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段取り8分、仕事2分 ビジネスや現場工事でよく言われることですが戦争も同じなんすね。
強い戦国武将は段取りが上手いですね☺
兵は乱取りの方が好きですけどね。
信長は特にその傾向が強いから自分から仕掛けた戦は用意周到
この戦は、創作よりも史実の方が面白いかも😊
絶望的に不利な盤面を作られながら織田徳川軍の2割を削ったのは、武田軍の烈火のような強さが現れてると思います
史実もちゃんと学べばおもしろいですよね☺
@@dearurin面白くねえよ
@@ほうちょくそれは!Youが☆BAKAだから❤
@@ほうちょくそれは!Youが☆🐴🦌だから❤
その他にも地形を利用してそんなに大軍でないように見せかけ兵力差をわかりにくくし、決戦を決意させ設楽原に誘き出したという説を聞いたことがあります。鳶ヶ巣山砦が奇襲で陥落し退路を断たれたため、少々無謀でも突撃せぜるおえなくなったとかありますね。
あとは酒井忠次の隊が、500丁ほどの鉄砲を配備してたから織田軍の鉄砲が少ないと判断したからだ、とかってのも聞いたことあります
他にもいくつも織田・徳川軍の作戦があって本当に緻密に計算されていると思います☺
突撃せざる、を、得ない
最近お正月休みで遊びに来た小学校低学年の姪に私が子供の頃の伝記漫画「学研まんが人物日本史 織田信長 乱世の戦い」を読ませてあげたばかりなので、(こちらも古いだけあって旧来の説準拠の三段撃ちを史実かのように解説してました)もうちょっと大きくなってまだ歴史に興味があるならこの動画見せてあげたいと思いました!私も武田家を朝敵扱いして武田勝頼に大膳大夫の官位を継承させなかったり経済力の差で織田家が圧勝した程度の知識はぼんやりとありましたが、ここまでわかりやすくしっかり教えていただけると勉強になります。負けるべくして負けた勝頼ですが、愚将扱いせずリスペクトする信長公もいいですね。信長公が勝頼の首を足蹴にしたと書いてるのは『常山紀談』でしたか…作者は関ヶ原で岐阜城を落として織田弾正忠家宗家を潰した一人である池田輝政の子孫が治める岡山藩に仕えていたと思うとなんかモヤモヤしますね😮💨リンちゃんはこのまま信長公とディープな戦国解説をする歴女JKの星として輝き続けてもらいたいものです。
のぶちゃんのリスペクトは素晴らしいですよね
三河物語には信長が勝頼の首をみた時には、勝頼を称えて同情するような歌を詠んだとありますからね😢勝頼の首を足蹴にしたなんてひどい創作です!
江戸時代を通じて信長の評価って低かったらしいから、現代に伝わるなんやかんやの粗暴な振る舞いはその頃に創作されたものなんでしょうね
ありがとうございます!
こちらこそご視聴、スパチャありがとうございます🙇♀サクッと短時間で楽しくて豆知識になる動画づくりがんばります
まさに孫子の「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」ですね。織田軍は準備の段階で勝ちの確定演出が出ていたもよう。
桶狭間以外では、必ず勝つ算段がついてから戦っていたと聞いたことがあるので、根は慎重な戦略家なんでしょう。美濃を陥落させるときも、まずは東西の斎藤氏に従っている豪族を手なずけたい、ということで彼らを手なずけてから岐阜城を狙ってます。やはり手堅いです。
信長は本当に戦いの前の準備がすごいです☺
@@hirohiro1770 近年では、桶狭間ですら一か八かの逆転劇ではなく緻密な情報戦略で勝利したって見方もあるからね。あと敗戦しても敗因をしっかりメタって再戦してるところも勝ちを拾う要因になってると思う
@@dearurin頭いいからね。
負けの気配を誰よりも早く見て取って、手遅れになる前に逃げるところも凄い。孫子も『誰もが見えるものを見えることを目が良いとは言わず、誰もが見通せないものを見ることを目が良いと言う』って言うし。
武田軍の火縄銃の弾は銅そして徳川軍の前には馬防柵があまりなく、そちらでの歩兵戦がかなり激しく行われていたとか
武田は長篠の戦いの前に領内で銅銭を回収して銃弾に使った記録がありますね!銅は加工に手間がかかるので銃弾には向かないはずなので、それだけ武田の厳しかった事情がうかがえますね☺
設楽が原で見つかった鉄砲の弾に鉄製のものがあった と見かけたことがあるので、弾に使えそうな金属は色々使ってた可能性もありますね。 鉄も弾に加工するのは面倒な金属ですが、それだけ切羽詰まってたのでしょうか…
歴史に疎い私がこのチャンネル「であるりん」の虜になったのは…Why?
コメント、スパチャありがとうございます🙇♀オマケ的にひと手間かけた背景とか風刺とか親父ギャグでしょうか…🤔
@@dearurin それはですね、りんさんや信長公の声も好きだし話し方や話すテンポも聴いてて心地良いからです♡親父ギャグに関しては「また何か変なギャグ言ってるなw」くらいで聞き流してますよw いや好きですけどw
(*´ω`*)❤❤❤❤
武田が負けた理由として研究者中で言われているのが、石高から見る経済力の違いと言う説がある。武田はあれだけ領地を持っていながら石高は少ない、その反対に信長が支配していた領地は石高が高いうえ経済拠点の大阪、堺を治めている利点があり。そこから更に鉄砲等を造る拠点や火薬や火薬の元を手に入れ安いと言う利点も存在した事が有利に動いたと言う話もある。前の戦争でアメリカと日本が戦争をして負けた理由と同じで、アメリカは経済力があり、資源も豊富に自らの地で有り、武器や兵器を大量生産が可能な生産システムが存在している。まさに、「戦争は数」とは真理を突いた答え。
信長が地形を活かして兵を上手く隠したので、武田軍は織田•徳川連合軍が自軍の倍以上の軍勢とは思ってなかった、という話も聞きますね。
いつの時代も経済力がものを言いますね( ゚Д゚)
鉄砲の鉛玉も東南アジア採掘の鉛が大量に輸入されていたそうですね。
最後まとめてくれるのめっちゃありがたい!!勉強になります!😊
よきアドバイスありがとうございます🙇♀今後も最後まとめるように気をつけます!
普通に勉強になる回
ありがとうございます☺
知らんかった事が沢山あった。凄く勉強になります。
励みになるコメントありがとうございます🙇♀この動画を見て下さる方の豆知識となれば幸いです✨
りんちゃんの親父ギャグで猫が逃げるの細かくて良いw勝頼は近代的な近畿周辺の大名を参考に改革をしていたが家臣には相手にされなかったようですね下手に勝ち続けていた組織を改革するのは勝頼じゃなくても難しいでしょうね信長も最初はうつけ者スタートですし
ねこって分かっていただけて嬉しい❤勝頼が勝ち上がるにはあまりに条件が悪かったですね🥲諏訪家が最後まで勝頼のために戦ったことは私の中で救いとなっています
山県昌景や馬場信春、内藤昌豊ら重臣達は撤退を主張したという従来の説だけではなく、彼らも決戦に賛同した、むしろ彼らが主戦論者だったという説も聞いた事ありますね。当主の意見を通しやすい環境だった織田家とかと違い、武田家は豪族達の連合体という政治体制。 そんな中で信玄からの権威付けや権力移譲が不十分な勝頼が小説とか漫画とかであるように御旗楯無を持ち出して決戦を強行なんてできないでしょう。武田家家臣達も名門意識や独立心、領土欲が強かったらしいし、そんな彼らが守護代の家臣筋の織田や三河の土豪出身の徳川という素性が怪しく卑しい格下の家柄の相手に戦いもせずにのこのこ撤退する事を主張するのか?と思います。彼らも陪臣や領地の民の生活を預かる立場ですから、何としても恩賞は欲しいでしょうし。それでも撤退を主張したのなら、その理由は自分が死んだ後、自分の息子や養子が領地や城などの既得権益をかつて武田と敵対した諏訪の血を引く勝頼派の家臣達に奪われるかもしれないと恐れていたからではないかと思いますね。
昔NHKの歴史ものの番組で再現実験をやってましたが、武田軍記の三段撃ちではなくて、同じ3~4人一組で三丁の火縄銃を使うところは変わらないけど、一人が柵の前に張りついて撃ち方となり、残り2人が火縄銃に次々に弾を込める込め方とわかれ、撃ち方に装填済みの銃を次々と渡す方法がベストだという結論でした。人間が交代する方式と違い、撃ち方は常に戦場を見ているので次の標的を狙うまでのタイムラグが短くなり、より発射ペースを高く保つことができます。
鉄砲を撃つ人と弾を込める人が分かれていたのは有名ですよね☺
素晴らしい!逐一、「根拠」をあげて結論に持っていく!疑問があれば根拠を見つめ直す!政治家の討論も見倣ってほしいです!
やはりこの動画は、歴史に身を借りた現代政治批判ですよね😁
近いうちに裏金作りに励んでいる政治家のところに信長と帰蝶で遊びに行く予定です😆
@@dearurin おお❗期待しております😃
多くの日本人が戦争を語る時に先ず戦術が出るが、戦争の基本は経済活動と兵站で、刃を交えるのは本当に最後の最後
信長のすごいところは政治と経済で圧力をかけるところですよね☺
あと、秀吉ですらまんまと引っ掛かってしまった武田の陽動作戦を竹中半兵衛が完全に見切ってしっかり対処し不発に終わらせたのも大きかったと思う。
竹中半兵衛も魅力てきな人ですよね☺
@@dearurin物語はほとんど江戸時代の軍記物語だ、信長公記の記載はほとんどない
私は、色んな歴史の動画を見ますが、この方の動画が一番面白い尊敬してます
国際日本文化研究センターの磯田道史教授が「英雄達の選択」の中で「歴史は更新されるもの。」と仰っていましたがそのとおりだと思います。
本当にその通りです☺
「三段撃ち」ですが兵士が「三列に並んでいた」のは事実で、鉄砲を撃っていたのは「最前列の兵士のみ(鉄砲の使い手のみ)」、後列2つは「掃除したり、弾や火薬を装填する係」だったようです。この時、「3人一組」であり、鉄砲も2~3丁が配備されていたようです。経済・準備・補給に関しては、織田信長は戦国時代最高の「ロジステックの超人」なので、戦略面で圧倒していたのが。当時の命中率ですが、名手である「明智光秀」ですら、6割前後だったそうです。そりゃあ「数」が必要になりますよね・・・
丸い弾丸はナックルボールの様に⚾️7〜80m過ぎたら何処に曲がるか分からなかったみたいです😢
弾の装填に時間がかかる火縄銃だと鉄砲が上手な人がずっと撃って、弾の装填を他の人に任せるのは合理的ですよね☺
狙撃手と助手で役割分担を行い射撃間隔を短くする。これは石山本願寺をはじめ一向一揆勢が籠城戦で得意とした戦法で、信長はこれに散々苦しめられた苦い経験があります。信長のことなので「これを野戦にも転用できないか?」と考えた結果、長篠の鉄砲三段撃ちが生まれたのでしょう。
それな。この3段構えだと鉄砲の射撃に精通している職人(正社員)が千人おればよく、あとは銃なんか扱ったことのない足軽(派遣・バイト)を集めて「銃の掃除」「火薬・鉛玉の装填」「それらの補給作業」など担当を振り分けてそれだけを教えれば事足りる。火縄銃の射撃を会得するにはある程度の期間・お金が必要だが、掃除や装填の練習など1日あれば十分。いかにも信長が思いつきそうで、現代の工場のライン作業にも共通する合理的な方法だと思う。
これは勉強になる。三段撃ちは無かったんじゃなくて、意味を誤解していたのか。
その可能性もあると思います☺
そんなこと知ってるリンちゃん超絶魅力的です!!
ヽ(`▽´)/❤❤❤❤ありがとうだいすきー
@@dearurin✨😍✨
これは有名の話。実は騎馬隊が突っ込むときに、織田の鉄砲隊もかなりの数がやられたとか。武田の騎馬隊はかなり善戦したと言える。ただやはり多勢に無勢。半分の兵力ではやはり倒すのは難しい。戦略的に負けていたといえるな。
兵力と物量が違いましたね(; ・`д・´)
大河ドラマの「麒麟がくる」の序盤はあんなに鉄砲に執着してたのに長篠の戦いのシーンが全くなかったのは残念でした。
もう少し明智鉄砲軍団について観たかった気持ちはありますね😢
いつも勉強になります😊歴史のお話は面白いですね~譜代一門衆筆頭の穴山梅雪がもっと協力的なら痛み分けで終わったか可能性も?
穴山以外の譜代の家臣がもっと強力的であれば( ゚Д゚)
@@dearurinそれは信玄が悪い。中央集権を邪魔するための神輿にされたままで旧態然とした軍制を改革できなかったから諏訪殿があんな結果に・・・
そうなのか。非常にわかりやすく、最新の説としてワクワクします。三弾打ちの意味もよくわかりました。鉛鉱山の話しもドラマなんかでは出てこないですから。、
ありがとうございます🙇♀ドラマや教科書であまり取り上げられない史実をたくさんの方にお伝えしたいです❤
鉄砲三段撃ちはやってみるとただただ大変なだけでした。大量の鉄砲で乱射が1番効率的でした。
撃ったんですか(; ・`д・´)
@@dearurin ゆるーい火薬詰めただけのなんちゃって空砲ですけど、まあ重いし火薬もこぼれるしで。
リンさん、鉛の件で突っ込まれるぞと言われたあと、落ち着き払って話題をさらっと変えるスキル、さらにはオヤジギャグ、たしかに怪しい😂もう誰の本か忘れましたが真面目な歴史に関する本(小説でない)で昔の解釈の三段撃ちを発明した織田信長は世界でも稀有な着眼点と書かれていたのを思い出す。。。
素人でもちょっと調べればわかる事を間違った説明している自称専門家にはびっくりです( ゚Д゚)
勝頼って実際戦に弱い訳じゃないからなぁ…というか長篠の戦いの勝因に、そもそも数の差が2倍ついてた所は書かないのか
結構若くから武勲あげてますし、高天神城落としてるくらいですもんね。
@@佐藤いん乱神楽信玄が落とせなかった城を落したのは勝頼好きの中では有名ですね
勝頼は東美濃の砦を次々と落として信長の救援軍が来る前に華麗に撤退してのけてるからね。これを見たあの上杉謙信が驚愕して信長に勝頼を甘く見るな、放っておいたらとんでもないことになるぞって忠告してるくらいの勢いはあった。長篠まではまさに快進撃だったんだよね
そもそも兵の数が違うというのが大きいですね☺
@@Hato-rp4fxあとあと致命的な形で返ってくる
ノブは戦に負けても退却、リベンジ出来たが、勝頼は出来なかった。ノブの失敗は嫡子に負け戦を教えられなかった事、リベンジの大事さを伝えられなかった事。
本当に信忠が退却する事の大切さを知っていたら・・・でも父親譲りな気もします( ゚Д゚)
あと信長さんと勝頼さんの明暗を分けたのは、負け方の上手さもあるかと思っております。😅
これが本当なら、信長は第二世界対戦の司令官よりも、ずっと優秀な司令官だと思います。
ずっと優秀です☺
初めて知った内容でした。玄人っぽい歴史知識と、独特の絵柄とセリフ。最高ですね。
ありがとうございます🙇♀サクッと短時間で効率よく豆知識になるチャンネルを目指してます!
勝頼ファンでは無いけどフォローしたのは、素晴らしい。勝頼は戦は上手かったし、信玄の負債を背負ってのマイナススタートで可哀想だと思ってました。そもそも江戸時代での石高で推定して、武田は織田の3分の1以下。
信玄に負の遺産残されすぎましたね🥲諏訪家が最後まで勝頼のために戦ったことは私の中で救いとなっています
武田家臣団の中では、勝頼は、諏訪の人間だつたのですね、たぶん。 家臣達は、自分たちは諏訪家家臣団ではないという意識がモヤモヤとあつたのかもと思います。おまけに、信玄は、自分の死後の準備が充分でなく、勝頼は武田家の中継ぎみたいな位置付けになつて、跡を継ぎましたし。
戦国時代の戦いの解説みんな調べて特集やって欲しい。面白い!面白すぎる。
初めまして、りんさん。楽しく動画を見させて頂いているファンの1人です😁今回の動画も、茶の湯の話も大変楽しませて頂きました。今回の長篠の戦いについてですが、私の愛する漫画「信長のシェフ」という漫画にもこの戦の詳しい解説が載っていますよ😃信長好きの私としては一推しの漫画で、りんさんにも正直お勧めしたい本です!りんさんには、「戦国時代の食」という動画も作って頂きたいです!!繰り返しますが、「信長のシェフ」、とても面白いですよ!!
信長のシェフに加え信長の忍び、そして新気鋭の戦国小町苦労譚なんかはちゃんと調べてあって良い感じ
信長のシェフも読んでみます☺
それは嬉しいです!物語はもう終盤ですが今から読んでも遅くありませんよ!!😆
@@かわせみ-c4f むしろ出揃ってるからこそ「あくしろよ」みたいなのがないのが魅力w史実はケンなしで凌いだってのが信長マジ升
少し前に歴史探偵でも特集されていましたね。結局長篠でぶつかるのは避けられなかったのでしょう。
あっけなくではなく、8時間も戦闘している、あの関ヶ原の戦いより、長い。
この二人組見てるとなんか落ち着いてくる☺️
ありがとうございます🙇♀戦国や現代をこれからも仲良く語り合って、見て下さる皆様といろいろ考えていきたいです☺️たまに江戸時代なども…🤔
映画「影武者」は名作です。織田信長がかっこよすぎ!
本来の主役の勝新太郎は監督とケンカして降ろされて仲代達矢に代わったけど😅
GACKTさんが映画で織田信長演じられるようですね👀
三段撃ちは、江戸期の書物から出て来たらしいですね。あと、南側から迂回して、後方に突撃したと言う説も有りますね。
甫庵信長記という江戸初期のファンタジー創作物語ですね(; ・`д・´)
騎馬突撃はヨーロッパでも鉄砲の戦列歩兵を砕く事は普通。騎馬突撃はマキシム重機関銃が普及するまでは第一次世界大戦前期まで有効だったしねーただ、信長は馬防柵と突撃ルートの固定が1番の勝因なんだよなー
やはり、敵の経路を制限するというのは大きなポイントですよね。如何に我の有利な状況を作り出すか、戦争って、段取りが九割ぐらい重要なんじゃなかろうか。
信長は勝つ状況を作り出してから戦います☺
戦の勝敗は準備でほぼ決まる、という言葉を聞いた事がありますが、まさにそうですね❗️🤔
はい☺️信長は戦の前の準備がすばらしいのですよね〜🙄
どちらにしても3段にして高低差の上段から狙い撃ちとか今のゲームでも使われる上段を取ったほうが有利というのを信長が知っていたと言うことだよな
知ってたんですね☺
武田も交易ルートの重要性は重々承知していて、だから執拗に(当時国内最大級だった)直江津の港を狙ったんだけどな。そっちには軍神様がおるんで奪えなかった。次善の策として今川の弱体化につけこんで江尻(現在の清水)を奪ったんだが、ここを穴山梅雪に与えたのが不味かったな。梅雪はもともと多数の金山を管理していたし、そこに港湾権益もプラス、さらに血筋でも勝頼に引けをとらないほど武田宗家の血が濃い。こうなると独立志向を強めるのも自然な成り行きだった。
穴山に与えるのではなくて、山県昌景や馬場信春、あるいは勝頼に転封という形で与えるか信玄が躑躅ヶ崎館から拠点を移して直接支配するのが良かったかもと思いました。
穴山の行動もいろいろ思うところあっての事でしょうね😢
@@峻-k5kおう、マキャベリの言うところの占領地の押さえ方ですね『本拠地を占領地に移す』
面白そうなので、もとになる資料が知りたいですね。
武田軍の情報については武田の陣立書や軍役定書、鉛不足のため銅を臨時で使う事を決めた書状が残っており、平山優先生の「武田三代」という本にわかりやすくまとめられています☺
長篠の戦いの勝頼の狙いが鉛鉱山なのあまり知られてませんよね。たしか武田滅亡間近だと鉄砲の玉に銅を使ってたって聞いたことありますが。
勝頼は銅銭を溶かして鉄砲の玉にしていましたけど、それでも足りなかったみたいですね😢
いつも楽しいお話をありがとうございます。勝頼がこの戦いで残した手紙には【今、織田、徳川は我ら武田軍を恐れて出てくることが出来ない。】と言った余裕綽々な内容が残っています。勝頼は優秀な武将ですが、若かったのだと思います。織田や徳川は勝頼のそんな若く血気盛んで真っ直ぐな性格も見抜いて、武田軍が出てくるまで待っていたのでしょう。
前日に、長篠城を攻略してた武田軍に、別働隊の酒井忠次が横合いから邪魔し、さらに武田の退路を断ち、正面突破しかないという決断に持って行かせたのも大きいと思います。
勝頼に勘違いをさせるのも信長の作戦だったのだと思います☺
経済力の差的にこういう形で決戦して織田・徳川に打撃を与えられるのは最初で最後のチャンスだったってのも勝頼の心情にはありそうそこを信長の経済・戦術で落とし込まれたという形が長篠の戦いだったのかなって
少なくとも朝鮮出兵の時に従来の形に近い三段撃ちがあり、明が運用方法を日本の捕虜から聞き取り採用した記録が残ってたらしいです。最近はもしかしたら三段撃ちはあったのではという説もあります。結局、何があったか分からないですね。
ちょっとイメージしてみたのですが、防御正面幅に対して十分な鉄砲数があれば、何も統制して射撃タイミングをそろえなくても、各個に撃つ、下がる、次弾の準備、出る、撃つを繰り返せば、連続的に射撃可能にできそうだから、無理に統制して射撃中断の時間帯を作ってしまうのは、ヒョッとして逆に敵の前進を許してしまう可能性があるのではないかと思いました。真実は分かりませんが、戦国武将も皆それぞれ知恵を引き絞って勝ち目を見いだして戦争に臨んでいたってことだと思います。
歴史はわからない事ばかりです☺
アニメ化したら入りやすいですね。東條さんの頭みたいに織田さんの頭ペチペチ親しみ込めて。織田さんって近代的な戦い方なのがわかってよかったです
サクッと短時間で楽しく知識にもなっちゃうお得なチャンネル目指してます💛
あと酒井忠次が武田の砦を落として戻れないから突撃したって聞いたことある
補給線を断たれて、敵の前から撤退するには一当てして撤退か、敵陣突破して迂回しかないように仕向けた上での野戦築城、陣城で待ち構えるって詰みをされているからね。
@@清一色-u9t これらの話を聞いて、もし酒井忠次隊の方に向かおうとしたら、設楽ヶ原の織田・徳川軍の本隊に背を向ける事になるから、もしかしたら酒井忠次隊と織田・徳川軍本隊に挟み撃ちにされてしまうかもって思いましたね。
なお、信長は後方にいて戦ってたのは息子の信忠で、信長の静止を聞かず破竹の勢いで武田を打ち破っていたという
やっぱり畿内・伊勢・敦賀の港を押さえてる信長に経済封鎖されたら西側からの流通も滞るよね…きっちり戦術以前に戦略的にも勝ってたんだね…というか俺も時間差つけて交代交代で火縄銃3段構えで騎馬隊撃たれまくったと1h前まで思ってたよw
強い戦国武将は戦いが始まる前の根回しがすごいです☺
三段落ちを提唱した人は鉄砲の運用法をあまり熟知してなかったのでしょうね 鉄砲手と装填する 係が分業していたというのが最近の定説みたいですし
銃の上手な人は装填は人に任せてずっと撃っていた方がいいですよね☺
馬防柵の三段構えでした!
三段構えです☺
長くなったと言いながら8分引き延ばしもしないところが潔くてステキです。
ありがとうございます🙇♀❤サクッと効率よく豆知識になるチャンネル目指してます
第二次大戦でも武蔵以降戦艦を建造せず大和級を空母にしたり伊勢級を航空化しマリアナ沖海戦までずーっと空母主導の作戦で事が進んでたのに「日本は大艦巨砲主義だから負けた」とか宣うくらい通説が滅茶苦茶だし戦国時代なぞさもありなん
ここのコメ欄にも、補給を疎かにしたから負けた説を推す方々か…日本は補給したくてもできなかったんや…アメリカが封鎖してきたから…
日露戦争にしても太平洋戦争にしても本当に勘違いは多いですね😢
@@dearurin 今でも牟田口は「兵站無視の愚将」って言うのが通説ですが兵站を理由に真っ先に待ったをかけたのが他でもない牟田口それを了承し140個自動車中隊を用意し、到着と同時に攻撃としたが海軍が輸送に大失敗し100個中隊分の運搬車喪失3軍団が集結済みでインパールの要塞化されたら終わりなので中止も延期も出来ず作戦開始・・・が真相だったり
戦場で芸者遊びしてる人はちょっと・・・
@@一柳和明-n9j まぁ芸者を乗せた船だけは守った海軍に言えwそもそもインパールのきっかけが珊瑚海海戦で空母を渋るわ第一次ソロモン沖海戦で三川艦隊が敵輸送船ガン無視で帰るわの舐めプを重ね絶対国防圏を突破されたのが始まりだし
この動画とんでもないな!めっちゃ勉強になるやん👍👍👍
サクッと短時間で楽しくて知識にもなる動画を目指してます❤励みになるコメントありがとうございます🙇♀
やっぱり戦争は経済力だな武田も金山から金が出なくなって衰えた説もあるし
戦争は数だよ、兄貴!
今も昔も大事なのは経済ですね☺
三段の馬防柵一部で突破されてたとNHKであった鉄砲は三段で撃つのでなく操作に個人差があるから準備できた者から前に出て打つ方式だったとか
一部突破されてますね☺さすが武田です☺
個人的には、信長が寡兵でもって乾坤一擲の戦にでたのは「田楽狭間の戦い」だけであって、それ以後は常に相手方より多数をもって戦いに挑んでいた事を称賛したい。人間誰しも誇りや見栄があるものだし、自身の成功体験によってしまうもの。だが、信長自身は「田楽狭間の戦いのような奇跡は俺には二度とない。」と己を厳しく律していたとしか思えない。武田の強兵は当時の日本では有名だった、それは武田家においても誇りであり、自信であったと思う。ただ、この時代においては自信が過信にかわっていたと思う。
成功が過信に変わるのはよくある事ですね( ゚Д゚)
局所局所出は上回っていたけど、信長包囲網を一本化した指揮下で動かされていたら数的不利は覆せなかった。軍団の集中+高速運用して各個撃破したから何とか有利な局面作っていたけど。って考えたら、信長、サッカークラブの監督兼スカウティングしたら強いチームできそう(笑)
硝石と鉛と隘路ですかね
最後の勝因の箇条書きに・「そもそもの動員兵力に大きな差があった」という一番わかりやすい要素があっても良かった気がします
普通に戦っても圧倒的な差ですね☺
武田側からしてみれば城攻めも同然なのに兵数は織田の半分ほど城攻めには守り手の3倍の兵数が必要と言われる位なのにこれでは敵陣地攻略は失敗するのも当然
史実回は本当に為に成ります^_^オヤジギャグもチョイ有りで、笑いも有りのオモシロ回😊
この動画が楽しく知識にもなったらなによりです😆ご視聴ありがとうございます✨
大変勉強になりました。三段撃ちとして習った?世代だから色々びっくり、そして納得です。信玄さんがずっと何か言いたげなのが気の毒😅尺の話、考えられてるなあ👏
信玄が長篠の戦いを見たら何ていうでしょうか😢
長篠の戦いは6月で鉄砲だけじゃなくて弓矢も石もあったわけですからね。あと馬房柵の前に穴を掘ってたり、勝頼の手紙に「山城にやられた」って手紙が見つかってますからね
長篠はまるで城のようだったそうですね☺
いやいや、信長様、尺が長くなった分鉄砲三段撃ちの解説は十分に納得で御座る。それにしても鉛が欲しいばかりに、マ信長様の戦略勝ちですな・・・
設楽原の古戦場を実際に見に行くとわかる。馬防柵は武田軍の先鋒(博物館のあるあたり)から見て坂下にあり、遠くから見るといかにも無防備で、一気に突撃すれば突破できそうに見える。しかし、いざ近づいてみると、馬防柵は当時の大人の肩の高さ1mほどの段差の上にあり、「こんなところよじ登って戦えるわけねええ!!」と絶望する。しかも適度に凸凹な丘陵地であり、本陣の勝頼からは馬防柵は見えず、織田徳川軍の兵数も把握しにくく、それでいて全方向に山が見えて甲信の兵に安心感を与えてしまう地形。これらが噛み合って、信長としても想定以上の一方的な虐殺戦になったように思えた。
中世のイングランド軍がロングボウ戦術でフランス騎士団をボコボコにしたアレと同じ感じですねやはり信長さんは天才
天才です☺
ポニーみたいな馬での騎馬突撃はあったことになっているんですね
動画内で言っている50mを4秒で駆け抜けるというのは戦国時代からいた日本在来種の馬の事です☺
@@dearurinさま 在来種の木曽馬なんか見ると、あんな身体で😢と健気さに泣けます。鵯越で、愛馬を傷付けたくないと背負って駆け下りた義経側の武将がいたそうですが、木曽馬クラスなら、何とか担げるかな?😅
光秀と一益は鉄砲がウハウハ使えたから楽しくて仕方無かっただろうな。
織田軍楽しんでる人もいそうですよね( ゚Д゚)
いや~面白くて参考になりました! 戦いの前にかなり工作が進んでいたのですね。
信長は戦の前の準備がすごいのですよね🤔
セヴァストーポリ要塞の戦い(クリミア戦争)とか「それでも突撃しかないじゃない!」ってなって英仏連合軍は約1年の期間と12万人以上の犠牲者を出した(この経験が後に戦車を生み出すきっかけになった…かもしれない)なお日本軍、セヴァストーポリ要塞の上位互換である旅順要塞に対し突撃の陰で爆破工作を仕掛けたり使わなくなった12cm15cm艦砲を長距離砲として有効活用したりした結果2万人以下の犠牲と3か月半での攻略を可能にしたまぁ爆薬も長距離砲も武田にはもっとあり得なかったけれど^q^
その旅順要塞を陥落させた乃木希典大将は、戦後の某小説で無能かつ性格的にも問題の多いクズな司令官に仕立て上げられてしまいました。過去の軍人の功績も無に出来るペンは、やはり剣より強いですね(^_^;)
日露戦争は日本もスパイを使ってかなり狡猾に情報を仕入れていましたね☺
@@えむえむ-f5z 乃木大將は日露戦争後、戦傷兵のための義手開発に私財を投じています。軍人としての能力も人道的な功績も無視されて、乃木大將が現在も愚将扱いされるのは非常に残念です。
@@dearurin 明石大佐に最後の一押しを決められスパイの有用さを実感したロシアがソ連となり第二次大戦で一番有効活用していたのは皮肉
織田軍が数を少なく見せるために兵を隠していたこととか、武田軍は当然不利なバボウサクを避けるためにまわりこんで柵のないサイドを狙って猛攻をかけていたこと、とかにも言及した方がいい。あと、長篠を解放されてて、退路を閉じられていたこと、とかも。
知りませんでした。堺の港を信長が押さえて武田側を経済封鎖していたこと。軍需物資である鉛、火薬が輸入に頼ってたこと。織田軍は斜面を利用した三段の馬防柵で迎え撃ち、武田軍の騎馬隊は沼地で動きに制限があったこと。長篠には鉛鉱山があり、武田軍はこれを求めたこと。太平洋戦争時の大本営も自国の歴史を学んでおればね。
本当に歴史は繰り返します( ゚Д゚)
鉄砲三段待ち構えは、雨天時使えないので勝頼は、雨の日に戦を仕掛ければよかった。武田軍は、弓隊五段連射組を組織して相手の意表を突く。
信長の忍びは細かく表してあるよね。
調べて初めて知りました!そんなアニメあるんですね☺
それでも武田軍が馬防柵を突破しかけたらしい辺り武田軍の強さが伺えますね実際被害が大きかったのはこのあとの撤退戦らしいし
武田軍は馬防柵にがむしゃらに突撃したのではなく、馬防柵を迂回して回り込んだところを包囲されて殲滅されて、それで総崩れになったという説がある。そちらの方が納得がいく。
敵の方が数が多いのに分散させるのはよくないですね(; ・`д・´)
おかげさまで大事なことが記憶に定着しました(^^)オヤジギャクはともかくw 信玄って猫かってたんですか?(^^;
このねこ(創作)は信長さんの城に住み着いてるねこなのですシロって名前でほかの動画にもいくつか出演してます😻
@@dearurin あー!今までも出演してましたね!住みついてるんですか~(^^)
長篠古戦場に行くと後背の山と馬防柵の間に縦三列に並ぶほどスペースが無いことわかるし、後背の山使って3段は納得。というより、互いに数千丁で撃ち合ったほど、残弾が殆ど見つからないという発掘調査が気になりますよね。勝頼はこの後、軍備拡張で版図を拡げても滅んだのは、長篠で小言行ってくれる保守派のじいさんらを失ったからかも知れませんね。
勝頼がこの後ある程度やれていたのは長篠で口うるさいじいさん達がいなくなったおかげという見方も出来ますし、歴史はどう転んだかわからないところが面白いです☺
@@dearurin ほんとそれですね。長篠と言えば「センゴク」の馬場信春が逃がした勝頼を「大きくなったな、ぼん」と見送るシーンが好きです
信長公記に二弾打ちというのは出てくるから、三段打ちはその発展系だと思ってた
鉄砲の数は同じでも鉛と火薬の量がって書こうとしたら動画内で言われてたw勝頼が突撃しなきゃならなくなったのは酒井忠次らが鳶ヶ巣山へ迂回してそこで攻め勝ったのも大きいのでは
他にも信長の様々な戦術があったのだと思います☺
今回はとても面白く拝見出来ました😊
よかったです😆うれしい❤️またおもしろかったって思っていただけるようがんばります!
さらに酒井忠次率いる別動隊が長篠城を囲む武田軍を奇襲で蹴散らしたことで勝頼の退路が断たれ、前に進むしか出来なくなったんですね
えびーすくい、えびすくい!
正直、歴史なんて史実と違ってようが、面白ければ何でも良いのだが、知らん事が沢山含まれてる、この動画は面白い。であるりんチャンネルの話で歴史ドラマの脚本を書くだけで、今までにない面白いものが出来そうだ。
楽しんでいただけて嬉しいです❤励みになるコメントありがとうございます🙇♀
前夜に武田軍の背後に位置する鳶ヶ巣山の砦を陥落させたのが最大の勝因とも言える。これで退路を塞がれた形になった武田軍は、正面の陣に向かって全軍突撃をするしかなくなった。戦う前から勝利をほぼ確定していた信長の真骨頂ともいえる。
武田の忍びを織田軍が仕留めまくって偵察の情報が勝頼に入って来なかったのも敗因の一つとか?! 忍びは合理的で見栄とか、感情論なしで見たまま聞いたままの情報を持って来たそうです。
知らなかった~勉強になります。途中から後ろのおっさんが気になって話が飛びました。
背景や小物も楽しくつくっていろいろ紛れ込ませてます😆
武田軍には3段目の柵も越えた兵がいたし、織田軍もかなりの兵(6000という説も)が死んでいるから、武田軍も大健闘したのは間違いない
柵での戦いがメインですが、その後の武田の退却戦で、追ってくる織田軍をやっつけた結果、織田軍の死者が多くなったようです。ドラマではそこまでやるのは見たことないですが。
真田兄弟や内藤部隊が信長本陣へ肉迫したが、やはり蜂の巣にされている。連呼川周辺では双方6000名ずつ戦死で互角。しかし6000/32000と6000/12000では武田方の損耗率が半端なく大敗!これに退き口で山県昌景や馬場美濃守も討死!躑躅ヶ崎館には勝頼ほか20〜30騎しか辿り着けなかったよう😢もちろん途中で高坂弾正の留守部隊8000名が寄り添ってカモフラージュ!
武田騎馬隊はファンタシー扱いされてますが、織田方の公文書にも「能く乗りて」「馬入り(柵を越えて突入)」という文言があるし、騎馬の運用に長けていたのは間違いないです
柵を超えられるって事はまったく無謀でもないですよね☺
死者6000なんて嘘だろうな。なんせ第二次世界大戦のノルマンディ上陸作戦の連合軍の死者が5000弱だもんね。
素晴らしい解説!
ありがとうございます🙇♀サクッと短時間で皆様の豆知識になれば嬉しいです✨
ブラウン管テレビの時代の織田信長といえば高橋英樹?であるりんチャンネルキャラ的には高橋幸治のようにも思えるけどカラーテレビとはマッチしてないかな。それにしても信玄幽霊の頭上の猫が気になる。何故に猫???
猫は何もないはずの空間をじっと見つめていて、幽霊が見えていると言われる事もあるので☺
火縄銃はすごい煙も出るので一斉射撃すると煙で前が見えなくなりますからね。三段柵でそれぞれ撃てばそれも軽減されるし。
黒色火薬の煙はすごい量ですよね☺
鳶之巣山砦を落とされて兵站切られたから兵力に勝る織田・徳川を死に物狂いで破って勝ちを拾うか地獄の撤退戦を凌ぎ切ってで国元に戻るかの二択しか無くなり、まだ前者の方が活路があったから正面決戦に挑んだんだよなあ。実際武田の重臣も殆どは馬防柵への突撃ではなく、撤退戦の最中に討ち取られてるし。
武田に突撃させたのも信長の緻密な作戦ですね☺
諸説ありますが、僕も斜面に三段の柵が有って撃ちまくった説が正しいと思います。鉛の輸入の件は、初耳でした!教えてくださりありがとうございます😊
勝頼は無能と言うより信長さんが何枚も上手だったって事かと。あと信玄が存命中に勝頼体制の基盤固めが出来てなかったので、勝頼は割を食った感じですかね。
本当に武田にとって最悪のタイミングで信玄が亡くなったのだと思います😢逆に織田にとっては最良のタイミングですね☺
信玄が生きている間に勝頼に家督を譲っていれば、武田家滅亡の結果が変わらなかったとしても勝頼の運命が少しは変わっていたかもしれないのに、信玄は信虎追放や義信事件の事がトラウマになっていたのか、勝頼への権威付けや権力移譲が不十分だったと感じました。
@@峻-k5k そもそも「頼」の字を付けている所から分かるように本来は勝頼に家督を譲る気は全くなかったから。
そうそう、小学校の頃読んだ学研の漫画とかには鉄砲隊を3つの班に分けてとか書いてあったしドラマとかでも3段打ちを見た記憶ある。最近までそうだと思ってた。時代は違いますがいつか元寇についてもやってほしい。神風のおかげって信じてる人多いみたいだから。
元寇は神風のおかげも創作ですね( ゚Д゚)
長篠でこれだけの大敗を喫したのに関わらず、甲州征伐の直前まで徳川を苦しめ北条を壊滅寸前まで追い詰めた勝頼ってやはり無能でないな。
勝頼は優秀です☺
信玄も大敗したことがあるから(砥石崩れとか)勝頼は時期が悪かった。
長篠の合戦は銃撃戦だったが、鉄砲や火薬、銃弾の入手が難しかった。武田の領地は、現在の山梨県辺りで、堺など西日本で生産や輸入されている鉄砲を入手しにくかった。長篠では、武田軍は銅製の弾を使っていた。領民に銅銭を差し出させ、弾に替えた。
勝頼は ノッブやイエヤスの領の一部を攻略し 一時的に武田家最大の領土をGETし かつて敵だった上杉家と甲越同盟を選択したから 勝頼は無能ではなかった。(長篠の戦いで馬場、山県 、昌次 などの有能な人材をなくしたのはかなり痛手だった。)
勝頼は無能ではありません☺
すごく勉強になりました!
よかったです😆嬉しい❤がんばってまたサクッと効率よく豆知識になる動画つくります!
段取り8分、仕事2分 ビジネスや現場工事でよく言われることですが
戦争も同じなんすね。
強い戦国武将は段取りが上手いですね☺
兵は乱取りの方が好きですけどね。
信長は特にその傾向が強いから
自分から仕掛けた戦は用意周到
この戦は、創作よりも史実の方が面白いかも😊
絶望的に不利な盤面を作られながら織田徳川軍の2割を削ったのは、武田軍の烈火のような強さが現れてると思います
史実もちゃんと学べばおもしろいですよね☺
@@dearurin面白くねえよ
@@ほうちょくそれは!Youが☆BAKAだから❤
@@ほうちょくそれは!Youが☆🐴🦌だから❤
その他にも地形を利用してそんなに大軍でないように見せかけ兵力差をわかりにくくし、決戦を決意させ設楽原に誘き出したという説を聞いたことがあります。
鳶ヶ巣山砦が奇襲で陥落し退路を断たれたため、少々無謀でも突撃せぜるおえなくなったとかありますね。
あとは酒井忠次の隊が、500丁ほどの鉄砲を配備してたから織田軍の鉄砲が少ないと判断したからだ、とかってのも聞いたことあります
他にもいくつも織田・徳川軍の作戦があって本当に緻密に計算されていると思います☺
突撃せざる、を、得ない
最近お正月休みで遊びに来た小学校低学年の姪に私が子供の頃の伝記漫画「学研まんが人物日本史 織田信長 乱世の戦い」を読ませてあげたばかりなので、
(こちらも古いだけあって旧来の説準拠の三段撃ちを史実かのように解説してました)
もうちょっと大きくなってまだ歴史に興味があるならこの動画見せてあげたいと思いました!
私も武田家を朝敵扱いして武田勝頼に大膳大夫の官位を継承させなかったり経済力の差で織田家が圧勝した程度の知識はぼんやりとありましたが、ここまでわかりやすくしっかり教えていただけると勉強になります。
負けるべくして負けた勝頼ですが、愚将扱いせずリスペクトする信長公もいいですね。
信長公が勝頼の首を足蹴にしたと書いてるのは『常山紀談』でしたか…作者は関ヶ原で岐阜城を落として織田弾正忠家宗家を潰した一人である池田輝政の子孫が治める岡山藩に仕えていたと思うとなんかモヤモヤしますね😮💨
リンちゃんはこのまま信長公とディープな戦国解説をする歴女JKの星として輝き続けてもらいたいものです。
のぶちゃんのリスペクトは素晴らしいですよね
三河物語には信長が勝頼の首をみた時には、勝頼を称えて同情するような歌を詠んだとありますからね😢
勝頼の首を足蹴にしたなんてひどい創作です!
江戸時代を通じて信長の評価って低かったらしいから、現代に伝わるなんやかんやの粗暴な振る舞いはその頃に創作されたものなんでしょうね
ありがとうございます!
こちらこそご視聴、スパチャありがとうございます🙇♀
サクッと短時間で楽しくて豆知識になる動画づくりがんばります
まさに孫子の「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」ですね。織田軍は準備の段階で勝ちの確定演出が出ていたもよう。
桶狭間以外では、必ず勝つ算段がついてから戦っていたと聞いたことがあるので、根は慎重な戦略家なんでしょう。
美濃を陥落させるときも、まずは東西の斎藤氏に従っている豪族を手なずけたい、ということで彼らを手なずけてから岐阜城を狙ってます。やはり手堅いです。
信長は本当に戦いの前の準備がすごいです☺
@@hirohiro1770 近年では、桶狭間ですら一か八かの逆転劇ではなく緻密な情報戦略で勝利したって見方もあるからね。あと敗戦しても敗因をしっかりメタって再戦してるところも勝ちを拾う要因になってると思う
@@dearurin頭いいからね。
負けの気配を誰よりも早く見て取って、手遅れになる前に逃げるところも凄い。
孫子も『誰もが見えるものを見えることを目が良いとは言わず、誰もが見通せないものを見ることを目が良いと言う』って言うし。
武田軍の火縄銃の弾は銅
そして徳川軍の前には馬防柵があまりなく、そちらでの歩兵戦がかなり激しく行われていたとか
武田は長篠の戦いの前に領内で銅銭を回収して銃弾に使った記録がありますね!銅は加工に手間がかかるので銃弾には向かないはずなので、それだけ武田の厳しかった事情がうかがえますね☺
設楽が原で見つかった鉄砲の弾に鉄製のものがあった と見かけたことがあるので、弾に使えそうな金属は色々使ってた可能性もありますね。 鉄も弾に加工するのは面倒な金属ですが、それだけ切羽詰まってたのでしょうか…
歴史に疎い私がこのチャンネル「であるりん」の虜になったのは…Why?
コメント、スパチャありがとうございます🙇♀
オマケ的にひと手間かけた背景とか風刺とか親父ギャグでしょうか…🤔
@@dearurin
それはですね、りんさんや信長公の声も好きだし話し方や話すテンポも聴いてて心地良いからです♡
親父ギャグに関しては「また何か変なギャグ言ってるなw」くらいで聞き流してますよw
いや好きですけどw
(*´ω`*)❤❤❤❤
武田が負けた理由として研究者中で言われているのが、石高から見る経済力の違いと言う説がある。武田はあれだけ領地を持っていながら石高は少ない、その反対に信長が支配していた領地は石高が高いうえ経済拠点の大阪、堺を治めている利点があり。そこから更に鉄砲等を造る拠点や火薬や火薬の元を手に入れ安いと言う利点も存在した事が有利に動いたと言う話もある。前の戦争でアメリカと日本が戦争をして負けた理由と同じで、アメリカは経済力があり、資源も豊富に自らの地で有り、武器や兵器を大量生産が可能な生産システムが存在している。まさに、「戦争は数」とは真理を突いた答え。
信長が地形を活かして兵を上手く隠したので、武田軍は織田•徳川連合軍が自軍の倍以上の軍勢とは思ってなかった、という話も聞きますね。
いつの時代も経済力がものを言いますね( ゚Д゚)
鉄砲の鉛玉も東南アジア採掘の鉛が大量に輸入されていたそうですね。
最後まとめてくれるのめっちゃありがたい!!勉強になります!😊
よきアドバイスありがとうございます🙇♀
今後も最後まとめるように気をつけます!
普通に勉強になる回
ありがとうございます☺
知らんかった事が沢山あった。
凄く勉強になります。
励みになるコメントありがとうございます🙇♀
この動画を見て下さる方の豆知識となれば幸いです✨
りんちゃんの親父ギャグで猫が逃げるの細かくて良いw
勝頼は近代的な近畿周辺の大名を参考に改革をしていたが家臣には相手にされなかったようですね
下手に勝ち続けていた組織を改革するのは勝頼じゃなくても難しいでしょうね
信長も最初はうつけ者スタートですし
ねこって分かっていただけて嬉しい❤
勝頼が勝ち上がるにはあまりに条件が悪かったですね🥲
諏訪家が最後まで勝頼のために戦ったことは私の中で救いとなっています
山県昌景や馬場信春、内藤昌豊ら重臣達は撤退を主張したという従来の説だけではなく、彼らも決戦に賛同した、むしろ彼らが主戦論者だったという説も聞いた事ありますね。
当主の意見を通しやすい環境だった織田家とかと違い、武田家は豪族達の連合体という政治体制。 そんな中で信玄からの権威付けや権力移譲が不十分な勝頼が小説とか漫画とかであるように御旗楯無を持ち出して決戦を強行なんてできないでしょう。
武田家家臣達も名門意識や独立心、領土欲が強かったらしいし、そんな彼らが守護代の家臣筋の織田や三河の土豪出身の徳川という素性が怪しく卑しい格下の家柄の相手に戦いもせずにのこのこ撤退する事を主張するのか?と思います。
彼らも陪臣や領地の民の生活を預かる立場ですから、何としても恩賞は欲しいでしょうし。
それでも撤退を主張したのなら、その理由は自分が死んだ後、自分の息子や養子が領地や城などの既得権益をかつて武田と敵対した諏訪の血を引く勝頼派の家臣達に奪われるかもしれないと恐れていたからではないかと思いますね。
昔NHKの歴史ものの番組で再現実験をやってましたが、武田軍記の三段撃ちではなくて、同じ3~4人一組で三丁の火縄銃を使うところは変わらないけど、一人が柵の前に張りついて撃ち方となり、残り2人が火縄銃に次々に弾を込める込め方とわかれ、撃ち方に装填済みの銃を次々と渡す方法がベストだという結論でした。人間が交代する方式と違い、撃ち方は常に戦場を見ているので次の標的を狙うまでのタイムラグが短くなり、より発射ペースを高く保つことができます。
鉄砲を撃つ人と弾を込める人が分かれていたのは有名ですよね☺
素晴らしい!逐一、「根拠」をあげて結論に持っていく!疑問があれば根拠を見つめ直す!政治家の討論も見倣ってほしいです!
やはりこの動画は、歴史に身を借りた現代政治批判ですよね😁
近いうちに裏金作りに励んでいる政治家のところに信長と帰蝶で遊びに行く予定です😆
@@dearurin おお❗期待しております😃
多くの日本人が戦争を語る時に先ず戦術が出るが、戦争の基本は経済活動と兵站で、刃を交えるのは本当に最後の最後
信長のすごいところは政治と経済で圧力をかけるところですよね☺
あと、秀吉ですらまんまと引っ掛かってしまった武田の陽動作戦を竹中半兵衛が完全に見切ってしっかり対処し不発に終わらせたのも大きかったと思う。
竹中半兵衛も魅力てきな人ですよね☺
@@dearurin物語はほとんど江戸時代の軍記物語だ、信長公記の記載はほとんどない
私は、色んな歴史の動画を見ますが、この方の動画が一番面白い
尊敬してます
国際日本文化研究センターの磯田道史教授が「英雄達の選択」の中で「歴史は更新されるもの。」と仰っていましたがそのとおりだと思います。
本当にその通りです☺
「三段撃ち」ですが兵士が「三列に並んでいた」のは事実で、鉄砲を撃っていたのは「最前列の兵士のみ(鉄砲の使い手のみ)」、後列2つは「掃除したり、弾や火薬を装填する係」だったようです。この時、「3人一組」であり、鉄砲も2~3丁が配備されていたようです。
経済・準備・補給に関しては、織田信長は戦国時代最高の「ロジステックの超人」なので、戦略面で圧倒していたのが。
当時の命中率ですが、名手である「明智光秀」ですら、6割前後だったそうです。そりゃあ「数」が必要になりますよね・・・
丸い弾丸はナックルボールの様に⚾️7〜80m過ぎたら何処に曲がるか分からなかったみたいです😢
弾の装填に時間がかかる火縄銃だと鉄砲が上手な人がずっと撃って、弾の装填を他の人に任せるのは合理的ですよね☺
狙撃手と助手で役割分担を行い射撃間隔を短くする。
これは石山本願寺をはじめ一向一揆勢が籠城戦で得意とした戦法で、信長はこれに散々苦しめられた苦い経験があります。
信長のことなので「これを野戦にも転用できないか?」と考えた結果、長篠の鉄砲三段撃ちが生まれたのでしょう。
それな。
この3段構えだと鉄砲の射撃に精通している職人(正社員)が千人おればよく、あとは銃なんか扱ったことのない足軽(派遣・バイト)を集めて「銃の掃除」「火薬・鉛玉の装填」「それらの補給作業」など担当を振り分けてそれだけを教えれば事足りる。
火縄銃の射撃を会得するにはある程度の期間・お金が必要だが、掃除や装填の練習など1日あれば十分。
いかにも信長が思いつきそうで、現代の工場のライン作業にも共通する合理的な方法だと思う。
これは勉強になる。三段撃ちは無かったんじゃなくて、意味を誤解していたのか。
その可能性もあると思います☺
そんなこと知ってるリンちゃん超絶魅力的です!!
ヽ(`▽´)/❤❤❤❤
ありがとう
だいすきー
@@dearurin
✨😍✨
これは有名の話。実は騎馬隊が突っ込むときに、織田の鉄砲隊もかなりの数がやられたとか。武田の騎馬隊はかなり善戦したと言える。
ただやはり多勢に無勢。半分の兵力ではやはり倒すのは難しい。戦略的に負けていたといえるな。
兵力と物量が違いましたね(; ・`д・´)
大河ドラマの「麒麟がくる」の序盤はあんなに鉄砲に執着してたのに長篠の戦いのシーンが全くなかったのは残念でした。
もう少し明智鉄砲軍団について観たかった気持ちはありますね😢
いつも勉強になります😊
歴史のお話は面白いですね~
譜代一門衆筆頭の穴山梅雪が
もっと協力的なら痛み分けで終わったか可能性も?
穴山以外の譜代の家臣がもっと強力的であれば( ゚Д゚)
@@dearurinそれは信玄が悪い。
中央集権を邪魔するための神輿にされたままで旧態然とした軍制を改革できなかったから諏訪殿があんな結果に・・・
そうなのか。非常にわかりやすく、最新の説としてワクワクします。三弾打ちの意味もよくわかりました。鉛鉱山の話しもドラマなんかでは出てこないですから。、
ありがとうございます🙇♀
ドラマや教科書であまり取り上げられない史実をたくさんの方にお伝えしたいです❤
鉄砲三段撃ちはやってみるとただただ大変なだけでした。大量の鉄砲で乱射が1番効率的でした。
撃ったんですか(; ・`д・´)
@@dearurin ゆるーい火薬詰めただけのなんちゃって空砲ですけど、まあ重いし火薬もこぼれるしで。
リンさん、鉛の件で突っ込まれるぞと言われたあと、落ち着き払って話題をさらっと変えるスキル、さらにはオヤジギャグ、たしかに怪しい😂
もう誰の本か忘れましたが真面目な歴史に関する本(小説でない)で昔の解釈の三段撃ちを発明した織田信長は世界でも稀有な着眼点と書かれていたのを思い出す。。。
素人でもちょっと調べればわかる事を間違った説明している自称専門家にはびっくりです( ゚Д゚)
勝頼って実際戦に弱い訳じゃないからなぁ…というか長篠の戦いの勝因に、そもそも数の差が2倍ついてた所は書かないのか
結構若くから武勲あげてますし、高天神城落としてるくらいですもんね。
@@佐藤いん乱神楽信玄が落とせなかった城を落したのは勝頼好きの中では有名ですね
勝頼は東美濃の砦を次々と落として信長の救援軍が来る前に華麗に撤退してのけてるからね。これを見たあの上杉謙信が驚愕して信長に勝頼を甘く見るな、放っておいたらとんでもないことになるぞって忠告してるくらいの勢いはあった。長篠まではまさに快進撃だったんだよね
そもそも兵の数が違うというのが大きいですね☺
@@Hato-rp4fx
あとあと致命的な形で返ってくる
ノブは戦に負けても退却、リベンジ出来たが、勝頼は出来なかった。
ノブの失敗は嫡子に負け戦を教えられなかった事、リベンジの大事さを伝えられなかった事。
本当に信忠が退却する事の大切さを知っていたら・・・
でも父親譲りな気もします( ゚Д゚)
あと信長さんと勝頼さんの明暗を分けたのは、負け方の上手さもあるかと思っております。😅
これが本当なら、信長は第二世界対戦の司令官よりも、ずっと優秀な司令官だと思います。
ずっと優秀です☺
初めて知った内容でした。
玄人っぽい歴史知識と、独特の絵柄とセリフ。
最高ですね。
ありがとうございます🙇♀
サクッと短時間で効率よく豆知識になるチャンネルを目指してます!
勝頼ファンでは無いけどフォローしたのは、素晴らしい。勝頼は戦は上手かったし、信玄の負債を背負ってのマイナススタートで可哀想だと思ってました。そもそも江戸時代での石高で推定して、武田は織田の3分の1以下。
信玄に負の遺産残されすぎましたね🥲
諏訪家が最後まで勝頼のために戦ったことは私の中で救いとなっています
武田家臣団の中では、勝頼は、諏訪の人間だつたのですね、たぶん。 家臣達は、自分たちは諏訪家家臣団ではないという意識がモヤモヤとあつたのかもと思います。
おまけに、信玄は、自分の死後の準備が充分でなく、勝頼は武田家の中継ぎみたいな位置付けになつて、跡を継ぎましたし。
戦国時代の戦いの解説みんな調べて特集やって欲しい。面白い!面白すぎる。
ありがとうございます☺
初めまして、りんさん。楽しく動画を見させて頂いているファンの1人です😁
今回の動画も、茶の湯の話も大変楽しませて頂きました。
今回の長篠の戦いについてですが、私の愛する漫画「信長のシェフ」という漫画にもこの戦の詳しい解説が載っていますよ😃
信長好きの私としては一推しの漫画で、りんさんにも正直お勧めしたい本です!
りんさんには、「戦国時代の食」という動画も作って頂きたいです!!
繰り返しますが、「信長のシェフ」、とても面白いですよ!!
信長のシェフに加え信長の忍び、そして新気鋭の戦国小町苦労譚なんかは
ちゃんと調べてあって良い感じ
信長のシェフも読んでみます☺
それは嬉しいです!物語はもう終盤ですが今から読んでも遅くありませんよ!!😆
@@かわせみ-c4f
むしろ出揃ってるからこそ「あくしろよ」
みたいなのがないのが魅力w
史実はケンなしで凌いだってのが信長マジ升
少し前に歴史探偵でも特集されていましたね。結局長篠でぶつかるのは避けられなかったのでしょう。
あっけなくではなく、8時間も戦闘している、あの関ヶ原の戦いより、長い。
この二人組見てるとなんか落ち着いてくる☺️
ありがとうございます🙇♀
戦国や現代をこれからも仲良く語り合って、見て下さる皆様といろいろ考えていきたいです☺️
たまに江戸時代なども…🤔
映画「影武者」は名作です。
織田信長がかっこよすぎ!
本来の主役の勝新太郎は監督とケンカして降ろされて仲代達矢に代わったけど😅
GACKTさんが映画で織田信長演じられるようですね👀
三段撃ちは、江戸期の書物から出て来たらしいですね。あと、南側から迂回して、後方に突撃したと言う説も有りますね。
甫庵信長記という江戸初期のファンタジー創作物語ですね(; ・`д・´)
騎馬突撃はヨーロッパでも鉄砲の戦列歩兵を砕く事は普通。
騎馬突撃はマキシム重機関銃が普及するまでは第一次世界大戦前期まで有効だったしねー
ただ、信長は馬防柵と突撃ルートの固定が1番の勝因なんだよなー
やはり、敵の経路を制限するというのは大きなポイントですよね。如何に我の有利な状況を作り出すか、戦争って、段取りが九割ぐらい重要なんじゃなかろうか。
信長は勝つ状況を作り出してから戦います☺
戦の勝敗は準備でほぼ決まる、という言葉を聞いた事がありますが、まさにそうですね❗️🤔
はい☺️
信長は戦の前の準備がすばらしいのですよね〜🙄
どちらにしても3段にして高低差の上段から狙い撃ちとか今のゲームでも使われる上段を取ったほうが有利というのを信長が知っていたと言うことだよな
知ってたんですね☺
武田も交易ルートの重要性は重々承知していて、だから執拗に(当時国内最大級だった)直江津の港を狙ったんだけどな。そっちには軍神様がおるんで奪えなかった。
次善の策として今川の弱体化につけこんで江尻(現在の清水)を奪ったんだが、ここを穴山梅雪に与えたのが不味かったな。梅雪はもともと多数の金山を管理していたし、そこに港湾権益もプラス、さらに血筋でも勝頼に引けをとらないほど武田宗家の血が濃い。こうなると独立志向を強めるのも自然な成り行きだった。
穴山に与えるのではなくて、山県昌景や馬場信春、あるいは勝頼に転封という形で与えるか信玄が躑躅ヶ崎館から拠点を移して直接支配するのが良かったかもと思いました。
穴山の行動もいろいろ思うところあっての事でしょうね😢
@@峻-k5k
おう、マキャベリの言うところの占領地の押さえ方ですね『本拠地を占領地に移す』
面白そうなので、もとになる資料が知りたいですね。
武田軍の情報については武田の陣立書や軍役定書、鉛不足のため銅を臨時で使う事を決めた書状が残っており、平山優先生の「武田三代」という本にわかりやすくまとめられています☺
長篠の戦いの勝頼の狙いが鉛鉱山なのあまり知られてませんよね。たしか武田滅亡間近だと鉄砲の玉に銅を使ってたって聞いたことありますが。
勝頼は銅銭を溶かして鉄砲の玉にしていましたけど、それでも足りなかったみたいですね😢
いつも楽しいお話をありがとうございます。勝頼がこの戦いで残した手紙には【今、織田、徳川は我ら武田軍を恐れて出てくることが出来ない。】と言った余裕綽々な内容が残っています。勝頼は優秀な武将ですが、若かったのだと思います。織田や徳川は勝頼のそんな若く血気盛んで真っ直ぐな性格も見抜いて、武田軍が出てくるまで待っていたのでしょう。
前日に、長篠城を攻略してた武田軍に、別働隊の酒井忠次が横合いから邪魔し、さらに武田の退路を断ち、正面突破しかないという決断に持って行かせたのも大きいと思います。
勝頼に勘違いをさせるのも信長の作戦だったのだと思います☺
経済力の差的にこういう形で決戦して織田・徳川に打撃を与えられるのは最初で最後のチャンスだったってのも勝頼の心情にはありそう
そこを信長の経済・戦術で落とし込まれたという形が長篠の戦いだったのかなって
少なくとも朝鮮出兵の時に従来の形に近い三段撃ちがあり、明が運用方法を日本の捕虜から聞き取り採用した記録が残ってたらしいです。
最近はもしかしたら三段撃ちはあったのではという説もあります。
結局、何があったか分からないですね。
ちょっとイメージしてみたのですが、防御正面幅に対して十分な鉄砲数があれば、何も統制して射撃タイミングをそろえなくても、各個に撃つ、下がる、次弾の準備、出る、撃つを繰り返せば、連続的に射撃可能にできそうだから、無理に統制して射撃中断の時間帯を作ってしまうのは、ヒョッとして逆に敵の前進を許してしまう可能性があるのではないかと思いました。真実は分かりませんが、戦国武将も皆それぞれ知恵を引き絞って勝ち目を見いだして戦争に臨んでいたってことだと思います。
歴史はわからない事ばかりです☺
アニメ化したら入りやすいですね。東條さんの頭みたいに織田さんの頭ペチペチ親しみ込めて。織田さんって近代的な戦い方なのがわかってよかったです
サクッと短時間で楽しく知識にもなっちゃうお得なチャンネル目指してます💛
あと酒井忠次が武田の砦を落として戻れないから突撃したって聞いたことある
他にもいくつも織田・徳川軍の作戦があって本当に緻密に計算されていると思います☺
補給線を断たれて、敵の前から撤退するには一当てして撤退か、敵陣突破して迂回しかないように仕向けた上での野戦築城、陣城で待ち構えるって詰みをされているからね。
@@清一色-u9t
これらの話を聞いて、もし酒井忠次隊の方に向かおうとしたら、設楽ヶ原の織田・徳川軍の本隊に背を向ける事になるから、もしかしたら酒井忠次隊と織田・徳川軍本隊に挟み撃ちにされてしまうかもって思いましたね。
なお、信長は後方にいて戦ってたのは息子の信忠で、信長の静止を聞かず破竹の勢いで武田を打ち破っていたという
やっぱり畿内・伊勢・敦賀の港を押さえてる信長に経済封鎖されたら西側からの流通も滞るよね…きっちり戦術以前に戦略的にも勝ってたんだね…というか俺も時間差つけて交代交代で火縄銃3段構えで騎馬隊撃たれまくったと1h前まで思ってたよw
強い戦国武将は戦いが始まる前の根回しがすごいです☺
三段落ちを提唱した人は鉄砲の運用法をあまり熟知してなかったのでしょうね 鉄砲手と装填する 係が分業していたというのが最近の定説みたいですし
銃の上手な人は装填は人に任せてずっと撃っていた方がいいですよね☺
馬防柵の三段構えでした!
三段構えです☺
長くなったと言いながら8分引き延ばしもしないところが潔くてステキです。
ありがとうございます🙇♀❤
サクッと効率よく豆知識になるチャンネル目指してます
第二次大戦でも武蔵以降戦艦を建造せず大和級を空母にしたり伊勢級を航空化し
マリアナ沖海戦までずーっと空母主導の作戦で事が進んでたのに
「日本は大艦巨砲主義だから負けた」とか宣うくらい通説が滅茶苦茶だし
戦国時代なぞさもありなん
ここのコメ欄にも、補給を疎かにしたから負けた説を推す方々か…
日本は補給したくてもできなかったんや…
アメリカが封鎖してきたから…
日露戦争にしても太平洋戦争にしても本当に勘違いは多いですね😢
@@dearurin
今でも牟田口は「兵站無視の愚将」って言うのが通説ですが
兵站を理由に真っ先に待ったをかけたのが他でもない牟田口
それを了承し140個自動車中隊を用意し、到着と同時に攻撃としたが
海軍が輸送に大失敗し100個中隊分の運搬車喪失
3軍団が集結済みでインパールの要塞化されたら終わりなので中止も延期も出来ず作戦開始
・・・が真相だったり
戦場で芸者遊びしてる人はちょっと・・・
@@一柳和明-n9j
まぁ芸者を乗せた船だけは守った海軍に言えw
そもそもインパールのきっかけが
珊瑚海海戦で空母を渋るわ
第一次ソロモン沖海戦で三川艦隊が敵輸送船ガン無視で帰るわの舐めプを重ね
絶対国防圏を突破されたのが始まりだし
この動画とんでもないな!めっちゃ勉強になるやん👍👍👍
サクッと短時間で楽しくて知識にもなる動画を目指してます❤
励みになるコメントありがとうございます🙇♀
やっぱり戦争は経済力だな
武田も金山から金が出なくなって衰えた説もあるし
戦争は数だよ、兄貴!
今も昔も大事なのは経済ですね☺
三段の馬防柵一部で突破されてたとNHKであった
鉄砲は三段で撃つのでなく操作に個人差があるから準備できた者から前に出て打つ方式だったとか
一部突破されてますね☺
さすが武田です☺
個人的には、信長が寡兵でもって乾坤一擲の戦にでたのは
「田楽狭間の戦い」だけであって、
それ以後は常に相手方より多数をもって戦いに挑んでいた事を称賛したい。
人間誰しも誇りや見栄があるものだし、自身の成功体験によってしまうもの。
だが、信長自身は「田楽狭間の戦いのような奇跡は俺には二度とない。」と
己を厳しく律していたとしか思えない。
武田の強兵は当時の日本では有名だった、それは武田家においても誇りであり、自信であったと思う。
ただ、この時代においては自信が過信にかわっていたと思う。
成功が過信に変わるのはよくある事ですね( ゚Д゚)
局所局所出は上回っていたけど、信長包囲網を一本化した指揮下で動かされていたら数的不利は覆せなかった。軍団の集中+高速運用して各個撃破したから何とか有利な局面作っていたけど。
って考えたら、
信長、サッカークラブの監督兼スカウティングしたら強いチームできそう(笑)
硝石と鉛と隘路ですかね
最後の勝因の箇条書きに
・「そもそもの動員兵力に大きな差があった」
という一番わかりやすい要素があっても良かった気がします
普通に戦っても圧倒的な差ですね☺
武田側からしてみれば城攻めも同然なのに兵数は織田の半分ほど
城攻めには守り手の3倍の兵数が必要と言われる位なのにこれでは敵陣地攻略は失敗するのも当然
史実回は本当に為に成ります^_^
オヤジギャグもチョイ有りで、笑いも有りのオモシロ回😊
この動画が楽しく知識にもなったらなによりです😆
ご視聴ありがとうございます✨
大変勉強になりました。三段撃ちとして習った?世代だから色々びっくり、そして納得です。
信玄さんがずっと何か言いたげなのが気の毒😅
尺の話、考えられてるなあ👏
信玄が長篠の戦いを見たら何ていうでしょうか😢
長篠の戦いは6月で鉄砲だけじゃなくて弓矢も石もあったわけですからね。あと馬房柵の前に穴を掘ってたり、勝頼の手紙に「山城にやられた」って手紙が見つかってますからね
長篠はまるで城のようだったそうですね☺
いやいや、信長様、尺が長くなった分鉄砲三段撃ちの解説は十分に納得で御座る。それにしても鉛が欲しいばかりに、マ信長様の戦略勝ちですな・・・
他にもいくつも織田・徳川軍の作戦があって本当に緻密に計算されていると思います☺
設楽原の古戦場を実際に見に行くとわかる。
馬防柵は武田軍の先鋒(博物館のあるあたり)から見て坂下にあり、遠くから見るといかにも無防備で、一気に突撃すれば突破できそうに見える。
しかし、いざ近づいてみると、馬防柵は当時の大人の肩の高さ1mほどの段差の上にあり、
「こんなところよじ登って戦えるわけねええ!!」と絶望する。
しかも適度に凸凹な丘陵地であり、本陣の勝頼からは馬防柵は見えず、織田徳川軍の兵数も把握しにくく、それでいて全方向に山が見えて甲信の兵に安心感を与えてしまう地形。
これらが噛み合って、信長としても想定以上の一方的な虐殺戦になったように思えた。
中世のイングランド軍がロングボウ戦術でフランス騎士団をボコボコにしたアレと同じ感じですね
やはり信長さんは天才
天才です☺
ポニーみたいな馬での騎馬突撃はあったことになっているんですね
動画内で言っている50mを4秒で駆け抜けるというのは戦国時代からいた日本在来種の馬の事です☺
@@dearurinさま 在来種の木曽馬なんか見ると、あんな身体で😢と健気さに泣けます。鵯越で、愛馬を傷付けたくないと背負って駆け下りた義経側の武将がいたそうですが、木曽馬クラスなら、何とか担げるかな?😅
光秀と一益は鉄砲がウハウハ使えたから楽しくて仕方無かっただろうな。
織田軍楽しんでる人もいそうですよね( ゚Д゚)
いや~面白くて参考になりました! 戦いの前にかなり工作が進んでいたのですね。
信長は戦の前の準備がすごいのですよね🤔
セヴァストーポリ要塞の戦い(クリミア戦争)とか「それでも突撃しかないじゃない!」ってなって英仏連合軍は約1年の期間と12万人以上の犠牲者を出した
(この経験が後に戦車を生み出すきっかけになった…かもしれない)
なお日本軍、セヴァストーポリ要塞の上位互換である旅順要塞に対し突撃の陰で爆破工作を仕掛けたり
使わなくなった12cm15cm艦砲を長距離砲として有効活用したりした結果2万人以下の犠牲と3か月半での攻略を可能にした
まぁ爆薬も長距離砲も武田にはもっとあり得なかったけれど^q^
その旅順要塞を陥落させた乃木希典大将は、戦後の某小説で無能かつ性格的にも問題の多いクズな司令官に仕立て上げられてしまいました。
過去の軍人の功績も無に出来るペンは、やはり剣より強いですね(^_^;)
日露戦争は日本もスパイを使ってかなり狡猾に情報を仕入れていましたね☺
@@えむえむ-f5z 乃木大將は日露戦争後、戦傷兵のための義手開発に私財を投じています。
軍人としての能力も人道的な功績も無視されて、乃木大將が現在も愚将扱いされるのは非常に残念です。
@@dearurin
明石大佐に最後の一押しを決められ
スパイの有用さを実感したロシアがソ連となり
第二次大戦で一番有効活用していたのは皮肉
織田軍が数を少なく見せるために兵を隠していたこととか、武田軍は当然不利なバボウサクを避けるためにまわりこんで柵のないサイドを狙って猛攻をかけていたこと、とかにも言及した方がいい。あと、長篠を解放されてて、退路を閉じられていたこと、とかも。
知りませんでした。堺の港を信長が押さえて武田側を経済封鎖していたこと。軍需物資である鉛、火薬が輸入に頼ってたこと。織田軍は斜面を利用した三段の馬防柵で迎え撃ち、武田軍の騎馬隊は沼地で動きに制限があったこと。長篠には鉛鉱山があり、武田軍はこれを求めたこと。太平洋戦争時の大本営も自国の歴史を学んでおればね。
本当に歴史は繰り返します( ゚Д゚)
鉄砲三段待ち構えは、雨天時使えないので勝頼は、雨の日に戦を仕掛ければよかった。武田軍は、弓隊五段連射組を組織して相手の意表を突く。
信長の忍びは細かく表してあるよね。
調べて初めて知りました!そんなアニメあるんですね☺
それでも武田軍が馬防柵を突破しかけたらしい辺り武田軍の強さが伺えますね
実際被害が大きかったのはこのあとの撤退戦らしいし
武田軍は馬防柵にがむしゃらに突撃したのではなく、馬防柵を迂回して回り込んだところを包囲されて殲滅されて、それで総崩れになったという説がある。そちらの方が納得がいく。
敵の方が数が多いのに分散させるのはよくないですね(; ・`д・´)
おかげさまで大事なことが記憶に定着しました(^^)オヤジギャクはともかくw 信玄って猫かってたんですか?(^^;
このねこ(創作)は信長さんの城に住み着いてるねこなのです
シロって名前でほかの動画にもいくつか出演してます😻
@@dearurin あー!今までも出演してましたね!住みついてるんですか~(^^)
長篠古戦場に行くと後背の山と馬防柵の間に縦三列に並ぶほどスペースが無いことわかるし、後背の山使って3段は納得。というより、互いに数千丁で撃ち合ったほど、残弾が殆ど見つからないという発掘調査が気になりますよね。勝頼はこの後、軍備拡張で版図を拡げても滅んだのは、長篠で小言行ってくれる保守派のじいさんらを失ったからかも知れませんね。
勝頼がこの後ある程度やれていたのは長篠で口うるさいじいさん達がいなくなったおかげという見方も出来ますし、歴史はどう転んだかわからないところが面白いです☺
@@dearurin ほんとそれですね。
長篠と言えば「センゴク」の馬場信春が逃がした勝頼を「大きくなったな、ぼん」と見送るシーンが好きです
信長公記に二弾打ちというのは出てくるから、三段打ちはその発展系だと思ってた
鉄砲の数は同じでも鉛と火薬の量がって書こうとしたら
動画内で言われてたw
勝頼が突撃しなきゃならなくなったのは酒井忠次らが
鳶ヶ巣山へ迂回してそこで攻め勝ったのも大きい
のでは
他にも信長の様々な戦術があったのだと思います☺
今回はとても面白く拝見出来ました😊
よかったです😆
うれしい❤️
またおもしろかったって思っていただけるようがんばります!
さらに酒井忠次率いる別動隊が長篠城を囲む武田軍を奇襲で蹴散らしたことで勝頼の退路が断たれ、前に進むしか出来なくなったんですね
えびーすくい、えびすくい!
他にもいくつも織田・徳川軍の作戦があって本当に緻密に計算されていると思います☺
正直、歴史なんて史実と違ってようが、面白ければ何でも良いのだが、
知らん事が沢山含まれてる、この動画は面白い。
であるりんチャンネルの話で歴史ドラマの脚本を書くだけで、今までにない面白いものが出来そうだ。
楽しんでいただけて嬉しいです❤
励みになるコメントありがとうございます🙇♀
前夜に武田軍の背後に位置する鳶ヶ巣山の砦を陥落させたのが最大の勝因とも言える。
これで退路を塞がれた形になった武田軍は、正面の陣に向かって全軍突撃をするしかなくなった。
戦う前から勝利をほぼ確定していた信長の真骨頂ともいえる。
他にも信長の様々な戦術があったのだと思います☺
武田の忍びを織田軍が仕留めまくって偵察の情報が勝頼に入って来なかったのも敗因の一つとか?!
忍びは合理的で見栄とか、感情論なしで見たまま聞いたままの情報を持って来たそうです。
知らなかった~勉強になります。
途中から後ろのおっさんが気になって話が飛びました。
背景や小物も楽しくつくっていろいろ紛れ込ませてます😆
武田軍には3段目の柵も越えた兵がいたし、織田軍もかなりの兵(6000という説も)が死んでいるから、武田軍も大健闘したのは間違いない
柵での戦いがメインですが、その後の武田の退却戦で、追ってくる織田軍をやっつけた結果、織田軍の死者が多くなったようです。ドラマではそこまでやるのは見たことないですが。
真田兄弟や内藤部隊が信長本陣へ肉迫したが、やはり蜂の巣にされている。連呼川周辺では双方6000名ずつ戦死で互角。しかし6000/32000と6000/12000では武田方の損耗率が半端なく大敗!これに退き口で山県昌景や馬場美濃守も討死!躑躅ヶ崎館には勝頼ほか20〜30騎しか辿り着けなかったよう😢もちろん途中で高坂弾正の留守部隊8000名が寄り添ってカモフラージュ!
武田騎馬隊はファンタシー扱いされてますが、織田方の公文書にも「能く乗りて」「馬入り(柵を越えて突入)」という文言があるし、騎馬の運用に長けていたのは間違いないです
柵を超えられるって事はまったく無謀でもないですよね☺
死者6000なんて嘘だろうな。なんせ第二次世界大戦のノルマンディ上陸作戦の連合軍の死者が5000弱だもんね。
素晴らしい解説!
ありがとうございます🙇♀
サクッと短時間で皆様の豆知識になれば嬉しいです✨
ブラウン管テレビの時代の織田信長といえば高橋英樹?
であるりんチャンネルキャラ的には高橋幸治のようにも思えるけどカラーテレビとはマッチしてないかな。
それにしても信玄幽霊の頭上の猫が気になる。何故に猫???
猫は何もないはずの空間をじっと見つめていて、幽霊が見えていると言われる事もあるので☺
火縄銃はすごい煙も出るので一斉射撃すると煙で前が見えなくなりますからね。三段柵でそれぞれ撃てばそれも軽減されるし。
黒色火薬の煙はすごい量ですよね☺
鳶之巣山砦を落とされて兵站切られたから兵力に勝る織田・徳川を死に物狂いで破って勝ちを拾うか
地獄の撤退戦を凌ぎ切ってで国元に戻るかの二択しか無くなり、まだ前者の方が活路があったから正面決戦に挑んだんだよなあ。
実際武田の重臣も殆どは馬防柵への突撃ではなく、撤退戦の最中に討ち取られてるし。
武田に突撃させたのも信長の緻密な作戦ですね☺
諸説ありますが、僕も斜面に三段の柵が有って撃ちまくった説が正しいと思います。鉛の輸入の件は、初耳でした!教えてくださりありがとうございます😊
ありがとうございます☺
勝頼は無能と言うより信長さんが何枚も上手だったって事かと。あと信玄が存命中に勝頼体制の基盤固めが出来てなかったので、勝頼は割を食った感じですかね。
本当に武田にとって最悪のタイミングで信玄が亡くなったのだと思います😢
逆に織田にとっては最良のタイミングですね☺
信玄が生きている間に勝頼に家督を譲っていれば、武田家滅亡の結果が変わらなかったとしても勝頼の運命が少しは変わっていたかもしれないのに、信玄は信虎追放や義信事件の事がトラウマになっていたのか、勝頼への権威付けや権力移譲が不十分だったと感じました。
@@峻-k5k そもそも「頼」の字を付けている所から分かるように本来は勝頼に家督を譲る気は全くなかったから。
そうそう、小学校の頃読んだ学研の漫画とかには鉄砲隊を3つの班に分けてとか書いてあったしドラマとかでも3段打ちを見た記憶ある。最近までそうだと思ってた。時代は違いますがいつか元寇についてもやってほしい。神風のおかげって信じてる人多いみたいだから。
元寇は神風のおかげも創作ですね( ゚Д゚)
長篠でこれだけの大敗を喫したのに関わらず、甲州征伐の直前まで徳川を苦しめ北条を壊滅寸前まで追い詰めた勝頼ってやはり無能でないな。
勝頼は優秀です☺
信玄も大敗したことがあるから(砥石崩れとか)勝頼は時期が悪かった。
長篠の合戦は銃撃戦だったが、鉄砲や火薬、銃弾の入手が難しかった。
武田の領地は、現在の山梨県辺りで、堺など西日本で生産や輸入されている鉄砲を入手しにくかった。
長篠では、武田軍は銅製の弾を使っていた。領民に銅銭を差し出させ、弾に替えた。
勝頼は ノッブやイエヤスの領の一部を攻略し 一時的に武田家最大の領土をGETし かつて敵だった上杉家と甲越同盟を選択したから 勝頼は無能ではなかった。(長篠の戦いで馬場、山県 、昌次 などの有能な人材をなくしたのはかなり痛手だった。)
勝頼は無能ではありません☺
すごく勉強になりました!
よかったです😆嬉しい❤
がんばってまたサクッと効率よく豆知識になる動画つくります!