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これでも当時は「乗りやすかった」みたいですね。後年、中島悟さんが鈴鹿のイベントで乗った際「こんなに乗りやすいんだ。そりゃ勝てねーわな」とボヤいたそうな。
恐らくホンダとの先進的な技術供与の優先権はウイリアムズにあったのだと思うが、ロータスは提供を受け始めた頃からアクティブサスの開発を進めていたが思わしくなかったんじゃなかったっけ。つまりシャシーがよくなかったのでは?32.3年くらい前の中嶋悟氏の著書で読んだ記憶がある。結局88年までアクティブサスの開発に注力するも失敗し、その年をもってホンダエンジンを失い名門ロータスは没落のしましたね。
パワーの発現特性はあれど総じてこの頃の高ブースト車はターボラグがっすごかったんだろうから、数年後登場するブローオフバルブが登場するまでレスポンスの悪さに苦しんだことには変わりはないと思う。
鈴鹿のイベントで最終コーナーの立ち上がりでスピンしてFW11をクラッシュさせたよね
当時整備士だったけどガッツポーズでしたね!
この時代のホンダエンジンはパワーもあったけど、燃費が良かったよねライバルチームが終盤でガス欠になったりとかあったけどウイリアムズはなかったよねゴール直前でガス欠になってマシンを押したプロストとか有名だし
押すまで行かなくてもゴール間近で社内で立ったり座ったりして残ったガスをなんとか使おうとするのも😹
1500馬力まで計測できるダイナモを振り切ったんだよな
俺がの、初めてすわった家の勉強机にはウィリアムズホンダの絵が飾られていた(あとフェラーリとキャメルだったかな?)全然興味なかったけどセナプロから夜中にF1見る様になった。書いていて思い出したくない事故で英雄が去った、今でも思い出すと辛い。過去の名作を取り上げてくれた主に感謝
1987年のモンツァでは、ピケがFW11Bで予選にて351キロを記録。1987シーズンNo.1のトップスピード記録。4バール規制がかかってたFW11BのほうがFW11より最高速が伸びているし、最多ポールも獲得した。
1986年はマクラーレンのアラン・プロストも強かった。TAGポルシェのエンジンとプロフェッサーと言われた走りがマッチしていましたね。あとは最終戦のタイヤバーストは昔、イギリスのBBCのF1中継のオープニングでCGで再現していました。
緩やかに立ち上がれるならbmwと比べてタイヤにも相当優しかったやろな
発言。給油無しがあった時も(確か192リッタ)ゴールしたあとまだ2周〜5周の余裕があった。マクラーレンについて行こうとすると必ずガス欠になる事もしばしばあったよ。無給油はユーロ勢には重しだった。後は燃料タンクの内部構造が凄かったらしい。
F1が少年マガジンで少し掲載されたとき、ネルソン、ピケは予選では軽く2000馬力超えていたと
愛すべきオッさん、マンセル。大好きだったなあ。HONDAも当時は最高に熱かった。
マクラーレンMP4/4が出るまでこのFW11は最高傑作かつ格好いいと思う(自分の感想)模型でも何度も作った記憶がある(当時のタイヤはネジ止めでなくピンでの固定だったので、二回ばかしサスペンションを折って失敗したこともあった)
この時代のマシンは、速度が上がってダウンフォースがかかってくると、フロアと路面が接してリアから火花が散るのも特徴だった。あとタイヤもぶっとかった。
今のf1もそうですけど、、、、😂
@@s.m.456有名な1995規定あたりに火花防止効果のあるスキッドブロック(保護材)が追加されてからはかなり大人しくなったのは流石にご存知だと思いますが、ノーズダイブやロール、ロングホイールベース化や固定用金具による火花は控えめながら出てしまいました。結局火花にも人気があり、あえて火花の美しさを考慮した材質の金具や火花が出やすい金具カバーを導入するチームも出てきて今に至るというわけです。今よりも当時は性能のためのやり過ぎな火花で、高速時は出っ放しなくらいでした。
@@hide4499 だから火花自体は変わらず出てるんでしょ。じゃあ変わらんやん。
@@s.m.456 でも今のF1に火花飛び散るイメージは全くないな。
@@tommylee2064 今はたま〜に「おっ、火花が出た」くらいですが昔は「花火が走ってる」でしたからね…まぁ最低地上高守りつつ走行中は金属製のフロアをいかに地面に近づけるか試行錯誤してた時代と考えればこうなるよな、と
懐かしいですね!セナも大好きですが、マンセルの荒々しいドライビングも憧れました。
含酸素燃料使って、オクタン価あげて、圧縮比をあげまくれば、出力がでまくり、という内燃機関の定石だな。
ウィリアムズ、マクラーレンと言ったらホンダの印象有りますね。ロータスは2年だけだったので寂しく思います。ツインターボエンジンの馬力は凄まじかったです。
ホンダは闇雲にピークパワーを追及するのではなく、低回転域にもトルクを振り分けた扱いやすい特性にしていたんだと思うんだよね。もちろん、耐久性を確保した上でね。もしピークパワーだけをカリカリに追求していたら、BMWくらいは出ていたと思うよ。
インディ500でのマンセルの走りは凄かった。
予選用エンジンとかありましたね。タイヤも予選用とわけていたし。日本の会社がたくさんスポンサーに付いていた。キヤノンとかレイトンハウスとか。楽しみだったもんなぁF1
85年型のFW10がハンドリングのクセがかなり強いマシンで、ホンダが特別予算を捻出して足回りの改良に着手するまでその欠点を解消できなかったんだよな。そのFW10の特性を知ってるマンセルからすればFW11はかなり乗りやすい車だったはず。
FW11、Bは、マンセルのF1キャリアの中でもマイフェイバリットマシンだったが、6速でもホイールスピンするスーパーパワフルマシンで、コーナーごとに自分を殺しにきていたとコメントしているね。
誰が書いたか忘れましたがホンダエンジンのことを指して「1000馬力のエクスタシー」という本が出ていました。その中で、過給圧制限がかけられる前は1500馬力、2.5気圧に制限されてからは1200馬力(だったか)と言う記載があったのを覚えています。そのあたりから、1500馬力という話が出たののかな。
ホンダで最初に勝ったロズベルグの走りを見てきたスタッフはマンセルの走りを見て「何で丁寧な走りのドライバーだ」って言ったらしい。正直、そんな踏みまくりの彼らがビッグシングルターボなんて乗ったらすぐにタイヤをダメにしそうだし(事実マンセルはアデレードで壊してる)、多少パワーで負けてもドライバビリティに優れるシングルツインターボがベストマッチなんじゃないかな。
予選と違って他車と競い合うような決勝ではツインターボの扱いやすさの方が勝利に結びついたのかも?
桜井監督がモンツァの予選での1400馬力が86年のマックスパワーだったとコメントしてましたよ。
FW11出すならFW14もやって欲しいwあ、FW14やるならルノー エスパスF1もw
あれのシムは相当難しいだろうなぁ…(サスシステムの再現が)
アデレードのタイヤバーストは、マクラーレンのロズベルグのトップ引きの策略に、嵌ったんだよ。
6速全開でバーストだもんね、あれをクラッシュなく操ったのはさすがマンセルって思いました。あの時、バーストした1本だけものが良くなかったが、急いでピケがタイヤ交換でピットイン、序盤でスローパンクチャーでタイヤ交換していたプロストがそのままチェカーしシリーズチャンピオンに。ピケのタイヤは実は無交換でももったとのこと。最終戦で凄い争いだった年ですよね。
@@tmotchy93 そうです!けど、フランク ウイリアム氏は、安全性を。考えての判断でしたよね。
@@悪霊狂騎士 プロストがスローパンクチャー起こしたのが全ての運命を左右させた。起こしてなかったらまた違う結末だったのかもしれませんね。
1.5Lターボ時代に1番パワーが出ていたのはブーストの規制がなかった86年だと思う。87年は4バール規制の中でも予選では1500馬力と言われていたので、86年はもっと出ていたと想像される。実際にダイナモの上限値が最大パワーで、正確なパワーは測れていないからね。BMWも実際は1800馬力以上を絞り出していたとも言われているからね。
当時一般的なエンジンサプライヤーでは1200馬力以上のダイナモが無かったので予選用エンジンの1500馬力は推定値と言われてます。根拠は本戦で4~5バールのブーストで千100馬力前後の馬力のマシンが多かったのでその程度出ているのだろうという事のようです。ただ以前ホンダのHPでは予選時7バール超1400馬力という数値を見たことがありましたが、この数字は1990年代初頭のAS誌にも書かれていました。ようは当時から色々な数値が出ていたのは確かだったと思いますが、これらの情報を総合するとトップチームは最大で1400馬力程度ではないかと語られていたのだと思いますが、日本では懐古的に語られるうちに更に切りのいい1500馬力に盛られてきたのではないかと思います。BMWが1800馬力という数値は当時観たことありません。ttps://www.honda.co.jp/Racing/gallery/1988/01/↑ 現在のホンダのHPからはリンクされてないと思います。
当時のモンツァの第1コーナーは左コーナーだったんですね初めて知りました
たしか当時で1500馬力のベンチは存在しないから、インジェクターの噴射量から逆算すると1500馬力程度との話が本田に取材した雑誌に書かれていたはず。あくまでも計算上っすね。ウィリアムズのはハイダンフォースだから車速だとドラッグ多いから伸びないのでは……衝立てみたいなリヤウイングですし。この時期だと監督の桜井氏か後藤氏の時期になるでしょうなぁ
ブースト圧やタービン、ギア比、混合比もコースによってチョイスしていたと思いますが、小さなコーナーが多いサーキットではウイングを立てるのは勿論ですが、比較的低回転でパワーを発現する仕様になっていたのだと思います。その場合当然タービンは小さめなのでピークパワーは大して出ていないでしょうけど。
とても興味を持って拝見いたしました。編集も上手ですね。ウィリアムズはニューウェイを手放しさえしなければ・・・ちなみに、キャノンではなくキヤノンですね。
フルパワーかけるのは予選時のことで、決勝は制限ない時でも300Lとか大量に積んで、それでも飛ばすとガス欠するとか当たり前でしたホンダは緻密な制御で燃費、パワー、信頼性に優れていましたそれは、エンジンだけで年間50億円とかかけた成果で、当時そこまで本気になっていたメーカ不在の中の伝説でもありました
その後エンジン開発費に金が掛かるのでNAになったわけですが、マックパワーが下がったため相対的に各メーカのパワー差が拮抗し、しかもターボエンジンと違いパワーをあげるためのコストが逆に大幅に跳ねあがってしまう結果になったようですね。因みに3.5リッターエンジンの開発には100億掛ったそうです。
当時1986年当時1500馬力を図るダイナモは無かったと聞きますが、この頃からテレメトリーシステムを初めて導入し、車体の各部分にセンサーを配し、場合によってはレース中にデータを衛星通信等を使い和光のデータセンターで状態の解析する等、当時圧倒的なハイテク技術を取り込んでましたね。桜井さんの後の後藤監督が90年代にフェラーリに招かれた時はまだデカいダイナモや腕利きのメカニックが沢山いたが、解析する設備が無く経験と勘を頼りにしてたので、そこから改革したと言ってましたね。他のチームがKKDが支配していた時代に、どうしたら勝てるのかをいち早くデータに基づいてロジカルにやってたのだと思います。
気化の悪いトルエン系の特殊燃料を温めるシステムもあります桜井さんの著書にかなり詳しく書かれたものがあります
16:40 順位は上位だがタイムは明らかに惨敗よ。PPファビ1:24.078 2位プロスト+0.436 3位マンセル+0.804 4位ベルガー+0.807 6位ピケ+1.059 ベルガーのタイムから考えると、ファビが神がかっていただけかも知れんが
うぽつです。ルーミアちゃんがまさかのフレンズ歌唱(汗)
ベネトンって言うと、8気筒のHBエンジンでの善戦とか思い出しちゃいますね。
ホンダレーシングギャラリーのFW11のRA166Eのスペック表には1050PS以上とあるが、解説文には「RA166Eエンジンはリッターあたり1000馬力」と書いてあるから、公式すら誤ったこと書いてることになっちゃうね。それよりもベネトンBMWのM12/13の加速力やべー
BMWの4気筒ターボがハイパワーなのは知っていたが当時のホンダの上をいくとは。排圧処理技術の差かな、大変勉強になりました。
最高出力に興味のあるBMWと立ち上がり加速に興味があるHONDAとの違いかと。ホンダは第一期で四輪のエンジンはピークパワーだけでは勝てないとドライバーに説教されたと聞いたことがあります。
マンセル自身が「ホンダよりもBMWの方がパワーがあった」と言ってましたね。現役のころではなく最近のインタビューだったかと。
BMWの直4ターボは1280馬力のダイナモを振り切ったと言われてて一発勝負なら1500馬力、本戦でも1000馬力は越えてたようですねホンダのV6の方は1500はハッタリで一発勝負で1380馬力あたりが限界だったようなただBT52の1500馬力仕様は合成燃料で102オクタンだったってことで、レ-ス後にルノーがクレーム付けた筈ですね、
確かにパワーではベネトンが圧勝だったと思うが、信頼性や燃費や空力などトータルパッケージでウィリアムズが勝っていた感じだな。
87年は日本GPの予選で1コーナーに向け歩いていると、急にグランドスタンドから「ヒャー、アー」とか聞こえたので見回すと、2コーナー~S字の辺りで煙が上がってた。場内のアナウンスで「マンセルがクラッシュ」で赤旗中断。マンセルはヘリで名古屋の保健衛生へ。大きな怪我は無くだったが、後日イギリスの病院で再検査したら、背骨が折れていた。さすが保健衛生と思った。
面白い最高
早く見れた?かなHONDA大好き☆
再現精度が高かったこのシミュレーター名は何なのでしょうか?
アセットコルサ
1300馬力が定例ですね笑
監督の桜井淑敏氏は、「新品のパーツで予選用に最大までブーストを上げると1300馬力」と、インタビューで言われてたのを記憶してます。
1300馬力位かと信じていたけど、真相はどうなんですかね?でもホンダが最高出力エンジンであったかは疑わしい。個人的には、ルノーかBMWだろう。でもホンダは中間域でのトルクがあったから優秀ですがね。これもホンダでなくIHIの仕様による優位性だと思いますが。IHIは、もっとパワーは出せると公言していましたが、エンジンが持たないとも。。。4バール、2.5バールと規制が掛かる度にIHIは凄いと評価していた。ルノーとIHIだったらと想像すると面白い。
当時ブラバムニいたゴードンマーレイもihiのターボを欲しがってたとどっかで読んだ記憶あります。ihiのターボってやっぱすごかったんですね。
IHIIのRX6ボールベアリングタービンの効果なんでしょうかねぇ。あ~ちなみに当人、現物見て触ったことありますよ。まさにこれ。
肉厚はやっぱ乗用車用とは全然違運でしょうか?
吸気側と排気側で大きさは全然違いますし、吸気側は異様に大きかったですよ。マニについてたんで持ったことはないです。
マンセルは85年までは割と控え目で2ndドライバーとして申し分無い感じだったんだよね。でも遅咲きの初優勝後急速に「勝てるドライバー」になり、それと共に相応の待遇を要求する様になった。フランクおじさんも86年開幕時点では、まさか1年半後にチーム内がエライ事になってるなんて夢にも思わなかっただろうな。
ターボのエアインテイクの位置、FW-11とFW-11Bが合体してる
桜井氏も1,500馬力出ていたと証言していたので、一概に誤解ばかりとはいえないと思います。それに空力だけでいえば寧ろベネトンの方が上ではなかったのでしょうか。ウィリアムズはメカニカルグリップとホンダエンジンによるドライバビリティで補って余りある速さを発揮していました。
グランツーリスモ3でお世話になりました。(F686/M)
ツインターボはシングルターボに比べタービンが2つあるのでタービンの一つ又は両方を小さめにし、大口径のシングルターボよりも低回転からターボが利き始めさせるのが最大の利点。ターボが利いてないと普通のコンパクトカーみたいな馬力になってしまうので、ドライバーは低速コーナーでも高回転を維持させる工夫もしていたようだが、それでも低回転からブーストが掛かるツインターボはサーキットでは有利だったと思う。
つまりサーキットでは長く踏んでやっと出るピークパワーよりも早く加速できるトルクやパワーの発現する早さが重要ということ。
予選用ハイブーストだと1600馬力じゃなかったっけ⁉️
予選エンジンダヨ リッター当たり1000馬力エンジンは使い捨てだったから(今ではペナルティ)
CAMELと、ラバッツビールもね!
3年前の雑誌インタビューで、マンセルがFW11Bに適うマシンはない!と語ってましたが…予選では文字通り1500馬力を発揮したと本人が語ったと載ってましたね…で、6速でホイルスピンしたのは驚いたとも語ってたけどね。当時87年のレースはフジの地上波でも見てたけど…ウィリアムズホンダのマシンがベネトンの後方走ってるのは見たことがなかったね!馬力で勝っても早くなければ意味ないですよ。
トヨタ7解説して欲しい🙏
後に言われるようになった❗というけど当時から鈴鹿サーキットでは囁かれていた
果たして1580馬力の917は来るのだろうか
鈴鹿で初開催の時には総合勝利とは別にNA車クラスの表彰🏆️が別に存在したヨ❗
そもそもBMWのエンジンは信頼性が低くレースを戦い抜けるエンジンでないという印象なんだけど。何で今こんなにBMWのエンジンが最強といった主張があるのかが不思議。。丁度日本でF-1が流行ったNA3.5リッターが始まった頃弱小のプライベーターが乗せたDFRとまでではないが、信頼性が低いので下位チームが載せてる印象だったな。あの程度の信頼性でピーキーさだけのエンジンならば他のエンジンがほしいと思う。
レッド5は、マンセルが、マールボロの個人スポンサードを受けていたからだよ。
ジル・ビルヌーブの27番とかもそうだけど、ドライバーに固有のカーナンバーのイメージが定着するってのは、穿った見方をすると何年もチャンピオン取れてないって事なんだよね。当時のレギュレーションだと前年のチャンプがカーナンバー1、そのチームメイトが2番を付ける規定だったから。
スーツもピケは白で、マンセルが赤だったな
やばくねロータス98Tに続いて1500馬力
1500㏄ターボかな?
だいたい信頼性の低く人気のない当時のBMWのエンジンをノスタルジックに最強と言うようになったのはここ最近の話です。恐らく当時を知らない若者が中心だと思うけど。
ハンドルの重さも体験しようか( ^ω^)おっ
Very exiting to drivecが抜けて終わってるぞw
このエンジンを今年のマシンに搭載したらどんだけ速いマシンになるんかな
当時のタイムより速いけど、現代のPU車より遅いだろね。
@@yamato3228 それはなぜ?F1のハイブリッドがどういうモーターアシストしてるか知らんけど、LMP1hだったらモーターでの加速アシストで立ち上がりの速さがハンパなかったけど、F1のハイブリッドも?
@@phoenix-2827 過渡特性が全く違うからだよ。
@@yamato3228 それじゃわからん
@@phoenix-2827 もしかして、過給圧無制限の86年までのエンジンを現代のF1に積めば、鈴鹿で1′29″を切れると思うのでしょうか?私は切れないと思いますが、貴方が切れる思うなら、その理由を教えて下さい。
両方のサイドポンツーンにタービンを配置していたのでパワーユニット単体で見ればまるで人間の子宮と卵巣のようにも感じた(鈴鹿製作所ロービーに展示されてたのを見てる)
ポート直付きターボ😑
ゲームで検証ですか?意味わかりません。。新しい価値観ですね。
今の家庭用ゲームは35年前のスパコンに勝っている性能だと思います。ゲームだとひとくくりするのもまた時代錯誤かもしれませんね。
@@yoshinari1974 原爆実験もシュニレーショで済ます現代ですからね。現実との差は軽微なのかもしれませんね。
これでも当時は「乗りやすかった」みたいですね。
後年、中島悟さんが鈴鹿のイベントで乗った際「こんなに乗りやすいんだ。そりゃ勝てねーわな」とボヤいたそうな。
恐らくホンダとの先進的な技術供与の優先権はウイリアムズにあったのだと思うが、ロータスは提供を受け始めた頃からアクティブサスの開発を進めていたが思わしくなかったんじゃなかったっけ。つまりシャシーがよくなかったのでは?32.3年くらい前の中嶋悟氏の著書で読んだ記憶がある。結局88年までアクティブサスの開発に注力するも失敗し、その年をもってホンダエンジンを失い名門ロータスは没落のしましたね。
パワーの発現特性はあれど総じてこの頃の高ブースト車はターボラグがっすごかったんだろうから、数年後登場するブローオフバルブが登場するまでレスポンスの悪さに苦しんだことには変わりはないと思う。
鈴鹿のイベントで最終コーナーの立ち上がりでスピンしてFW11をクラッシュさせたよね
当時整備士だったけどガッツポーズでしたね!
この時代のホンダエンジンはパワーもあったけど、燃費が良かったよね
ライバルチームが終盤でガス欠になったりとかあったけどウイリアムズはなかったよね
ゴール直前でガス欠になってマシンを押したプロストとか有名だし
押すまで行かなくても
ゴール間近で社内で立ったり座ったりして残ったガスをなんとか使おうとするのも😹
1500馬力まで計測できるダイナモを振り切ったんだよな
俺がの、初めてすわった家の勉強机にはウィリアムズホンダの絵が飾られていた(あとフェラーリとキャメルだったかな?)全然興味なかったけどセナプロから夜中にF1見る様になった。書いていて思い出したくない事故で英雄が去った、今でも思い出すと辛い。過去の名作を取り上げてくれた主に感謝
1987年のモンツァでは、ピケがFW11Bで予選にて351キロを記録。
1987シーズンNo.1のトップスピード記録。
4バール規制がかかってたFW11BのほうがFW11より最高速が伸びているし、最多ポールも獲得した。
1986年はマクラーレンのアラン・プロストも強かった。
TAGポルシェのエンジンとプロフェッサーと言われた走りがマッチしていましたね。
あとは最終戦のタイヤバーストは昔、イギリスのBBCのF1中継のオープニングでCGで再現していました。
緩やかに立ち上がれるならbmwと比べてタイヤにも相当優しかったやろな
発言。給油無しがあった時も(確か192リッタ)ゴールしたあとまだ2周〜5周の余裕があった。マクラーレンについて行こうとすると必ずガス欠になる事もしばしばあったよ。無給油はユーロ勢には重しだった。後は燃料タンクの内部構造が凄かったらしい。
F1が少年マガジンで少し掲載されたとき、ネルソン、ピケは予選では軽く2000馬力超えていたと
愛すべきオッさん、マンセル。大好きだったなあ。
HONDAも当時は最高に熱かった。
マクラーレンMP4/4が出るまでこのFW11は最高傑作かつ格好いいと思う(自分の感想)
模型でも何度も作った記憶がある(当時のタイヤはネジ止めでなくピンでの固定だったので、二回ばかしサスペンションを折って失敗したこともあった)
この時代のマシンは、速度が上がってダウンフォースがかかってくると、フロアと路面が接してリアから火花が散るのも特徴だった。あとタイヤもぶっとかった。
今のf1もそうですけど、、、、😂
@@s.m.456有名な1995規定あたりに火花防止効果のあるスキッドブロック(保護材)が追加されてからはかなり大人しくなったのは流石にご存知だと思いますが、ノーズダイブやロール、ロングホイールベース化や固定用金具による火花は控えめながら出てしまいました。
結局火花にも人気があり、あえて火花の美しさを考慮した材質の金具や火花が出やすい金具カバーを導入するチームも出てきて今に至るというわけです。
今よりも当時は性能のためのやり過ぎな火花で、高速時は出っ放しなくらいでした。
@@hide4499 だから火花自体は変わらず出てるんでしょ。じゃあ変わらんやん。
@@s.m.456 でも今のF1に火花飛び散るイメージは全くないな。
@@tommylee2064 今はたま〜に「おっ、火花が出た」くらいですが
昔は「花火が走ってる」でしたからね…
まぁ最低地上高守りつつ走行中は金属製のフロアをいかに地面に近づけるか試行錯誤してた時代と考えればこうなるよな、と
懐かしいですね!セナも大好きですが、マンセルの荒々しいドライビングも憧れました。
含酸素燃料使って、オクタン価あげて、圧縮比をあげまくれば、出力がでまくり、という内燃機関の定石だな。
ウィリアムズ、マクラーレンと言ったらホンダの印象有りますね。
ロータスは2年だけだったので寂しく思います。
ツインターボエンジンの馬力は凄まじかったです。
ホンダは闇雲にピークパワーを追及するのではなく、低回転域にもトルクを振り分けた扱いやすい特性にしていたんだと思うんだよね。もちろん、耐久性を確保した上でね。もしピークパワーだけをカリカリに追求していたら、BMWくらいは出ていたと思うよ。
インディ500でのマンセルの走りは凄かった。
予選用エンジンとかありましたね。タイヤも予選用とわけていたし。日本の会社がたくさんスポンサーに付いていた。キヤノンとかレイトンハウスとか。楽しみだったもんなぁF1
85年型のFW10がハンドリングのクセがかなり強いマシンで、ホンダが特別予算を捻出して足回りの改良に着手するまでその欠点を解消できなかったんだよな。そのFW10の特性を知ってるマンセルからすればFW11はかなり乗りやすい車だったはず。
FW11、Bは、マンセルのF1キャリアの中でもマイフェイバリットマシンだったが、6速でもホイールスピンするスーパーパワフルマシンで、コーナーごとに自分を殺しにきていたとコメントしているね。
誰が書いたか忘れましたがホンダエンジンのことを指して「1000馬力のエクスタシー」という本が出ていました。
その中で、過給圧制限がかけられる前は1500馬力、2.5気圧に制限されてからは1200馬力(だったか)と言う記載があったのを覚えています。
そのあたりから、1500馬力という話が出たののかな。
ホンダで最初に勝ったロズベルグの走りを見てきたスタッフはマンセルの走りを見て「何で丁寧な走りのドライバーだ」って言ったらしい。正直、そんな踏みまくりの彼らがビッグシングルターボなんて乗ったらすぐにタイヤをダメにしそうだし(事実マンセルはアデレードで壊してる)、多少パワーで負けてもドライバビリティに優れるシングルツインターボがベストマッチなんじゃないかな。
予選と違って他車と競い合うような決勝ではツインターボの扱いやすさの方が勝利に結びついたのかも?
桜井監督がモンツァの予選での1400馬力が86年のマックスパワーだったとコメントしてましたよ。
FW11出すならFW14もやって欲しいw
あ、FW14やるならルノー エスパスF1もw
あれのシムは相当難しいだろうなぁ…
(サスシステムの再現が)
アデレードのタイヤバーストは、
マクラーレンのロズベルグのトップ引きの
策略に、嵌ったんだよ。
6速全開でバーストだもんね、あれをクラッシュなく操ったのはさすがマンセルって思いました。あの時、バーストした1本だけものが良くなかったが、急いでピケがタイヤ交換でピットイン、序盤でスローパンクチャーでタイヤ交換していたプロストがそのままチェカーしシリーズチャンピオンに。ピケのタイヤは実は無交換でももったとのこと。最終戦で凄い争いだった年ですよね。
@@tmotchy93 そうです!けど、フランク ウイリアム氏は、安全性を。考えての
判断でしたよね。
@@悪霊狂騎士 プロストがスローパンクチャー起こしたのが全ての運命を左右させた。起こしてなかったらまた違う結末だったのかもしれませんね。
1.5Lターボ時代に1番パワーが出ていたのはブーストの規制がなかった86年だと思う。
87年は4バール規制の中でも予選では1500馬力と言われていたので、86年はもっと出ていたと想像される。
実際にダイナモの上限値が最大パワーで、正確なパワーは測れていないからね。
BMWも実際は1800馬力以上を絞り出していたとも言われているからね。
当時一般的なエンジンサプライヤーでは1200馬力以上のダイナモが無かったので予選用エンジンの1500馬力は推定値と言われてます。根拠は本戦で4~5バールのブーストで千100馬力前後の馬力のマシンが多かったのでその程度出ているのだろうという事のようです。ただ以前ホンダのHPでは予選時7バール超1400馬力という数値を見たことがありましたが、この数字は1990年代初頭のAS誌にも書かれていました。ようは当時から色々な数値が出ていたのは確かだったと思いますが、これらの情報を総合するとトップチームは最大で1400馬力程度ではないかと語られていたのだと思いますが、日本では懐古的に語られるうちに更に切りのいい1500馬力に盛られてきたのではないかと思います。BMWが1800馬力という数値は当時観たことありません。
ttps://www.honda.co.jp/Racing/gallery/1988/01/
↑ 現在のホンダのHPからはリンクされてないと思います。
当時のモンツァの第1コーナーは左コーナーだったんですね
初めて知りました
たしか当時で1500馬力のベンチは存在しないから、インジェクターの噴射量から逆算すると1500馬力程度との話が本田に取材した雑誌に書かれていたはず。
あくまでも計算上っすね。
ウィリアムズのはハイダンフォースだから車速だとドラッグ多いから伸びないのでは……
衝立てみたいなリヤウイングですし。
この時期だと監督の桜井氏か後藤氏の時期になるでしょうなぁ
ブースト圧やタービン、ギア比、混合比もコースによってチョイスしていたと思いますが、小さなコーナーが多いサーキットではウイングを立てるのは勿論ですが、比較的低回転でパワーを発現する仕様になっていたのだと思います。その場合当然タービンは小さめなのでピークパワーは大して出ていないでしょうけど。
とても興味を持って拝見いたしました。編集も上手ですね。ウィリアムズはニューウェイを手放しさえしなければ・・・
ちなみに、キャノンではなくキヤノンですね。
フルパワーかけるのは予選時のことで、決勝は制限ない時でも300Lとか大量に積んで、それでも飛ばすとガス欠するとか当たり前でした
ホンダは緻密な制御で燃費、パワー、信頼性に優れていました
それは、エンジンだけで年間50億円とかかけた成果で、当時そこまで本気になっていたメーカ不在の中の伝説でもありました
その後エンジン開発費に金が掛かるのでNAになったわけですが、マックパワーが下がったため相対的に各メーカのパワー差が拮抗し、しかもターボエンジンと違いパワーをあげるためのコストが逆に大幅に跳ねあがってしまう結果になったようですね。因みに3.5リッターエンジンの開発には100億掛ったそうです。
当時1986年当時1500馬力を図るダイナモは無かったと聞きますが、この頃からテレメトリーシステムを初めて導入し、車体の各部分にセンサーを配し、場合によってはレース中にデータを衛星通信等を使い和光のデータセンターで状態の解析する等、当時圧倒的なハイテク技術を取り込んでましたね。
桜井さんの後の後藤監督が90年代にフェラーリに招かれた時はまだデカいダイナモや腕利きのメカニックが沢山いたが、解析する設備が無く経験と勘を頼りにしてたので、そこから改革したと言ってましたね。他のチームがKKDが支配していた時代に、どうしたら勝てるのかをいち早くデータに基づいてロジカルにやってたのだと思います。
気化の悪いトルエン系の特殊燃料を温めるシステムもあります
桜井さんの著書にかなり詳しく書かれたものがあります
16:40 順位は上位だがタイムは明らかに惨敗よ。PPファビ1:24.078 2位プロスト+0.436 3位マンセル+0.804 4位ベルガー+0.807 6位ピケ+1.059 ベルガーのタイムから考えると、ファビが神がかっていただけかも知れんが
うぽつです。
ルーミアちゃんがまさかのフレンズ歌唱(汗)
ベネトンって言うと、8気筒のHBエンジンでの善戦とか思い出しちゃいますね。
ホンダレーシングギャラリーのFW11のRA166Eのスペック表には1050PS以上とあるが、解説文には「RA166Eエンジンはリッターあたり1000馬力」と書いてあるから、公式すら誤ったこと書いてることになっちゃうね。
それよりもベネトンBMWのM12/13の加速力やべー
BMWの4気筒ターボがハイパワーなのは知っていたが当時のホンダの上をいくとは。排圧処理技術の差かな、大変勉強になりました。
最高出力に興味のあるBMWと立ち上がり加速に興味があるHONDAとの違いかと。ホンダは第一期で四輪のエンジンはピークパワーだけでは勝てないとドライバーに説教されたと聞いたことがあります。
マンセル自身が「ホンダよりもBMWの方がパワーがあった」と言ってましたね。現役のころではなく最近のインタビューだったかと。
BMWの直4ターボは1280馬力のダイナモを振り切ったと言われてて
一発勝負なら1500馬力、本戦でも1000馬力は越えてたようですね
ホンダのV6の方は1500はハッタリで一発勝負で1380馬力あたりが限界だったような
ただBT52の1500馬力仕様は合成燃料で102オクタンだったってことで、
レ-ス後にルノーがクレーム付けた筈ですね、
確かにパワーではベネトンが圧勝だったと思うが、信頼性や燃費や空力などトータルパッケージでウィリアムズが勝っていた感じだな。
87年は日本GPの予選で1コーナーに向け歩いていると、急にグランドスタンドから「ヒャー、アー」とか聞こえたので見回すと、2コーナー~S字の辺りで煙が上がってた。場内のアナウンスで「マンセルがクラッシュ」で赤旗中断。マンセルはヘリで名古屋の保健衛生へ。大きな怪我は無くだったが、後日イギリスの病院で再検査したら、背骨が折れていた。さすが保健衛生と思った。
面白い最高
早く見れた?かなHONDA大好き☆
再現精度が高かったこのシミュレーター名は何なのでしょうか?
アセットコルサ
1300馬力が定例ですね笑
監督の桜井淑敏氏は、「新品のパーツで予選用に最大までブーストを上げると1300馬力」と、インタビューで言われてたのを記憶してます。
1300馬力位かと信じていたけど、真相はどうなんですかね?
でもホンダが最高出力エンジンであったかは疑わしい。
個人的には、ルノーかBMWだろう。
でもホンダは中間域でのトルクがあったから優秀ですがね。
これもホンダでなくIHIの仕様による優位性だと思いますが。
IHIは、もっとパワーは出せると公言していましたが、エンジンが持たないとも。。。
4バール、2.5バールと規制が掛かる度にIHIは凄いと評価していた。
ルノーとIHIだったらと想像すると面白い。
当時ブラバムニいたゴードンマーレイもihiのターボを欲しがってたとどっかで読んだ記憶あります。ihiのターボってやっぱすごかったんですね。
IHIIのRX6ボールベアリングタービンの効果なんでしょうかねぇ。あ~ちなみに当人、現物見て触ったことありますよ。まさにこれ。
肉厚はやっぱ乗用車用とは全然違運でしょうか?
吸気側と排気側で大きさは全然違いますし、吸気側は異様に大きかったですよ。マニについてたんで持ったことはないです。
マンセルは85年までは割と控え目で2ndドライバーとして申し分無い感じだったんだよね。でも遅咲きの初優勝後急速に「勝てるドライバー」になり、それと共に相応の待遇を要求する様になった。
フランクおじさんも86年開幕時点では、まさか1年半後にチーム内がエライ事になってるなんて夢にも思わなかっただろうな。
ターボのエアインテイクの位置、FW-11とFW-11Bが合体してる
桜井氏も1,500馬力出ていたと証言していたので、一概に誤解ばかりとはいえないと思います。
それに空力だけでいえば寧ろベネトンの方が上ではなかったのでしょうか。ウィリアムズはメカニカルグリップとホンダエンジンによるドライバビリティで補って余りある速さを発揮していました。
グランツーリスモ3でお世話になりました。
(F686/M)
ツインターボはシングルターボに比べタービンが2つあるのでタービンの一つ又は両方を小さめにし、大口径のシングルターボよりも低回転からターボが利き始めさせるのが最大の利点。ターボが利いてないと普通のコンパクトカーみたいな馬力になってしまうので、ドライバーは低速コーナーでも高回転を維持させる工夫もしていたようだが、それでも低回転からブーストが掛かるツインターボはサーキットでは有利だったと思う。
つまりサーキットでは長く踏んでやっと出るピークパワーよりも早く加速できるトルクやパワーの発現する早さが重要ということ。
予選用ハイブーストだと
1600馬力じゃなかったっけ⁉️
予選エンジンダヨ リッター当たり1000馬力エンジンは
使い捨てだったから(今ではペナルティ)
CAMELと、ラバッツビールもね!
3年前の雑誌インタビューで、マンセルがFW11Bに適うマシンはない!と語ってましたが…予選では文字通り1500馬力を発揮したと本人が語ったと載ってましたね…で、6速でホイルスピンしたのは驚いたとも語ってたけどね。当時87年のレースはフジの地上波でも見てたけど…ウィリアムズホンダのマシンがベネトンの後方走ってるのは見たことがなかったね!馬力で勝っても早くなければ意味ないですよ。
トヨタ7解説して欲しい🙏
後に言われるようになった❗というけど
当時から鈴鹿サーキットでは囁かれていた
果たして1580馬力の917は来るのだろうか
鈴鹿で初開催の時には
総合勝利とは別に
NA車クラスの表彰🏆️が別に存在したヨ❗
そもそもBMWのエンジンは信頼性が低くレースを戦い抜けるエンジンでないという印象なんだけど。何で今こんなにBMWのエンジンが最強といった主張があるのかが不思議。。
丁度日本でF-1が流行ったNA3.5リッターが始まった頃弱小のプライベーターが乗せたDFRとまでではないが、信頼性が低いので下位チームが載せてる印象だったな。あの程度の信頼性でピーキーさだけのエンジンならば他のエンジンがほしいと思う。
レッド5は、マンセルが、マールボロの
個人スポンサードを受けていたからだよ。
ジル・ビルヌーブの27番とかもそうだけど、ドライバーに固有のカーナンバーのイメージが定着するってのは、穿った見方をすると何年もチャンピオン取れてないって事なんだよね。
当時のレギュレーションだと前年のチャンプがカーナンバー1、そのチームメイトが2番を付ける規定だったから。
スーツもピケは白で、マンセルが赤だったな
やばくねロータス98Tに続いて1500馬力
1500㏄ターボかな?
だいたい信頼性の低く人気のない当時のBMWのエンジンをノスタルジックに最強と言うようになったのはここ最近の話です。恐らく当時を知らない若者が中心だと思うけど。
ハンドルの重さも体験しようか( ^ω^)おっ
Very exiting to drive
cが抜けて終わってるぞw
このエンジンを今年のマシンに搭載したらどんだけ速いマシンになるんかな
当時のタイムより速いけど、現代のPU車より遅いだろね。
@@yamato3228 それはなぜ?
F1のハイブリッドがどういうモーターアシストしてるか知らんけど、LMP1hだったらモーターでの加速アシストで立ち上がりの速さがハンパなかったけど、F1のハイブリッドも?
@@phoenix-2827
過渡特性が全く違うからだよ。
@@yamato3228 それじゃわからん
@@phoenix-2827
もしかして、過給圧無制限の86年までのエンジンを現代のF1に積めば、鈴鹿で1′29″を切れると思うのでしょうか?
私は切れないと思いますが、貴方が切れる思うなら、その理由を教えて下さい。
両方のサイドポンツーンにタービンを配置していたので
パワーユニット単体で見れば
まるで人間の子宮と卵巣のようにも感じた
(鈴鹿製作所ロービーに展示されてたのを見てる)
ポート直付きターボ😑
ゲームで検証ですか?
意味わかりません。。
新しい価値観ですね。
今の家庭用ゲームは35年前のスパコンに勝っている性能だと思います。ゲームだとひとくくりするのもまた時代錯誤かもしれませんね。
@@yoshinari1974
原爆実験もシュニレーショで済ます現代ですからね。
現実との差は軽微なのかもしれませんね。