥の方が若干早く発車していたため,走行中の最後部を見られるかと期待したのですが,次第にみのりの方がスピードアップしていき,最前部のヘッドマークを拝むことができました。
当時、昼行特急として国内最長距離を走っていたのは驚きでしたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。白鳥の廃止間際に乗ったとき、大阪駅からはファンも大勢乗っていましたが新潟くらいでかなりいなくなってました(^_^;)ファンですら全区間乗った人は少なかったので一般客となると…日本海縦貫特急白鳥たしかに驚きでした😃
東海道山陽新幹線が博多開業するまで、昼行の特急列車として在来線や新幹線を含めて、日本の最長距離の特急列車でした。
@@太郎三毛猫 20年以上前に白鳥を完乗した時に一般客っぽい人が京都から羽後本荘まで乗ってるのを見たことがあります
それから続々と姿を消してしまったJR特急、寝台特急列車。
中学時代この特急白鳥が教室の窓から見えると『昼飯が近いな』と思ったりしてたなぁ。1回くらい通しで乗りたかった電車のひとつです。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃わかります、その心境(^.^)通る列車が時計代わりでした☺️臨時列車が通る日なんかは校舎から悔しい思い半分で見ていました。職場もジョイント音が聞こえる場所なので音で時間を確認したりしています(^_^;)
遠い昔、食堂車が連結されていた時代に、北海道ワイド周遊券の途中経路で、真冬の2月に大阪から青森まで『白鳥』を完乗、雪で二時間以上遅れて青森着。懐かしい記憶です。
ご視聴、コメントありがとうございます。富山県と新潟県の境界あたりも豪雪地域ですよね。二時間遅れで行程に影響はございませんでしたか??食堂車、ごはんたべてみたかったなあ😖
スマホも無い時代に12時間以上も車内にどのように過ごしていたのだろうね😅。
おしゃべりや弁当食べながら景色見る。スマホ見てると景色見れないからな
私の鉄道好きが始まった頃の一番大好きだった特急です。勿論、12両編成で食堂車もありました。愛称マークは無地で「白鳥」の二文字が輝いていました。ディーゼルの頃、2編成が合体して走っていましたので食堂車が2両も付いていました。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️食堂車時代を見てみたかったなぁ。すでに晩年の白鳥しか知らないので、昔の黄金期を羨ましく思います(^.^)寝台列車が復活してくれたらなぁ。高級クルージング列車が走れるなら寝台列車も可能な気はします(^_^;)
青函連絡船から下船して、青森駅ホームへ向かうと、白鳥、はつかり、みちのくと3特急列車が出迎えていました。実に壮観でした。自分の特急初乗車は「信越白鳥」でした。お世話になった列車です。
ご視聴、コメントありがとうございます。豪華ですね!☺️そんな時代もあったのですね😃本当に北海道が遠い地なんだなぁてしみじみ思います🤔いいなぁ想像しただけで胸が熱くなります‼️
今から30年以上前、内地の大学に進学して、帰省の時、急がないかぎり国鉄を利用していましたが、特に函館から青函の深夜便に乗船して青森駅で下船し、ホームへ向かう跨線橋から見える三特急そろい踏みは圧巻でした。
はじめまして。こんにちは。特急、白鳥号、大好きな列車でした。全区間乗りはできませんでしたが、糸魚川から青森まで乗車したことがあります。その後、はまなすで青森→札幌、その後、札幌→旭川と。あの頃は若かったなぁと思います。長距離列車の旅、またしたいですね。動画公開、ありがとうございました😊
私は高1にして、学校の夏休みに大阪→青森まで当時の特急白鳥を乗り通した上で、青函連絡船の深夜便で函館に渡ってから、特急北斗に乗り継いで札幌まで帰った記憶が今でも鮮明に残っています。かなり懐かしいです。
ご視聴、コメントありがとうございます。スゴイですね☺️果てしない長旅羨ましく思います!時刻表で行程を立案し、学割申請から切符を買う。それだけでもワクワクしたものです☺️夢のような列車旅ですね(^.^)
あの当時は、確か昭和60年の夏だった記憶があります。あの当時はまだ国鉄で青函トンネルもなかったし、あの頃の鉄道旅行が一番ムード満点で良かったでした。あれくらい長いロングランの在来線をまた復活させてほしいです。
鉄道唱歌のチャイムが趣深いですね…僕の中の「特急列車」のイメージはやっぱりこのクリーム色の国鉄車です。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね!長年に渡り日本の特急はこのデザインでした😃いい思い出です(^.^)
酒田出身なので白鳥は懐かしすぎます。さすがに青森ー大阪は無かったですが、高校生のとき酒田ー敦賀を白鳥で往復したことがあり、その時はほぼ一日中乗りっぱなしだったのを覚えてます。
ご視聴、コメントありがとうございます。敦賀まで乗り換え無しもスゴイ話ですよね!やはり白鳥の移動距離は壮大でした😃
飛行機なら1時間半くらいで着いちゃうんだな。その差11時間。よほど鉄道好きじゃないと最後まで乗れないだろうな。
ご視聴、コメントありがとうございます。航空機が特別な乗り物だった昭和なら長距離在来線特急も移動手段としての役割発揮したと思いますが昭和の終わりから平成では、移動手段としての役割は終了していました(^_^;)今となっては飛行機がこんな手軽な価格になるとは思わなかったなぁ
この頃に戻りたい。
ご視聴、コメントありがとうございます。そうですね!😃戻りたいです☺️新幹線から夜行列車まで色々選択肢がありました(^.^)
僕はこの頃に生きていたかったです
懐かしいです。20年前くらいに特急白鳥で金沢から青森まで行き、急行はまなすに乗り換え札幌に着き、札幌から特急オホーツクに乗り網走に行ったことあります。金沢からでも約10時間位乗ってました。お尻が痛くなったのを覚えています。
ご視聴、コメントありがとうございます。たしかに、特急白鳥と急行はまなす接続できますよね。私は水郡線、常磐線沿線なので東北本線、花輪線、奥羽本線を乗り継ぎ到着した夜の青森駅では白鳥、はまなすの写真をよく撮影しました。金沢からですと、本当に遠路となりますね。鉄道の旅は体が痛くなる苦行を乗り越えるのも醍醐味だったりします☺️
白鳥がなくなった後、新潟~青森は特急いなほになったけど、それでも在来線昼行特急の最長距離だったので、白鳥が相当長いのがわかります。
俺も京都駅でサンダーバードがまだ金沢止まりになる前の富山、魚津まで乗り入れていた時に見た事ありましたね。トワイライトエクスプレスが札幌までの走行距離が最長に対して白鳥は日中の走行距離が最長でしたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。在来線特急には遥か遠い町に行くワクワク感が本当にありましたね。旅情もありましたね。新幹線で時間短縮、在来線よりは雪にも強いなど便利にはなりましたが…とは言え旅情だけでは収益の問題が解決しないのもあり、時代の流れには逆らえないですね(^_^;)
白鳥廃止の前日に乗りました。グリーン車しか席が取れませんでしたが、ほとんどの人が通しでした。富山くらいで自由席に試しに行ったらガラガラで海岸眺めながら何時間かくつろいだのが思い出です。乗って良かったです。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃グリーン車いいですね!485のグリーン車は乗ったこと無いので一度は乗っておきたかったなぁ。前日となれば、貴重な長距離特急を通して乗りたい人もいそうですね☺️様々な想いを乗せた特急だったんだなぁと、コメントを通して知りました。愛されていましたね☺️
ひばり号が大好きだったけど白鳥は昼の長距離列車では憧れた存在でした。
飛行機や高速道路、新幹線が整備された今、こうした長期を走る在来線特急は少なくなりましたね。品川~仙台のひたちが復活してくれたことが救いです…MT54サウンドも旅に彩りを添えてます。
ご視聴、コメントありがとうございます。飛行機、高速道路に負けてしまいましま😖民営化直後のように意欲的に鉄道事業も取り組んでほしいなぁ。人が来ないから止めますばかりでは、寂しく思います。ただのボヤキになってしまいましたね(^_^;)
新潟駅で先頭が入れ替わるんですよね。で、真夜中2時ごろに青森着!青函連絡船で明け方に函館着。そこから特急で札幌へ。ほぼ丸一日かかりしんどかった覚えがあります。これとは別に新大阪から東京まで新幹線、山手線で上野乗り換えの東北本線の特急でも青函連絡船経由で札幌に行った事があります。結果、新幹線で東京経由より白鳥の方が乗り換えない分、楽だったような覚えがあります。大阪から札幌着で見たら、時間的にはあまり大差がなかった記憶があります。今は無い寝台特急でも白鳥と同じルートで札幌に行った事があります。寝台は格段に楽でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですね!たしかに乗り換えがない方が圧倒的に楽なんですよね。とは言っても若い頃は様々な列車に乗りたくて乗り換えを好んだこともありました(^_^;)かつては東京駅と上野駅で離れていると通勤電車に乗らないとならず、ちょい面倒でしたね。日本海縦貫の寝台列車、やはり需要ありそうだけどなぁ。航空機では不可能な夜に出発し翌朝に北海道。しかも空港とは違い、街の中心の駅に到着は便利ですよね☺️
いいよね~電車長旅の風情、寅さんもこういう情緒の中いたんだね、こういうことも過去のものとなるのかしかし果して何でもすぐ着くのがいいことなのかどうなのか・・
ご視聴、コメントありがとうございます。寅さんが、今の新幹線で旅をしていたら映画の雰囲気が台無しですね(^_^;)やはり国鉄車両だから絵になりました☺️風情や旅情も減ってはきましたが今残されたものを楽しみたいですね🎵
時間はかかるけど、大阪と青森が結ばれている感じは強かったなあ。あと、日本海も廃止され、JR各社をまたいでの運行がほとんどされなくなってきたのは、鉄道から旅情が無くなりつつあり、本当に残念です。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね!青森から大阪が繋がっていた感じがしましたよね。国鉄民営化時に各社分割しても列車は途切れませんよと約束していた気もしますが(^_^;)日本海縦貫も寝台列車は需要ありそうだけどなぁ。
トワイライトエクスプレスの他にも、12時間もかかる「昼行」の列車もあったとは。いずれも乗り損ねましたが、貴重な映像、ありがとうございます。
最晩年の白鳥は、上りと下りで北陸線内の停車駅が違ったんですよね…下りの停車駅が雷鳥よりやや少なかったのに対し、上りは時間帯の関係もあって、雷鳥の中でも停車駅が多いタイプのものになっていました。
コメントありがとうございます。そうだったのですか??☺️知らなかったので貴重な情報ありがとうございます。(^.^)動画をきっかけに様々とご教授いただき本当にありがたいです!😃近々、また別なテーマですが、新作を考えていますので宜しくお願い致します♪
白鳥(大阪~青森)乗車経験の方より「スリッパ」重宝のコメントを覚えており、現在外国除く日本でこのような経験できる事がない中!この動画は興味あります。
1995年2月に一度、富山→京都で乗りました。その時たまたま来たのが白鳥だったのです。サンダーバード、雷鳥全盛期に白鳥に乗車できてのはラッキー!今は新幹線以外の特急はぶつ切り運行で面白くないですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。私も同じ思いがあります(^_^;)今となっては移動時間が一時間から二時間が主流となり、時刻表を眺めていても寂しくなったなぁなんて思っています(^_^;)常磐線の仙台直通特急の復活は嬉しかったなぁ☺️
西に運用移管後の白鳥は11両編成で運転される時も多かったですよね。雷鳥の11両運転はほとんど無かったのに。やっぱり白鳥は特別だったんでしょうね。
ご視聴、コメントありがとうございます。晩年の白鳥しか見たことありませんが、やはり長距離列車の風格はありました!全盛期だったら、どんなにすごかったのか…見てみたかったなぁ
大阪-金沢・富山、金沢・富山-新潟、新潟-秋田、青森って直通するだけで完全走破する人は少なくても途中駅間なら今でも需要そこそこありそうだけど、新幹線できて3セクになってしまったし、定時運行の効率が求められてる現在に復活は確実に無理だろうけどロマンあるなぁ、季節運行でいいから復活してくれないかな…
気動車時代の白鳥に直江津まで乗ったことがあります。大阪で乗り遅れてしまって、慌てて新幹線に乗り換えて米原で追いついて乗りれたので、記憶に絵鮮明に残っています。
ご視聴、コメントありがとうございます。もはやサスペンスドラマのような列車の乗り継ぎ。今ではこのようなドラマも製作困難になってしまいました😖無事に追い付けて良かったです!😃
すごい!。上野発の列車を併結していた時代でしょか。日本海縦貫線が電化前ですね、最後は羽越本線が電化になって特急いなほも白鳥も電車化されたと思います。小さい頃大宮駅でボンネット型のいなほを見ましたが、すぐ電車になりました。車両はくろしおに転出と思います。電化後は特急白鳥485系-1500番台。後に特急いしかりに使用されたが北海道の寒さに耐え切れず運休連発。
懐かしく、拝見させて頂きました40年、ぐらい前になりますか 北海道に行くのに、何度か乗車しました。青森から0時発の青函連絡船に乗り 函館から北斗に乗り札幌着 9時頃だったように。また、青森と函館の 寒さの違いに、驚いたこと 思い出します。帰りは、青森から日本海で帰りましたが、一度だけ、白鳥で、帰っりました。
ご視聴、コメントありがとうございます。青森から札幌もかなりの所要時間がかかっていて、まだまだ北海道は気軽に行ける場所ではなかったんだなぁと想像してしまいます!今も日本海縦貫列車が走っていたらなぁ。また乗継ながら列車の旅がしたくなりますね☺️
丁度この頃に、新大阪→青森まで、グリーン車で走破しました。青森到着は、雪の為に若干遅れましたが、札幌行き「はまなす」は接続を取ってくれました。一本の列車の中で、朝食、昼食、夜食を食べたのはこの時だけだと思います。僕が乗ったのは、正月でしたので、帰省の方が多かったと思います。懐かしい動画、ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですね!もはや滞在ですね☺️急行はまなすに接続する便利な特急でしたね(^.^)
富山や金沢など北陸の地名が並ぶ中に燦然と輝く青森の文字と特急白鳥の愛称、電光掲示板を見るだけで旅の楽しみが一気に膨らんできますね。
ご視聴、コメントありがとうございます。そうでしたね。関西で青森行きって案内は驚きです!
このような列車が21世紀まで残っていたなんて驚き
ご視聴、コメントありがとうございます。時刻表に載っているページでも存在感があってワクワクしました☺️
特急白鳥はゴウサントウダイヤ改正までグリーン車2両の独自の編成でした。食堂車も連結していましたが、ロクマルサンダイヤ改正の前に早いうちから食堂車が外されていたり、57年11月ダイヤ改正後には長距離特急にもかかわらずグリーン車が欠ける日もあるなど大阪口では特急雷鳥以下の時もありました。このとき既に長距離特急の威厳は見る影もなくなっています。ただ単に雷鳥といなほを足したような存在になっていました。
懐かしいです。大阪から鶴岡まで小学生の時に一人で乗りました。今は列車で行くことも無くなりました。もし復活したら是非また乗ってみたいです。
ご視聴、コメントありがとう😃ものすごい一人旅ですね!ひたすら流れる景色に小学生であっても男心がくすぐられますね(^.^)今の時代だとなかなか小学生単独ではたとえ鉄道だとしても移動は難しいですよね😖
@@太郎三毛猫 1回目はたぶん妹と一緒に行ったのかな?忘れましたが今では考えられないです(笑)2回目は中学生の時だったかな?この時の帰り日本海で初めて1人ブルートレインでした。今はこんな列車の旅が出来なくなり寂しいですね。
在来線の長距離列車が懐かしいです!!行き先案内板の行き先を見るだけでワクワクしたものです!!
ご視聴、コメントありがとうございます。そうですね!ちょっとしたことなんだけど、ワクワクしましたね☺️今も残る特急宗谷など長距離の列車旅をしてみたいです、世の中が落ち着いたら✨
青森から大阪まで一度乗りましたが長時間移動で疲れました。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️早朝の出発で日中は車中ですもんね(^_^;)鉄道ファンでもちょっと辛いと思います🤔
今から30年前、学生時代よく利用してました。 実家⇔札幌 新幹線⇔白鳥⇔はまなすのコンビネーションで、今考えると苦痛旅?かもですが、若かったのでワクワクしてましたけど。自分の若かった頃を思い出しながら、観させて頂きました。懐かしい大変貴重な映像をありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。こういう列車に乗りたくなるのが男心なんだと思います(^.^)遠方への列車移動も苦痛なようで楽しいものでした😆
懐かしいなー!高校の修学旅行で村上から大阪間往復乗りました。もう40年以上前!新潟駅で進行方向が変わるのが衝撃的でした。疲れたけど楽しかった(^^)
ご視聴、コメントありがとうございます。😃村上ですか!?お茶が美味しく夕日の日本海が美しく1度だけ行ったことありました☺️ 鉄道好きだと本当にいいですよね🎵修学旅行で鉄道を使うことが減ってきたのは航空券が買いやすい値段になった影響が大きいのでしょうか?列車でワイワイ騒ぐのも学校行事の醍醐味のような気もします☺️
小学生時代のヒーロー。鉄道模型でどうしても欲しくて、お年玉はたいて6両セット13500円(当時は消費税なし(笑))で買った。今でも部屋に飾ってますよ。
ご視聴、コメントありがとうございます。思いがつまった鉄道模型いいですね!☺️模型を製造した会社も、特急白鳥も本当に良い仕事していたんだなぁ✨季節を問わず日本海縦貫し様々な思い出を作ってきた特急白鳥はヒーローです!😃
白鳥は国内最長距離を走っていた昼行特急だが、同時に世界最長距離を走った電車特急でもあった。当時ギネス認定だったからね。青森から大阪へ行くのに乗ってた。大阪迄行かずワザと京都で新幹線に乗り換えて一駅だけ使うと乗り継ぎ割引適用だった。おかげで青森からの特急料金が半額になった🤣気動車時代の白鳥は食堂を2両連結していた豪華な編成で直江津で青森編成と上野編成に分割・併結していた。上野編成は後に「はくたか」として独立編成となる。尚、上越新幹開業で気動車急行「しらゆき」が白鳥に昇格し一時期白鳥は2往復体制となりました。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃様々な貴重な情報ありがとうございます。電車特急ギネスは知らなかったなぁ。白鳥やるなぁて思ってしまいました。海外だと長距離列車は客車が主流なのかな??分割、併合列車や在来線の食堂車いろいろ経験したかったです(^_^;)食堂車は幼少期だった私の思い出ですが新幹線で親に無理言って食事をしました。新幹線でもすごく感動したなぁ。
太郎三毛猫 横入り失礼します。確かに海外ですと、普通の客車特急、あるいはヨーロッパだと、tgvなどのように、片方の先頭車が電気機関車になっている列車ですのので、分類上は「電車」ではないように思いますね・・・
現在高校生です。僕はあまり詳しくないですが鉄道が好きで、まさにこのような特急とかでゆっくり景色を見ながらの旅に凄く憧れてます。特にこの時代の日本海縦貫線に乗ってみたかったな〜って思います。新幹線にはない便利さだけでない魅力があってもうこれに乗れないと思うととても残念ですが、動画をとても楽しく見させて頂きました。サンダーバードも敦賀止まりになりますます鉄道の情緒が失われてしまう気もします。無理だとは思いますが、白鳥だけでも復活さして欲しいですね。長文失礼しました。
貴重な映像ありがとうございます
ご視聴、コメントありがとうございます。これからも特急白鳥とは違う動画になってしまいますが、宜しくお願い致します☺️
かれこれ30年ほど前、高校を卒業した頃にフラッと北海道に旅行に行きたくなって大阪から札幌まで深夜バスやJRを乗り継いで行ったことがあったのですが、その帰りに青森から大阪まで『白鳥』を乗り通して帰ってきたことがありました。まだまだスマホはおろかケータイもノートパソコンもデジカメもない時代・・・。唯一持ってたのは、ポータブルCDプレーヤーだけで音楽を聴きながらただただずーーーっと景色を眺めているだけだったけどそれでも13時間近く車内で過ごしててもぜんぜん不思議と退屈ではなかったな。退屈が退屈とは思わなかったなぁ。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね!あの頃は、何もなくても楽しかったなぁ。インターネットが無くても不便とも思わなかったが、不思議なものですね。流れる景色、長距離列車ともなれば乗った駅と降りた駅では気候も違い遠くへ来たと実感しワクワクしました。飛行機が便利で安いですが、何かが違うんですよね
1998年の3月、大阪駅で北海道ワイド周遊券を購入し乗り通しました。乗った時期は廃止の発表もなかったため、普段着のビジネス特急を継ぎはぎしたような列車で、飾りっけ無し。乗務の車掌さんに聞いたら、全区間乗りとおす人はその日は私を含め4人とのことでした。新潟を超え羽越線に入ったあたりででお尻はどうしようもなく痛くなるし、ただの苦行でしたが、春の大阪駅から季節を逆走して豪雪の青森まで行った経験は不思議な感覚でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。たしかに乗り通すと苦行ですね☺️私が全区間乗ったのは廃止まで1ヶ月切っていたと思いますが乗り通したのは数人だと思います。食堂車でも繋がっていたら楽しい旅だったのかもしれないですね☺️今も日本海縦貫夜行列車なんて臨時でも走らせれば需要ありそうな気はするんだけどなぁ
当事時刻表を見て憧れた列車、
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️時刻表のページでも一行独占し存在感ありました(^.^)
ロマンがありますね〜。学生時代は特急乗るのが目的、バイト代を費やしてました笑。今でも、営業まわりの時に、上野〜土浦や池袋〜飯能の1時間圏内でも実費で特急乗ります!
ご視聴、コメントありがとうございます。😃特急に乗り気持ちが高まることもありますよね!一時間を有効に使えるのも特急車輌ならではですね☺️
30年前に初めての北海道旅行の帰りに乗り通しました。たしか指定席はハイデッカー仕様で座席も変わっていました。当時九州に住んでおり。行程は…往路(博多⇒札幌):ひかり⇒日本海⇒北斗復路(札幌23時発位⇒博多翌日の21時位着):はまなす⇒白鳥⇒ひかり 復路は全て座席のため約20時間座ったままでお尻が痛くなった記憶があります。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️東北本線ではなく、日本海縦貫を選択する行程、こだわりを感じます!当時なら路線や特急、夜行色々と選択肢があり時刻表を眺めて考えるのも楽しいものでした。今となっては新幹線一択、速いし座席も悪くはないけど、ちょっと寂しいなぁ(^_^;)
特急白鳥開通時に当時住んでいた山形県の小都市で小学生が鼓笛隊と日の丸の小旗で歓迎した。
太郎みけ猫さん、今晩は。大阪〜青森が特急「白鳥」ならば、上野〜青森の特急「いなほ」も有りましたね。懐かし〜(^^) 。
おばんですぅ。手元にある1974年8月の時刻表を見ながら楽しんでました。当時は大阪10時10分発、青森23時50分着だったようです。ほかに寝台特急日本海もあり、急行きたぐになどは大阪22時10分発、青森翌日の17時09分着の約19時間コースでした。しかもお盆の時期は上り下りとも寝台車接続しませんとなってました。恐るべし❗️
ご視聴、コメントありがとうございます。もはや海外みたいなダイヤ設定ですね☺️つい最近にそんな列車があったとは知りませんでした。最近といっても40年前か(^_^;)今は航空機やら新幹線やらで旅行は手軽になりましたが、ちょっと味気無いなぁとも思ったり。味気無いと言ってしまうと、いけませんね(^_^;)
何度みても懐かしいです。私が乗った時代はもう少し時間がかかったように思います。このデザイン最高ですね。途中電圧?の関係で停電したのと座席の向きが変わった様に思います。いつもありがとうございます
ご視聴、コメントありがとうございます。長距離ならではですね。新潟で向きが変わったと思います。日本海縦貫特急 今となれば夜行も乗っておきたかったと思います。
昭和世代の私には、特急は動画の色が一番懐かしく感じます。新幹線ができます前は、特急が当時の少年には憧れの乗り物になりました。当時の特急が青函トンネル通過しまして、札幌駅まで行きましたら、後の「トワイライト・エキスプレス」と同じコースになりますね(トンネル内は上り勾配ありますから難しかった?)。太郎三毛猫さん、体の調子は変わりないですか?。コロナ・ウイルスが流行りますし、花粉もまだ終息しませんし、外出自粛で今は行きたい場所も限られてしまいますが、互いに頑張りましょう。桜は我が地元の福島県田村市は見頃を迎えました。隣の三春の滝桜も見頃を迎えましたが、駐車場は車1台もありませんでした。店も出ていませんでしたので、滝桜周辺には誰も観光客はいませんでした。私は道路を走りながら滝桜をチラ見しました(滝桜周辺は駐停車禁止エリアでしたので、停車して滝桜を見れません)。これからも懐かしの動画をよろしくお願いいたします(国鉄時代の雰囲気とか良いと思います)。
ご視聴、コメントありがとうございます。日本中が同じ特急車両だったので昭和生まれなら、このデザインを懐かしく感じますね😃特急白鳥は青森駅から夜行急行はまなすに乗り継ぎ札幌へ行けました。トンネルが開通前なら青函連絡船を乗り継いでいたと思います。今年は自粛により桜は断念ですね。本当は福島県の桜を見に行くつもりでいましたし、スキー場にもあそびに行けたらと思いました。今のところ体調問題無いですが、出来る限りの予防をしながら、お互いに日々を過ごしていきましょう。
懐かしいです。もう20年以上前になりますが、高校の修学旅行で特急「白鳥」に乗りました。1日目と最終日が丸1日かかっての移動でした(笑)。240名の団体だったので、一般車両の他に増結車両がありました。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️240名すごいですね!鉄道で修学旅行羨ましいです。今は航空機が修学旅行の移動手段となったと思いますが、何年前位なんだろう🤔
新潟民としては、新潟車両センターにいる車両がE127系以外全て国鉄型というのも、時の流れを感じますね!
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですね☺️月日の流れを感じてしまいますね!
関東に住んでる自分には憧れの存在でした。一度は乗りたかったなあ。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️なかなか関東からは行きにくいですよね。乗った当日、鉄道ファンらしき人が多く新潟で下車したので関東地方在住の方々だったのかもしれません。特に社会人だと時間作るのも大変です(^^ゞ
東北ワイド周遊券と特急券を買って大阪から青森まで乗りました。懐かしいです。
ご視聴、コメントありがとうございます。便利な切符でしたよね☺️時刻表を見て乗りたい列間に乗って旅を楽しめる時代がまたきてほしいなぁ
廃止2週間前に大阪から青森まで乗りました。通常9両のところ、3号車と4号車の間に増2号車から4号車まで3両増結されてました。車内販売で駅弁は売り切れて、金沢のホームで確保できました。新潟7分遅れだったので食料調達出来ず、秋田のホームでようやく菓子を確保できました。帰りは北斗星2号で戻りました。681.683系になっても、走り続けて欲しかったですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。2週間前ですと増結対応していたのですね。食料調達の苦労が伝わってきました😖寝台列車やはり夜に移動できる利便性高いなぁと感じてしまいます。出張等でも地方で仕事して翌朝に戻りたい等、夜行列車の需要ありそうだけどなぁ。そうですね、時代に合わせた新型車両でも日本海縦貫特急また見たいです☺️
大阪発は確か長い間10時10分発でしたね。覚えやすかったです。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃今まで意識していませんでしたが、たしかに、そうですね☺️
大阪から青森まで乗り通す客は果たして何人いたのか。。。
かつて特急北陸、急行能登を数えきれないくらい利用したのですが、長岡を境に列車番号が変わるのはそのような理由だったのですね。勉強になりました。
ご視聴、コメントありがとうございます。少しでも動画を通して参考になって嬉しいです☺️北陸は乗っていなかったので、反省です😖
ボンネット型の特急懐かしいです。小さい時に親の田舎に行く時は、良く乗りました❗この頃の特急列車はブルートレインとか食堂車など情緒がありましたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️食堂車時代を経験したかったなぁ。ギリギリ世代ではなく、気軽に使えた食堂車は新幹線でした。親に無理を言って新幹線の食堂車を利用しました☺️それでも良い思い出です。高級クルージング列車、たしかに乗車定員も減らし食事もあって快適なんだろうけど、ちょっと寂しいものです。😖
@@太郎三毛猫 今は数時間で到着し、しかも窓も開かないので、窓越しでの駅弁を買う事もなくなりましたね。列車の旅と言うより交通手段の一部になってしまいましたね。
昭和58年夏は、9時55分発でした新潟で方向転換食堂車もありました夜中に青森着いて青函連絡船函館で北斗と北海が止まってましたあのころはよかったです
素敵な映像ありがとうございました
青森では、電ハネ583系の寝台特急はくつるも待機していましたね。
私は現在大阪に住んでおりますが、生まれが青森の津軽地方(弘前近郊)です。普段大阪では近畿と東北との繋がりを意識できる物や文化風習等はその距離ゆえかとても希薄なのですが、少し以前まではこの特急列車がそれに関するモノの唯一でした(実際には双方の土地の方言である「なんぼ」や「ぬくい」などいろいろな繋がりを証明するものは在るのですが)。自分も一度は通しで乗ってみたいと考えておりましたが、そうこうしているうちに廃止となってしまい、少し心残りでもありました。田舎に帰る際には新幹線でも東京駅乗換えで6時間かかりますので、ついつい80分で到着する飛行機に頼ってしまいます。この動画のおかげで特急列車での帰省の疑似体験をすることができました。私は鉄道には詳しくないのですが、鉄道好きの方はこのように過去を記録として画像や映像として残してくださる方が多く、感謝しております。映像のアップロードありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。青森から日中から夜にかけて日本海縦貫し大阪まで。地道に走り抜ける在来線特急は胸が熱くなりました。晩年の白鳥は全区間乗り通すような移動手段としての役割は終了していましたが時刻表に存在するだけで青森から大阪をつないでいると、特に所縁があれば感じるものだったと思います🤔飛行機なら空港手続き入れても約二時間かぁ。新幹線も東京で乗り換え必須だったり運賃を考えたら移動手段は飛行機が圧勝なんですね(^_^;)
私が乗車したのは!?かれこれ40年前の夏になりますが今も昔も乗り鉄(葉っぱ車両好き🍀)なんで…さほど長時間でも疲れず愉しかった想い出があります。
白鳥に乗車したのは昭和48年8月、青森から新潟までです。当時青森の発車は4時50分で、上野行き特急「はつかり1号」と同時発車でした。さらに3分後の4時53分には、常磐線回り上野行き特急「みちのく」が発車しており、未明の青森駅は、まさに特急列車のオンパレードでした。
私が学生の時分、1982年から1986年ころまでの話なんですが、札幌が実家で住んでいたのが神奈川県、神奈川県から紀勢線を経由して大阪から札幌に戻る一筆書き切符とか、札幌から大阪以西、四国とか山陰、山陽地方へ旅行をするとか、1月に神奈川へ戻る際、わざわざ白鳥に乗って、京都で新幹線で小田原までとか、青森から新潟まで白鳥で上越新幹線利用とか、学生の頃、特急白鳥は青森ー大阪間を二往復半乗った記憶があります。確か、一筆書きの切符を作った際、本州内は、東海道本線ー湖西線ー北陸本線ー信越線ー白新線ー羽越本線ー奥羽本線と経路をメモした紙を持って行って、駅の旅行センターで切符を作ってもらった記憶があります。もちろん、総距離を積算してJTBの全国版時刻表に記載してある運賃計算特急料金の自由席も乗り継ぎ割引できちんと試算してですけどね!!ちなみに、この時のことを今でも覚えているのは、日本海縦貫線の距離、青森ー大阪間、湖西線と白新線経由で、総距離が1023.5㎞と記憶してます。あ!1023.5㎞って、新潟や白新線を経由しない距離、日本海縦貫線を新潟を挟んで通しで乗車する場合、信越線の新津から白新線に乗り入れる運賃計算だったことを思い出した。白鳥で日本海縦貫線を青森から大阪までのり通すと、1040㎞だった!!
ご視聴、コメントありがとうございます。😃すごい行程の列車旅ですね!ここまで壮大な切符を買うと本当にワクワクしてしまいますね。しかも鮮明な記憶が素晴らしいです。私も学生バイト代をにぎりしめ紙を渡して切符を買いました。懐かしいなぁ
私も国鉄時代からのファンですが、485ボンネットは、最も気品のある特急らしい特急でした。私の思い出として特急らしい特急は、日本海や白鳥、はくたか、とき、はつかり、ゆうづる、おおとり、オホーツク、北海、さくら、はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ、などでした。この時代の鉄道の列車を復活させてもらいたいものです。485の初期型は晩年は痛み、車内のシートもへたりましたが、特急としての風格はさいごまでありました。
ご視聴、コメントありがとうございます。長距離寝台列車で九州へ、なんだかワクワクしますね☺️飛行機で行くのとは訳が違う(^.^)オホーツクもこれからの季節は最高なんでしょうね!晩年の485もそうですが平成初頭の車両もだいぶ痛んでるのがあって寂しいです。自分の中では平成の車両は、新型って認識でしたが(^_^;)自分の年齢をかぞえてしまいます
太郎三毛猫さんご丁寧なお返事を賜りましてどうもありがとうございます。最近は、私鉄はもとより、JRの電車の形式すら覚えるのがつまらくなり、新型電車の車内はきれいで素敵なんですが、色や外観などに新時代に馴染まないおじさんより年齢が孫のいる世代になってくると、あと何年鉄道ファンをやっていられるか、ふと考えます。昔々上野発16時の1Mはつかりで青森までひたすら走り、青函連絡船大雪丸に乗船したことが初めての北海道蒸気機関車撮影旅行でしたが、時既に函館本線C62重連は一年前に廃止されていましたので、興味は宗谷本線のC55でした。しかし、当時流行りのカニ属よろしく周遊券の最長期間お金がスッカラカンになるまで道内あちこち蒸気巡りを、以来蒸気がなくなった後青函トンネルの時代になっても北海道は行きました。勿論、東北新潟、信州地方、もその倍以上、また名鉄や岐阜方面、当時の近鉄北勢線、近江鉄道も行きました。話しが長くなりお詫びいたします。私は、ビデオを撮りませんでしたので動画はとてもありがたく拝聴しています。これからも動画の新しい番組が出来ます時はよろしくお願いいたします。敬具
長距離走る特急は、力強さ 感じますね!
ご視聴、コメントありがとうございます。実際に乗りに行く機会はあまりありませんでしたが時刻表での存在感もすごかったですね!ページの上から下まで一行独占でした!☺️
時刻表通りのスケジュールで走らせてたところが凄いね
雪の積もる青森駅、国鉄色を纏う485系。唸るMT54型モーター。四季が似合う国鉄色かっこいい!
ご視聴、コメントありがとうございます。まさに男心をくすぐるカッコいいワンシーンですよね!
昼行列車はあまり乗ったことがありませんがこのような列車が大阪から青森までを繋いでいたと思うと感慨深いです。私もあけぼのによく乗りましたが時間もかかるし乗り心地もそこまでよくないけれど趣がある時代でした。新幹線も独特な楽しみがありますがやはり思い出補正もあるのかこちらの方がロマンがありますね。すごい!早い!の新幹線としみじみ趣のある長時間の移動。性質が違うので今なお復活を求める人が多いのもわかります。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️日本海縦貫特急はロマンありましたね!遅くて古くても風格がありました。思い出が補正されているかもしれませんね(^_^;)自分の年齢をかぞえてしまう😖
関東在住の者です。新潟経由で関東に帰ろうと思い、一度だけ白鳥に乗った経験が有ります。青森駅を出発した直後の停車中の案内を数分間聞いて、長いよと思いましたね。青森駅⇄新潟駅間で白鳥復活しないかな?
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね、たしかに長い!読み上げも大変だったと思います!需要ありそうだけどなぁ。復活したら嬉しいです☺️
今から50年以上前に札幌に行くため乗車しました。大阪駅午前8時出発ではなかったかなぁ。函館からは大空で札幌に。座席の向き変わったの覚えています。青森が近づくと青函連絡船に乗船名簿車掌さんが配っていました。その年水害で新潟の田んぼの稲が倒れていました。札幌について暫く身体が揺れているようなの覚えています。鉄道唱歌懐かしい。有名な駅弁買ったり大変でした
ご視聴、コメントありがとうございます。当時、それだけ移動が大変だったのですね。今ですと、羨ましい体験ですが鉄道ファンでなかったら苦行だったんだなと感じます。フェリーの旅は確かに下船後も揺れの感覚が残りますね。
昔、さよなら白鳥号のツアーに参加したことがある。青森までは行かなかったが新潟までの長時間乗車が懐かしい。
ご視聴、コメントありがとうございます。そのような臨時列車があったのですね!知らなかったです!新潟でもかなりの長距離ですよね☺️
生まれる少し前まで走ってたんですね!自分が大阪駅で見たのは特急雷鳥の新潟行き(多分臨時?)や寝台特急トワイライトエクスプレスの札幌行きなどで、夜は寝台特急日本海の青森行きや急行きたぐに新潟行きなど長距離特急を見てましたね。どれも今となっては懐かしいです。もう今は金沢~直江津は第三セクター会社になったので長距離特急はでないかな。
ご視聴、コメントありがとうございます。日本海縦貫列車も最近までは熱かったんだなぁ😃今となっては寂しいですが、いつの日か車両は新型であっても長距離列車や夜行列車復活してほしいなぁ。他社線でも東武鉄道や小田急も相互乗り入れしているので、期待できるかも??(^_^;)
特急白鳥新潟駅で見た事があります。同じ区間を夜行で走る寝台特急日本海青森~大阪間1040㎞も、めまい😵🌀がしそうな距離ですが、その全行程のうち3分1近い鼠ヶ関~市振間約300㎞が新潟県である事を知ってめまい😵🌀がしている新潟県民です(笑)
小学生の時、日本の特急列車の本を買ったことがあって、大阪‐青森を走る白鳥を知りました☺️大人になってこの特急に乗ってのんびり旅してみたいなって思いました😄
ご視聴、コメントありがとうございます。😃昔は在来線特急も魅力的で本も読み応えがありそうですね☺️今も走っていたら、乗りにいきたいです(^.^)
白鳥がキハ81から485系に電車化された当時は先頭車はボンネット型ではなく貫通型の485系200番台でした。そして食堂車が連結され青森寄りに2両のグリーン車が連結された姿は先行の雷鳥ボンネット型のクハ481と比較して異彩を放っていました。大阪駅で白鳥編成を見ると車端部に「盛アオ」の表記も東北から来た電車なんだなと実感しました。青森から大阪まで乗りましたが連絡船深夜便での寝不足で秋田まで爆睡しましたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。大阪で盛は異色すぎて見とれてしまいますね☺️ロマンですね!キハ時代の白鳥や食堂車、乗ってみたかったなぁ!晩年の白鳥しか見たことありませんが、それでも風格あったなぁ✨
@@太郎三毛猫 恐縮です。この動画を見て昔の在来線特急の華々しい頃を思い出してつい私見を述べてしまいました。これからも素晴らしい動画期待しています。
新車が間に合わずボンネットが連結されてた時期がありましたよ。
懐かしいです。自分が乗った日は白鳥の後を臨時の白山色の雷鳥が走りました。指定席が大阪〜青森で買えず、福井まで自由席扱いにしてもらい通しで買えました。大阪→青森と乗り通しそのまま宿代わりにはまなすで函館往復して、青森から再び大阪行きの白鳥号に乗車して大館で降りキハ58の快速よねしろに乗り継ぎました。高校1年のときです。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃私も贅沢な急行はまなすホテルで宿泊費を節約しました☺️むしろホテルに宿泊するなら、列車に乗っていたかったなぁ。同じく高校時代です!なんだか嬉しくなりますね☺️よねしろは眺めるだけでしたが似たような旅行行程でしたね☺️
@@太郎三毛猫 さん同世代でしたか😄自分もビデオカメラにMD録音しながら旅をしてました。投稿動画見ましたが懐かしい映像ばかりですね。当時はホテルよりも夜行列車ですよね(笑)ほんと春夏冬と毎シーズン18切符で全国乗り歩いてました👍当時東日本の三連休パスという最強の切符もありましたね。3日間特急新幹線もグリーン車乗り放題で大人24000円、高校生は半額の12000円という衝撃価格でした。
こんばんは。私は大阪ー青森間で運転されていた特急白鳥に2回乗車したことがあって。1回目は青函連絡船が廃止になった時に乗車しましたに青森から大阪まで乗車しました。2回目は特急白鳥が廃止になる前日とラストランの当日に大阪ー青森間と青森ー大阪間で乗車しましたよ。
ご視聴、コメントありがとうございます。通しで全区間乗ったのは一度だけでした。青森からは途中で降りてしまい、最後にようやく大阪から青森まで乗りました!長いように思いましたが流れる景色は本当に美しかったなぁ
@@太郎三毛猫 さんあけましておめでとうございます。そうでしたね。
@@巻幡哲也-t4w 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します!☺️
大阪から青森まで乗り通しましたね。グリーン車で行ったので流れ行く車窓を見ながら寝たり起きたり駅弁食べたりして最後に秋田辺りで大雨で長時間運転見合わせに遭いその影響で終着青森で。はまなすに間に合わず列車ホテルになり一晩過ごしたのも良い思い出です。
ご視聴、コメントありがとうございます。急行はまなす乗れない状況かなりガックリしてしまいますね😖でも列車ホテルもなかなか体験できないなぁ。グリーン車だったのがまだ救いだったかもしれないですね☺️白鳥からはまなすを乗り継ぎ札幌へ。経験しとけば良かったなぁ!
太郎三毛猫さん、本当がっかりしましたが、運転打ち切りも無くそのまま青森まで行ってくれて青森到着が2時過ぎと云う貴重な昼行深夜乗車も経験しましたし、相手が天候なので仕方がないと思っています。当初の予定では日高本線の様似まで行こうと計画して、はまなすに乗れなかった代わりに、急行料金ではつかりと北斗のW特急に乗れて寝台券も返金して貰ったのでその点は良かったかなって思っています。
485系美しい
ご視聴、コメントありがとうございます。😃シンプルなデザインでありながらカッコいいですよね!
自分は大阪からではなかったですが、名古屋から富山までしらさぎで行き富山から終点の青森まで白鳥に乗りました。長時間でしたが楽しかったですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️しらさぎも長年国鉄車両で本当に貴重な存在でしたね!富山から青森も圧巻ですよね☺️
中学校、高校の修学旅行でお世話になりました。中学校の時はJRになって最初のときでした
自宅から最も近い停車駅の直江津でよく見ました。はくたかや北越などが多く走ってる時代でさえ異質な青森、大阪の表記でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。直江津、いいところですね☺️かつては在来線特急が多数見られたり、少し離れていますが、ほくほく線の高速特急も見物だったと思います♪いまは、新幹線開業で在来線は寂しくなりましたが動画を通して情報を共有できたら嬉しいです。えちごトキめき鉄道の社長さんも千葉でキハ52など導入したりとした実績があるので、何かと注目ですね☺️
特急白鳥のアベコンベは、寝台特急日本海でしたね。こちらは、2012年に引退しましたね。
白鳥に乗った思い出まず初めて乗ったのが1980年8月、区間利用だったけど、新潟にいる同級生のところへ遊びに行ったとき初めての道中で寝ないで行ったので、風邪ひきました。2度目が1982年7月下旬(大阪発10:20頃ー青森着23:50頃)紀勢本線をぐるっと回って大阪に出てから札幌に帰るとき、北海道旅行の学生とかも自由席には結構乗って混んでいて、新潟以降、車内販売のお弁当を購入できず、リンゴチップを買って、青函連絡船に乗ってからお弁当を買うまで、空腹をしのいだ記憶3度目、1982年8月下旬(青森4:50頃ー大阪着18:30頃)札幌から四国へ行ったとき、四国ワイド周遊券を使って、帰りは小田原で乗り捨てだったが、日本海縦貫線は、当然白鳥を利用、青森から大阪まで東京経由で新幹線を使うと、自由席とはいえ東海道新幹線の料金が9000円ぐらいかかったことを記憶している。新潟かだったか糸魚川から富山間で富山名物の駅弁鱒の寿司を車内販売で売っていて、担当の人が、その当時12両編成の車内を何度も往復して、富山着直前で「車内販売は、次の停車駅、富山で終わらせてもらいます。」と車内放送でアナウンスされて、あせったことを今も思い出す。じつは、富山以降は、金沢駅の車販が乗車してなんともなかったんだけどね。お弁当のカート係と会計係の2人ペアで車内を回っていました。これは上り下りがたぶん、富山ー糸魚川か新潟間だったかな?4度目、たぶん1983年か1984年の1月の初め青森から大館くらいまでは雪国、秋田以南、冬なのに線路に雪がな~いええ!!と思った5度目、1984年3月(山陰地方へ行くのに利用)お弁当の件は体験済みなので、問題なかった。この時は、札幌12時台の183系のおおぞらで函館に行き市内観光、青函の深夜便でしょっぱい川を渡り、白鳥で大阪まで乗り通す、京都に戻って、山陰線の夜行普通列車「山陰」で出雲大社駅をめざした。札幌駅から出雲大社駅まで、足かけ2泊3日の道中こんなところです。あとは、記憶がさだかでないのでごめんちゃい!!
ご視聴、コメントありがとうございます。😃約40年前の記憶を鮮明に覚えていてすごいです!私は下手すると去年の旅行のことも忘れていたりするので(^_^;)これからは乗った車両の番号くらいはメモしようかなと思います。1980年代は新幹線から寝台列車まで多岐に渡り移動手段を選択できるので楽しそうです!時刻表を片手にあてもない旅に出掛けても本当に楽しそうです。今の時刻表を見ると在来線特急が本当に寂しくて😖運行時間も1時間から2時間位ばかりになってしまいました。常磐線の仙台直通特急復活は意外でしたから、これは嬉しかったなぁ☺️
長距離列車の最初って、みんなワイワイしてるよね。1時間半後には、ほとんどの人が爆睡してるけどw
ご視聴、コメントありがとうございます。最初に寝るのは私です(^_^;)今は長くても2時間くらいの特急が主流になってしまい寂しいものです。😖
乗りたいと思っていたが、かなわなかった。やはり485系ボンネット国鉄カラーは美しいですね。西村京太郎トラベルミステリーでは「特急白鳥十四時間」だから、その時から比較してもかなり時間短縮されているんですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。西村京太郎もちょっと懐かしいですね☺️鉄道を扱うドラマも見なくなってしまいました😖
@@太郎三毛猫 昔は、さすらい刑事とかその前は鉄道公安官とか、鉄道の現場が出てくる面白いドラマがけっこうありましたね。
新幹線は早くて便利だけど、旅をたのしむなら、在来線特急とか寝台特急ですよね。鉄道唱歌も感傷深い。良き昭和の時代。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですよね!寝台列車は需要ありそうだけどなぁ。夜中に移動できるのは、求めている人もいると思います(^.^)
なんと貴重なものを...485ボンネット大好き
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね!ボンネット特急がカッコいいと思います♪
今じゃほぼ日本全国新幹線で繋がって、早いし便利では有るが、旅の楽しみはすっかり消えたね。長時間で疲れるけど、それが良かったんだよね。
ご視聴、コメントありがとうございます。時刻表の在来線ページがすっかり寂しくなってしまいましたね☺️在来線特急は二時間くらいで終点というのが主流で(^_^;)新幹線も速いし座席も悪くはないけど…(^_^;)時代の流れなのかな✨
青森駅では上野発のみちのくと同じ時間に到着していました。また出発も同じ時間に出発していましたよ。
青函連絡船の深夜便、函館から青森の便は、 12便 2便函館発 0:15 0:40 ↓ ↓青森着 4:05 4:30(1980年3月改正の青函連絡船のダイヤの記載サイトを参照しました)この2つの便が青森駅で、みちのく、はつかり、白鳥に接続していていた。
下り1便と11便もありました。みちのく号を乗車した時青森駅に近づいたら奥羽本線経由の白鳥号がみちのく号と一緒に青森駅に到着したのが懐かしいですね。
皆さん書かれていますが、青函連絡船に合わせていたんですよね。学生の頃、大阪から北海道ワイド周遊券で白鳥に乗り、北海道へ旅行したのが懐かしいです。帰りは寝台特急日本海で帰りましたが。もう30年以上前のことです。
@@satoshimori2380トンネル開通後ははまなすに接続
子どもの頃、絵本で見たときはディーゼルカーでしたよ。 当時東京在住で、大阪↔青森なのに東海道線を通過している姿を全く見たことなかったのが不思議でしたね😵
ご視聴、コメントありがとうございます。ディーゼル時代もあったようですね。見てみたかったものです。たしかに大阪から青森ですと東海道じゃないの!?って思ってしまいますよね。
今から約40年前に、修学旅行で京都から青森まで乗りました。その時は、台風と一緒に北上したのを覚えています。おかげで、12時間掛かるところが、14時間掛かってしまいました。懐かしい動画ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。かつての修学旅行は、鉄道ファンにはたまらない行程だったのですね!列車酔いし易い人は苦行でしたね(^_^;)運休にならず良かったです☺️
1991年から1998年まで幾度となく利用しました。1997年当時までは上沼垂編成でデラックス車両と呼ばれており、指定席とグリーンは格別で乗るのが楽しみでした。2000年秋に青森から富山まで利用したのが最後となりました。今でも思い入れのある列車です。
ご視聴、コメントありがとうございます。特急白鳥の思い出いいですね!民営化直後は各社が競うように新車両を出したり国鉄車両リニューアルなど盛り上がっていたと思います。しばらくすると、長距離列車は次々消えていきましたが、特急白鳥は2000年代まで残ってくれました。当時の貴重な思い出をコメントにしていただき、ありがとうございます。
太郎三毛猫さん返信ありがとうございます。こちらこそ貴重な映像に感謝しております。青森にいた頃、学生時代に白鳥は青森と弘前で数えきれないほど乗りましたし、上沼垂の白鳥時代は長期の休み期間を利用して、金沢や京都への旅行で毎年乗っていました。往復白鳥にしたことも何度かあるくらい、乗るのが楽しみでした。長くなりましたが今後ともよろしくお願いします。
余計なBGMもナレーションも無く字幕もシンプルな、とても美しい動画だと思います。UPありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
他のチャンネルを見ても、こだわりだったり、美しく撮影していたり、昭和時代でも鮮明な動画があったりで本当に列車が好きな人が多く嬉しく思っています♪
太郎三毛猫チャンネルも試行錯誤しながら少しでも見やすいもの、少しでも鉄道に対する思いを共有できたらと思っています☺️こちらこそ、ありがとうございます。励みになります!
白鳥に初めて乗車したのが高校生の夏休み。
青森から大阪まで乗り通しました。
車内販売のサンドイッチと駅弁を買って車窓を見ながら食べたのはいい思い出です。
ご視聴、コメントありがとうございます。
私も白鳥は高校時代が初めてでした。郵便局バイト代を使ったので、全区間は乗れませんでしたが、いつかは全区間乗りたいと思いました。
今では移動時間が1時間~2時間位の特急が主流となり少し寂しく感じます😖
@@太郎三毛猫 長い距離の移動はほぼ新幹線や航空機にとってかわられた印象が強いですね
十津川警部「特急白鳥14時間」を読んだのは、15年前の中学校の図書室でした。
超長距離・長時間の昼行特急というだけで、ロマンの塊でした。
何度読み返したことか・・・2020年になって実物の動画を拝めるなんて感激です。
ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
自分の思い出用に撮影したものを共有できて本当に嬉しいです、こちらこそありがとうございます。☺️
新潟駅の発車が自分が乗っていた189系特急みのり6両とほぼ同時だったため,しばらく併走したことがありました。白鳥の方が若干早く発車していたため,走行中の最後部を見られるかと期待したのですが,次第にみのりの方がスピードアップしていき,最前部のヘッドマークを拝むことができました。
当時、昼行特急として国内最長距離を走っていたのは驚きでしたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
白鳥の廃止間際に乗ったとき、大阪駅からはファンも大勢乗っていましたが新潟くらいでかなりいなくなってました(^_^;)
ファンですら全区間乗った人は少なかったので一般客となると…
日本海縦貫特急白鳥たしかに驚きでした😃
東海道山陽新幹線が博多開業するまで、昼行の特急列車として在来線や新幹線を含めて、日本の最長距離の特急列車でした。
@@太郎三毛猫
20年以上前に白鳥を完乗した時に一般客っぽい人が京都から羽後本荘まで乗ってるのを見たことがあります
それから続々と姿を消してしまったJR特急、寝台特急列車。
中学時代この特急白鳥が教室の窓から見えると『昼飯が近いな』と思ったりしてたなぁ。1回くらい通しで乗りたかった電車のひとつです。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃わかります、その心境(^.^)
通る列車が時計代わりでした☺️
臨時列車が通る日なんかは校舎から悔しい思い半分で見ていました。
職場もジョイント音が聞こえる場所なので音で時間を確認したりしています(^_^;)
遠い昔、食堂車が連結されていた時代に、北海道ワイド周遊券の途中経路で、真冬の2月に大阪から青森まで『白鳥』を完乗、雪で二時間以上遅れて青森着。懐かしい記憶です。
ご視聴、コメントありがとうございます。富山県と新潟県の境界あたりも豪雪地域ですよね。
二時間遅れで行程に影響はございませんでしたか??
食堂車、ごはんたべてみたかったなあ😖
スマホも無い時代に12時間以上も車内にどのように過ごしていたのだろうね😅。
おしゃべりや弁当食べながら景色見る。スマホ見てると景色見れないからな
私の鉄道好きが始まった頃の一番大好きだった特急です。
勿論、12両編成で食堂車もありました。
愛称マークは無地で「白鳥」の二文字が輝いていました。
ディーゼルの頃、2編成が合体して走っていましたので食堂車が2両も付いていました。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️食堂車時代を見てみたかったなぁ。すでに晩年の白鳥しか知らないので、昔の黄金期を羨ましく思います(^.^)
寝台列車が復活してくれたらなぁ。
高級クルージング列車が走れるなら寝台列車も可能な気はします(^_^;)
青函連絡船から下船して、青森駅ホームへ向かうと、
白鳥、はつかり、みちのくと3特急列車が出迎えていました。
実に壮観でした。自分の特急初乗車は「信越白鳥」でした。
お世話になった列車です。
ご視聴、コメントありがとうございます。
豪華ですね!☺️そんな時代もあったのですね😃本当に北海道が遠い地なんだなぁてしみじみ思います🤔いいなぁ想像しただけで胸が熱くなります‼️
今から30年以上前、内地の大学に進学して、帰省の時、急がないかぎり国鉄を利用していましたが、特に函館から青函の深夜便に乗船して青森駅で下船し、ホームへ向かう跨線橋から見える三特急そろい踏みは圧巻でした。
はじめまして。こんにちは。特急、白鳥号、大好きな列車でした。全区間乗りはできませんでしたが、糸魚川から青森まで乗車したことがあります。その後、はまなすで青森→札幌、その後、札幌→旭川と。あの頃は若かったなぁと思います。長距離列車の旅、またしたいですね。動画公開、ありがとうございました😊
私は高1にして、学校の夏休みに大阪→青森まで当時の特急白鳥を乗り通した上で、青函連絡船の深夜便で函館に渡ってから、特急北斗に乗り継いで札幌まで帰った記憶が今でも鮮明に残っています。
かなり懐かしいです。
ご視聴、コメントありがとうございます。
スゴイですね☺️果てしない長旅羨ましく思います!時刻表で行程を立案し、学割申請から切符を買う。それだけでもワクワクしたものです☺️夢のような列車旅ですね(^.^)
あの当時は、確か昭和60年の夏だった記憶があります。
あの当時はまだ国鉄で青函トンネルもなかったし、あの頃の鉄道旅行が一番ムード満点で良かったでした。
あれくらい長いロングランの在来線をまた復活させてほしいです。
鉄道唱歌のチャイムが趣深いですね…
僕の中の「特急列車」のイメージはやっぱりこのクリーム色の国鉄車です。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
そうですね!長年に渡り日本の特急はこのデザインでした😃
いい思い出です(^.^)
酒田出身なので白鳥は懐かしすぎます。さすがに青森ー大阪は無かったですが、高校生のとき酒田ー敦賀を白鳥で往復したことがあり、その時はほぼ一日中乗りっぱなしだったのを覚えてます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
敦賀まで乗り換え無しもスゴイ話ですよね!やはり白鳥の移動距離は壮大でした😃
飛行機なら1時間半くらいで着いちゃうんだな。その差11時間。
よほど鉄道好きじゃないと最後まで乗れないだろうな。
ご視聴、コメントありがとうございます。
航空機が特別な乗り物だった昭和なら長距離在来線特急も移動手段としての役割発揮したと思いますが昭和の終わりから平成では、移動手段としての役割は終了していました(^_^;)
今となっては飛行機がこんな手軽な価格になるとは思わなかったなぁ
この頃に戻りたい。
ご視聴、コメントありがとうございます。
そうですね!😃戻りたいです☺️
新幹線から夜行列車まで色々選択肢がありました(^.^)
僕はこの頃に生きていたかったです
懐かしいです。
20年前くらいに特急白鳥で金沢から青森まで行き、急行はまなすに乗り換え札幌に着き、札幌から特急オホーツクに乗り網走に行ったことあります。
金沢からでも約10時間位乗ってました。お尻が痛くなったのを覚えています。
ご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに、特急白鳥と急行はまなす接続できますよね。
私は水郡線、常磐線沿線なので東北本線、花輪線、奥羽本線を乗り継ぎ到着した夜の青森駅では白鳥、はまなすの写真をよく撮影しました。
金沢からですと、本当に遠路となりますね。鉄道の旅は体が痛くなる苦行を乗り越えるのも醍醐味だったりします☺️
白鳥がなくなった後、新潟~青森は特急いなほになったけど、それでも在来線昼行特急の最長距離だったので、白鳥が相当長いのがわかります。
俺も京都駅でサンダーバードがまだ金沢止まりになる前の富山、魚津まで乗り入れていた時に見た事ありましたね。トワイライトエクスプレスが札幌までの走行距離が最長に対して白鳥は日中の走行距離が最長でしたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
在来線特急には遥か遠い町に行くワクワク感が本当にありましたね。旅情もありましたね。
新幹線で時間短縮、在来線よりは雪にも強いなど便利にはなりましたが…とは言え旅情だけでは収益の問題が解決しないのもあり、時代の流れには逆らえないですね(^_^;)
白鳥廃止の前日に乗りました。グリーン車しか席が取れませんでしたが、ほとんどの人が通しでした。富山くらいで自由席に試しに行ったらガラガラで海岸眺めながら何時間かくつろいだのが思い出です。乗って良かったです。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃グリーン車いいですね!485のグリーン車は乗ったこと無いので一度は乗っておきたかったなぁ。
前日となれば、貴重な長距離特急を通して乗りたい人もいそうですね☺️様々な想いを乗せた特急だったんだなぁと、コメントを通して知りました。
愛されていましたね☺️
ひばり号が大好きだったけど
白鳥は昼の長距離列車では
憧れた存在でした。
飛行機や高速道路、新幹線が整備された今、こうした長期を走る在来線特急は少なくなりましたね。品川~仙台のひたちが復活してくれたことが救いです…
MT54サウンドも旅に彩りを添えてます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
飛行機、高速道路に負けてしまいましま😖民営化直後のように意欲的に鉄道事業も取り組んでほしいなぁ。人が来ないから止めますばかりでは、寂しく思います。ただのボヤキになってしまいましたね(^_^;)
新潟駅で先頭が入れ替わるんですよね。で、真夜中2時ごろに青森着!青函連絡船で明け方に函館着。そこから特急で札幌へ。ほぼ丸一日かかりしんどかった覚えがあります。これとは別に新大阪から東京まで新幹線、山手線で上野乗り換えの東北本線の特急でも青函連絡船経由で札幌に行った事があります。結果、新幹線で東京経由より白鳥の方が乗り換えない分、楽だったような覚えがあります。大阪から札幌着で見たら、時間的にはあまり大差がなかった記憶があります。今は無い寝台特急でも白鳥と同じルートで札幌に行った事があります。寝台は格段に楽でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですね!たしかに乗り換えがない方が圧倒的に楽なんですよね。とは言っても若い頃は様々な列車に乗りたくて乗り換えを好んだこともありました(^_^;)
かつては東京駅と上野駅で離れていると通勤電車に乗らないとならず、ちょい面倒でしたね。
日本海縦貫の寝台列車、やはり需要ありそうだけどなぁ。航空機では不可能な夜に出発し翌朝に北海道。しかも空港とは違い、街の中心の駅に到着は便利ですよね☺️
いいよね~電車長旅の風情、
寅さんもこういう情緒の中いたんだね、
こういうことも過去のものとなるのか
しかし果して何でもすぐ着くのがいいことなのかどうなのか・・
ご視聴、コメントありがとうございます。
寅さんが、今の新幹線で旅をしていたら映画の雰囲気が台無しですね(^_^;)
やはり国鉄車両だから絵になりました☺️
風情や旅情も減ってはきましたが今残されたものを楽しみたいですね🎵
時間はかかるけど、大阪と青森が結ばれている感じは強かったなあ。あと、日本海も廃止され、JR各社をまたいでの運行がほとんどされなくなってきたのは、鉄道から旅情が無くなりつつあり、本当に残念です。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね!青森から大阪が繋がっていた感じがしましたよね。国鉄民営化時に各社分割しても列車は途切れませんよと約束していた気もしますが(^_^;)
日本海縦貫も寝台列車は需要ありそうだけどなぁ。
トワイライトエクスプレスの他にも、12時間もかかる「昼行」の列車もあったとは。
いずれも乗り損ねましたが、貴重な映像、ありがとうございます。
最晩年の白鳥は、上りと下りで北陸線内の停車駅が違ったんですよね…下りの停車駅が雷鳥よりやや少なかったのに対し、上りは時間帯の関係もあって、雷鳥の中でも停車駅が多いタイプのものになっていました。
コメントありがとうございます。
そうだったのですか??☺️知らなかったので貴重な情報ありがとうございます。(^.^)
動画をきっかけに様々とご教授いただき本当にありがたいです!😃
近々、また別なテーマですが、新作を考えていますので宜しくお願い致します♪
白鳥(大阪~青森)乗車経験の方より「スリッパ」重宝のコメントを覚えており、現在外国除く日本でこのような経験できる事がない中!この動画は興味あります。
1995年2月に一度、富山→京都で乗りました。その時たまたま来たのが白鳥だったのです。サンダーバード、雷鳥全盛期に白鳥に乗車できてのはラッキー!
今は新幹線以外の特急はぶつ切り運行で面白くないですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
私も同じ思いがあります(^_^;)今となっては移動時間が一時間から二時間が主流となり、時刻表を眺めていても寂しくなったなぁなんて思っています(^_^;)常磐線の仙台直通特急の復活は嬉しかったなぁ☺️
西に運用移管後の白鳥は11両編成で運転される時も多かったですよね。
雷鳥の11両運転はほとんど無かったのに。
やっぱり白鳥は特別だったんでしょうね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
晩年の白鳥しか見たことありませんが、やはり長距離列車の風格はありました!
全盛期だったら、どんなにすごかったのか…見てみたかったなぁ
大阪-金沢・富山、金沢・富山-新潟、新潟-秋田、青森って直通するだけで完全走破する人は少なくても途中駅間なら今でも需要そこそこありそうだけど、新幹線できて3セクになってしまったし、定時運行の効率が求められてる現在に復活は確実に無理だろうけどロマンあるなぁ、季節運行でいいから復活してくれないかな…
気動車時代の白鳥に直江津まで乗ったことがあります。大阪で乗り遅れてしまって、慌てて新幹線に乗り換えて米原で追いついて乗りれたので、記憶に絵鮮明に残っています。
ご視聴、コメントありがとうございます。もはやサスペンスドラマのような列車の乗り継ぎ。今ではこのようなドラマも製作困難になってしまいました😖
無事に追い付けて良かったです!😃
すごい!。上野発の列車を併結していた時代でしょか。
日本海縦貫線が電化前ですね、最後は羽越本線が電化になって特急いなほも白鳥も電車化されたと思います。
小さい頃大宮駅でボンネット型のいなほを見ましたが、すぐ電車になりました。車両はくろしおに転出と思います。
電化後は特急白鳥485系-1500番台。後に特急いしかりに使用されたが北海道の寒さに耐え切れず運休連発。
懐かしく、拝見させて頂きました40年、ぐらい前になりますか 北海道に行くのに、何度か乗車しました。青森から0時発の青函連絡船に乗り 函館から北斗に乗り札幌着 9時頃だったように。また、青森と函館の 寒さの違いに、驚いたこと 思い出します。帰りは、青森から日本海で帰りましたが、一度だけ、白鳥で、帰っりました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
青森から札幌もかなりの所要時間がかかっていて、まだまだ北海道は気軽に行ける場所ではなかったんだなぁと想像してしまいます!
今も日本海縦貫列車が走っていたらなぁ。また乗継ながら列車の旅がしたくなりますね☺️
丁度この頃に、新大阪→青森まで、グリーン車で走破しました。
青森到着は、雪の為に若干遅れましたが、札幌行き「はまなす」は接続を取ってくれました。
一本の列車の中で、朝食、昼食、夜食を食べたのはこの時だけだと思います。
僕が乗ったのは、正月でしたので、帰省の方が多かったと思います。
懐かしい動画、ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
そうですね!もはや滞在ですね☺️
急行はまなすに接続する便利な特急でしたね(^.^)
富山や金沢など北陸の地名が並ぶ中に燦然と輝く青森の文字と特急白鳥の愛称、電光掲示板を見るだけで旅の楽しみが一気に膨らんできますね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
そうでしたね。関西で青森行きって案内は驚きです!
このような列車が21世紀まで残っていたなんて驚き
ご視聴、コメントありがとうございます。時刻表に載っているページでも存在感があってワクワクしました☺️
特急白鳥はゴウサントウダイヤ改正までグリーン車2両の独自の編成でした。食堂車も連結していましたが、ロクマルサンダイヤ改正の前に早いうちから食堂車が外されていたり、57年11月ダイヤ改正後には長距離特急にもかかわらずグリーン車が欠ける日もあるなど大阪口では特急雷鳥以下の時もありました。このとき既に長距離特急の威厳は見る影もなくなっています。ただ単に雷鳥といなほを足したような存在になっていました。
懐かしいです。
大阪から鶴岡まで小学生の時に一人で乗りました。
今は列車で行くことも無くなりました。もし復活したら是非また乗ってみたいです。
ご視聴、コメントありがとう😃ものすごい一人旅ですね!ひたすら流れる景色に小学生であっても男心がくすぐられますね(^.^)
今の時代だとなかなか小学生単独ではたとえ鉄道だとしても移動は難しいですよね😖
@@太郎三毛猫 1回目はたぶん妹と一緒に行ったのかな?忘れましたが今では考えられないです(笑)
2回目は中学生の時だったかな?この時の帰り日本海で初めて1人ブルートレインでした。
今はこんな列車の旅が出来なくなり寂しいですね。
在来線の長距離列車が懐かしいです!!行き先案内板の行き先を見るだけでワクワクしたものです!!
ご視聴、コメントありがとうございます。
そうですね!ちょっとしたことなんだけど、ワクワクしましたね☺️
今も残る特急宗谷など長距離の列車旅をしてみたいです、世の中が落ち着いたら✨
青森から大阪まで一度乗りましたが長時間移動で疲れました。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️早朝の出発で日中は車中ですもんね(^_^;)
鉄道ファンでもちょっと辛いと思います🤔
今から30年前、学生時代よく利用してました。
実家⇔札幌 新幹線⇔白鳥⇔はまなすのコンビネーションで、今考えると苦痛旅?かもですが、若かったのでワクワクしてましたけど。
自分の若かった頃を思い出しながら、観させて頂きました。懐かしい大変貴重な映像をありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
こういう列車に乗りたくなるのが男心なんだと思います(^.^)
遠方への列車移動も苦痛なようで楽しいものでした😆
懐かしいなー!高校の修学旅行で村上から大阪間往復乗りました。もう40年以上前!新潟駅で進行方向が変わるのが衝撃的でした。疲れたけど楽しかった(^^)
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
村上ですか!?お茶が美味しく夕日の日本海が美しく1度だけ行ったことありました☺️
鉄道好きだと本当にいいですよね🎵修学旅行で鉄道を使うことが減ってきたのは航空券が買いやすい値段になった影響が大きいのでしょうか?
列車でワイワイ騒ぐのも学校行事の醍醐味のような気もします☺️
小学生時代のヒーロー。鉄道模型でどうしても欲しくて、お年玉はたいて6両セット13500円(当時は消費税なし(笑))で買った。今でも部屋に飾ってますよ。
ご視聴、コメントありがとうございます。
思いがつまった鉄道模型いいですね!☺️模型を製造した会社も、特急白鳥も本当に良い仕事していたんだなぁ✨
季節を問わず日本海縦貫し様々な思い出を作ってきた特急白鳥はヒーローです!😃
白鳥は国内最長距離を走っていた昼行特急だが、同時に
世界最長距離を走った電車特急
でもあった。当時ギネス認定だったからね。
青森から大阪へ行くのに乗ってた。大阪迄行かずワザと京都で新幹線に乗り換えて一駅だけ使うと乗り継ぎ割引適用だった。おかげで青森からの特急料金が半額になった🤣
気動車時代の白鳥は食堂を2両連結していた豪華な編成で直江津で青森編成と上野編成に分割・併結していた。上野編成は後に「はくたか」として独立編成となる。
尚、上越新幹開業で気動車急行「しらゆき」が白鳥に昇格し一時期白鳥は2往復体制となりました。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
様々な貴重な情報ありがとうございます。電車特急ギネスは知らなかったなぁ。白鳥やるなぁて思ってしまいました。海外だと長距離列車は客車が主流なのかな??
分割、併合列車や在来線の食堂車いろいろ経験したかったです(^_^;)
食堂車は幼少期だった私の思い出ですが新幹線で親に無理言って食事をしました。新幹線でもすごく感動したなぁ。
太郎三毛猫 横入り失礼します。確かに海外ですと、普通の客車特急、あるいはヨーロッパだと、tgvなどのように、片方の先頭車が電気機関車になっている列車ですのので、分類上は「電車」ではないように思いますね・・・
現在高校生です。僕はあまり詳しくないですが鉄道が好きで、まさにこのような特急とかでゆっくり景色を見ながらの旅に凄く憧れてます。特にこの時代の日本海縦貫線に乗ってみたかったな〜って思います。新幹線にはない便利さだけでない魅力があってもうこれに乗れないと思うととても残念ですが、動画をとても楽しく見させて頂きました。サンダーバードも敦賀止まりになりますます鉄道の情緒が失われてしまう気もします。無理だとは思いますが、白鳥だけでも復活さして欲しいですね。長文失礼しました。
貴重な映像ありがとうございます
ご視聴、コメントありがとうございます。
これからも特急白鳥とは違う動画になってしまいますが、宜しくお願い致します☺️
かれこれ30年ほど前、高校を卒業した頃に
フラッと北海道に旅行に行きたくなって大阪から札幌まで深夜バスやJRを乗り継いで行ったことがあったのですが、
その帰りに青森から大阪まで『白鳥』を乗り通して帰ってきたことがありました。
まだまだスマホはおろかケータイもノートパソコンもデジカメもない時代・・・。
唯一持ってたのは、ポータブルCDプレーヤーだけで音楽を聴きながらただただずーーーっと景色を眺めているだけだったけど
それでも13時間近く車内で過ごしててもぜんぜん不思議と退屈ではなかったな。
退屈が退屈とは思わなかったなぁ。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね!あの頃は、何もなくても楽しかったなぁ。インターネットが無くても不便とも思わなかったが、不思議なものですね。
流れる景色、長距離列車ともなれば乗った駅と降りた駅では気候も違い遠くへ来たと実感しワクワクしました。飛行機が便利で安いですが、何かが違うんですよね
1998年の3月、大阪駅で北海道ワイド周遊券を購入し乗り通しました。乗った時期は廃止の発表もなかったため、普段着のビジネス特急を継ぎはぎしたような列車で、飾りっけ無し。乗務の車掌さんに聞いたら、全区間乗りとおす人はその日は私を含め4人とのことでした。新潟を超え羽越線に入ったあたりででお尻はどうしようもなく痛くなるし、ただの苦行でしたが、春の大阪駅から季節を逆走して豪雪の青森まで行った経験は不思議な感覚でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに乗り通すと苦行ですね☺️私が全区間乗ったのは廃止まで1ヶ月切っていたと思いますが乗り通したのは数人だと思います。食堂車でも繋がっていたら楽しい旅だったのかもしれないですね☺️
今も日本海縦貫夜行列車なんて臨時でも走らせれば需要ありそうな気はするんだけどなぁ
当事時刻表を見て憧れた列車、
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️時刻表のページでも一行独占し存在感ありました(^.^)
ロマンがありますね〜。学生時代は特急乗るのが目的、バイト代を費やしてました笑。今でも、営業まわりの時に、上野〜土浦や池袋〜飯能の1時間圏内でも実費で特急乗ります!
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
特急に乗り気持ちが高まることもありますよね!
一時間を有効に使えるのも特急車輌ならではですね☺️
30年前に初めての北海道旅行の帰りに乗り通しました。
たしか指定席はハイデッカー仕様で座席も変わっていました。当時九州に住んでおり。行程は…
往路(博多⇒札幌):ひかり⇒日本海⇒北斗
復路(札幌23時発位⇒博多翌日の21時位着):はまなす⇒白鳥⇒ひかり
復路は全て座席のため約20時間座ったままでお尻が痛くなった記憶があります。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
東北本線ではなく、日本海縦貫を選択する行程、こだわりを感じます!当時なら路線や特急、夜行色々と選択肢があり時刻表を眺めて考えるのも楽しいものでした。今となっては新幹線一択、速いし座席も悪くはないけど、ちょっと寂しいなぁ(^_^;)
特急白鳥開通時に当時住んでいた山形県の小都市で小学生が鼓笛隊と日の丸の小旗で歓迎した。
太郎みけ猫さん、今晩は。
大阪〜青森が特急「白鳥」ならば、上野〜青森の特急「いなほ」も有りましたね。懐かし〜(^^) 。
おばんですぅ。手元にある1974年8月の時刻表を見ながら楽しんでました。当時は大阪10時10分発、青森23時50分着だったようです。ほかに寝台特急日本海もあり、急行きたぐになどは大阪22時10分発、青森翌日の17時09分着の約19時間コースでした。しかもお盆の時期は上り下りとも寝台車接続しませんとなってました。恐るべし❗️
ご視聴、コメントありがとうございます。
もはや海外みたいなダイヤ設定ですね☺️つい最近にそんな列車があったとは知りませんでした。最近といっても40年前か(^_^;)
今は航空機やら新幹線やらで旅行は手軽になりましたが、ちょっと味気無いなぁとも思ったり。
味気無いと言ってしまうと、いけませんね(^_^;)
何度みても懐かしいです。私が乗った時代はもう少し時間がかかったように思います。このデザイン最高ですね。途中電圧?の関係で停電したのと座席の向きが変わった様に思います。いつもありがとうございます
ご視聴、コメントありがとうございます。
長距離ならではですね。新潟で向きが変わったと思います。
日本海縦貫特急 今となれば夜行も乗っておきたかったと思います。
昭和世代の私には、特急は動画の色が一番懐かしく感じます。新幹線ができます前は、特急が当時の少年には憧れの乗り物になりました。当時の特急が青函トンネル通過しまして、札幌駅まで行きましたら、後の「トワイライト・エキスプレス」と同じコースになりますね(トンネル内は上り勾配ありますから難しかった?)。太郎三毛猫さん、体の調子は変わりないですか?。コロナ・ウイルスが流行りますし、花粉もまだ終息しませんし、外出自粛で今は行きたい場所も限られてしまいますが、互いに頑張りましょう。桜は我が地元の福島県田村市は見頃を迎えました。隣の三春の滝桜も見頃を迎えましたが、駐車場は車1台もありませんでした。店も出ていませんでしたので、滝桜周辺には誰も観光客はいませんでした。私は道路を走りながら滝桜をチラ見しました(滝桜周辺は駐停車禁止エリアでしたので、停車して滝桜を見れません)。これからも懐かしの動画をよろしくお願いいたします(国鉄時代の雰囲気とか良いと思います)。
ご視聴、コメントありがとうございます。
日本中が同じ特急車両だったので昭和生まれなら、このデザインを懐かしく感じますね😃
特急白鳥は青森駅から夜行急行はまなすに乗り継ぎ札幌へ行けました。トンネルが開通前なら青函連絡船を乗り継いでいたと思います。
今年は自粛により桜は断念ですね。本当は福島県の桜を見に行くつもりでいましたし、スキー場にもあそびに行けたらと思いました。
今のところ体調問題無いですが、出来る限りの予防をしながら、お互いに日々を過ごしていきましょう。
懐かしいです。もう20年以上前になりますが、高校の修学旅行で特急「白鳥」に乗りました。1日目と最終日が丸1日かかっての移動でした(笑)。
240名の団体だったので、一般車両の他に増結車両がありました。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
240名すごいですね!鉄道で修学旅行羨ましいです。今は航空機が修学旅行の移動手段となったと思いますが、何年前位なんだろう🤔
新潟民としては、新潟車両センターにいる車両がE127系以外全て国鉄型というのも、時の流れを感じますね!
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
そうですね☺️月日の流れを感じてしまいますね!
関東に住んでる自分には憧れの存在でした。一度は乗りたかったなあ。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️なかなか関東からは行きにくいですよね。
乗った当日、鉄道ファンらしき人が多く新潟で下車したので関東地方在住の方々だったのかもしれません。
特に社会人だと時間作るのも大変です(^^ゞ
東北ワイド周遊券と特急券を買って大阪から青森まで乗りました。懐かしいです。
ご視聴、コメントありがとうございます。
便利な切符でしたよね☺️時刻表を見て乗りたい列間に乗って旅を楽しめる時代がまたきてほしいなぁ
廃止2週間前に大阪から青森まで乗りました。
通常9両のところ、3号車と4号車の間に増2号車から4号車まで3両増結されてました。
車内販売で駅弁は売り切れて、金沢のホームで確保できました。
新潟7分遅れだったので食料調達出来ず、秋田のホームでようやく菓子を確保できました。
帰りは北斗星2号で戻りました。
681.683系になっても、走り続けて欲しかったですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。2週間前ですと増結対応していたのですね。
食料調達の苦労が伝わってきました😖
寝台列車やはり夜に移動できる利便性高いなぁと感じてしまいます。
出張等でも地方で仕事して翌朝に戻りたい等、夜行列車の需要ありそうだけどなぁ。
そうですね、時代に合わせた新型車両でも日本海縦貫特急また見たいです☺️
大阪発は確か長い間10時10分発でしたね。
覚えやすかったです。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
今まで意識していませんでしたが、たしかに、そうですね☺️
大阪から青森まで乗り通す客は果たして何人いたのか。。。
かつて特急北陸、急行能登を数えきれないくらい利用したのですが、長岡を境に列車番号が変わるのはそのような理由だったのですね。勉強になりました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
少しでも動画を通して参考になって嬉しいです☺️
北陸は乗っていなかったので、反省です😖
ボンネット型の特急懐かしいです。
小さい時に親の田舎に行く時は、良く乗りました❗この頃の特急列車はブルートレインとか食堂車など情緒がありましたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
食堂車時代を経験したかったなぁ。ギリギリ世代ではなく、気軽に使えた食堂車は新幹線でした。親に無理を言って新幹線の食堂車を利用しました☺️それでも良い思い出です。
高級クルージング列車、たしかに乗車定員も減らし食事もあって快適なんだろうけど、ちょっと寂しいものです。😖
@@太郎三毛猫 今は数時間で到着し、しかも窓も開かないので、窓越しでの駅弁を買う事もなくなりましたね。列車の旅と言うより交通手段の一部になってしまいましたね。
昭和58年夏は、9時55分発でした
新潟で方向転換
食堂車もありました
夜中に青森着いて青函連絡船
函館で北斗と北海が止まってました
あのころはよかったです
素敵な映像ありがとうございました
青森では、電ハネ583系の寝台特急はくつるも待機していましたね。
私は現在大阪に住んでおりますが、生まれが青森の津軽地方(弘前近郊)です。普段大阪では近畿と東北との繋がりを意識できる物や文化風習等はその距離ゆえかとても希薄なのですが、少し以前まではこの特急列車がそれに関するモノの唯一でした(実際には双方の土地の方言である「なんぼ」や「ぬくい」などいろいろな繋がりを証明するものは在るのですが)。
自分も一度は通しで乗ってみたいと考えておりましたが、そうこうしているうちに廃止となってしまい、少し心残りでもありました。田舎に帰る際には新幹線でも東京駅乗換えで6時間かかりますので、ついつい80分で到着する飛行機に頼ってしまいます。
この動画のおかげで特急列車での帰省の疑似体験をすることができました。私は鉄道には詳しくないのですが、鉄道好きの方はこのように過去を記録として画像や映像として残してくださる方が多く、感謝しております。映像のアップロードありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
青森から日中から夜にかけて日本海縦貫し大阪まで。地道に走り抜ける在来線特急は胸が熱くなりました。
晩年の白鳥は全区間乗り通すような移動手段としての役割は終了していましたが時刻表に存在するだけで青森から大阪をつないでいると、特に所縁があれば感じるものだったと思います🤔
飛行機なら空港手続き入れても約二時間かぁ。新幹線も東京で乗り換え必須だったり運賃を考えたら移動手段は飛行機が圧勝なんですね(^_^;)
私が乗車したのは!?かれこれ40年前の夏になりますが今も昔も乗り鉄(葉っぱ車両好き🍀)なんで…さほど長時間でも疲れず愉しかった想い出があります。
白鳥に乗車したのは昭和48年8月、青森から新潟までです。当時青森の発車は4時50分で、上野行き特急「はつかり1号」と同時発車でした。さらに3分後の4時53分には、常磐線回り上野行き特急「みちのく」が発車しており、未明の青森駅は、まさに特急列車のオンパレードでした。
私が学生の時分、1982年から1986年ころまでの話なんですが、札幌が実家で住んでいたのが神奈川県、神奈川県から紀勢線を経由して大阪から札幌に戻る一筆書き切符とか、札幌から大阪以西、四国とか山陰、山陽地方へ旅行をするとか、1月に神奈川へ戻る際、わざわざ白鳥に乗って、京都で新幹線で小田原までとか、青森から新潟まで白鳥で上越新幹線利用とか、学生の頃、特急白鳥は青森ー大阪間を二往復半乗った記憶があります。確か、一筆書きの切符を作った際、本州内は、東海道本線ー湖西線ー北陸本線ー信越線ー白新線ー羽越本線ー奥羽本線と経路をメモした紙を持って行って、駅の旅行センターで切符を作ってもらった記憶があります。もちろん、総距離を積算してJTBの全国版時刻表に記載してある運賃計算特急料金の自由席も乗り継ぎ割引できちんと試算してですけどね!!
ちなみに、この時のことを今でも覚えているのは、日本海縦貫線の距離、青森ー大阪間、湖西線と白新線経由で、総距離が1023.5㎞と記憶してます。
あ!1023.5㎞って、新潟や白新線を経由しない距離、日本海縦貫線を新潟を挟んで通しで乗車する場合、信越線の新津から白新線に乗り入れる運賃計算だったことを思い出した。白鳥で日本海縦貫線を青森から大阪までのり通すと、1040㎞だった!!
ご視聴、コメントありがとうございます。😃すごい行程の列車旅ですね!
ここまで壮大な切符を買うと本当にワクワクしてしまいますね。しかも鮮明な記憶が素晴らしいです。私も学生バイト代をにぎりしめ紙を渡して切符を買いました。懐かしいなぁ
私も国鉄時代からのファンですが、485ボンネットは、最も気品のある特急らしい特急でした。
私の思い出として特急らしい特急は、日本海や白鳥、はくたか、とき、はつかり、ゆうづる、おおとり、オホーツク、北海、さくら、はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ、などでした。この時代の鉄道の列車を復活させてもらいたいものです。
485の初期型は晩年は痛み、車内のシートもへたりましたが、
特急としての風格はさいごまでありました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
長距離寝台列車で九州へ、なんだかワクワクしますね☺️飛行機で行くのとは訳が違う(^.^)
オホーツクもこれからの季節は最高なんでしょうね!晩年の485もそうですが平成初頭の車両もだいぶ痛んでるのがあって寂しいです。自分の中では平成の車両は、新型って認識でしたが(^_^;)
自分の年齢をかぞえてしまいます
太郎三毛猫さんご丁寧なお返事を賜りましてどうもありがとうございます。
最近は、私鉄はもとより、JRの電車の形式すら覚えるのがつまらくなり、新型電車の車内はきれいで素敵なんですが、色や外観などに新時代に馴染まないおじさんより年齢が孫のいる世代になってくると、あと何年鉄道ファンをやっていられるか、ふと考えます。
昔々上野発16時の1Mはつかりで青森までひたすら走り、青函連絡船大雪丸に乗船したことが初めての北海道蒸気機関車撮影旅行でしたが、時既に函館本線C62重連は一年前に廃止されていましたので、興味は宗谷本線のC55でした。しかし、当時流行りのカニ属よろしく周遊券の最長期間お金がスッカラカンになるまで道内あちこち蒸気巡りを、以来蒸気がなくなった後青函トンネルの時代になっても北海道は行きました。勿論、東北新潟、信州地方、もその倍以上、また名鉄や岐阜方面、当時の近鉄北勢線、近江鉄道も行きました。
話しが長くなりお詫びいたします。
私は、ビデオを撮りませんでしたので動画はとてもありがたく拝聴しています。これからも動画の新しい番組が出来ます時はよろしくお願いいたします。
敬具
長距離走る特急は、力強さ 感じますね!
ご視聴、コメントありがとうございます。
実際に乗りに行く機会はあまりありませんでしたが時刻表での存在感もすごかったですね!ページの上から下まで一行独占でした!☺️
時刻表通りのスケジュールで走らせてたところが凄いね
雪の積もる青森駅、
国鉄色を纏う485系。
唸るMT54型モーター。
四季が似合う国鉄色かっこいい!
ご視聴、コメントありがとうございます。
まさに男心をくすぐるカッコいいワンシーンですよね!
昼行列車はあまり乗ったことがありませんがこのような列車が大阪から青森までを繋いでいたと思うと感慨深いです。私もあけぼのによく乗りましたが時間もかかるし乗り心地もそこまでよくないけれど趣がある時代でした。新幹線も独特な楽しみがありますがやはり思い出補正もあるのかこちらの方がロマンがありますね。すごい!早い!の新幹線としみじみ趣のある長時間の移動。性質が違うので今なお復活を求める人が多いのもわかります。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
日本海縦貫特急はロマンありましたね!遅くて古くても風格がありました。思い出が補正されているかもしれませんね(^_^;)自分の年齢をかぞえてしまう😖
関東在住の者です。
新潟経由で関東に帰ろうと思い、一度だけ白鳥に乗った経験が有ります。
青森駅を出発した直後の停車中の案内を数分間聞いて、長いよと思いましたね。
青森駅⇄新潟駅間で白鳥復活しないかな?
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね、たしかに長い!読み上げも大変だったと思います!
需要ありそうだけどなぁ。復活したら嬉しいです☺️
今から50年以上前に札幌に行くため乗車しました。大阪駅午前8時出発ではなかったかなぁ。函館からは大空で札幌に。座席の向き変わったの覚えています。青森が近づくと青函連絡船に乗船名簿車掌さんが配っていました。その年水害で新潟の田んぼの稲が倒れていました。札幌について暫く身体が揺れているようなの覚えています。鉄道唱歌懐かしい。有名な駅弁買ったり大変でした
ご視聴、コメントありがとうございます。
当時、それだけ移動が大変だったのですね。今ですと、羨ましい体験ですが鉄道ファンでなかったら苦行だったんだなと感じます。
フェリーの旅は確かに下船後も揺れの感覚が残りますね。
昔、さよなら白鳥号のツアーに参加したことがある。青森までは行かなかったが新潟までの長時間乗車が懐かしい。
ご視聴、コメントありがとうございます。
そのような臨時列車があったのですね!知らなかったです!
新潟でもかなりの長距離ですよね☺️
生まれる少し前まで走ってたんですね!自分が大阪駅で見たのは特急雷鳥の新潟行き(多分臨時?)や寝台特急トワイライトエクスプレスの札幌行きなどで、夜は寝台特急日本海の青森行きや急行きたぐに新潟行きなど長距離特急を見てましたね。どれも今となっては懐かしいです。もう今は金沢~直江津は第三セクター会社になったので長距離特急はでないかな。
ご視聴、コメントありがとうございます。
日本海縦貫列車も最近までは熱かったんだなぁ😃今となっては寂しいですが、いつの日か車両は新型であっても長距離列車や夜行列車復活してほしいなぁ。
他社線でも東武鉄道や小田急も相互乗り入れしているので、期待できるかも??(^_^;)
特急白鳥
新潟駅で見た事があります。
同じ区間を夜行で走る寝台特急日本海
青森~大阪間
1040㎞も、めまい😵🌀がしそうな距離ですが、その全行程のうち3分1近い
鼠ヶ関~市振間約300㎞が新潟県である事を知ってめまい😵🌀がしている新潟県民です(笑)
小学生の時、日本の特急列車の本を買ったことがあって、大阪‐青森を走る白鳥を知りました☺️大人になってこの特急に乗ってのんびり旅してみたいなって思いました😄
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
昔は在来線特急も魅力的で本も読み応えがありそうですね☺️
今も走っていたら、乗りにいきたいです(^.^)
白鳥がキハ81から485系に電車化された当時は先頭車はボンネット型ではなく貫通型の485系200番台でした。そして食堂車が連結され青森寄りに2両のグリーン車が連結された姿は先行の雷鳥ボンネット型のクハ481と比較して異彩を放っていました。大阪駅で白鳥編成を見ると車端部に「盛アオ」の表記も東北から来た電車なんだなと実感しました。青森から大阪まで乗りましたが連絡船深夜便での寝不足で秋田まで爆睡しましたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
大阪で盛は異色すぎて見とれてしまいますね☺️ロマンですね!
キハ時代の白鳥や食堂車、乗ってみたかったなぁ!
晩年の白鳥しか見たことありませんが、それでも風格あったなぁ✨
@@太郎三毛猫 恐縮です。この動画を見て昔の在来線特急の華々しい頃を思い出してつい私見を述べてしまいました。これからも素晴らしい動画期待しています。
新車が間に合わずボンネットが連結されてた時期がありましたよ。
懐かしいです。自分が乗った日は白鳥の後を臨時の白山色の雷鳥が走りました。指定席が大阪〜青森で買えず、福井まで自由席扱いにしてもらい通しで買えました。
大阪→青森と乗り通しそのまま宿代わりにはまなすで函館往復して、青森から再び大阪行きの白鳥号に乗車して大館で降りキハ58の快速よねしろに乗り継ぎました。
高校1年のときです。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
私も贅沢な急行はまなすホテルで宿泊費を節約しました☺️むしろホテルに宿泊するなら、列車に乗っていたかったなぁ。同じく高校時代です!なんだか嬉しくなりますね☺️よねしろは眺めるだけでしたが似たような旅行行程でしたね☺️
@@太郎三毛猫 さん
同世代でしたか😄
自分もビデオカメラにMD録音しながら旅をしてました。
投稿動画見ましたが懐かしい映像ばかりですね。
当時はホテルよりも夜行列車ですよね(笑)
ほんと春夏冬と毎シーズン18切符で全国乗り歩いてました👍
当時東日本の三連休パスという最強の切符もありましたね。3日間特急新幹線もグリーン車乗り放題で大人24000円、高校生は半額の12000円という衝撃価格でした。
こんばんは。私は大阪ー青森間で運転されていた特急白鳥に2回乗車したことがあって。1回目は青函連絡船が廃止になった時に乗車しましたに青森から大阪まで乗車しました。2回目は特急白鳥が廃止になる前日とラストランの当日に大阪ー青森間と青森ー大阪間で乗車しましたよ。
ご視聴、コメントありがとうございます。通しで全区間乗ったのは一度だけでした。青森からは途中で降りてしまい、最後にようやく大阪から青森まで乗りました!
長いように思いましたが流れる景色は本当に美しかったなぁ
@@太郎三毛猫 さんあけましておめでとうございます。そうでしたね。
@@巻幡哲也-t4w
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します!☺️
大阪から青森まで乗り通しましたね。
グリーン車で行ったので流れ行く車窓を見ながら寝たり起きたり駅弁食べたりして最後に秋田辺りで大雨で長時間運転見合わせに遭いその影響で終着青森で。はまなすに間に合わず列車ホテルになり一晩過ごしたのも良い思い出です。
ご視聴、コメントありがとうございます。
急行はまなす乗れない状況かなりガックリしてしまいますね😖でも列車ホテルもなかなか体験できないなぁ。グリーン車だったのがまだ救いだったかもしれないですね☺️
白鳥からはまなすを乗り継ぎ札幌へ。
経験しとけば良かったなぁ!
太郎三毛猫さん、本当がっかりしましたが、運転打ち切りも無くそのまま青森まで行ってくれて青森到着が2時過ぎと云う貴重な昼行深夜乗車も経験しましたし、相手が天候なので仕方がないと思っています。当初の予定では日高本線の様似まで行こうと計画して、はまなすに乗れなかった代わりに、急行料金ではつかりと北斗のW特急に乗れて寝台券も返金して貰ったのでその点は良かったかなって思っています。
485系美しい
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
シンプルなデザインでありながらカッコいいですよね!
自分は大阪からではなかったですが、名古屋から富山までしらさぎで行き富山から終点の青森まで白鳥に乗りました。長時間でしたが楽しかったですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
しらさぎも長年国鉄車両で本当に貴重な存在でしたね!
富山から青森も圧巻ですよね☺️
中学校、高校の修学旅行でお世話になりました。中学校の時はJRになって最初のときでした
自宅から最も近い停車駅の直江津でよく見ました。
はくたかや北越などが多く走ってる時代でさえ異質な青森、大阪の表記でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。
直江津、いいところですね☺️かつては在来線特急が多数見られたり、少し離れていますが、ほくほく線の高速特急も見物だったと思います♪
いまは、新幹線開業で在来線は寂しくなりましたが動画を通して情報を共有できたら嬉しいです。えちごトキめき鉄道の社長さんも千葉でキハ52など導入したりとした実績があるので、何かと注目ですね☺️
特急白鳥のアベコンベは、寝台特急日本海でしたね。
こちらは、2012年に引退しましたね。
白鳥に乗った思い出
まず
初めて乗ったのが1980年8月、区間利用だったけど、新潟にいる同級生のところへ遊びに行ったとき
初めての道中で寝ないで行ったので、風邪ひきました。
2度目が1982年7月下旬
(大阪発10:20頃ー青森着23:50頃)
紀勢本線をぐるっと回って大阪に出てから札幌に帰るとき、北海道旅行の学生とかも自由席には結構乗って混んでいて、新潟以降、車内販売のお弁当を購入できず、リンゴチップを買って、青函連絡船に乗ってからお弁当を買うまで、空腹をしのいだ記憶
3度目、1982年8月下旬
(青森4:50頃ー大阪着18:30頃)
札幌から四国へ行ったとき、四国ワイド周遊券を使って、帰りは小田原で乗り捨てだったが、日本海縦貫線は、当然白鳥を利用、青森から大阪まで東京経由で新幹線を使うと、自由席とはいえ東海道新幹線の料金が9000円ぐらいかかったことを記憶している。新潟かだったか糸魚川から富山間で富山名物の駅弁鱒の寿司を車内販売で売っていて、担当の人が、その当時12両編成の車内を何度も往復して、富山着直前で「車内販売は、次の停車駅、富山で終わらせてもらいます。」と車内放送でアナウンスされて、あせったことを今も思い出す。じつは、富山以降は、金沢駅の車販が乗車してなんともなかったんだけどね。
お弁当のカート係と会計係の2人ペアで車内を回っていました。これは上り下りがたぶん、富山ー糸魚川か新潟間だったかな?
4度目、たぶん1983年か1984年の1月の初め
青森から大館くらいまでは雪国、秋田以南、冬なのに線路に雪がな~い
ええ!!と思った
5度目、1984年3月(山陰地方へ行くのに利用)
お弁当の件は体験済みなので、問題なかった。
この時は、札幌12時台の183系のおおぞらで函館に行き市内観光、青函の深夜便でしょっぱい川を渡り、白鳥で大阪まで乗り通す、京都に戻って、山陰線の夜行普通列車「山陰」で出雲大社駅をめざした。
札幌駅から出雲大社駅まで、足かけ2泊3日の道中
こんなところです。
あとは、記憶がさだかでないのでごめんちゃい!!
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
約40年前の記憶を鮮明に覚えていてすごいです!
私は下手すると去年の旅行のことも忘れていたりするので(^_^;)これからは乗った車両の番号くらいはメモしようかなと思います。
1980年代は新幹線から寝台列車まで多岐に渡り移動手段を選択できるので楽しそうです!時刻表を片手にあてもない旅に出掛けても本当に楽しそうです。
今の時刻表を見ると在来線特急が本当に寂しくて😖運行時間も1時間から2時間位ばかりになってしまいました。
常磐線の仙台直通特急復活は意外でしたから、これは嬉しかったなぁ☺️
長距離列車の最初って、みんなワイワイしてるよね。
1時間半後には、ほとんどの人が爆睡してるけどw
ご視聴、コメントありがとうございます。
最初に寝るのは私です(^_^;)
今は長くても2時間くらいの特急が主流になってしまい寂しいものです。😖
乗りたいと思っていたが、かなわなかった。やはり485系ボンネット国鉄カラーは美しいですね。
西村京太郎トラベルミステリーでは「特急白鳥十四時間」だから、その時から比較してもかなり時間短縮されているんですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
西村京太郎もちょっと懐かしいですね☺️
鉄道を扱うドラマも見なくなってしまいました😖
@@太郎三毛猫 昔は、さすらい刑事とかその前は鉄道公安官とか、鉄道の現場が出てくる面白いドラマがけっこうありましたね。
新幹線は早くて便利だけど、旅をたのしむなら、在来線特急とか寝台特急ですよね。鉄道唱歌も感傷深い。良き昭和の時代。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですよね!
寝台列車は需要ありそうだけどなぁ。夜中に移動できるのは、求めている人もいると思います(^.^)
なんと貴重なものを...
485ボンネット大好き
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね!ボンネット特急がカッコいいと思います♪
今じゃほぼ日本全国新幹線で繋がって、早いし便利では有るが、旅の楽しみはすっかり消えたね。長時間で疲れるけど、それが良かったんだよね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
時刻表の在来線ページがすっかり寂しくなってしまいましたね☺️在来線特急は二時間くらいで終点というのが主流で(^_^;)
新幹線も速いし座席も悪くはないけど…(^_^;)時代の流れなのかな✨
青森駅では上野発のみちのくと同じ時間に到着していました。また出発も同じ時間に出発していましたよ。
青函連絡船の深夜便、函館から青森の便は、
12便 2便
函館発 0:15 0:40
↓ ↓
青森着 4:05 4:30
(1980年3月改正の青函連絡船のダイヤの記載サイトを参照しました)
この2つの便が青森駅で、みちのく、はつかり、白鳥に接続していていた。
下り1便と11便もありました。みちのく号を乗車した時青森駅に近づいたら奥羽本線経由の白鳥号がみちのく号と一緒に青森駅に到着したのが懐かしいですね。
皆さん書かれていますが、青函連絡船に合わせていたんですよね。
学生の頃、大阪から北海道ワイド周遊券で白鳥に乗り、北海道へ旅行したのが懐かしいです。
帰りは寝台特急日本海で帰りましたが。もう30年以上前のことです。
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トンネル開通後ははまなすに接続
子どもの頃、絵本で見たときはディーゼルカーでしたよ。
当時東京在住で、大阪↔青森なのに東海道線を通過している姿を全く見たことなかったのが不思議でしたね😵
ご視聴、コメントありがとうございます。
ディーゼル時代もあったようですね。見てみたかったものです。たしかに大阪から青森ですと東海道じゃないの!?って思ってしまいますよね。
今から約40年前に、修学旅行で京都から青森まで乗りました。
その時は、台風と一緒に北上したのを覚えています。
おかげで、12時間掛かるところが、14時間掛かってしまいました。
懐かしい動画ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
かつての修学旅行は、鉄道ファンにはたまらない行程だったのですね!列車酔いし易い人は苦行でしたね(^_^;)
運休にならず良かったです☺️
1991年から1998年まで幾度となく利用しました。1997年当時までは上沼垂編成でデラックス車両と呼ばれており、指定席とグリーンは格別で乗るのが楽しみでした。
2000年秋に青森から富山まで利用したのが最後となりました。
今でも思い入れのある列車です。
ご視聴、コメントありがとうございます。
特急白鳥の思い出いいですね!民営化直後は各社が競うように新車両を出したり国鉄車両リニューアルなど盛り上がっていたと思います。しばらくすると、長距離列車は次々消えていきましたが、特急白鳥は2000年代まで残ってくれました。
当時の貴重な思い出をコメントにしていただき、ありがとうございます。
太郎三毛猫さん
返信ありがとうございます。
こちらこそ貴重な映像に感謝しております。
青森にいた頃、学生時代に白鳥は青森と弘前で数えきれないほど乗りましたし、上沼垂の白鳥時代は長期の休み期間を利用して、金沢や京都への旅行で毎年乗っていました。
往復白鳥にしたことも何度かあるくらい、乗るのが楽しみでした。
長くなりましたが今後ともよろしくお願いします。