CHRISTIANITY: the early history and the worldview (L11) university standard philosophy course
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- Опубликовано: 19 ноя 2024
- / @prof.sumioka
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00:45 Paleo-Christianity
04:41 Evangelists and Gnosticism
07:03 Pax Romana
09:20 Church in Chaotic Age
12:20 Christian Worldview
Produced by Office SUMIOKA Studio
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Teruaki Georges SUMIOKA, Ph.D.
Full Professor, OSAKA UNIVERSITY of ARTS
former Guest Professor, GUTENBERG UNIVERSITÄT MAINZ, Germany
former TV Planner, TV ASAHI, Japan
Ph.D. (TOKYO UNIVERSITY of the ARTS, in Aesthetics)
MA (The UNIVERSITY of TOKYO, in Philosophy)
キリスト教が生まれ、広まる際にも様々な争いや支配など残酷な出来事が山程起こったり、政治的な支配の面でも利用されることもあった。また、ストア派など沢山の宗派が生まれたり発展したりもした。
同じ宗教として今は存在しているキリスト教であっても、始まりの頃から様々な人により派生が生まれ、そして本来は人々の支えになるものとされていた宗教が政治に使われたというところが本来の目的と変わってしまっている。
また、様々な派生の中で出てきた三位一体といった考えが合わさっていき、今の形に落ち着いていった。
本来の姿を知るものが居なくなっていくとより物事の目的事変わってしまったことが分かる例のように感じる。
思考を取り入れる、といったように、思考にも流行があるのだと知った。
娯楽の少ない時代では、思考方法が娯楽のような立ち位置だったのだろうか。
現在でこそ大きな宗教とされるキリスト教だが、その姿はキリストが本来立てた目的や方向性とは違うものへと変化している。数々の戦争の後に統合されたが、あらゆる知が取り込まれるのと同量にあらゆる思想も取り込まれる。知を争いや政治的なものに利用せず、思想目的の統合に利用すれば宗教としては正しいのかもしれないが、こういった歴史的背景があるからこそ今があると考えると、非常に難しい問題でもある。
私たちは少ない知識を全てだと思い込み争いを起こしてきた。私たちは神のように全知ではないということを心にとめておく必要がある。
宗教同士という一枚を通した神同士の戦いなのかと思っていたら神という見方をつけた上とそれを受け入れられない下の内部分裂なんだなと感じました。
ユダヤ教とキリスト教の対立が、やがて三位一体説によってまとまった。だが、まとまったのも様々な思想のすれ違いで起こった争いも人間の少ない知識が引き起こした結果のものである。
テルトゥリアヌスが提唱した三位一体の概念は、父、子、聖霊の三つの位格が一つの神性を共有するというもので、彼の理論は、初期のキリスト教における神学的な議論に大きな影響を与え、三位一体の理解を深める上で重要な役割を果たした。
テルトゥリアヌス導入した新しい三位一体は同じ神様を信仰していても、宗教によって考え方が変わることから、周りが持っている考え方に流されるのではなくしっかりと自分の考えも持つことが大切だと感じた。
本来は人々を救い我々が神と同じ力を地上にもたらすという目的があったはずのキリスト教が気づけば権力者たちが政治などに有利になるように変えてしまった。
その中で多くの派閥が現れ三位一体という言葉が現れた。
これは本来目的だったものが手段になってしまっている例の1つではないだろうか。
最初の方のキリスト(イエス)が復活(?)のところから、最後あたりの最後の審判のところで、彼が復活した(と思われる)のは煉獄で待って裁きを受けた後なのだろうか。
テルトゥリアヌスが述べた言葉である「不条理ゆえ信じる」は神が考えることはたかが人間には理解できないから不条理に感じると言う意味と、全てが都合のいい話には裏があるのような二面性の意味合いが含まれてるのだろう。
イエスは私を崇めよと言ったのではなく、私(神)の前では皆平等であると主張したのだ。少ない知識でわかった気になるのは傲慢であると理解した。ものを言うなら少ない知識ではいけない
キリスト教が、様々な考えを吸収してできたものだったということを学んだ。また、キリスト教が確立されるまでにたくさんの血なまぐさい戦いが繰り広げられていたことを知った。
多くの争いの後キリスト教がまとめられたと思うと、これは多くの考えを吸収し作られたものだ。聖書に対し、教えは沢山あるほど理解しにくくなるのではないかと感じていた。しかし、それは必要なものだったのだと思うと宗教、思想が続いていくことは難しいのだと思った。
キリスト教はいくつもの争いの後に大きくなった。本来は人々の支えとなる目的があったはずのキリスト教が気づけば権力者たちが政治などに有利になるように変えてしまった。
テルトゥリアヌスが提唱した三位一体説は、神はただ一つの実体に父なる創造神、子なる贖罪神、臨在する聖霊の三つの位格で現れるというものである。非常に難解な考えだが、テルトゥリアヌスは「不条理だからこそ信じるに値する」と述べた。人間の尺度では、神の考えていることを捉えるのはたいへん難しいことなのかもしれない。
同じモノを崇拝しているのにも関わらず、考え方の違いによるすれ違いで殺し合いに発展していたのを見るとテルトゥリアヌスの三位一体説は、様々な価値観を取り入れている多様性のある考え方だと感じた。
神を巡って争いが起きていたと思っていたが、実際は神を都合よく扱おうとしたが市民が信じないので争いが起きていることを知った。
人間は全て罪人(知恵の罪)で、その救世主としてイエスが十字架にかけられ我々の罪を償い、復活したものとして信じられているのがキリスト教であるが分かった。
キリスト教は様々な哲学を取り入れて広がっていった。またキリスト教徒でないにしても私達は原罪を持っており、それは知恵の実をただかじったという罪ではなく、少ししか噛じらず部分的な知識だけで善悪を決めてしまう事が問題である。
今回、話に出てくる哲学者はとても思想が偏っているように感じた。それが暗殺との関連性があるとはわからないが、キリスト教からの歴史からは、人の黒い部分が垣間見える。
ローマ帝国が財政的に潤っていても、ユダヤ教とキリスト教の対立やそれぞれの派の対立、否定の上乗せがあることで、人々の熱を入れる矛先が皇帝崇拝へと向かなかったのだろう。
パウロはイエスの処刑に対して、私たちの罪を償ってくれた。まさに救世主だ。とイエスを神にしました。その考えに賛同し、イエスを崇める人が増えた。ならなぜイエスが処刑されようとした時、誰も助けなかったのでしょうか。
テルトゥリアヌスが提唱する三位一体説は、キリスト教における教義の一つであり、父、子、聖霊という3つの異なる位格として存在するものだ、しかし一つの神というパラドックスを表している。それを理解する人間こそ、真に信仰をしていると言えるだろう。
不完全なキリスト教に様々な考えが取り入れられ、今では世界で1番大きな宗教へと発展した。しかし、その過程の中には政治的な目的や利己的な言動が必然的に含まれており、宗教としての役割とは大きく矛盾している。
テルトゥリアヌスが三位一体説は不条理だから信じることにしたのは、中途半端な知識のせいで理解はできないが、起こったからには信じるという神からしたら何でもないことでも人間からしたらわからないことに対する考え方だと思った。
人間は神と絶対的な差異があり、中途半端な知恵を持つことで罪を抱えている。イエスは全人類が神の前で平等であると主張し、少ない知識でのわかった気になることを戒めた。イエスの十字架の犠牲と復活は、彼が救い主であると信じられる重要な要因である。
三位一体説は不条理だから信じることをテルトゥリアヌスは辞めさせた。3つの位格はそれぞれの宗教で違う
イエスの時代から始まるキリスト教は「破壊と再生」だと感じた。イエスの死という破壊から始まり、復活、教会の破壊など様々なものが破壊と再生を歴史上で繰り返し、現代にたどり着いた。
様々な人が肯定、否定し、殺し、殺されといった中で日々進歩してきたものがキリスト教だ。
Instead of explaining the fanfiction of how the Bible claims what happened, why don't you talk about how the Bible didn't exist until many hundreds of years after the events took place and how there are no surviving original manuscripts. Or how many of the copies we do find contradict each other. Or how they were written in languages the "original apostles" didn't speak. Or how they were also illiterate and couldn't write. Yet, the "New testament" writings were written in Greek.
In Jesus' time, ordinary people usually spoke Aramaic, but many Jews, especially those in Jerusalem, also spoke Greek for international trade. In addition, the Dead Sea Scrolls have been discovered, which contain records of Jesus' words and deeds that are older than the Bible.
中途半端な知恵を原罪として取り上げていることに驚いた。
知っていることは見えているが、知らないことは見えていないということを自身で認識することは難しい。
自分にそう言った側面があることに気づいていないことも罪であるということだとわかった。
wooow uncanny