Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
小田急の複々線化は鉄道史に残る偉業だと思います。バブルで地価が天井知らずに上がっていた頃は、絶対無理としか思えませんでした。
小田急の複々線化は半世紀に及ぶ大事業だったからなそれにしても、当たり前のように昔の映像が出てくるのすごい
狛江通りの踏切が、なかなか開かなくて渋滞も酷く、バスも遅延するのが当たり前で、仙川方面から合流する松原バス停迄よく歩きました、高架複々線化のおかげでスムーズに流れる様になりましたね
特急などの優等列車のスピードアップと全体の乗り心地向上のため内側急行線としたところに小田急の強い想いが感じとれます。東武伊勢崎線の北越谷駅や西武池袋線の石神井公園駅を見れば分かるように、内側緩行線とした方が区間列車の折り返しの際、急行線との交差支障を起こさずやりやすいので。
東急の田園都市線は無理な工事で緩急入れ替えをしたのに運転系統は分かり難く距離が短い割に難解なものとなってしまった。金は掛かってるだろうけどね。
地下区間に住んでいました。懐かしい映像がたくさん....そしてそれがなんと有効に使われていることか...今回もお疲れ様でした。
取材お疲れ様です。小田急の複々線化工事の前から工事中にかけて、世田谷区に住んでいたので、反対運動や工事の進捗が区の広報で紹介されていました。工事に時間がかかったのは反対運動も理由の一つでした。また、工事が終わったら土地の価値が上がって、固定資産税も増えた結果、税金が払えなくて住めなくなったというウワサもありましたね。、
小田急は高架化、複々線化して良かった思います。それまでは混雑凄いは遅いわで酷かったですし。後は登戸〜新百合ヶ丘間複々線化出来れば多摩線への直通も楽になると思いますが、いかんせん川崎市がやる気ないから。
線増部分の建設費は鉄道事業者の100%自己負担ですからね。。。相鉄も西谷 - 二俣川の立体化に着手しましたけど、同時に複々線化すればダイヤ構成上楽になると分かっていてもやれない理由。
地上時代の経堂は有効長8両で、急行はもちろん千代田線準急は問答無用で通過。たまーに走る新宿発着の8両準急が経堂、千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵民のオアシスでしたね。
世田谷地区は最後の最後まで地下化しろって沿線住民が頑張っててなかなか進まなかったね。すし詰め状態でノロノロ運転の急行の窓から、その高架化反対の張り紙やらノボリやらが目に入ってきて、お前らさえ反対しなければこんな状況解消するのに、と腹立たしく思いながら混雑に耐えて通勤していたのは、今や懐かしい思い出。
どうやら狛江3駅の中で一番お金かけて作ったのは喜多見駅らしいです。
よくやり切ったなってほんとに思います
小田急線と世田谷通りとの上下入れ替えは、短期間だけ踏切ができてしまうのか、と思われていたところ、一晩でやってしまって、踏切設置は回避したんですよね。結構話題になりました。ニュースでは、西武池袋線と目白通りの立体交差の一晩での上下入れ替え工事の方が大きく取り上げられていましたけど、一晩での上下入れ替えは小田急線と世田谷通りとの方が先なんですよね。
小田急よりもさらに先に、阪急神戸線園田〜塚口の高架化工事にて神戸線と兵庫県道13号線の上下入れ替えが行われました
小田急、西武、の次に行われた東急東横線の元住吉付近の県道尻手黒川線との入れ替えは話題にすらならなかった、東急自身が難工事を理由に長時間運休させないと言う強い意志があるからだろうか。
コンテンツのボリュームも複々線並み!
経堂駅が地上駅だった頃にお世話になってましたが、10数年振りに訪れたら駅の変貌ぶりに驚きました!
元狛江市民ですが、和泉多摩川、狛江、喜多見の3駅は車内からの見た目が似てるから、何回も間違えて降りてしまいました。
狛江市が立体交差に一番乗り気なのは知ってた末端を先行工事するやり方は九州新幹線の新八代→鹿児島中央や長崎→武雄温泉に似てる
1986年に大学進学のために上京して以来ずっと小田急線沿線に住んでます。数年前に狛江から新百合ヶ丘に引っ越してきました。当時は、環八を跨ぐ千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の間だけが高架でした。あれから40年、ずいぶんと様変わりしましたね。地べたを走っていた頃が懐かしいです。あとは登戸-新百合ヶ丘の間が複々線になればいいのにと思ってます。でも、生きている間には無理だろうなぁ。
2004年に町田に引っ越してから工事と共に乗ってた!すげー工事してんなぁ。て思ってたけど完成してやっぱすげー。笑
狛江・和泉多摩川を20年以上使っていたけど、窓の形が違うって・・・今知った。うつらうつらした時など、なんど間違えて降りたことやら。そっくりなんだもん。
実家が千歳船橋と用賀の間なので、高評価ボタンを連打したいきもち
取材、制作お疲れ様です。小田急の複々線、何度利用してもその規模と構造に圧倒されます。特に地下化された代々木上原~梅が丘駅間は、まさしく立体交差化事業の大成功の一例ともいえるものです。小田急電鉄側が住民とともに地下化後の街の再開発を考えていくという、このような鉄道と地域の一体感ある工事が、形は違えど高架化を行いすでに完了の西武線の石神井公園駅周辺でもあってほしかったです。あちらは、下北と違い、工事が始まってようやくの説明会です…。ついこの前、石神井公園駅再開発を考えなおそうとする団体の方たちにインタビューしたところ、やはり小田急の件は模範とすべきほど素晴らしいとの認識ができていた様子です。(ついこの間のニュースでは工事差し止めの判決でしたが、結局最後まで反対していた商店の方が離れざるを得なくなり、工事再開となっています。)
4:45 地下鉄千代田線を中心とした計画は9号線です。8号線は有楽町線。それと最初から営団と小田急の相互直通運転を考えていたはずですので、分岐ということではないと思われます。
@kagonaka動画で言及している1962年の答申では現在の千代田線が8号線でした。その後計画が再検討され、建設省告示では都市計画9号線になっています。ただししばらくは答申と都市計画で番号が食い違って紛らしい状態でした。ほかの動画でも似たようなコメントを見たことがありますが、中途半端な知識しかない人が焦って勘違いコメントをしがちな部分のようです。
62年の答申では「路線番号8 喜多見・松戸」となっています。既設路線(小田原線)の線増にせよ、新規路線の建設にせよ、喜多見から分岐という表現で間違いないと思います。また、多摩線は元来喜多見から分岐を想定していましたので、その兼ね合いもあるのかと。
初代千代直用通勤車両だった「9000形」はその「9」号線に因んだのと、これまでの小田急顔通勤型と仕様面でも変化が多かったからだと。
世田谷区内の区間が反対運動が激しく差し止めまで行われたので、比較して造りやすい狛江市内を先行させたのだと思ってました。着工以前は沿線に牧場が見えるような長閑な農地混じりの住宅地でしたね。世田谷通りの入れ替え工事は西武池袋線と目白通りの工事の再現みたいです。
新宿から最寄りに帰る時、急行だとほぼ確実に座れないけど疲れているのでと各停に乗って、東北沢で特急、急行、特急の3本待避するのに10分以上停車していて、やっぱり急行にすれば良かったと後悔したことが何度もありました。そして経堂でも優等列車を2本待ち… 今は小田急沿線民じゃないけど、時折訪れる際にはほぼ必ず各停に乗ります。昔を思えば超速い!
8:16 多摩センターの話だと思うけど駅名表記がはるひ野のままになってる
すみません、直し忘れました。。
昔は世田谷通りは狛江駅の近くで踏切があったけど今は和泉多摩川駅近くで高架下をくぐるようになってるね
小田急の採用試験会場へ行く時間と通勤ラッシュが重なり、訳もわからず乗った電車が複々線の速達側走ってて絶望したのは良いも思い出…
世田谷通りの逆立体化よく覚えています仮橋の時代も頻繁に通りました
小田急の複々線化兼立体交差化工事はとりわけ梅ヶ丘〜喜多見間については騒音問題をはじめとした問題がたくさんあって裁判沙汰にもなったんだよな。
あとは町田止まりの6両急行が、コロナ禍前の新宿発着10両に戻れば最高なのに
うっすら地上時代の記憶が(梅ヶ丘から複々線)種別によって分離するとは言うが仕方が特殊
今度のダイヤ改正で向ヶ丘遊園までの運行だった急行が唐木田まで延長されるけど、向ヶ丘遊園〜新百合ヶ丘の線路容量は大丈夫なんだろうか...
増えると言っても1時間あたり21本は京王の笹塚調布間と同じだけどな。それも向こうとは違って優等列車が停まる駅は必ず片方向で2線以上あるから、距離の短さも相まってダイヤ組むのはそれほど難しく無い。
今はわからないけど、昔は向ヶ丘遊園止まりの各停が新百合ヶ丘まで回送してきて、唐木田行きになる事がありましたからね
千代直急行のスジはコロナ前までは小田原・新松田行き急行だったんよ遊園新百合間に関しては減便されてたのが元に戻っただけ
本数が昔に戻るだけなんで絶対大丈夫です
和泉多摩川だけ両サイドに改札があるの謎狛江、喜多見も逆側に改札あればいいのに
地上複線時代から、和泉多摩川駅は狛江寄りに臨時改札があり、狛江駅の和泉多摩川寄り、喜多見駅の狛江寄りにはありませんでした。その名残り?なのかなと思ってます。
@ナサ-l4e そうだったんですね!地上時代からの名残というのは合点がいきますね
世田谷区で反対運動が起こったのも、複々線化が遅れた大きな要因ですよね。土地を売却しなければならない住民の反対は理解できますが、それ以外の住民はなぜ反対したんでしょうね?
以前町田市に住んでいたので小田急の複々線化工事に加算運賃払って協力しました。狛江地区の複々線化は完成を見ましたが、世田谷地区の複々線化完成時点では沿線から離れていました。
喜多見駅は良い所があり、喜多見駅に来て下さい。
お疲れ様です。😂
経堂とか世田谷代田とか良くなったですね。京王も小田急の爪の垢を煎じて飲めばいいのに。小田急なら井の頭線直通も実現していただろう
京王が値下げした時は、鉄趣味界隈を含めてその偉業を褒めたたえていたのだよ。小田急関係者は臥薪嘗胆の思いだったのだろう。
ただ、多摩ニュータウンの人口が当初の計画よりもあまり増えなかったのも原因なので、ある程度は仕方がないでしょう。
複々線化計画がある長距離路線(中央線、小田急)に挟まれた状況の京王だと、複々線化完成で自社の長距離利用客をそっちに取られるから複々線化は過剰投資と判断したんだろうね。誤算は小田急は遅れに遅れてようやく完成、中央線に至っては将来的に完成の可能性がほぼ無くなってしまった複々線のせいで京王の利用が全然減らない事だと思う。
13:23何の素人なのか? そんな声を上げる人は何の玄人なのか?😅
一小田急ユーザーとしては、複々線完成前の方が便利なダイヤだったなぁと思います。せめて緩行線と急行線を逆にして作っていれば…と
小田急の複々線化は鉄道史に残る偉業だと思います。バブルで地価が天井知らずに上がっていた頃は、絶対無理としか思えませんでした。
小田急の複々線化は半世紀に及ぶ大事業だったからな
それにしても、当たり前のように昔の映像が出てくるのすごい
狛江通りの踏切が、なかなか開かなくて渋滞も酷く、バスも遅延するのが当たり前で、仙川方面から合流する松原バス停迄よく歩きました、高架複々線化のおかげでスムーズに流れる様になりましたね
特急などの優等列車のスピードアップと全体の乗り心地向上のため内側急行線としたところに小田急の強い想いが感じとれます。東武伊勢崎線の北越谷駅や西武池袋線の石神井公園駅を見れば分かるように、内側緩行線とした方が区間列車の折り返しの際、急行線との交差支障を起こさずやりやすいので。
東急の田園都市線は無理な工事で緩急入れ替えをしたのに運転系統は分かり難く距離が短い割に難解なものとなってしまった。金は掛かってるだろうけどね。
地下区間に住んでいました。懐かしい映像がたくさん....そしてそれがなんと有効に使われていることか...今回もお疲れ様でした。
取材お疲れ様です。
小田急の複々線化工事の前から工事中にかけて、世田谷区に住んでいたので、反対運動や工事の進捗が区の広報で紹介されていました。
工事に時間がかかったのは反対運動も理由の一つでした。
また、工事が終わったら土地の価値が上がって、固定資産税も増えた結果、税金が払えなくて住めなくなったというウワサもありましたね。、
小田急は高架化、複々線化して良かった思います。それまでは混雑凄いは遅いわで酷かったですし。後は登戸〜新百合ヶ丘間複々線化出来れば多摩線への直通も楽になると思いますが、いかんせん川崎市がやる気ないから。
線増部分の建設費は鉄道事業者の100%自己負担ですからね。。。相鉄も西谷 - 二俣川の立体化に着手しましたけど、同時に複々線化すればダイヤ構成上楽になると分かっていてもやれない理由。
地上時代の経堂は有効長8両で、急行はもちろん千代田線準急は問答無用で通過。たまーに走る新宿発着の8両準急が経堂、千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵民のオアシスでしたね。
世田谷地区は最後の最後まで地下化しろって沿線住民が頑張っててなかなか進まなかったね。すし詰め状態でノロノロ運転の急行の窓から、その高架化反対の張り紙やらノボリやらが目に入ってきて、お前らさえ反対しなければこんな状況解消するのに、と腹立たしく思いながら混雑に耐えて通勤していたのは、今や懐かしい思い出。
どうやら狛江3駅の中で一番お金かけて作ったのは喜多見駅らしいです。
よくやり切ったなってほんとに思います
小田急線と世田谷通りとの上下入れ替えは、短期間だけ踏切ができてしまうのか、と思われていたところ、一晩でやってしまって、踏切設置は回避したんですよね。結構話題になりました。
ニュースでは、西武池袋線と目白通りの立体交差の一晩での上下入れ替え工事の方が大きく取り上げられていましたけど、一晩での上下入れ替えは小田急線と世田谷通りとの方が先なんですよね。
小田急よりもさらに先に、阪急神戸線園田〜塚口の高架化工事にて神戸線と兵庫県道13号線の上下入れ替えが行われました
小田急、西武、の次に行われた東急東横線の元住吉付近の県道尻手黒川線との入れ替えは話題にすらならなかった、東急自身が難工事を理由に長時間運休させないと言う強い意志があるからだろうか。
コンテンツのボリュームも複々線並み!
経堂駅が地上駅だった頃にお世話になってましたが、10数年振りに訪れたら駅の変貌ぶりに驚きました!
元狛江市民ですが、和泉多摩川、狛江、喜多見の3駅は車内からの見た目が似てるから、何回も間違えて降りてしまいました。
狛江市が立体交差に一番乗り気なのは知ってた
末端を先行工事するやり方は九州新幹線の新八代→鹿児島中央や長崎→武雄温泉に似てる
1986年に大学進学のために上京して以来ずっと小田急線沿線に住んでます。数年前に狛江から新百合ヶ丘に引っ越してきました。
当時は、環八を跨ぐ千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の間だけが高架でした。あれから40年、ずいぶんと様変わりしましたね。地べたを走っていた頃が懐かしいです。あとは登戸-新百合ヶ丘の間が複々線になればいいのにと思ってます。でも、生きている間には無理だろうなぁ。
2004年に町田に引っ越してから
工事と共に乗ってた!
すげー工事してんなぁ。
て思ってたけど
完成してやっぱすげー。笑
狛江・和泉多摩川を20年以上使っていたけど、窓の形が違うって・・・今知った。うつらうつらした時など、なんど間違えて降りたことやら。そっくりなんだもん。
実家が千歳船橋と用賀の間なので、高評価ボタンを連打したいきもち
取材、制作お疲れ様です。小田急の複々線、何度利用してもその規模と構造に圧倒されます。
特に地下化された代々木上原~梅が丘駅間は、まさしく立体交差化事業の大成功の一例ともいえるものです。
小田急電鉄側が住民とともに地下化後の街の再開発を考えていくという、このような鉄道と地域の一体感ある工事が、
形は違えど高架化を行いすでに完了の西武線の石神井公園駅周辺でもあってほしかったです。あちらは、下北と違い、工事が始まってようやくの説明会です…。
ついこの前、石神井公園駅再開発を考えなおそうとする団体の方たちにインタビューしたところ、やはり小田急の件は模範とすべきほど素晴らしいとの認識ができていた様子です。
(ついこの間のニュースでは工事差し止めの判決でしたが、結局最後まで反対していた商店の方が離れざるを得なくなり、工事再開となっています。)
4:45 地下鉄千代田線を中心とした計画は9号線です。8号線は有楽町線。それと最初から営団と小田急の相互直通運転を考えていたはずですので、分岐ということではないと思われます。
@kagonaka
動画で言及している1962年の答申では現在の千代田線が8号線でした。
その後計画が再検討され、建設省告示では都市計画9号線になっています。
ただししばらくは答申と都市計画で番号が食い違って紛らしい状態でした。
ほかの動画でも似たようなコメントを見たことがありますが、中途半端な知識しかない人が焦って勘違いコメントをしがちな部分のようです。
62年の答申では「路線番号8 喜多見・松戸」となっています。既設路線(小田原線)の線増にせよ、新規路線の建設にせよ、喜多見から分岐という表現で間違いないと思います。また、多摩線は元来喜多見から分岐を想定していましたので、その兼ね合いもあるのかと。
初代千代直用通勤車両だった「9000形」はその「9」号線に因んだのと、これまでの小田急顔通勤型と仕様面でも変化が多かったからだと。
世田谷区内の区間が反対運動が激しく差し止めまで行われたので、比較して造りやすい狛江市内を先行させたのだと思ってました。着工以前は沿線に牧場が見えるような長閑な農地混じりの住宅地でしたね。
世田谷通りの入れ替え工事は西武池袋線と目白通りの工事の再現みたいです。
新宿から最寄りに帰る時、急行だとほぼ確実に座れないけど疲れているのでと各停に乗って、東北沢で特急、急行、特急の3本待避するのに10分以上停車していて、やっぱり急行にすれば良かったと後悔したことが何度もありました。そして経堂でも優等列車を2本待ち… 今は小田急沿線民じゃないけど、時折訪れる際にはほぼ必ず各停に乗ります。昔を思えば超速い!
8:16 多摩センターの話だと思うけど駅名表記がはるひ野のままになってる
すみません、直し忘れました。。
昔は世田谷通りは狛江駅の近くで踏切があったけど今は和泉多摩川駅近くで高架下をくぐるようになってるね
小田急の採用試験会場へ行く時間と通勤ラッシュが重なり、訳もわからず乗った電車が複々線の速達側走ってて絶望したのは良いも思い出…
世田谷通りの逆立体化
よく覚えています
仮橋の時代も頻繁に通りました
小田急の複々線化兼立体交差化工事はとりわけ梅ヶ丘〜喜多見間については騒音問題をはじめとした問題がたくさんあって裁判沙汰にもなったんだよな。
あとは町田止まりの6両急行が、コロナ禍前の新宿発着10両に戻れば最高なのに
うっすら地上時代の記憶が(梅ヶ丘から複々線)
種別によって分離するとは言うが仕方が特殊
今度のダイヤ改正で向ヶ丘遊園までの運行だった急行が唐木田まで延長されるけど、向ヶ丘遊園〜新百合ヶ丘の線路容量は大丈夫なんだろうか...
増えると言っても1時間あたり21本は京王の笹塚調布間と同じだけどな。
それも向こうとは違って優等列車が停まる駅は必ず片方向で2線以上あるから、
距離の短さも相まってダイヤ組むのはそれほど難しく無い。
今はわからないけど、昔は向ヶ丘遊園止まりの各停が
新百合ヶ丘まで
回送してきて、
唐木田行きになる
事がありましたからね
千代直急行のスジはコロナ前までは
小田原・新松田行き急行だったんよ
遊園新百合間に関しては減便されてたのが元に戻っただけ
本数が昔に戻るだけなんで絶対大丈夫です
和泉多摩川だけ両サイドに改札があるの謎
狛江、喜多見も逆側に改札あればいいのに
地上複線時代から、和泉多摩川駅は狛江寄りに臨時改札があり、狛江駅の和泉多摩川寄り、喜多見駅の狛江寄りにはありませんでした。その名残り?なのかなと思ってます。
@ナサ-l4e そうだったんですね!地上時代からの名残というのは合点がいきますね
世田谷区で反対運動が起こったのも、複々線化が遅れた大きな要因ですよね。土地を売却しなければならない住民の反対は理解できますが、それ以外の住民はなぜ反対したんでしょうね?
以前町田市に住んでいたので小田急の複々線化工事に加算運賃払って協力しました。
狛江地区の複々線化は完成を見ましたが、世田谷地区の複々線化完成時点では沿線から離れていました。
喜多見駅は良い所があり、喜多見駅に来て下さい。
お疲れ様です。😂
経堂とか世田谷代田とか良くなったですね。京王も小田急の爪の垢を煎じて飲めばいいのに。小田急なら井の頭線直通も実現していただろう
京王が値下げした時は、鉄趣味界隈を含めてその偉業を褒めたたえていたのだよ。小田急関係者は臥薪嘗胆の思いだったのだろう。
ただ、多摩ニュータウンの人口が当初の計画よりもあまり増えなかったのも原因なので、ある程度は仕方がないでしょう。
複々線化計画がある長距離路線(中央線、小田急)に挟まれた状況の京王だと、
複々線化完成で自社の長距離利用客をそっちに取られるから複々線化は過剰投資と判断したんだろうね。
誤算は小田急は遅れに遅れてようやく完成、中央線に至っては将来的に完成の可能性がほぼ無くなってしまった複々線のせいで
京王の利用が全然減らない事だと思う。
13:23何の素人なのか? そんな声を上げる人は何の玄人なのか?😅
一小田急ユーザーとしては、複々線完成前の方が便利なダイヤだったなぁと思います。
せめて緩行線と急行線を逆にして作っていれば…と