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関西圏ではカブの事をかぶらって今でも言いますね。
平安時代の絵巻物に描かれた長屋は掘立柱に柱の間に筵を張っただけの建物で、京都の冬をこんな建物で越したのかと思うと想像しただけで震えがくる。
当時の庶民は記録なんて残さなかっただろうから、庶民たちの生活に関する資料漁るの大変そう
朝廷っていうから貴族は午前中に勤務していたんだな
最近ではかなり激務だったらしい
誰が上手い事を言えとヤマダくーん座布団
高貴な女性に恋をしてストーカーみたいになった男が女性への思いを諦めるために召使いが持って出た「樋箱」を奪い取って開けてみた所、黄色い水と小さな茶色の物が入っていておお!思ったら黄色い水は甘葛水で甘く、茶色の物は香木を粉にして練った物であまりの高貴なる感動?の為に諦めるどころか恋い焦れて煩悶死した話好き。
平仲物語などにある有名なエピソードですね。谷崎の小説にもなっています
寝殿造りは寒そうだし、陰陽道や仏教に縛られて食べるのも、風呂に入るのも占いだし…令和の年金暮らしの方がよほどのマシ
コメントありがとうございます!そう考えると今はほんと自由ですね😊
令和の年金まではギリセーフだろうが、次の年号だと年金暮らしなんて到底できなさそう
寒いから着込んで十二単衣が出来たな。
当時の気候は、(縄文杉の年輪より推定すると)現代よりはるかに暖かったそうです。日本の住居は、元来冬の寒さを考慮するより夏の暑い時期をより快適に暮らせるかに重点を置かれていたのではないでしょうか? 当然、あの寝殿造りで現代の京都の真冬を、火桶しかない状況で通せと言われても無理でしょう(笑) 桜の開花も、現代は3月末か4月の頭位ですが、当時は3月頭前後だったらしいですね。また、藤原道長や平清盛の死因はマラリアだったのではともいわれています。作物の収量は、意外と多かったかもですが農法が・・・。それでも、冬は寒いため重ね着(十二単)だったのかもしれませんね。因みに、お風呂はまだ蒸し風呂で(庶民は水浴び)、寒くなった鎌倉時代になってから湯につかる事が行われ始めたとも(湯浴びも)。庶民が入れるようになったのは、ずっと後の江戸時代元禄・享保を待たねばなりませんので、まぁ新しいといえば新しい習慣なのかもしれませんね。
@@syoku_history 様まあ、新たな戦前になりつつある危険は感じるし、物価は高いし、閣僚は平安貴族並みに使えねえけどね💩💀
木箱のトイレは源氏物語にも出てくるよね。桐壺の更衣が天皇に会いに行かないように、廊下にぶちまけた話が出てくるよね。
霊夢が視聴者が思ってそうなことをトレースして話してくるから内容が入ってきやすいね
芋粥うまそうなの分かる😊でも当時の芋がどんなのだろうか、はて芋ってどこから来たんだっけ、今は紅芋やシルクスイートに鳴門金時、ちょっと前までただのジャガイモで作ってたけど、こういうの使ってからもう尋常ではなく美味くて幸せ
戦前まで青い物といえば長ネギ、土の中は大根がメイン。
肉として口にしていたのは、雉や鴨などです。鶏は卵をとるため、また時計として、そう簡単につぶせませんし。
酒を飲む時はつまみで菜っ葉か。俺も小松菜や湯がいて、大根の葉とか生で(辛くて美味いのよ!)つまみに食べるな。時期物の野草は基本美味いもんな。春は田芹とオオバコ混ぜた胡麻和えなんて、ほろ苦で芹の香広がって本当に美味い。蕗の薹なんかは砕いて味噌に混ぜて味噌焼きにして。濁酒は今も贅沢だよ。合わせてやったら最高だな。 まぁまんじゅうや羊羹で酒飲むくらいの馬鹿だけど、日本食文化の根底は平安時代には出来てただろな。
トイレットペーパーの代わりにするものとして使い終わった木簡や竹簡でした。竹簡は良くトイレを発掘すると出てくるらしく、物流の目録等の記録が書かれていることが多かったようです。
御簾のある寝殿造りの部屋。目の前には松の大木並木。憧れますね😊
紫式部や藤原道長が登場する来年の大河ドラマで平安時代の衣食住などが、どの様に表現されるのか楽しみでならないわ😆✨
来年が待ち遠しいですね🌸。・:+°。・:+°。🌸
@@グレイグリ-q8e こんなに楽しみにしている大河は「龍馬伝」「平清盛」以来です😍
よく言われるように現代日本に生まれだけで人生ガチャではかなりの勝ち組
据供御と言えば今で言えば宮中で朝見の儀や立太子礼の料理で8品出されるが口にしません。
団茶、プーアール茶が今でも団子型で売られていますよ!嵩張る茶葉を持ち運びやすくする目的があるようです。飲む時は少量削ってお湯で煮出して飲んでいたのではと思います。
魔理沙「色んな瓜!気になるわね」善児「マクワウリなんてどうだ?」
団茶はモンゴルとかで重宝されていたと聞いた事があります。
コメントありがとうございます!そうなんですか😳
ほんの20年前とか新蔵でも遊牧民は野菜が手に入らないので団茶からミネラルなどを取っていたという話でした。
あと高原地帯の遊牧民は家畜に岩塩の塊をやったりするので鑑賞後の据供御も食べられるかもしれませんね
黒茶…プーアル茶の仲間はフリスビー型とかレンガ型に固められて今も現役で遊牧民やチベットの人の生活を支えていますよ。肉と乳製品ばかりで寒い気候なので、ビタミンと暖を取る用に四六時中飲むんだとか。…補足までに、現代のカタマリのお茶はちゃんと美味しいよ!
四国に碁石茶という、乳酸発酵させた固めたお茶がありますよ。一次発酵で白カビをつけるそうで、私は白いカビにアレルギーがあるので飲めませんでしたが。
餓死や栄養失調で死ぬ人が多かった前近代ではとにかくよく食べ太ってることが死から遠ざかることだとい認識だったのだろう
まあ、平安時代でデブになれるのは高貴な身分だけでしょうし。高貴な身分となると、衣装などオーラも凄いからデブでも問題なし。
木材といっても木べらのようなものなのかな?いずれにしても痔になりそうだw
欧州ではポリッジというミルク粥を食べます。シナモンで香りづけをしたりします。日本人はまず牛乳に抵抗感を覚えると思いますが、美味しいですよ。
結核は不摂生でなる病気ではないので、改めてほしい
平安時代よりも酷かったと言われてる中世ヨーロッパはどれほどだったんだろう?
ちょっと食べてみたいなあ
コメントありがとうございます!ちょっと興味ありますね😁
お寿司って誰が考えたんでしょうか?天才ですね。江戸時代のファーストフード
同感です✨天才ですね!
トイレの話の後に食事の話を持ってこられても……
あれ?芋を下人が大量に用意しているのが見えてそれだけでもう食べ過ぎた気分になったたって話じゃなかったかな?
芋粥を食べる前にもうあきたってはなしですよね
な、な、奈良時代…
もし江戸時代の地方に行って、農民の食事の価値を啓蒙することができたら、江戸に身売りする女性たちを少しは減らせるかも知れませんね。
朝におかゆを食べるのは、現代の中国にもある文化ですよね。中国のケンタッキーにはおかゆメニューがあるとか。団茶も現代の中国で売られていますね、もっともデザートではなく、茶葉を簡便に保存移動するための形態だと思いますが、、当時の人は何か勘違いをしてたのでしょうか?なんにしろ中国文化の影響が平安時代は強いように感じました。
さらっと奈良時代を平安時代に組み入れないで😂
13:10「菜」から「肴」が出来たって意味がよくわからない。文字の話?
分かりにくくて申し訳ありません!酒+菜で、「肴、さかな」となったようです!ですので肴とは、お酒を飲むときに味わう料理のことを指すようです。
私、平安時代ならモテたのに・・・😓
🙏
平安時代は多分、794年くらいから。紫式部は多分、奈良時代の人。
マジレスするけど紫式部は藤原道長(966〜1028)の娘の彰子に仕えた女官で平安時代は794年からだから紫式部は平安時代の人。平安時代は12世紀末まで続いたから結構長いんじゃ。
関西圏ではカブの事をかぶらって今でも言いますね。
平安時代の絵巻物に描かれた長屋は掘立柱に柱の間に筵を張っただけの建物で、京都の冬をこんな建物で越したのかと思うと想像しただけで震えがくる。
当時の庶民は記録なんて残さなかっただろうから、庶民たちの生活に関する資料漁るの大変そう
朝廷っていうから貴族は午前中に勤務していたんだな
最近ではかなり激務だったらしい
誰が上手い事を言えと
ヤマダくーん座布団
高貴な女性に恋をしてストーカーみたいになった男が
女性への思いを諦めるために召使いが持って出た「樋箱」を
奪い取って開けてみた所、黄色い水と小さな茶色の物が入っていて
おお!思ったら黄色い水は甘葛水で甘く、茶色の物は香木を粉にして練った物で
あまりの高貴なる感動?の為に
諦めるどころか恋い焦れて煩悶死した話好き。
平仲物語などにある有名なエピソードですね。谷崎の小説にもなっています
寝殿造りは寒そうだし、陰陽道や仏教に縛られて食べるのも、風呂に入るのも占いだし…令和の年金暮らしの方がよほどのマシ
コメントありがとうございます!
そう考えると今はほんと自由ですね😊
令和の年金まではギリセーフだろうが、次の年号だと年金暮らしなんて到底できなさそう
寒いから着込んで十二単衣が出来たな。
当時の気候は、(縄文杉の年輪より推定すると)現代よりはるかに暖かったそうです。日本の住居は、元来冬の寒さを
考慮するより夏の暑い時期をより快適に暮らせるかに重点を置かれていたのではないでしょうか? 当然、あの寝殿造りで現代の京都の真冬を、火桶しかない状況で通せと言われても無理でしょう(笑)
桜の開花も、現代は3月末か4月の頭位ですが、当時は3月頭前後だったらしいですね。また、藤原道長や平清盛の死因は
マラリアだったのではともいわれています。作物の収量は、意外と多かったかもですが農法が・・・。
それでも、冬は寒いため重ね着(十二単)だったのかもしれませんね。因みに、お風呂はまだ蒸し風呂で(庶民は水浴び)、
寒くなった鎌倉時代になってから湯につかる事が行われ始めたとも(湯浴びも)。庶民が入れるようになったのは、ずっと
後の江戸時代元禄・享保を待たねばなりませんので、まぁ新しいといえば新しい習慣なのかもしれませんね。
@@syoku_history 様
まあ、新たな戦前になりつつある危険は感じるし、物価は高いし、閣僚は平安貴族並みに使えねえけどね💩💀
木箱のトイレは源氏物語にも出てくるよね。
桐壺の更衣が天皇に会いに行かないように、
廊下にぶちまけた話が出てくるよね。
霊夢が視聴者が思ってそうなことをトレースして話してくるから内容が入ってきやすいね
芋粥うまそうなの分かる😊でも当時の芋がどんなのだろうか、はて芋ってどこから来たんだっけ、今は紅芋やシルクスイートに鳴門金時、ちょっと前までただのジャガイモで作ってたけど、こういうの使ってからもう尋常ではなく美味くて幸せ
戦前まで青い物といえば長ネギ、土の中は大根がメイン。
肉として口にしていたのは、雉や鴨などです。
鶏は卵をとるため、また時計として、そう簡単につぶせませんし。
酒を飲む時はつまみで菜っ葉か。俺も小松菜や湯がいて、大根の葉とか生で(辛くて美味いのよ!)つまみに食べるな。
時期物の野草は基本美味いもんな。春は田芹とオオバコ混ぜた胡麻和えなんて、ほろ苦で芹の香広がって本当に美味い。蕗の薹なんかは砕いて味噌に混ぜて味噌焼きにして。濁酒は今も贅沢だよ。合わせてやったら最高だな。
まぁまんじゅうや羊羹で酒飲むくらいの馬鹿だけど、日本食文化の根底は平安時代には出来てただろな。
トイレットペーパーの代わりにするものとして使い終わった木簡や竹簡でした。竹簡は良くトイレを発掘すると出てくるらしく、物流の目録等の記録が書かれていることが多かったようです。
御簾のある寝殿造りの部屋。目の前には松の大木並木。憧れますね😊
紫式部や藤原道長が登場する来年の大河ドラマで平安時代の衣食住などが、どの様に表現されるのか楽しみでならないわ😆✨
来年が待ち遠しいですね🌸。・:+°。・:+°。🌸
@@グレイグリ-q8e
こんなに楽しみにしている大河は「龍馬伝」「平清盛」以来です😍
よく言われるように現代日本に生まれだけで
人生ガチャではかなりの勝ち組
据供御と言えば今で言えば宮中で朝見の儀や立太子礼の料理で8品出されるが口にしません。
団茶、プーアール茶が今でも団子型で売られていますよ!嵩張る茶葉を持ち運びやすくする目的があるようです。
飲む時は少量削ってお湯で煮出して飲んでいたのではと思います。
魔理沙「色んな瓜!気になるわね」
善児「マクワウリなんてどうだ?」
団茶はモンゴルとかで重宝されていたと聞いた事があります。
コメントありがとうございます!
そうなんですか😳
ほんの20年前とか新蔵でも遊牧民は野菜が手に入らないので団茶からミネラルなどを取っていたという話でした。
あと高原地帯の遊牧民は家畜に岩塩の塊をやったりするので
鑑賞後の据供御も食べられるかもしれませんね
黒茶…プーアル茶の仲間はフリスビー型とかレンガ型に固められて今も現役で遊牧民やチベットの人の生活を支えていますよ。肉と乳製品ばかりで寒い気候なので、ビタミンと暖を取る用に四六時中飲むんだとか。
…補足までに、現代のカタマリのお茶はちゃんと美味しいよ!
四国に碁石茶という、乳酸発酵させた固めたお茶がありますよ。一次発酵で白カビをつけるそうで、私は白いカビにアレルギーがあるので飲めませんでしたが。
餓死や栄養失調で死ぬ人が多かった前近代ではとにかくよく食べ太ってることが死から遠ざかることだとい認識だったのだろう
まあ、平安時代でデブになれるのは高貴な身分だけでしょうし。高貴な身分となると、衣装などオーラも凄いからデブでも問題なし。
木材といっても木べらのようなものなのかな?いずれにしても痔になりそうだw
欧州ではポリッジというミルク粥を食べます。シナモンで香りづけをしたりします。日本人はまず牛乳に抵抗感を覚えると思いますが、美味しいですよ。
結核は不摂生でなる病気ではないので、改めてほしい
平安時代よりも酷かったと言われてる中世ヨーロッパはどれほどだったんだろう?
ちょっと食べてみたいなあ
コメントありがとうございます!
ちょっと興味ありますね😁
お寿司って誰が考えたんでしょうか?天才ですね。江戸時代のファーストフード
同感です✨
天才ですね!
トイレの話の後に食事の話を持ってこられても……
あれ?芋を下人が大量に用意しているのが見えてそれだけでもう食べ過ぎた気分になったたって話じゃなかったかな?
芋粥を食べる前にもうあきたってはなしですよね
な、な、奈良時代…
もし江戸時代の地方に行って、農民の食事の価値を啓蒙することができたら、江戸に身売りする女性たちを少しは減らせるかも知れませんね。
朝におかゆを食べるのは、現代の中国にもある文化ですよね。中国のケンタッキーにはおかゆメニューがあるとか。団茶も現代の中国で売られていますね、もっともデザートではなく、茶葉を簡便に保存移動するための形態だと思いますが、、当時の人は何か勘違いをしてたのでしょうか?なんにしろ中国文化の影響が平安時代は強いように感じました。
さらっと奈良時代を平安時代に組み入れないで😂
13:10「菜」から「肴」が出来たって意味がよくわからない。文字の話?
分かりにくくて申し訳ありません!
酒+菜で、「肴、さかな」となったようです!
ですので肴とは、お酒を飲むときに味わう料理のことを指すようです。
私、平安時代ならモテたのに・・・😓
🙏
平安時代は多分、794年くらいから。紫式部は多分、奈良時代の人。
マジレスするけど紫式部は藤原道長(966〜1028)の娘の彰子に仕えた女官で平安時代は794年からだから紫式部は平安時代の人。平安時代は12世紀末まで続いたから結構長いんじゃ。