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更科日記を知った時、オタクの本質は千年ずっと変わらないのだなぁと思って初めて古文に共感した思い出。
日本の本質としての伝統はヲタクであるのがよく分かります。説話とか勧善懲悪じゃない物語を楽しむ気風は日本人の想像力&創造力の根源ですね。
高校古文の参考書の結構なページを割いている更級日記の作家、菅原孝標女の概要を知ることができてありがたいです。更級日記、浜松中納言物語の執筆はほんとうに人生の終盤で、一気に書き上げた傑作であることがわかりました。
菅原孝標の生涯を拝聴すると、現代の恋愛・結婚・人生観への学びになる様なエピソードが連なっている印象です。
貴族の娘としてはあまりにも平凡すぎる人生だったのだろうけど、彼女の人生を振り返って生み出した作品が1000年先も多くの人の共感を得る事になったのはとても意義深いと思う。「何物にもなれなかった」と思っている人に対して、人生の最後まで人は何かを生み出せるという事を示してくれた彼女は、とても勇気づけてくれる存在です。
孝標女の生涯、初めて全容を知ることができました。ありがとうございます。非常にユニークな人生ですね。紫式部とオーバーラップしているところがかなり多いです。姉を亡くす、父が出世できないために婚期が遅レた、など。親父は学問嫌いで、寧ろ弟の方が学者肌という点は、紫式部の家と逆ですが。孝標女は作家としては遅咲きですが、色々な人生経験が創作に生かされた様ですね。
NHK教育番組で初めて知りました。愛称はさらちゃん。清少納言を演じていたのは鳥越まりさんで納言なごんちゃんと呼ばれてました😊
文才があってよかった
夢見る夢子ちゃんの本質は、変えられなかったか…他力本願というか…自分自身の生を生きるのが遅すぎたね。
かつて中学校時代初めて感情移入できた古文が、更級日記でした。遠い過去の貴族ではあっても、同世代の夢見がちなムードが、かつての私には親しみ深く映り古文とは思えないくらい分かりやすく描かれていて、驚いた記憶があります。今にしてみれば、まさにティーンエイジャーの乙女心をくすぐる要素満載で、昔の少女マンガ的な雰囲気だったのでしょう。自分と同じ境遇の人物を見出し同調するのも定番で、彼女にとっては受領の娘、東国で育つがキーワードで浮舟に憧れたのだと思います。女性の自立より貴公子と身分を超えて結ばれることこそを夢見るのもこれまたかつての少女マンガ的展開で、彼女がいかに典型的なロマンチストかが分かりますね。実際の宮仕えは物語のようには運ばず、素敵な貴公子との出会いもなく平凡な生活だったでしょうが、後年資通との語らいは、唯一心弾む出来事だったでしょう。おそらく彼は彼女の姪に興味があったと推察しますが、それでも彼女には良き思い出になったことでしょう。いずれにしても、更級日記が後世に伝えられているのは素晴らしく、彼女の思いを時を隔てて追体験できるのは文学の色褪せない特徴故ですね。
更級日記は子供の頃実家にあった、日本の古典文学の複数作品から一部内容を抜粋して子供向けに要約して纏められた短編集に収録されていた動画内に出てくる猫のエピソードで初めて知り(その頃は更級日記のそれだとは知らなかった)、その後地元の公立図書館に収蔵されていた古典文学の漫画化作品集にあった「更級日記」を読んで内容の全体を知った作品だったので、動画を見て改めて懐かしさを感じた次第です。↑余談ですが、上記の漫画作品集『日本の古典』(暁教育図書)では、更級日記の他にも「8マン」の作画者・桑田二郎(当時は“桑田次郎”名義)作画の「源氏物語」なども発刊されてました。
令和の今なら、ビックサイトで同人誌売ってそうな孝標女…
1:28 「バケモノを産んでしまった」と紫式部に言わしめてるちぐさちゃんだけど、父と姉も大概なので、家族内だと常識人枠な可能性がある。ちぐさ父→菅原道真の子孫。道真直筆の書に自分で一筆加えて周囲をドン引きさせる。ちぐさ姉→猫好きの不思議ちゃん。「中納言行成の姫」の生まれ変わりの猫を拾ってしまい、振り回されることに。
彼女が憧れた浮舟も、本当の意味で自分を大切にしてくれない貴公子2人を断ち切って、仏の道に生きていくんですよね〜年を重ねるほど憧れというか…影響を受ける存在ではあります。
「皇后になるより嬉しい」と更級日記に書いていますね。紫式部死後まもなくに源氏五四帖が成立していたとは驚きですね
この人が、「光る君へ」の最終回に出てくるの?
後に信仰に目覚めたのは所謂”現世利益”目当てだったのか。浜松中納言が欠巻してるのがなんとも。
冷泉家の蔵とかにひっそりと藤原定家辺りが書写したのが残っていたら感動するのにね。更級日記も藤原定家の書写があればこそだったし。(歌人としての功績もさることながら、こちらの功績も偉大ですね)そもそも源氏物語も、現在知られている五十四帖が正しいのかというと?他の人の加筆説のある部分あったり、逆に本編に幾らか散逸した部分があるのでは?と思う節があるしね。
平安時代の仏教の多くが現世利益を主に説いていたようなので、菅原孝標女がとくに欲深かったというわけではないと思います。仏教が死後や来世での救済を主に説くようになるのは、武士が台頭して戦乱が始まり人民や社会が荒廃し始めた鎌倉時代以降らしいです。
サムネに映ってる女の子は誰ですか?
更科日記を知った時、オタクの本質は千年ずっと変わらないのだなぁと思って初めて古文に共感した思い出。
日本の本質としての伝統はヲタクであるのがよく分かります。
説話とか勧善懲悪じゃない物語を楽しむ気風は日本人の想像力&創造力の根源ですね。
高校古文の参考書の結構なページを割いている更級日記の作家、菅原孝標女の
概要を知ることができてありがたいです。更級日記、浜松中納言物語の執筆は
ほんとうに人生の終盤で、一気に書き上げた傑作であることがわかりました。
菅原孝標の生涯を拝聴すると、
現代の恋愛・結婚・人生観への学びになる様なエピソードが連なっている印象です。
貴族の娘としてはあまりにも平凡すぎる人生だったのだろうけど、彼女の人生を振り返って生み出した作品が1000年先も多くの人の共感を得る事になったのはとても意義深いと思う。
「何物にもなれなかった」と思っている人に対して、人生の最後まで人は何かを生み出せるという事を示してくれた彼女は、とても勇気づけてくれる存在です。
孝標女の生涯、初めて全容を知ることができました。ありがとうございます。非常にユニークな人生ですね。紫式部とオーバーラップしているところがかなり多いです。姉を亡くす、父が出世できないために婚期が遅レた、など。
親父は学問嫌いで、寧ろ弟の方が学者肌という点は、紫式部の家と逆ですが。
孝標女は作家としては遅咲きですが、色々な人生経験が創作に生かされた様ですね。
NHK教育番組で初めて知りました。愛称はさらちゃん。清少納言を演じていたのは鳥越まりさんで納言なごんちゃんと呼ばれてました😊
文才があってよかった
夢見る夢子ちゃんの本質は、変えられなかったか…他力本願というか…自分自身の生を生きるのが遅すぎたね。
かつて中学校時代初めて感情移入できた古文が、更級日記でした。遠い過去の貴族ではあっても、同世代の夢見がちなムードが、かつての私には親しみ深く映り古文とは思えないくらい分かりやすく描かれていて、驚いた記憶があります。今にしてみれば、まさにティーンエイジャーの乙女心をくすぐる要素満載で、昔の少女マンガ的な雰囲気だったのでしょう。自分と同じ境遇の人物を見出し同調するのも定番で、彼女にとっては受領の娘、東国で育つがキーワードで浮舟に憧れたのだと思います。女性の自立より貴公子と身分を超えて結ばれることこそを夢見るのもこれまたかつての少女マンガ的展開で、彼女がいかに典型的なロマンチストかが分かりますね。実際の宮仕えは物語のようには運ばず、素敵な貴公子との出会いもなく平凡な生活だったでしょうが、後年資通との語らいは、唯一心弾む出来事だったでしょう。おそらく彼は彼女の姪に興味があったと推察しますが、それでも彼女には良き思い出になったことでしょう。いずれにしても、更級日記が後世に伝えられているのは素晴らしく、彼女の思いを時を隔てて追体験できるのは文学の色褪せない特徴故ですね。
更級日記は子供の頃実家にあった、日本の古典文学の複数作品から一部内容を抜粋して子供向けに要約して纏められた短編集に収録されていた動画内に出てくる猫のエピソードで初めて知り(その頃は更級日記のそれだとは知らなかった)、その後地元の公立図書館に収蔵されていた古典文学の漫画化作品集にあった「更級日記」を読んで内容の全体を知った作品だったので、動画を見て改めて懐かしさを感じた次第です。
↑余談ですが、上記の漫画作品集『日本の古典』(暁教育図書)では、更級日記の他にも「8マン」の作画者・桑田二郎(当時は“桑田次郎”名義)作画の「源氏物語」なども発刊されてました。
令和の今なら、ビックサイトで同人誌売ってそうな孝標女…
1:28 「バケモノを産んでしまった」と紫式部に言わしめてるちぐさちゃんだけど、父と姉も大概なので、家族内だと常識人枠な可能性がある。
ちぐさ父→菅原道真の子孫。道真直筆の書に自分で一筆加えて周囲をドン引きさせる。
ちぐさ姉→猫好きの不思議ちゃん。「中納言行成の姫」の生まれ変わりの猫を拾ってしまい、振り回されることに。
彼女が憧れた浮舟も、本当の意味で自分を大切にしてくれない貴公子2人を断ち切って、仏の道に生きていくんですよね〜
年を重ねるほど憧れというか…影響を受ける存在ではあります。
「皇后になるより嬉しい」と更級日記に書いていますね。紫式部死後まもなくに源氏五四帖が成立していたとは驚きですね
この人が、「光る君へ」の最終回に出てくるの?
後に信仰に目覚めたのは所謂”現世利益”目当てだったのか。
浜松中納言が欠巻してるのがなんとも。
冷泉家の蔵とかにひっそりと藤原定家辺りが書写したのが残っていたら感動するのにね。更級日記も藤原定家の書写があればこそだったし。(歌人としての功績もさることながら、こちらの功績も偉大ですね)
そもそも源氏物語も、現在知られている五十四帖が正しいのかというと?他の人の加筆説のある部分あったり、逆に本編に幾らか散逸した部分があるのでは?と思う節があるしね。
平安時代の仏教の多くが現世利益を主に説いていたようなので、菅原孝標女がとくに欲深かったというわけではないと思います。
仏教が死後や来世での救済を主に説くようになるのは、武士が台頭して戦乱が始まり人民や社会が荒廃し始めた鎌倉時代以降らしいです。
サムネに映ってる女の子は誰ですか?