Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
長距離旅行は夜間に移動したいから夜行列車があった時代がうらやましい。
中学生の頃 時刻表を見てて「なんで寝台特急は常磐線経由が多いんだろう?」と疑問に思ってました。後に線形が理由なのは知りましたが深夜帯事情までは知りませんでしたね。今回も勉強になりました。
急行「八甲田」の定期運用が終了した後、1両だけ指定席にしたりもしましたね。
しかし1年ほどで24系25型に変わった。じつはゴウマルサンダイヤ改正からゴウイチトウダイヤ改正まで583系特急ゆうづるの当時下り3号と上り7号は全車指定席での運転だった。まさにはくつるの相棒だった。
「はくつる」って日本酒好きのオッサンが喜びそうな名前だな🍶😁
♪えんや〜ま〜る〜…
この列車、食堂車連結/営業してたが、その酒、メニューにあったんですかね?列車名で酒の銘柄、現在なら「はくたか」…?
@@雅夫大場 さん確か「はくつる」は、食堂車は連結しても営業はしてなかったはず(’75年春の時点でも。それ以前はわからない)「はくたか」と「しらゆき」で、ポン酒リレーの完成〜〜〜🎉🥳ナンチテ(モデルコース:長野〜新潟なんてどお?😁)
@@kamimiso9 さま。「はくつる」に関して…583系につきましては良くは解りませんが、JTBパブリック刊「時刻表完全復刻版'64年10月号」によりますと、3レ「はくつる」は20系ブルトレ時代は食堂営業していた模様。当時、上野発着は特急「はつかり」「やまばと」「ひばり」はもとより、急行「北斗」「十和田」「おいらせ」に食堂営業の記述あります。一般に食堂車のピクトはフォーク&ナイフ🍴でありますが、「十和田」はティーカップ☕の為、夜行列車のサロンカーの先駆けとも云うべきオシ16ではないかと…583系化後も初期は「きりしま」同様営業していた、と噂を聞きます。私ごとですが、自分は下戸にてアルコールは一滴も呑めません…
白鶴は灘(神戸)で白鷹は西宮、山は富士酒は白雪で有名な小西酒造は伊丹なお夕鶴は佐渡の銘酒
青函トンネル開業前、北海道からの青函連絡船から乗り継いだことがあります。583が数を減らしていた時期で、貴重な体験になりました。
はくつるは史上唯一一旦消滅(583系化)したブルートレインが復活した事例。当時の鉄道ファンに「おかえり!ブルートレインはくつる」と言う特集記事が組まれた程。
電車寝台の頃には乗れず、私が乗ったのは客車列車の頃で、今はなき十和田観光電鉄などに乗りました。
その時のA個室寝台にはオロネ25のオリジナル車(個室14室)が充てられましたね。
2000年年末の帰省で臨時はくつる81号に乗りました。帰りは583系の臨時はつかりを選んで乗車しました。懐かしいです。ホントは2002年に東北新幹線八戸開業前日に運転された〈さようならはつかり〉(青森〜一ノ関)に乗りたかったですが指定席が取れませんでした。
1958年当時の「はつかり」は、常磐線経由。東北本線経由になったのは「はくつる」の583系化と同じ1968年から。
気動車特急もそうでした。
きょう東北新幹線で列車分離事故がありましたが、当時の国鉄なら臨時の583系走らせていたかも知れませんね
万が一の時は在来線の東北本線も活用すべきだと思った今回の事故です。
旅好きの祖母が聞かせてくれた話に出てきた列車がはくつるでした、旧国鉄色はとてもお洒落ですね。
東北線は特急[はくつる🍴🍀],急行[八甲田]。常磐線は特急[ゆうづる🍴🍀],急行[十和田].特急の貫禄は充分でした✌
おー「ゆうづる」の影に隠れがちな「はくつる」が主役の回イイ!
でも昼行特急並みの表定速度のお陰で「ゆうづる」全盛期でも知名度は高かった記憶。
寝台特急はくつるは寝台券の取りにくい列車であった。北海道での連絡列車が特急おおとりや後に分離しておおぞらや急行稚内行きの宗谷に接続していた。おおとりは分離後網走行きだったがヨンゴウトウダイヤ改正からヨンナナサンダイヤ改正まで食堂車が連結されていなかったがこれは網走の車庫が6両分しかなかったためで冬季のエンジン始動に支障をきたすためだった。
それでも当時クソガキだった私は東北のエース格だった「ゆうづる」の方に乗りたかったw九州ブルトレで「富士」と「はやぶさ」の二者択一だったら「はやぶさ」の方に乗りたいだろ的な…
@@もりわききくお 寝台特急はくつるは、当時ガキながら速い列車というイメージがあったので、急ぐ人向けのビジネス特急だと思っていました。一方寝台特急ゆうづるは、特に客車は仙台以北の停車駅も多く、青森までの途中駅で降りる人や、本数も多かったことからも、ビジネス以外の人が多く利用する列車だと、勝手に思ってました。なので、北海道連絡のエースは、昼行特急はつかりと、寝台特急はくつるだと思っていました。
@@竹内克-l7r 対北海道連絡のエースは、行きはゆうづる1,2号、帰りはゆうづる7号です。(5310の前)
晩年のブルトレ時代に、下北交通乗り納めもあって上野→野辺地間シングルデラックスを奮発しました。
はくつる運転時はまだ子供でしたので時刻表で眺めるしかできませんでした。当時の時刻表では上り「はくつる」は23:59発で、すぐ後の0:03に「八甲田」が発車していました。八甲田は仙台発の1番の「ひばり」よりも後に上野に到着が?でした。
大学生の頃、これに乗って青森や北海道へ行くのは、あこがれだったなぁ。特急、寝台料金など出せるはずもなく、周遊券を買えば急行料金不要の、八甲田に乗って何度も往復した。直角座席は本当に寝にくく、辛かった。いつか寝台特急で行ってみたいと思ったなぁ
コンサドーレ札幌戦で札幌に向かう時にお世話になりました。はくつる号 583系と24系共に乗りました。
客車化後の末期の【はくつる】にはお世話になったけど、いつも宇都宮で【なすの】からの乗り継ぎだった。宇都宮発0時02分で当時まだ健在だった乗継割引が使えない絶妙な時間設定だった。
88年に八甲田で青森に向かう際に、盛岡ではくつるに抜かれましたね。確か15分停車している間に、並んで停まってって感じでした。20:38?上野発の八甲田を、ずいぶん後に発車したはくつるが追い抜いていく… やっぱり早えぇんだなぁって思いましたね。
今から31年前の583系末期、ワイド周遊券使って東北乗りつぶし旅行した時に、学生で寝台券買う金がなかったんで青森から上野まで当時あった指定席乗って帰ってきました。確か1ボックス4人分で指定券発売してたと思うけど、結局青森から上野まで1ボックス独り占めでした。
三段寝台の上段って怖くなかったのかね。写真で見ると、高いよ。
国鉄の最末期に下りはくつるに乗りましたが、車両故障で盛岡の手前で運休というオチ。ゆうづるで代行となりました。
わたしのテツの師匠はGWによくゆうづるを利用されていたようですが、わたしは乗れませんでした。はくつるは青森のローカル私鉄巡りの時に乗りました。寝台列車に乗るのも初めてでしたので、24系ハネでしたがあまり眠れませんでした。
583系のイメージってやっぱりはくつるが浮かぶ
583系の3段寝台は個人的には客車2段寝台より快適だった。まず進行方向に対して垂直に寝れるのが良い。それと下段に関してはA寝台並みの広さ。実際に「きたぐに」用に改造されたA寝台は単純に3段から2段にしただけ。それと窓と中段の間に隙間があって無理やり頭をねじ込めば車窓も存分に楽しめた。ホント乗っていて楽しい車両だったよなあ。
もう一ついうならパンタグラフ直下の中段寝台は上段がないので高さもあり隠れた人気があった。
@@もりわききくお きたぐにのパン下の号車と番号を指定して窓口に注文したら、係員氏が「パン下ですね」とw
鉄道ジャーナル社「旅と鉄道」の夜行列車ルポでパン下おさえた際、車掌曰く「ご存知ですね」のニヤリ…
あえて最上段を取った事があるけど上が狭い以外はとても快適で熟睡出来ましたサンライズの2階より揺れなかったです
寝台特急の教科書お手本と言えば全て上野初😊当時の時刻表は圧巻でしたね。こんな本数あるのかよー!
1993年頃、上野から盛岡まで利用しましたが、車内はかなりの利用客でした。この頃はまだ東北方面の寝台列車の需要があった感じ。やはり新幹線網の拡充が第一の要因と考えられるのか。
寝台特急はくつるも2002年の東北新幹線八戸開業までよく生き延びたと思います。1982年11月改正と1993年12月改正での増便分はいずれも583系ゆうづるからの振替で1988年3月改正で1往復に減便された時もゆうづるに振り替えられました。客車で登場し電車化されまた1994年12月改正で1往復が客車化されるという数奇な運命でした。
82年11月改正のはくつる増発は寝台特急北星の青森延長の上で583系化されたものでゆうづるの振り替えではありません。
@@もりわききくお 鉄道ファン2002年6月号特集東北本線の名列車物語によると1982年11月改正のはくつるの増便分はゆうづるの経路変更により誕生したとあります。そして1988年3月改正で再びゆうづるに振り替えられました。因みに寝台特急北星廃止で捻出された14系客車は寒地向けに改造の上北海道の夜行急行の旧形客車置き換えに回されました。
違いますね!上野発時刻を見たらすぐにわかります。撤退ジャーナル1983年1月か2月号か忘れましたが載っていたと記憶しています。たしかに車両だけはゆうづるの583系ですが!ちなみに14系寝台車の一部が北海道使用に改造され500番台になっていて残りは急行用としてきたぐにや能登、妙高に使用されきたぐにのみA寝台車が連結されていた。このきたぐにのA寝台車は後に急行銀河は14系になり、24系25型に伴い100番台に改造されている。
@@もりわききくお 上野発着の時間帯は改正前の北星と同じかもしれないけど583系使用であることを考えるとゆうづるからの振替であることが想像つくと思います。流れ的に北星の区間延長は不自然かと思います。
同じ時間帯のゆうづるは24系25型で残っている。583系のゆうづるは単に利用率が落ちてきたから廃止になった。けっして。はくつるに振り替えたのではない!
客車・気動車時代の「はつかり」は、常磐線経由でした…
同時期のひばりは東北線経由だったんですけどね😅
1991年には、青森→大宮→新宿→成田空港で寝台特急ウイングはくつる号が運行されました。又新宿→成田空港は時刻表上はノンストップでしたが、錦糸町・千葉・成田の各駅で運転停車があったようです。しかし利用者がほとんどいなかったようで、この年限りで運行が終了しました。※JR初期頃には、伊豆方面や長野方面から成田空港へのアクセス特急として、特急ウイング踊り子号・特急ウイングあずさ号が運行されましたが、1990年代中頃には成田空港へのアクセス特急は特急成田エクスプレス号にほぼ統一されました。(1990年代〜2000年代には東京・新宿・八王子や大宮〜成田空港で特急ウイングエクスプレス号が運行されました。)又2002年の日韓ワールドカップ開催時には、新潟→成田空港で特急ウイングエクスプレス号が運行されました。
千葉あずさしか存続できずとりやめたのは他でもなくダイヤプログラムが非常に難しい上、新生成田空港の直下型に伴う成田エクスプレスのデビューもやろ✋🚃
ブルトレとして初めて乗った
夜行が常磐線優先だった当時、大宮や宇都宮あたりから青森、北海道方面の需要は見込めなかったのか?と思うくらいの冷遇だったが、「はくつる」は、下りの場合、上野発も青森着も「遅すぎず早すぎず」のダイヤで重宝されていたと思われます。
上野発着の特急では昼行、夜行含めて最盛期で最も人気が高かった列車がはくつるで、函館や札幌到着が良くまた釧路や網走、稚内にも当日乗り換え無しで着けた。
@@もりわききくお 下りは5分で続行運転してたゆうづる1号2号が1番人気、上りはそれに対応するのがはくつるのだったんで1番人気でした、ゆうづる7号を583系にして同じ時間帯発にして補完しました。
寝台特急「はくつる」は寝台特急「ゆうづる5号」と共に青函連絡船と特急「おおとり」と特急「北海3号」と連絡していました。
特急北海3号よりも急行宗谷のほうが馴染みがある。北海3号は宗谷の函館、札幌間を特急格上げしたものでスピードはそれほど変わっていない。ただ車両はキハ183系にグレードアップされていた。でもいつも空いていたように思う。ちなみに北海3号は札幌に着くと特急おおぞら5号になった。しかもわざわざ号車札を入れ替えて!
特急北海3号とは新しいですね!私は急行宗谷のほうがピンときます。寝台特急はくつるは函館からは釧路・網走・稚内へ乗り換え無しで行けるために最盛期のはくつるは日本一寝台券が取りにくかったそうです。補助としてゆうづる5号があり、これもゆうづるの中では寝台券の取りにくかった列車でした。客車ゆうづるはどちらかといえば北東北をターゲットだったので連絡船と接続していない列車もあった。
はつかりは常磐線経由ですよね。小学生の時に乗ったキハ81系も常磐線経由でした。大学受験で上京の時の帰路は485系ECで東北本線でしたが・・・。はくつるに関係なくて申し訳ありません。はくつるもゆうづるも複数回乗っていますが。
「新幹線でよくね?」となる辺りに、時代の流れを感じる。
新幹線だと早朝に着くには、1泊必要になるため重宝された。現在の夜行高速バスがそれにあたる。
青森で「はくつる」は「みちのく」になって上野へと折り返し、「ゆうづる」が「はつかり」になって上野へ向かってた気が…行きと帰りで違うルートってのがミソだわ。
はくつるが青森に着く頃には特急みちのくはとうに青森を発車しています。
@@もりわききくおみちのくは青森駅4:50位に発車してたんでしたっけ?確か大阪行きの白鳥と同時刻の発車でしたね
@@nagisaharuno1298 函館に24時前につくおおぞらと北海からの連絡船を受けて早朝の青森をはつかり、みちのく、白鳥が出発しました。
ダイヤ的に上野発の夜行列車~。の典型的なパターン!飯はどうしてたのかな。駅弁かな?
ヨンナナサンダイヤ改正までのはくつるは上りも下りも食堂車を営業していたが、ヨンナナサンダイヤ改正で下りは営業時間帯がなかったので休止になり上りもヨンハチトウダイヤ改正で休止になった。当時の583系は食堂車に3相交流電源があったので編成から外すことができなかった。勿論特急はつかりやみちのくでは営業していた。
ロクマルサンダイヤ改正でグリーン車へ改造されています。その後はJR化後にクハネ583型へと再改造されたようです。
この動画の説明の要旨から言うと、主役の特急「ゆうづる」を駆逐したのは、東北新幹線と青函トンネル開通であっる。「はくつる」が「ゆうづる」の需要を奪って駆逐したわけでは無いな。タイトルに無理がある。
動労水戸が夜行運転を嫌ったからです。
「ゆうづる」は乗ったことがあったが、「はくつる」も乗っておくべきだったなぁ。。
24系25型になってから「はくつる号」の利用する機会が多くなりました。583系と違って2段寝台で快適だけでなく22時に出発して翌朝の8時過ぎに到着してくれるダイヤもありがたかったです
それは青函連絡船がなくなり北海道よりも北東北よりにシフトしたからです。
はくつるって新幹線の最終より遅く出て始発より早く着くからサンライズみたいな車両入れてたら、と思わなくもない
地域的に馴染みのなかった列車だったので、「ゆうづる」と「はくつる」の違い(どっちが常磐線経由だとかどっちが元ブルートレインだったとか)が未だにあやふや。
はくつる号ほど583系の印象が強い列車は無いと感じます。鉄道模型ではTomixもKATOもこのはくつる号がアイコンとされ、Tomixに至っては583系基本セットのパッケージドトレインになってますから。
最盛期は青函連絡船1便に対して続行運転で2本ずつ接続するようなダイヤで「ゆうづる」同士のペアが3組と「ゆうづる」「はくつる」のペアが1組でしたね。
上りに関してはゆうづるが先行していたためにおおぞらからはゆうづるへは乗り継げなくなった。ヨンナナサンダイヤ改正のことです。
快速信越の動画化お願いします!
特急はかなりはヨンサントウダイヤ改正までは常磐線経由です。それにはくつるが増発されたのは単に寝台特急北星を青森延長の上で583系寝台電車特急に置き換えただけで、純増ではないです。
晩年、ゆうづる廃止後の583系2往復体制から廃止までお世話になりました。青森乗り換えで函館に渡るのに利用したことがありますが、青森8時台着(583系はくつる3号と客車化後の下りはくつる)だと青森駅直前の単線高架部分でよく待たされて遅れ気味だった覚えがあります。黒磯-八戸間無停車(実際には福島・仙台・一ノ関・盛岡でほぼ1時間おきに運転停車)で上野22:17発青森7:14着の583系はくつる1号の方が、俊足な「はくつる」のイメージにピッタリだと思っていました。
実際には動労水戸がいたから常磐線の夜行はなくなったんんだよね。
ブルートレイル復帰時に食堂車も残せばよかったのに,と思ってしまいます😓
鬱之宮を爆走しまくった、朝鶴号、昼鶴号、夕鶴号、リヴァイヴァルの朝昼晩鶴号もあったとかなかったとか。
鬱之宮を爆走していたそれって首鶴号じゃない?
長距離旅行は夜間に移動したいから夜行列車があった時代がうらやましい。
中学生の頃 時刻表を見てて「なんで寝台特急は常磐線経由が多いんだろう?」と疑問に思ってました。
後に線形が理由なのは知りましたが深夜帯事情までは知りませんでしたね。
今回も勉強になりました。
急行「八甲田」の定期運用が終了した後、1両だけ指定席にしたりもしましたね。
しかし1年ほどで24系25型に変わった。じつはゴウマルサンダイヤ改正からゴウイチトウダイヤ改正まで583系特急ゆうづるの当時下り3号と上り7号は全車指定席での運転だった。まさにはくつるの相棒だった。
「はくつる」って日本酒好きのオッサンが喜びそうな名前だな🍶😁
♪えんや〜ま〜る〜…
この列車、食堂車連結/営業してたが、その酒、メニューにあったんですかね?
列車名で酒の銘柄、現在なら「はくたか」…?
@@雅夫大場 さん
確か「はくつる」は、食堂車は連結しても営業はしてなかったはず(’75年春の時点でも。それ以前はわからない)
「はくたか」と「しらゆき」で、ポン酒リレーの完成〜〜〜🎉🥳ナンチテ
(モデルコース:長野〜新潟なんてどお?😁)
@@kamimiso9 さま。
「はくつる」に関して…
583系につきましては良くは解りませんが、JTBパブリック刊「時刻表完全復刻版'64年10月号」によりますと、3レ「はくつる」は20系ブルトレ時代は食堂営業していた模様。
当時、上野発着は特急「はつかり」「やまばと」「ひばり」はもとより、急行「北斗」「十和田」「おいらせ」に食堂営業の記述あります。
一般に食堂車のピクトはフォーク&ナイフ🍴でありますが、「十和田」はティーカップ☕の為、夜行列車のサロンカーの先駆けとも云うべきオシ16ではないかと…
583系化後も初期は「きりしま」同様営業していた、と噂を聞きます。
私ごとですが、自分は下戸にてアルコールは一滴も呑めません…
白鶴は灘(神戸)で白鷹は西宮、山は富士酒は白雪で有名な小西酒造は伊丹
なお夕鶴は佐渡の銘酒
青函トンネル開業前、北海道からの青函連絡船から乗り継いだことがあります。583が数を減らしていた時期で、貴重な体験になりました。
はくつるは史上唯一一旦消滅(583系化)したブルートレインが復活した事例。
当時の鉄道ファンに「おかえり!ブルートレインはくつる」と言う特集記事が組まれた程。
電車寝台の頃には乗れず、私が乗ったのは客車列車の頃で、今はなき十和田観光電鉄などに乗りました。
その時のA個室寝台にはオロネ25のオリジナル車(個室14室)が充てられましたね。
2000年年末の帰省で臨時はくつる81号に乗りました。帰りは583系の臨時はつかりを選んで乗車しました。懐かしいです。ホントは2002年に東北新幹線八戸開業前日に運転された〈さようならはつかり〉(青森〜一ノ関)に乗りたかったですが指定席が取れませんでした。
1958年当時の「はつかり」は、常磐線経由。東北本線経由になったのは「はくつる」の583系化と同じ1968年から。
気動車特急もそうでした。
きょう東北新幹線で列車分離事故がありましたが、当時の国鉄なら臨時の583系走らせていたかも知れませんね
万が一の時は在来線の東北本線も活用すべきだと思った今回の事故です。
旅好きの祖母が聞かせてくれた話に出てきた列車がはくつるでした、旧国鉄色はとてもお洒落ですね。
東北線は特急[はくつる🍴🍀],急行[八甲田]。常磐線は特急[ゆうづる🍴🍀],急行[十和田].
特急の貫禄は充分でした✌
おー「ゆうづる」の影に隠れがちな「はくつる」が主役の回イイ!
でも昼行特急並みの表定速度のお陰で「ゆうづる」全盛期でも知名度は高かった記憶。
寝台特急はくつるは寝台券の取りにくい列車であった。北海道での連絡列車が特急おおとりや後に分離しておおぞらや急行稚内行きの宗谷に接続していた。おおとりは分離後網走行きだったがヨンゴウトウダイヤ改正からヨンナナサンダイヤ改正まで食堂車が連結されていなかったがこれは網走の車庫が6両分しかなかったためで冬季のエンジン始動に支障をきたすためだった。
それでも当時クソガキだった私は東北のエース格だった「ゆうづる」の方に乗りたかったw
九州ブルトレで「富士」と「はやぶさ」の二者択一だったら「はやぶさ」の方に乗りたいだろ的な…
@@もりわききくお
寝台特急はくつるは、当時ガキながら速い列車というイメージがあったので、急ぐ人向けのビジネス特急だと思っていました。一方寝台特急ゆうづるは、特に客車は仙台以北の停車駅も多く、青森までの途中駅で降りる人や、本数も多かったことからも、ビジネス以外の人が多く利用する列車だと、勝手に思ってました。なので、北海道連絡のエースは、昼行特急はつかりと、寝台特急はくつるだと思っていました。
@@竹内克-l7r 対北海道連絡のエースは、行きはゆうづる1,2号、帰りはゆうづる7号です。(5310の前)
晩年のブルトレ時代に、下北交通乗り納めもあって上野→野辺地間シングルデラックスを奮発しました。
はくつる運転時はまだ子供でしたので時刻表で眺めるしかできませんでした。当時の時刻表では上り「はくつる」は23:59発で、すぐ後の0:03に「八甲田」が発車していました。八甲田は仙台発の1番の「ひばり」よりも後に上野に到着が?でした。
大学生の頃、これに乗って青森や北海道へ行くのは、あこがれだったなぁ。特急、寝台料金など出せるはずもなく、周遊券を買えば急行料金不要の、八甲田に乗って何度も往復した。直角座席は本当に寝にくく、辛かった。いつか寝台特急で行ってみたいと思ったなぁ
コンサドーレ札幌戦で札幌に向かう時にお世話になりました。はくつる号 583系と24系共に乗りました。
客車化後の末期の【はくつる】にはお世話になったけど、いつも宇都宮で【なすの】からの乗り継ぎだった。宇都宮発0時02分で当時まだ健在だった乗継割引が使えない絶妙な時間設定だった。
88年に八甲田で青森に向かう際に、盛岡ではくつるに抜かれましたね。確か15分停車している間に、並んで停まってって感じでした。20:38?上野発の八甲田を、ずいぶん後に発車したはくつるが追い抜いていく… やっぱり早えぇんだなぁって思いましたね。
今から31年前の583系末期、ワイド周遊券使って東北乗りつぶし旅行した時に、学生で寝台券買う金がなかったんで青森から上野まで当時あった指定席乗って帰ってきました。
確か1ボックス4人分で指定券発売してたと思うけど、結局青森から上野まで1ボックス独り占めでした。
三段寝台の上段って怖くなかったのかね。写真で見ると、高いよ。
国鉄の最末期に下りはくつるに乗りましたが、車両故障で盛岡の手前で運休というオチ。ゆうづるで代行となりました。
わたしのテツの師匠はGWによくゆうづるを利用されていたようですが、わたしは乗れませんでした。はくつるは青森のローカル私鉄巡りの時に乗りました。寝台列車に乗るのも初めてでしたので、24系ハネでしたがあまり眠れませんでした。
583系のイメージってやっぱり
はくつるが浮かぶ
583系の3段寝台は個人的には客車2段寝台より快適だった。まず進行方向に対して垂直に寝れるのが良い。それと下段に関してはA寝台並みの広さ。実際に「きたぐに」用に改造されたA寝台は単純に3段から2段にしただけ。それと窓と中段の間に隙間があって無理やり頭をねじ込めば車窓も存分に楽しめた。
ホント乗っていて楽しい車両だったよなあ。
もう一ついうならパンタグラフ直下の中段寝台は上段がないので高さもあり隠れた人気があった。
@@もりわききくお きたぐにのパン下の号車と番号を指定して窓口に注文したら、係員氏が「パン下ですね」とw
鉄道ジャーナル社「旅と鉄道」の夜行列車ルポでパン下おさえた際、車掌曰く「ご存知ですね」のニヤリ…
あえて最上段を取った事があるけど
上が狭い以外はとても快適で熟睡出来ました
サンライズの2階より揺れなかったです
寝台特急の教科書お手本と言えば全て上野初😊当時の時刻表は圧巻でしたね。こんな本数あるのかよー!
1993年頃、上野から盛岡まで利用しましたが、車内はかなりの利用客でした。この頃はまだ東北方面の寝台列車の需要があった感じ。やはり新幹線網の拡充が第一の要因と考えられるのか。
寝台特急はくつるも2002年の東北新幹線八戸開業までよく生き延びたと思います。1982年11月改正と1993年12月改正での増便分はいずれも583系ゆうづるからの振替で1988年3月改正で1往復に減便された時もゆうづるに振り替えられました。客車で登場し電車化されまた1994年12月改正で1往復が客車化されるという数奇な運命でした。
82年11月改正のはくつる増発は寝台特急北星の青森延長の上で583系化されたものでゆうづるの振り替えではありません。
@@もりわききくお 鉄道ファン2002年6月号特集東北本線の名列車物語によると1982年11月改正のはくつるの増便分はゆうづるの経路変更により誕生したとあります。そして1988年3月改正で再びゆうづるに振り替えられました。因みに寝台特急北星廃止で捻出された14系客車は寒地向けに改造の上北海道の夜行急行の旧形客車置き換えに回されました。
違いますね!上野発時刻を見たらすぐにわかります。撤退ジャーナル1983年1月か2月号か忘れましたが載っていたと記憶しています。たしかに車両だけはゆうづるの583系ですが!ちなみに14系寝台車の一部が北海道使用に改造され500番台になっていて残りは急行用としてきたぐにや能登、妙高に使用されきたぐにのみA寝台車が連結されていた。このきたぐにのA寝台車は後に急行銀河は14系になり、24系25型に伴い100番台に改造されている。
@@もりわききくお 上野発着の時間帯は改正前の北星と同じかもしれないけど583系使用であることを考えるとゆうづるからの振替であることが想像つくと思います。流れ的に北星の区間延長は不自然かと思います。
同じ時間帯のゆうづるは24系25型で残っている。583系のゆうづるは単に利用率が落ちてきたから廃止になった。けっして。はくつるに振り替えたのではない!
客車・気動車時代の「はつかり」は、常磐線経由でした…
同時期のひばりは東北線経由だったんですけどね😅
1991年には、青森→大宮→新宿→成田空港で寝台特急ウイングはくつる号が運行されました。又新宿→成田空港は時刻表上はノンストップでしたが、錦糸町・千葉・成田の各駅で運転停車があったようです。しかし利用者がほとんどいなかったようで、この年限りで運行が終了しました。※JR初期頃には、伊豆方面や長野方面から成田空港へのアクセス特急として、特急ウイング踊り子号・特急ウイングあずさ号が運行されましたが、1990年代中頃には成田空港へのアクセス特急は特急成田エクスプレス号にほぼ統一されました。(1990年代〜2000年代には東京・新宿・八王子や大宮〜成田空港で特急ウイングエクスプレス号が運行されました。)又2002年の日韓ワールドカップ開催時には、新潟→成田空港で特急ウイングエクスプレス号が運行されました。
千葉あずさしか存続できずとりやめたのは他でもなくダイヤプログラムが非常に難しい上、新生成田空港の直下型に伴う成田エクスプレスのデビューもやろ✋🚃
ブルトレとして初めて乗った
夜行が常磐線優先だった当時、大宮や宇都宮あたりから青森、北海道方面の需要は見込めなかったのか?と思うくらいの冷遇だったが、「はくつる」は、下りの場合、上野発も青森着も「遅すぎず早すぎず」のダイヤで重宝されていたと思われます。
上野発着の特急では昼行、夜行含めて最盛期で最も人気が高かった列車がはくつるで、函館や札幌到着が良くまた釧路や網走、稚内にも当日乗り換え無しで着けた。
@@もりわききくお 下りは5分で続行運転してたゆうづる1号2号が1番人気、上りはそれに対応するのがはくつるのだったんで1番人気でした、ゆうづる7号を583系にして同じ時間帯発にして補完しました。
寝台特急「はくつる」は寝台特急「ゆうづる5号」と共に青函連絡船と特急「おおとり」と特急「北海3号」と連絡していました。
特急北海3号よりも急行宗谷のほうが馴染みがある。北海3号は宗谷の函館、札幌間を特急格上げしたものでスピードはそれほど変わっていない。ただ車両はキハ183系にグレードアップされていた。でもいつも空いていたように思う。ちなみに北海3号は札幌に着くと特急おおぞら5号になった。しかもわざわざ号車札を入れ替えて!
特急北海3号とは新しいですね!私は急行宗谷のほうがピンときます。寝台特急はくつるは函館からは釧路・網走・稚内へ乗り換え無しで行けるために最盛期のはくつるは日本一寝台券が取りにくかったそうです。補助としてゆうづる5号があり、これもゆうづるの中では寝台券の取りにくかった列車でした。客車ゆうづるはどちらかといえば北東北をターゲットだったので連絡船と接続していない列車もあった。
はつかりは常磐線経由ですよね。小学生の時に乗ったキハ81系も常磐線経由でした。
大学受験で上京の時の帰路は485系ECで東北本線でしたが・・・。
はくつるに関係なくて申し訳ありません。はくつるもゆうづるも複数回乗っていますが。
「新幹線でよくね?」となる辺りに、時代の流れを感じる。
新幹線だと早朝に着くには、1泊必要になるため重宝された。現在の夜行高速バスがそれにあたる。
青森で「はくつる」は「みちのく」になって上野へと折り返し、「ゆうづる」が「はつかり」になって上野へ向かってた気が…行きと帰りで違うルートってのがミソだわ。
はくつるが青森に着く頃には特急みちのくはとうに青森を発車しています。
@@もりわききくおみちのくは青森駅4:50位に発車してたんでしたっけ?
確か大阪行きの白鳥と同時刻の発車でしたね
@@nagisaharuno1298 函館に24時前につくおおぞらと北海からの連絡船を受けて早朝の青森をはつかり、みちのく、白鳥が出発しました。
ダイヤ的に上野発の夜行列車~。の典型的なパターン!
飯はどうしてたのかな。駅弁かな?
ヨンナナサンダイヤ改正までのはくつるは上りも下りも食堂車を営業していたが、ヨンナナサンダイヤ改正で下りは営業時間帯がなかったので休止になり上りもヨンハチトウダイヤ改正で休止になった。当時の583系は食堂車に3相交流電源があったので編成から外すことができなかった。勿論特急はつかりやみちのくでは営業していた。
ロクマルサンダイヤ改正でグリーン車へ改造されています。その後はJR化後にクハネ583型へと再改造されたようです。
この動画の説明の要旨から言うと、主役の特急「ゆうづる」を駆逐したのは、東北新幹線と青函トンネル開通であっる。
「はくつる」が「ゆうづる」の需要を奪って駆逐したわけでは無いな。
タイトルに無理がある。
動労水戸が夜行運転を嫌ったからです。
「ゆうづる」は乗ったことがあったが、「はくつる」も乗っておくべきだったなぁ。。
24系25型になってから「はくつる号」の利用する機会が多くなりました。583系と違って2段寝台で快適だけでなく22時に出発して翌朝の8時過ぎに到着してくれるダイヤもありがたかったです
それは青函連絡船がなくなり北海道よりも北東北よりにシフトしたからです。
はくつるって新幹線の最終より遅く出て始発より早く着くから
サンライズみたいな車両入れてたら、と思わなくもない
地域的に馴染みのなかった列車だったので、「ゆうづる」と「はくつる」の違い(どっちが常磐線経由だとかどっちが元ブルートレインだったとか)が未だにあやふや。
はくつる号ほど583系の印象が強い列車は無いと感じます。鉄道模型ではTomixもKATOもこのはくつる号がアイコンとされ、Tomixに至っては583系基本セットのパッケージドトレインになってますから。
最盛期は青函連絡船1便に対して続行運転で2本ずつ接続するようなダイヤで「ゆうづる」同士のペアが3組と「ゆうづる」「はくつる」のペアが1組でしたね。
上りに関してはゆうづるが先行していたためにおおぞらからはゆうづるへは乗り継げなくなった。ヨンナナサンダイヤ改正のことです。
快速信越の動画化お願いします!
特急はかなりはヨンサントウダイヤ改正までは常磐線経由です。それにはくつるが増発されたのは単に寝台特急北星を青森延長の上で583系寝台電車特急に置き換えただけで、純増ではないです。
晩年、ゆうづる廃止後の583系2往復体制から廃止までお世話になりました。青森乗り換えで函館に渡るのに利用したことがありますが、青森8時台着(583系はくつる3号と客車化後の下りはくつる)だと青森駅直前の単線高架部分でよく待たされて遅れ気味だった覚えがあります。黒磯-八戸間無停車(実際には福島・仙台・一ノ関・盛岡でほぼ1時間おきに運転停車)で上野22:17発青森7:14着の583系はくつる1号の方が、俊足な「はくつる」のイメージにピッタリだと思っていました。
実際には動労水戸がいたから常磐線の夜行はなくなったんんだよね。
ブルートレイル復帰時に食堂車も残せばよかったのに,と思ってしまいます😓
鬱之宮を爆走しまくった、朝鶴号、昼鶴号、夕鶴号、リヴァイヴァルの朝昼晩鶴号もあったとかなかったとか。
鬱之宮を爆走していたそれって首鶴号じゃない?