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むちゃくちゃわかります。自分の趣味や好み、自分の解釈にそぐわなくても、一流の演奏にはやはり圧倒的な「説得力」があります。自分の好みでなくても「これはこれであり」だと思わせてくれる力があります。これが自分の中では基準になっている気がします。
いつも車田さんのお話には感心しています。やはり、クラシックの本場で活動している方の話は重みが違います。私はドボルザークの新世界が大好きなのですが、ある評論家が、ケルテス、ウィーンフィルだけで後はいらないと書いていました。この人の感性は何だろうかと思いました。カラヤンもノイマンも小澤もショルティもペシェクも、そしてケルテスもののみな感動します。この曲の持っている力だと私は感じます。
とても感動いたしました。深く難しいテーマを丁寧に真摯にお話してくださり、感激いたしました。ありがとうございました💐💐
昔はインターネットが普及していなかったので、批評家の書いていることを頼りにするしかありませんでしたが、今はある意味誰でも自称批評家になれてしまう時代ですね。最近は昔ほど人の評価を気にしなくなり、自分の耳を信じられるようになってきました。やはりいいと思うものは何度聞いてもいいのです。それでいいですよね。
「好き嫌いを超えて学ぶ」…これは万事に通じると思います。深いです。
車田さんの動画を見るようになって、ドイツ歌曲の本やドイツ語の本を図書館で借りて読んだり、ピアノやオペラなどのコンサートに行くようになりました。自分は軽度知的障害があり、楽譜があまり読めません。クラシック曲を良いと感じる事は感覚でしか分かりませんので評論などはできませんが、感情に寄り添ってくれる音楽を、これからも大切に聴いていきたいと思いました。いつも、分かりやすく動画を作ってくださって、本当にありがとうございます。
😊😊
SPレコードの時代は、レコードが超高価だったので、どの録音を買うかという時点で、評論家の存在が大きかったのでしょうが、今はネットの音源やCDの廉価ボックスとかあるので、自分で聴いてみて判断するという自由度が広がったのは確かですね。既に鬼籍に入られた評論家の方で、それこそ演奏家の人格否定に抵触する批評に名を借りた誹謗中傷をしていた人がいましたが、そういう断定をする人のエピゴーネンは声が大きいので、とても辟易した覚えがあります。スコアから音楽を解釈できない人は、聴きなれた演奏に引きずられるというのは、全く同感です。地元のアマチュアオーケストラでも、感動的な演奏があったり、生で聴く演奏、スタジオ録音の演奏、ライブ録音演奏、それぞれ良いところがあると思います。私は素人なので、最終的な判断は自分の好き嫌い以外にありえないのですね。最近は、聴きなれた演奏と違った演奏を面白いと思えるようになって、音楽の世界が広がったような気がします。これからも、音楽を楽しんでいきたいと、車田さんの動画を拝見して改めて思いました。
音楽の良し悪しは、聴く人の感性などによって左右されるので、評論家がどう言おうがあんまり関係ないように思う。10人いれば、10通りの解釈がされるものだし・・・となると、評論家は、演奏者の音楽に対する解釈を、演奏から掘り起こし、明示してくれる時にこそ、存在価値があるように思う。自称評論家=一般聴衆だと思えば、もやもやするまでもないかと😅
素晴らしい番組で感動しています。お話の内容も本当に丁寧に上手くまとまっていて魅了されています。先生の深い洞察、鋭い観察や視点、視聴者へのアドバイスも、身近な例と優しい言葉で、語りかけて下さっているので、私のような無知でクラッシック初心者にも大変わかりやすいです。この素晴らしい番組を作成・発信してくださって本当に有難うございます。
高校生のときだったか、トスカニーニさんの「運命交響曲」について、黒田恭一さんと福永陽一郎さんだったかが正反対の評論を雑誌に書いていた。「私はこの演奏を一生聴き続けるだろう」と「硬直した姿勢に呆れ果てた」と。どっちがどっちか忘れたが、「やはり音楽は評論家の意見など読まず、自分の判断で好きなものを聴くべきだ」と思った。
「自称評論家」に対する一方的な苦言ではなく公平な視点に立っておられることを感じました。自分もツイッターなどで自分が行ったコンサートの感想を書いたりしますが、アマチュアの底辺レベルなりにステージに立つまでにどれだけ涙ぐましい努力を重ねてきたかはわかっているつもりなので、まずは敬意しかないです。
今回も心に沁みる神回でした
奥が深いです、私には一生たどり着けない、同時に一生楽しめる探求できるのだと改めて思います。
改めて音楽の懐の深さ、裾野の広さ、多面性を感じさせるお話でした。
車田先生の動画を見るといつも謙虚な気持ちになれます。そして新しい発見があり、明るい気持ちで明日を迎えられるような気がします。
「自分はこの演奏が好きです」と投稿したのに対し、「何が良いのか分からない」とわざわざ返され、自分の好みを否定されるのが辛いです。学術論文に対しての反論じゃないんだから、自分と違うなら放っておいてくれと思います。
言い方に問題はありますが、私も似たようなことを言うことがあります。私にはブラームスの何がいいのかわかりません。友達にそう言うと彼はブラームスの素晴らしさを延々と語ります。こんな話も結構楽しいです。その影響か、最近ブラームスのピアノ協奏曲第2番が大好きになりました!
@@クープランフランソワ 気心のしれた友達同士で、お互いが理解していればそんな会話も問題ないと思います。ネットやSNSなど世界で、なんで見ず知らずの他人からそんなこと言われないといけないのかと考えた上でのコメントでした。
車田さんの談話はレコード批評がないのが好きです。いいレコードの紹介は歓迎です。車田さんのよもやまの音楽談話(作曲家や演奏家、指揮者の背景等)が大変「楽しい」です。
私も車田さんの仰ることに大変共感しております、やはり音楽を深く勉強されているから説得力があります。私の様な一般聴衆は、究極は「好き嫌い」で聴いていますし、ネットでお薦めの名盤と言う記事は、殆ど読みません。CDを買うと解説が書いてありますが、これも5~6回聴いた後で読みます。そうすると、自分の感じ方と違う解説も多々ありますがその違いを知るのも楽しみのひとつです、人それぞれ感じ方が違うんだなと思います。クラシックファンは、大変少ないので、中学高校時代から社会人になって、定年退職した今でも、音楽について語り合える友人は一人か二人ぐらいしか居ませんでした。それはちょっと寂しいですね。 ま、他に趣味が沢山あるので人生楽しんでいますけどね。
よく勉強されてるから、話が面白いです。 周りにクラシックとかを詳しく語る人がいないので、このチャンネルが楽しいです。 偉大な作曲家ってすごい勉強するんだなと、最近になって気づきました。 あれは、勉強の成果の賜物だと。
とても勉強になりました❤さすがプロの見方ですね!
偉大な音楽家の演奏にはそうする理由がある、嗚呼私もこれが分かるようになりたい。それまでは聴衆として音楽談議を楽しみたいと思います🙂。追伸:イタリア発祥のお菓子カントチーニとコーヒーの相性よさそうですね、クリームをつけても美味そうです。
評論に対して車田さんの謙虚で冷静な捉え方は良いですね。現役のアーティストとしては思うところもあるのかと思っていました。我々リスナーがより深く視野を広げようとする時に弊害となるのものの一つが、音楽評論だと私は思っています。そんな難しいことだったらもう勘弁と感じることが多いからです。結局自分で色々聴いてみるしかありません。現在では演奏者の映像にもふれることもできるので私の演奏家への尺度は、その演奏から感じるその人の人柄です。それが先ず第一でその次がまわりの評判で、それならもっと聴いてみよう何かかんじるかもしれないなというところです。演奏会への評論は、野球やサッカーの試合への感想とあまり差がないように思います。その演奏家が次のステージでどんな演奏をするのか誰にもわからないからです。がんばってください。
素晴らしい解説ですね〜同感ですね〜👏👏👏車田さんにハマって❓しまいます〜🎶✌️
毎日たくさんのRUclips動画を見る年金生活者です。TVが面白くないからですが。そんなRUclipsの動画の中で本日、この動画が最もよかったです。深い内容を本当にわかりやすくお話しくださり、感激です。・・先生のおかげで、中古CDをポチる回数が増えてしまいました。 (^^♪
ライブでもかなりな時間を割いてもらったのに、談話でも丁寧に解説して頂き感謝です。私は単なる好事家ですが、高校生だったころから40年ぐらいもやもやしているのです。原因は音楽雑誌の記事でした。投稿だったかもしれませんが自分より先輩の意見として、例えば・ミッキーマウスと共演した有名な指揮者は、楽譜に勝手に手を入れるのがケシカラン、聴くに堪えない!・マタイ受難曲の復活公演をした作曲家は、金持ちのボンボンであり、そんな輩の曲などつまらない!・リンツ出身の作曲家の弟子は、師匠の作品に手を入れて改悪した!etc今なら笑える話なのですが、まだ純真だった私は真に受けてしまい以降30年も手を出さずにいてしまいました。印刷媒体でもそんな影響が有ったのに、ネット界ではもっと踏み込んだ誹謗と受け取れる表現をなさる方もいて今の中高生がそこを変な風に真に受けないでほしい。もっと言えばちゃんと自分で聴いてみてから、好き嫌いの判断ができるようになってほしいなと願っているつもりです。
今の中高生は多くの情報の中で大変だと思います。まだ自分で取捨選択できませんからね・・。
「レコード芸術」や「名盤本」は、クラシック音楽を聴き始めた初心者の頃には大いに参考にさせていただきましたが、現在はほとんど読んでません。結局のところ、演奏の評価は聴く人の好みに左右される部分が大きいと思います😙ところで、「レコ芸」で評論文を書いているのが高齢男性ばかりなのは、個人的にちょっと異常だと思いますね。ドイツのクラシック音楽雑誌などの批評も同じような状況なのでしょうか❔
同感です
クラシック音楽の偉大なる演奏家がいるからこそ、一般大衆は素晴らしい音楽に触れることができます。これは批評するなんてとんでもない。ただただ感謝あるのみです😊
結論から云うと自分の好みでOK!ただ、、宇野功芳さんのだけはさけてね!。あの人のは「批評でないからね」それでも一定の人には人気があるのよね~。。困ったもんだわ~。
吉田秀和もですね。
私は、車田先生がおっしゃるように、宇野功芳さんのレベルまで達しないと宇野功芳さんの良いも悪いも言えないと思っています。
たしかに!
非常に難しい議題に対して大変真摯な意見をいただいたと感じています。今回の先生の言葉を忘れずに音楽と接していきたいと思います。ありがとうございました。
コーヒー飲んで「あ~、美味い」と言われるところ、解かります。コーヒー美味しいですから、同感です。何故かおかしくなって、ニコッと笑ってしまいます。わたしは音楽は素人ですが、お話がおもしろいので視聴しています。今回は少し難しかったです。2023/11/20
車田さんの話は耳に快いです。どうしてかなと思いましたが、私と同じ福島県出身なのですね。車田さんは訛りのないきれいな日本語を話されていますが、どこか通奏低音のように福島県の響きが感じられます。
車田先生今日も素晴らしいご投稿ありがとうございました(^_^)好き嫌いと匿名性、本当にそうですね!違和感や好き嫌いを超えて割と最近のプレトニョフやポゴレリッチを聴き本当に、全てを分解して聴かされていると言うより見せられている感じがし「こんな曲だったんだ、まだまだ楽譜が読めていないな」と思った物です。。。お袋の味が最高と思っていた、という感じでしょうか。。。以前、それなりに有名な文学博士出身の音楽評論家の先生と仕事をしたことがあるのですが少なくとも、演奏に関しては?????????????????????????でその方の指揮で演奏しなければならなかったのですが、ほぼ不可能で、本当に大変でした。あまりの驚きに目が点でした。。。膨大な知識はお持ちでも、演奏経験がない、またはほとんどない。けれど、それなりに社会的地位も権力をお持ちで、その方に仕事を回してもらうため友人や先輩を含め、それなりの演奏家がいつもその方の周りにはいました。有名な方でこれなのですから、匿名で音楽を学んだり経験のない偏った嗜好の自称の方々。。。でも、これを信じてしまう方もいらっしゃるかなあと。。。すみません!愚痴になってしまいました(;_;)車田先生の事の本質を見抜き、海外から、暖かい目で、日本の在り方を語って下さっている専門的かつわかりやすい素晴らしいご投稿は本当に貴重です(*^_^*)現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
音楽カテゴリーに限らず、すべてに当てはまる話しでした。
ありがとうございます!
ありがとうございます😊😊
そうですね!私ごとですが無知蒙昧で言うのですが、後で無知の知を知ることになります。一方私ごとなど気にしないだろうと言う甘えもあった。RUclipsに不慣れさは悲しいことです。
音楽評論家の場合、音楽性だけでなく文章作成能力も必要ですね。音楽評論家コンクールをやれば、彼らの優劣が明確になるかな?
車田さんのお話を聞いて、これまで聴いてきた曲に新たな姿勢で聴き直そうと思い始めました。歌曲へも関心が湧き始め、こちらは手付かずの曲が多いので楽しみです。演奏家の他の演奏家の批評が気になるところで、ブレンデルは自著で批評しており、とても面白かったです。
私も3万人記念のLIVE配信に参加してたので、自称評論家っていうのは気になってました。なので、今回の動画は自分にない知見が得られて勉強になりました。実はボニゾッリもドミンゴも好きだったので、RUclipsで御二方の歌唱力を比べた動画で、一方が批判されショックでした😢それからは批評を見なくなりました。私は批評を見ずに自分の感性に委ねてクラシックを聴くしかないです。追記:好きなオペラ歌手、テノールばかりですみません。
中学校や高校の吹奏楽部が演奏している動画にやれヘタだの音程が合ってないだの縦がそろってないだのとケチをつける「評論家」も多いですね。
昔から疑問に思っているが、月刊誌にレコード批評のページがある。昔は毎月の新譜が何10枚もあってそれらを批評しているわけだが本当に聴いて批評しているのかということです。本業が他にあって傍らで批評記事を書いていると思われるんだが、1枚通してきくだけでも1時間近くを要す。全部聴くには莫大な時間を要すはずなので本当に全部聴いているのかということ、頭の部分だけちょっこと聴いて、あとは演奏家に対するイメージなどから適当なこと作文しているのではないかと。
ビスコッティ?…かなあ?私も好きです🤗
コーヒーはどのように淹れていらっしゃいますか? 私は最近はフレンチプレスです。忙しい朝はインスタントですが。「ミスを許せるか」の回も思いだされました。指揮者の故、岩城宏之さんは「お願いだから音楽を分かるとか分からないとか言わないで」といったそうですね。私などはどちらかと言うとそんな聴き方かなと思います。高校で吹奏楽部の友人と田舎町でのプロオケ演奏会を聴いた後、友人や行き交う大人が演奏の良し悪しを批評・評論・批判・非難・誹謗・中傷するのを疑問かつ不快に思っていました。それは基本的には今も続いてます。私の演奏会後の基本姿勢は「良かった!」「凄かった❗️」「サイコー❗️」「来てよかった❗️」「生きてると良い事あるな❗️」「また明日から頑張れるぜ❗️」といったものです。まあ、それは私の態度で、仰るように友人・知人と感想を述べ合うのも楽しいでしょう。しかしやはりブログ他で腰を据えてとなると、仰るように「公」というのを意識してもらいたいという事になりますし、読んでいながら鼻持ちならないなと思ったりすることもありました。
非常に限られた資金(お小遣い)で自分の好みの音源(CD、ストリーミング)を購入しようとする時に、自称公称問わず評論家からの情報をどのように活用するかが重要ですね。評論家の総評(演奏の良し悪し)などほとんど当てになりませんが、テンポが速いのか遅いのか、リズム感が鋭いのか甘いのか、録音がどんな感じなのか(温度感や音像の遠近など)のような演奏の具体的な特徴は割と参考になります。先ずは自分の好みを整理して必要な情報を具体化していくと膨大な選択肢を絞り込む事が出来ます。そして歳を重ねるとだんだん理想に囚われなくなり、散財が激しくなります💦
うーん、これは自分にとって頭がいたくなる話でした。自分は、音楽の力によって何度も救われてきた人間ですのでやはり自分の意見に固執しがちです。ネットで強い発言をすることもありますから名前を晒しています。モーツァルト、ベートーヴェン、エルガーあたりは大体楽譜に目を通していますけどマーラーあたりになると正直、複雑すぎてわかりません。楽譜を見て初めて見えないことが見えてくると自分に教えてくれたのはエルガーでした。プロの車田さんに自分には、カラヤン、ベームの批評はできないと言われたら我々は口を閉ざすことしかできないですね。なるべく他人の趣向を尊重できるようになりたいものです。
音楽評論、これは私は色々裏も知っているし、音楽評論家と若干の面識もあるので、車田さんとは少し違った考えを持っています。演奏の良し悪し、これは純粋に演奏の良し悪しというものは存在しないと思っていますし、純粋に客観的な評論は存在しないと思っています。評論には絶対主観が入ります。音楽のバックボーンも重要ですが、主観としてどういうスタンスで評論を行うのかということも重要と思っています。また、音楽評論の持つ意味が一昔前と今では大きく違ってきていると思います。以前は会社員の給料に比べ、レコードの値段や演奏会のチケットが高額だったので、演奏にガッカリしないためにも、指針を示してくれる人が欲しかったというのはあります。私も何も知らない時に買ったレコードで1度は聞いても2度と聞かない盤が結構あります。また、地方では演奏会が少なかったので演奏会に行くのも、ちょっとした旅行のように遠方に行く必要があり、新聞の演奏会評も意味があったのでしょう。でも、今はパブリックドメインの音源やネット配信されている演奏で色々自分の好みの演奏を色々聞いてみることが出来るし、オーケストラだけでなくピアノや合唱、室内楽など、地方の小都市でも演奏に触れる機会が多くなりました。こういう時代の変化を見ていると、そろそろ音楽評論の持つ役割が終わりつつあるのかもしれませんね。
子供評論家を誕生させてほしいです。純粋な心で判断します。実演もろくにできない頭でっかちが評論してます。それも年長者です。単なる好事家です。元プロならともかくプロになれなかった好事家が偉そうに、色々言ってくる。曖昧な世界です。
音楽の歴史、特に近代の欧州の話を見ると、初演で散々であつたとかの記録もあり(聴衆の酷い態度の記録)、また、極めて辛辣な批評(悪意があるのかわかりませんが)の記録が残っているようです。そういうことがなくなってくれれば良いと思いますが。西洋では、忖度せず批判する傾向が、日本と比べて元々あるという背景があるので、要するに文化の違いかなと思っておりましたが、そう単純なものではないのですね。
今日はおやつ時間が長くて、その内容も良かったw (๑・ ◡・ ๑) (もちろん本編も良かったですw)
”自称”評論家なんだから、最初に”私はプロの評論家ではないですよ。私の言う事は素人の感想ですからね”と言ってるんだなと読む方、聞く方も受け取れば良いだけなのでは。SNSなんだからね。
なんか吉田秀和先生以降、いい評論家がいなくなった気がします。ハンス・フォン・ビューローからマーラー、ワルターやフルトヴェングラー等、哲学や作曲家をじっくり理解して紹介できる方がなかなかできなくなってきたのかもしれませんね。
「ひび割れた骨董品」という表現も、よく考えてみると、矛盾してますよね
私は同レベルの技量(と言うか知名度)の演奏家の優劣の差は分かりません。その演奏家のランクが離れていれば分かります。酒やウィスキー等の優劣や好みは明らかですが。
同意します。でも、最近はどんな音源でも自由にネットに上げ過ぎている現状も問題だと思います。本来なら記録として残してより多くの人に聴いてもらうという時点で覚悟が必要な行為です。ただの学校教師の指揮で、中高の吹奏楽部の演奏も顔が映る状態でアップされています。勝手にネットに上げられるのはどうしようもないですが、学校側が自分たちでネットに上げるのは個人的にはどうなんだろう、と思ってしまいます。個人情報の観点からもですし、本当に演奏を世界中の人がアクセスできる媒体に載せるという行為の重みをわかっているのだろうか、、、もちろんコメントで過激すぎる攻撃をする人が悪いとは思いますが、そんな連中は少なからずいるわけですし。もしよかったら、そこら辺の意見やプロ音楽家の動画事情なんかを動画にしてもらえると嬉しいです。
よく、音楽は主観で選ぶものと言うが、客観的に選べると思います。だから、音楽評論家の存在価値があるのです…。
一般人は自由に発言してもいい。私は最近聴いたフルトベングラー&フィッシャー「ベートーベン皇帝」を聴いてベストだと思いました。録音の悪さは仕方ない。
一流の指揮者は、暗譜どころか全パート書き出せるレベルだと聞いてます。さらに独自の解釈も加えて大変な仕事だと思います。指揮者、作曲家が元ピアニストが多いのも納得です。
自称音楽評論家かあwwww。いや、楽しい内容だった。
私は、幼い頃から、ラジオのクラッシック音楽番組で、いろいろな、音楽評論家の説明を聴きながら音楽を楽しんできました。渡辺学而さん、大木正興さん、村田武雄さん、柴田南雄さん、黒田恭一さん、金子健而さん、たくさんおられるので、書き切れませんが、大変参考になりました。
どんな分野でもそうでしょうけど、自分もそれができて(演奏できて)こそ、ある程度の評論、評価ができると思います。評論できるとは立派なことです。物事を軽々しく言うのは勝手ですが、本当にわかっている人というのはいろんな見方があることを知っているでしょうから、軽々しく・・・・というのは無いように思います。そういう私も自分の好みでレコード批評〈発言する立場ではないですからあくまで自分の中ですが)していたように思いますが、さすがにこれはいかがか?というものもあります。理解できない。その前では一歩立ち止まり、そう演奏したプレーヤーの意図を考えること、、もう一歩踏み込んで聴く姿勢こそ求められるようで反省を含め、拝聴させていただました。いつも良い動画で感謝しています。
音楽評論の崩壊か!何が正しいのか?何が正しくないのか分からない。でも、皆さん、皆さんの心の中には客観があり、もっと冷静に聴けば分かると思います。又、悪い評価は評論は、何となく違和感を感じるものです。ですから、違和感の有無で優秀な評論家かどうかを選び、もし、違和感が無い評論家は本物と言う事になります。
評論家なんてろくなもんじゃないですよ。自身で演奏するでもなし作曲するでもなし...演奏する側作曲する側の気持ちなんか1mmも理解できてない...などと言ってしまうのは偏見でしょうか?なぜかワーグナーをこき下ろすドビュッシーを思い出しました。
音楽評論家だのスポーツ評論家だの、基本も何もわかっていないど素人に評論を依頼するメディアは反省すべき。
音楽評論と言っても生の演奏に接する機会の少ない田舎住まいの身にとっては、結局レコードやCD等の音楽媒体の評論と言うことになります。その意味では、ラジオやレコ芸、書籍等を通して、色々な評論家の先生方のご意見を参考にさせていただいてきました。太田黒元雄、堀内恵三、村田武夫、諸井誠、他多くの先生方を思い出します。それらの評論を読んで、逆にその先生の好き嫌いがある程度わかるようになりました。結局、良い音楽とは何か? は、結論がなく永遠のテーマだと思います。楽譜に忠実なのが良い演奏というのもわかる気がしますが、実際にそんな演奏を聴いたことがありません。評論家のみなさんも、誰のどの演奏がそれに該当するのか、はっきり明示してくれるひとがなく、楽譜と縁遠い小生には、わかるすべがなく、結局、好き嫌いの世界だと割り切っています。例えば、指揮者による、演奏時間の比較が示されることがありますが、では、楽譜に忠実だと何分なのか、大体の時間はわかっても、絶対的(物理的)に何分だと言い切れるものなんでしょうか。映画音楽やジャズに編曲されたものでも良いものには感銘を受ける小生に、クラシックを語る資格がないのも勿論ですが。
とあるレコード好きの心理学者は「消費者が音楽について語れるのは物語であって、演奏や音の優劣ではない」とよく言っています。私は、(対面型の)生演奏を見たことのない音楽家の演奏の評価は語らないようにしています。もちろん楽譜をみればいろいろわかりますが、あれこれ書き込んだ楽譜を全公開することはとても少ないです。演奏の良し悪しというか、日本人はやたらピッチの正確さにこだわる人が多々おりますが、音を意図的に外していることもあります。調声を移動させたのか、基音や音律を変えたのか、本当にミスで外したのか、配信した音を聞いただけではわかりません。「この音は違和感がある」とか「この状況でこの音を作らない」とかわかることも多いですけど、深い意味の理解まで到達するのはなかなか難しいと思います。「こんなに難しいのだからエンドユーザーはあれこれ語るな」というのは違いますが、身元を隠しすぎるのはスパイっぽくてこわいと思います。多くのアマチュアは熱心な消費者でもありますが、もしかしたら悪意を持った工作員かもしれない(実際にそういう在宅ワークの求人もあります)。…少なくとも捨てアカ&捨てハンはやめてほしいと、私は思います。インターネットや音響機器が目覚ましく成長する中、素人評価が広告として機能するので、本当に難しい時代です。
先日、Mozartの41番の冒頭部分の好き嫌いをおこがましくもほざいたワタクシですが、結局は、シロートなので聴いて『好き』だったらば、お気に入りにするし、『好まない』ならば、それは聴かないですね。でも例え『好まない』演奏をしている同じ指揮者の他の演奏が『大好き』になる事も、普通に有ります(^^)お仕事ではないシロート"趣席"奏者ですからw、でも今日のお話で『好まない演奏』への『偏見』は捨てようと思いました。ありがとうございました。と言う事で、反省も込みで書き込ませて頂いたので、ワタクシもお珈琲頂きます。歯が折れるかも知れないクロガネ堅パンオススメです。
本当におっしゃる通りなんですが、私も音楽愛好家の端くれとして評論家になってしまう時があります・笑バッハにトッカータ、アダージョとフーガという曲がありますね。ブゾーニ編曲版の8,10,12小節目に、C7和音がおまけみたいな形で追加されていて、それに追従するピアニストは結構多いです。しかし、ブゾーニや演奏家がいくら偉大だろうが、私は金輪際それに賛同できません(自称音楽評論家・笑) というのも、バッハは意図して単線律で「想像の余地を残した」、つまりドローイングで言うと、一本線の美しさでネガティブ・スペースを演出したと思うので……。BVW541も単線律から始まりますが、その後に続く豊穣な和音との対比を引き出す効果があります。ホロヴィッツはトッカータ単線律の部分を、和音は弾かずにペダルを使いまくりました。しかし私に言わせると(自称・笑)、あのパッセージは「旋律」であって断じて伴奏的な分散和音のカタマリではないので、ペダルや和音を追加して演奏効果を追加し、「それを濁らせる」ような真似は、絶対に「バッハの作曲意図ではない」と感じてしまいます。当然チャーチ・オルガンにはリバーブ効果がありますので、それを計算して書かれた事は間違い無いですが、だからといって、ペダルで切れてる音を引き伸ばしたり、和音を追加するは論外だと思うのですが……。ロマン派的解釈ってやつですかね……。いくらこのような人たちが私よりもはるかにバッハに深く接し、ピアニストとして偉大であり、知識に満ち満ちていたとしても、あるいは、それ以外の部分の演奏が優れていたとしても、その部分は「間違っている」としか感じません。少なくとも私の中のバッハではないです。しかしまあ、おっしゃる通り、根本的に音楽は、人のいうことなんて一切耳を傾けずに自分の耳で判断した方がいいですね(私の言う事も含めて・笑) 私自身も自分の耳しか信じません。この間ご紹介されたクライバーが、スロベニア交響楽団を指揮したブラームスの四番は本当にすばらしかったです。解決の和声で楽器が鳴るタイミングを意図的にゆらし、指の間から金砂がこぼれ落ちるような世界を作り出したり、楽章の終結部で弦に金管が乗るタイミングが本当に絶妙で……。その後に聴いたベルリン・フィルとかウィーン・フィルとの共演ではあまり感じ取れませんでした……。いつか別のよさがわかる日がくるんでしょうか。
むちゃくちゃわかります。
自分の趣味や好み、自分の解釈にそぐわなくても、一流の演奏にはやはり圧倒的な「説得力」があります。自分の好みでなくても「これはこれであり」だと思わせてくれる力があります。これが自分の中では基準になっている気がします。
いつも車田さんのお話には感心しています。やはり、クラシックの本場で活動している方の話は重みが違います。私はドボルザークの新世界が大好きなのですが、ある評論家が、ケルテス、ウィーンフィルだけで後はいらないと書いていました。この人の感性は何だろうかと思いました。カラヤンもノイマンも小澤もショルティもペシェクも、そしてケルテスものの
みな感動します。この曲の持っている力だと私は感じます。
とても感動いたしました。深く難しいテーマを丁寧に真摯にお話してくださり、感激いたしました。ありがとうございました💐💐
昔はインターネットが普及していなかったので、批評家の書いていることを頼りにするしかありませんでしたが、今はある意味誰でも自称批評家になれてしまう時代ですね。最近は昔ほど人の評価を気にしなくなり、自分の耳を信じられるようになってきました。やはりいいと思うものは何度聞いてもいいのです。それでいいですよね。
「好き嫌いを超えて学ぶ」…これは万事に通じると思います。深いです。
車田さんの動画を見るようになって、ドイツ歌曲の本やドイツ語の本を図書館で借りて読んだり、ピアノやオペラなどのコンサートに行くようになりました。
自分は軽度知的障害があり、楽譜があまり読めません。クラシック曲を良いと感じる事は感覚でしか分かりませんので評論などはできませんが、感情に寄り添ってくれる音楽を、これからも大切に聴いていきたいと思いました。
いつも、分かりやすく動画を作ってくださって、本当にありがとうございます。
😊😊
SPレコードの時代は、レコードが超高価だったので、どの録音を買うかという時点で、評論家の存在が大きかったのでしょうが、今はネットの音源やCDの廉価ボックスとかあるので、自分で聴いてみて判断するという自由度が広がったのは確かですね。
既に鬼籍に入られた評論家の方で、それこそ演奏家の人格否定に抵触する批評に名を借りた誹謗中傷をしていた人がいましたが、そういう断定をする人のエピゴーネンは声が大きいので、とても辟易した覚えがあります。
スコアから音楽を解釈できない人は、聴きなれた演奏に引きずられるというのは、全く同感です。
地元のアマチュアオーケストラでも、感動的な演奏があったり、生で聴く演奏、スタジオ録音の演奏、ライブ録音演奏、それぞれ良いところがあると思います。
私は素人なので、最終的な判断は自分の好き嫌い以外にありえないのですね。
最近は、聴きなれた演奏と違った演奏を面白いと思えるようになって、音楽の世界が広がったような気がします。
これからも、音楽を楽しんでいきたいと、車田さんの動画を拝見して改めて思いました。
音楽の良し悪しは、聴く人の感性などによって左右されるので、評論家がどう言おうがあんまり関係ないように思う。
10人いれば、10通りの解釈がされるものだし・・・
となると、評論家は、演奏者の音楽に対する解釈を、演奏から掘り起こし、明示してくれる時にこそ、存在価値があるように思う。
自称評論家=一般聴衆だと思えば、もやもやするまでもないかと😅
素晴らしい番組で感動しています。お話の内容も本当に丁寧に上手くまとまっていて魅了されています。先生の深い洞察、鋭い観察や視点、視聴者へのアドバイスも、身近な例と優しい言葉で、語りかけて下さっているので、私のような無知でクラッシック初心者にも大変わかりやすいです。この素晴らしい番組を作成・発信してくださって本当に有難うございます。
高校生のときだったか、トスカニーニさんの「運命交響曲」について、黒田恭一さんと福永陽一郎さんだったかが正反対の評論を雑誌に書いていた。「私はこの演奏を一生聴き続けるだろう」と「硬直した姿勢に呆れ果てた」と。
どっちがどっちか忘れたが、「やはり音楽は評論家の意見など読まず、自分の判断で好きなものを聴くべきだ」と思った。
「自称評論家」に対する一方的な苦言ではなく公平な視点に立っておられることを感じました。
自分もツイッターなどで自分が行ったコンサートの感想を書いたりしますが、アマチュアの底辺レベルなりにステージに立つまでにどれだけ涙ぐましい努力を重ねてきたかはわかっているつもりなので、まずは敬意しかないです。
今回も心に沁みる神回でした
奥が深いです、私には一生たどり着けない、同時に一生楽しめる探求できるのだと改めて思います。
改めて音楽の懐の深さ、裾野の広さ、多面性を感じさせるお話でした。
車田先生の動画を見るといつも謙虚な気持ちになれます。
そして新しい発見があり、明るい気持ちで明日を迎えられるような気がします。
「自分はこの演奏が好きです」と投稿したのに対し、「何が良いのか分からない」とわざわざ返され、自分の好みを否定されるのが辛いです。学術論文に対しての反論じゃないんだから、自分と違うなら放っておいてくれと思います。
言い方に問題はありますが、私も似たようなことを言うことがあります。
私にはブラームスの何がいいのかわかりません。
友達にそう言うと彼はブラームスの素晴らしさを延々と語ります。
こんな話も結構楽しいです。
その影響か、最近ブラームスのピアノ協奏曲第2番が大好きになりました!
@@クープランフランソワ 気心のしれた友達同士で、お互いが理解していればそんな会話も問題ないと思います。ネットやSNSなど世界で、なんで見ず知らずの他人からそんなこと言われないといけないのかと考えた上でのコメントでした。
車田さんの談話はレコード批評がないのが好きです。いいレコードの紹介は歓迎です。車田さんのよもやまの音楽談話(作曲家や演奏家、指揮者の背景等)が大変「楽しい」です。
私も車田さんの仰ることに大変共感しております、やはり音楽を深く勉強されているから説得力があります。
私の様な一般聴衆は、究極は「好き嫌い」で聴いていますし、ネットでお薦めの名盤と言う記事は、殆ど読みません。
CDを買うと解説が書いてありますが、これも5~6回聴いた後で読みます。そうすると、自分の感じ方と違う解説も多々ありますが
その違いを知るのも楽しみのひとつです、人それぞれ感じ方が違うんだなと思います。
クラシックファンは、大変少ないので、中学高校時代から社会人になって、定年退職した今でも、音楽について語り合える友人は一人か二人ぐらいしか居ませんでした。それはちょっと寂しいですね。 ま、他に趣味が沢山あるので人生楽しんでいますけどね。
よく勉強されてるから、話が面白いです。 周りにクラシックとかを詳しく語る人がいないので、このチャンネルが楽しいです。 偉大な作曲家ってすごい勉強するんだなと、最近になって気づきました。 あれは、勉強の成果の賜物だと。
とても勉強になりました❤さすがプロの見方ですね!
偉大な音楽家の演奏にはそうする理由がある、嗚呼私もこれが分かるようになりたい。
それまでは聴衆として音楽談議を楽しみたいと思います🙂。
追伸:イタリア発祥のお菓子カントチーニとコーヒーの相性よさそうですね、クリームをつけても美味そうです。
評論に対して車田さんの謙虚で冷静な捉え方は良いですね。現役のアーティストとしては思うところもあるのかと思っていました。
我々リスナーがより深く視野を広げようとする時に弊害となるのものの一つが、音楽評論だと私は思っています。そんな難しいことだったらもう勘弁と感じることが多いからです。結局自分で色々聴いてみるしかありません。現在では演奏者の映像にもふれることもできるので私の演奏家への尺度は、その演奏から感じるその人の人柄です。それが先ず第一でその次がまわりの評判で、それならもっと聴いてみよう何かかんじるかもしれないなというところです。
演奏会への評論は、野球やサッカーの試合への感想とあまり差がないように思います。その演奏家が次のステージでどんな演奏をするのか誰にもわからないからです。
がんばってください。
素晴らしい解説ですね〜同感ですね〜👏👏👏車田さんにハマって❓しまいます〜🎶✌️
毎日たくさんのRUclips動画を見る年金生活者です。TVが面白くないからですが。
そんなRUclipsの動画の中で本日、この動画が最もよかったです。深い内容を本当にわかりやすくお話しくださり、感激です。・・先生のおかげで、中古CDをポチる回数が増えてしまいました。 (^^♪
ライブでもかなりな時間を割いてもらったのに、談話でも丁寧に解説して頂き感謝です。
私は単なる好事家ですが、高校生だったころから40年ぐらいもやもやしているのです。
原因は音楽雑誌の記事でした。投稿だったかもしれませんが自分より先輩の意見として、
例えば
・ミッキーマウスと共演した有名な指揮者は、楽譜に勝手に手を入れるのがケシカラン、聴くに堪えない!
・マタイ受難曲の復活公演をした作曲家は、金持ちのボンボンであり、そんな輩の曲などつまらない!
・リンツ出身の作曲家の弟子は、師匠の作品に手を入れて改悪した!etc
今なら笑える話なのですが、まだ純真だった私は真に受けてしまい以降30年も手を出さずにいてしまいました。
印刷媒体でもそんな影響が有ったのに、ネット界ではもっと踏み込んだ誹謗と受け取れる表現をなさる方もいて
今の中高生がそこを変な風に真に受けないでほしい。
もっと言えばちゃんと自分で聴いてみてから、好き嫌いの判断ができるようになってほしいなと願っているつもりです。
今の中高生は多くの情報の中で大変だと思います。まだ自分で取捨選択できませんからね・・。
「レコード芸術」や「名盤本」は、クラシック音楽を聴き始めた初心者の頃には大いに参考にさせていただきましたが、現在はほとんど読んでません。結局のところ、演奏の評価は聴く人の好みに左右される部分が大きいと思います😙
ところで、「レコ芸」で評論文を書いているのが高齢男性ばかりなのは、個人的にちょっと異常だと思いますね。ドイツのクラシック音楽雑誌などの批評も同じような状況なのでしょうか❔
同感です
クラシック音楽の偉大なる演奏家がいるからこそ、一般大衆は素晴らしい音楽に触れることができます。これは批評するなんてとんでもない。ただただ感謝あるのみです😊
結論から云うと自分の好みでOK!ただ、、宇野功芳さんのだけはさけてね!。あの人のは
「批評でないからね」それでも一定の人には人気があるのよね~。。困ったもんだわ~。
吉田秀和もですね。
私は、車田先生がおっしゃるように、宇野功芳さんのレベルまで達しないと
宇野功芳さんの良いも悪いも言えないと思っています。
たしかに!
非常に難しい議題に対して大変真摯な意見をいただいたと感じています。今回の先生の言葉を忘れずに音楽と接していきたいと思います。ありがとうございました。
コーヒー飲んで「あ~、美味い」と言われるところ、解かります。コーヒー美味しいですから、同感です。
何故かおかしくなって、ニコッと笑ってしまいます。
わたしは音楽は素人ですが、お話がおもしろいので視聴しています。今回は少し難しかったです。
2023/11/20
車田さんの話は耳に快いです。どうしてかなと思いましたが、私と同じ福島県出身なのですね。車田さんは訛りのないきれいな日本語を話されていますが、どこか通奏低音のように福島県の響きが感じられます。
😊😊
車田先生
今日も素晴らしいご投稿ありがとうございました(^_^)
好き嫌いと匿名性、本当にそうですね!
違和感や好き嫌いを超えて
割と最近のプレトニョフやポゴレリッチを聴き
本当に、全てを分解して聴かされていると言うより見せられている感じがし
「こんな曲だったんだ、まだまだ楽譜が読めていないな」と思った物です。。。
お袋の味が最高と思っていた、という感じでしょうか。。。
以前、それなりに有名な文学博士出身の音楽評論家の先生と仕事をしたことがあるのですが
少なくとも、演奏に関しては?????????????????????????で
その方の指揮で演奏しなければならなかったのですが、ほぼ不可能で、本当に大変でした。
あまりの驚きに目が点でした。。。
膨大な知識はお持ちでも、演奏経験がない、またはほとんどない。
けれど、それなりに社会的地位も権力をお持ちで、その方に仕事を回してもらうため
友人や先輩を含め、それなりの演奏家がいつもその方の周りにはいました。
有名な方でこれなのですから、匿名で音楽を学んだり経験のない偏った嗜好の自称の方々。。。
でも、これを信じてしまう方もいらっしゃるかなあと。。。
すみません!愚痴になってしまいました(;_;)
車田先生の
事の本質を見抜き、海外から、暖かい目で、日本の在り方を語って下さっている専門的かつわかりやすい素晴らしいご投稿は本当に貴重です(*^_^*)
現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
音楽カテゴリーに限らず、すべてに当てはまる話しでした。
ありがとうございます!
ありがとうございます😊😊
そうですね!私ごとですが無知蒙昧で言うのですが、後で無知の知を知ることになります。一方私ごとなど気にしないだろうと言う甘えもあった。RUclipsに不慣れさは悲しいことです。
音楽評論家の場合、音楽性だけでなく文章作成能力も必要ですね。音楽評論家コンクールをやれば、彼らの優劣が明確になるかな?
車田さんのお話を聞いて、これまで聴いてきた曲に新たな姿勢で聴き直そうと思い始めました。
歌曲へも関心が湧き始め、こちらは手付かずの曲が多いので楽しみです。
演奏家の他の演奏家の批評が気になるところで、ブレンデルは自著で批評しており、とても面白かったです。
私も3万人記念のLIVE配信に参加してたので、自称評論家っていうのは気になってました。なので、今回の動画は自分にない知見が得られて勉強になりました。実はボニゾッリもドミンゴも好きだったので、RUclipsで御二方の歌唱力を比べた動画で、一方が批判されショックでした😢それからは批評を見なくなりました。私は批評を見ずに自分の感性に委ねてクラシックを聴くしかないです。追記:好きなオペラ歌手、テノールばかりですみません。
😊😊
中学校や高校の吹奏楽部が演奏している動画にやれヘタだの音程が合ってないだの縦がそろってないだのとケチをつける「評論家」も多いですね。
昔から疑問に思っているが、月刊誌にレコード批評のページがある。昔は毎月の新譜が何10枚もあってそれらを批評しているわけだが本当に聴いて批評しているのかということです。本業が他にあって傍らで批評記事を書いていると思われるんだが、1枚通してきくだけでも1時間近くを要す。全部聴くには莫大な時間を要すはずなので本当に全部聴いているのかということ、頭の部分だけちょっこと聴いて、あとは演奏家に対するイメージなどから適当なこと作文しているのではないかと。
ビスコッティ?…かなあ?
私も好きです🤗
コーヒーはどのように淹れていらっしゃいますか? 私は最近はフレンチプレスです。忙しい朝はインスタントですが。
「ミスを許せるか」の回も思いだされました。指揮者の故、岩城宏之さんは「お願いだから音楽を分かるとか分からないとか言わないで」といったそうですね。私などはどちらかと言うとそんな聴き方かなと思います。
高校で吹奏楽部の友人と田舎町でのプロオケ演奏会を聴いた後、友人や行き交う大人が演奏の良し悪しを批評・評論・批判・非難・誹謗・中傷するのを疑問かつ不快に思っていました。
それは基本的には今も続いてます。私の演奏会後の基本姿勢は「良かった!」「凄かった❗️」「サイコー❗️」「来てよかった❗️」「生きてると良い事あるな❗️」「また明日から頑張れるぜ❗️」といったものです。
まあ、それは私の態度で、仰るように友人・知人と感想を述べ合うのも楽しいでしょう。しかしやはりブログ他で腰を据えてとなると、仰るように「公」というのを意識してもらいたいという事になりますし、読んでいながら鼻持ちならないなと思ったりすることもありました。
非常に限られた資金(お小遣い)で自分の好みの音源(CD、ストリーミング)を購入しようとする時に、自称公称問わず評論家からの情報をどのように活用するかが重要ですね。評論家の総評(演奏の良し悪し)などほとんど当てになりませんが、テンポが速いのか遅いのか、リズム感が鋭いのか甘いのか、録音がどんな感じなのか(温度感や音像の遠近など)のような演奏の具体的な特徴は割と参考になります。先ずは自分の好みを整理して必要な情報を具体化していくと膨大な選択肢を絞り込む事が出来ます。そして歳を重ねるとだんだん理想に囚われなくなり、散財が激しくなります💦
うーん、これは自分にとって頭がいたくなる話でした。自分は、音楽の力によって何度も救われてきた人間ですのでやはり自分の意見に固執しがちです。ネットで強い発言をすることもありますから名前を晒しています。モーツァルト、ベートーヴェン、エルガーあたりは大体楽譜に目を通していますけどマーラーあたりになると正直、複雑すぎてわかりません。楽譜を見て初めて見えないことが見えてくると自分に教えてくれたのはエルガーでした。プロの車田さんに自分には、
カラヤン、ベームの批評はできないと言われたら我々は口を閉ざすことしかできないですね。なるべく他人の趣向を尊重できるようになりたいものです。
音楽評論、これは私は色々裏も知っているし、音楽評論家と若干の面識もあるので、車田さんとは少し違った考えを持っています。
演奏の良し悪し、これは純粋に演奏の良し悪しというものは存在しないと思っていますし、純粋に客観的な評論は存在しないと
思っています。評論には絶対主観が入ります。音楽のバックボーンも重要ですが、主観としてどういうスタンスで評論を行うのかという
ことも重要と思っています。また、音楽評論の持つ意味が一昔前と今では大きく違ってきていると思います。
以前は会社員の給料に比べ、レコードの値段や演奏会のチケットが高額だったので、演奏にガッカリしないためにも、指針を示してくれる人が欲しかった
というのはあります。私も何も知らない時に買ったレコードで1度は聞いても2度と聞かない盤が結構あります。
また、地方では演奏会が少なかったので演奏会に行くのも、ちょっとした旅行のように遠方に行く必要があり、新聞の演奏会評も意味があったのでしょう。
でも、今はパブリックドメインの音源やネット配信されている演奏で色々自分の好みの演奏を色々聞いてみることが出来るし、オーケストラだけでなく
ピアノや合唱、室内楽など、地方の小都市でも演奏に触れる機会が多くなりました。こういう時代の変化を見ていると、そろそろ音楽評論の
持つ役割が終わりつつあるのかもしれませんね。
子供評論家を誕生させてほしいです。
純粋な心で判断します。実演もろくにできない頭でっかちが
評論してます。
それも年長者です。
単なる好事家です。
元プロならともかく
プロになれなかった
好事家が偉そうに、
色々言ってくる。
曖昧な世界です。
音楽の歴史、特に近代の欧州の話を見ると、初演で散々であつたとかの記録もあり(聴衆の酷い態度の記録)、また、極めて辛辣な批評(悪意があるのかわかりませんが)の記録が残っているようです。そういうことがなくなってくれれば良いと思いますが。
西洋では、忖度せず批判する傾向が、日本と比べて元々あるという背景があるので、要するに文化の違いかなと思っておりましたが、そう単純なものではないのですね。
今日はおやつ時間が長くて、その内容も良かったw (๑・ ◡・ ๑)
(もちろん本編も良かったですw)
”自称”評論家なんだから、最初に”私はプロの評論家ではないですよ。私の言う事は素人の感想ですからね”と言ってるんだなと読む方、聞く方も受け取れば良いだけなのでは。SNSなんだからね。
なんか吉田秀和先生以降、いい評論家がいなくなった気がします。ハンス・フォン・ビューローからマーラー、ワルターやフルトヴェングラー等、哲学や作曲家をじっくり理解して紹介できる方がなかなかできなくなってきたのかもしれませんね。
「ひび割れた骨董品」という表現も、よく考えてみると、矛盾してますよね
私は同レベルの技量(と言うか知名度)の演奏家の優劣の差は分かりません。その演奏家のランクが離れていれば分かります。
酒やウィスキー等の優劣や好みは明らかですが。
同意します。
でも、最近はどんな音源でも自由にネットに上げ過ぎている現状も問題だと思います。
本来なら記録として残してより多くの人に聴いてもらうという時点で覚悟が必要な行為です。ただの学校教師の指揮で、中高の吹奏楽部の演奏も顔が映る状態でアップされています。勝手にネットに上げられるのはどうしようもないですが、学校側が自分たちでネットに上げるのは個人的にはどうなんだろう、と思ってしまいます。個人情報の観点からもですし、本当に演奏を世界中の人がアクセスできる媒体に載せるという行為の重みをわかっているのだろうか、、、もちろんコメントで過激すぎる攻撃をする人が悪いとは思いますが、そんな連中は少なからずいるわけですし。
もしよかったら、そこら辺の意見やプロ音楽家の動画事情なんかを動画にしてもらえると嬉しいです。
よく、音楽は主観で選ぶものと言うが、客観的に選べると思います。だから、音楽評論家の存在価値があるのです…。
一般人は自由に発言してもいい。私は最近聴いたフルトベングラー&フィッシャー「ベートーベン皇帝」を聴いてベストだと思いました。録音の悪さは仕方ない。
一流の指揮者は、暗譜どころか全パート書き出せるレベルだと聞いてます。さらに独自の解釈も加えて大変な仕事だと思います。指揮者、作曲家が元ピアニストが多いのも納得です。
自称音楽評論家かあwwww。いや、楽しい内容だった。
私は、幼い頃から、ラジオのクラッシック音楽番組で、いろいろな、音楽評論家の説明を聴きながら音楽を楽しんできました。
渡辺学而さん、大木正興さん、村田武雄さん、柴田南雄さん、黒田恭一さん、金子健而さん、たくさんおられるので、書き切れませんが、大変参考になりました。
どんな分野でもそうでしょうけど、自分もそれができて(演奏できて)こそ、ある程度の評論、評価ができると思います。評論できるとは立派なことです。物事を軽々しく言うのは勝手ですが、本当にわかっている人というのはいろんな見方があることを知っているでしょうから、軽々しく・・・・というのは無いように思います。
そういう私も自分の好みでレコード批評〈発言する立場ではないですからあくまで自分の中ですが)していたように思いますが、さすがにこれはいかがか?というものもあります。理解できない。
その前では一歩立ち止まり、そう演奏したプレーヤーの意図を考えること、、もう一歩踏み込んで聴く姿勢こそ求められるようで反省を含め、拝聴させていただました。いつも良い動画で感謝しています。
音楽評論の崩壊か!何が正しいのか?何が正しくないのか分からない。でも、皆さん、皆さんの心の中には客観があり、もっと冷静に聴けば分かると思います。又、悪い評価は評論は、何となく違和感を感じるものです。ですから、違和感の有無で優秀な評論家かどうかを選び、もし、違和感が無い評論家は本物と言う事になります。
評論家なんてろくなもんじゃないですよ。自身で演奏するでもなし作曲するでもなし...演奏する側作曲する側の気持ちなんか1mmも理解できてない...などと言ってしまうのは偏見でしょうか?
なぜかワーグナーをこき下ろすドビュッシーを思い出しました。
音楽評論家だのスポーツ評論家だの、基本も何もわかっていないど素人に評論を依頼するメディアは反省すべき。
音楽評論と言っても生の演奏に接する機会の少ない田舎住まいの身にとっては、
結局レコードやCD等の音楽媒体の評論と言うことになります。
その意味では、ラジオやレコ芸、書籍等を通して、色々な評論家の先生方の
ご意見を参考にさせていただいてきました。
太田黒元雄、堀内恵三、村田武夫、諸井誠、他多くの先生方を思い出します。
それらの評論を読んで、逆にその先生の好き嫌いがある程度わかるようになりました。
結局、良い音楽とは何か? は、結論がなく永遠のテーマだと思います。
楽譜に忠実なのが良い演奏というのもわかる気がしますが、実際にそんな演奏を
聴いたことがありません。評論家のみなさんも、誰のどの演奏がそれに該当するのか、
はっきり明示してくれるひとがなく、楽譜と縁遠い小生には、わかるすべがなく、
結局、好き嫌いの世界だと割り切っています。
例えば、指揮者による、演奏時間の比較が示されることがありますが、
では、楽譜に忠実だと何分なのか、大体の時間はわかっても、絶対的(物理的)に
何分だと言い切れるものなんでしょうか。
映画音楽やジャズに編曲されたものでも良いものには感銘を受ける小生に、
クラシックを語る資格がないのも勿論ですが。
とあるレコード好きの心理学者は「消費者が音楽について語れるのは物語であって、演奏や音の優劣ではない」とよく言っています。
私は、(対面型の)生演奏を見たことのない音楽家の演奏の評価は語らないようにしています。もちろん楽譜をみればいろいろわかりますが、あれこれ書き込んだ楽譜を全公開することはとても少ないです。
演奏の良し悪しというか、日本人はやたらピッチの正確さにこだわる人が多々おりますが、音を意図的に外していることもあります。調声を移動させたのか、基音や音律を変えたのか、本当にミスで外したのか、配信した音を聞いただけではわかりません。
「この音は違和感がある」とか「この状況でこの音を作らない」とかわかることも多いですけど、深い意味の理解まで到達するのはなかなか難しいと思います。
「こんなに難しいのだからエンドユーザーはあれこれ語るな」というのは違いますが、身元を隠しすぎるのはスパイっぽくてこわいと思います。多くのアマチュアは熱心な消費者でもありますが、もしかしたら悪意を持った工作員かもしれない(実際にそういう在宅ワークの求人もあります)。
…少なくとも捨てアカ&捨てハンはやめてほしいと、私は思います。
インターネットや音響機器が目覚ましく成長する中、素人評価が広告として機能するので、本当に難しい時代です。
先日、Mozartの41番の冒頭部分の好き嫌いをおこがましくもほざいたワタクシですが、結局は、シロートなので聴いて『好き』だったらば、お気に入りにするし、『好まない』ならば、それは聴かないですね。でも例え『好まない』演奏をしている同じ指揮者の他の演奏が『大好き』になる事も、普通に有ります(^^)お仕事ではないシロート"趣席"奏者ですからw、でも今日のお話で『好まない演奏』への『偏見』は捨てようと思いました。ありがとうございました。
と言う事で、反省も込みで書き込ませて頂いたので、ワタクシもお珈琲頂きます。歯が折れるかも知れないクロガネ堅パンオススメです。
本当におっしゃる通りなんですが、私も音楽愛好家の端くれとして評論家になってしまう時があります・笑
バッハにトッカータ、アダージョとフーガという曲がありますね。ブゾーニ編曲版の8,10,12小節目に、C7和音がおまけみたいな形で追加されていて、それに追従するピアニストは結構多いです。しかし、ブゾーニや演奏家がいくら偉大だろうが、私は金輪際それに賛同できません(自称音楽評論家・笑) というのも、バッハは意図して単線律で「想像の余地を残した」、つまりドローイングで言うと、一本線の美しさでネガティブ・スペースを演出したと思うので……。BVW541も単線律から始まりますが、その後に続く豊穣な和音との対比を引き出す効果があります。
ホロヴィッツはトッカータ単線律の部分を、和音は弾かずにペダルを使いまくりました。
しかし私に言わせると(自称・笑)、あのパッセージは「旋律」であって断じて伴奏的な分散和音のカタマリではないので、ペダルや和音を追加して演奏効果を追加し、「それを濁らせる」ような真似は、絶対に「バッハの作曲意図ではない」と感じてしまいます。
当然チャーチ・オルガンにはリバーブ効果がありますので、それを計算して書かれた事は間違い無いですが、だからといって、ペダルで切れてる音を引き伸ばしたり、和音を追加するは論外だと思うのですが……。
ロマン派的解釈ってやつですかね……。
いくらこのような人たちが私よりもはるかにバッハに深く接し、ピアニストとして偉大であり、知識に満ち満ちていたとしても、あるいは、それ以外の部分の演奏が優れていたとしても、その部分は「間違っている」としか感じません。少なくとも私の中のバッハではないです。
しかしまあ、おっしゃる通り、根本的に音楽は、人のいうことなんて一切耳を傾けずに自分の耳で判断した方がいいですね(私の言う事も含めて・笑) 私自身も自分の耳しか信じません。
この間ご紹介されたクライバーが、スロベニア交響楽団を指揮したブラームスの四番は本当にすばらしかったです。
解決の和声で楽器が鳴るタイミングを意図的にゆらし、指の間から金砂がこぼれ落ちるような世界を作り出したり、楽章の終結部で弦に金管が乗るタイミングが本当に絶妙で……。
その後に聴いたベルリン・フィルとかウィーン・フィルとの共演ではあまり感じ取れませんでした……。
いつか別のよさがわかる日がくるんでしょうか。