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高校生のとき、下芥見駅の愛用者でした。廃線時には大阪に住んでいたので…そのニュースを知らず、実家に帰る途中…廃線を知ってとてもショックでした。とても懐かしく…若かった時代を思い出しました。ありがとうございました。😂
ご視聴並びにコメントありがとうございました。
えええワンマンじゃなかったんだ!! 後車両が細長く見えるので思わずナロー?かと思ったらしっかり狭軌なんですね・・・これまた国鉄末期の1986ってのが絶妙なラインでいいなw
冒頭のまとめ方。非常にわかりやすいですね!丁寧💕
コメントありがとうございます。お褒めいただき恐縮です。
アタシはね。この美濃町線(美濃電)に乗りに行かなかった事 凄く後悔してまして。特に前回出て来た国道沿いのまるでへろへろな廃線みたいな区間とこの『上芥見』付近の狭い道路の片隅を走る区間を外から見てみたかったんですよ。だからこのような 当時の動画のアップは本当に有り難いです🙇上芥見駅に電車が近付くと 道路の反対側からぞろぞろとホームへ人が集まって来ましたが これはその反対側に屋根のある待合室があったんですよね。(0:33 駐輪場🚲️のあたり)細面で腰高のモ600が来ると凄く高さを感じます。(因みに モ600の格納式ステップは 科学技術長官賞を受賞したとか)車体高さとそれほど変わらないでっかいパンタを思い切り伸ばしながら走るモ592は 最高速度40km/hで走っている筈なのに 見た目上はもっと出ているような印象です。お客さんは少ないけど『美濃駅』には 駅員さんが居て 客待ちのタクシー🚕も居て人の息吹を感じます。今でも 駅舎はそのままあるけど 無人で誰も来る事なくひっそりとしているそうで『やはり鉄道が無くなる』というのは そういう事なんですよね。
コメントありがとうございます。この頃は、清水氏の企画立案の元「青春18きっぷ」を利用して、撮影旅行に良く出掛けていました。特に最終の大垣行きは何度も利用しました。東京から丁度良い距離間と言うこともあってか、名鉄の各路線には数多く訪れました。「廃線のうわさ」と言うこともあったかもしれませんね。
釣り掛け音がたまらんよ
上芥見駅が出ましたが、この駅より終点迄は岐阜市になります。モ゙600形は昭和45年に6両が新造されて、台車は揖斐線のお古を使用していました。
名鉄の路面電車、雑多な車が走っておりましたが、一番印象深いのは、モ600!登場時に趣味誌で見た時、ブッ飛びました(笑) カッコもカッコですが足元を見ると案の定ポンコツ(失礼)! 名鉄らしいと云うか何と云うか、やはり名鉄は貧乏なんだなと。旧車の車体更新は、お手のもの。不採算のローカル線も沢山在るので、そういうことかもしれません。 11:55~12:20 春とはいえ、いまだ冬枯れの中を往く電車。しかし一本だけ、咲いた梅の木が。そこはかとない春を感じます。 蕗のとうが顔を出すのも、間近かもしれません。
コメントありがとうございます。名鉄モ600形、所謂「馬面電車」は、幅が狭いのにもかかわらず2+1配列の転換クロスシート採用で、車体中央を境に2+1配列が左右入れ替わるという個性的な車両ですよね。前回の動画で、走行中に車掌さんが、バッタンバッタンとシートの背もたれを転換するシーンがありました。当時、友人の清水さんと「青春18きっぷ」を利用して最終の大垣行きに乗り、名鉄の各路線を良く撮りに行ってました。
でもこれ 界磁チョッパ制御・ワンハンドルマスコンのオールアルミ車東急8000系をうっちゃって『1971年 ローレル賞』の栄冠に輝いたんですよね。足回りは 旧品流用の ボールドウィン釣り合い梁台車なのに。まぁ何であれ『複電圧式の意欲的な路面電車』ではありましたからね。
高性能電車をうっちゃる馬面電車!鉄道友の会会員の中にも、曲者がいたんですかね。東急電鉄にしてみれば、「ナ・ナニ〜ッ!ちょっと待てよ」とか……何てことはないですね。
@ZIPANG1067 さま因みに東急では その5年後の1976年に 8000系のマイチェン版『8500形(→8500系)』で 無事にローレル賞を受賞しましたが 現在までのところ受賞したのは『ブルーリボン賞』も含めてこの時の1回のみとなっています。系列だった『東急車両』の作品に 受賞車が多かったのとは対象的でした。
@@ZIPANG1067 どこをどう見ても、普通の車ではなかったですね。 以前にもコメントしたかもしれませんが、屋根に配置した抵抗器は、一目見て、クーラーと誤解しましたし、よ~く見ると正面には貫通扉?がある。 抵抗器は、床下にスペースが無いから屋根にというのは分かるとして、運転席の真ん前の扉は何? 調べたら、乗務員が行き先表示板を車内から交換し易くする為、内開きにしたそうな。 よくよく調べると、アイディア満載の車だったみたいですね。
高校生のとき、下芥見駅の愛用者でした。廃線時には大阪に住んでいたので…そのニュースを知らず、実家に帰る途中…廃線を知ってとてもショックでした。
とても懐かしく…若かった時代を思い出しました。
ありがとうございました。😂
ご視聴並びにコメントありがとうございました。
えええワンマンじゃなかったんだ!! 後車両が細長く見えるので思わずナロー?かと思ったらしっかり狭軌なんですね・・・
これまた国鉄末期の1986ってのが絶妙なラインでいいなw
冒頭のまとめ方。非常にわかりやすいですね!丁寧💕
コメントありがとうございます。
お褒めいただき恐縮です。
アタシはね。この美濃町線(美濃電)に乗りに行かなかった事 凄く後悔してまして。
特に前回出て来た国道沿いのまるでへろへろな廃線みたいな区間とこの『上芥見』付近の狭い道路の片隅を走る区間を外から見てみたかったんですよ。
だからこのような 当時の動画のアップは本当に有り難いです🙇
上芥見駅に電車が近付くと 道路の反対側からぞろぞろとホームへ人が集まって来ましたが これはその反対側に屋根のある待合室があったんですよね。(0:33 駐輪場🚲️のあたり)
細面で腰高のモ600が来ると凄く高さを感じます。
(因みに モ600の格納式ステップは 科学技術長官賞を受賞したとか)
車体高さとそれほど変わらないでっかいパンタを思い切り伸ばしながら走るモ592は 最高速度40km/hで走っている筈なのに 見た目上はもっと出ているような印象です。
お客さんは少ないけど『美濃駅』には 駅員さんが居て 客待ちのタクシー🚕も居て人の息吹を感じます。
今でも 駅舎はそのままあるけど 無人で誰も来る事なくひっそりとしているそうで『やはり鉄道が無くなる』というのは そういう事なんですよね。
コメントありがとうございます。
この頃は、清水氏の企画立案の元「青春18きっぷ」を利用して、撮影旅行に良く出掛けていました。
特に最終の大垣行きは何度も利用しました。東京から丁度良い距離間と言うこともあってか、名鉄の各路線には数多く訪れました。「廃線のうわさ」と言うこともあったかもしれませんね。
釣り掛け音がたまらんよ
上芥見駅が出ましたが、この駅より終点迄は岐阜市になります。モ゙600形は昭和45年に6両が新造されて、台車は揖斐線のお古を使用していました。
ご視聴並びにコメントありがとうございました。
名鉄の路面電車、雑多な車が走っておりましたが、一番印象深いのは、モ600!登場時に趣味誌で見た時、ブッ飛びました(笑)
カッコもカッコですが足元を見ると案の定ポンコツ(失礼)!
名鉄らしいと云うか何と云うか、やはり名鉄は貧乏なんだなと。旧車の車体更新は、お手のもの。不採算のローカル線も沢山在るので、そういうことかもしれません。
11:55~12:20
春とはいえ、いまだ冬枯れの中を往く電車。しかし一本だけ、咲いた梅の木が。そこはかとない春を感じます。
蕗のとうが顔を出すのも、間近かもしれません。
コメントありがとうございます。
名鉄モ600形、所謂「馬面電車」は、幅が狭いのにもかかわらず2+1配列の転換クロスシート採用で、車体中央を境に2+1配列が左右入れ替わるという個性的な車両ですよね。
前回の動画で、走行中に車掌さんが、バッタンバッタンとシートの背もたれを転換するシーンがありました。
当時、友人の清水さんと「青春18きっぷ」を利用して最終の大垣行きに乗り、名鉄の各路線を良く撮りに行ってました。
でもこれ 界磁チョッパ制御・ワンハンドルマスコンのオールアルミ車東急8000系をうっちゃって『1971年 ローレル賞』の栄冠に輝いたんですよね。
足回りは 旧品流用の ボールドウィン釣り合い梁台車なのに。
まぁ何であれ『複電圧式の意欲的な路面電車』ではありましたからね。
高性能電車をうっちゃる馬面電車!
鉄道友の会会員の中にも、曲者がいたんですかね。
東急電鉄にしてみれば、「ナ・ナニ〜ッ!ちょっと待てよ」とか……何てことはないですね。
@ZIPANG1067 さま
因みに東急では その5年後の1976年に 8000系のマイチェン版『8500形(→8500系)』で 無事にローレル賞を受賞しましたが 現在までのところ受賞したのは『ブルーリボン賞』も含めてこの時の1回のみとなっています。
系列だった『東急車両』の作品に 受賞車が多かったのとは対象的でした。
@@ZIPANG1067
どこをどう見ても、普通の車ではなかったですね。
以前にもコメントしたかもしれませんが、屋根に配置した抵抗器は、一目見て、クーラーと誤解しましたし、よ~く見ると正面には貫通扉?がある。
抵抗器は、床下にスペースが無いから屋根にというのは分かるとして、運転席の真ん前の扉は何?
調べたら、乗務員が行き先表示板を車内から交換し易くする為、内開きにしたそうな。
よくよく調べると、アイディア満載の車だったみたいですね。