Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
投稿おつかれですさて軍艦「名取」の先任将校についてですが動画中に登場する松永市郎氏(海兵68期)は沈没後に編成された短艇隊では次席将校でした先任将校は小林英一大尉(海兵65期)です松永大尉は小林大尉の指揮と統率で生還した後、松山空通信長などを経て終戦をむかえられこの体験を書籍に残されています。因みに松永大尉の父君はプリンスオブウェールズ等を撃沈する戦果をあげた時の司令だった松永少将だとか。
素晴らしいです!
割り切って 対空巡洋艦 なら 機能充分だと思う💡 復員任務etcお疲れ様でした💪
航行不能になった矢矧を支援しようと駆逐艦磯風が接近を試みたが矢矧が猛攻を受けていた為に近寄れずに矢矧は沈没してしまいましたね。
帝国海軍は所謂5500トン型軽巡を建造「し過ぎ」、このクラスを最後まで更新する事が出来なかった、とされていますね。新型軽巡として設計された阿賀野型、大淀型も完成時にはその構想が形骸化しており、実戦に即していた、とはとても言えない艦になっています。
投稿お疲れ様です!!!!
終戦時、北上が5500㌧型軽巡唯一の生き残りになってしまいましたね。
巡洋艦カッコいいですよね。でも軽巡は煙突多くて不格好、ガキの頃(50年前)は好きでは無かったです。でも今はそれも味があって大好きです。
5500t型、阿賀野型も非常に打たれ強い艦艇だったと思います
大淀は日本海軍の歴史の中で連合艦隊の旗艦をつとめた唯一の軽巡洋艦でした。座乗した豊田副武長官は『俺はこんな船では死にたくない!』とおっしゃったとか(たしかウィキペディアに書いてありました)・・・・・
結局、豊田は旗艦に乗って第一線に立つことはなかったんだよな~。さらに司令部を陸上の日吉に移したし。
個人的には大和ミニみたいな大淀が大好き。
華の二水戦!!!
5,500tの進化型は本当は古鷹型なんですよね。アメリカのオマハ型には5,500t型では対応出来ないので同等の排水量でより砲撃力が高い古鷹型に移行したのです。それがワシントン条約で大型艦が建造出来ず、準主力艦として重巡が設けられたので軽巡の発達型だった古鷹型も準主力艦の扱いに変わっただけです。
大淀は選ばれなかったか・・・ 残念
照明弾の開発って難しかったのかなぁ、日本の船、探照灯点けてその為にフルボッコ犠牲ってのが、かなりありそう。
日本にもどのサイズの砲にも照明弾はありましたよ。
@@MITOGOROSA さん、ありがとう。”照明灯照射し味方艦の攻撃を手助けして自分はフルボッコ犠牲”ってのが日本側、アチラさんは”照明弾打ち上げて敵艦を照らしみんなでボコす”、そのうち、”レーダーで識別していたら敵方が照明灯点灯して位置を押せぇ~てくれたからこれまた味方全員でボコす”みたいなハナシだから、米軍は照明弾有(確か、6”以下?5”以下かも)+レーダー、日らは、探照灯ピカッだとばかりだと思い込み。
投稿お疲れ様です!日本の軽巡きたーやっぱ軽巡と言ったら北上様だよね~
神通に関しては記録を観ても強すぎますよね笑
是非ともリクエストお願いしますもし九戸政実が南部信直より先に臣従して南部討伐が行われていたらぜひお願いします!
阿賀野型は小型に収める為に手法は軽量化の為に揚弾設備が貧弱で人力装填だったので発射速度が遅く長時間の射撃では維持出来ないなどの欠点があり、高射砲が貧弱で8cm(実際は76mm)高角砲では威力不足など、対艦対空共に中途半端な存在になってしまいました。結局サマール沖でも役に立たず機動部隊護衛任務の第十戦隊の旗艦なら大淀を代わりに使った方が有効だったと思います。
手法→主砲
5500t型軽巡は、量産性を意識したシンプルな構造。画期的といわれる「夕張」だが、排水量ののわりに建造工数が多くて、実は予算削減にはあまり貢献出来ていなかった。事実上5500tの光景となった阿賀野級では重巡よりも構造の簡易化がされてはいるが、それほど量産性というものは考慮されていなかった。搭載砲の選定ミスも含め、そもそも当時の海軍は、この種の軽巡に対する関心が乏しかったようにしか見えない。
👍🇯🇵
投稿おつかれです
さて軍艦「名取」の先任将校についてですが動画中に登場する松永市郎氏(海兵68期)は沈没後に編成された短艇隊では次席将校でした
先任将校は小林英一大尉(海兵65期)です
松永大尉は小林大尉の指揮と統率で生還した後、松山空通信長などを経て終戦をむかえられこの体験を書籍に残されています。
因みに松永大尉の父君はプリンスオブウェールズ等を撃沈する戦果をあげた時の司令だった松永少将だとか。
素晴らしいです!
割り切って 対空巡洋艦 なら 機能充分だと思う💡 復員任務etcお疲れ様でした💪
航行不能になった矢矧を支援しようと駆逐艦磯風が接近を試みたが矢矧が猛攻を受けていた為に近寄れずに矢矧は沈没してしまいましたね。
帝国海軍は所謂5500トン型軽巡を建造「し過ぎ」、このクラスを最後まで更新する事が出来なかった、とされていますね。新型軽巡として設計された阿賀野型、大淀型も完成時にはその構想が形骸化しており、実戦に即していた、とはとても言えない艦になっています。
投稿お疲れ様です!!!!
終戦時、北上が5500㌧型軽巡唯一の生き残りになってしまいましたね。
巡洋艦カッコいいですよね。でも軽巡は煙突多くて不格好、ガキの頃(50年前)は好きでは無かったです。でも今はそれも味があって大好きです。
5500t型、阿賀野型も非常に打たれ強い艦艇だったと思います
大淀は日本海軍の歴史の中で連合艦隊の旗艦をつとめた唯一の軽巡洋艦でした。
座乗した豊田副武長官は『俺はこんな船では死にたくない!』とおっしゃったとか(たしかウィキペディアに書いてありました)・・・・・
結局、豊田は旗艦に乗って第一線に立つことはなかったんだよな~。さらに司令部を陸上の日吉に移したし。
個人的には大和ミニみたいな大淀が大好き。
華の二水戦!!!
5,500tの進化型は本当は古鷹型なんですよね。
アメリカのオマハ型には5,500t型では対応出来ないので同等の排水量でより砲撃力が高い古鷹型に移行したのです。
それがワシントン条約で大型艦が建造出来ず、準主力艦として重巡が設けられたので軽巡の発達型だった古鷹型も準主力艦の扱いに変わっただけです。
大淀は選ばれなかったか・・・ 残念
照明弾の開発って難しかったのかなぁ、日本の船、探照灯点けてその為にフルボッコ犠牲ってのが、かなりありそう。
日本にもどのサイズの砲にも照明弾はありましたよ。
@@MITOGOROSA さん、ありがとう。”照明灯照射し味方艦の攻撃を手助けして自分はフルボッコ犠牲”ってのが日本側、アチラさんは”照明弾打ち上げて敵艦を照らしみんなでボコす”、そのうち、”レーダーで識別していたら敵方が照明灯点灯して位置を押せぇ~てくれたからこれまた味方全員でボコす”みたいなハナシだから、米軍は照明弾有(確か、6”以下?5”以下かも)+レーダー、日らは、探照灯ピカッだとばかりだと思い込み。
投稿お疲れ様です!日本の軽巡きたーやっぱ軽巡と言ったら北上様だよね~
神通に関しては
記録を観ても強すぎますよね笑
是非ともリクエストお願いします
もし九戸政実が南部信直より先に臣従して南部討伐が行われていたら
ぜひお願いします!
阿賀野型は小型に収める為に手法は軽量化の為に揚弾設備が貧弱で人力装填だったので発射速度が遅く長時間の射撃では維持出来ないなどの欠点があり、高射砲が貧弱で8cm(実際は76mm)高角砲では威力不足など、対艦対空共に中途半端な存在になってしまいました。
結局サマール沖でも役に立たず機動部隊護衛任務の第十戦隊の旗艦なら大淀を代わりに使った方が有効だったと思います。
手法→主砲
5500t型軽巡は、量産性を意識したシンプルな構造。
画期的といわれる「夕張」だが、排水量ののわりに建造工数が多くて、実は予算削減にはあまり貢献出来ていなかった。
事実上5500tの光景となった阿賀野級では重巡よりも構造の簡易化がされてはいるが、それほど量産性というものは考慮されていなかった。
搭載砲の選定ミスも含め、そもそも当時の海軍は、この種の軽巡に対する関心が乏しかったようにしか見えない。
👍🇯🇵