【元海上自衛隊幹部が語る】艦長・東郷平八郎【大日本帝国海軍】
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- Опубликовано: 25 ноя 2023
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【引用元】
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東郷平八郎が万国公法(国際法)を重視するようになったのは、榎本武揚の影響が大きいと思います。直接の面識はなかったでしょうが阿波(兵庫)沖海戦では薩摩側の主張を万国公法に基づいて跳ね除け、東郷も参戦した宮古湾海戦では万国公法のギリギリを突いて苦戦を強いられた。まさに歴史から学んだ人と言えるでしょう。
艦長時代のエピソード、とても楽しく拝見しました。エンタメ化してもっと多くの人に知ってほしいなぁ。そして国際法の重要性を知って学ぶきっかけに繋がれば本当に良い。
ですね!
私もこの2つのエピソードが大好きです。東郷平八郎元帥は私が一番尊敬する歴史上の英雄です。妻の祖母は10年ぐらい前に100歳で他界しましたが、彼女が女学生の折に東郷元帥の国葬の葬列を見たそうです。その時彼女は日本で最後の英雄が他界して、これから日本はどうなるのだろうと思ったそうです。本物の英雄が生きていた時代に居合わせたことは羨ましい。日露戦争時、司令官クラスの人たちは江戸時代生まれ、成人する頃まではちょんまげに帯刀、将軍がいて大名がいた時代でしたが日露戦争では当時の科学技術の粋を集めた軍艦を駆使して、しかも数倍する敵に勝ったのですからやはり武士という人たちは優秀だったのでしょうね。武士じゃなかった人たちが戦った太平洋戦争を見れば一目瞭然です。妻の祖母が子供だった頃(大正時代)に60過ぎの老人は当然江戸時代生まれです。一度感想を聞きましたが、同じ日本人でもとても同じ民族には見えない程、別人種だったそうです。階層に関係無くどんなに暑くても寒くてもいちいち不平不満を言わず、忍耐強く、寛容でありながら自分にはとても厳しく、所作は優雅で教養も豊かだったそうです。大変興味深い話でした。
昔の日本の人は、今の我々が亡くしてしまった、本当に大切にすべきものを、確かに持っていたのですね。極度に甘やかされ、礼節を知らず、人としての最低限の躾もされていない、今の若者世代には、常に死と隣合せだった頃の、過酷な時代の事を、真剣に教えるべき。
何かあった時に艦長に対して視線がいくのはリアルであるあるですね
国際法に通じていたのは素晴らしいが、まだ大佐で個艦の艦長という立場でよくそれだけ決断できたなぁと思います。
今みたいに司令部に連絡できる時代じゃなかっただけに、余計に・・・ですね(;^ω^)
いつも判りやすい解説、ありがとうございます。
ハイレベルな講義ありがとうございます。
東郷平八郎って艦長時代から優秀だったのね。
勉強になりました。
ありがとうございます😊
日本海海戦のエピソードばかり有名で、かくいう自分もそのくらいしか知らなかったんですが、やはり偉人というのはある一点だけで評価されるものではなく、様々な積み重ねの賜物なんだな、と思いました。
東郷さんの国際法エピソードは、日本海海戦2日目の掃討戦にもありましたね。
「ロシア艦隊が降伏する際に降伏旗を揚げた。秋山参謀は東郷に「長官、敵は降伏しました、砲撃をやめましょうか?」と提案した。それを見ても東郷長官は黙殺し、「本当に降伏すっちょら、(機関を)停止せにゃならん」と国際法を網羅している東郷ならではの返答をした。」(Wikipediaより)
なお、ロシア側が機関停止の必要性に気づいたのは約20分後
東郷平八郎というお名前だけは、社会科で知っていましたが、どんな功績があったのかまでは不明で、今初めて、そのすごさを知り偉大な日本海軍の祖というべき方だったんだと、大変勉強になりました!有り難うございました🎉😂🇯🇵
これを縁に、
黄・黒・赤・青 の四色旗
を覚えましょ。
威力絶大な縁起物ですから。
その通りなのですが、ほんとの意味で日本海軍の祖といえるのは(というか、近代日本海軍を作った人というか)、山本権兵衛という人です。東郷を連合艦隊司令長官に任命したのも山本です。この二人は薩摩の同じ町内でした。もちろん、その前に幕臣の勝海舟という人がいて、彼がいなければどれほど遅れただろうと思います。
@@BVW996 有り難うございます😄何も知らない者で、色々と教えていただくのは、本当に感謝いたします!こういう軍事関係に興味を持ったのは、ほんの最近なので、嬉しいです👍🎶🇯🇵有り難うございました!
司馬遼太郎さんの「明治という国家」に東郷さんが学んだ商船学校の話が書かれてました。
この動画を観てその学校で規律の点数が最高点だった話を思い出しました。
明治の軍人や政治家は、幕末から明治の始めまでの切った貼ったを潜り抜け、実戦というものを肌で感じてきた面々ばかり。それが日露戦争をあのような形で収めたことに繋がっていたのでしょう。
少佐ありがとうございます!
普段は旧海軍は専門外と
仰られただけに、
早速拝見しました。
坂本龍馬も語ったと
される国際法📖の
重要性。現在のものと
の比較も含めて、
また改めて語って
いただきたいです!
英国留学時の東郷平八郎ってハンサムですよね。 (笑) 組織として常に身綺麗にしておくってのが堅苦しい反面、後からきっといいことあるよって言う本当に貴重な例ですよね。 東郷平八郎氏については元帥府に列せられる様になってから(担がれちゃって)残念な話もありますけれど、ホントに現役の頃はいい仕事しましたね。 米国人の多くは例えば太平洋戦争での火炎放射器の使用について当時のジュネーブ協定に署名しなかったから束縛されてなかったからいいんだって主張して憚らないですが、一般の方々はともかく、現在の米軍の士官達はどう認識してるんでしょうネ。
ちょうど連休使って江田島の資料館を拝見してきたので、より理解が深まりました。
江田島見学を機に海軍の歴史に興味を持ったので、また解説動画を更新いただけると嬉しいです。
防大の靖国行軍の話とかも聞きたいです!
高陞号事件については、本木雅弘が秋山真之を演じたドラマ「坂の上の雲」でも同様に描かれていまたね。あの時の東郷平八郎役は渡哲也でとても感動いたしました。東日本大震災がなければ日本海海戦の描かれ方もまた違ったのではと思う次第です。
分かりやすい解説ありがとうございます😊
分かりやすい解説、ありがとうございます。
よく日本海海戦の東郷平八郎がすぐに射撃をせずに何故あんなギリギリのラインまで敵を引き寄せたか?ということが言われますが、実はカンとかではなく、東郷司令長官の経験によるものです。
かつての戊辰戦争における阿波沖海戦が東郷平八郎の初の海戦でした。その際に新政府軍と幕府軍の軍艦の砲撃が距離1200メートルから1500メートルでも全く命中しなかった様です。視界も良好とは言えず、波も高くブレも酷かったとか。だからこそ、ギリギリのラインの距離6400メートルまで近づいたのでしょう。過去の実戦で艦砲は、特に初弾を急いで撃っても当たらないという学びがあったからです。東郷ターンと呼ばれた捨て身の敵前大回頭も自信の裏付けですね。
ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます
生きていればこその確認作業。
予断を許さない緊急時においても決心できる士官を以て、各員の命を大切にして頂きたく願う。
また、我の理を明確に力強く示せる上級部隊である事も願う。
東郷は、映画「大日本海戦」でかっこよく描かれていて好きになった。
豪快なエピソードが、印象に残りますが、村上海軍のТ字戦法だけでなく国際法なども地道にコツコツと勉強していたんですね。
勉強って大事ですね。豪快なエピソードを支える地道な勉強があったんですね。
先日のイスラエルの件の続きかな?「国際法の遵守」は必要、でないと交渉すらできない。ただし、権威を味方につけないと成果につながらない、ということかも。
いつも楽しみにしております。今後も慌てず急いで正確に動画をアップ頂けるとありがたいです。よろしくお願いいたします。
これは待っていました。実は私も記念艦三笠保存会会員としてこの話しを聞いて嬉しいです!
いつも楽しみにいています。
胸が熱くなる話ですね。判断を仰がれた際の艦長の例え話でもそのとおりと思いますが、判断するにあたってはそのもとになる論拠が必要ということに思いを新たにしました。
こういうときの周りの目って、痛いんですよね。サラリーマンの世界でもその点だけは似ています。
東郷平八郎と言えばバルチック艦隊撃破ですがそれまでの経緯も色々あって乗り切っている人なんですね。
国際法は本当に重要ですね。特に戦時。最近は特にそういう状況になって来ていますので国民皆がある程度の知識は必要かなと思います。
これは初めて聞く逸話ですね。
やはり日本海海戦の圧勝のイメージが強いお方でしたので
海戦の技能と同時に国際法にも長けていたとは…
自分が知ってるのは
捕虜を扱う際は自国軍将兵と同等の待遇とする事。
氏名、年齢、性別、階級のみ申告すればいい事。
虐待もしくはそれ紛いの行為は御法度。
衛生業務に就く将兵の攻撃も御法度。
これくらいでしょうか。(間違ってたらごめんなさい)
nhkのドラマ「坂の上の雲」を見て初めて知ったエピソードだが、その時は、イギリス人船員が清に脅されていたが故に・・・といった道義的な部分が強調されていた気がするが、実際の東郷の判断はそれよりはるかにクールな国際法を基盤にした判断だったと理解できた。感謝!
たしか、横浜市の西端 相鉄線いずみ中央駅の近くだと思いますが、明治天皇の指示で建立された東郷元帥の日露戦争での武勲を称える巨大な石碑がありますね。
東郷家は、もともとはこのあたりの豪族で、のちに島津家かしんとなり鹿児島へ移り住んだときいています。
NHKのドラマ、司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」を何度もDVDを見返してます。渡哲也さんの東郷平八郎役、本木さんの秋山真之役、良かったです。
その場の問題を回避するために、
風見鶏な対応をすることなく、
法と、ルールと、信念に基づき、筋の通った言動をする。
そうあれるよう、生きていたいですね。
明治期の日本政府は国際的な視野に立って行動していたと思います。昭和に入っておかしくなり、結果的に大東亜戦争で多くの人が亡くなった。
このような逸話を聞くと、日本海海戦の東郷平八郎の決断は、成るべくして成されたものだとわかりますね。
東郷平八郎、男前ですね。
今日 横須賀で三笠を見学してきたタイミングでオオカミ少佐が東郷平八郎の動画を上げてくださるとは…!
いつも楽しく拝見させていただいています。
動画リクエストとして副官について解説していただきたいです。
よろしくお願いします
東郷閣下というと日露戦争のZ旗&バルチック艦隊撃破のイメージしかなかったんですが、以前から国際法を熟知しておられたのですね。歴史を知ることは勉強になります。今回は通常通りボケもあって、楽しめました。ありがとうございます。
三笠に乗って日露戦争戦ったんだよなぁ。三笠かっこいいです横須賀に停泊してるのを釣り船に乗ってそばで見たことがあります装甲あって強そうな船だった。
素晴らしい・・東郷提督が主人公の大河ドラマ作らないかなnhk・・(・・坂の上の雲がありました)
秋山真之参謀もお願いします。
教育参考館を見学しましたが、「坊主頭の東郷に残すほどの遺髪があったのかな?」と思いました・・・
孫は彼の自宅で見かけたことがあります。話しかけときゃよかったなーと今更ながらに思いましたが、その下の代とは結構遊んだので十分貴重な経験でした。顔は若い頃に似ています。
高陞号事件のことは伝記や坂の上の雲で知っていましたが、ハワイでの一件は初めて知りました。
軍艦の一艦長の頃から国際法に精通し、毅然とした態度を示しているのは流石だと思います。
東郷平八郎については、日本海海戦くらいしか知らないので、ためになるお話でした。
ちなみにモールス信号の『の』は、乃木東郷(・・ーー )で覚えるくらいなので、当時はものすごく有名な方だったんだと思います。
やはり立派なお方だ
坂本龍馬の海援隊も国際法に詳しかったみたいですね。
スポンサーがグラバーでしたからね。
やっぱり鬼ヶ島で国際法泣くほど叩き込まれんじゃん!!(ToT)
日本海海戦はとても有名で映画でも見たこともありましたが東郷平八郎元帥の立身出世の時代のエピソードは知りませんでした。
大いに手本となる先達のお一人ですね。
東郷元帥武士だなあ。海兵さんだ。軍艦って治外法権なんですね。
船は基本的に外国(船籍の国)扱いです。
東郷平八郎は確か数えで14の時に薩英戦争で大砲部隊の支援隊、明治維新では宮古湾海戦、函館湾侵攻戦を経験しているんですよね。
年齢は若くとも、その歴戦の経験と、上記のいずれも国際法を意識する戦いでしたので、それらの経験、経過、結果を全て反芻出来たのは滅茶苦茶大きいと思います。^^
日本の終戦当時アメリカの海軍トップの、ニミッツ提督も青年の時、
ロシアを負かした東郷さんをリスペクトしてたってね。
ハワイの戦艦ミズーリの入り口に、ニミッツの銅像と共に、東郷さんのエピソードも紹介してるよ。
夕張神社の神額は夕張の良質石炭に感謝していたという東郷が揮毫した物
アメリカ 海軍が鹿児島港に時々寄港し、近くにあるお墓に参拝し敬意を示しています。
夜は自由行動で多くの水兵が天文館に繰り出し、MPも巡回して賑やかです。
生家は旧女学校になり、誕生日には女学生が作ったお餅を送っていたそうです。
現在は鹿児島中央高校となって、お向かいは陸軍大将大山巌の生家跡であります。
日露戦争の陸海軍両司令官の生家が近所だったのです。
東郷元帥のエピソード、初めて知ったが、後の日本海海戦の立役者たる素質が現れているようだな、流石、九州男児ばい。
良いお話でした、そうすると今の外務大臣は、いいな、言うことに1本信念みたいなものが見える。
外国で学んできた人は違いますね。海外から日本を見る、どう見られているかを
知ることは本当に今の政治家に皆さん身に着けてほしいものです。
関心がない、知らない、分からないは、罪です、
知らない間にロシアみたいになってしまいますから。
日本海海戦で若い士官のアイデアを取り入れるあたりも次回お願いします
昔東京に東郷鋼と言う会社があり、よく東郷やーね❣と言っていたそうな
うむ、”元”で何よりと思わず唸ってしまいました()
面白い動画をありがとう!
勉強になりました😁
少佐が帝国軍人の説明するのは珍しいですね!
東郷平八郎で好きなエピソードと言えば
昭和始めの観艦式の時の話でさね
お召し艦の甲板を綺麗にしていた水兵が、途中に立っていたお偉方の靴先が邪魔だったため
「ちょっと退いてください」
と言った。お偉方は
「はいよ」
と避けた
このお偉方とは東郷平八郎元帥
これを見ていた陸軍大将は
「自分は今日恐ろしいものを見た」
と語ったとか
何でも可ということで、東郷神社は日本一のパワースポットです。特に橋の真ん中。近くの方は、足を運んでみる価値ありです
実力と大義名分はいつの時代でも大事なのかもしれない
ほんと、歴史上の人物からは学ぶことが多いですね。
真に賢い軍人は、国際法の知識なども重要ですが...
それらを基としての、緊急時にパニックにならないこと。
前後関係、先見の目を持つことなのかもしれませんね。
最近、Natureで米軍と陸海空の特集をしてくれているので、
そちらも平行して学びたいものです。
( ¯ ω¯ )b
ある男から聞きました。
「一つの優より3つの可。」
当直する方々はゼネラリストでないと。
なおかつ担当部署のスペシャリスト、大変ですね。
12:40 この間の小原台刑務所の開校記念祭に遊びに行ったところ旧来の友人と同じ部屋の人間が防衛学の単位を落として留年した旨の掲示がされてましたがこれは防衛学が4単位だからってことですか?
どうか
『このテイタラク』
の如きにはなりませぬよう
いえ、心配はいたしておりません
流石は激動の時代を生き抜いた元帥閣下。
発言の重みと面構えが違う!
おそらく英語も話せたんでしょう。
国際法。納得です。
瀬戸内海広島県沖の座礁の件で報告書から艦長この話を聞かせたいですね。
法務官に丸投げじゃ無くて艦の幹部も知識は必要なんですね。
今回はの動画もとても良い動画ですね❗️特に国民にとっても国際法は知っておくべき必要な物なのだと言う小佐のご説は、ごもっともと納得致しました👏👏👍
東郷元帥のひ孫さん(元一等海佐)と交流がありますがひげを付けたらそっくりです。
行動が国際問題に発展したり、最終的には英雄視されたりとスタートレックのカーク船長みたいw
数年前起きた千島号事件で国際法を破った裁判判決を出した英国にしてはましな判断をっしたものだな。
今の日本に東郷平八郎ほど腹の座った人間がいるだろうか?
メインかセカンドチャンネルで坂の上の雲の詳しくコメントほしいです。
海は最後の方ですが、少佐のコメント聞きたいです。
ぜひ山本権兵衛を取り上げて欲しいです!!
山本五十六、米内光政みたいな旧海軍軍人なんかまやってほしいな
永野修身もやって欲しい。
南洲翁遺訓の十七
「正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かるべからず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親かえって破れ、終に彼の制を受るに至らん」
若い頃から只者でないこと良くわかりました。この判断力、日本海海戦が単なる奇跡じゃなかったことを彷彿とさせます。
しかし録音/録画のシーンでVHSの画像を出すのは令和の時代にはいささか難ありです。ここは是非ともオープンリールテープと8mmフィルムを!
高陞号事件があったからこそ
むしろ日英同盟を結ぶに値するとの評価が
国際法に則った行動のあり様で裏打ちされる結果になっているような気がしなくもない個人的感想見解を
唐突なモズグス様わろたw
話は少し違うが、一般の大学に戦争や平和のための学部を設けてほしいな。国際法はもとより戦争学を学んで「平和」を希求する研究者や国民が多くなってほしいと思います✨
あんまり呑まないんですが、東郷ビールは飲みたいですね。
鬼貫太郎もお願いします。
東郷平八郎は「人として」も評価があるようですね。有名なのは「自分の事は自分でする」がモットーであったこと。例えば自宅に来客があってもお茶入れなどを女中に任せず自らが入れたり、また艦長室のトイレは部下にさせず自分でやったりしたという。何事も他人任せにしない、が功をさしたのでしょう。また戦勝に臨んでもはしゃぎ騒ぐことを嫌い(乃木も同じ)寧ろ「戦争は勝つことさえも恐ろしいもの」と感じていたとも。私たちが忘れてはいけない人物。
「指揮官先頭単縦陣」かの日本海海戦では艦隊先頭の旗艦三笠の露天艦橋に立って陣頭指揮した提督ですね。 日本海海戦というのは双方ほぼ同じ戦力の艦隊がお互い会敵を予期して海戦に入り、片方は全滅、此方は主力艦沈没皆無というウッソみたいな結果w。とはいえ戦争ですから敵も撃ってきますので三笠も被弾多数マストも折れ艦内113名余の死傷者を出したそうですね。東郷も自分がやられたら次席指揮官以下何をしたら良いのかは水夫にいたるまで徹底周知していたことでしょう(ちなみに、敵艦隊見ユ直チニ出撃となった27日三笠艦のキッチンでは昼食の調理を終えるや直ちに夕食の調理を開始、午後2時の戦闘開始前には戦闘配食の握り飯を各部署に配食完了。日が暮れて戦い済んだ当日夕食後は翌日夜明けと同時に追撃戦開始を予期して炊事部員一同は一層奮励努力夜を徹して調理し翌朝・昼の戦闘配食の準備を完了したといいます。ご存じの通り艦の調理は火は使わず機関からの高熱蒸気で調理するそうですが合戦となれば蒸気菅被弾破裂での2次被害防止のため送気は停止で調理不可になりますから。もちろん戦闘配食には乾パンがあるわけですが、やはり日本人握り飯でないと腹に力がW人生最後の食事がビスケットというのではどうもね)。寡黙な人だったようで話し方も抑揚が無くて訓示訓話は下手、戦争が無ければあくびの出るよな爺w、商船学校出身ブギャーな海軍将官でしょうが有事では肝心なことを周知徹底でき部下もまた命を預けて信頼してついてくる、やはり人徳なのかなあ。小手先の技巧でなく所謂真っ直ぐな生き方の人なのでしょうね。よいお顔をなされています。
オスプレイについて解説頂けないでしょうか?
三笠艦を紹介していただいて横須賀市民として誇らしいです😊私の家も武山駐屯地正門のすぐ側です!
東郷元帥が国際法に通じていたことは、日本海海戦の場面でも大いに役立っています。
大勢が決して掃討戦に移行していた第4合戦におけるエピソード
「提督!敵艦『インペラトール・ニコライⅠ世』が白旗を掲げております!あれは降伏の意味です!攻撃を停止しましょう!」
「ダメじゃ。攻撃を止めてはならん。」
「しかし、降伏した敵を撃つのは武人の信義にもとります!」
「あの艦は機関を停止しておらん。まだ前進しとるじゃないか。今攻撃を止めたらウラジオに逃げられるぞ。止まるまで撃ちまくれ。」
誰もが戦闘の鉄火場に熱くなる状況で東郷元帥は「軍艦の降伏には機関の停止が必要」という戦時国際法を忘れていなかったのです。
かくして乾坤一擲の奇策を看破されたロシア分艦隊司令官、ネボガトフ少将は機関停止を命じて本当に降伏を余儀なくされましたとさ。
国際法に精通していたのも重要ですが、七割は、運が良かったのですね。彼が連合艦隊長官に選ばれたのは、彼が運がいい男だからと言われてますよね。
運の強いことは才能ですね。
随分と昔の話、陸自の教育隊時代。教官から「海自の船乗りは外交官としてのプライドを持っている。お前たちとは違うぞ。」と言われた。実際外出で見かけたセーラー服は凛としていましたね。
東郷平八郎は「日本海海戦」の活躍で有名ですが、昭和に入ると政治介入を強め、日米開戦の遠因になったと知りました。どんなに有能な軍人でも、政治に介入すると国家の判断を誤らせてしまうのかなと思いました。
軍人の質にもよりますけどね。蒋介石はキリスト教に改宗してアメリカやイギリスを味方につけたり、フランコ将軍は内戦後のスペインを立て直し、世界大戦の戦火からスペインを守った。
逆に近衛文麿・広田弘毅・ヒトラー・チャーチル・ルーズベルト・スターリン等は文民統制の逆機能で世界大戦を引き起こした。
お疲れ様です。今度はゴジラ-1を取り上げてください。かっこよかったです。震電が!
父が海軍でした。もっといろいろな話しを聞いておけばよかった、と思っています。海自には海軍からの伝統を受け継いでいることってたくさんあるのですか?
「甲板整列」が問題になった事もありましたね
不思議な縁ですが、東郷平八郎の子孫の方が茶道を教えていて、師事したことがありました。
東郷平八郎「首、置いてけぇ」
それ違う薩摩の方では((((;゚Д゚))))
戊辰戦争当時は日本が国際デビューして間もない頃。函館政府の榎本武揚は新政府軍に降伏する際、これは大事な書物だから新政府で役立ててほしいと、国際法に関する書物を新政府軍に贈ったとか。幕末から明治初期にかけては、国際的なルールを必死で学んでいた時代だったのだと思います。
モズグス様はもはや一般教養。
良く訓練された候補生は可が取れます
ということは、優を取ると言うことはせんn・・・。
かーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!