『皇祖天神とは、どなたの事ですか?』『長髄彦との決戦は本当にあったのですか?』神武東征の真実|ニギハヤヒ王国の宮司様に、聞いてみた…

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  • Опубликовано: 23 июл 2024
  • 神武東征の嘘と本当に迫ります!金色の霊鵄が飛び去った聖地に鎮座する社で明かされる真実!『神武東征は、ヤマトを武力制圧したのか?』『皇祖天神とは一体誰なのか?』
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    の王国に鎮座する、トミの社の宮司様に、あえて、質問してみました。
    『皇祖天神とは、どなたの事ですか?』
    『長髄彦との決戦は本当にあったのですか?』
    ▫️登彌神社 とみ-じんじゃ
    公式)ntomishrine.wixsite.com/official
    ▫️ニギハヤヒと『先代旧事本紀』: 物部氏の祖神 (河出文庫)
    Amazon) amzn.asia/d/fdSreZ9
    ▫️脚本・監督 tomo
    ▫️ナレーション 
      古文書  青山龍星
      ナレーター 剣崎雌雄
      宮司様役  麒ヶ島宗麟
    ▫️制作・著作 神旅
    ▫️目次
    00:00 OPENING
    01:19 神武東征とは
    02:49 『登美王国の社』登彌神社
    04:01 本殿参拝
    06:06 登美王国の社の宮司様に直接聞いてみた…
    07:09 徹底考察『神武東征は、ヤマトを武力制圧したのか?』
    12:54 『皇祖天神とは、どなたの事ですか?』
    14:40 『神宮の謎』日を背に祈る違和感
    #ニギハヤヒ
    #長髄彦
    #天照大神

Комментарии • 52

  • @sachikoda146
    @sachikoda146 6 месяцев назад +10

    ありがとうございます🙏😊

    • @kamitabi
      @kamitabi  6 месяцев назад +1

      ありがとうございます。

  • @user-fm8kf2yl6y
    @user-fm8kf2yl6y 2 месяца назад +1

    有り難う御座います、素晴らしい中々聞けないお話し感謝致します❤

  • @user-sh1qy5fi8u
    @user-sh1qy5fi8u 6 месяцев назад +8

    非常に興味深く、そして楽しく拝見させて頂きました😊
    天孫降臨、国譲りのくだりには様々な思惑が暗示されている気がしております。
    戸矢学先生の考察が非常に面白くて、小生も著書を何冊も漁るように読んでおります😂
    国譲りは本当にあったのか❔😒 出雲国風土記には全く記述がないようです、、、😒
    ニギハヤヒ、瀬織津姫、スサノオ、そして国常立大神らは祀ろわぬ神々として沈黙しておられる気がしております😒
    最近、日月神示を筆頭に、それらの神々の活動が活発になっている、復活を遂げようとしている、そんな気がしてなりません。
    我は尾張の地からニギハヤヒ、天火明を追っておりますが、未だに全体を把握することは敵いませんが、神旅さんの動画は非常に参考になります。
    ありがとうございました🙇
    また次の動画も楽しみにしております😊
    日本が平和でありますように😊

    • @kamitabi
      @kamitabi  6 месяцев назад +2

      興味深く、楽しく、理想系でございます...ありがとうございます。
      戸谷先生の本は、図書館が最初の出会いでした。
      電子書籍ですが(本当は、本の方がいいんですが、便利なので)直ぐに購入し
      饒速日の本を探しておりましたら、また戸矢先生の本という具合です...
      編集作業がおっとりなので、棚の肥やしがまだ沢山あります。🙀
      早く、次を読みたい!

    • @user-sh1qy5fi8u
      @user-sh1qy5fi8u 6 месяцев назад +1

      @@kamitabi ニギハヤヒ、スサノオ、月読命、ヒルコに関する戸矢先生の著書を、図書館で見つけて貪るように読んでおります(笑)😅

  • @user-lx5rz2ml5u
    @user-lx5rz2ml5u 4 месяца назад +1

    歴史は、勝者によって勝者側は都合良く解釈出来るように、また史実にしてしまいますが、証拠は残り再調査すると歪曲されている事が発見出来ますね。興味深いく拝見しました

  • @user-uy8ov7kt4d
    @user-uy8ov7kt4d 5 месяцев назад +3

    弥彦神社の祭神である天香山命は、建御名方命です。その娘と五瀬命ー五十猛命のとの間にできた子が鵜葺草葺不合命です。戦死した五瀬命ーイタケルノミコトは、和歌山の伊太祁曽神社に祭られています。妻と子供は、和歌山の丹生都比売神社に祭られています。

  • @user-warauakabeko
    @user-warauakabeko 6 месяцев назад +7

    ありがとうございます😊幸せです❤
    感謝してます😂めでたい🎉めでたい🎉
    いいことあるよ💜㊙️⭐️

    • @kamitabi
      @kamitabi  6 месяцев назад +1

      ありがとうございます。

  • @user-uy8ov7kt4d
    @user-uy8ov7kt4d 4 месяца назад +1

    奈良県御所市柏原字丸山垣内に、厳島神社があります。祭神は、市杵嶋姫命です。京都府南丹市園部町に、生身天満宮があり、その境内社に、厳島神社があります。祭神は狭依姫命です。御由緒に、狭依姫命は市杵嶋姫命とも称され、厳島神社は古くは市杵島姫神社とも称するとあります。三女神ではなく、一人神です。

  • @user-om3jz4lv4w
    @user-om3jz4lv4w 5 месяцев назад +1

    葦原の中津国ではなく豊葦の中津国です。つまりスサノオや大国主が治めていた地域、出雲大社は明治以降の名称で、以前は杵築大社でした。現在杵築神社は国東の方にしかありませんし、宇佐八幡宮と出雲大社の参拝の仕方の類似、八千矛神である大国主が埋めたであろう荒神谷遺跡の三百以上の銅剣とその文化圏は発掘された数から九州にあったのでは平和的な大国主は争う事はせず、現在の出雲に勇退して、銅鐸を祈りの祭司の道具として平和的に関西圏に広げて行ったその後ろ盾が鉄の武器を持った神武系の人達が段々勢力を広げ、丹後や大和盆地に入植していた所に正当な天皇家でなくて外戚関係の天武天皇が奈良政権の正当化する為に神武東征の物語を創作させたのでは、古事記を口伝で伝えた稗田阿礼は奈良の稗田村の出身だそうですが、奈良に稗田さんが沢山いてもおかしくないけど、稗田さんは福岡、大分に多いし、古事記は九州で書かれたものかも?後に大和盆地を主な舞台にする為に稗田阿礼が奈良の稗田村に出身と書き入れたのでは、自分の功績にする為の古事記、日本書紀ではないですか?同時期の万葉集は九州の情景であり、また天智天皇の重鎮の柿本人麻呂の左遷や、宇佐八幡宮の信託事件等九州が重要であったことが明白です。伊勢神宮は関西に色々有る元伊勢特に天武の出生の地で有る丹後の元伊勢を重要視して、桓武天皇が何かのたたりを押さえる為に建立した、地下に😮埋められたものは??天皇家にとって明治期までは重要視されて居ない、重要行事は宮中で行われたのでは?明治以降に国家神道となってからで、橿原神社も明治政府がこの辺だろうと適当に建てたそうですけど?カシノキもないし、福岡の神武墓とされる塚は大君、、おおきんさんとして親しまれているし、妻の玉依姫の塚も近く有るし、樫の木も裏山に今でも生い茂って居るそうです。色々移築された奈良、その後発展した奈良、九州年号までかき消されて遺跡と地名が残るヤマト国の本拠地。

  • @user-cy5sj9hm8d
    @user-cy5sj9hm8d 5 месяцев назад +2

    上之宮遺跡・聖徳太子の自宅跡、から朝日を礼拝すれば、そこに登彌神社がある。参拝の折、二つの本殿があるのが疑問でした。

    • @kamitabi
      @kamitabi  5 месяцев назад +1

      シンプルな進行であった社が、様々な事情で現代を迎え
      訪れた方は、駒板の案内でそれが事実と受け入れる。
      聞けば答えて頂ける神社であれば良いのですが... 複雑です。
      コメントありがとうございます。

  • @user-lu3jr4wr1c
    @user-lu3jr4wr1c 5 месяцев назад +2

    貴重なインタビューありがとうございます。ご存知かもしれませんがTolandVlogさんで超詳しく考察されています。ご参考まで。

  • @bobuGsan
    @bobuGsan 17 дней назад

    饒速日と磐余彦は本当に同じ天津神系の出身だったのでしょうか?
    あるいは同じ時代に存在していたのでしょうか?
    先代旧事本紀では饒速日を天火明命と同一神としていますが、新撰姓氏録では別の神であり、饒速日は天孫では無いとしています。

  • @user-uy8ov7kt4d
    @user-uy8ov7kt4d 4 месяца назад +2

    糸島市井原1321番地と西堂に須賀神社があり、どちらも、素盞鳴命が祭られています。平原王墓遺跡の鳥居が、高祖山を向いているという事は、高祖神社に祭られている神霊から、被葬者の天照大御神を拝する様に作られたと考えられます。高祖神社の祭神は、五十猛命と玉依姫命です。玉依姫の、玉とは魂を意味しており、先祖神の魂の依代となる姫、と言う意味です。つまり、シャーマンです。豊受大神の妹の玉依姫命に、死後も、高須神社から、天照大御神を斎き祀る様にしてあるのでしょう。大日霊女貴命、豊玉姫命、玉依姫命。すべて日巫女であり、シャーマンです。

  • @user-uy8ov7kt4d
    @user-uy8ov7kt4d 5 месяцев назад +1

    素戔嗚命は、饒速日命ー神武天皇の父親です。大物主神は、饒速日命です。奈良県の大神神社に祭られています。

  • @hiroyukit6718
    @hiroyukit6718 5 месяцев назад +1

    出雲東西家やスサノオの正体や物部氏との対決など、尽きないですね。
    道鏡や楠木正成も物部族であったとすると、古代から対決が続いてたのかとか、ロマンに溢れてますね。

    • @kamitabi
      @kamitabi  5 месяцев назад +1

      学校教育では熱が入らなかった筈の歴史が、神旅を初め、その時間を後悔する日々を過ごしております。
      締切に追われる作家さんの気持ちが痛いほどわかる毎日ですが、充実しております。
      特に我が国の太古の歴史はロマンに満ち溢れております。
      どうぞ、これからも神旅をご一緒して下さい。
      コメントありがとうございました。

  • @user-fw5jy1zf7y
    @user-fw5jy1zf7y 5 месяцев назад +3

    ニギハヤヒは
    徐福が九州で自称した名前。
    徐福(ニギハヤヒ)の九州に残した子孫が
    彦ホホデミ命~の
    物部王家。
    この物部王家が
    出雲~大和の同祖(徐福(彦ホアカリを自称))
    親戚(彦ホホデミの異母兄の五十猛。改め海(アマ)香語山命の子孫)
    大和王国海王朝に
    1世紀末と3世紀末の二度にわたり侵攻した
    話を
    脚色しておとぎ話にしたのが
    神武東征神話。
    ところで紀元前の大和、奈良盆地は
    水浸し。
    広大な古奈良(大和)湖が満々と湖水を湛えてた事が
    考古学や古地理学等により
    既に明らかなっています。
    古事記等は
    奈良盆地が神話にした古代には水浸しだった事を失念(知らなかった)する大失態をヤラカシてしまいました

  • @user-bt6tm4yl2q
    @user-bt6tm4yl2q 4 месяца назад

    3.400年間の出来事をギュッとした感じですかね〜?

  • @user-uy8ov7kt4d
    @user-uy8ov7kt4d 5 месяцев назад +1

    神武天皇は、天照国輝彦天火明櫛玉饒速日命です。京都の元伊勢籠神社の祭神です。神武天皇の兄の五瀬命ー五十猛命の孫が、神日本磐余彦命です。これが、崇神天皇です。神代文字を読むことが出来た稗田阿礼に元の古文献を読み上げさせて、太安万侶が内容を書き換えてできたのが古事記です。古事記や日本書紀は、真実でないことが多々あります。だから、欠史八代というのです。綏靖天皇から、開化天皇までは架空の天皇という意味です。藤原氏は、天児屋根命の子孫ではありません。百済の人間です。天智天皇も百済の血を引いています。藤原氏は、天皇家の祭祀権を獲得する為に、天児屋根命の子孫と偽っているだけです。伊勢神宮内宮の祭神である饒速日命ー火明命ー神武天皇を、志摩市の伊雑宮に移して、天照大御神を内宮に祭ったのです。神日本磐余彦命の父は、鵜草葺不合命です。志摩の伊雑宮に火明命ー饒速日命が祭られているのに対して、宮津市の元伊勢籠神社が裏の志摩です。京都府与謝郡に浦嶋神社があります。元伊勢籠神社の系図は国宝で、火明の命ー神武天皇が始祖として書かれています。

  • @user-uy8ov7kt4d
    @user-uy8ov7kt4d 4 месяца назад +1

    三輪山の元の神は、倭国香媛の祭る龍蛇族の久那斗神でしたが、豊鍬入姫命が、この神を封じ込めて、三輪山に饒速日命を祭りました。どちらの巫女もシャーマンですが、豊鍬入姫命の霊力の方が強かったのです。倭国香媛は、第3代安寧天皇の曾孫で、第7代孝霊天皇の第3婦人です。別名は、オオヤマトクニアレヒメーハエイロネです。豊鍬入姫命は、崇神天皇ー神日本磐余彦命の娘です。三輪山に本殿はありません。神名備型で、山そのものが御神体です。出雲族は、大神神社で、三輪山に久那斗神を祭って来ました。神日本磐余彦命が、大和へ来て崇神天皇となってから、国中で疫病が流行り民の半数くらいが命を落とした為、宮中に祭祀されていた天照大神ー饒速日命と、倭大国魂神ー大国主命を、外で祭る事にしました。天照大神を、檜原神社に、倭大国魂神を大和神社に祭ります。豊鍬入姫命は、檜原神社で、三輪山に饒速日命の御霊を33年間祭り、21年間掛けて、丹波、大和、紀伊、吉備を巡行し、檜原神社へ戻り、続けて奉祀します。その後、垂仁天皇の娘の倭姫命が代わって巡行し、伊勢神宮内宮に饒速日命を祭りました。天照皇大御神と皇が付いているのは、饒速日命です。天照大御神は大日霊貴命です。

  • @user-uy8ov7kt4d
    @user-uy8ov7kt4d 4 месяца назад

    大国主命の長男の建御名方命は、健御名方富神ー天香語山命ー綿津見大神です。綿津見三神として祭られています。底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神です。福岡市の志賀島にある志賀海神社の祭神です。本殿横に、孫の鵜草葺不合命が住吉三神として祭られています。底筒男命、中筒男命、表筒男命です。その隣に、鵜草葺不合命の母親である豊秋津市姫ー宇迦之御魂神ー豊受大御神を祭った稲荷神社があります。豊秋津市姫は、3つに分けられた別名は、神直日神、大直日神、八十禍津日神です。糸島市の櫻井神社と福岡市の警固神社に、この御神名で祭られています。又、その隣は、建御名方命の父親の大国主命が少彦名命ー事代主命と共に祭られています。素盞嗚尊や天照大御神も、祭られています。本殿の外に出ると、猿田彦命が大山津見神として祭られています。階段を降りて行くと、龍蛇族の神であるクナト神が祭られています。鳥居を出ると、猿田彦命が祭られています。猿田彦命は、底度久御霊、都夫多都御霊、阿和佐久御霊という海比良夫貝に挟まれて水中で没する時の状況を表した別名があります。名前を3つに分けられた神は、記紀おいて、非常に重要な役割りを果たした神であり、呪詛の一種として葬りたい隠された神です。宗像三女神は、市杵嶋姫一人に、多紀理姫や多岐都姫を追加しています。福岡市博多区にある総本宮の住吉神社へ参りますと、本殿は鵜草葺不合命です。その隣の稲荷神社は、母親の豊秋津市姫を祭っています。その手前の小さな摂社が、船玉神社です。船戸神ークナト神を祭りたいところですが、代わりに、猿田彦命を祭っています。この住吉神社は、天皇家の使者も来るので、クナト神は祭れません。猿田彦命は、鵜草葺不合命の種違いの弟である瓊瓊杵命の嫁の父親です。その横は、鵜草葺不合命の祖父の建御名方命ー綿津見三神を祭った志賀神社です。本殿を出ると、右手に少彦名神社があり、事代主命を祭っています。左手で少し離れた池の中に三日恵比寿神社があり、事代主命が祭られています。出雲国譲りの時に、呪詛をかけて、海で入水してあの世ヘ旅立ったので池の中に祭られています。だから、恵比寿は鯛と釣り竿を持っているのです。正面の鳥居を出て、道路を渡ると、神社の飛び地に、池があり、天津神社があります。淡路島で悔しい思いをして、なくった伊邪那岐命を祭っています。住吉神社は、出雲族の神社ですから、敵方の国王は、神社の外に祭るしかないのです。神主は、朝夕、天津祝詞を奏上して、皇御祖神伊邪那岐命。筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓い給う時に生座せる、と申し上げているのに、このような扱いになるのです。筑紫は、福岡市西区です。日向は、ヒナタと読み、橘ー立花とは高い峰を表し、又、くしふる岳もあります。福岡市早良区から糸島市にまたがる日向峠があり、そこから日向川を源流とし、室見川が福岡市西区小戸へ流れていきます。阿波岐原は、海水と淡水が交わった所を意味します。ここで、伊邪那岐命が禊ぎ祓いをしたのです。日向峠の麓ー西区吉武には三種の神器の出土した吉武高木遺跡があります。

  • @user-dj6xu4zb2l
    @user-dj6xu4zb2l 5 месяцев назад

    強いて言うなら
    考え方の学校 Yoshi Sun TV
    良いっすよ
    (´・ω・`)オススメ RUclipsr

  • @kouseiyamada1402
    @kouseiyamada1402 5 месяцев назад +1

    御祖と言うと、アメミナカヌシでしょうね。皇祖と言うと、ちょっとややこしい。現在の16菊花紋で言うと、高皇産霊といってもいいでしょう。12菊花紋でない以上、天照大神とは言えないです。この天照大神ではない、別の天照大御神が現在の皇祖であると言うのであれば、そうですかと言うしかないが、その正体は菊花紋で推して知るものとしか言えませんね。16菊花紋と言うのは多くの系統があるので特定は難しいです。しかし、全ては国常立大神の血を継ぐと言えば、同じとも言えます。

    • @kamitabi
      @kamitabi  5 месяцев назад

      ありがとうございます。
      神武天皇が皇祖神を祀った霊畤...
      この時に何方を祀ったのか?に限定したものです。
      大嘗祭の原点ともされますが、果たしてどうだったんでしょうか?という疑問になります。

    • @kouseiyamada1402
      @kouseiyamada1402 5 месяцев назад

      オオナメエ(大嘗祭)の記録が登場するのは天照大神の時なんですよね。イサナキの前のヤマトの時代は、割と木ノ実が主力でしたので。案外、植樹だったのかも知れませんね。一応、イサナキや天照大神はタ(田)の系統の人達なので、田植えになっただけで、地面に鋤を入れる儀式がルーツだったかも知れませんね。

    • @kouseiyamada1402
      @kouseiyamada1402 5 месяцев назад

      因みに、ホホホ神事と言うものも有った様ですが、現在の皇室では行われていない様です。

  • @asa01053
    @asa01053 6 месяцев назад +3

    とやまなぶ、さんの本持ってます😂

    • @kamitabi
      @kamitabi  6 месяцев назад +1

      戸矢学さんファンが集ってきましたね。

  • @seiji5431
    @seiji5431 6 месяцев назад +13

    九州の筑紫の日向ではありません。古事記に筑紫ではなくて竺紫と記載ありますよ。竺紫の日向は徳島県阿波の橘湾の小戸地区辺りです。阿波には宇狭も岡田も阿岐も地名であります。宇佐ではなくて宇狭です。安芸ではなくて阿岐です。古事記に記載してる通りの字です。

    • @kamitabi
      @kamitabi  6 месяцев назад +5

      ありがとうございます。
      阿波も勉強修行中、頑張ります。
      遠征しかねておりますが、四国は数年間、車で一月に半分は出張していた経験があり、下道で一周制覇も致しました。今は、その衝動を押さえての投稿です。歯痒いとは思いますが、長い目でご覧いただければ幸いです。