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みなさまご視聴くださりまして誠にありがとうございます。ゆっくり旅チャンネルのうp主です。こちらの方がみなさんご覧くださっておられるので、少し宣伝とおねがいです。今度の迷道路は桜橋のお話ですが、参考文献が揃ってきましたので、今までの武生の国道8号の迷要素や歴史、そしてその変遷をまとめた動画を作成しようと思っております。もし興味がおありの方はGOODボタンをよければ押してください!!多ければ多いほど本音ではありますがやる気が出ます。迷列車とはひと味違いますが、実際にチャリで走ってきたのでより深掘りできると思います。あと、第6回の迷列車 歴史機関車編は関門海峡を越えた電気機関車のお話です。12月の初旬は大忙しのため今ストックを作っております。みなさんに飽きずにみてもらえるように投稿頻度の定期化をしておりますので、是非楽しみにお待ちください。ここまでお読みいただきましてありがとうございました。これからもゆっくり旅チャンネルをどうぞよろしくお願いします。
失礼しました。第五回がのことです。第6回目は山陰本線を高速で走り抜けたアクロバティック運用の機関車のお話の予定です。
う~ん 本編が始まるまでが長いぁ
まあ、新性能機関車としては唯一の蒸気暖房装置付きとしてEF61形はつくられていたが、客室用電源車を専用で連結した20系客車が登場すると、機関車側で暖房装置を用意する必要が無くなったことが最大の不幸だったおまけに軽量化のために安い金属使ったから蒸気暖房装置による腐食がひどく、改造の種車として使えなかったというネタもあるさらに付け加えるとEF58形の後継として登場したのに、郵便荷物列車が電気暖房式になることで、電気暖房装置に載せ替えたEF58形がカムバックしてきたという実は郵便荷物列車にEF62形が抜擢されたのは、電気暖房装置搭載機だったからというオチがある
ちょっと待って!新性能直流電機なら確かにEF61が唯一だけど、新性能電機では他にED72とED76があることをお忘れ無く(^^);コレは九州も北海道も電気暖房が普及していなくて、当時まだ膨大な在籍両数があった在来一般型客車を電暖化するより、電化区間も短く所要数もまだ多くなかった電機にSG積んだ方が得策とされたんだ。尤も…北海道はその後電化区間が伸びず、小樽~旭川間に乗り入れても区間内が短距離の列車だとわざわざ電機に交換するよりDD51で通した方が簡単だったりしたのでED76ー500の出番はあんまり多くは無かったし今は確か全廃されたんじゃ無かったかな?九州のED72やED76、ED76-1000も管内の在来一般型客車はSG仕様ばっかりだし温暖な九州(って北部九州はぶっちゃけ日本海側の延長だから冬は寒いし意外と降雪量もあるのだが…)でEGまでは要らないと判断されたのだろうね(そのくせED75-300はED75としての基本仕様統一なのか?九州では出番の無いEG積んでたが…ED74は元々北陸本線に投入予定だったからEG仕様車なのは必然だった)。ED72・ED74は全廃されED76もJR九州在籍車はもういないけれど、JR貨物在籍車は後任がいない(EH500は軸重の関係で八代や幸崎以南には入れない。EF510は配置が無いしあったとしても同じ理由で入線不可)のでまだまだ少数が[老骨に鞭打って]頑張ってる。
@@SleeperExpressJNR ED76 500番台は、確か61-11で逆に運用をDD51に譲りJR北海道には継承されなかった。私がその前年に乗った41・46列車なんか、わざわざ小樽~札幌(苗穂)をED76に付け替えてた…
懐かしいです。子供のころにセノハチ補機運用のEF61をよく見てました。そんなに珍しい車両だったなんてってこの動画を見て初めて知りました。
コメントいただきましてありがとうございます。私は小さい頃こそ貨物列車が身近に走っておりましたが、今はただの通勤路線と化してしまっているので、お気持ちわかるような気がします!是非宜しければこれからもよろしくお願いします!
悪い機関車ではないのに、生まれた時期が悪かった為に早期に淘汰されたEF61形0番台、完全な形で保存されて無いのが残念。
EF58の新性能版という位置付けでしたね、とてもスマートな車体で65よりも客車には似合っていた気もします。あさかぜ牽引で20系豪華編成の運用に入っていた事は有名ですが、山陽線で活躍時代もごく稀にあかつきや日本海のEF58代走運用に入った事もありました。
そもそもEF61形はEF60形からの改良形だから、後の改良増備形のEF65形やEF66形(これらの2形式の流れを継承している機関車が現在のEF210形)の原点と基盤を築いた機関車なので、なくなってもそんなに惜しくは感じないですね。
JR貨物、広島車両所内に保存されたEF61-4号機。カットモデルの状態で第1エンド側のみ保存されていたが、2022年より解体されてしまったため現存する車両は無くなってしまった
40年近く前の話ですが、全機広島所属で荷物、呉線貨物、団臨でひっそりと稼働してました。広島工場お得意のps22パンタ装着もいましたよ。(58だけでなく、59にまで着けてましたが!)見せ場は荷物運用の重連でした。たまに58とペアになる時があって喜んで撮影したものです。荷物運用が62に変わる数ヶ月前に58が下関所属になり(東京58の貸出もありました)それと同時に廃車だったと記憶してます。61最後の状態ですが、浜58ほど汚れてなく、米58ほど綺麗ではなかったです。鉄道ファンは58の動向に血眼で(私も)、61はひっそりと、その生涯を終えた感じです。
新型直流電気機関車の最初はED60。EF61 0番台がセノハチの補機に使われたのはデビュー直後(151系、153系の出力不足を補うために間合い運用で充当。EF59の改造より前)EF61はセノハチ用に本格改造されてない(EF60種車のの200番台のみ)。0番台は1984年に運用終了。1991年は元EF60のEF200番代で、0番台は関係ない
EF200番台?
@@halumi2002 EF61-200番台、コレとEE64-1000番台はほぼ登場時期が一緒。当時鉄道ファン誌見て萌えた覚えが有ります。
80年代山陽本線沿いに住んでいましたが、EF61はゴハチと共にニモレによく使われていました。写真も撮りました。
白山か・・・何もかも懐かしい
151系電車もお世話になったELですね❗
ゴハチ老朽化の折、其よりは新しいSG付きと云う事での山陽荷レの先頭を占めるものの山陽荷レ客車のEG化でEF62に追われてお役御免と「三日天下」感強い機関車だが、そういう処が自分的にはツボで、Nの荷レの頭に付くのはいつもロクイチ。
最後のEF61形が広島工場で解体されたみたいです。見たかったんです。
このEF61ですが、白熱灯一灯と豚鼻シールドビーム二灯、どちらが明るかったのでしょうか…
EF60は知ってたけどEF61は知りませんでした。 opってなんて曲ですか?
EF60からEF67まであるんだよ!
カシオペア様 長らくお返事滞り申し訳ありません。オープニング曲ですが,ようやく見つかりました。MusMusさんの『小さな街の小さなカーニバル』です.皆様,今後ともどうぞよろしくお願いします🤲
マイナー交流機関車もっとやって欲しいな
コメントありがとうございます!!私もちょっとした気持ちで始めてみましたが、皆様にみていただけてとても嬉しい限りです!出来るだけ週一投稿頑張るので、よかったらこれからも是非みてくださいね!!コメントありがとうございました!
これ観たかった
大輔さん!ありがとうございます!やりがいがあります!よかったらこれからもみてくださいね!!コメントありがとうございました!
@@ゆっくり旅チャンネル 写真を増やして0番台と200番台がごちゃ混ぜだ。
んん?所謂新性能電機はまずD型のED60・ED61の方が登場したんじゃ無かったかな?EF60は元々貨物用。その登場理由は…東海道本線の電化が進んで旅客・貨物とも電機牽引化する中、関ヶ原の上り勾配を1,200t牽引するのにEF15では性能限界に近く少々きつかったのでEH10が登場したが電化が西進し山陽本線も西の方まで行くと今度はセノハチ越えにEH10では支障が生じたので後任として登場したのがEF60。当時のMax65km/h走行の貨物列車に適した性能特性で元々旅客列車牽引は考慮していなかった(直流電化区間はなるべく電車化の方針だったし、旅客用ならEF58で対応出来た)。ただ、電化が伸びると電気車の所要が増える。然し東海道新幹線が開業すれば東海道の優等列車用が捻出できるのに今ここで多数の電気車を増備するのは得策では無い。然し、電化したのに蒸機牽引のママでは乗客も現場も嬉しくない。冷房の殆ど無かった当時、せめて急行旅客列車だけでも無煙化したい!と、いうことで余剰になったら貨物用に転用することを前提にEF61が登場した。その背景にはセノハチの急勾配の存在も無視できまい。高速域での性能はEF60はおろかその改良型にして直流平坦線区の標準型EF65をも凌駕するさしものEF58も、平坦線でこそ換算60両(スハ車15両)を持って走れるモノのセノハチの25‰勾配では換算30両(スハ車で7両、オハ車なら8両程度)が限界。しかしEF61なら換算55両(スハ13両強)を単機で踏破出来る。登場間もない頃はブルトレ牽引にも抜擢された時期もあった。また、広島での滞泊時間を利用して間合いでセノハチの電車特急・電車急行の補機を勤めたりもした(その為連結器の自動解放装置が早くから設置された)。MT-46装備の151系・153系の6M6T編成では瀬野八は登れなかったから(80系の3M3Tは自力登坂できたのに…その後151系は181系にパワーアップ、153系は6M4Tになって補機連結は解消)。運用区間が東が浜松までとなって関東のファンには馴染みが薄くなってしまったEF61は一時期貨物列車運用ばかりになった時代もあったが50-3までは夜行急行旅客列車や荷物列車、専用貨物列車などもあり、それなりの活躍もしていた。1980年代になると臨客レや荷レにEF58に代わって活躍する機会も増え、回送とは言え定期重連の運用もあったのだが…59-2でその役目を終え戦線離脱してしまった。ブルトレ牽引に何故抜擢されなかったのか?と少々不甲斐なく感じるのだがコレは想像するに…EF601~14共々クイル式の駆動装置のMaintenanceが厄介だったことやSG搭載が却ってブルトレには無用だったこと、少数派の哀しさで現場に馴染みが薄かった事などがあるのでは?と愚考する。華やかな急客機として登場するも華々しい活躍をした期間は短く地味な運用が多かったEF61だけど、エクステリアデザイン、事にSideViewは中々のものだし茶塗り時代から沿線で間近に接していた老境入り[鉄]には懐かしくも大好きなカマであり、同機に出会えた時はまるでトレーディングカードのレアカードやシークレットカードを引き当てたかのような感じだった。上越線の清水トンネル越えの補機に転用するって案もあったそうだが…所謂暖地仕様のEF61を豪雪地帯に転用するには耐寒耐雪化改造は避けて通れまい。若し実現していたらどんな姿になっていただろう?(^^);
上越越え運用になったらEF65-500のようにつらら切装備されたんじゃないかな。EF61が58より早く無くなったのは運用に二モレが多くSGのせいで腐食進行が酷かったとの記述を見たような、これの交代でやってきたのがEF62だったような?
因みに61や58以上の高速性能と60の牽引力を両立させると66になります。日本の電気機関車にとって過酷な仕業は2つあります。これは日本の電気機関車が66以外「スモールエンジンポリシー」故に牽引力と出力が小さい為です。1つは重量高速貨物列車すなわち最高時速100キロ以上かつ1000トン以上の重量貨物列車はある程度の高速性能と牽引力の両立が求められる過酷な仕業、しかも名古屋や大阪圏では新快速に追われる為連続長距離高速走行が要求される過酷さです。もう一つは重量高速旅客列車最高時速110キロ、長距離連続高速走行、と言うこれだけでも日本の電気機関車にとって相当過酷な条件に加え牽引トン数500トン以上、勾配区間での補機使用も所要時間短縮の為不可能と言う日本の電気機関車にとっては無理筋、テノール歌手の秋川雅史氏が「僕だって譜面もらったら『無理です』と突き返す曲がある」と例えるぐらいの仕業です。秋川雅史氏なら譜面突き返せば済みますが、機関車は仕業表を突き返せません。65でも500トン牽引だと82キロ以上で息切れしますし、58はセノハチでは牽引不能。結局66だけが「ポテンシャルの絶対的余裕」と言うラージエンジンポリシーのメリットを活用して楽々こなせる仕業でした。で61が短命に終わったのはラージエンジンポリシーでもスモールエンジンポリシーでもない中途半端な設計が根本原因です。
@@古家武史-f5d 計画のED63の場合はMT56 650kw×4の2600kwだがギヤ比1:4.235でサイリスタチョッパ制御の有利あっても出力がEF66の3/2でEF65を上回る速度性能だがEF66に劣るし1200tの貨物列車を10‰で55km/h550tの旅客列車(東海道山陽ブルートレイン仮定)を10‰で105km/h65PFの置き換えでブルートレイン牽引はできるがスピードアップはEF66に劣るか貨物なら一般貨物置き換えだが高速貨物は重連だと
上越線も結局EF64 1000番台に追い出されてThe endだろうね。あと、知らない方も多いだろうけど、50-3までは大阪~広島の旧客普通列車あったしね。
EF60でなくEF61をブルトレ用の500番台化しても良かったんじゃ?
せっかくSG積んでるのにブルトレは逆にもったいなかったのでは。東海道、山陽筋は客車急行やローカル、荷物などSGの需要は高かったですから。
Maintenanceが面倒くさいクイル式台車が嫌われたのでは?元々EF61の旅客列車牽引は繋ぎ、ショートリリーフの発想だったから。敢えて吊りかけ式に戻してEF61-51~とかEF61-101~とかの発想はなかったのだろうね。車輌形式も標準化して形式を増やしたくないってのもあったようだし…(^^);
登録します😂
ありがとうございます‼️
最初のjrバスはどこの?!
コメントありがとうございます。あのバスはたしかな記憶ではありませんが、碓氷峠の連絡バスだったように記憶しています。
北海道のjrバスににてるとおもいまして
JRバスなのでよく似てるのかもしれませんね!ただ私もうる覚えなのではっきりとは答えられないことお許しくださいませ。
らららコッペパンがいいな。
らららコッペパン!BGMですね!?また時間あるときに探して導入してみようと思います!!コメントありがとうございました!!
パワーとスピードがあるモーターつければ長生きしたかも。
BGM教えて下さい!
コメントありがとうございます!どちらの音楽でしょうか?今確認が難しいのですが、大体どのあたりのどんな曲か教えてもらえますとお答えできるかもしれません。よろしくお願いします。
OPが終わった後の説明(?)に入るときのBGMです
お待たせしました。凱旋の行進と検索してみてください。おそらく見つかることと思います。もしご不明な点がございましたら、またお尋ねください。
ご丁寧にありがとうございます
みなさまご視聴くださりまして誠にありがとうございます。
ゆっくり旅チャンネルのうp主です。
こちらの方がみなさんご覧くださっておられるので、少し宣伝とおねがいです。
今度の迷道路は桜橋のお話ですが、参考文献が揃ってきましたので、今までの武生の国道8号の迷要素や歴史、そしてその変遷をまとめた動画を作成しようと思っております。
もし興味がおありの方はGOODボタンをよければ押してください!!多ければ多いほど本音ではありますがやる気が出ます。迷列車とはひと味違いますが、実際にチャリで走ってきたのでより深掘りできると思います。
あと、第6回の迷列車 歴史機関車編は関門海峡を越えた電気機関車のお話です。
12月の初旬は大忙しのため今ストックを作っております。みなさんに飽きずにみてもらえるように投稿頻度の定期化をしておりますので、是非楽しみにお待ちください。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
これからもゆっくり旅チャンネルをどうぞよろしくお願いします。
失礼しました。
第五回がのことです。
第6回目は山陰本線を高速で走り抜けたアクロバティック運用の機関車のお話の予定です。
う~ん 本編が始まるまでが長いぁ
まあ、新性能機関車としては唯一の蒸気暖房装置付きとしてEF61形はつくられていたが、客室用電源車を専用で連結した20系客車が登場すると、機関車側で暖房装置を用意する必要が無くなったことが最大の不幸だった
おまけに軽量化のために安い金属使ったから蒸気暖房装置による腐食がひどく、改造の種車として使えなかったというネタもある
さらに付け加えるとEF58形の後継として登場したのに、郵便荷物列車が電気暖房式になることで、電気暖房装置に載せ替えたEF58形がカムバックしてきたという
実は郵便荷物列車にEF62形が抜擢されたのは、電気暖房装置搭載機だったからというオチがある
ちょっと待って!新性能直流電機なら確かにEF61が唯一だけど、新性能電機では他にED72とED76があることをお忘れ無く(^^);
コレは九州も北海道も電気暖房が普及していなくて、当時まだ膨大な在籍両数があった在来一般型客車を電暖化するより、電化区間も短く所要数もまだ多くなかった電機にSG積んだ方が得策とされたんだ。
尤も…北海道はその後電化区間が伸びず、小樽~旭川間に乗り入れても区間内が短距離の列車だとわざわざ電機に交換するよりDD51で通した方が簡単だったりしたのでED76ー500の出番はあんまり多くは無かったし今は確か全廃されたんじゃ無かったかな?
九州のED72やED76、ED76-1000も管内の在来一般型客車はSG仕様ばっかりだし温暖な九州(って北部九州はぶっちゃけ日本海側の延長だから冬は寒いし意外と降雪量もあるのだが…)でEGまでは要らないと判断されたのだろうね(そのくせED75-300はED75としての基本仕様統一なのか?九州では出番の無いEG積んでたが…ED74は元々北陸本線に投入予定だったからEG仕様車なのは必然だった)。
ED72・ED74は全廃されED76もJR九州在籍車はもういないけれど、JR貨物在籍車は後任がいない(EH500は軸重の関係で八代や幸崎以南には入れない。EF510は配置が無いしあったとしても同じ理由で入線不可)のでまだまだ少数が[老骨に鞭打って]頑張ってる。
@@SleeperExpressJNR ED76 500番台は、確か61-11で逆に運用をDD51に譲りJR北海道には継承されなかった。私がその前年に乗った41・46列車なんか、わざわざ小樽~札幌(苗穂)をED76に付け替えてた…
懐かしいです。
子供のころにセノハチ補機運用のEF61をよく見てました。
そんなに珍しい車両だったなんてってこの動画を見て初めて知りました。
コメントいただきましてありがとうございます。
私は小さい頃こそ貨物列車が身近に走っておりましたが、今はただの通勤路線と化してしまっているので、お気持ちわかるような気がします!
是非宜しければこれからもよろしくお願いします!
悪い機関車ではないのに、生まれた時期が悪かった為に早期に淘汰されたEF61形0番台、完全な形で保存されて無いのが残念。
EF58の新性能版という位置付けでしたね、とてもスマートな車体で65よりも客車には似合っていた気もします。
あさかぜ牽引で20系豪華編成の運用に入っていた事は有名ですが、山陽線で活躍時代もごく稀にあかつきや日本海の
EF58代走運用に入った事もありました。
そもそもEF61形はEF60形からの改良形だから、後の改良増備形のEF65形やEF66形(これらの2形式の流れを継承している機関車が現在のEF210形)の原点と基盤を築いた機関車なので、なくなってもそんなに惜しくは感じないですね。
JR貨物、広島車両所内に保存された
EF61-4号機。カットモデルの状態で
第1エンド側のみ保存されていたが、
2022年より解体されてしまったため
現存する車両は無くなってしまった
40年近く前の話ですが、全機広島所属で荷物、呉線貨物、団臨でひっそりと稼働してました。広島工場お得意のps22パンタ装着もいましたよ。(58だけでなく、59にまで着けてましたが!)
見せ場は荷物運用の重連でした。たまに58とペアになる時があって喜んで撮影したものです。荷物運用が62に変わる数ヶ月前に58が下関所属になり(東京58の貸出もありました)それと同時に廃車だったと記憶してます。
61最後の状態ですが、浜58ほど汚れてなく、米58ほど綺麗ではなかったです。鉄道ファンは58の動向に血眼で(私も)、61はひっそりと、その生涯を終えた感じです。
新型直流電気機関車の最初はED60。
EF61 0番台がセノハチの補機に使われたのはデビュー直後(151系、153系の出力不足を補うために間合い運用で充当。EF59の改造より前)
EF61はセノハチ用に本格改造されてない(EF60種車のの200番台のみ)。
0番台は1984年に運用終了。1991年は元EF60のEF200番代で、0番台は関係ない
EF200番台?
@@halumi2002 EF61-200番台、コレとEE64-1000番台はほぼ登場時期が一緒。当時鉄道ファン誌見て萌えた覚えが有ります。
80年代山陽本線沿いに住んでいましたが、EF61はゴハチと共にニモレによく使われていました。写真も撮りました。
白山か・・・何もかも懐かしい
151系電車もお世話になったELですね❗
ゴハチ老朽化の折、其よりは新しいSG付きと云う事での山陽荷レの先頭を占めるものの山陽荷レ客車のEG化でEF62に追われてお役御免と「三日天下」感強い機関車だが、そういう処が自分的にはツボで、Nの荷レの頭に付くのはいつもロクイチ。
最後のEF61形が広島工場で解体されたみたいです。見たかったんです。
このEF61ですが、白熱灯一灯と豚鼻シールドビーム二灯、どちらが明るかったのでしょうか…
EF60は知ってたけどEF61は知りませんでした。 opってなんて曲ですか?
EF60からEF67まであるんだよ!
カシオペア様 長らくお返事滞り申し訳ありません。オープニング曲ですが,ようやく見つかりました。
MusMusさんの『小さな街の小さなカーニバル』です.
皆様,今後ともどうぞよろしくお願いします🤲
マイナー交流機関車もっとやって欲しいな
コメントありがとうございます!!
私もちょっとした気持ちで始めてみましたが、皆様にみていただけてとても嬉しい限りです!
出来るだけ週一投稿頑張るので、よかったらこれからも是非みてくださいね!!
コメントありがとうございました!
これ観たかった
大輔さん!ありがとうございます!
やりがいがあります!
よかったらこれからもみてくださいね!!
コメントありがとうございました!
@@ゆっくり旅チャンネル 写真を増やして0番台と200番台がごちゃ混ぜだ。
んん?所謂新性能電機はまずD型のED60・ED61の方が登場したんじゃ無かったかな?EF60は元々貨物用。その登場理由は…
東海道本線の電化が進んで旅客・貨物とも電機牽引化する中、関ヶ原の上り勾配を1,200t牽引するのにEF15では性能限界に近く少々きつかったのでEH10が登場したが電化が西進し山陽本線も西の方まで行くと今度はセノハチ越えにEH10では支障が生じたので後任として登場したのがEF60。当時のMax65km/h走行の貨物列車に適した性能特性で元々旅客列車牽引は考慮していなかった(直流電化区間はなるべく電車化の方針だったし、旅客用ならEF58で対応出来た)。ただ、電化が伸びると電気車の所要が増える。然し東海道新幹線が開業すれば東海道の優等列車用が捻出できるのに今ここで多数の電気車を増備するのは得策では無い。然し、電化したのに蒸機牽引のママでは乗客も現場も嬉しくない。冷房の殆ど無かった当時、せめて急行旅客列車だけでも無煙化したい!と、いうことで余剰になったら貨物用に転用することを前提にEF61が登場した。その背景にはセノハチの急勾配の存在も無視できまい。高速域での性能はEF60はおろかその改良型にして直流平坦線区の標準型EF65をも凌駕するさしものEF58も、平坦線でこそ換算60両(スハ車15両)を持って走れるモノのセノハチの25‰勾配では換算30両(スハ車で7両、オハ車なら8両程度)が限界。しかしEF61なら換算55両(スハ13両強)を単機で踏破出来る。
登場間もない頃はブルトレ牽引にも抜擢された時期もあった。また、広島での滞泊時間を利用して間合いでセノハチの電車特急・電車急行の補機を勤めたりもした(その為連結器の自動解放装置が早くから設置された)。MT-46装備の151系・153系の6M6T編成では瀬野八は登れなかったから(80系の3M3Tは自力登坂できたのに…その後151系は181系にパワーアップ、153系は6M4Tになって補機連結は解消)。
運用区間が東が浜松までとなって関東のファンには馴染みが薄くなってしまったEF61は一時期貨物列車運用ばかりになった時代もあったが50-3までは夜行急行旅客列車や荷物列車、専用貨物列車などもあり、それなりの活躍もしていた。1980年代になると臨客レや荷レにEF58に代わって活躍する機会も増え、回送とは言え定期重連の運用もあったのだが…59-2でその役目を終え戦線離脱してしまった。
ブルトレ牽引に何故抜擢されなかったのか?と少々不甲斐なく感じるのだがコレは想像するに…EF601~14共々クイル式の駆動装置のMaintenanceが厄介だったことやSG搭載が却ってブルトレには無用だったこと、少数派の哀しさで現場に馴染みが薄かった事などがあるのでは?と愚考する。
華やかな急客機として登場するも華々しい活躍をした期間は短く地味な運用が多かったEF61だけど、エクステリアデザイン、事にSideViewは中々のものだし茶塗り時代から沿線で間近に接していた老境入り[鉄]には懐かしくも大好きなカマであり、同機に出会えた時はまるでトレーディングカードのレアカードやシークレットカードを引き当てたかのような感じだった。
上越線の清水トンネル越えの補機に転用するって案もあったそうだが…所謂暖地仕様のEF61を豪雪地帯に転用するには耐寒耐雪化改造は避けて通れまい。若し実現していたらどんな姿になっていただろう?(^^);
上越越え運用になったらEF65-500のようにつらら切装備されたんじゃないかな。
EF61が58より早く無くなったのは運用に二モレが多くSGのせいで腐食進行が酷かったとの記述を見たような、
これの交代でやってきたのがEF62だったような?
因みに61や58以上の高速性能と60の牽引力を両立させると66になります。
日本の電気機関車にとって過酷な仕業は2つあります。
これは日本の電気機関車が66以外「スモールエンジンポリシー」故に牽引力と出力が小さい為です。
1つは重量高速貨物列車
すなわち最高時速100キロ以上かつ1000トン以上の重量貨物列車はある程度の高速性能と牽引力の両立が求められる過酷な仕業、しかも名古屋や大阪圏では新快速に追われる為連続長距離高速走行が要求される過酷さです。
もう一つは重量高速旅客列車
最高時速110キロ、長距離連続高速走行、
と言うこれだけでも日本の電気機関車にとって相当過酷な条件に加え
牽引トン数500トン以上、勾配区間での補機使用も所要時間短縮の為不可能
と言う日本の電気機関車にとっては無理筋、テノール歌手の秋川雅史氏が
「僕だって譜面もらったら『無理です』と突き返す曲がある」と例えるぐらいの仕業です。
秋川雅史氏なら譜面突き返せば済みますが、機関車は仕業表を突き返せません。
65でも500トン牽引だと82キロ以上で息切れしますし、58はセノハチでは牽引不能。
結局66だけが「ポテンシャルの絶対的余裕」と言うラージエンジンポリシーのメリットを活用して楽々こなせる仕業でした。
で61が短命に終わったのは
ラージエンジンポリシーでもスモールエンジンポリシーでもない中途半端な設計が根本原因です。
@@古家武史-f5d
計画のED63の場合はMT56
650kw×4の2600kwだが
ギヤ比1:4.235
でサイリスタチョッパ制御の有利あっても出力がEF66の3/2
でEF65を上回る速度性能だが
EF66に劣るし
1200tの貨物列車を10‰で55km/h
550tの旅客列車
(東海道山陽ブルートレイン仮定)を10‰で105km/h
65PFの置き換えでブルートレイン牽引はできるがスピードアップはEF66に劣るか
貨物なら一般貨物置き換えだが高速貨物は重連だと
上越線も結局EF64 1000番台に追い出されてThe endだろうね。あと、知らない方も多いだろうけど、50-3までは大阪~広島の旧客普通列車あったしね。
EF60でなくEF61をブルトレ用の500番台化しても良かったんじゃ?
せっかくSG積んでるのにブルトレは逆にもったいなかったのでは。
東海道、山陽筋は客車急行やローカル、荷物などSGの需要は高かったですから。
Maintenanceが面倒くさいクイル式台車が嫌われたのでは?元々EF61の旅客列車牽引は繋ぎ、ショートリリーフの発想だったから。敢えて吊りかけ式に戻してEF61-51~とかEF61-101~とかの発想はなかったのだろうね。車輌形式も標準化して形式を増やしたくないってのもあったようだし…(^^);
登録します😂
ありがとうございます‼️
最初のjrバスはどこの?!
コメントありがとうございます。
あのバスはたしかな記憶ではありませんが、碓氷峠の連絡バスだったように記憶しています。
北海道のjrバスににてるとおもいまして
JRバスなのでよく似てるのかもしれませんね!
ただ私もうる覚えなのではっきりとは答えられないことお許しくださいませ。
らららコッペパンがいいな。
らららコッペパン!
BGMですね!?
また時間あるときに探して導入してみようと思います!!
コメントありがとうございました!!
パワーとスピードがあるモーターつければ長生きしたかも。
BGM教えて下さい!
コメントありがとうございます!
どちらの音楽でしょうか?
今確認が難しいのですが、大体どのあたりのどんな曲か教えてもらえますとお答えできるかもしれません。
よろしくお願いします。
OPが終わった後の説明(?)に入るときのBGMです
お待たせしました。
凱旋の行進
と検索してみてください。
おそらく見つかることと思います。
もしご不明な点がございましたら、またお尋ねください。
ご丁寧にありがとうございます