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こういったような話で卒論を書いているのでとても面白かったです。もっと色々な話を聞きたいし、文字情報として残しておいて欲しすぎる…
お疲れ様です。動画の内容とブログの内容はそこまで一致するわけじゃないですが、ある程度似たものを書いています。たとえばこれなどがあります:ayuha167.github.io/blog/2024/02/25/2021年以降のものは何かしら使えると思います(引用元も含めて)。
盛り上げに力入れても、盛り上がるかや、そもそも話題になるかは運ゲ試行回数を稼ぐために維持・持続に投資する、みたいなのは考えるようになりました
「大会が盛り上がるかどうかは運」だと思います。まあなので結局そのシーンが盛り上がるかどうかの責任は、企業の公式大会よりもユーザーが開くほうにあるんじゃないかと感じます。
なんだか「恋」と「愛」の違いみたいだと抽象。瞬間的な熱を生み出すことと、恒常的な安らぎを作っていくことの違いというんでしょうか。でもどちらも「好き」として括られてしまう危険性がある。人間的/最終的/現実的には「愛が幸せなんじゃない?」と思うけども、メディアからすると情熱的な「恋」を見せる方が楽しいし分かりやすいとか。
今回の論点とは少しズレているかもしれませんが、買い切り型の格ゲーでは盛り上がらず売上が上がらないと、1シーズンで終わってしまい、次回作も発売されず終わり、のようにそのシリーズ自体の維持が行われないイメージがあるので、シーンが盛り上がってゲーム会社から利益が出る存在だと認識されてくれ〜という意味で盛り上がってほしいと思うことはありますね。
そのようにユーザーが盛り上がったからゲーム会社が配慮をするという状況が生まれたこと自体、現代の良いポイントですよね
ぼんやり思っていたことが言語化されていくなあ~と思いながら聞いていたら最後で急にハッとさせられました。なるほどユーザーコミュニティが人気プレイヤーに過剰にフォーカスするのって危険を伴うんですね……そこは全く考えたことがなかったです
あまり書けないですが、それで実際に苦しんだ界隈もあったので
ズレた感想かもしれませんが、運営の都合で終焉を迎えるソシャゲやオンラインの対戦ゲームに比べてオフラインで遊べるCSゲームはコミュニティ側が自力で維持できていいですね
むしろPCゲーがコミュニティ側自力維持できないようにシフトしてきたと感じています。例えばCSGOとかもサーバーレンタルして自己環境で部屋を構築して試合していたので。一方で最近のゲームだとどうしてもゲーム内にオンライン対戦モードを入れてしまいますよね。
僕もそうですがコミュニティの解像度が低いので維持という視点をそもそも持っておらず、両方を包括して盛り上がりと呼んでるんでしょうね。また観測範囲が狭いので目立つものしか見えてなくて数字のある大会、有名な選手、公式大会などの情報手札だけで論じてしまっていて、実はクオリティの低いコンテンツや大会が必要という視点が抜けがちなんだろなと思いました。
10年前と比べて「クオリティの低いコンテンツや大会」をやってる友達というものがプレイヤーの周りからかなり消失したのだと思います。そうなると議論にすらあがらないですよね。
日本の大学の研究について成功した(あるいは成功しそうな)研究にお金を分配して、そうではない研究は金欠みたいな話がありますが(この話が事実かは置いといて)これはまさに盛り上げと維持の違いに似ているとふと思いました。これって多分研究室をプレイヤーに置き換えたら世界レベルの選手も元々は初心者で、そこから世界レベルになるまでやりこむ時の動機が上の例で言う所のあらゆる研究室に平等にお金を配ること(コミュニティを維持する時にすべきこと)だと思うんですけど、この初心者を育てて継続してプレイする人にするという視点が欠落しているから、既に成功しているものにお金を注ぎ込む(ゲームで言う所の招待制大会等)になってしまうのではないかと思いました。
似ているというか完全に同じだと思います。元々日本の研究援助金って維持が得意だったのに、急に予算配分だけ「選択と集中」をするのって無理があると思うんですよね。研究する側の精神や大学の構造ごと変えないと適応出来ないと思います。
盛り上がる=お金になるが成り立つはず。なので、パブリッシャーは盛り上げるし、代理店は盛り上がるそういう目でゲームやEsportsを見ています。稼げないなら盛り上がらないし盛り上げるより撤退したほうが良い。
EZ
こういったような話で卒論を書いているのでとても面白かったです。
もっと色々な話を聞きたいし、文字情報として残しておいて欲しすぎる…
お疲れ様です。
動画の内容とブログの内容はそこまで一致するわけじゃないですが、ある程度似たものを書いています。たとえばこれなどがあります:
ayuha167.github.io/blog/2024/02/25/
2021年以降のものは何かしら使えると思います(引用元も含めて)。
盛り上げに力入れても、盛り上がるかや、そもそも話題になるかは運ゲ
試行回数を稼ぐために維持・持続に投資する、みたいなのは考えるようになりました
「大会が盛り上がるかどうかは運」だと思います。
まあなので結局そのシーンが盛り上がるかどうかの責任は、企業の公式大会よりもユーザーが開くほうにあるんじゃないかと感じます。
なんだか「恋」と「愛」の違いみたいだと抽象。瞬間的な熱を生み出すことと、恒常的な安らぎを作っていくことの違いというんでしょうか。でもどちらも「好き」として括られてしまう危険性がある。人間的/最終的/現実的には「愛が幸せなんじゃない?」と思うけども、メディアからすると情熱的な「恋」を見せる方が楽しいし分かりやすいとか。
今回の論点とは少しズレているかもしれませんが、買い切り型の格ゲーでは盛り上がらず売上が上がらないと、1シーズンで終わってしまい、次回作も発売されず終わり、のようにそのシリーズ自体の維持が行われないイメージがあるので、シーンが盛り上がってゲーム会社から利益が出る存在だと認識されてくれ〜という意味で盛り上がってほしいと思うことはありますね。
そのようにユーザーが盛り上がったからゲーム会社が配慮をするという状況が生まれたこと自体、現代の良いポイントですよね
ぼんやり思っていたことが言語化されていくなあ~と思いながら聞いていたら最後で急にハッとさせられました。なるほどユーザーコミュニティが人気プレイヤーに過剰にフォーカスするのって危険を伴うんですね……そこは全く考えたことがなかったです
あまり書けないですが、それで実際に苦しんだ界隈もあったので
ズレた感想かもしれませんが、運営の都合で終焉を迎えるソシャゲやオンラインの対戦ゲームに比べて
オフラインで遊べるCSゲームはコミュニティ側が自力で維持できていいですね
むしろPCゲーがコミュニティ側自力維持できないようにシフトしてきたと感じています。例えばCSGOとかもサーバーレンタルして自己環境で部屋を構築して試合していたので。一方で最近のゲームだとどうしてもゲーム内にオンライン対戦モードを入れてしまいますよね。
僕もそうですがコミュニティの解像度が低いので維持という視点をそもそも持っておらず、両方を包括して盛り上がりと呼んでるんでしょうね。また観測範囲が狭いので目立つものしか見えてなくて数字のある大会、有名な選手、公式大会などの情報手札だけで論じてしまっていて、実はクオリティの低いコンテンツや大会が必要という視点が抜けがちなんだろなと思いました。
10年前と比べて「クオリティの低いコンテンツや大会」をやってる友達というものがプレイヤーの周りからかなり消失したのだと思います。そうなると議論にすらあがらないですよね。
日本の大学の研究について成功した(あるいは成功しそうな)研究にお金を分配して、そうではない研究は金欠みたいな話がありますが(この話が事実かは置いといて)これはまさに盛り上げと維持の違いに似ているとふと思いました。これって多分研究室をプレイヤーに置き換えたら世界レベルの選手も元々は初心者で、そこから世界レベルになるまでやりこむ時の動機が上の例で言う所のあらゆる研究室に平等にお金を配ること(コミュニティを維持する時にすべきこと)だと思うんですけど、この初心者を育てて継続してプレイする人にするという視点が欠落しているから、既に成功しているものにお金を注ぎ込む(ゲームで言う所の招待制大会等)になってしまうのではないかと思いました。
似ているというか完全に同じだと思います。元々日本の研究援助金って維持が得意だったのに、急に予算配分だけ「選択と集中」をするのって無理があると思うんですよね。研究する側の精神や大学の構造ごと変えないと適応出来ないと思います。
盛り上がる=お金になる
が成り立つはず。なので、
パブリッシャーは盛り上げるし、代理店は盛り上がる
そういう目でゲームやEsportsを見ています。
稼げないなら盛り上がらないし盛り上げるより撤退したほうが良い。
EZ