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10:37 以降、後陽成天皇の話のところで画像がずっと正親町天皇になってる…?
やってしまいました…すみません…
@@fuki_rekishi 主様こんにちは。いつも楽しく拝聴しております。内容は伝わりますので特に問題はありません。無理はなさらずに動画また楽しみにしております。
正親町天皇「俺達が?後陽成天皇…?」
いや、よくわかったなw普通の人はわからんぞw
いや10:10以降ですね。
確かにこの時代、授業なので天皇にあまり注目してなかったからわかり易かった。
もう2000年も続いちゃったら、無くす方が勿体なくて出来ないわな
3:13 貴族が避難したのが各地方で文化が芽生えるキッカケになった。
毛利元就が朝廷に献金して毛利は朝臣の官位を貰い毛利はずっと朝廷に献金を続けて居て徳川家康が武家諸法度で朝廷に近付き献金を禁じたが毛利輝元は徳川家康に懇願して朝廷に献金を続ける事を特例で認めさせて貰い後に幕末で吉田松陰等の長州藩士の勤王運動に影響を与えた。
言われてみればって言うような内容でとても為になりました。小難しくなく、入門に最適ですね。財政難に幕府の登場で、権威がほぼ無いような状態でも、時の権力者に良いように扱われているのがなんとも……
世界屈指の軽い神輿だからな・・・・
軽い神輿たってソレならぶっつぶして俺がトップ取るわにはならないのがミソ、現代でも岸田が俺実力で自民党総裁になったから天皇の承認イラン俺が今日から日本のトップなって言ったらお前ら納得するんか?
結果的に、誰も取って代わろうとしなかったのは凄いな。
みんな藤原氏のやり方が一番効率がいいと思ったのでしょう。承久の乱で経済基盤のほとんどを奪って滅ぼすメリットがますます無くなった。
取って代わりうる存在だったので天皇(大君)から警戒されていたのが大連の物部氏、取って代わろうとして、中大兄皇子らに粛清されたのが蘇我氏そして奈良期の天皇家内部の流血のゴタゴタをくぐり抜けての、平安期へ。そうした経緯があったからこそ、藤原は天皇家を廃することなく、その後の権力者もその路線から外れることはなかった。
権威と権力を一致させるよりは分けたほうがいいからな。他の国、特に中国の皇帝を見てるとそう思う。
今の日本でも皇室廃止論者って気味の悪い左翼被れか、自分が元首格になって世間からチヤホヤされたいと思ってる勘違い野郎みたいなのばかりだからね。勿論、国民が熱狂的に皇室を支持してるわけじゃないけど、少なくとも今の天皇陛下に対しては敬意や親しみを持ってる人は多いと思う。逆に、政治家に対してその様な考えを持つ人は皆無だから仮に行政のトップを大統領や知事の様な公選で選出したとしても国家元首として受け入れられないでしょうね。
平安期に由緒が固められちゃってたからね
正親町天皇の読みが「おうぎまち」じゃなく「おおぎまち」が正しい読み方って初めて知った時は結構驚いたな。
そうは聞いても「おうぎまち」って言いそうだし入力しちゃいそう。
荘園公領制で国衙領と荘園が朝廷の財源だったけれども武士によってどっちも侵食されて機能しなくなってしまったからな。結局武力を持っていなければいくら権威があろうが武力が無ければ権力を行使できない。それでも武士の教育水準が低かった時代は行政能力を期待されていたが、武士の知的水準が上がると政権にも入れず江戸時代には純粋な武家政権になったと。ちなみに大内裏に比べれば京都御所はかなりコンパクトだが、それでもこないだ行ってきたときに実感したが結構な大きさだった。やはり腐っても帝の宮殿だなと感じた。
室町期は行政云々よりも武家は北朝の権威に期待してませんかね?
でもさあ、京都御所のお堀って、極普通の公道の側溝なんだぜぇ。江戸城、大阪城とはエラい違いだ。
武士の教育水準は低くなかった。武士は貴族から野蛮人扱いされていたのだが、鎌倉時代の始まりくらいに「俺らだって、無闇に殺してるわけじゃない。仏教を信仰してるし、一殺多生で殺してる」と理論武装してる。そういう手紙が残ってる武士の支配とともに、武士なりの支配理論は整備されていった
ゲーム信長の野望で朝廷がやたらと官位売りに来る理由がわかった
朝廷と天皇はまたちょっと違う
武家目線で利用した方が得なのはわかるがそれでも滅ぼされなかったのは不思議だ
神輿は派手で軽いのが一番良いからね
とある小説の中で「王家の血が500年続けば高貴なものになり、1000年続けば神聖で触れてはならないものになる。その存在がいくさを半分にする。」という言葉が出てきますが、天皇の存在はまさにそれだと思う。日本でも戦乱の時代が長く続いたけれど、中国のように人口が十分の一になるような事態にはなりませんでしたから。
すごく共感しました。まさに、天皇の役割とはこれであると言い表した格言だと思いますもし、よろしければ小説のタイトルを教えて頂けると嬉しいですお時間があるときで良いのでお願い致します
@@rin-wh4ne さん 北方謙三さんの三国志です。小説の中で劉備が何度か語っていますが、諸葛孔明にも語っていてはじめは心の中で「青臭い」と笑った孔明が次第に劉備に惹かれていくというストーリーです。
@@my-eg8ge 返信頂いてありがとうございます!RUclipsのコメント欄という玉石混交の場所で、あなたのような方に出会えたことを嬉しく思いますぜひ、読んでみたいと思いますありがとうございました😊
そういわれると日本の戦国時代というのはまさに天皇の権威が下のピークになったときですね。戦乱の従属変数として天皇の権威が低下したのかなと考えてましたが、逆に南北朝が天皇の権威を低下させ、その従属変数として戦乱が起こったというのも面白い説かもしれません。
まあ、皇紀2600年とか、「天皇は神聖にして侵すべからず」とか、やってた大日本帝国は、自分たちから仕掛けて行った対外戦争の結果、ボコボコにやられて、数百万人の自国民を犠牲にし、自国内の多くの都市を焼け野原にされた末に滅んでしまいましたけどね。
某架空歴史小説で正親町帝時代の朝廷の困窮っぷりを説明していた場面からの引用ですが、正親町帝の即位した頃の朝廷の収入は、応仁・文明の乱以前の1割程度にまで落ち込んでいたとか。帝の荘園まで横領されるような状況では、官位を売って銭を稼がねばどうにもならなっかったのですよね。
いつも面白くてわかりやすい動画だ
貧乏でお飾りだったからこそ今なお続く世界最古の王家なんでしょうね
というか支配者が天皇の子孫じゃないと、認めない人が大多数だったからじゃないかな。百姓ですら天皇の血が自分たちに流れていると誇りを持ってた。平氏源氏も元を辿れば天皇だし。つまり、お飾りだったから排除されなかったんじゃなくて、排除できなかったからお飾りにされたんじゃないか?
権威と権力を切り離したのは、結果的にみれば天才的だよな。二つが揃ってるとロクなくににならん。必ず滅びると歴史が証明してるし
切り離した、というより実質的な権力を維持できるような実力はなくて、まあ昔からあるよね程度の「権威」でなんとか細々生き残った感じ?
大日本帝国憲法での天皇の位置づけが統治の総攬者と規定されたことで、明治憲法下はあたかも天皇主権のように学校では教えられるが、天皇の実態は、明治の薩長藩閥、戦間期にも僅かばかり機能した政党政治、昭和の軍部政権のいずれにおいても、政治的実権を正当化するものでしかなかった。現行憲法下での象徴としての天皇となんら変わらず政治的権能を有さないし、徳川幕府時代の禁中並公家諸法度での天皇の機能は、日本国憲法における国事行為とほぼ同じ。
キーポイントは藤原氏も頼朝も天皇の権威を必要とする、天皇に役職に任命してもらって権力を振るう地位に居た、て超ウルトララッキーが有ったって事だな
@@changnabe2606 1937年に当時の文部省が公式に作成し、頒布した「国体の本義」では、大日本帝国の政治体制について、あくまでも天皇による親政であり、例えばイギリス流の「君臨すれども統治せず」というようなものではない、と明記、強調されてましたけどね。
@@真カキ1937年と言えば、盧溝橋事件の皮切りに満洲ないし北支での局地戦的な日中の武力衝突が全面戦争に発展し、戦時統制が始まった頃。「国体の本義」に関連する国体明徴運動は、天皇機関説を排撃するための陸軍とこれに同調した右翼が岡田啓介内閣に半ば強引に推し進めさせた。岡田啓介自身は海軍出身であったが、この時点では曲がりなりにも政党政治は生きていたし、昭和天皇自身は天皇機関説を私的には支持していた。すなわち、政党政治ないし立憲主義を擁護する側から天皇をその権威として理論づけたのが天皇機関説で大局的に、議会を停止した上での国家改造の必要性を考える軍部と右翼が、その運動の権威として天皇を推戴させるための理論が国体明徴運動であって、聖典が「国体の本義」と見るべきだろう。つまり、名目的には主権者に据えるにしても大義名分であって自説を正当付ける権威として天皇を実質捉えていた点では、天皇機関説と大差はないだろう。史実として、昭和天皇自身が君臨すれども統治せずを実践していたこともあって、且つ天皇機関説支持を明らかにできないジレンマが故に、民主的傾向が退潮し破局的戦争の道を歩むのは皮肉でしかないが。戦後直後に渙発された「新日本建設の詔書」(いわゆる「人間宣言」)では、五箇条の御誓文を引き合いに出して、これに書き加えることはなにもない、すなわち天皇としては明治維新の原点に立ち返り、民主的合議を通じた国民福祉の向上と国際平和の実現を願うのみであって、自身の神格化は元より、神国なる選民思想によって徒に対外的不信を買うことは望まないと言明した。長くなったが、近代化に際し権威として推戴された存在であることを認識したうえで、飽くまでも天皇とは国家、臣民の精神的支柱であって、国家運営の実際は臣民に委ねるべきあり、天皇とはその実践にあたって道徳的象徴或いは権威として君臨するのというが伝統的価値観であって、昭和天皇自身もそれをよく理解する、故に苟もその権威を邪な政治的野望に用うるを戒めむというのが、昭和天皇自身の天皇観だろう。
武士も民草も坊主も皆やべー奴らばかりで公家の困窮というのでバランスを保っていた感じ
分かりやすいー。😃ありがとうございます。😊
日野富子が朝廷に資金提供する位だからねぇ…
引き続き、江戸時代の天皇って何してたの?をみたいですね…後水尾天皇や春日局からの絡みで800年ぶりの女性天皇なんかのエピソードは結構ドラマチックよね(;´∀`)
幕府に強気な光格天皇 尊王論教育を受けた桃園天皇 7代将軍の名付け親になった霊元天皇いろいろいます
なんか取って代わろうとしないところに日本味を感じる
ブチ切れてやることが譲位なの面白いなんでなんだろう譲位すると将軍にどんな不都合があるんだろ特にないけど他に抗議の意思を伝える手段がないから仕方なくなのかな
室町幕府は成立の経緯から北朝の権威に依存してるので、朝廷と将軍が不仲ってのはある程度の問題にはなるはず
応仁の乱でも南朝の御落胤みたいなやつが出てきて西軍が擁立するみたいなプランもあったからね
新天皇の即位の礼や大嘗祭の金は誰が出すの?て話になると嫌がらせ位にはなるかと😂その次の皇太子の立太子とか金掛かりまくりw
雅なストライキ
@@hiroseyuki3 なるほど闘争するインペリアル労働者ですか・・・
日本の歴史上、天皇及び朝廷という存在は、確かに主要な政治勢力の一つではあったが、必ずしも唯一無二というわけでもなく、また、その有り様も、朝廷内外の他の政治勢力との実質的な力関係によって、時代によって、かなり流動的なものだったということだな。
たしかに信長・秀吉の頃とかなんかだと、後陽成天皇とかより近衛前久などのアクティブ公卿の方に目が行くまで有りますな。たしかに正親町天皇なんかはゴタついてたイメージありますが・・・。うん、どうしても有力武士とセットじゃないと存在感が…w
天皇「だって君臨すれども統治せず言うやん」
お公家はリアルで一ヵ月一万円生活をやっていたらしいとかあと官位を売り物にしていたとか
信長の野望でもやたらと朝廷が官位売りに来る
見守るだけです。
この時代に天皇家が「君臨すれども統治せず」化したことでいまでも皇室が維持できたと考えます 徳川家は越えられませんでした
秀吉が天皇を利用してたのは知ってたけど重宝してたのは知らなかったな。信長は立場とか上下関係は案外気にする人だったらしいからわかるけど、それが秀吉にも移ってたのかね?家康は完全に自分だけに権力があるようにしたんだね。信長、秀吉時代はまだ天皇の印象があったけど、家康からの江戸時代は孝明天皇みたいなかなり表だった天皇しか知らなかったから、やっぱり存外に扱われてたんだな。
霊元天皇とかは7代将軍の名付け親になってる、あと吉宗とか家光は、融和的だったりするから存外には扱われてない(後水尾は....うん)
織田信秀(のぶパッパ)も御所の塀修理に寄付を出して礼状を貰っている。
織田家自体が神官の家系だからね、元々は越前の織田の庄だって
信ちゃん以外はどんな理由で蘭奢待の切り取り許されたの?
新鮮な動画じゃね〜か
この時の公家の日記おもろい
権威と権力の分離による統治の二重構造。それに宗教イコール仏教勢力を加え室町期までには、三大勢力によるサロン政治が出来上がっていたかと。サロン政治の元は院政にあると思うけど。これらプレーヤーによるパワーゲームは戦国期には出揃っていて、その後、全国制覇した家康は統治の一元化に腐心したのだと思う。武家伝奏よるチャンネルの限定、禁中並公家諸法度。京都所司代、寺社奉行による直接統治。檀家制度と人別帳管理、手形管理による仏教勢力の骨抜き。安定統治のために徹底的にやった印象。ただ、江戸期の神社の扱いが今ひとつわからない。お伊勢さん・伊勢神宮等、神社は手付かずにも思える。室町期までは神人が割と暴れて たり強訴の記録もあり、しかし危険視されなかったのか?神仏習合で取り込んでいくつもりだったのか。
諏訪とか宗像とか出雲大社とかそれなりに暴れていたけど、仏教に比べたら弱かったからな・・・・
天皇とは概ね日本の歴史における月のような存在だと思う。
即位式等のお金がないのは分かりました。でも、普段の生活費はどこから出ていたんでしょう?
長く続く王朝って権威と権力がじょじょに分かれていく印象。君臨すれど統治せず、という存在を殺してもデメリットが多い。だったらむしろ利用した方が得じゃね?という感じで実力者は皇帝や王ではなく宰相の地位を望むようになる。驚くべきは今でもこれを続けているという事実。
ランジャタイってそこから来てるのか
応仁の乱の頃の貧しかった天皇の時には御所に泥棒が入るくらい警備も薄くなっていたらしいね
和歌読んでた
信長の野望でやたら献金求められるのってこういうことか
大権現様で唯一ダメだったのは、天皇大権たる改元を徳川の許可なく行えなくしたこと。流石にそれやりすぎっす。
なるほどなぁ😮
千罰氏と畠山氏の対立が激しくなり、また、大名と天皇との仲も悪くなった。天皇が応仁の乱を起こした可能性もあるかもな。
俺もこれ知りたかったわ
他国だと貴族や王に相当する人々が本気で困窮していた時期があったというのは本当に面白い自分の知見が狭いだけなのかもしれないけど、他の国でこういう事象は無かったように見える
経済的に困窮すると兵士や官僚に給料払えなくなってジエンドだからな幕府や大名は自腹で統治と治安維持してくれるどころか献金までしてくれるw
やっぱ武力なんですね。
あんたが大将(将軍や総理大臣)のお墨付きを発効する大事なお仕事です。
名前が覚えられないそれから資金が汚染されてる場合はどうしたのでしょうかよく分かりません豊臣と徳川の和平を実現できなかった朝廷に正義はあったのでしょうか関東は広野だから強いのは上杉が猛威を振るう時点で分かってましたけどならどうすれば良かったのですか
承久の乱ではなくて承久の変じゃないの
戦国の天皇と将軍はよく知らん三国の帝も
半笑いで小刻みに手を振るだけの簡単なお仕事です
それは現代ね
なにもしてません。絶望というなの希望
結局、天皇って何のために存在したのだろう。
日本を纏める為
国民の統合と象徴の為…。畏れ多いですが、敢えていえば日本国と日本国民という国体そのもの。
東征する時に北条氏を名乗ったりとかね、自称○○家
天皇って献金無いとやってけないのね笑
天皇何してたのっていうタイトルがもうヤバい
大昔の人だから大丈夫
大昔の一時期を除いては、今に至るまで籠の鳥の傀儡だもんな飢える心配が無いだけで自由も無く利用されるだけってのは流石に気の毒過ぎる下らないお題目の為に存続させる位なら野に降りて地方の一名門として今の資産を捨扶持として人らしい暮らし出来ると良いなと思う😅
関東の諸将の室町での暴れっぷりを見てると、みんな幕府はうぜえぐらいに思ってたようだが、天子様だけは話が違った。謙信が勅命受けた関白を奉戴して関東に略奪ツアーしたら関東諸将はだいたい北条を裏切った。みんな室町の言う事は聞かなくてもなんとかなるだろうけど逆賊朝敵になったら終わりだと思ってたんだろうな
へー、わかり易…
これだけ天皇家を助け合いながら積み上げてきた日本やばいよな
なんたって 神様だもんね
長らえたのは政治をしてないからだよ。実際に政治を取り戻そうとした後鳥羽や後醍醐は敗れたやろ。彼らは歴代の天皇の中でも切れ者だったよ。幕府に従ってた天皇は、飾りとして逆に安泰だった。
神様ではないですよ。皇祖神である天照大御神を祀る一族です。
@@goride6133その辺の設定、歴史的には外来宗教である仏教に傾倒していたりと、結構グダグダですよね。
@@mochimochi_no_ki. まあ、所詮生身の人間なのに、神聖不可侵とかいう設定、アホらしいですよね。
これ不思議だわー。俺が力ある大名ならドサクサに紛れて皇室入るか滅ぼして天皇を自称するけどなー
ソレやると島津や佐竹本物の源氏の皆さん激怒ですよねえ
今も昔もずっと飾りでしょ。
権威と権力って四次元ポケットとスペアポケットみたいだな、実際働くのは中身の国民なんだからどっちもいらないと思う。
関係ないかもだけどな税金を取ろうとするくせに議員報酬他皇族ひの削減を言う人いませんね!ブラジル行って優雅なものですね
皇室ってお金自由に使えないし、何処にでも出掛けられる訳じゃ無いのに何を言ってるの?公務なのにね
議員の話はある程度は理解できますが、なぜ皇族に当てる税金も削減されなければいけないのですか?皇族は自由に使えるお金がたくさんあると思ってるのですか?
働けよ。
お昼寝していました🎵
陛下付けようよ…
実質的に何の影響もない傀儡なので、取って代わる必要もなかったのでしょう。もうこの頃から何の存在意義もない、本当に飾りとしての象徴だったということ。神輿が軽い方がいいのは昔からってことですな。
存在意義はある…滅んだらフランスやロシア、ドイツの二の舞いになるから
日本を最後まで纏める役いるだけでは影響力は無いが国が倒れかねない時には縋る対象国が危機に陥った時こそ天皇は信仰の対象として輝くのですまあ皇族の狂信者はどの時代にもいますから
@@gsb7422 それに日本が仮に共和制になって例えば「東アジア共和国」になって国歌も変わって完全に今の自民党政権と野党だけで国が纏まるかと言われたら…
10:37 以降、後陽成天皇の話のところで画像がずっと正親町天皇になってる…?
やってしまいました…
すみません…
@@fuki_rekishi
主様こんにちは。いつも楽しく拝聴しております。
内容は伝わりますので特に問題はありません。
無理はなさらずに動画また楽しみにしております。
正親町天皇「俺達が?後陽成天皇…?」
いや、よくわかったなw
普通の人はわからんぞw
いや10:10以降ですね。
確かにこの時代、授業なので天皇にあまり注目してなかったからわかり易かった。
もう2000年も続いちゃったら、無くす方が勿体なくて出来ないわな
3:13 貴族が避難したのが各地方で文化が芽生えるキッカケになった。
毛利元就が朝廷に献金して毛利は朝臣の官位を貰い毛利はずっと朝廷に献金を続けて居て徳川家康が武家諸法度で朝廷に近付き献金を禁じたが毛利輝元は徳川家康に懇願して朝廷に献金を続ける事を特例で認めさせて貰い後に幕末で吉田松陰等の長州藩士の勤王運動に影響を与えた。
言われてみればって言うような内容でとても為になりました。小難しくなく、入門に最適ですね。
財政難に幕府の登場で、権威がほぼ無いような状態でも、時の権力者に良いように扱われているのがなんとも……
世界屈指の軽い神輿だからな・・・・
軽い神輿たってソレならぶっつぶして俺がトップ取るわにはならないのがミソ、現代でも岸田が俺実力で自民党総裁になったから天皇の承認イラン俺が今日から日本のトップなって言ったらお前ら納得するんか?
結果的に、誰も取って代わろうとしなかったのは凄いな。
みんな藤原氏のやり方が一番効率がいいと思ったのでしょう。承久の乱で経済基盤のほとんどを奪って滅ぼすメリットがますます無くなった。
取って代わりうる存在だったので天皇(大君)から警戒されていたのが大連の物部氏、
取って代わろうとして、中大兄皇子らに粛清されたのが蘇我氏
そして奈良期の天皇家内部の流血のゴタゴタをくぐり抜けての、平安期へ。
そうした経緯があったからこそ、藤原は天皇家を廃することなく、その後の権力者もその路線から外れることはなかった。
権威と権力を一致させるよりは分けたほうがいいからな。他の国、特に中国の皇帝を見てるとそう思う。
今の日本でも皇室廃止論者って気味の悪い左翼被れか、自分が元首格になって世間からチヤホヤされたいと思ってる勘違い野郎みたいなのばかりだからね。
勿論、国民が熱狂的に皇室を支持してるわけじゃないけど、少なくとも今の天皇陛下に対しては敬意や親しみを持ってる人は多いと思う。
逆に、政治家に対してその様な考えを持つ人は皆無だから仮に行政のトップを大統領や知事の様な公選で選出したとしても国家元首として受け入れられないでしょうね。
平安期に由緒が固められちゃってたからね
正親町天皇の読みが「おうぎまち」じゃなく「おおぎまち」が正しい読み方って初めて知った時は結構驚いたな。
そうは聞いても「おうぎまち」って言いそうだし入力しちゃいそう。
荘園公領制で国衙領と荘園が朝廷の財源だったけれども武士によってどっちも侵食されて機能しなくなってしまったからな。
結局武力を持っていなければいくら権威があろうが武力が無ければ権力を行使できない。
それでも武士の教育水準が低かった時代は行政能力を期待されていたが、武士の知的水準が上がると政権にも入れず江戸時代には純粋な武家政権になったと。
ちなみに大内裏に比べれば京都御所はかなりコンパクトだが、それでもこないだ行ってきたときに実感したが結構な大きさだった。やはり腐っても帝の宮殿だなと感じた。
室町期は行政云々よりも武家は北朝の権威に期待してませんかね?
でもさあ、京都御所のお堀って、極普通の公道の側溝なんだぜぇ。江戸城、大阪城とはエラい違いだ。
武士の教育水準は低くなかった。
武士は貴族から野蛮人扱いされていたのだが、鎌倉時代の始まりくらいに「俺らだって、無闇に殺してるわけじゃない。仏教を信仰してるし、一殺多生で殺してる」と理論武装してる。そういう手紙が残ってる
武士の支配とともに、武士なりの支配理論は整備されていった
ゲーム信長の野望で朝廷がやたらと官位売りに来る理由がわかった
朝廷と天皇はまたちょっと違う
武家目線で利用した方が得なのはわかるがそれでも滅ぼされなかったのは不思議だ
神輿は派手で軽いのが一番良いからね
とある小説の中で「王家の血が500年続けば高貴なものになり、1000年続けば神聖で触れてはならないものになる。その存在がいくさを半分にする。」という言葉が出てきますが、天皇の存在はまさにそれだと思う。日本でも戦乱の時代が長く続いたけれど、中国のように人口が十分の一になるような事態にはなりませんでしたから。
すごく共感しました。
まさに、天皇の役割とはこれであると言い表した格言だと思います
もし、よろしければ小説のタイトルを教えて頂けると嬉しいです
お時間があるときで良いのでお願い致します
@@rin-wh4ne さん 北方謙三さんの三国志です。小説の中で劉備が何度か語っていますが、諸葛孔明にも語っていてはじめは心の中で「青臭い」と笑った孔明が次第に劉備に惹かれていくというストーリーです。
@@my-eg8ge
返信頂いてありがとうございます!
RUclipsのコメント欄という玉石混交の場所で、あなたのような方に出会えたことを嬉しく思います
ぜひ、読んでみたいと思います
ありがとうございました😊
そういわれると日本の戦国時代というのは
まさに天皇の権威が下のピークになったときですね。
戦乱の従属変数として天皇の権威が低下したのかなと考えてましたが、
逆に南北朝が天皇の権威を低下させ、
その従属変数として戦乱が起こったというのも面白い説かもしれません。
まあ、皇紀2600年とか、「天皇は神聖にして侵すべからず」とか、やってた大日本帝国は、
自分たちから仕掛けて行った対外戦争の結果、ボコボコにやられて、数百万人の自国民を犠牲にし、自国内の多くの都市を焼け野原にされた末に滅んでしまいましたけどね。
某架空歴史小説で正親町帝時代の朝廷の困窮っぷりを説明していた場面からの引用ですが、
正親町帝の即位した頃の朝廷の収入は、応仁・文明の乱以前の1割程度にまで落ち込んでいたとか。
帝の荘園まで横領されるような状況では、官位を売って銭を稼がねばどうにもならなっかったのですよね。
いつも面白くて
わかりやすい動画だ
貧乏でお飾りだったからこそ
今なお続く世界最古の王家なんでしょうね
というか支配者が天皇の子孫じゃないと、認めない人が大多数だったからじゃないかな。百姓ですら天皇の血が自分たちに流れていると誇りを持ってた。平氏源氏も元を辿れば天皇だし。
つまり、お飾りだったから排除されなかったんじゃなくて、排除できなかったからお飾りにされたんじゃないか?
権威と権力を切り離したのは、結果的にみれば天才的だよな。
二つが揃ってるとロクなくににならん。必ず滅びると歴史が証明してるし
切り離した、というより実質的な権力を維持できるような実力はなくて、まあ昔からあるよね程度の「権威」でなんとか細々生き残った感じ?
大日本帝国憲法での天皇の位置づけが統治の総攬者と規定されたことで、
明治憲法下はあたかも天皇主権のように学校では教えられるが、
天皇の実態は、明治の薩長藩閥、戦間期にも僅かばかり機能した政党政治、
昭和の軍部政権のいずれにおいても、政治的実権を正当化するものでしかなかった。
現行憲法下での象徴としての天皇となんら変わらず政治的権能を有さないし、
徳川幕府時代の禁中並公家諸法度での天皇の機能は、日本国憲法における国事行為とほぼ同じ。
キーポイントは藤原氏も頼朝も天皇の権威を必要とする、天皇に役職に任命してもらって権力を振るう地位に居た、て超ウルトララッキーが有ったって事だな
@@changnabe2606
1937年に当時の文部省が公式に作成し、頒布した「国体の本義」では、大日本帝国の政治体制について、あくまでも天皇による親政であり、例えばイギリス流の「君臨すれども統治せず」というようなものではない、と明記、強調されてましたけどね。
@@真カキ
1937年と言えば、盧溝橋事件の皮切りに満洲ないし北支での局地戦的な日中の武力衝突が全面戦争に発展し、戦時統制が始まった頃。
「国体の本義」に関連する国体明徴運動は、天皇機関説を排撃するための陸軍とこれに同調した右翼が岡田啓介内閣に半ば強引に推し進めさせた。
岡田啓介自身は海軍出身であったが、この時点では曲がりなりにも政党政治は生きていたし、昭和天皇自身は天皇機関説を私的には支持していた。
すなわち、政党政治ないし立憲主義を擁護する側から天皇をその権威として理論づけたのが天皇機関説で大局的に、
議会を停止した上での国家改造の必要性を考える軍部と右翼が、その運動の権威として天皇を推戴させるための理論が国体明徴運動であって、
聖典が「国体の本義」と見るべきだろう。つまり、名目的には主権者に据えるにしても大義名分であって自説を正当付ける権威として天皇を実質捉えていた点では、
天皇機関説と大差はないだろう。
史実として、昭和天皇自身が君臨すれども統治せずを実践していたこともあって、且つ天皇機関説支持を明らかにできないジレンマが故に、
民主的傾向が退潮し破局的戦争の道を歩むのは皮肉でしかないが。
戦後直後に渙発された「新日本建設の詔書」(いわゆる「人間宣言」)では、五箇条の御誓文を引き合いに出して、これに書き加えることはなにもない、
すなわち天皇としては明治維新の原点に立ち返り、民主的合議を通じた国民福祉の向上と国際平和の実現を願うのみであって、
自身の神格化は元より、神国なる選民思想によって徒に対外的不信を買うことは望まないと言明した。
長くなったが、近代化に際し権威として推戴された存在であることを認識したうえで、飽くまでも天皇とは国家、臣民の精神的支柱であって、
国家運営の実際は臣民に委ねるべきあり、天皇とはその実践にあたって道徳的象徴或いは権威として君臨するのというが伝統的価値観であって、
昭和天皇自身もそれをよく理解する、故に苟もその権威を邪な政治的野望に用うるを戒めむというのが、昭和天皇自身の天皇観だろう。
武士も民草も坊主も皆やべー奴らばかりで公家の困窮というのでバランスを保っていた感じ
分かりやすいー。😃ありがとうございます。😊
日野富子が朝廷に資金提供する位だからねぇ…
引き続き、江戸時代の天皇って何してたの?をみたいですね…後水尾天皇や春日局からの絡みで800年ぶりの女性天皇なんかのエピソードは結構ドラマチックよね(;´∀`)
幕府に強気な光格天皇
尊王論教育を受けた桃園天皇
7代将軍の名付け親になった霊元天皇
いろいろいます
なんか取って代わろうとしないところに日本味を感じる
ブチ切れてやることが譲位なの面白い
なんでなんだろう
譲位すると将軍にどんな不都合があるんだろ
特にないけど他に抗議の意思を伝える手段がないから仕方なくなのかな
室町幕府は成立の経緯から北朝の権威に依存してるので、朝廷と将軍が不仲ってのはある程度の問題にはなるはず
応仁の乱でも南朝の御落胤みたいなやつが出てきて西軍が擁立するみたいなプランもあったからね
新天皇の即位の礼や大嘗祭の金は誰が出すの?て話になると嫌がらせ位にはなるかと😂その次の皇太子の立太子とか金掛かりまくりw
雅なストライキ
@@hiroseyuki3 なるほど闘争するインペリアル労働者ですか・・・
日本の歴史上、天皇及び朝廷という存在は、確かに主要な政治勢力の一つではあったが、
必ずしも唯一無二というわけでもなく、
また、その有り様も、朝廷内外の他の政治勢力との実質的な力関係によって、時代によって、かなり流動的なものだったということだな。
たしかに信長・秀吉の頃とかなんかだと、後陽成天皇とかより近衛前久などのアクティブ公卿の方に目が行くまで有りますな。
たしかに正親町天皇なんかはゴタついてたイメージありますが・・・。うん、どうしても有力武士とセットじゃないと存在感が…w
天皇「だって君臨すれども統治せず言うやん」
お公家はリアルで一ヵ月一万円生活をやっていたらしいとか
あと官位を売り物にしていたとか
信長の野望でもやたらと朝廷が官位売りに来る
見守るだけです。
この時代に天皇家が「君臨すれども統治せず」化したことでいまでも皇室が維持できたと考えます 徳川家は越えられませんでした
秀吉が天皇を利用してたのは知ってたけど重宝してたのは知らなかったな。
信長は立場とか上下関係は案外気にする人だったらしいからわかるけど、それが秀吉にも移ってたのかね?
家康は完全に自分だけに権力があるようにしたんだね。信長、秀吉時代はまだ天皇の印象があったけど、家康からの江戸時代は孝明天皇みたいなかなり表だった天皇しか知らなかったから、やっぱり存外に扱われてたんだな。
霊元天皇とかは7代将軍の名付け親になってる、あと吉宗とか家光は、融和的だったりするから存外には扱われてない(後水尾は....うん)
織田信秀(のぶパッパ)も御所の塀修理に寄付を出して
礼状を貰っている。
織田家自体が神官の家系だからね、元々は越前の織田の庄だって
信ちゃん以外はどんな理由で蘭奢待の切り取り許されたの?
新鮮な動画じゃね〜か
この時の公家の日記おもろい
権威と権力の分離による統治の二重構造。
それに宗教イコール仏教勢力を加え室町期までには、三大勢力によるサロン政治が出来上がっていたかと。
サロン政治の元は院政にあると思うけど。
これらプレーヤーによるパワーゲームは戦国期には出揃っていて、その後、全国制覇した家康は統治の一元化に腐心したのだと思う。
武家伝奏よるチャンネルの限定、禁中並公家諸法度。
京都所司代、寺社奉行による直接統治。
檀家制度と人別帳管理、手形管理による仏教勢力の骨抜き。
安定統治のために徹底的にやった印象。
ただ、江戸期の神社の扱いが今ひとつわからない。
お伊勢さん・伊勢神宮等、神社は手付かずにも思える。
室町期までは神人が割と暴れて たり強訴の記録もあり、しかし危険視されなかったのか?
神仏習合で取り込んでいくつもりだったのか。
諏訪とか宗像とか出雲大社とかそれなりに暴れていたけど、仏教に比べたら弱かったからな・・・・
天皇とは概ね日本の歴史における月のような存在だと思う。
即位式等のお金がないのは分かりました。
でも、普段の生活費はどこから出ていたんでしょう?
長く続く王朝って権威と権力がじょじょに分かれていく印象。
君臨すれど統治せず、という存在を殺してもデメリットが多い。だったらむしろ利用した方が得じゃね?
という感じで実力者は皇帝や王ではなく宰相の地位を望むようになる。
驚くべきは今でもこれを続けているという事実。
ランジャタイってそこから来てるのか
応仁の乱の頃の貧しかった天皇の時には御所に泥棒が入るくらい警備も薄くなっていたらしいね
和歌読んでた
信長の野望でやたら献金求められるのってこういうことか
大権現様で唯一ダメだったのは、天皇大権たる改元を徳川の許可なく行えなくしたこと。流石にそれやりすぎっす。
なるほどなぁ😮
千罰氏と畠山氏の対立が激しくなり、また、大名と天皇との仲も悪くなった。天皇が応仁の乱を起こした可能性もあるかもな。
俺もこれ知りたかったわ
他国だと貴族や王に相当する人々が本気で困窮していた時期があったというのは本当に面白い
自分の知見が狭いだけなのかもしれないけど、他の国でこういう事象は無かったように見える
経済的に困窮すると兵士や官僚に給料払えなくなってジエンドだからな
幕府や大名は自腹で統治と治安維持してくれるどころか献金までしてくれるw
やっぱ武力なんですね。
あんたが大将(将軍や総理大臣)のお墨付きを発効する大事なお仕事です。
名前が覚えられない
それから資金が汚染されてる場合はどうしたのでしょうか
よく分かりません
豊臣と徳川の和平を実現できなかった朝廷に正義はあったのでしょうか
関東は広野だから強いのは上杉が猛威を振るう時点で分かってましたけど
ならどうすれば良かったのですか
承久の乱ではなくて承久の変じゃないの
戦国の天皇と将軍はよく知らん
三国の帝も
半笑いで小刻みに手を振るだけの簡単なお仕事です
それは現代ね
なにもしてません。絶望というなの希望
結局、天皇って何のために存在したのだろう。
日本を纏める為
国民の統合と象徴の為…。
畏れ多いですが、敢えていえば日本国と日本国民という国体そのもの。
東征する時に北条氏を名乗ったりとかね、自称○○家
天皇って献金無いとやってけないのね笑
天皇何してたのっていうタイトルがもうヤバい
大昔の人だから大丈夫
大昔の一時期を除いては、今に至るまで籠の鳥の傀儡だもんな
飢える心配が無いだけで自由も無く利用されるだけってのは流石に気の毒過ぎる
下らないお題目の為に存続させる位なら野に降りて地方の一名門として今の資産を捨扶持として人らしい暮らし出来ると良いなと思う😅
関東の諸将の室町での暴れっぷりを見てると、みんな幕府はうぜえぐらいに思ってたようだが、天子様だけは話が違った。
謙信が勅命受けた関白を奉戴して関東に略奪ツアーしたら関東諸将はだいたい北条を裏切った。みんな室町の言う事は聞かなくてもなんとかなるだろうけど逆賊朝敵になったら終わりだと思ってたんだろうな
へー、わかり易…
これだけ天皇家を助け合いながら積み上げてきた日本やばいよな
なんたって 神様だもんね
長らえたのは政治をしてないからだよ。
実際に政治を取り戻そうとした後鳥羽や後醍醐は敗れたやろ。
彼らは歴代の天皇の中でも切れ者だったよ。
幕府に従ってた天皇は、飾りとして逆に安泰だった。
神様ではないですよ。
皇祖神である天照大御神を祀る一族です。
@@goride6133
その辺の設定、歴史的には外来宗教である仏教に傾倒していたりと、結構グダグダですよね。
@@mochimochi_no_ki.
まあ、所詮生身の人間なのに、神聖不可侵とかいう設定、アホらしいですよね。
これ不思議だわー。俺が力ある大名ならドサクサに紛れて皇室入るか滅ぼして天皇を自称するけどなー
ソレやると島津や佐竹本物の源氏の皆さん激怒ですよねえ
今も昔もずっと飾りでしょ。
権威と権力って四次元ポケットとスペアポケットみたいだな、実際働くのは中身の国民なんだからどっちもいらないと思う。
関係ないかもだけどな税金を取ろうとするくせに議員報酬他皇族ひの削減を言う人いませんね!ブラジル行って優雅なものですね
皇室ってお金自由に使えないし、何処にでも出掛けられる訳じゃ無いのに何を言ってるの?公務なのにね
議員の話はある程度は理解できますが、なぜ皇族に当てる税金も削減されなければいけないのですか?皇族は自由に使えるお金がたくさんあると思ってるのですか?
働けよ。
お昼寝していました🎵
陛下付けようよ…
実質的に何の影響もない傀儡なので、取って代わる必要もなかったのでしょう。もうこの頃から何の存在意義もない、本当に飾りとしての象徴だったということ。神輿が軽い方がいいのは昔からってことですな。
存在意義はある…滅んだらフランスやロシア、ドイツの二の舞いになるから
日本を最後まで纏める役
いるだけでは影響力は無いが
国が倒れかねない時には縋る対象
国が危機に陥った時こそ
天皇は信仰の対象として輝くのです
まあ皇族の狂信者はどの時代にもいますから
@@gsb7422 それに日本が仮に共和制になって例えば「東アジア共和国」になって国歌も変わって完全に今の自民党政権と野党だけで国が纏まるかと言われたら…