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i know I am quite randomly asking but do anyone know a good website to stream new series online?
@Easton Jordan Flixportal =)
高畑勲は怪物だけど、高畑勲の演出意図を読み取れるのも一部の怪物しかいなかったんだな
怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬように心せよ。汝が久しく深淵を見入るとき、深淵もまた汝を見入るのである怪物と対峙できるのは怪物的要素を持っている人のみ。物語の深いところを読み取るには作者と同じ心理状況にならなければ読み取れない。
シーザーを理解するのにシーザーになる必要はないは、当たってないですね
遺影に見える演出観客を見つめる清太この二つは鳥肌モノだった。。
観客を見つめる清太の意味はなんなんですか?気になって眠れません!
@@319106 じゃあ寝ないでください!
@@魁_サキガケ 眠くなったら寝ます=(´っ・ω・)っ
こういう解説をしてくれる人が居なかった、今はいい時代になったと思います
確か野坂さんは戦時中、妹の食べ物を盗み食いしたんですよね。本当のところはどうなのか分からないけど、妹は結果的に衰弱して死んでしまった。戒めというか業を背負って生きているんですよね。我々も。
家族で蛍の墓を見ていた時、母と兄弟が涙する中、空襲の中を妹の手を引いて逃げた経験を持つ父親は眉ひとつ動かさなく退屈な物を見る様な顔をしてた。父曰く「こんな話は山ほどあった。この兄弟が死んだんは兄貴の判断が悪い」と言っていました。
それを聞くとやはり、半分フィクションとも言える現代人にとっての戦時を舞台にした話しは、高畑勲が観客に期待出来る様な感想は見いだせないんだなと思いますね。それは現代の人々が悪いわけでもなく、その人の気持ちになってみよう では決してたどり着けない所の経験と言うことかと思いました。そういう意味では、この映画は観客おいてけぼりの独り善がりな作品とも言えるかもしれない。
戦争は人の感情すら壊すんですね…。
戦争を体験したわけじゃないし、こういう風に考えをあの兄弟が出来たかは分からないですけど、どれだけ居心地が悪くてもまだ小さい節子を連れて野宿生活を選んだのは確かに軽率だと思いました。そもそも、居候の身で手伝いもせず寝て遊んで食べるだけ。親戚のおばさんの意見もわかる。他の子に気を回すほど余裕がないですよね....子供の浅はかな甘いところも逆に見てて辛かったです。
S猛さんのお父さんの仰る通りです。親父が海軍将校という事で、この息子はプライドだけは高かったんでしょうね。孤児になったのはかわいそうだけど、小さい節子を守るためにも自分達が置かれている状況を理解し、成人するまではおばさんの家で手伝いをしながら、辛抱して世話になるべきでしたね。結局、感謝の気持ちや謙虚さ、生きる術を教えなかった親の責任だと思います。
「戦争の悲惨さとか叔母さんが悪い兄が悪いとかそんなところを見る映画を高畑さんは描こうとしてない」という解説動画なのに戦争ガー兄ガーとか書いてるコメがあるのか…(困惑)
「しかし、文芸の世界には、『キャラ』という概念はないんですよ」エンタメと文芸の差異を語るに、ここまで明快な要素が存するとは思わなんだ。感服しました、というより、もうただただ驚かされました。
「死んでしもた」と日常的に言えるぐらい、死が、身近にあった時代なんですね…。
Masayoshi Kaji 今はほんとに長生きするような医療技術が発達してますよね。死が身近にないぶん、皆死や生を疎かにしている。普通に他人に死ねと口走る人が沢山いる。人の死を見れば、そんな言葉口にできない。
医療が発展しているからというコメントがありますが害しか無い癌治療。医療マフィアは害しか無い癌治療で毒抗癌剤のマスタードガスを盛ってこようとしますからね。更に癌を起こす人工放射線の放射線偽治療必要な臓器を切り取る偽手術。メタストロンはストロンチウム89で更に骨や脳を痛める偽薬ストロンチウムは脳や骨に溜まってアルツハイマーや骨粗鬆症を起こしているでしょう。
@window 空気読めやまじで
@@anti-newworldorderanti-glo7843 そういう定番のガン治療を受けないと、通院治療給付、複数回目のガン給付金などが出ないガン保険も多い。保険も共犯。
Masayoshi Kaji 9年前の東北も、同じ状況だったんですよ、会話の中で普通に、「どこどこの婆さんはどこどこで見つかった。」「どこどこの姉さんはまだ見つかってない」死が身近に来るのは、今の時代でもあり得るんですよ。
火垂るの墓を初めて見たのは4歳の頃。清太達のお母さんが変わり果てた姿で見つかった描写が生々しくて、今でこそ平気になったが当時は怖くて仕方なかった…
思わず「飲まんのんかい!」と何度も言っちゃう動画そして9分頃、「飲むんかい!」と言っちゃう動画
2:01とかでこのコメント見つけて笑った笑笑
dew dtm これ何飲んでんの?
大爆笑しました
krug 1007 ほんとに?
外 ̈コロ麹 飲む飲まないのコメントに対してですよ
せいた、あんたは悪くないよ。まだ子供だったんだもの。成仏して。
「高畑勲 観客に甘え過ぎ説」好き(笑)
火垂るの墓は、中学生の頃に初めて見ましたが、それまで映画などで感動して泣くという事は一度もなかったのですが、火垂るの墓で初めて泣きましたね。悲しさで胸が苦しくなるという状況を初めて経験し、その胸の苦しさに戸惑ったのを今でも思い出します。節子が亡くなった後、節子が元気に遊んでる頃の姿が消えたり現れたりするシーンで胸の苦しさがピークでした。高畑さんの作品は、確かに感情表現を分かりやすくは描写しませんね。どう感じているのかを考えさせられる事が多いです。自分は、高畑さんが何を強く伝えたかったのかは正直なところ分かりませんでしたが、自分の場合は、家族を失った喪失感を強く感じました。当時、自分が一番恐れていた事は家族の死。それを火垂るの墓で見る事になり、強い悲しみを感じてしまったんだと思います。映画や音楽は、観たり聴いたりするだけでは、作者の伝えたいことは分からない事もあると思います。ただ、個人的には、作者がどう考えているかより、その作品を見て、どう感じたかが大事かなと思っています。余談ですが、高畑さんの作品に出てくる登場人物の笑顔は、宮崎さんの作品では出てこない独特の笑顔で表現してますよね。頬っぺたの描き方が独特で、リアルな笑顔だな~っと思ってました。
これ野坂昭如の原作とか著書を読んでから見ると合点がいく。野坂のほぼ実体験だけど、当然野坂は生き残ってしまって妹を見殺しにしたって言う自責の念を抱えて生きてたんだよね。かたい豆を噛み砕いて妹にあげようと思うのに本能的な若い食欲が飲み込んでしまう。そのせいで妹に豆も食べさせられずに見殺しにしてしまったっていう思いで、トラウマをずっと抱えてた。なので親になっても「空腹じゃないか?」という過剰な心配で自立してる娘に大量のお菓子や食料を度々仕送りして娘は困ってるっていう半ば笑い話も有名。だから原作も含めて、火垂るの墓は野坂にとって自分を呪い責めるための作品だったんだろう。原作でもアニメでもセイタが死ぬのは、死ぬべきだった自分を今一度殺したかったからだそうだ。
ここまで考察できる人って着眼点がちがうよね。すごい
火垂るの墓は観るたびに印象が変わる清太は人を拒絶はしていないんですよね農家のおじさんとコンタクトも取るし、おばさんの所にも行くし、銀行にも行けるし未だに色々疑問が晴れません長くなるので伝えたい事が書ききれません20年以上考えてますよ、この作品だけわ
高校の現代文の授業で火垂るの墓やったけど、こういうこと聴きたかったな
節子と同世代の子供のママです。戦争孤児について毎日考えています。どうして今はこんなに食べ物に苦労しない毎日なのか?たった73年前の出来事です。今も苦しんでる方がいます。辛いときでも腹は減ります。今まで一緒にいた友人が死んだらその子の着ていた服を剥ぎ取って自分が着る。普通に考えたら絶対しないことをしなければ生きれなかった戦争孤児たち。高畑さんは素晴らしい方です。何度も考えさせてくれる作品です。
オープニングの幽霊の清太と節子が幸せそうに笑ってることで泣いた
こういう人が国語の先生だったら寝なさそう
日本に5Gが導入されたら国語の先生この人以外いらないね教卓の上にこの人立体視させてれば良い「えー、今日は11日なので出席番号11番の人朗読して下さい」全国の11番の子達「!?!?!?」
話が下手過ぎるだろ。結論から早くさっさと話せと思ったよ。30分聞いたけど、何をダラダラしゃべってんだと思った。話にメリハリが無さ過ぎるし、しょうもない事を勿体ぶり過ぎ。
ウィキ執筆者Athleta別名Ath02の釜本75点、80点宣伝。1人の男にだまされ続ける日本国民 私が感じたことじゃけん、そんな反応せんでええんやで〜😌しずまりたまえ〜
たろすけ優しい☺️
どーでもいい指摘なんだけど寝なさそうではなく、寝なそうが正しいのかと。動詞の否定形なので。
ああ、そうか。この煉獄は火垂るの墓を見る人がいなくなるまで続くのかもしれない・・
俯瞰で、批判的にも見てほしい・・ってのは分かるんだけど、ツイッターなんか見てても「自分はそんな間違いはしない」みたいな上から目線でせいたや叔母さんを罵るのが結構多いのがなんだか悲しいなと思います。よく今の日本人は「完璧ではない事を皆が寄ってたかって罰する国」と言われますが、納得してしまいます。
藤原麻実 私もそういうのが嫌で人の意見はあんまり見ないようにしています…。自分自身が地獄を見た経験が無い人ほどそういうことを言うと思うんです。
人間は神様仏様ではないので間違えますよ。正論ばかり吐く人は苦労した事ない人ですね震災で自分の子供が2週間食べてなかったら店に強奪入りますよ、私は。ただ日本の場合、その前に物資が届いてしまう恵まれた国だと今は思います。
@@かねごんふみっち その強奪するあなたは殺してもOKなんだよね?徹底にグチャグチャにされても。
@@ああ-q9m9t 様殺されるのも仕方ないと思ってます。 前にも言ったけど人間は神様仏様ではないので絶対間違いを犯します。近所の人達が強奪に行けば絶対つられて行っちゃいますし。 目の前で自分の子が餓死するのを見ていろと?まあ、自分が先に殺されれば餓死するのを見ないで済みますけれど。www そして殺す側も「殺人」という間違いを犯します。上↑の人達が言ってる通り、地獄を見たことない人達は正論ばかりはきます 現に東北震災の時も他人様の空き家に沢山盗人が入りましたが…長文失礼します。
藤原 戦争の事に関しては、今の価値観で考えちゃダメ。←当たり前な事だけど、これができない人が多い。私もできない
お腹空いてるんだから 食べていいと思う。せいたも 子どもなんだしそれを批判はしたくない
じいちゃんが言ってたけど、親死んでも子が死んでも人間生きてりゃ腹が空くってさ
火垂るの墓をこんなに笑いながら喋る人初めて見たwww
子供の頃から公式のビデオでフルで何度も観ていたのに、何故かラストの現代の神戸を見下ろすシーンを一切覚えていませんでした。この動画を見て初めてそんなシーンがあったと知りました。不思議な気持ちになりました。
食べ物無い時代だと普通に食うよねそれ以前にせつこに栄養付けさせようと我慢してたと思うし
こんな話をタダでしてくれるってホントに人類の母やで…
可憐な火憐FS 母や。おばちゃんフェイスやし。
劇中で、清太は銀行から三千円引き出した。たしか、口座には親が残した七千円を残していたはず。当時の賃金換算すると七千円は、現在の三千万くらいに匹敵する。それだけあれば、幾ら子供二人だけで、数年は十分暮らしていける額。無論、当時は配給制や闇市の時代でお金があれば解決できる時代でもなかっただろうけど、節子が亡くなったのが終戦後。そして清太が亡くなったのが、9月だから、節子が亡くなってから一か月足らずで清田は後を追うように亡くなった。その間に、七千円もの莫大なお金が尽きるわけがない。当時の映画パンフレットには高畑監督は、どんどん核家族化して孤立していく人々の問題提起として、節子と清田の社会から孤立した「閉じた社会」を描きたかったと語っていた記憶がある。この映画が放映された30年以上前から既に現代人は、孤立化していた。ネット社会の現代は更にそれに拍車がかかっている。ネットがあるんだから、友人・夫婦・恋人がいなくても、いつも繋がっていられるという考え方。高畑監督の警鐘は悪い形で現代で的中している。節子を失った事で、二人きりの辛うじてつながった社会も打ち砕かれて、経済的に余裕があっても、生きる事を自分から清田は断ってしまったんじゃないかな。今の時代も、人々は未婚化や格差社会が進み、不透明な将来に若い世代でも、安楽死をしたい。という言葉さえ出ている。そういう風潮と、清田の節子を失った後の生きる事の消極性に共通性を見いだせる。ラストシーンで清田が近代ビルが立ち並ぶ神戸の街並みを俯瞰したのは、個で生き続ければ、いずれ僕たちのようになってしまうよ。という警鐘なんだろうね。
「いずれ僕たちのようになるよ」〝目線〟にはそのメタメッセージも感じますね。たしかに。
1945年の貨幣価値は今の200分の1くらいだから、7000円だと約140万円ぐらいですね
戦後は凄いインフレで、価値がなくなっていたのではないですか?
インフレでお金の価値がなくて、物々交換が主流だったという話もききますね!もしそうだったら清太たちは何も持ってなかったため交換できなかったのかもしれませんね🤔
@@jenye9815 インフレが酷くなったのは戦争が終ってからのことだから終戦前なら3000万円相当で間違っていない。
もう見たくないけど、この悲しみは忘れてはいけない悲しみだと思い、また見ます。人にも勧めます。
チラッと観るつもりが全部観ちゃった。せいたが自分のあやまちで繰り返し苦しめられるとは…兄妹の絆、戦争の恐ろしさだけじゃないもっと深い作品なんだなぁ
私たちは「戦時中」という映画の舞台で物事を考えてしまいますが、実は「現代」の問題点をあぶり出した映画なんですよね…社会性を無くした人間達は生きて行けないんですね…
ドキリ
実は火垂るの墓で現代の社会性の孤立感を痛烈に批判する事を意識している。と当時のこの映画のパンフレットで高畑監督が正に言及していたと記憶している。放映された30年前はネットなどまだない時代だったけど、彼は、この当時の若者の核家族化に警鐘を鳴らしていた。更に30年以上経過した今。ネット社会と、独身率の上昇で、更に人々の孤立化、孤独死など浮き彫りに。32年前に既に監督は警鐘鳴らしてたんだな。
高畑監督はただただリアルを綺麗に見せただけなのね。
灰皿の演出は気が付いたけど、両親がいないのは気にしてなかったな、流石だわ。
せいたの無表情になる姿も、しずしずと淡々と生活する姿も、追い込まれた人間をよく描いてるなと思う
悲しみを超えると涙って出ないよね。もう感情がなくなると言うか。
絶望ですね
だから、SchoolDaysの歌詞もそうなんですね
辛すぎて、思い出さない考えないようにするからじゃないかな。しっかりしなきゃいけない為の防衛反応というか。
まさに清太さんのよう
超えた事あんのかよw
有料まで見ました。この動画見る前は悲しくて号泣してましたが、岡田さんの言った通り今までの視点で見れなくなり泣けなくなってしまいました笑ジブリは好きだけど、何回見てもよく意味がわからないばかだったので、考察動画がすごく面白いです!
誤解され続けた高畑さんと火垂るの墓を、再び甦らせている。さすがプロだ
後半をアップロードして欲しくて泣いた。。。広告の量を増やしてでもいいからアップロードしてほしい!
シークエンスはやとものチャンネルから来ました。絶賛👍してました!!
高畑さんご冥福をお祈りいたします
宮崎駿の片思いのままで終わってしまったんだね。宮崎駿のモチベーションはどうなるのだろう。
小さい頃節子の遺体を焼く清太の顔を見て何故かゾッとした意味が分かりました
ドーラ急に出てくるとめっちゃ安心したわw
タイトルの意味ようやく理解した。。。あと蚊帳の中で蛍出して遠巻きに見たら遺影になるって………それは気付かなかった😩
幼稚園の時、家でよくお母さんとお昼寝してたんだけど火垂るの墓見てからは横で寝てるお母さんが節子たちのお母さんみたいに包帯ぐるぐるで死んでるんじゃないかって怖くて泣きながらいつのまにか寝るっていう日が続いた。あのシーンは本当にトラウマ…。
冒頭でこんな心締め付けられるって、演出が素晴らしい証拠だ。。
すごいおもしろかった笑笑テンション上がるところが独特すぎて急に爆笑するから、そこかいってなる笑笑
歳を重ねる事に「火垂るの墓」の見方が凄い変わる。
火垂るの墓をみたとき、「頑張って美しく生きようとすると、この世界では死んでしまうんだな(逆にいうと、生き延びる才能とは醜くあることであるんだな)、皮肉だな、腹立たしいな」という感想がわいてきたのですが、「それが何故なのか」が、この動画をみて、はっきりわかりました。一層わすれられない映画になりそうです。本当にありがとうございました。
悲しむっていうのは、エネルギー消費が激しい。婆ちゃんの葬式の時、親戚みんなでせっせと、自分達が食べるためのゴマがついたおにぎりをたくさん作ったよ。人間性ってのは、そんなにお綺麗なもんじゃないのに、美化したい人が美化してきただけだと思う。でも、清太やおばさんを批判する事で、また研ぎ澄まされるんだ。戦争なんかすると、それも一気にリセットされる…。火垂るの墓って教訓というより、脅迫に近いよね…。
節子を火葬してる時の清太の表情は、どこかホッとしてるんだろうなと思った。
自分は鬱になってなにも考えられなくなって心が死んでしまったんだなと思った。心が死ぬと人は泣けなくなります。節子はあの戦争の中で清太にとって生きる希望だったんじゃないかと思います。だから節子が亡くなったあとのその後の清太の話がなくすぐ清太の死の描写になったんだと自分は思いました。
大切な人の苦しんでる姿を見なくて済むもんね
妹が楽になったとも感じとれるし、1人で生きていけるという安心感も感じられます…。
想像ですが重度の認知症か寝たきりになってしまった親を介護疲れの果てに衝動で殺してしまう時の感情に近いしいものがあるような気がします自分が命を奪ってしまったという罪悪感と安堵してしまっている自分に対する罪悪感この畳み掛ける罪悪感が清太を煉獄に留まらせているのかな…節子はお兄ちゃんが大好きだからいまだに側にいるんだと思いますこの映画はあらゆる意味で残酷なので昔から苦手でした泣いたことはなかったですただだだ、怖かった…
わかるwwwwwおばさんwwww優しかったおばさんが冷たくなったのがめっちゃショックだったwww
岡田斗司夫さんの話は本当に面白いしガチで詳しいし癒やされますね。もう、ひとつのテーマで10時間ぐらい喋って欲しいですね。お金に余裕がないので有料部分が見れないのが本当に残念。松本人志のドキュメンタルと同じぐらい見たくなリます。でもお金がない…むなしすぎる。
一部異論ですが、何故ガツガツ食っているシーンを描かないか、という点で、清太自身がそれを直視できないからではないかと思います。演出というよりは、清太自身の回想であるから、あくまでも主観的なのだと。
ken HD B
そういう解釈もありですね
その清太も高畑監督の演出だから、つまり・・・。
@ヘッド修行僧 腹は減るから食べる。食べてる時は生き物なんだから幸せ感じてしまう。で食べてひと段落した時に節子に食べさせるつもりだったのに・・・で自己嫌悪。煉獄の中でこの強烈な自己嫌悪の部分だけフラッシュバックしているって自分は感じました
浅いことを書きますが、ガツガツ食べる動きをアニメにするのが大変というのもあるかもしれません。3分クッキングのような感じで、食べ終わったのがこちらですのように。そうすると激しく動きのあるシーンを省けるとかいうのもあるかもしれません。
おばあちゃんが生きてる時に何回も今は幸せだよ、って戦争の話をたくさん聞きました。ほんとに忘れちゃいけないことなんだなぁ、、
飲み物が置いてあるが、撮影中だし節子が生きている話の部分では飲まない節子が死んで、人間性を失い飲み物を飲むという素晴らしい演出
すげぇ...こういう説明見ないと100回映画見ても意図なんて分からんわ^^;サイコパス妖怪やばい(褒め言葉)
確かにラストシーンすぐ思いつかなかったでもこれなんで現代?って疑問に思ったの思い出した
人生の3%くらい損していたかもしれない程度にこの人のトーク面白い
高畑勲追悼特集なのに作品の話題だけでここまで盛り上がるっていうのはホントに生きてた人だったんだなと。むしろまだまだずっと死なない人なんだなと思った。
高畑作品=フランス映画、宮崎作品=ハリウッド映画、でよいかい?
あなた凄いな!ホントだ!
なるほど!
例え上手いなー 尊敬
高畑さん東京大学仏文科でてるし影響はものすごく受けてそう🤔
ゴダール映画と比べるとまだ分かり易く見えちゃう高畑作品
この考察が全部高畑さんの意図してるものだったら、すごいな。
「俺も文芸作品やる!」「猫バスなんか出してらんないですよ!」「駒で空を飛ぶなんてやってらんないよ!」「え!?勿体ないんですかー!?じゃあ、やる!(·∀·)」なんか、宮崎駿可愛いw
最後のセイタさんのカメラ目線が何とも怖かった
@G L G L そのコメント見てゾッとしたわ
こじつけかと思ったら違ったわ。この人凄いね
岡田さんめちゃくちゃ興奮して我を忘れた後に、冷静になって自分を抑えようとするのを繰り返しててめっちゃ面白い笑
25:44~全然関係ないけど心の中で『いや飲まないんかーーい!』と思ってしまったw
こうやって一回観ただけじゃ全てが分からない映画を考察するの好きだな
私もこの状況なら卵雑炊たべると思う
清太の食事シーンまで写してくれていたとしてもそこまでの考察は自分にはできない
すごいな、これめっちゃ面白いぞ
個人的にはあの第二次世界大戦の時代の日本はこういう日本だっんだと教えてくれる強いメッセージが込められた作品だと思います。この作品は確かに見ていてかなり辛いし目を背けたくなりますが、これは本当に73年前の日本で起こっていた事ですしこの作品を見てこの時代を繰り返してはいけないと感じる事が1番のこの作品の正しいシンプルな見方なのでは無いかと思います。個人的には学校の授業で見ても良い作品だと思います。刺激が強いからダメとかじゃなくて日本の歴史ですから目をそむけないでほしいです。
小学3年か4年の時に戦争がテーマの鑑賞会ではじめて火垂るの墓をみた率直な感想が、せいたが変な意地をはらずに何言われたってプライドおっぽってでもおばさんのとこに居続けたり周りの人達に頭下げまくって生活したら妹を死なせる事も自分が死ぬ事もなかったんじゃないかって思ってそのまま感想文に書いたら当時の副担に呼び出されて、そういうことじゃない。って怒られたの思い出した。
K N 色々な意見があっていいのにね。
ようやく自分のなかにあった違和感の理由がわかった。お涙頂戴系の映画が苦手なのも、周りが泣いてるのが分からない理由もわかった。私は文芸系の映画が好きなんだろうな。
かぐや姫の罪は地球に憧れたこと(=人間として生きたい)、罰は月に帰りたいと思う(=死にたいと思う)ほどの受難を受けることじゃなかったっけ。うろ覚えだけど
一度見ました。そのあともう見ないと思ったのを覚えています。
小さい頃から火垂るの墓大好きで毎日のように見てた笑
高畑さんの作品を全て見てきたけど「面白い、もう一度見たい」と思った事が一度も無かった。キライだった。なんでか少し分かった気がする。
灰皿のやつ、なんかあるな~って思って形的に、砂時計だと思ってた。灰皿だったのか…
マッチ売りの少女のような、最後に救いが用意されていないところが、凄いね。
表現された絵や声に惑わされず、解釈する見方が大事。真実は簡単には見抜けないし、とんでもない芸術作品だ
作者の意図を汲み取るのって難しいですね。そして人の思い込みって面白い。作る側も観る側も人間。人の死を取り扱うからこそいろんな思いが錯綜する。この動画で頭の中が整理されました。
この世の苦痛や苦悩から解放される最後の逃げ場所である死後の世界が虚無でなく繰り返される煉獄であるというのは恐ろしい。今回も面白い考察でした。
久作 幽遊白書で描かれてた戸愚呂が死後の世界へいくとき「冥獄界」という場所を選んだ時のことを思い出したw
久作 山岸涼子の「汐の声」という作品にもそれが描かれています。恐怖の無限ループです。
母と兄の3人で金曜ロードショー見て、終わったら涙ボロボロだった記憶があります…。確か録画していたけど悲しすぎて2度と見たくないので消したはずです。本当に戦争の悲しさがよく伝わって来る。
寝る前にこれ聞いたけど要所要所で納得感心して「うわぁ〜」って声に出してたわ
これ、原作者の野坂昭如先生の8割がた実体験ですものねぇ。実際に妹さん亡くしているし…。
高畑勲監督は本当に演出の怪物ですね。深い……
あの映画にはこんなにも細かくまで色んな表現があったことに驚きました。傑作の映画ですね。
清太はまだ14歳です。思春期真っ只中の中学生の男の子が4歳の幼い妹の面倒をみなければいけなかったのです…亡くなってほっとしたから無表情になる安堵する気持ちがあったとしても何ら不思議では無いと思います。清太はそんな事を感じてしまう自分自身にショックを受けていたかもしれません。私はそれでも清太はちゃんと節子を可愛いと思っていたと思えます。人間は極限状態になると理性が失われるものです。節子が死んでしまっても、生きるという本能を捨てなかった清太だから雑炊もスイカも食べる。それはそんなに卑劣で残酷な事でしょうか。子どもが子どもの面倒をみなければならなかった事を考えても、その行為はそんなに批判されるものなのでしょうか…清太は節子にあげたスイカだけは食べませんでした…それはやはり節子を想っていたからという証なのだと思います。それだけで十分清太が節子を偲び悲しんでいたという事がわかります。清太は少し意地っ張りで思春期特有の気の強さもあったかもしれませんが、ちゃんと節子を守ってあげていたと思います。
うさぎのおくち* わたしもそう思います。
誰も清太を批判してないんだが。後半まで見ればよくわかるで。清太と節子は近親相姦的関係であり、二人は心中をした、という話を後半にしてるよ。
なんかうざい
中岡ゲンは小学校2年で被爆して、焼け野原で母親の出産を手伝うという経験をしていますが?
riki sny あなたは何でルフィが元気玉打てないの?って言ってるようなもんだ
字幕オンにしたら顔全部消えて草
うさぎくま しゃべるー
うさぎくま うわっ!ホンマや😂
なんか結局人間って自分の命が最優先だよなって思ふ
いい笑顔だ
スゲーな、相変わらず、ここまでの深い考察は感服するわ
shin taka ウィキペディアに全部書いてるって。
shin taka お前が稚拙で脳が弱いだけ
噛み付いてる君たち、どうした嫌なことでもあったんか?
+ll kk 周りからどう写ってるか客観視できない、正に高畑監督が嫌う人種なのでしょう。
椎葉無鉄砲 知ったかぶりこいて、頭湧いてるの?
スイカの部分は気づいてました。あ、食べたんだ、と。それが逆に痛々しいなぁ、と。
ああようやく火垂るの墓を見る決心がつきましたwwありがとうございます公開当時同じくらいの妹がいて、10コ以上離れてましてまさにこの映画のような兄妹関係子供心にも絶対に見ることができませんでしたw 私も見ずに、表面的な情報だけ得て勘違いしてたんですね。感謝です。その妹ももう35を越え 子供もいます 兄としては幸せを祈るのみですので ようやく 観ますかねー
所々で給油してて草
おっぱい 何飲んでんの?
外 ̈コロ麹 オイル
ごめん。名前が気になって仕方がないw
自殺愛好家 んご?
外 ̈コロ麹 ステゴの小
灰皿のくだりと、斜めの梁が遺影を示唆しているという読解は心底恐れ入りました。
毎年夏に観てました。確か10歳の頃に祖父と共にとなりのトトロと2本立てで見に行きました。幼心に泣いたのを覚えてます。はだしのゲンも読んでいたので、空襲とか戦争の事はその頃には既にわかっていたのか、火垂るの墓の内容理解出来ました。
今の時代、誰かが亡くなって悲しみに暮れる、なにも食べれないってなるのは、いつでも食べれるから。今食べなきゃ後に食べれないかもっていう時代ならいくら妹が死んでもそこにある食べ物を食べる。もし、一日に食べれる物が限られていて苦しい生活の中自分もまだ子供だったら妹、弟が死んでしまったらただただ悲しいだけの感情だけじゃないと思う。
小さい頃最後のドロップ缶の中に入ってたの飴の残りカスだと思ってた
失礼します。切り抜きで作者が「もう見たくない」と言っていた話を聞きました。作者も小説で発表しているにもかかわらず。アニメなのにトラウマを刺激してしまったのでしょうか?すごいですね。
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遺影に見える演出
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確か野坂さんは戦時中、妹の食べ物を盗み食いしたんですよね。本当のところはどうなのか分からないけど、妹は結果的に衰弱して死んでしまった。
戒めというか業を背負って生きているんですよね。我々も。
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父曰く「こんな話は山ほどあった。この兄弟が死んだんは兄貴の判断が悪い」と言っていました。
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そういう意味では、この映画は観客おいてけぼりの独り善がりな作品とも言えるかもしれない。
戦争は人の感情すら壊すんですね…。
戦争を体験したわけじゃないし、こういう風に考えをあの兄弟が出来たかは分からないですけど、どれだけ居心地が悪くてもまだ小さい節子を連れて野宿生活を選んだのは確かに軽率だと思いました。そもそも、居候の身で手伝いもせず寝て遊んで食べるだけ。親戚のおばさんの意見もわかる。他の子に気を回すほど余裕がないですよね....
子供の浅はかな甘いところも逆に見てて辛かったです。
S猛さんのお父さんの仰る通りです。親父が海軍将校という事で、この息子はプライドだけは高かったんでしょうね。孤児になったのはかわいそうだけど、小さい節子を守るためにも自分達が置かれている状況を理解し、成人するまではおばさんの家で手伝いをしながら、辛抱して世話になるべきでしたね。結局、感謝の気持ちや謙虚さ、生きる術を教えなかった親の責任だと思います。
「戦争の悲惨さとか叔母さんが悪い兄が悪いとかそんなところを見る映画を高畑さんは描こうとしてない」
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エンタメと文芸の差異を語るに、ここまで明快な要素が存するとは思わなんだ。
感服しました、というより、もうただただ驚かされました。
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医療が発展しているからというコメントがありますが
害しか無い癌治療。
医療マフィアは害しか無い癌治療で毒抗癌剤のマスタードガスを盛ってこようとしますからね。
更に癌を起こす人工放射線の放射線偽治療
必要な臓器を切り取る偽手術。
メタストロンはストロンチウム89で更に骨や脳を痛める偽薬
ストロンチウムは脳や骨に溜まってアルツハイマーや骨粗鬆症を起こしているでしょう。
@window 空気読めやまじで
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そういう定番のガン治療を受けないと、
通院治療給付、複数回目のガン給付金などが出ないガン保険も多い。
保険も共犯。
Masayoshi Kaji 9年前の東北も、同じ状況だったんですよ、会話の中で普通に、
「どこどこの婆さんはどこどこで見つかった。」「どこどこの姉さんはまだ見つかってない」死が身近に来るのは、今の時代でもあり得るんですよ。
火垂るの墓を初めて見たのは4歳の頃。
清太達のお母さんが変わり果てた姿で見つかった描写が生々しくて、今でこそ平気になったが当時は怖くて仕方なかった…
思わず「飲まんのんかい!」と何度も言っちゃう動画
そして9分頃、「飲むんかい!」と言っちゃう動画
2:01とかでこのコメント見つけて笑った笑笑
dew dtm これ何飲んでんの?
大爆笑しました
krug 1007 ほんとに?
外 ̈コロ麹
飲む飲まないのコメントに対してですよ
せいた、あんたは悪くないよ。まだ子供だったんだもの。成仏して。
「高畑勲 観客に甘え過ぎ説」好き(笑)
火垂るの墓は、中学生の頃に初めて見ましたが、それまで映画などで感動して泣くという事は一度もなかったのですが、火垂るの墓で初めて泣きましたね。
悲しさで胸が苦しくなるという状況を初めて経験し、その胸の苦しさに戸惑ったのを今でも思い出します。
節子が亡くなった後、節子が元気に遊んでる頃の姿が消えたり現れたりするシーンで胸の苦しさがピークでした。
高畑さんの作品は、確かに感情表現を分かりやすくは描写しませんね。
どう感じているのかを考えさせられる事が多いです。
自分は、高畑さんが何を強く伝えたかったのかは正直なところ分かりませんでしたが、自分の場合は、家族を失った喪失感を強く感じました。
当時、自分が一番恐れていた事は家族の死。
それを火垂るの墓で見る事になり、強い悲しみを感じてしまったんだと思います。
映画や音楽は、観たり聴いたりするだけでは、作者の伝えたいことは分からない事もあると思います。
ただ、個人的には、作者がどう考えているかより、その作品を見て、どう感じたかが大事かなと思っています。
余談ですが、高畑さんの作品に出てくる登場人物の笑顔は、宮崎さんの作品では出てこない独特の笑顔で表現してますよね。
頬っぺたの描き方が独特で、リアルな笑顔だな~っと思ってました。
これ野坂昭如の原作とか著書を読んでから見ると合点がいく。
野坂のほぼ実体験だけど、当然野坂は生き残ってしまって妹を見殺しにしたって言う自責の念を抱えて生きてたんだよね。
かたい豆を噛み砕いて妹にあげようと思うのに本能的な若い食欲が飲み込んでしまう。
そのせいで妹に豆も食べさせられずに見殺しにしてしまったっていう思いで、トラウマをずっと抱えてた。
なので親になっても「空腹じゃないか?」という過剰な心配で自立してる娘に大量のお菓子や食料を度々仕送りして娘は困ってるっていう半ば笑い話も有名。
だから原作も含めて、火垂るの墓は野坂にとって自分を呪い責めるための作品だったんだろう。
原作でもアニメでもセイタが死ぬのは、死ぬべきだった自分を今一度殺したかったからだそうだ。
ここまで考察できる人って着眼点がちがうよね。すごい
火垂るの墓は観るたびに印象が変わる
清太は人を拒絶はしていないんですよね
農家のおじさんとコンタクトも取るし、おばさんの所にも行くし、銀行にも行けるし
未だに色々疑問が晴れません
長くなるので伝えたい事が書ききれません
20年以上考えてますよ、この作品だけわ
高校の現代文の授業で火垂るの墓やったけど、こういうこと聴きたかったな
節子と同世代の子供のママです。
戦争孤児について毎日考えています。
どうして今はこんなに食べ物に苦労しない毎日なのか?
たった73年前の出来事です。
今も苦しんでる方がいます。
辛いときでも腹は減ります。
今まで一緒にいた友人が死んだらその子の着ていた服を剥ぎ取って自分が着る。普通に考えたら絶対しないことをしなければ生きれなかった戦争孤児たち。
高畑さんは素晴らしい方です。
何度も考えさせてくれる作品です。
オープニングの幽霊の清太と節子が幸せそうに笑ってることで泣いた
こういう人が国語の先生だったら寝なさそう
日本に5Gが導入されたら国語の先生この人以外いらないね
教卓の上にこの人立体視させてれば良い
「えー、今日は11日なので出席番号11番の人朗読して下さい」
全国の11番の子達「!?!?!?」
話が下手過ぎるだろ。結論から早くさっさと話せと思ったよ。30分聞いたけど、何をダラダラしゃべってんだと思った。話にメリハリが無さ過ぎるし、しょうもない事を勿体ぶり過ぎ。
ウィキ執筆者Athleta別名Ath02の釜本75点、80点宣伝。1人の男にだまされ続ける日本国民
私が感じたことじゃけん、そんな反応せんでええんやで〜😌
しずまりたまえ〜
たろすけ
優しい☺️
どーでもいい指摘なんだけど
寝なさそうではなく、寝なそうが正しいのかと。動詞の否定形なので。
ああ、そうか。この煉獄は火垂るの墓を見る人がいなくなるまで続くのかもしれない・・
俯瞰で、批判的にも見てほしい・・ってのは分かるんだけど、ツイッターなんか見てても「自分はそんな間違いはしない」みたいな上から目線でせいたや叔母さんを罵るのが結構多いのがなんだか悲しいなと思います。よく今の日本人は「完璧ではない事を皆が寄ってたかって罰する国」と言われますが、納得してしまいます。
藤原麻実 私もそういうのが嫌で人の意見はあんまり見ないようにしています…。自分自身が地獄を見た経験が無い人ほどそういうことを言うと思うんです。
人間は神様仏様ではないので間違えますよ。正論ばかり吐く人は苦労した事ない人ですね
震災で自分の子供が2週間食べてなかったら店に強奪入りますよ、私は。
ただ日本の場合、その前に物資が届いてしまう恵まれた国だと今は思います。
@@かねごんふみっち
その強奪するあなたは殺してもOKなんだよね?徹底にグチャグチャにされても。
@@ああ-q9m9t 様
殺されるのも仕方ないと思ってます。 前にも言ったけど人間は神様仏様ではないので絶対間違いを犯します。近所の人達が強奪に行けば絶対つられて行っちゃいますし。
目の前で自分の子が餓死するのを見ていろと?
まあ、自分が先に殺されれば餓死するのを見ないで済みますけれど。www
そして殺す側も「殺人」という間違いを犯します。上↑の人達が言ってる通り、地獄を見たことない人達は正論ばかりはきます
現に東北震災の時も他人様の空き家に沢山盗人が入りましたが…
長文失礼します。
藤原 戦争の事に関しては、今の価値観で考えちゃダメ。←当たり前な事だけど、これができない人が多い。私もできない
お腹空いてるんだから 食べていいと思う。せいたも 子どもなんだし
それを批判はしたくない
じいちゃんが言ってたけど、親死んでも子が死んでも人間生きてりゃ腹が空くってさ
火垂るの墓をこんなに笑いながら喋る人初めて見たwww
子供の頃から公式のビデオでフルで何度も観ていたのに、何故かラストの現代の神戸を見下ろすシーンを一切覚えていませんでした。この動画を見て初めてそんなシーンがあったと知りました。不思議な気持ちになりました。
食べ物無い時代だと普通に食うよね
それ以前にせつこに栄養付けさせようと我慢してたと思うし
こんな話をタダでしてくれる
ってホントに人類の母やで…
可憐な火憐FS
母や。おばちゃんフェイスやし。
劇中で、清太は銀行から三千円引き出した。たしか、口座には親が残した七千円を残していたはず。当時の賃金換算すると七千円は、現在の三千万くらいに匹敵する。
それだけあれば、幾ら子供二人だけで、数年は十分暮らしていける額。
無論、当時は配給制や闇市の時代でお金があれば解決できる時代でもなかっただろうけど、
節子が亡くなったのが終戦後。そして清太が亡くなったのが、9月だから、節子が亡くなってから一か月足らずで
清田は後を追うように亡くなった。その間に、七千円もの莫大なお金が尽きるわけがない。
当時の映画パンフレットには高畑監督は、どんどん核家族化して孤立していく人々の問題提起として、
節子と清田の社会から孤立した「閉じた社会」を描きたかったと語っていた記憶がある。
この映画が放映された30年以上前から既に現代人は、孤立化していた。
ネット社会の現代は更にそれに拍車がかかっている。
ネットがあるんだから、友人・夫婦・恋人がいなくても、いつも繋がっていられるという考え方。
高畑監督の警鐘は悪い形で現代で的中している。
節子を失った事で、二人きりの辛うじてつながった社会も打ち砕かれて、
経済的に余裕があっても、生きる事を自分から清田は断ってしまったんじゃないかな。
今の時代も、人々は未婚化や格差社会が進み、不透明な将来に若い世代でも、安楽死をしたい。という言葉さえ出ている。
そういう風潮と、清田の節子を失った後の生きる事の消極性に共通性を見いだせる。
ラストシーンで清田が近代ビルが立ち並ぶ神戸の街並みを俯瞰したのは、
個で生き続ければ、いずれ僕たちのようになってしまうよ。という警鐘なんだろうね。
「いずれ僕たちのようになるよ」
〝目線〟にはそのメタメッセージも感じますね。たしかに。
1945年の貨幣価値は今の200分の1くらいだから、7000円だと約140万円ぐらいですね
戦後は凄いインフレで、価値がなくなっていたのではないですか?
インフレでお金の価値がなくて、物々交換が主流だったという話もききますね!
もしそうだったら清太たちは何も持ってなかったため交換できなかったのかもしれませんね🤔
@@jenye9815 インフレが酷くなったのは戦争が終ってからのことだから終戦前なら3000万円相当で間違っていない。
もう見たくないけど、この悲しみは忘れてはいけない悲しみだと思い、また見ます。人にも勧めます。
チラッと観るつもりが全部観ちゃった。
せいたが自分のあやまちで繰り返し苦しめられるとは…
兄妹の絆、戦争の恐ろしさだけじゃないもっと深い作品なんだなぁ
私たちは「戦時中」という映画の舞台で物事を考えてしまいますが、実は「現代」の問題点をあぶり出した映画なんですよね…
社会性を無くした人間達は生きて行けないんですね…
ドキリ
実は火垂るの墓で現代の社会性の孤立感を痛烈に批判する事を意識している。
と当時のこの映画のパンフレットで高畑監督が正に言及していたと記憶している。
放映された30年前はネットなどまだない時代だったけど、彼は、この当時の若者の核家族化に警鐘を鳴らしていた。
更に30年以上経過した今。ネット社会と、独身率の上昇で、更に人々の孤立化、孤独死など浮き彫りに。
32年前に既に監督は警鐘鳴らしてたんだな。
高畑監督はただただリアルを綺麗に見せただけなのね。
灰皿の演出は気が付いたけど、
両親がいないのは気にしてなかったな、流石だわ。
せいたの無表情になる姿も、しずしずと淡々と生活する姿も、追い込まれた人間をよく描いてるなと思う
悲しみを超えると涙って出ないよね。もう感情がなくなると言うか。
絶望ですね
だから、SchoolDaysの歌詞もそうなんですね
辛すぎて、思い出さない考えないようにするからじゃないかな。しっかりしなきゃいけない為の防衛反応というか。
まさに清太さんのよう
超えた事あんのかよw
有料まで見ました。
この動画見る前は悲しくて号泣してましたが、岡田さんの言った通り今までの視点で見れなくなり泣けなくなってしまいました笑
ジブリは好きだけど、何回見てもよく意味がわからないばかだったので、考察動画がすごく面白いです!
誤解され続けた高畑さんと
火垂るの墓を、再び甦らせている。
さすがプロだ
後半をアップロードして欲しくて泣いた。。。広告の量を増やしてでもいいからアップロードしてほしい!
シークエンスはやとものチャンネルから来ました。絶賛👍してました!!
高畑さんご冥福をお祈りいたします
宮崎駿の片思いのままで終わってしまったんだね。
宮崎駿のモチベーションはどうなるのだろう。
小さい頃節子の遺体を焼く清太の顔を見て何故かゾッとした意味が分かりました
ドーラ急に出てくるとめっちゃ安心したわw
タイトルの意味ようやく理解した。。。
あと蚊帳の中で蛍出して遠巻きに見たら遺影になるって………
それは気付かなかった😩
幼稚園の時、家でよくお母さんとお昼寝してたんだけど火垂るの墓見てからは横で寝てるお母さんが節子たちのお母さんみたいに包帯ぐるぐるで死んでるんじゃないかって怖くて泣きながらいつのまにか寝るっていう日が続いた。あのシーンは本当にトラウマ…。
冒頭でこんな心締め付けられるって、演出が素晴らしい証拠だ。。
すごいおもしろかった笑笑
テンション上がるところが独特すぎて急に爆笑するから、そこかいってなる笑笑
歳を重ねる事に「火垂るの墓」の見方が凄い変わる。
火垂るの墓をみたとき、
「頑張って美しく生きようとすると、この世界では死んでしまうんだな(逆にいうと、生き延びる才能とは醜くあることであるんだな)、皮肉だな、腹立たしいな」という感想がわいてきたのですが、「それが何故なのか」が、この動画をみて、はっきりわかりました。
一層わすれられない映画になりそうです。本当にありがとうございました。
悲しむっていうのは、エネルギー消費が激しい。婆ちゃんの葬式の時、親戚みんなでせっせと、自分達が食べるためのゴマがついたおにぎりをたくさん作ったよ。
人間性ってのは、そんなにお綺麗なもんじゃないのに、美化したい人が美化してきただけだと思う。
でも、清太やおばさんを批判する事で、また研ぎ澄まされるんだ。
戦争なんかすると、それも一気にリセットされる…。
火垂るの墓って教訓というより、脅迫に近いよね…。
節子を火葬してる時の清太の表情は、どこかホッとしてるんだろうなと思った。
自分は鬱になってなにも考えられなくなって心が死んでしまったんだなと思った。
心が死ぬと人は泣けなくなります。
節子はあの戦争の中で清太にとって生きる希望だったんじゃないかと思います。
だから節子が亡くなったあとのその後の清太の話がなくすぐ清太の死の描写になったんだと自分は思いました。
大切な人の苦しんでる姿を見なくて済むもんね
妹が楽になったとも感じとれるし、1人で生きていけるという安心感も感じられます…。
想像ですが重度の認知症か寝たきりになってしまった親を介護疲れの果てに衝動で殺してしまう時の感情に近いしいものがあるような気がします
自分が命を奪ってしまったという罪悪感と安堵してしまっている自分に対する罪悪感
この畳み掛ける罪悪感が清太を煉獄に留まらせているのかな…
節子はお兄ちゃんが大好きだからいまだに側にいるんだと思います
この映画はあらゆる意味で残酷なので昔から苦手でした
泣いたことはなかったです
ただだだ、怖かった…
わかるwwwwwおばさんwwww
優しかったおばさんが冷たくなったのがめっちゃショックだったwww
岡田斗司夫さんの話は本当に面白いしガチで詳しいし癒やされますね。もう、ひとつのテーマで10時間ぐらい喋って欲しいですね。お金に余裕がないので有料部分が見れないのが本当に残念。松本人志のドキュメンタルと同じぐらい見たくなリます。でもお金がない…むなしすぎる。
一部異論ですが、何故ガツガツ食っているシーンを描かないか、という点で、
清太自身がそれを直視できないからではないかと思います。
演出というよりは、清太自身の回想であるから、あくまでも主観的なのだと。
ken HD B
そういう解釈もありですね
その清太も高畑監督の演出だから、つまり・・・。
@ヘッド修行僧
腹は減るから食べる。食べてる時は生き物なんだから幸せ感じてしまう。で食べてひと段落した時に節子に食べさせるつもりだったのに・・・で自己嫌悪。
煉獄の中でこの強烈な自己嫌悪の部分だけフラッシュバックしているって自分は感じました
浅いことを書きますが、ガツガツ食べる動きをアニメにするのが大変というのもあるかもしれません。
3分クッキングのような感じで、食べ終わったのがこちらですのように。
そうすると激しく動きのあるシーンを省けるとかいうのもあるかもしれません。
おばあちゃんが生きてる時に何回も今は幸せだよ、って戦争の話をたくさん聞きました。ほんとに忘れちゃいけないことなんだなぁ、、
飲み物が置いてあるが、撮影中だし節子が生きている話の部分では飲まない
節子が死んで、人間性を失い飲み物を飲むという素晴らしい演出
すげぇ...こういう説明見ないと100回映画見ても意図なんて分からんわ^^;
サイコパス妖怪やばい(褒め言葉)
確かにラストシーンすぐ思いつかなかった
でも
これなんで現代?
って疑問に思ったの思い出した
人生の3%くらい損していたかもしれない程度にこの人のトーク面白い
高畑勲追悼特集なのに作品の話題だけでここまで盛り上がるっていうのは
ホントに生きてた人だったんだなと。むしろまだまだずっと死なない人なんだなと思った。
高畑作品=フランス映画、宮崎作品=ハリウッド映画、でよいかい?
あなた凄いな!ホントだ!
なるほど!
例え上手いなー 尊敬
高畑さん東京大学仏文科でてるし影響はものすごく受けてそう🤔
ゴダール映画と比べるとまだ分かり易く見えちゃう高畑作品
この考察が全部高畑さんの意図してるものだったら、すごいな。
「俺も文芸作品やる!」
「猫バスなんか出してらんないですよ!」
「駒で空を飛ぶなんてやってらんないよ!」
「え!?勿体ないんですかー!?じゃあ、やる!(·∀·)」
なんか、宮崎駿可愛いw
最後のセイタさんのカメラ目線が何とも怖かった
@G L G L そのコメント見てゾッとしたわ
こじつけかと思ったら違ったわ。
この人凄いね
岡田さんめちゃくちゃ興奮して我を忘れた後に、冷静になって自分を抑えようとするのを繰り返しててめっちゃ面白い笑
25:44~
全然関係ないけど心の中で『いや飲まないんかーーい!』と思ってしまったw
こうやって一回観ただけじゃ全てが分からない映画を考察するの好きだな
私もこの状況なら卵雑炊たべると思う
清太の食事シーンまで写してくれていたとしてもそこまでの考察は自分にはできない
すごいな、これめっちゃ面白いぞ
個人的にはあの第二次世界大戦の時代の日本はこういう日本だっんだと教えてくれる
強いメッセージが込められた作品だと思います。
この作品は確かに見ていてかなり辛いし目を背けたくなりますが、これは本当に73年前の日本で起こっていた事ですし
この作品を見てこの時代を繰り返してはいけないと感じる事が1番のこの作品の正しいシンプルな見方なのでは無いかと思います。
個人的には学校の授業で見ても良い作品だと思います。
刺激が強いからダメとかじゃなくて日本の歴史ですから目をそむけないでほしいです。
小学3年か4年の時に戦争がテーマの鑑賞会ではじめて火垂るの墓をみた率直な感想が、せいたが変な意地をはらずに何言われたってプライドおっぽってでもおばさんのとこに居続けたり周りの人達に頭下げまくって生活したら妹を死なせる事も自分が死ぬ事もなかったんじゃないかって思ってそのまま感想文に書いたら当時の副担に呼び出されて、そういうことじゃない。って怒られたの思い出した。
K N 色々な意見があっていいのにね。
ようやく自分のなかにあった違和感の理由がわかった。
お涙頂戴系の映画が苦手なのも、
周りが泣いてるのが分からない理由もわかった。
私は文芸系の映画が好きなんだろうな。
かぐや姫の罪は地球に憧れたこと(=人間として生きたい)、罰は月に帰りたいと思う(=死にたいと思う)ほどの受難を受けることじゃなかったっけ。うろ覚えだけど
一度見ました。そのあともう見ないと思ったのを覚えています。
小さい頃から火垂るの墓大好きで毎日のように見てた笑
高畑さんの作品を全て見てきたけど「面白い、もう一度見たい」と思った事が一度も無かった。キライだった。
なんでか少し分かった気がする。
灰皿のやつ、なんかあるな~って思って形的に、砂時計だと思ってた。灰皿だったのか…
マッチ売りの少女のような、最後に救いが用意されていないところが、凄いね。
表現された絵や声に惑わされず、解釈する見方が大事。真実は簡単には見抜けないし、とんでもない芸術作品だ
作者の意図を汲み取るのって難しいですね。そして人の思い込みって面白い。作る側も観る側も人間。人の死を取り扱うからこそいろんな思いが錯綜する。この動画で頭の中が整理されました。
この世の苦痛や苦悩から解放される最後の逃げ場所である死後の世界が虚無でなく繰り返される煉獄であるというのは恐ろしい。
今回も面白い考察でした。
久作 幽遊白書で描かれてた戸愚呂が死後の世界へいくとき「冥獄界」という場所を選んだ時のことを思い出したw
久作 山岸涼子の「汐の声」という作品にもそれが描かれています。
恐怖の無限ループです。
母と兄の3人で金曜ロードショー見て、終わったら涙ボロボロだった記憶があります…。確か録画していたけど悲しすぎて2度と見たくないので消したはずです。本当に戦争の悲しさがよく伝わって来る。
寝る前にこれ聞いたけど要所要所で納得感心して「うわぁ〜」って声に出してたわ
これ、原作者の野坂昭如先生の8割がた実体験ですものねぇ。実際に妹さん亡くしているし…。
高畑勲監督は本当に演出の怪物ですね。
深い……
あの映画にはこんなにも細かくまで色んな表現があったことに驚きました。傑作の映画ですね。
清太はまだ14歳です。思春期真っ只中の中学生の男の子が4歳の幼い妹の面倒をみなければいけなかったのです…
亡くなってほっとしたから無表情になる安堵する気持ちがあったとしても何ら不思議では無いと思います。清太はそんな事を感じてしまう自分自身にショックを受けていたかもしれません。
私はそれでも清太はちゃんと節子を可愛いと思っていたと思えます。
人間は極限状態になると理性が失われるものです。節子が死んでしまっても、生きるという本能を捨てなかった清太だから雑炊もスイカも食べる。それはそんなに卑劣で残酷な事でしょうか。子どもが子どもの面倒をみなければならなかった事を考えても、その行為はそんなに批判されるものなのでしょうか…
清太は節子にあげたスイカだけは食べませんでした…それはやはり節子を想っていたからという証なのだと思います。それだけで十分清太が節子を偲び悲しんでいたという事がわかります。清太は少し意地っ張りで思春期特有の気の強さもあったかもしれませんが、ちゃんと節子を守ってあげていたと思います。
うさぎのおくち* わたしもそう思います。
誰も清太を批判してないんだが。後半まで見ればよくわかるで。
清太と節子は近親相姦的関係であり、二人は心中をした、という話を後半にしてるよ。
なんかうざい
中岡ゲンは小学校2年で被爆して、焼け野原で母親の出産を手伝うという経験をしていますが?
riki sny あなたは何でルフィが元気玉打てないの?って言ってるようなもんだ
字幕オンにしたら顔全部消えて草
うさぎくま しゃべるー
うさぎくま うわっ!ホンマや😂
なんか結局人間って自分の命が最優先だよなって思ふ
いい笑顔だ
スゲーな、相変わらず、ここまでの深い考察は感服するわ
shin taka ウィキペディアに全部書いてるって。
shin taka お前が稚拙で脳が弱いだけ
噛み付いてる君たち、どうした
嫌なことでもあったんか?
+ll kk
周りからどう写ってるか客観視できない、正に高畑監督が嫌う人種なのでしょう。
椎葉無鉄砲 知ったかぶりこいて、頭湧いてるの?
スイカの部分は気づいてました。あ、食べたんだ、と。
それが逆に痛々しいなぁ、と。
ああようやく火垂るの墓を見る決心がつきましたwwありがとうございます
公開当時同じくらいの妹がいて、10コ以上離れてましてまさにこの映画のような兄妹関係
子供心にも絶対に見ることができませんでしたw 私も見ずに、表面的な情報だけ得て勘違いしてたんですね。感謝です。
その妹ももう35を越え 子供もいます 兄としては幸せを祈るのみですので ようやく 観ますかねー
所々で給油してて草
おっぱい 何飲んでんの?
外 ̈コロ麹 オイル
ごめん。名前が気になって仕方がないw
自殺愛好家 んご?
外 ̈コロ麹
ステゴの小
灰皿のくだりと、斜めの梁が遺影を示唆しているという読解は心底恐れ入りました。
毎年夏に観てました。
確か10歳の頃に祖父と共にとなりのトトロと2本立てで見に行きました。
幼心に泣いたのを覚えてます。
はだしのゲンも読んでいたので、空襲とか戦争の事はその頃には既にわかっていたのか、火垂るの墓の内容理解出来ました。
今の時代、誰かが亡くなって悲しみに暮れる、なにも食べれないってなるのは、いつでも食べれるから。
今食べなきゃ後に食べれないかもっていう時代ならいくら妹が死んでもそこにある食べ物を食べる。
もし、一日に食べれる物が限られていて苦しい生活の中自分もまだ子供だったら妹、弟が死んでしまったらただただ悲しいだけの感情だけじゃないと思う。
小さい頃最後のドロップ缶の中に入ってたの飴の残りカスだと思ってた
失礼します。切り抜きで作者が「もう見たくない」と言っていた話を聞きました。作者も小説で発表しているにもかかわらず。アニメなのにトラウマを刺激してしまったのでしょうか?すごいですね。